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天界・宵の宮(1)

ー/ー



 (う……ん)
 ユージがゆっくりと目を開けると、そこには見慣れない模様の天井があった。
 (……ここは?)
 どうやら自分はベッドの上に寝かされているようだった。右側は壁、左側に衝立があり、その先の視界が遮られている。
 (あれ……飛天たちと空を飛んでいた筈だけど……)
 ゆっくりと記憶をさかのぼる。
 (飛天と龍がいるいないの話をしていて――そしたら龍がこっちに近づいてきて――そうだ、俺に向かって吼えたんだ)
 その後のことは全く覚えていない。そして、どういうわけか身体が鉛のように重かった。
 衝立の向こうに目をやると、人の影が動いている。
 (誰か居るみたいだ。声かけてみよう)
 と、思い切って重い身体を起こしかけた時、
 「あっ……痛」
 ひりつくような痛みに襲われ、顔を顰めた。
 「ああ、良かった。お気づきになりましたか」
 ユージの呻き声を聞いたのか、赤紫色の神官服を着た女性が衝立の向こうから駆け寄ってきた。豊かな黒髪と神官服と同じ色の瞳が印象的だ。
 「まだ起きてはいけません。さあ、横になって下さい」
 その女性はユージの背中を優しく支えると、ゆっくりとベッドに埋没させた。
 「あの、ここは……?」
 「ここは、宵の宮の救護室です」
 女性はユージに毛布を掛け直してやりながら、彼の不安を和らげるように優しく微笑んだ。
 「僕は、どうして」
 「ユージさん。あなたは飛行中に意識を失ったために浮遊術の魔法が切れ、空から落ちてしまったと聞いています」
 「空、から」
 女性の説明に、ユージの表情が引きつった。
 「はい。幸い、あなたと共にいた風の精霊たちがあなたを繁みの中に着地させ、木の精霊たちが落下の衝撃を受け止めてくれたようですよ」
 そうでなければ、命を失くしていただろう――と、女性は続けた。
 「そう、でしたか」
 ユージは小さく息をついた。
 (確かに、あの高さからまともに落ちたら、生命はなかった)
 身体中に痛みがあるが、怪我で済んだのはむしろ幸運と思っていい。
 「ユージ、気が付いてよかった……おいらたち、木の精霊にも助けてもらって頑張ったんだけど……怪我させてごめんね」
 女性の後ろから、飛天がしょんぼりと顔を覗かせた。
 「謝らなくて、いいよ。飛天は、俺の命の恩人だ。ありがとう」
 「ユージ……」
 泣きそうになっている飛天に向かい、女性は諭すように声を掛けた。
 「飛天。あなたたちは最善を尽くしてこの人を助けたのです。イル神もレア神もきっと褒めて下さいますよ」
 「はい、大司祭様」
 女性の言葉に、飛天は涙をこらえて頷いた。
 「大司祭、様……?」
 聞き返したユージに、大司祭様と呼ばれたその人は右手を胸に当てて素性を明かした。
 「申し遅れました。わたくしは宵の宮の大司祭を務めさせて頂いております、ルシアと申します」
 この女性こそ、宵の宮の頂点に立ち、女性神官を束ねている大司祭ルシアであった。

 
 ややあって、衝立の向こうから、大股に歩く足音が聞こえてきた。
 「ユージ、大丈夫か!」
 ジンの声だ。
 「やっとジンが来てくれましたね」
 と、ルシアはユージに優しく声を掛け、背筋をしゃんと伸ばして衝立の向こうに視線を転じた。
 「空から落ちたって……あっ」
 水蓮を伴い、肩掛け鞄を下げて姿を見せたジンは、ルシアを見るなりびくっとその場に凍り付いた。
 そして、何故かひどく狼狽えた様子できこちなく右手を胸に当て、
 「こ、これは、ルシア様」
 と、深々と頭を下げた。
 「ご苦労様です、ジン」
 にっこりと微笑むルシアに、心なしかジンの顔が赤らんだ気がした。
 「あなたをお待ちしている間に、わたくしの方で応急処置を済ませておきました」
 「も、申し訳ありません。私の到着が遅れたばかりに、ルシア様のお手を煩わせてしまいまして」
 もじもじと詫びるジンに、
