しばらくして、奏お姉ちゃんは再び唄姉とのマンツーマンレッスンになった。唄姉はもう一度バタ足からやり直すと言うことで、プールサイドで奏お姉ちゃんに細かく教えている。私達も教える側に回ろうとしたけど、多すぎると混乱すると唄姉が言うので、仕方なく楓と二人で遊ぶ事にした。
「美優羽さーん。こっちですよー!」
「ちょっと、楓待って!」
スイスイと泳ぐ楓を前に、私は着いて行くので精一杯だ。奏お姉ちゃん程ではないけど、私も泳ぎは間違いなく苦手。必死にならないと置いてかれてしまう。
「はい、お疲れ様です!」
やっと追いついた私を、楓は笑顔で迎えてくれた。
「はぁーはぁー……楓……早い……」
息を大きく切らしながら、プールサイドを掴んで体力を回復させようとする。普段こんなに息を切らす事がないから、いい運動になっているのかもしれない。と言うか、私は水に入ると体力とかそう言ったものにデバフが掛かってしまう体質なのかもしれない。
逆に楓は息を全く乱していない。普段の体育とかだと、私とペースを合わせたらこの世の終わりみたいな表情をしている。泳いでいる様子を見た事なかったけど、普通の人より絶対に速いと思う。他の人と泳いでここまで絶望的な差を感じた事がなかったから間違いない。
おそらく、楓は水に浸かるとバフが掛かるのだろう。……やっぱり胸の大きさがこのバフかデバフかの差になっているのかもしれない。
だって、私や奏お姉ちゃんははっきり言って薄い体。無いに等しい。一方で楓は水着姿になれば明らかに目立つ。泳ぎも得意な唄姉だって大きい。よく言われる脂肪があった方が水に浮くと言うのは間違いないだろう。だから、この差は胸の大きさの差なのかもしれない。私はそう結論づける事にした。
「み、美優羽さん」
楓の胸ばかり見てしまっていたら、そばにいる楓からツンツンと肩を突かれた。
「そ、そその、胸ばかり見られたら恥ずかしいです……」
顔を物凄く赤くして、口に手を当てて目線を外している。本当に恥ずかしそうにしているのがよくわかる。よくない事をしていたみたい……。私は慌てて目線を外した。
「ご、ごめん。私よりも大きいからその分泳げるのかなあって思って」
口角を少しだけ上げて、でも目は真剣な感じになるように謝った。ジロジロ見られたら誰だって嫌だろうから、深刻になりすぎないようにしつつも、ちゃんと謝っているようにしたかったから。
ただ、楓の表情はあまり冴えない。ゴーグルを外して俯いてる。
「見られるのは仕方ない事なんですけど……その、あまりこの胸が好きになれなくて」
楓にとって胸の大きさはコンプレックスだったようだ。私は無意識に酷い事をしてしまっていた。
「ごめん。楓」
私は平謝りするしかなかった。
「い、いいんです。見られるのは仕方ない事なんで。仕方ないんですけど、小学生の時から明らかに大きくなっていって……。引っ越すまでは男の子に無理矢理揉まれたり、女の子にはその事で出鱈目な噂や酷い悪口を言われたので……。見た目だって、唄さんのように雄大な身体なら合うんですけど、私みたいなちんまりした身体に不釣り合いですから、嫌な思いするくらいならない方が良かったって思って」
楓は上を向いていた。プールの水か涙かはわからないけど、水滴がツーッと楓の顔を伝って水面に落ちていった。
ない自分からしたら羨ましいけど、楓からしたら自分を苦しめてきたものだから、好きになれない。呪物のような存在なんだろうと思う。聞いている自分まで苦しくなってきた。楓はもっと辛かったはず。そう思った私は気がついたら楓を後ろから抱きしめていた。
「み、美優羽さん! どうしたんですか?」
楓は突然の事に困惑していた。
「辛い思いをしてきたから、響かないかもしれないけどそれでも言わせて欲しい。羨ましい。それだけ大きいのは。私は羨ましく思うんだ」
「う、羨ましいって、ただ大きいだけで、特別にす」
「ない私からしたら、欲しいって思っちゃうもん。お姉ちゃんがそうかはわからないけど、そこで違ってれば私に惚れてくれたのにって思う事もあるし、ないから自分の身体が貧相に見えて悲しくなる事もある。下品な言葉になるけど、楓のは形も綺麗に見えるし、私には魅力的に映るよ。水着も凄く似合ってる。楓にとっては辛い思いをした原因かもしれないけど、私は羨望の眼差しで見てしまうし、かわいくて美しく見えるんだ。お姉ちゃんがいなかったら私は楓に惚れてたと思うから。自信を持てとは言えないけど、少しは自分に優しい気持ちを持ってあげて欲しいって思ってる」
ストレートに自分の想いをぶつけた。楓の表情が見えないから、どんな事を考えているかわからない。言葉が出ないから、余計な事を言っちゃったかもしれない。
「ご、ごめん。調子乗って変な事言っちゃってたね」
私は手を離して、照れ隠すように言った。すると楓は俯いた状態でこちらを向いた。
「美優羽さん……」
やっぱり地雷を引いちゃった? ど、どうしよう。そう思ってたら、楓が顔を上げた。その顔は凄い笑顔だった。
「フった人にそんな言葉言っちゃダメですよ。また惚れちゃうじゃないですか」
