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密林

ー/ー



「お、お母さんっ!?」

 勇斗の声が、深い緑に包まれた空間に響き渡った。

 ――切れてしまった。

 スピーカー越しではあったが、母の声を聞けただけで少し安心した。胸がじわりと熱くなる。

 勇斗は鼻水をすすり、フォンタイトをマントの内側にしまった。

 そういえば、前回に比べてアルトとは少し話しやすくなっていた気がする。向こうでも、何かあったのかもしれない。

「アルトと話していたのか?」

 蔦が複雑に絡まった木の影から、ランパが姿を現した。大きな実を両手に抱えている。

「うん。すぐにバッテリーが切れちゃったけどね。次に起動するのはいつだろう」

「さぁ? まぁ、気長に待ってればまた使えるようになるって。それより、これうまいぞ。すんごく甘い。ほっぺたとろけちゃう」

 自分の顔ほどの大きさがあるクリーム色の実に、ランパは口をつけた。じゅぼぼぼぼぼ、と勢いよく果汁を吸い込む。プハっとしたあと、満面の笑みを浮かべた。

「ランパ、他のみんなは?」

「ワンコとソーマは食料を取りに行ってるぞ。この森にはいろんなキノコや果物があるから、それを使って料理してくれるんだってさ。オイラも行きたかったけど、ダメって言われた。なんでだろうな。ムカつくぞ!」

 きっと、料理の前に食べ尽くされると思われたのだ。

「ユート」

 チカップが浮かない顔で話しかけてきた。髪やコートをしきりに触り、落ち着きがない。

「本当にこの先に進むんスか?」

「このジャングルの奥に四大精霊の封印があるはずだからね。魔族も手強くなってるけど、行くしかない」

「そう……そうっスよね」

「お前、ソレイン王国を出てからずっと変だぞ?」

 ランパは流し目でチカップを見上げた。

「べ、別に変じゃないっスよ。気のせいっス。自分はいつも通りっスよ」

 チカップの口角が上がった。弱々しい笑みだった。

「ユート、大変ですわ!」

 ソーマが、背丈の高い草をかき分けながら走ってきた。

「どうしたの?」

「魔族が襲ってきましたの。ざっと大きいのが五匹。ミュールが応戦していますが、だいぶ苦しそうですわ」

「わかった。ランパ、チカップ、行こう。ソーマは隠れていて。すぐ戻る」

 勇斗はマントの内側からドラシガーを一本取り出し、ガントレットから放たれる青白い炎で底面を炭化させた。次にそれを咥え、回転させながらふかして火をつける。このやり方なら素早く着火できる。吸い口はあらかじめ切ってあった。

 緑煙をまとった勇斗は、鞘から聖剣を抜き、駆けだした。

 魔族が次々と倒れ、消滅していく。

「ユート、そいつで最後だ!」

 ミュールが叫ぶ。

 勇斗は地面を蹴った。炎をまとった剣が、ワニのような魔族の体を真っ二つにした。黒い液体が噴き出した。

「ふーっ」

 勇斗は剣を鞘に納め、口から緑色の煙を吐いた。

「ユート、本当に強くなったよな。初めて魔族に会ったときはあんなにビビっていたのに」

 ランパがニッと笑った。

「そ、そうかな。みんなのおかげだよ」

 頬を赤くした勇斗は、再びドラシガーを咥えた。ランパから顔を背け、煙を吐き出す。

 視界の先にチカップの姿が見えた。目が合った瞬間、チカップは気まずそうに俯いた。

「そういやチカップ、何で魔法を使わないんだ? お前の魔法があればもっと早く倒せるのに」

 ミュールは尻尾を揺らしながら、両腕を組んだ。

「自分が魔法を使うと、みんなを巻き込んでしまうっス。だからなるべく使いたくないっス」

 勇斗は、チカップと最初に出会ったときのことを思い出した。放たれた魔法の軌道が大きく逸れ、当時のチカップの仲間に命中していた。ふたを開けてみれば、そいつらは人に化けた魔族だったのだが。

