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二話 "おはよう"のスコーン

ー/ー



 寝室に鳴り響くスマートフォンのアラームが、午前七時を告げる。
「ん〜〜〜……」
 キョウは大きく伸びをして、ベッドから起き上がる。窓から差し込んだ朝日が眩しい。昨夜の雨が嘘のようだ。
「今日は注文来てるかな…っと」
 枕元に置かれたスマートフォンを操作し、ネットショップの通知を確認する。新規メッセージは無い。
(まあ、そんなもんだよね…)
 小さくため息をついて、キョウは寝室を後にした。
――
 洗面所で顔を洗った後、リビングのカーテンを開け、窓際のカレンダーにペンでバツ印を書き込む。朝のルーティンを終えると、キョウはキッチンに立った。
「今日は…あれにしよう」
 ボウル、スケッパー、はかり、薄力粉、強力粉、グラニュー糖…。冷蔵庫と棚から、必要な器具と材料を取り出していく。ボウルに薄力粉と強力粉、ベーキングパウダー、グラニュー糖をふるい入れたら、ひとつまみの塩とダイス状に切って冷やしておいたバターを加えて、擦り合わせるように手早く混ぜていく。粉を纏った冷たいバターが一気に焼き上がることで、ホロホロとした特有の食感が出る。生地や材料が温まらないよう、作業はスピーディーに行う。
 生地がポロポロと細かくなったら、冷やしておいた牛乳を加え、ゴムベラと手を駆使して粉っぽさが無くなるまでさっくりと混ぜ合わせる。生地がひとまとまりになったら、まな板に打ち粉をして麺棒で伸ばしていく。ある程度伸ばしたら生地を三つに折り、再び伸ばし、折り…と繰り返し、生地の層を作る。
(前作った時、やりすぎて石みたいになっちゃったんだよね…)
 たくさん層を作りたくなるところだが、こねすぎると生地が固くなってしまうため、数回に留めておく。生地を丸型でくり抜き、クッキングシートを敷いた天板に並べ、余熱しておいたオーブンに入れてスイッチを押せば、あとは上手く焼き上がるのを祈るだけだ。
「たしかこの辺に……お、あったあった」
 生地を焼いている間に、冷蔵庫の奥からジャムを取り出し、賞味期限を確認する。
「飲み物は……これにしよう」
 お湯を沸かしながら、棚に並んだケースから紅茶のパックを取り出す。起き抜けの体には、ブレックファストティーがぴったりだ。ティーポットにお湯を注ぎ、少し濃いめに抽出する。ポットに注がれた湯が赤褐色に染まる頃、ピーピーとオーブンが焼き上がりを告げた。オーブンの中では、黄金色に輝く生地が膨らみ、綺麗な円柱を形作っている。
「お、いい感じ!」
 リビングに甘い香りが広がる。イングリッシュスコーンの出来上がりだ。
――
 テーブルの中央に、ケーキクーラーにのせたままのスコーンを置く。その隣には、ジャムとティーポット。ランチョンマット、取り皿、マグカップは二つずつ。
(ルグは……もう起きてるかな)
 時計は八時半を指している。様子を見に行こうとして、廊下へと続くドアを開けた。
「あ……」
 開いたドアの向こう側。キョウの視線の先で、黒灰色の毛並が揺れる。
「おはよう、ルグ」
「お、はよう」
 鉢合わせる形になり、ルグは気まずそうに返事をする。大きい三角の耳に、短いながらも鋭いツメの生えた手足。幼さが残る顔つきだが、左頬の傷跡が痛々しい。全身を黒灰色の毛が覆っており、二足歩行で人語を話すことを除けば、容姿の特徴は狼そのものだ。
「朝ごはん、食べる?」
「え、いや、別に……」
 躊躇うルグの代わりに、彼のお腹がぐぅぅと返事をする。
「準備できてるよ。一緒に食べよう」
――
 テーブルを挟んで向かい合わせに座り、手を合わせる。
「いただきます」
「い、いただきます」