この楓は妖艶というかなんというか……。凄く普段以上に魅力溢れる大人になった女性という感じがしていた。私の心は大きく揺れ動かされた。
「な、なんかごめん」
私の言葉に楓はため息を吐いていた。
「でも。そんな美優羽さんだから、私は好きになれたし、告白もできたと思ってます。美優羽さんの好きを奪ったらダメですからそこまでは踏み込みません。ですけど」
楓は正面から私をふんわりと抱きしめてきた。私とは明らかに違う柔らかな感触に、私はドギマギしていた。そして、楓は顔を上げて私を見つめていた。
「このくらいはさせてください。これが終わったら、もうしないので、この一時だけ。私の辛い記憶を上書きさせてください」
甘くとろけてしまうような声と顔をしていた。反則だと思う。これ見たら男女関係なく堕ちると思う。私も奏お姉ちゃんがいなかったら多分抱きしめ返してキスしてしまってたかもしれない。凄く綺麗と言うか、チャームのような呪文や魔法の類のようなものだと感じた。
「こうやって、好きな人に綺麗だとか似合ってるって言ってもらえたから、自分のこの胸……身体を少しずつですけど、愛してみようかなあと思います。ありがとうございます」
そう言って楓は抱きしめていた手を離した。ま、まあ感情がいまだに落ち着かないけど、自信と言うか踏ん切りがついたと言うか、自分の言葉で救われたようで良かったと私は思った。
「さて、それではまた泳いで遊びましょうか。さっきのような事をずっとしてたら奏さんが怒りそうですし」
「うーん……お姉ちゃんはそんな感情持たずに微笑ましく思ってくれると思うけどなあ」
「わかりませんよ。なんだかんだで美優羽さんと奏さんは双子ですし、似た者どうしですから」
「そう、なのかな?」
私は楓の言った言葉の意味がわからなかったけど、とりあえず楓と遊ぶ事にした。
楓はああ言ったけど、奏お姉ちゃんは優しいし、私は妹の一人と見ているからなんも言わないだろう。私は本気でそう思っていた。
バタ足の練習で少し休んでいた時だったかなぁ。確か。唄お姉ちゃんもその時の事は見ていなかったと思う。遠くの方にあるベンチに行ってたから。私は疲れてしまったから、動きたくなくてプールサイドにいた。だから見てしまった。見えてしまった。
楓ちゃんと美優羽ちゃんが、抱きつきあってたのを。恋人みたいにベタベタと。幸せそうに。楓ちゃんは凄く大人な表情しているし、美優羽ちゃんも満更じゃなさそう。
二人が仲良くしているのはいつもの事だし、嬉しい事だと思う。思うけど、心がざわついている。ズキズキ痛い。苦しい。泣きたくなってしまう。心が落ち着かない。視界が少しずつぼやけてきた。
美優羽ちゃん、楓が好きなんだ。へぇー。あの子の事が大好きなんだ。私はずっとそばにいるのに。ずっと昔から優しくしてるのに、最近仲良くなった子ぽっと出の子が好きなんだ。その程度の子に尻尾振っちゃうんだ。へぇー。かわいければなんでもいいんだ。美人ならなんでもいいんだ。おっぱいデカい子に振り向いちゃうんだ。顔と胸しか取り柄ないストーカーの陰キャにときめいちゃうんだ。私より出来ない子でも別にいいんだ。あんだけ露骨に私の事好きみたいな態度をしていて、恋愛感情を表に出して私に無意識かどうか知らないけどアピールしてる癖にそんな事しちゃうんだ。……………………さいってー
……っ! 頭がどこかに飛んでいるような気持ちだった。私らしくない事を考えてしまっていた。いけないいけない。あんな冷酷な事考えちゃいけない。私はみんなに優しくしないと。私はそれが出来る子だもん。みんなも望んでいるし、私もそうしたい。大丈夫。出来る。楓ちゃんも優しくて思いやりのあるいい子。かわいいし胸は大きいけど、別にそれだけじゃない。ちょっと控えめで、でもストーカーしちゃう子だけど悪い子じゃないし、最近は明るくなってきているもん。いい子なんだから。
それに美優羽ちゃんは妹。大事な妹。大切な妹。一番大好きな家族。最低な子じゃなくていい子なんだもん。あと恋人じゃないし、普通に考えたらなれない。美優羽ったんだって、私の事は大事な家族、お姉ちゃんだから! うん。さっきのは変な気の迷い。悪魔さんみたいなものが来ただけだろう。大丈夫。大丈夫。
心を落ち着かせるために深呼吸をしたら、視界もクリアになってきた。やっぱり苦手な水泳で疲れてただけ。私は優しい女の子。自分にそう言い聞かせる。
「奏。ちゃんと……ん?! 奏、なんか嫌な事あった?」
唄お姉ちゃんが戻ってきたようだ。いつもは見せない深刻そうな表情をしている。
「そんな事ないよ! 大丈夫だよ! ちょっと疲れたかもしれないけど」
「そっかー。そしたら、もう少しだけ練習したら今日はやめとこうか」
「えっ? 私まだ泳げるようには……」
「疲れてるのに無理したら、変な癖がついちゃうかもしれないからね。それに今日だけで泳げるようにはならないから、少しずつやってこ」
唄お姉ちゃんは私に優しく声を掛けた。私は残念だけどわかったと返事をした。
この時、唄お姉ちゃんにちゃんと話していれば大変な事にならなかったかもしれない。でも、この時はその問題、感情の大きさに気がついていなかった。