「じゃあ、もっと修行すればいいじゃないか。オレ、手伝ってやるぜ?」

 ミュールは白い歯を見せ、チカップの髪をくしゃくしゃとかき回した。

「ホッ! やめ、やめるっス!」

 チカップは小さなフクロウに変身した。バサバサと羽ばたき、ジャングルの奥へと飛び去っていった。

「あ、あいつ! じーちゃんみたいに変身できたのか!」

 ミュールは、地面に落ちた白い羽を拾い上げた。

 オル族は、フクロウに変身する力を持っている。チカップも例外ではなかったようだ。

「ソーマを拾って、追いかけるぞ!」

 眉間にしわを寄せたミュールは、唇を噛んだ。
 

 チカップを探しているうちに、仲間とはぐれてしまった。迂闊だった。

 勇斗は辺りを見回す。薄い霧が漂っている。あちこちに変な模様が描かれた石が見えた。

 中でも目を引いたのは、朽ちた石碑だった。勇斗の倍以上の高さがある。文字はかすれていて読めなかった。

 慎重に歩く。いつ魔族が襲ってくるかわからないから、気を抜けない。しばらく進んだところで、勇斗はあることに気づいた。

 この道、さっきも通ったような気がする。

 勇斗の目の前には、朽ちた石碑がそびえていた。数分前に見たものと、まったく同じだ。

「ここから先は、正しい道順で進まないといけないっスよ」

 振り返ると、大きな木の根元でチカップが三角座りをしていた。

「こんなところにいたんだ。急にどうしたの? みんな心配してたんだよ」

 チカップは俯き、ため息をついた。

 勇斗は無言のまま、チカップの隣に腰を下ろした。ドラシガーに火をつける。淡い緑色の煙が、口から静かに吐き出された。

 父の真似だった。自分が落ち込んでいたとき、父は黙ってそばにいてくれた。葉巻のやさしく甘い香りが、少しだけ心を軽くしてくれた。チカップがどう感じているかはわからない。でも、こうして寄り添うことが、何もしないよりはマシなはずだと勇斗は信じていた。

 お互いに何も話さないまま、時間だけが過ぎていく。風に揺れる葉擦れと、小川の水音だけが耳に残った。

 気まずい空気だった。そういえば、チカップと二人きりで話したことはなかった。彼のことをほとんど知らない。何を話せばいいのだろう。家族や友達のことでも聞いてみようか。いや、好きな食べ物とかのほうがいいかな。

