3 大家恵太④
ー/ー「……っていうことがあってさ」
病室に行くと彰は起きていた。どうやら僕らが来るのを待っていたらしい。
「なにかあった?」
彰がそう訊いてきたのは、他愛もない話を終えて、香織が飲み物を買いに病室から出ていった時だった。
「どうして?」
「とても結衣と仲良く話してきたあととは思えなくて」
僕と香織は彰に今日のことで大きく嘘をついていた。というよりも、香織が隠したという方が適切かもしれない。
結衣と会って話したということは伝えた。だが、結衣が集まることに乗り気ではなく、さらにあんなに否定するような態度をとったということは話していない。僕がそれについて話そうとすると香織は先に口を挟んで遮っていた。たしかに、起きて早々記憶が欠けている中でそういった話をするのはあまりふさわしいとは言えないだろう。そもそもみんなで集まろうとしていることも彰には話していないのだ。しかし、僕はそういったことよりも自分と結衣の間にあった何かを香織は話したくないのではないかというふうに感じた。
「そんなことないよ。結衣は相変わらずだった」
「相変わらずと言っても、僕が知ってるのはあの気の弱くて印象に残りにくい結衣だからさ。気が強いって話ばかり聞いてるとむしろ違和感」
一旦否定してみたものの、冗談気に笑っているが話を逸らす気はないらしい。彰に本当のことを話すべきかと耳の裏を触れながら悩んでいると、彰が口を開いた。
「僕が言いたいのは結衣がどうってよりも香織のことだよ。恵太はちょっと普段と違うって思わない?」
香織はいつも通り振舞っていたと思う。僕も結衣と香織が話している場面にいなければ、気付かずに相変わらず元気だなあと暢気なことを考えただろう。それでも彰はなにか違和感を感じたようで、そこは流石だなと感心するばかりだった。
だが、あくまでそれについては香織自身が話すかどうかを決めるようなことだ。彼女が隠したがっているものを僕が勝手に言っていいのだろうか。
「それは……本当のことを言うと、僕が結衣とあんまり話せなくて。僕が悪いんだけど、それが原因で香織と結衣が言い合うってことがあってさ」
悩んだ結果、嘘ではないがはっきりとした事実とも言えない言い訳をした。
「なるほど。たしかに恵太って結衣と話すの苦手だったね」
「だから、ちゃんと結衣と話して……謝りたいんだ」
「そっか ……」
これも僕の本心だ。香織と結衣の間に何があったのかは僕にはわからない。だが、それは彼女らの問題で僕がどうこうできる問題ではない。なら今は僕に出来ることをするしかない。そのためにも記憶がないとはいえ彰からのアドバイスか何かが欲しかった。今を変えるきっかけが欲しかった。
「恵太と結衣って似た者同士……って小四のころ思ってた」
「え?」
急な話題の変化に戸惑いを隠せずにいたが、そんな僕に構わず彰は話を続けた。
「恵太は自分が結衣の立場だったらどうされたら許せる?」
僕は答えられなかった。分からなかったからだ。結衣の立場というものが全然想像つかない。よく考えてみれば、僕はいまの結衣のことを全然知らない。この六年間、僕は自分のことばかりだった。結衣に限らず他のみんなのことも全然見ていなかった。みんなはこの六年間何を思って過ごしていたのだろう。それを知る必要がある。知ろうとしなければいけない気がした。
「まあ、でもあんまり気負うことはないよ。変に気負うから伝えたいことも伝えられないんだ」
彰がそう言ったのと同時に香織が病室に入ってきた。そういえば扉が開けっぱなしだったのでガラガラという音もしない。
何度も言っているが、僕らの中で結衣は一番変化した人だ。首元辺りまでしかなかった髪は胸元まで伸び、姿勢もいいせいか実際の身長よりも高く見える。昔のように小さい声で話すこともなくなり、自信ありげにハキハキと喋るようになってはっきりとした物言いをするようになった。いつからそうなったのかまでは覚えていないが、そういった自信ありげな態度をとり始めてから香織や綾奈以外と一緒にいるところを見ることが増えた気がする。それでも三人で一緒にいるという印象があったが、綾奈がいなくなって時間が経つと、いつしか香織と話しているという方が珍しく感じるようになった。
香織のことはどうだろうか。いつも明るくて一緒に話していると楽しい。気を許せるとでもいうのだろう。昔からそういう存在だった。今、こうやって話すようになってからも同じように思う。きっとそれはだれに対してもそうなのだ。太陽の様な笑顔で笑いかけられるとこっちまで気持ちが明るくなってしまう。だからクラスメイトからも好かれている。