 ルグは皿の上に置かれたスコーンをまじまじと見つめている。裏返したり、鼻先を近づけて匂いを確かめたり…。どうやら、食べるのは初めてのようだ。キョウはスコーンを手に取ると、手で二つに割り、ジャムをたっぷりつけて口に運んだ。ルグも見よう見まねでスコーンを頬張る。バターの香る生地が口の中でさっくりとほどけ、甘酸っぱいジャムと絡み合っていく。
「なんだこれ…うまい!」
 ルグは初めての美味しさに目を輝かせる。素朴な味わいのスコーンは、甘いジャムとも相性抜群だ。
「そんなに美味しい?このスコーン」
「スコーンって言うのか、これ。もっと食べていいか⁉︎」
「もちろん。詳しく言うと、"イングリッシュスコーン"に近いかな。"アメリカンスコーン"っていうのもあって、そっちは三角でずっしりしてるんだけど……って、聞いてないか」
 キョウによる豆知識は、ルグの大きな耳には届いていないようだ。ケーキクーラーに積み上げられていたスコーンの山はどんどん切り崩され、あっという間に無くなってしまった。
「ごちそうさま!」
 最後の一つを口に放り込み、ルグは満足げに手を合わせた。テーブルには生地のくずが散乱し、空になったジャムの瓶が転がっている。フードファイトの一部始終を目の当たりにしたキョウは、少しぬるい紅茶を啜った後、ルグにティッシュを差し出した。
「ルグって、食いしん坊なんだね」
「あ、えっと…」
 ルグは恥ずかしそうに、ティッシュを受け取り、ジャムで汚れた口元を拭った。
――
「なあ」
 朝食の後、ルグはテーブルを拭きながら、台所で後片付けをするキョウに声をかける。
「どうしたの?」
「えっと、その……オレ、行くところ、無くて…」
 ルグの言葉に、ぴたりとキョウの手が止まる。
「いや、あるにはある!けど、なんていうか、その…」
「いいよ。ここに居てくれても」
 キョウは水を止め、タオルで手を拭きながら、目を丸くしたルグの向かい側に腰掛ける。
「昨日ルグが寝てた部屋、本当は物置部屋なんだけど…ほぼ空き部屋になってたし、自由に使っていいよ」
「えっ、でも…本当にいいのか?」
「もちろん。その代わり…ちょっとしたお手伝いをしてほしいんだ」
「手伝い…?」
 手伝いという条件を提示され、ルグは不安げな表情を浮かべる。キョウはポケットから端末を取り出すと、画面をルグの方へ向けた。
「"今日のお菓子屋さん"…?」
「実は僕、お菓子のネットショップをやってるんだ。まあ、全然売れてないし…趣味程度のレベルだけどね」
 キョウが少し前に立ち上げたネットショップ、"今日のお菓子屋さん"。その名の通り、自身が作ったお菓子を販売しているが、注文は月に一件あれば良い方だ。毎朝注文が入っていないか確認し、注文があれば件数を、ない場合はバツ印をカレンダーに書き込む。もちろんこれだけでは生活できないので、現在は近所のカフェとドラッグストアでアルバイトを掛け持ちし、生計を立てている。
「練習とか試作とか、作りたいのは山々なんだけど…食べ切るのが結構大変で。だから、今日みたいに僕が作ったお菓子を一緒に食べてほしいんだ。感想も聞きたいし。あ!もちろんお菓子以外の料理も作るし、毎日三食お菓子生活ってわけじゃないよ」
 品質の安定や商品開発の意味も含めて、普段からのお菓子作りは欠かせない。しかし周囲に民家がなく人付き合いも少ないキョウにとって、作ったお菓子を一人でどう消費するかが悩みの種だった。
「一緒に暮らせば、僕は心置きなくお菓子作りができて、ルグは食べ物にも住む所にも困らない…。悪くないアイデアだと思うんだけど、どうかな?」
 追い出されると思っていたのか、予想外の提案にきょとんとするルグ。しかし少しの沈黙の後、彼はこくりと頷いた。
「それじゃあ、これからよろしくね。ルグ」
「よ、よろしく。えっと…」
「"キョウ"でも"ザラメ"でも、どっちでもいいよ」
「じゃあ……ザラメ」
 お菓子屋さんの夢を追う青年キョウと、狼獣人の少年ルグ。ひとつ屋根の下、二人の暮らしが始まった。


