ジンとユージが淹れたてのお茶を飲みながら雑談していると、コンコン、と応接室のドアがノックされた。
「どうぞ」
ジンが応答すると、肩掛け鞄を下げた、東洋風の服を着た短髪の男が顔を覗かせながら入って来た。
「いたいた。うっかりどこの応接室か聞くのを忘れたからドキドキしたぞ」
「すまん、そういや言ってなかったな。――ヤン、忙しい所を悪いな」
「なんの、丁度用事が片付いたところだったのでな。グッドタイミングだったよ」
そして、ヤンはジンを頭の先から足のつま先まで眺め回し、
「それにしても、今日はどういう風の吹き回しだ?珍しくそれらしい恰好をしているではないか」
と、からかうように言った。
「ふん、今日はお客様がお越しだからね。こちらの方だ」
水を向けられて、ユージはぺこりと頭を下げた。
「ヤンさん、初めまして。僕はユージと言います。魔界から来ました」
「ああ、これはご丁寧に。私は天界で天導師をやっております、ヤンと申す者です」
「ユージさんはご夫婦共に師匠のお弟子さんだそうだ」
「なんと!」
ジンの言葉に、ヤンは目を丸くした。
「そうですか。ご夫婦であの師匠のお弟子さんになるとは、いやはや何と申し上げたものか」
「あはは、変わってますよね」
ユージは口を開けて笑った。ヤンは気さくで面白い人だな、と思った。
「それで、私は何用で呼ばれたのかな。ジン、説明してくれ」
ヤンはジンの隣の椅子に座り込むと、早速幼馴染に説明を求めた。
それを受けて、ジンは先ほどまでユージとやり取りした内容を簡潔に説明した。
(……ジンさん、俺よりずっと説明がうまい)
ユージは自分の説明下手さ加減に密かに凹んだ。
「なるほど。研究の糸口を求めて天界まで来られたということですな――うーん」
ヤンは少し考えるような素振りをした。そして、
「あーもう、いかん」
とぼやき、続いて、
「ユージさん。調子が狂うから、敬語、やめましょう。私たちがあなたのことをユージと呼び捨てにする代わり、私たちのことも呼び捨てでいいです。なあ、ジン」
と、提案した。あまり堅苦しいことが好きではないようだ。
「あ、まあ、ユージさんさえよければ」
水を向けられたジンも同意する。
「ええ?で、でも」
戸惑うユージに、ヤンが畳みかける。
「兄弟弟子なんだから、堅苦しいことはなし!はい、ここからは敬語なし!」
そう言って、パン、と手を叩いた。
「決まったところで、ジン、私にもお茶をくれ」
「それで、ユージは魔界でどんな風に研究していたのかね。まずはそこから聞かせてもらおう」
ヤンは、ジンが淹れたお茶を美味そうに飲みながら尋ねた。
「ええと――まずは単語の意味を調べるところから始めて、それから文章になったときの意味合いとか、書き文字と話し文字の違いとか。同じ文字でも書いた時と、音で表したときで何か違いがあるのか。とか――なんというか、思いつくままに手当たり次第に試してきたって感じかな」
ユージは敬語を使わないように気を付けながら回答する。
「そうこうするうちに、魔界では言葉自体がデータそのものっていうことが感覚的にわかってきて、そしたら書き文字がデータに分解されるのが見えるようになっちゃって。その過程を見てると酔いそうになるし、正直な話、魔界に向いてない身体になっちゃったなあって」
「それって立派な才能じゃないか。言葉の本質が目で見てわかるってことだろ」
感心したようにジンは言った。
「いや、才能だなんて、そんな。妻のサクラは情報テクノロジーを受け継いで、師匠からはそれを使って自由にやりなさいって言われているみたいなんですけど、僕はサクラや皆さんと違って師匠から何かの分野を受け継いだってわけじゃないんです」
ユージはしっかり敬語に戻っていたが、天界人の二人はそれをさりげなく見過ごした。