 勇斗が口を開こうとしたとき、チカップが顔を上げた。

「さっきはごめんなさいっス」

 先に話してくれた。勇斗は内心ホッとした。

「い、いいんだよ。僕も嫌なことがあったらすぐに逃げ出すタイプだったから。それよりも、無事で本当に安心した」

「ありがとう」

 チカップの表情が柔らかくなった。同時に勇斗の緊張もほぐれる。

 勇斗は煙を吐いた。柔らかく丸まっていく煙を、チカップが目で追った。

「ユートはいつから葉巻を吸い始めたんスか?」

「この世界に来てからだね。でも、このドラシガーしか吸ったことがない。普通の煙草を吸うのは抵抗があるかな。僕のいた世界では、子どもは煙草を吸ったらダメなんだ」

 真っ白な灰を地面に落とす。

 細めた目で、勇斗は緑煙の軌跡を眺める。ドラシガーを吸うことに対するわずかなためらいは、煙のように消えていた。気づけば口と指が葉巻の重みを恋しがっていた。

 慣れって、こうも早いのか。

「こことは決まりが違うんスね。ユートの世界、興味があるなぁ。もっといろいろ教えてほしいっス」

「そうだなぁ。こことは違って不便なことはあまりないし、テレビとか漫画とかゲームとか、楽しいものがたくさんあるよ」

「へぇ」

 その後も、いろいろ聞かれた。住んでいる町のことや、友達のこと。勇斗が答えるたび、チカップは羽ペンを動かしてメモを取っていた。

「ところで、ユートは好きな子とかいるんスか?」

 突然の質問に、勇斗は持っていたドラシガーを落としかけた。胸の奥がざわつく。

「い、いないよ」

「え? でもソーマとは仲良さそうっスよね」

「あれは向こうが勝手に」

 勇斗の顔が急に赤くなった。異性を意識したことなんて、これまで一度もなかった。それなのに、ソーマと出会ってからは、彼女のことを考えるたびに胸が騒ぐ。

「チカップは、好きな子いるの?」

 チカップは少しの間、沈黙した。表情がふと硬くなる。

「……いたっスよ。来年、結婚する約束もしていたっス」

「け、結婚!?」

 勇斗は目を見開いた。まさか、ひとつ年下のチカップからそんな言葉が出るなんて、思いもよらなかった。

「すごいね。僕、そんなこと一度も考えたことなかったよ」

 将来のことなんてまったく考えていない自分に気づかされ、勇斗は急に不安を覚えた。それに比べ、チカップは未来の約束をしている。

 チカップが急に大人に見えたような気がした。

「すごくなんか、ないっスよ。自分からしたら、ユートのほうがすごいっス。魔族に臆することなく立ち向かえるなんて。死ぬのが怖くないんスか?」

「……怖いよ。でも、立ち止まっていたら、何も解決しない」

 勇斗はまっすぐ前へ煙を吐いた。

「やっぱり、すごいっスね。自分はこの先に行くのが怖いっス」

 チカップは重苦しいため息をついた。

「この先には何があるの? きみはさっき、正しい道順で進まないといけないって言った。あれはどういうこと?」

「自分の故郷――オル族の集落があるっス」

 確かチカップは故郷を追われたと言っていた。

「帰りたくないの? 無理なら、ここで待っててもいいよ」

「いや、行くっス。ここから先、集落に行くには正しい道を通る必要がある。自分なら案内できるっス。それに、ユートたちの探している大精霊の封印は集落にあるから」

「大精霊の封印のこと、知っていたの?」

 チカップは俯き、黙り込んだ。

「……何か理由があるんだね。無理して言わなくてもいいよ」

 勇斗はそれ以上踏み込まなかった。

「ごめんなさいっス」

「おーい、ユート!」

 ランパたちが駆け寄ってきた。

「お、チカップも一緒だったか。この野郎、心配させやがって」

 ミュールは屈み、チカップと目線を合わせ、ニッと白い歯を見せた。

「さっきはごめんな。嫌な思いさせちゃったみたいで」

「いいんスよ。大丈夫っス。ありがとうミュール」

 チカップは微笑み、差し出されたミュールの手をとった。