香織が落ち込んだり、暗い表情をしているところを僕は見たことがなかった。小学生の頃を含めても、だ。だが、思い返してみれば違和感を感じることはたまにあったかもしれない。もしかしたら今日のようになにかあっても見せないように隠していたのか。
今、隣で彰と話している香織は普段と変わらない様子だ。きっとこのまま何事もなかったかのように過ごすこともできるだろう。香織もそのつもりのはずだ。僕が何も気づかなかったふりをすれば……
だけど僕は変わる必要があった。具体的になにをと言うことは難しいが、これまでの僕のままではだめなのだ。
「彰くん、早く退院できないかなあ」
帰り道の途中、どうでもいいような会話をしていると不意に香織が言った。
「確かにね」
「一緒にいろんなところ行ってもっと遊びたいよ。秘密基地とかもそうだけど、学校とか!彰くん行ったことないもんね」
「うん。面白そう」
「でも、そうなったらやっぱりみんなでいないと不公平だよね……どうしよっかなあ」
機嫌よさげに鼻歌を歌いながら僕の先を歩いている。僕はカラカラと鳴る自転車を押しながら少し遠くを見てみた。夏の暑さを忘れさせるかのような露草色が、季節によっては薄明の空でもおかしくないという頃なのに山並みの向こうまで広がっている。
「ねえ」
ボーっと歩いていると香織が目の前に手のひらを振ってきた。びっくりして手の持ち主の方に目を向けると、いつの間にかに自転車を停めて立ち止まっている。僕はちょうど彼女の真横を通るところだった。
「大丈夫?」
心配そうに香織が言う。
「全然大丈夫」
何も考えずに返事をした。
「本当に?今日はずっと上の空って感じだったけど」
「え!?」
「もしかして結衣の言ったこと、気にしてるの?」
「どれのこと?結構あたりきつかったから分からないや」
「最後の、恵太くんのせいってやつ」
「ああ……気にしてない」
「そっか。心配して損した気分。っていうか少しは気にした方がいいよ」
冗談気に笑うと自転車のスタンドをガッと足裏で蹴り上げた。再び歩き始めた彼女の背中を見て僕は耳裏が痒くなった。
「香織こそ大丈夫なの?」
「なにが?」
前を向いたまま返事をした香織の声色は明るいままだ。自転車のタイヤの音が大きく感じる。
「結衣と話したときから少し変だよ?」
「どこが?いつも通りだと思うけど」
「……結衣と何かあったの?」
「どうしたの?急にさ」
「なにか言い合ってただろ?」
香織はそれになにも答えなかった。一切振り返らずにまっすぐ進む。その様子に僕はなにか話すということが出来なかった。
近くの畑でなにかを燃やしているおじいさんがいた。くすんだ灰色の煙は空高くに上って行って遠くから見ても一目で分かるだろう。そういう光景を見ると少し安心した。煙で火の場所が分かるし、煙が消えれば火が消えたことも分かる。
家近くの道路沿いには村民が集まる公民館がある。その脇を通ったとき、ようやく香織が口を開いた。
「ねえ、懐かしくない?あそこの遊具で何回か遊んだよね」
公民館の敷地内には少し広い芝生のスペースがあって、そこには小さい滑り台とブランコが置かれてある。僕たちが小学五年生の頃に作られて、完成当初に少しそこで遊んだことがあった。
相変わらず振り返らない彼女の視線の先にあった遊具らを見て一瞬懐かしんでいると、香織が公民館の敷地に入っていく。僕もそのあとに続いた。
今の時間はだれも使っていないようで公民館の雨戸が閉められていた。その雨戸の前に自転車を停めると二人してブランコに座った。少し小高い所にあるから僕たちが歩いてきた道を一望出来る。遠くの方には小学校が見えて、さらに奥には山並みが聳え立っていた。
「さっき、結衣となにかあったのって訊いたよね?」
「うん」
「あったよ」
香織の方を見ると目が合った。いつから僕のことを見ていたのだろう。座るときは見てなかった。
「どうしたの?急にさ」
「だから、結衣となにか言い合ってたから……」
「そうじゃなくて、なんでそんなこと気にするの?」
香織から視線を外して僕は正面を向いた。
「それは……知る必要だと思ったからだよ。香織のことも、結衣のことも。みんなと向き合うために」
香織を横目で見ると香織も正面を向いていた。この景色を見て香織は何を考えているのだろう。
しばらく黙っていると彼女はため息をついて、目を閉じながら項垂れた。
「自分で解決したかったんだけどなあ。そういうことなら仕方ないか……」
もう一度深くため息をつくと続けて言った。
「あんまり面白い話じゃないよ?」
