それから数日後。サクラに見送られ、ユージは天界へと旅立った。
天界の滞在先は、利便性を考えて暁の宮に隣接する地方都市を選んだ。
天界でも都市部であれば、魔界の電子機器が使えるようインフラが整備されているためだ。
魔界人のユージとしては、たとえ天界であっても電子機器が使えない生活は遠慮したいというのが本音だ。
宿泊先は、暁の宮から歩いて20分ほどの距離にある、街道沿いの小さな宿にした。
魔界の旅行サイトに掲載されていた宿の中でも値段が安くて部屋が奇麗なところを選んだつもりだ。
宿の主である老夫婦はユージを出迎えると、いきなり魔法で手荷物を部屋に送ってみせてユージの度肝を抜いた。
廊下では箒とモップが勝手に掃除をし、厨房では包丁が勝手に野菜を刻み、井戸端では洗濯物が洗濯板に自らをこすりつけて勝手に洗濯をし、次にたらいに飛び込んで勝手に濯ぎ、そして最後に自分自身をぎゅっと絞ってそのまま物干し竿に張り付いた。
「お客さんは魔界の人だったね。魔法を見るのは初めてかえ?」
様々な物が勝手に働く様を口を開けて見ていたユージに宿の老爺が話しかけてきた。
「あ、はい。ちゃんと見たのは初めてです」
前回天界に来たときは帝都の大きなホテルに泊まり、図書館に通うぐらいであまり外を出歩かなかった。
それで、こういう場面には遭遇しなかったのだ。
「そうかい。この歳になると流石に身体が言うことを聞かなくてねえ。こんな風に魔法で作業が出来るもんで商売を続けられているようなものじゃよ。儂と婆さんは魔法では出来ないところだけをやれば済むでな」
そう言って老爺は口を開けて笑った。
(なんか、その辺の事情は魔界と似てるんだな)
ユージは自宅で使っているAI搭載の家電を思い起こしていた。
それらの家電は確かに家事の大部分を勝手にやってくれるが、どうしても機械では出来ないことがまだ少なからずある。
今後の科学技術の発展に従って、そういったものもやがて人間の手を離れる時が来るのだろう。
「魔法も万能ではないんですね。何でも出来るのかと思っていました」
ユージが何気なく口にすると、老爺は優しい目を向けた。
「そりゃ、レア神がわざと儂らの仕事を残して下さっているのさ。人間というものは、することがなくなると碌でもないことをしでかす生き物じゃからの」
ユージは宿の老婆が出してくれたお茶で一息入れた後、早速暁の宮に向かった。まずは神官のジンに会ってみることにしたのだ。
「さて――」
ユージは壮大な暁の宮を見上げ、リュックをゆすり上げた。
流石天界の二大神殿というだけあって、規模が大きい。
周囲を見渡すと、開け放たれた門から一般庶民と思しき人々が出入りしている。
(ここから入るのかな)
ユージもその後を追って門を潜り、そのまま人の流れについていくと広い中庭に出た。
見ると、神官らしき若い男が掃き掃除をしている。
(あの人に訊いてみよう)
ユージは思い切ってこの男に声を掛けることにした。
「あの、すみません」
「はい」
若い神官は掃除の手を止め、律儀にユージの近くに来てくれた。
「あ、わざわざすみません――神官のジンさんにお会いしたいのですが、今、どちらに?」
「ジンでしたら朝から出掛けていますが、何かお約束でも?」
ユージの言葉に、若い神官は窺うように言った。
(いないのか。タイミング悪かったな)
ユージは内心がっかりした。
しかし、約束もなしにいきなり尋ねてきたのだから仕方ないことと気を取り直す。
「いえ、特に約束はしていないのですが――お戻りになるまで待たせて頂いても?」
「夕方まで戻らないかも知れませんが、それでも宜しいですか?」
「はい」
「わかりました。ここでは何なので、応接室にご案内します。どうぞこちらへ」
「ありがとうございます。助かります」
ユージは軽く頭を下げ、若い神官に連れられて奥に進む。
中庭を過ぎて廊下に出ると、向こうから麦わら帽子を被り、あちこち土に汚れたみすぼらしい身なりの男が独り言を言いながら歩いてきた。背には大量の草の束を担いでいる。
「今日は大収穫だったな。色んな種類の薬草が採れたぞ」
「はい。ソーマの実もこんなにたくさん!」
「それそれ。去年は不作で困ったが、これで暫く持ちそうだ」
「うふふ。薬草庫、いっぱいになっちゃいそうですね」
(ひとりで何喋ってるんだろ、怖いな)
ユージは男の方を見ないようにした。すると、
「あ、ジンさん!お客様です!こちらの方がジンさんにお会いしたいと」
若い神官がその男に声を掛けた。
(え?この人が?)
このみすぼらしい人物がジンと知ったユージは目を見張った。
「私に?――今、そちらに行きます」
怪訝そうな声を上げてジンがすたすたと近づいてくる。
正面に立ったジンは思ったよりも背が高く、涼やかで端正な顔立ちをしていた。
(俺より年上なんだろうけど、なんか、すごく大人っぽい人だ)
ユージは緊張して、ごくりと唾を飲んだ。
その時、ジンの陰からふわり、と青い何かが姿を見せた。
(!)
よく見ると、水色のワンピースを着た、青い髪の小さな女の子だ。手に黒い果実がたくさん入った籠を持っている。
(な、なんだ、この子)
女の子はそのままふわふわと舞い上がると、ジンの肩の上にちょこんと座った。
そして、不思議そうにユージを見つめ、
「ジン。こちらの方はお知り合いですか?」
と、可愛らしい声でジンに問いかけた。
(あ、喋るんだ)
どうやらジンはこの女の子と話をしながら歩いていたようだ。
ジンは女の子に軽く首を横に振って見せてから、
「――失礼ですが、あなたは?」
ユージに向かい、落ち着いた声で語り掛けてきた。
「あっ、突然押しかけてすみません。僕は、ユージと言います。魔界から来ました」
ユージはぺこりと頭を下げた。
「ほう、魔界からわざわざ。で、私に何か?」
「突然で本当に申し訳ないんですけど、ジンさんに助けて頂きたいというか、教えて頂きたいことがありまして」
「?」
ユージの言葉に、ジンは戸惑ったように目をぱちくりさせた。それはそうだろう、急に魔界の人間に助けて欲しいと言われてもジンにとっては何のことやら、であろうから。
「とにかく、何かお困りなのはわかりました。――これ、片付けてきますので、済みませんが少しお待ち頂けますか?」
ジンは背中の荷物を指さした。
「あ、はい」
(よかった。話、聞いてくれそうだ)
ユージはほっと胸を撫で下ろした。