「この先の集落に大精霊の封印があるみたいなんだ。行こう、みんな」

 チカップに案内され、濃い霧の迷路を進む。彼の背中は少しだけ小さく見えた。

 しばらく歩くと、ひらけた場所に出た。霧はすっかり晴れている。石造りの大きな門が、目の前に現れた。

「うわっ」

 一陣の風が、勇斗の顔面に直撃した。思わず目をつむり、右腕で顔を守る。

「おい、お前たち、何者だ」

 まぶたを開くと、目の前に一羽の茶色いフクロウが降り立っていた。フクロウは人型に姿を変えると、三つの目でギョロッと睨んできた。

「お前たち、どうやって来た? オル族以外はここまでたどり着けないはずなのだが」

 オル族の男が、腕組みをしながら近づいてきた。

「えっと、僕たちは」

「風の大精霊様の封印を解くため、オレが連れてきたっス」

 勇斗の言葉を遮り、チカップが前に出た。

「お前、チカップ……」

 オル族の男の表情がみるみる険しくなっていく。

「どうして戻ってきやがった! この、呪いの子め!」


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「お、お母さんっ!?」
 勇斗の声が、深い緑に包まれた空間に響き渡った。
 ――切れてしまった。
 スピーカー越しではあったが、母の声を聞けただけで少し安心した。胸がじわりと熱くなる。
 勇斗は鼻水をすすり、フォンタイトをマントの内側にしまった。
 そういえば、前回に比べてアルトとは少し話しやすくなっていた気がする。向こうでも、何かあったのかもしれない。
「アルトと話していたのか?」
 蔦が複雑に絡まった木の影から、ランパが姿を現した。大きな実を両手に抱えている。
「うん。すぐにバッテリーが切れちゃったけどね。次に起動するのはいつだろう」
「さぁ? まぁ、気長に待ってればまた使えるようになるって。それより、これうまいぞ。すんごく甘い。ほっぺたとろけちゃう」
 自分の顔ほどの大きさがあるクリーム色の実に、ランパは口をつけた。じゅぼぼぼぼぼ、と勢いよく果汁を吸い込む。プハっとしたあと、満面の笑みを浮かべた。
「ランパ、他のみんなは?」
「ワンコとソーマは食料を取りに行ってるぞ。この森にはいろんなキノコや果物があるから、それを使って料理してくれるんだってさ。オイラも行きたかったけど、ダメって言われた。なんでだろうな。ムカつくぞ!」
 きっと、料理の前に食べ尽くされると思われたのだ。
「ユート」
 チカップが浮かない顔で話しかけてきた。髪やコートをしきりに触り、落ち着きがない。
「本当にこの先に進むんスか?」
「このジャングルの奥に四大精霊の封印があるはずだからね。魔族も手強くなってるけど、行くしかない」
「そう……そうっスよね」
「お前、ソレイン王国を出てからずっと変だぞ?」
 ランパは流し目でチカップを見上げた。
「べ、別に変じゃないっスよ。気のせいっス。自分はいつも通りっスよ」
 チカップの口角が上がった。弱々しい笑みだった。
「ユート、大変ですわ!」
 ソーマが、背丈の高い草をかき分けながら走ってきた。
「どうしたの?」
「魔族が襲ってきましたの。ざっと大きいのが五匹。ミュールが応戦していますが、だいぶ苦しそうですわ」
「わかった。ランパ、チカップ、行こう。ソーマは隠れていて。すぐ戻る」
 勇斗はマントの内側からドラシガーを一本取り出し、ガントレットから放たれる青白い炎で底面を炭化させた。次にそれを咥え、回転させながらふかして火をつける。このやり方なら素早く着火できる。吸い口はあらかじめ切ってあった。
 緑煙をまとった勇斗は、鞘から聖剣を抜き、駆けだした。
 魔族が次々と倒れ、消滅していく。
「ユート、そいつで最後だ!」
 ミュールが叫ぶ。
 勇斗は地面を蹴った。炎をまとった剣が、ワニのような魔族の体を真っ二つにした。黒い液体が噴き出した。
「ふーっ」
 勇斗は剣を鞘に納め、口から緑色の煙を吐いた。