 「まあ、大袈裟なこと」
 ルシアは服の袖で口元を隠し、可笑しそうに小さく声を立てて笑った。
 「……!」
 ジンは何かを言おうとしているようだが、全く言葉に出来ていなかった。
 その様子を先ほどまで泣きそうだった飛天がにやにやしながら、方や水蓮の方は恥ずかしそうに両手で頬を押えて見守っている。
 (ジンさんは、ルシア様のこと――)
 ユージは明らかに挙動がおかしいジンと、精霊たちの反応を見て全てを察した。
 「では、ジン。わたくしは所用がありますので、後は頼みますね」
 「は、はい。お任せを」
 ジンは再び右手を胸に当てて頭を下げた。
 ルシアは、ベッドに横たわるユージに向けて小さく会釈すると、振り返ることなく静かにその場を後にした。
 ジンは、その後ろ姿がドアの向こうに消えるまで、雄弁な表情で見送っていた。
 そして、
 「はあ……これだから宵の宮は嫌なんだ」
 と、小さな声で呟いた。


 ルシアが退出した後、ジンは何か言いたそうに近寄って来た飛天を鋭い眼光で黙らせ、更に、
 「後は俺に任せて、お前はヤンのところに帰れ」
 と言って、飛天を追い出してしまった。
 「さてと」
 ジンはようやく普段の彼に戻り、ユージのベッド脇に座った。
 「すみません、ジンさん。こんなことになって」
 「ああ、起きてしまったことは仕方ないさ」
 ユージの謝罪を、ジンはそっけなく受け流した。そして、淡々とユージの怪我の状態を確認する。
 「見たところ、切り傷と打ち身はあるけど血止め出来ているし、大きな問題はなさそうだな」
 ジンの言葉に、ユージはほっとしたように頷いた。
 「ただ、空から落ちた衝撃で身体の内側に問題があるかも知れん。――水蓮、準備してくれ」
 と、ジンは水蓮を呼び寄せる。
 水蓮はジンの右肩に座り、少し考えるような素振りを見せた後、
 「準備出来ました」
 と、報告した。
 ジンはそれへ軽く頷くと、ユージに声を掛けた。
 「ユージ。これから俺と水蓮でお前の身体の中を確認する」
 そう言われたものの、ここには医療機器の類などありそうにない。
 「え……もしかして、医療機器もなしに、ですか?」
 「残念だが、天界にはそんなものはないな」
 「それじゃあ、どうやって」
 「天界らしく、魔法を使って対応するんだよ」
 「ま、魔法、ですか」
 どきり、と身体を固くしたユージに、ジンは涼やかな瞳で笑いかけた。
 「どうした。不安か?」
 「あ、いえ、ただ、全然想像が出来なくて」
 「具体的な話をすると、俺と水蓮の意識をお前の身体に潜り込ませて、身体の隅々までチェックして回るんだ。移動する際にちょっと違和感が出るかも知れんが、そこは我慢してくれ」
 「え」
 詳細を説明されて、ますますユージの不安の色が濃くなった。
 「ユージさん。心配しなくても大丈夫ですよ。私たち、色んな人にこの技を使ってきていますから」
 水蓮はユージに近づくと、彼の心を和らげようと優しい声音で声を掛けてきた。
 (四の五の言っても始まらないし、ここはジンさん達に委ねるしかないよな)
 ユージは何とか自分に言い聞かせると、
 「……わかりました」
 ようやく頷いた。
 「よし」
 ジンはにっこりと微笑むとユージの左手を取り、自らの両手で包み込んだ。少し冷たくて、しなやかで大きな手だ。
 「水蓮。今回はいつもよりソフトにやってみようか」
 「承知しました。その分、通常より時間がかかると思います」
 「ま、それは仕方ないな。では始めようか」
 ジンが口を微かに動かして呪文を唱え始めると、水蓮がジンの手の上にその小さな手を重ねた。
 「投入します」
 水蓮の声と共に、ユージの左手から何かがじわじわと身体の中に侵入してきた。
 「!」
 痛みはないが、何かがゆっくりと身体の中を移動しているような感覚に、ユージはぴくっ、と身体を硬直させた。
 「ユージ。ゆっくり呼吸して、身体の力を抜いてくれ」
 「は、はい」
 ユージはジンの指示に従った。
 (怖くない、怖くない)