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次のエピソードへ進む 三話“お手伝い”の型抜きクッキー


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 寝室に鳴り響くスマートフォンのアラームが、午前七時を告げる。
「ん〜〜〜……」
 キョウは大きく伸びをして、ベッドから起き上がる。窓から差し込んだ朝日が眩しい。昨夜の雨が嘘のようだ。
「今日は注文来てるかな…っと」
 枕元に置かれたスマートフォンを操作し、ネットショップの通知を確認する。新規メッセージは無い。
(まあ、そんなもんだよね…)
 小さくため息をついて、キョウは寝室を後にした。
――
 洗面所で顔を洗った後、リビングのカーテンを開け、窓際のカレンダーにペンでバツ印を書き込む。朝のルーティンを終えると、キョウはキッチンに立った。
「今日は…あれにしよう」
 ボウル、スケッパー、はかり、薄力粉、強力粉、グラニュー糖…。冷蔵庫と棚から、必要な器具と材料を取り出していく。ボウルに薄力粉と強力粉、ベーキングパウダー、グラニュー糖をふるい入れたら、ひとつまみの塩とダイス状に切って冷やしておいたバターを加えて、擦り合わせるように手早く混ぜていく。粉を纏った冷たいバターが一気に焼き上がることで、ホロホロとした特有の食感が出る。生地や材料が温まらないよう、作業はスピーディーに行う。
 生地がポロポロと細かくなったら、冷やしておいた牛乳を加え、ゴムベラと手を駆使して粉っぽさが無くなるまでさっくりと混ぜ合わせる。生地がひとまとまりになったら、まな板に打ち粉をして麺棒で伸ばしていく。ある程度伸ばしたら生地を三つに折り、再び伸ばし、折り…と繰り返し、生地の層を作る。
(前作った時、やりすぎて石みたいになっちゃったんだよね…)
 たくさん層を作りたくなるところだが、こねすぎると生地が固くなってしまうため、数回に留めておく。生地を丸型でくり抜き、クッキングシートを敷いた天板に並べ、余熱しておいたオーブンに入れてスイッチを押せば、あとは上手く焼き上がるのを祈るだけだ。
「たしかこの辺に……お、あったあった」
 生地を焼いている間に、冷蔵庫の奥からジャムを取り出し、賞味期限を確認する。
「飲み物は……これにしよう」
 お湯を沸かしながら、棚に並んだケースから紅茶のパックを取り出す。起き抜けの体には、ブレックファストティーがぴったりだ。ティーポットにお湯を注ぎ、少し濃いめに抽出する。ポットに注がれた湯が赤褐色に染まる頃、ピーピーとオーブンが焼き上がりを告げた。オーブンの中では、黄金色に輝く生地が膨らみ、綺麗な円柱を形作っている。
「お、いい感じ!」
 リビングに甘い香りが広がる。イングリッシュスコーンの出来上がりだ。
――
 テーブルの中央に、ケーキクーラーにのせたままのスコーンを置く。その隣には、ジャムとティーポット。ランチョンマット、取り皿、マグカップは二つずつ。
(ルグは……もう起きてるかな)
 時計は八時半を指している。様子を見に行こうとして、廊下へと続くドアを開けた。
「あ……」
 開いたドアの向こう側。キョウの視線の先で、黒灰色の毛並が揺れる。
「おはよう、ルグ」
「お、はよう」
 鉢合わせる形になり、ルグは気まずそうに返事をする。大きい三角の耳に、短いながらも鋭いツメの生えた手足。幼さが残る顔つきだが、左頬の傷跡が痛々しい。全身を黒灰色の毛が覆っており、二足歩行で人語を話すことを除けば、容姿の特徴は狼そのものだ。
「朝ごはん、食べる?」
「え、いや、別に……」
 躊躇うルグの代わりに、彼のお腹がぐぅぅと返事をする。
「準備できてるよ。一緒に食べよう」
――
 テーブルを挟んで向かい合わせに座り、手を合わせる。
「いただきます」
「い、いただきます」