病室に行くと彰は起きていた。どうやら僕らが来るのを待っていたらしい。
「なにかあった?」
彰がそう訊いてきたのは、他愛もない話を終えて、香織が飲み物を買いに病室から出ていった時だった。
「どうして?」
「とても結衣と仲良く話してきたあととは思えなくて」
僕と香織は彰に今日のことで大きく嘘をついていた。というよりも、香織が隠したという方が適切かもしれない。
結衣と会って話したということは伝えた。だが、結衣が集まることに乗り気ではなく、さらにあんなに否定するような態度をとったということは話していない。僕がそれについて話そうとすると香織は先に口を挟んで遮っていた。たしかに、起きて早々記憶が欠けている中でそういった話をするのはあまりふさわしいとは言えないだろう。そもそもみんなで集まろうとしていることも彰には話していないのだ。しかし、僕はそういったことよりも自分と結衣の間にあった何かを香織は話したくないのではないかというふうに感じた。
「そんなことないよ。結衣は相変わらずだった」
「相変わらずと言っても、僕が知ってるのはあの気の弱くて印象に残りにくい結衣だからさ。気が強いって話ばかり聞いてるとむしろ違和感」
一旦否定してみたものの、冗談気に笑っているが話を逸らす気はないらしい。彰に本当のことを話すべきかと耳の裏を触れながら悩んでいると、彰が口を開いた。
「僕が言いたいのは結衣がどうってよりも香織のことだよ。恵太はちょっと普段と違うって思わない?」
香織はいつも通り振舞っていたと思う。僕も結衣と香織が話している場面にいなければ、気付かずに相変わらず元気だなあと暢気なことを考えただろう。それでも彰はなにか違和感を感じたようで、そこは流石だなと感心するばかりだった。
だが、あくまでそれについては香織自身が話すかどうかを決めるようなことだ。彼女が隠したがっているものを僕が勝手に言っていいのだろうか。
「それは……本当のことを言うと、僕が結衣とあんまり話せなくて。僕が悪いんだけど、それが原因で香織と結衣が言い合うってことがあってさ」
悩んだ結果、嘘ではないがはっきりとした事実とも言えない言い訳をした。
「なるほど。たしかに恵太って結衣と話すの苦手だったね」
「だから、ちゃんと結衣と話して……謝りたいんだ」
「そっか ……」
これも僕の本心だ。香織と結衣の間に何があったのかは僕にはわからない。だが、それは彼女らの問題で僕がどうこうできる問題ではない。なら今は僕に出来ることをするしかない。そのためにも記憶がないとはいえ彰からのアドバイスか何かが欲しかった。今を変えるきっかけが欲しかった。
「恵太と結衣って似た者同士……って小四のころ思ってた」
「え?」
急な話題の変化に戸惑いを隠せずにいたが、そんな僕に構わず彰は話を続けた。
「恵太は自分が結衣の立場だったらどうされたら許せる?」
僕は答えられなかった。分からなかったからだ。結衣の立場というものが全然想像つかない。よく考えてみれば、僕はいまの結衣のことを全然知らない。この六年間、僕は自分のことばかりだった。結衣に限らず他のみんなのことも全然見ていなかった。みんなはこの六年間何を思って過ごしていたのだろう。それを知る必要がある。知ろうとしなければいけない気がした。
「まあ、でもあんまり気負うことはないよ。変に気負うから伝えたいことも伝えられないんだ」
彰がそう言ったのと同時に香織が病室に入ってきた。そういえば扉が開けっぱなしだったのでガラガラという音もしない。
何度も言っているが、僕らの中で結衣は一番変化した人だ。首元辺りまでしかなかった髪は胸元まで伸び、姿勢もいいせいか実際の身長よりも高く見える。昔のように小さい声で話すこともなくなり、自信ありげにハキハキと喋るようになってはっきりとした物言いをするようになった。いつからそうなったのかまでは覚えていないが、そういった自信ありげな態度をとり始めてから香織や綾奈以外と一緒にいるところを見ることが増えた気がする。それでも三人で一緒にいるという印象があったが、綾奈がいなくなって時間が経つと、いつしか香織と話しているという方が珍しく感じるようになった。
香織のことはどうだろうか。いつも明るくて一緒に話していると楽しい。気を許せるとでもいうのだろう。昔からそういう存在だった。今、こうやって話すようになってからも同じように思う。きっとそれはだれに対してもそうなのだ。太陽の様な笑顔で笑いかけられるとこっちまで気持ちが明るくなってしまう。だからクラスメイトからも好かれている。
