五歳で妹が生まれるまで、透は『今藤 透』だった。
その後は母の旧姓である『新條 透』。両親が離婚したためだ。
透には、もう『今藤』という名だった記憶などないに等しい。入学前に姓が変わったからというのが大きいだろう。
保育園では下の名前が基本だったので、『今藤くん』と呼ばれたことなどあっただろうか、とさえ思う。
生まれたばかりの娘に『病気』があるのがわかった途端、向き合うどころか自分だけ逃げ出した姑息で最低な人間。父親と呼ぶのさえ不快なあの男に、透の外見はそれなりに似ているらしい。中味はむしろ正反対だと祖父母にも言われていたのだが。
幸い妹は治療の甲斐もあって無事に回復し、運動能力は多少劣るがすっかり健康体だ。むしろ人一倍丈夫で風邪ひとつ引かないほど。
足が少し弱い分と言っていいのかわからないものの、小さい頃から頭の良さは飛び抜けていた。
一時は自力歩行さえ危ぶまれた妹と、家に居る間は常に彼女に掛かりきりだった母。しかし離婚後は母方の祖父母と同居したため、透には一人で放置された記憶は一切ない。
母が物理的に構えない分、不憫に思ったのか祖父母が努めて一緒にいてくれたからだ。
透の夢は小児科医になることだった。
その根幹に、医師である母の背中はもちろん幼い頃から共に育った妹のことがあるのは間違いないと自分でも理解している。
小学校から中学校の間は、今思えばひたすら見果てぬ夢を追っていた。周りにそれとなく「君には難しい」と翻意するよう助言されても、まったく聞く耳を持たなかった。
しかし、高校に入学した辺りでようやく現実を受け入れるしかなくなる。そもそも透は理系よりも文系向きだったのだ。理数系が全然できないわけではないし、だからこそなかなか踏ん切りもつかなかったのではあるが。
そこで自分の中できちんと咀嚼して飲み込めた分、上手く頭を切り替えることもできたのだろう。他者からの一方的な反対で仕方なく方針転換していたら、現在も引き摺っていたかもしれない。
結局、透は教員の道を志した。
同様に子どもに関わる職でも、「小学校の先生」として違う夢を描くことを選んだのだ。
結果的には、透が夢を諦めるその背を押したのも妹だった。
小学校から中学に掛けて、彼女の中で漠然とした「医師になりたい」という希望が確固たるものになって行ったらしい。
『人と違う自分』『医療の力に助けられた自分』を、年を経るごとに重く受け止めるようになったからではないか。のえるとすぐ近くで接して来た透は、そう推測している。
透が実家で暮らしていたこの三月まで、妹は傍から見ているだけでも感心するくらい勉強に集中していた。その姿に、「努力できるのもまた才能だ」という言葉の意味を見せつけられた気がしたものだ。
きっとのえるは、その後も変わらず地道な努力を重ねていたに違いない。
『本当におめでとう! よく頑張ったな。大学入ってからも大変だろうけど、のえるなら大丈夫だよ。お兄ちゃんはそう信じてる』
『ありがと~。そう、他の人にはなかなか言えないけどさ、私すっごく頑張ったんだよ! でもここがスタートなのもちゃんとわかってるから』
自然に言葉が溢れる。我が事のように、透は妹の吉報に喜びを感じていた。