さて、その夜。
ユージとサクラはお揃いのパジャマを着てベッドの縁に並んで座っていた。
就寝前の他愛のないおしゃべりは二人にとって楽しい時間だ。
「ねえ、ユージ」
サクラが夫の肩に頭を乗せて、甘えるような声で言った。
「あたし、そろそろ赤ちゃんが欲しいな」
「赤ちゃんが?」
ユージは妻の顔を覗き込んだ。
「うん。あと半年もすれば『エデン』の方も一段落するし、丁度いいかなと思って」
「そっか。よく頑張ったね」
サクラの頭をくしゃくしゃと撫でると、サクラは嬉しそうに微笑んだ。
ユージはそんなサクラがたまらなく可愛くなって、その頬にキスをした。
「俺たちの子供か。いいと思う」
「賛成してくれる?」
「もちろん」
「よかった。じゃあ明日にでも、二人で申請に行きましょ。って言っても『エデン』で済んじゃうけど」
(『エデン』か……)
ユージは反射的に気後れしたが、苦手な『エデン』もサクラと二人ならいいか、と思い直す。
「わかった。二人で行こう」
「嬉しい」
「サクラ」
ユージはサクラの耳元に何事か囁くと、答えを待たずに寝室の照明を落とした。
「え、あ、ちょっと……ユージ!」
翌日、二人は早速『エデン』で子作りに関する手続きを行った。
魔界での子作りは人工授精させた受精卵を人工子宮で育て上げ、しかるべき年月が経過した後で両親に引き渡される方法が主流だ。
昔ながらの自然分娩も可能だが、最近では取り扱ってくれる医療機関が激減している。需要がないのだ。
二人は『コウノトリ』と呼ばれる人工子宮センターの窓口に行き、コンシェルジュから詳しい説明を受けた。
「――説明は以上になりますが、何かご不明点はありますか?」
「大丈夫です」
サクラは元気よく答えた。
「ありがとうございます。では次に、具体的な出産スケジュールを考えていきましょう。ご希望のお日にちはありますか?」
人工子宮で出産というのもおかしな話だな、とユージは考える。
「着床してから出産までは概ね10カ月程度って聞いたんですけど、合ってますか?」
「はい。人間の母体に最大限近づけた設定になっておりますので、その程度と考えて頂ければ宜しいかと思います」
「そういうことなら、今日人工授精して頂いても大丈夫です。ね、ユージ?」
「え?あ、そうだね」
「もう、ぼやっとしてるんじゃないわよ」
「ごめん」
「まあまあ。残念ながら今日いきなりというのは難しいので」
コンシェルジュは仮の日付を入れたスケジュールを示した。
「当方の準備もございますので、実現可能な最短のスケジュールをお出ししますね。――冷凍保存されたお二人の精子と卵子で人工授精するのがこのあたり。その後人工子宮に着床させるのがこのあたり。ここからおよそ10カ月で出産になります。あくまでも予定ですが、出産後、お子様をお渡しできるのがこのあたりですね」
(うわ)
ユージの目の前で、文字がデータに分解されていく。このまま見ていると酔いそうだ。
「わあ、いい感じです!ユージ、これで進めてもらっていいよね?」
「うん」
ユージは一刻も早く『エデン』からログアウトしたくて、全てサクラの言うとおりにしようと決めた。
子供が二人の元にやってくるのは10カ月以上先の話だ。まだ考える時間も準備する時間も十分ある。
ユージとサクラが人工授精と人工子宮による出産の申請をしてから、半年が経った。
『コウノトリ』から定期的に送られてくるレポートによると、どうやら胎児は人工子宮の中で順調に生育しているようだ。
ちなみに、子供の性別は生まれた時のお楽しみにしようと、夫婦で話し合って決めていた。
「でも、準備を考えるとどっちか判っといた方が楽よね」
そんなことを言いながら、サクラはタブレット端末で赤ちゃん用品のカタログを眺めている。
少し前に『エデン』プロジェクトが繁忙期を過ぎ、のんびりできる時間が増えたのだ。
ユージの方はと言えば、相変わらず研究に行き詰って大いに悩んでいた。