 恐々ながら身体の異変を受け入れてみると、不思議なことにすうっと楽になった。
 (あ……大丈夫、かも)
 ユージはほうっ、と身体の力を抜いた。
 ジンの様子と自分の身体に起きている感覚を比べてみると、どうやらジンが視線を送った先に何かが移動していくようだった。
 (ジンさん、俺の身体の中身が見えているのかな)
 だとすると、これこそが師匠が認めたジンの力なのだろう、とユージは思った。
 「ユージさんの体液を確認しました。いずれも異常は見当たりません」
 水蓮の報告に、ジンは頷いた。
 「こっちも異常なしだ。内臓はきれいだし、骨折もなし。筋肉その他も問題なしだ。打撲のダメージがあるが、そこは時間が解決する問題だな」
 ジンは、ユージの左手をぽん、と叩いて手を離した。そして、
 「よく我慢したな。身体の方は大丈夫だ。傷が治って痛みが引けば問題ないよ」
 と、例の顔で微笑んで見せた。
 「ゆっくり眠れるよう痛み止めを出すから、少し待っていてくれ」


 ジンは、ユージに薬を飲ませた後、彼が何故空から落ちる事態になったのかを丁寧に聞き取った。
 ユージが言うには、宵の宮の近くに来たところで黄金の龍が飛んでいるところを見かけ、その龍に吼えられたところまでしか覚えていない、という。
 状況から考えると龍の咆哮の波動をもろに受けて意識を失った、といったところだろうが、それなら飛天を含んだ風の精霊もユージもろとも吹き飛んでいる筈だ。しかし、実際のところは風の精霊には何の影響もなかったし、どうやら龍が見えていたのはユージだけだったらしい。
 (そんなこと、あるのか)
 ジンは黙ってユージの話を聞いていたが、俄かに信じられない思いだった。
 (第一、ここには龍はもう――)
 やがて、ユージが眠ったのを確認すると、ジンはその場を水蓮に任せ、救護室から廊下に出た。
 暫く歩いたところで胸元から折り畳み式の鏡を出し、
 「ヤン、悪い。出てくれないか」
 と、鏡に向けて語りかけた。
 すると、直ぐにヤンから応答があった。
 「おお、ジン。飛天から話は聞いたぞ。ユージの具合はどうだ?」
 「飛天達のお陰で大したことないよ。最も、あちこち打ち付けているせいで暫くの間痛みが続くと思うが」
 「そりゃよかった。しかし、こっちで怪我をさせたのはユージの奥さんにちょっと申し訳ないな」
 「そこは空から落ちてこの程度で済んだ、ってところで納得してもらうしかないだろ」
 「まあ確かに。で、何かあったか?」
 「流石察しがいいな、ヤン」
 ジンはひとつ息をついてから切り出した。
 「飛天から聞いているかもしれないが、ユージが空を飛んでいた最中に黄金の龍に吼えられたって言ってるんだ」
 「いや、そんな話は聞いていないが――まさか、龍が?何かの見間違いじゃないのかね?」
 「ユージの話を聞いた限りではどうやら龍に間違いない。しかも、その龍はユージだけに見えていたらしいんだ」
 「なんと……そりゃ本当か」
 ヤンは驚きの声を上げた。
 「俺もまさかと思ったんだが、ユージは出鱈目を言うような奴じゃないと思うんだよ」
 「そうだな。私もそう思うよ」
 二人の天界人はしばし押し黙った。
 「……その龍の話、どうも放っておくわけにはいかなさそうだな」
 ややあって、ヤンの方が口を開いた。
 「わかった。早速魔法庁に龍の谷の状況を調べさせるよ。それで何か問題が見つかったらこちらで対応しよう」
 「すまん、そうしてもらえると助かる。神官の手が必要になったら声かけてくれ」
 「そうなった時は正式なルートで要請させてもらうよ――おっと、もうこんな時間だ。それじゃあまたな」
 「ああ、また連絡する」
 ジンは鏡を懐にしまうと、救護室へと戻っていった。



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 (う……ん)
 ユージがゆっくりと目を開けると、そこには見慣れない模様の天井があった。
 (……ここは?)