 ルグは皿の上に置かれたスコーンをまじまじと見つめている。裏返したり、鼻先を近づけて匂いを確かめたり…。どうやら、食べるのは初めてのようだ。キョウはスコーンを手に取ると、手で二つに割り、ジャムをたっぷりつけて口に運んだ。ルグも見よう見まねでスコーンを頬張る。バターの香る生地が口の中でさっくりとほどけ、甘酸っぱいジャムと絡み合っていく。
「なんだこれ…うまい!」
 ルグは初めての美味しさに目を輝かせる。素朴な味わいのスコーンは、甘いジャムとも相性抜群だ。
「そんなに美味しい?このスコーン」
「スコーンって言うのか、これ。もっと食べていいか⁉︎」
「もちろん。詳しく言うと、"イングリッシュスコーン"に近いかな。"アメリカンスコーン"っていうのもあって、そっちは三角でずっしりしてるんだけど……って、聞いてないか」
 キョウによる豆知識は、ルグの大きな耳には届いていないようだ。ケーキクーラーに積み上げられていたスコーンの山はどんどん切り崩され、あっという間に無くなってしまった。
「ごちそうさま!」
 最後の一つを口に放り込み、ルグは満足げに手を合わせた。テーブルには生地のくずが散乱し、空になったジャムの瓶が転がっている。フードファイトの一部始終を目の当たりにしたキョウは、少しぬるい紅茶を啜った後、ルグにティッシュを差し出した。
「ルグって、食いしん坊なんだね」
「あ、えっと…」
 ルグは恥ずかしそうに、ティッシュを受け取り、ジャムで汚れた口元を拭った。
――
「なあ」
 朝食の後、ルグはテーブルを拭きながら、台所で後片付けをするキョウに声をかける。
「どうしたの?」
「えっと、その……オレ、行くところ、無くて…」
 ルグの言葉に、ぴたりとキョウの手が止まる。
「いや、あるにはある!けど、なんていうか、その…」
「いいよ。ここに居てくれても」
 キョウは水を止め、タオルで手を拭きながら、目を丸くしたルグの向かい側に腰掛ける。
「昨日ルグが寝てた部屋、本当は物置部屋なんだけど…ほぼ空き部屋になってたし、自由に使っていいよ」
「えっ、でも…本当にいいのか?」
「もちろん。その代わり…ちょっとしたお手伝いをしてほしいんだ」
「手伝い…?」
 手伝いという条件を提示され、ルグは不安げな表情を浮かべる。キョウはポケットから端末を取り出すと、画面をルグの方へ向けた。
「"今日のお菓子屋さん"…?」
「実は僕、お菓子のネットショップをやってるんだ。まあ、全然売れてないし…趣味程度のレベルだけどね」
 キョウが少し前に立ち上げたネットショップ、"今日のお菓子屋さん"。その名の通り、自身が作ったお菓子を販売しているが、注文は月に一件あれば良い方だ。毎朝注文が入っていないか確認し、注文があれば件数を、ない場合はバツ印をカレンダーに書き込む。もちろんこれだけでは生活できないので、現在は近所のカフェとドラッグストアでアルバイトを掛け持ちし、生計を立てている。
「練習とか試作とか、作りたいのは山々なんだけど…食べ切るのが結構大変で。だから、今日みたいに僕が作ったお菓子を一緒に食べてほしいんだ。感想も聞きたいし。あ!もちろんお菓子以外の料理も作るし、毎日三食お菓子生活ってわけじゃないよ」
 品質の安定や商品開発の意味も含めて、普段からのお菓子作りは欠かせない。しかし周囲に民家がなく人付き合いも少ないキョウにとって、作ったお菓子を一人でどう消費するかが悩みの種だった。
「一緒に暮らせば、僕は心置きなくお菓子作りができて、ルグは食べ物にも住む所にも困らない…。悪くないアイデアだと思うんだけど、どうかな?」
 追い出されると思っていたのか、予想外の提案にきょとんとするルグ。しかし少しの沈黙の後、彼はこくりと頷いた。
「それじゃあ、これからよろしくね。ルグ」
「よ、よろしく。えっと…」
「"キョウ"でも"ザラメ"でも、どっちでもいいよ」
「じゃあ……ザラメ」
 お菓子屋さんの夢を追う青年キョウと、狼獣人の少年ルグ。ひとつ屋根の下、二人の暮らしが始まった。