「私が思うに、師匠はユージの才能を見抜いていたんじゃないかな。その才能があったら他はいい気がする」
「確かに。これは師匠に教えてもらってどうこう出来る気がしないよな」
「師匠の行動をものすごく好意的に考えると、ユージに自分の才能に気が付いて欲しくてあえての丸投げ」
「俺は、単純に他で手が回らなくなったからとりあえず出来そうな奴にやらせとけ、が真相だと思う」
「ああ、そっちね。十分あり得る」
ふふふ、とヤンは意味ありげに笑った。
「いずれにせよ、君は師匠に見込まれているということだ。自信を持っていいと思うぞ」
「あ、ありがとうございます」
ヤンに褒められてユージは頬を紅潮させた。
「さて、ユージの話を聞かせてもらってちょっと思い付いたんだが」
ヤンは肩掛け鞄から小さな冊子を取り出してページをめくる。
「これは子供向けの魔法の教科書なのだが、例えばこれ」
と、目当ての個所を広げて、ユージの前に置いた。
「これは私たち天界人にとっては基本中の基本、火起しの呪文だ。最初の文字は魔法開始の決まり文句で、2文字目からが火を顕現させる呪文、最後が魔法終了の決まり文句だ」
「へえ、そんなルールになっているんですね」
「そう。最もこの魔法の呪文を唱えるのは子供のうちだけで、大人になれば誰でも火をイメージするだけで起こせるようになるのだがね――おっと、これは余談」
魔法の呪文を、唱える――?
「あっ!」
「ヤン。そういうことか!」
ユージとジンが同時に声を上げた。
「二人とも理解が早いな。説明の手間が省けて嬉しいよ」
ヤンはにやり、と笑った。
「そう。ここには火起しの魔法の呪文が書いてあるが、書いてあるだけでは絶対に火は起きないのさ」
「では、この文字が音にならないと、火は起きない……ということですか?」
「厳密に言うと、人間の口から呪文を発しないとダメ、だな。ちょっとやってみよう」
ヤンが火起しの呪文を唱えると、彼の手の中にぽっ、と小さな火が現れた。
「わあ、ほんとだ!凄い!」
初めて呪文が形になる様を間近で見たユージは目を輝かせた。
「いやはや、誰でも出来る魔法でこんなに喜んでもらえるとは。立場上ちょっと恥ずかしいな」
「お前が火起しすること自体レア中のレアじゃないか。今日はいいものを見させてもらった」
「おいおい、茶化すなよ、ジン」
ヤンはふっ、と息を吹きかけて手の中の火を消した。
(今のは火を出すだけの魔法みたいだけど、大きさとか変えたりできるのかな)
ユージは早速心に浮かんだ疑問をヤンにぶつけてみる。
「ヤンさん。例えばもっと大きな火を出したい時には、唱える呪文も変わるのでしょうか」
「なるほど。そうきたか」
ユージの問いに、ヤンは再び子供向けの教科書をめくった。
「教育上の観点から、魔法を習いたての子供には正確に呪文を唱えさせていてね――大きな火を出す呪文はこれだな」
と、目当てのページをめくり、該当の呪文を指差した。
「この呪文を分解すると、魔法開始。火を起こす。大きくする。魔法終了。改めて考えてみると、魔法も短い単語の組み合わせと言えるかも知れんなあ」
ヤンは顎を触りながら少し考えた後、
「うん、確かにそうだ――例えばだ。この魔法をちょっと変えて、魔法開始。火を起こす。大きくする。向きを変える。速度を上げる。魔法終了。にすると、火を使った簡単な攻撃魔法に化けるんだ」
と、付け加えた。
「攻撃魔法、ですか?」
イメージが沸かず、ユージは眉根を寄せた。
「ははは、魔法に馴染みのないユージにはよくわからないか」
ヤンはユージの様子を見て破顔した。
「じゃ、ちょっと実演してみようか――ジン、付き合ってくれ」
ヤンはジンの顔を見ながら、やにわに立ち上がった。