香織が落ち込んだり、暗い表情をしているところを僕は見たことがなかった。小学生の頃を含めても、だ。だが、思い返してみれば違和感を感じることはたまにあったかもしれない。もしかしたら今日のようになにかあっても見せないように隠していたのか。
今、隣で彰と話している香織は普段と変わらない様子だ。きっとこのまま何事もなかったかのように過ごすこともできるだろう。香織もそのつもりのはずだ。僕が何も気づかなかったふりをすれば……
だけど僕は変わる必要があった。具体的になにをと言うことは難しいが、これまでの僕のままではだめなのだ。
「彰くん、早く退院できないかなあ」
帰り道の途中、どうでもいいような会話をしていると不意に香織が言った。
「確かにね」
「一緒にいろんなところ行ってもっと遊びたいよ。秘密基地とかもそうだけど、学校とか!彰くん行ったことないもんね」
「うん。面白そう」
「でも、そうなったらやっぱりみんなでいないと不公平だよね……どうしよっかなあ」
機嫌よさげに鼻歌を歌いながら僕の先を歩いている。僕はカラカラと鳴る自転車を押しながら少し遠くを見てみた。夏の暑さを忘れさせるかのような露草色が、季節によっては薄明の空でもおかしくないという頃なのに山並みの向こうまで広がっている。
「ねえ」
ボーっと歩いていると香織が目の前に手のひらを振ってきた。びっくりして手の持ち主の方に目を向けると、いつの間にかに自転車を停めて立ち止まっている。僕はちょうど彼女の真横を通るところだった。
「大丈夫?」
心配そうに香織が言う。
「全然大丈夫」
何も考えずに返事をした。
「本当に?今日はずっと上の空って感じだったけど」
「え!?」
「もしかして結衣の言ったこと、気にしてるの?」
「どれのこと?結構あたりきつかったから分からないや」
「最後の、恵太くんのせいってやつ」
「ああ……気にしてない」
「そっか。心配して損した気分。っていうか少しは気にした方がいいよ」
冗談気に笑うと自転車のスタンドをガッと足裏で蹴り上げた。再び歩き始めた彼女の背中を見て僕は耳裏が痒くなった。
「香織こそ大丈夫なの?」
「なにが?」
前を向いたまま返事をした香織の声色は明るいままだ。自転車のタイヤの音が大きく感じる。
「結衣と話したときから少し変だよ?」
「どこが?いつも通りだと思うけど」
「……結衣と何かあったの?」
「どうしたの?急にさ」
「なにか言い合ってただろ?」
香織はそれになにも答えなかった。一切振り返らずにまっすぐ進む。その様子に僕はなにか話すということが出来なかった。
近くの畑でなにかを燃やしているおじいさんがいた。くすんだ灰色の煙は空高くに上って行って遠くから見ても一目で分かるだろう。そういう光景を見ると少し安心した。煙で火の場所が分かるし、煙が消えれば火が消えたことも分かる。
家近くの道路沿いには村民が集まる公民館がある。その脇を通ったとき、ようやく香織が口を開いた。
「ねえ、懐かしくない?あそこの遊具で何回か遊んだよね」
公民館の敷地内には少し広い芝生のスペースがあって、そこには小さい滑り台とブランコが置かれてある。僕たちが小学五年生の頃に作られて、完成当初に少しそこで遊んだことがあった。
相変わらず振り返らない彼女の視線の先にあった遊具らを見て一瞬懐かしんでいると、香織が公民館の敷地に入っていく。僕もそのあとに続いた。
今の時間はだれも使っていないようで公民館の雨戸が閉められていた。その雨戸の前に自転車を停めると二人してブランコに座った。少し小高い所にあるから僕たちが歩いてきた道を一望出来る。遠くの方には小学校が見えて、さらに奥には山並みが聳え立っていた。
「さっき、結衣となにかあったのって訊いたよね?」
「うん」
「あったよ」
香織の方を見ると目が合った。いつから僕のことを見ていたのだろう。座るときは見てなかった。
「どうしたの?急にさ」
「だから、結衣となにか言い合ってたから……」
「そうじゃなくて、なんでそんなこと気にするの?」
香織から視線を外して僕は正面を向いた。
「それは……知る必要だと思ったからだよ。香織のことも、結衣のことも。みんなと向き合うために」
香織を横目で見ると香織も正面を向いていた。この景色を見て香織は何を考えているのだろう。
しばらく黙っていると彼女はため息をついて、目を閉じながら項垂れた。
「自分で解決したかったんだけどなあ。そういうことなら仕方ないか……」
もう一度深くため息をつくと続けて言った。
「あんまり面白い話じゃないよ?」
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