この半年の間で考え付くだけの試行錯誤を繰り返したが、研究は遅々として進まなかった。
魔界で出来ることは最早やり尽くした感があった。
(はー、ダメだ。全然出来てない)
ユージは書斎の床に寝転がり、意味もなく天井を見つめていた。
(このまま続けても埒が明かないな。何か別のことを試さないと)
うーん、と唸り声を上げつつ、暫し考える。
(――ダメ元で、天界に行ってみるか)
魔界がダメなら異世界に突破口を求めてみよう、とユージは思い至った。
天界へはそれこそ少し離れた田舎町に行くような感覚で気軽に行き来出来るし、何といっても使用している言語が魔界と同じ公用語だ。つまり、天界であれば言葉に困ることなく、魔界に居る時同様に研究を進められるということだ。
もうひとつの異世界である中道界については、残念ながら選択肢にさえ上がらなかった。
ただでさえ何もかも遅れている中道界は魔界人から格下に見られている上に、いざ中道界に行くとなると色々と面倒な手続きが必要になる。
そして何より、中道界では国ごとに使用している言語が異なり、公用語はまず通じない。
言葉のヒントを求めているのに言葉が通じない場所に行くというのも、極めてナンセンスな話だ。
(天界に行くなら、前みたいにただ行っただけにならないようにしないと)
実は研究を始めた頃、ヒントを求めて天界に行ってみたことがある。
しかしその時は完全に準備不足で、何も出来ず何もわからないまますごすごと帰って来た苦い思い出があった。
そんな経験もあり、天界での言葉の知識が少しでもある人物の助けが欲しい。
そんなことを漠然と考えていた時、
(そうだ――)
もしかしたら師匠の弟子が天界にも居るかもしれないと思いつき、ユージは身を起こした。
もし目論見通り天界に兄弟弟子がいるとしたら、同じ師を持つ者同士の誼で何か手助けをしてくれるかもしれない。
逆に全く相手にされない可能性ももちろんあるが、いずれにせよ、どうせ全てがダメで元々、だ。
ユージは苦手な『エデン』に入り、早速天界在住の兄弟弟子について調べ始めた。
こういう情報収集は『エデン』を使った方が早いのだ。
襲い来るデータの集合体に酔いそうになりながらも奮闘した結果、天界には兄弟子が二人居ることがわかった。
ひとりは魔法使いのトップ・天導師の称号を持つヤンという人物で、もうひとりは天界の二大神殿のひとつ、暁の宮の神官にして薬師のジンという人物だ。
(どっちも地位がある、偉そうな人だなあ。――でも、最適じゃないか)
魔法使いは魔法を発動するために呪文を唱え、神官は神への祈りの言葉を唱える。どちらも言葉のエキスパートではないか。
思いがけず光明を得た思いで、ユージはとりあえず一週間の予定で天界に行くための準備を始めた。
サクラには事後報告になるが、もし反対されてもキャンセルならいつでも出来る。
「いいわよ、行ってきて。一週間ぐらいなら何てことないわ」
機嫌が良さそうな時を見計らって相談すると、サクラはあっさり許してくれた。
「それで、何か当てはあるの?」
「師匠のお弟子さんっていう人が二人いるんだけど、連絡の取り方がわからなくて。ご迷惑かもだけど直接行ってみるよ」
「出た!ユージの無謀アタック!」
「もう、茶化すなよ」
二人はあははと声を立てて笑った。
「無謀かもだけどさ、師匠の名前を出せば何とかなるかなって――あ!」
言いかけたユージが固まった。
「どうしたの?」
「そういえば、俺、師匠の名前知らない――サクラ、知ってる?」
ユージの言葉に、サクラも息を呑んだ。
「――あたしも知らない!」
二人はしばし言葉もなく立ち尽くしていたが、やがてユージの方がぼそぼそと呟いた。
「俺たち、本当に師匠のこと何にも知らないかも」
「ホントよね。酷い弟子だわ。今度師匠に会ったら謝らなきゃ」
サクラは、師匠にいつでも会えるかのような口ぶりで言った。