「ユート、本当に強くなったよな。初めて魔族に会ったときはあんなにビビっていたのに」
 ランパがニッと笑った。
「そ、そうかな。みんなのおかげだよ」
 頬を赤くした勇斗は、再びドラシガーを咥えた。ランパから顔を背け、煙を吐き出す。
 視界の先にチカップの姿が見えた。目が合った瞬間、チカップは気まずそうに俯いた。
「そういやチカップ、何で魔法を使わないんだ? お前の魔法があればもっと早く倒せるのに」
 ミュールは尻尾を揺らしながら、両腕を組んだ。
「自分が魔法を使うと、みんなを巻き込んでしまうっス。だからなるべく使いたくないっス」
 勇斗は、チカップと最初に出会ったときのことを思い出した。放たれた魔法の軌道が大きく逸れ、当時のチカップの仲間に命中していた。ふたを開けてみれば、そいつらは人に化けた魔族だったのだが。
「じゃあ、もっと修行すればいいじゃないか。オレ、手伝ってやるぜ?」
 ミュールは白い歯を見せ、チカップの髪をくしゃくしゃとかき回した。
「ホッ! やめ、やめるっス!」
 チカップは小さなフクロウに変身した。バサバサと羽ばたき、ジャングルの奥へと飛び去っていった。
「あ、あいつ! じーちゃんみたいに変身できたのか!」
 ミュールは、地面に落ちた白い羽を拾い上げた。
 オル族は、フクロウに変身する力を持っている。チカップも例外ではなかったようだ。
「ソーマを拾って、追いかけるぞ!」
 眉間にしわを寄せたミュールは、唇を噛んだ。
 チカップを探しているうちに、仲間とはぐれてしまった。迂闊だった。
 勇斗は辺りを見回す。薄い霧が漂っている。あちこちに変な模様が描かれた石が見えた。
 中でも目を引いたのは、朽ちた石碑だった。勇斗の倍以上の高さがある。文字はかすれていて読めなかった。
 慎重に歩く。いつ魔族が襲ってくるかわからないから、気を抜けない。しばらく進んだところで、勇斗はあることに気づいた。
 この道、さっきも通ったような気がする。
 勇斗の目の前には、朽ちた石碑がそびえていた。数分前に見たものと、まったく同じだ。
「ここから先は、正しい道順で進まないといけないっスよ」
 振り返ると、大きな木の根元でチカップが三角座りをしていた。
「こんなところにいたんだ。急にどうしたの? みんな心配してたんだよ」
 チカップは俯き、ため息をついた。
 勇斗は無言のまま、チカップの隣に腰を下ろした。ドラシガーに火をつける。淡い緑色の煙が、口から静かに吐き出された。
 父の真似だった。自分が落ち込んでいたとき、父は黙ってそばにいてくれた。葉巻のやさしく甘い香りが、少しだけ心を軽くしてくれた。チカップがどう感じているかはわからない。でも、こうして寄り添うことが、何もしないよりはマシなはずだと勇斗は信じていた。
 お互いに何も話さないまま、時間だけが過ぎていく。風に揺れる葉擦れと、小川の水音だけが耳に残った。
 気まずい空気だった。そういえば、チカップと二人きりで話したことはなかった。彼のことをほとんど知らない。何を話せばいいのだろう。家族や友達のことでも聞いてみようか。いや、好きな食べ物とかのほうがいいかな。
 勇斗が口を開こうとしたとき、チカップが顔を上げた。
「さっきはごめんなさいっス」
 先に話してくれた。勇斗は内心ホッとした。
「い、いいんだよ。僕も嫌なことがあったらすぐに逃げ出すタイプだったから。それよりも、無事で本当に安心した」
「ありがとう」
 チカップの表情が柔らかくなった。同時に勇斗の緊張もほぐれる。
 勇斗は煙を吐いた。柔らかく丸まっていく煙を、チカップが目で追った。
「ユートはいつから葉巻を吸い始めたんスか?」
「この世界に来てからだね。でも、このドラシガーしか吸ったことがない。普通の煙草を吸うのは抵抗があるかな。僕のいた世界では、子どもは煙草を吸ったらダメなんだ」
 真っ白な灰を地面に落とす。
 細めた目で、勇斗は緑煙の軌跡を眺める。ドラシガーを吸うことに対するわずかなためらいは、煙のように消えていた。気づけば口と指が葉巻の重みを恋しがっていた。