 どうやら自分はベッドの上に寝かされているようだった。右側は壁、左側に衝立があり、その先の視界が遮られている。
 (あれ……飛天たちと空を飛んでいた筈だけど……)
 ゆっくりと記憶をさかのぼる。
 (飛天と龍がいるいないの話をしていて――そしたら龍がこっちに近づいてきて――そうだ、俺に向かって吼えたんだ)
 その後のことは全く覚えていない。そして、どういうわけか身体が鉛のように重かった。
 衝立の向こうに目をやると、人の影が動いている。
 (誰か居るみたいだ。声かけてみよう)
 と、思い切って重い身体を起こしかけた時、
 「あっ……痛」
 ひりつくような痛みに襲われ、顔を顰めた。
 「ああ、良かった。お気づきになりましたか」
 ユージの呻き声を聞いたのか、赤紫色の神官服を着た女性が衝立の向こうから駆け寄ってきた。豊かな黒髪と神官服と同じ色の瞳が印象的だ。
 「まだ起きてはいけません。さあ、横になって下さい」
 その女性はユージの背中を優しく支えると、ゆっくりとベッドに埋没させた。
 「あの、ここは……?」
 「ここは、宵の宮の救護室です」
 女性はユージに毛布を掛け直してやりながら、彼の不安を和らげるように優しく微笑んだ。
 「僕は、どうして」
 「ユージさん。あなたは飛行中に意識を失ったために浮遊術の魔法が切れ、空から落ちてしまったと聞いています」
 「空、から」
 女性の説明に、ユージの表情が引きつった。
 「はい。幸い、あなたと共にいた風の精霊たちがあなたを繁みの中に着地させ、木の精霊たちが落下の衝撃を受け止めてくれたようですよ」
 そうでなければ、命を失くしていただろう――と、女性は続けた。
 「そう、でしたか」
 ユージは小さく息をついた。
 (確かに、あの高さからまともに落ちたら、生命はなかった)
 身体中に痛みがあるが、怪我で済んだのはむしろ幸運と思っていい。
 「ユージ、気が付いてよかった……おいらたち、木の精霊にも助けてもらって頑張ったんだけど……怪我させてごめんね」
 女性の後ろから、飛天がしょんぼりと顔を覗かせた。
 「謝らなくて、いいよ。飛天は、俺の命の恩人だ。ありがとう」
 「ユージ……」
 泣きそうになっている飛天に向かい、女性は諭すように声を掛けた。
 「飛天。あなたたちは最善を尽くしてこの人を助けたのです。イル神もレア神もきっと褒めて下さいますよ」
 「はい、大司祭様」
 女性の言葉に、飛天は涙をこらえて頷いた。
 「大司祭、様……?」
 聞き返したユージに、大司祭様と呼ばれたその人は右手を胸に当てて素性を明かした。
 「申し遅れました。わたくしは宵の宮の大司祭を務めさせて頂いております、ルシアと申します」
 この女性こそ、宵の宮の頂点に立ち、女性神官を束ねている大司祭ルシアであった。
 ややあって、衝立の向こうから、大股に歩く足音が聞こえてきた。
 「ユージ、大丈夫か!」
 ジンの声だ。
 「やっとジンが来てくれましたね」
 と、ルシアはユージに優しく声を掛け、背筋をしゃんと伸ばして衝立の向こうに視線を転じた。
 「空から落ちたって……あっ」
 水蓮を伴い、肩掛け鞄を下げて姿を見せたジンは、ルシアを見るなりびくっとその場に凍り付いた。
 そして、何故かひどく狼狽えた様子できこちなく右手を胸に当て、
 「こ、これは、ルシア様」
 と、深々と頭を下げた。
 「ご苦労様です、ジン」
 にっこりと微笑むルシアに、心なしかジンの顔が赤らんだ気がした。
 「あなたをお待ちしている間に、わたくしの方で応急処置を済ませておきました」
 「も、申し訳ありません。私の到着が遅れたばかりに、ルシア様のお手を煩わせてしまいまして」
 もじもじと詫びるジンに、
 「まあ、大袈裟なこと」
 ルシアは服の袖で口元を隠し、可笑しそうに小さく声を立てて笑った。