 慣れって、こうも早いのか。
「こことは決まりが違うんスね。ユートの世界、興味があるなぁ。もっといろいろ教えてほしいっス」
「そうだなぁ。こことは違って不便なことはあまりないし、テレビとか漫画とかゲームとか、楽しいものがたくさんあるよ」
「へぇ」
 その後も、いろいろ聞かれた。住んでいる町のことや、友達のこと。勇斗が答えるたび、チカップは羽ペンを動かしてメモを取っていた。
「ところで、ユートは好きな子とかいるんスか?」
 突然の質問に、勇斗は持っていたドラシガーを落としかけた。胸の奥がざわつく。
「い、いないよ」
「え? でもソーマとは仲良さそうっスよね」
「あれは向こうが勝手に」
 勇斗の顔が急に赤くなった。異性を意識したことなんて、これまで一度もなかった。それなのに、ソーマと出会ってからは、彼女のことを考えるたびに胸が騒ぐ。
「チカップは、好きな子いるの?」
 チカップは少しの間、沈黙した。表情がふと硬くなる。
「……いたっスよ。来年、結婚する約束もしていたっス」
「け、結婚!?」
 勇斗は目を見開いた。まさか、ひとつ年下のチカップからそんな言葉が出るなんて、思いもよらなかった。
「すごいね。僕、そんなこと一度も考えたことなかったよ」
 将来のことなんてまったく考えていない自分に気づかされ、勇斗は急に不安を覚えた。それに比べ、チカップは未来の約束をしている。
 チカップが急に大人に見えたような気がした。
「すごくなんか、ないっスよ。自分からしたら、ユートのほうがすごいっス。魔族に臆することなく立ち向かえるなんて。死ぬのが怖くないんスか?」
「……怖いよ。でも、立ち止まっていたら、何も解決しない」
 勇斗はまっすぐ前へ煙を吐いた。
「やっぱり、すごいっスね。自分はこの先に行くのが怖いっス」
 チカップは重苦しいため息をついた。
「この先には何があるの? きみはさっき、正しい道順で進まないといけないって言った。あれはどういうこと?」
「自分の故郷――オル族の集落があるっス」
 確かチカップは故郷を追われたと言っていた。
「帰りたくないの? 無理なら、ここで待っててもいいよ」
「いや、行くっス。ここから先、集落に行くには正しい道を通る必要がある。自分なら案内できるっス。それに、ユートたちの探している大精霊の封印は集落にあるから」
「大精霊の封印のこと、知っていたの?」
 チカップは俯き、黙り込んだ。
「……何か理由があるんだね。無理して言わなくてもいいよ」
 勇斗はそれ以上踏み込まなかった。
「ごめんなさいっス」
「おーい、ユート!」
 ランパたちが駆け寄ってきた。
「お、チカップも一緒だったか。この野郎、心配させやがって」
 ミュールは屈み、チカップと目線を合わせ、ニッと白い歯を見せた。
「さっきはごめんな。嫌な思いさせちゃったみたいで」
「いいんスよ。大丈夫っス。ありがとうミュール」
 チカップは微笑み、差し出されたミュールの手をとった。
「この先の集落に大精霊の封印があるみたいなんだ。行こう、みんな」
 チカップに案内され、濃い霧の迷路を進む。彼の背中は少しだけ小さく見えた。
 しばらく歩くと、ひらけた場所に出た。霧はすっかり晴れている。石造りの大きな門が、目の前に現れた。
「うわっ」
 一陣の風が、勇斗の顔面に直撃した。思わず目をつむり、右腕で顔を守る。
「おい、お前たち、何者だ」
 まぶたを開くと、目の前に一羽の茶色いフクロウが降り立っていた。フクロウは人型に姿を変えると、三つの目でギョロッと睨んできた。
「お前たち、どうやって来た? オル族以外はここまでたどり着けないはずなのだが」
 オル族の男が、腕組みをしながら近づいてきた。
「えっと、僕たちは」
「風の大精霊様の封印を解くため、オレが連れてきたっス」
 勇斗の言葉を遮り、チカップが前に出た。
「お前、チカップ……」
 オル族の男の表情がみるみる険しくなっていく。
「どうして戻ってきやがった! この、呪いの子め!」