 「……!」
 ジンは何かを言おうとしているようだが、全く言葉に出来ていなかった。
 その様子を先ほどまで泣きそうだった飛天がにやにやしながら、方や水蓮の方は恥ずかしそうに両手で頬を押えて見守っている。
 (ジンさんは、ルシア様のこと――)
 ユージは明らかに挙動がおかしいジンと、精霊たちの反応を見て全てを察した。
 「では、ジン。わたくしは所用がありますので、後は頼みますね」
 「は、はい。お任せを」
 ジンは再び右手を胸に当てて頭を下げた。
 ルシアは、ベッドに横たわるユージに向けて小さく会釈すると、振り返ることなく静かにその場を後にした。
 ジンは、その後ろ姿がドアの向こうに消えるまで、雄弁な表情で見送っていた。
 そして、
 「はあ……これだから宵の宮は嫌なんだ」
 と、小さな声で呟いた。
 ルシアが退出した後、ジンは何か言いたそうに近寄って来た飛天を鋭い眼光で黙らせ、更に、
 「後は俺に任せて、お前はヤンのところに帰れ」
 と言って、飛天を追い出してしまった。
 「さてと」
 ジンはようやく普段の彼に戻り、ユージのベッド脇に座った。
 「すみません、ジンさん。こんなことになって」
 「ああ、起きてしまったことは仕方ないさ」
 ユージの謝罪を、ジンはそっけなく受け流した。そして、淡々とユージの怪我の状態を確認する。
 「見たところ、切り傷と打ち身はあるけど血止め出来ているし、大きな問題はなさそうだな」
 ジンの言葉に、ユージはほっとしたように頷いた。
 「ただ、空から落ちた衝撃で身体の内側に問題があるかも知れん。――水蓮、準備してくれ」
 と、ジンは水蓮を呼び寄せる。
 水蓮はジンの右肩に座り、少し考えるような素振りを見せた後、
 「準備出来ました」
 と、報告した。
 ジンはそれへ軽く頷くと、ユージに声を掛けた。
 「ユージ。これから俺と水蓮でお前の身体の中を確認する」
 そう言われたものの、ここには医療機器の類などありそうにない。
 「え……もしかして、医療機器もなしに、ですか?」
 「残念だが、天界にはそんなものはないな」
 「それじゃあ、どうやって」
 「天界らしく、魔法を使って対応するんだよ」
 「ま、魔法、ですか」
 どきり、と身体を固くしたユージに、ジンは涼やかな瞳で笑いかけた。
 「どうした。不安か?」
 「あ、いえ、ただ、全然想像が出来なくて」
 「具体的な話をすると、俺と水蓮の意識をお前の身体に潜り込ませて、身体の隅々までチェックして回るんだ。移動する際にちょっと違和感が出るかも知れんが、そこは我慢してくれ」
 「え」
 詳細を説明されて、ますますユージの不安の色が濃くなった。
 「ユージさん。心配しなくても大丈夫ですよ。私たち、色んな人にこの技を使ってきていますから」
 水蓮はユージに近づくと、彼の心を和らげようと優しい声音で声を掛けてきた。
 (四の五の言っても始まらないし、ここはジンさん達に委ねるしかないよな)
 ユージは何とか自分に言い聞かせると、
 「……わかりました」
 ようやく頷いた。
 「よし」
 ジンはにっこりと微笑むとユージの左手を取り、自らの両手で包み込んだ。少し冷たくて、しなやかで大きな手だ。
 「水蓮。今回はいつもよりソフトにやってみようか」
 「承知しました。その分、通常より時間がかかると思います」
 「ま、それは仕方ないな。では始めようか」
 ジンが口を微かに動かして呪文を唱え始めると、水蓮がジンの手の上にその小さな手を重ねた。
 「投入します」
 水蓮の声と共に、ユージの左手から何かがじわじわと身体の中に侵入してきた。
 「!」
 痛みはないが、何かがゆっくりと身体の中を移動しているような感覚に、ユージはぴくっ、と身体を硬直させた。
 「ユージ。ゆっくり呼吸して、身体の力を抜いてくれ」
 「は、はい」
 ユージはジンの指示に従った。
 (怖くない、怖くない)
 恐々ながら身体の異変を受け入れてみると、不思議なことにすうっと楽になった。
 (あ……大丈夫、かも)
 ユージはほうっ、と身体の力を抜いた。
 ジンの様子と自分の身体に起きている感覚を比べてみると、どうやらジンが視線を送った先に何かが移動していくようだった。
 (ジンさん、俺の身体の中身が見えているのかな)
 だとすると、これこそが師匠が認めたジンの力なのだろう、とユージは思った。
 「ユージさんの体液を確認しました。いずれも異常は見当たりません」
 水蓮の報告に、ジンは頷いた。
 「こっちも異常なしだ。内臓はきれいだし、骨折もなし。筋肉その他も問題なしだ。打撲のダメージがあるが、そこは時間が解決する問題だな」
 ジンは、ユージの左手をぽん、と叩いて手を離した。そして、
 「よく我慢したな。身体の方は大丈夫だ。傷が治って痛みが引けば問題ないよ」
 と、例の顔で微笑んで見せた。
 「ゆっくり眠れるよう痛み止めを出すから、少し待っていてくれ」
 ジンは、ユージに薬を飲ませた後、彼が何故空から落ちる事態になったのかを丁寧に聞き取った。
 ユージが言うには、宵の宮の近くに来たところで黄金の龍が飛んでいるところを見かけ、その龍に吼えられたところまでしか覚えていない、という。
 状況から考えると龍の咆哮の波動をもろに受けて意識を失った、といったところだろうが、それなら飛天を含んだ風の精霊もユージもろとも吹き飛んでいる筈だ。しかし、実際のところは風の精霊には何の影響もなかったし、どうやら龍が見えていたのはユージだけだったらしい。
 (そんなこと、あるのか)
 ジンは黙ってユージの話を聞いていたが、俄かに信じられない思いだった。
 (第一、ここには龍はもう――)
 やがて、ユージが眠ったのを確認すると、ジンはその場を水蓮に任せ、救護室から廊下に出た。
 暫く歩いたところで胸元から折り畳み式の鏡を出し、
 「ヤン、悪い。出てくれないか」
 と、鏡に向けて語りかけた。
 すると、直ぐにヤンから応答があった。
 「おお、ジン。飛天から話は聞いたぞ。ユージの具合はどうだ?」
 「飛天達のお陰で大したことないよ。最も、あちこち打ち付けているせいで暫くの間痛みが続くと思うが」
 「そりゃよかった。しかし、こっちで怪我をさせたのはユージの奥さんにちょっと申し訳ないな」
 「そこは空から落ちてこの程度で済んだ、ってところで納得してもらうしかないだろ」
 「まあ確かに。で、何かあったか?」
 「流石察しがいいな、ヤン」
 ジンはひとつ息をついてから切り出した。
 「飛天から聞いているかもしれないが、ユージが空を飛んでいた最中に黄金の龍に吼えられたって言ってるんだ」
 「いや、そんな話は聞いていないが――まさか、龍が?何かの見間違いじゃないのかね?」
 「ユージの話を聞いた限りではどうやら龍に間違いない。しかも、その龍はユージだけに見えていたらしいんだ」
 「なんと……そりゃ本当か」
 ヤンは驚きの声を上げた。
 「俺もまさかと思ったんだが、ユージは出鱈目を言うような奴じゃないと思うんだよ」
 「そうだな。私もそう思うよ」
 二人の天界人はしばし押し黙った。
 「……その龍の話、どうも放っておくわけにはいかなさそうだな」
 ややあって、ヤンの方が口を開いた。
 「わかった。早速魔法庁に龍の谷の状況を調べさせるよ。それで何か問題が見つかったらこちらで対応しよう」
 「すまん、そうしてもらえると助かる。神官の手が必要になったら声かけてくれ」
 「そうなった時は正式なルートで要請させてもらうよ――おっと、もうこんな時間だ。それじゃあまたな」
 「ああ、また連絡する」
 ジンは鏡を懐にしまうと、救護室へと戻っていった。