「……ママ」
吐息だけで呟く。
誰にも聞こえないように。真理愛を愛し、心砕いてくれる家族に心配を掛けないように。
今はまだ、彼女に対する己の感情が何なのか、……愛なのか、憎しみなのか、あるいは無関心なのか。
答えは、出せないのだけれど。
こんな風に悩めるのも生きているからだと、──真理愛がいま幸せだからだと、心のどこかで誰かが囁く。
生まれて来てよかったと思っている。少なくとも現在は。
これからもっと成長して、大人になって。
父や祖父母が愛してくれたように、家族以外の他人を愛せる日が来るのかもしれない。
誰かを愛して、真理愛自身が母になる日も来るのかもしれない。そうすれば、遠く微かな記憶の中に居る彼女の気持ちも少しは理解できる、のだろうか。
──理解していいことなのかも、今の真理愛には判断できない。
母を許してあげられたら、というのも紛れもなく本心だった。
同時に、幼心に与えられた苦痛もまた、真理愛にとっては消えない傷なのも事実なのだ。
見ない振りをしても、どんなに押さえつけて隠しても、確かに存在する傷痕。
まだ中学生の真理愛には、簡単に答えを出せる問題ではなかった。だから今はただ、彼女の笑みだけ抱いていよう。
望んで産んでくれたのだと信じたい。ほんの僅かな可能性にでも縋りたい。
──いま、だけでも。
「パパ、おかえり」
「ああ、ただいま。もう晩ご飯は食べたのか?」
「うん、とっくにね。パパも食べる?」
帰宅した父を玄関先で迎え、会話を交わしながら奥へ進む。
「あら、おかえり圭亮。今、お夕飯温めるから──」
リビングルームで祖父とテレビを観ていた祖母が、父と真理愛のやり取りに気づいて腰を上げようとする。
「電子レンジに入れるだけだもん。あたしがやるから、パパ手洗って来てよ」
祖母を制する真理愛に軽く礼を言い、父は洗面所に向かった。
食事中の父の正面に座り、真理愛はホットミルクを飲みながら話す。
「夏休みの旅行、楽しみだな。小ちゃくても一応『天文台』があるんでしょ? パパ、ホントに絶対行けるんだよね!?」
二年以上前の約束が、ようやく叶うのだ。中学受験の合格祝いの、天体観測旅行。
本命だった今の学校に合格した際、父が満を持して、という感じで温めていたらしい計画を話し出した。
父は最初、当然のように真理愛の小学校卒業から中学校入学までの間に行くつもりだったようだ。
しかし、真理愛と祖母に異口同音に「そんな時間はない」と却下され、早々に諦めた経緯があるのだ。
入学準備や新入生登校日もある。入学までの課題も出されていた。
その後家族で話し合った結果、夏休みに決行することになった。
真理愛が入学する学校の夏季休暇の実態を調べ、『星を見る』という目的に合わせてまずは場所と日程を決めた。
そして、父が仕事の休みを取れることを確認して予約を入れたのだ。
真理愛はもう、今から待ち遠しくて仕方がない。
「行ける! 万難を排してでも行くぞ! 大丈夫、そのために普段から一生懸命働いてるんだからな」
大袈裟な父の台詞に、真理愛は笑みを浮かべた。
「ねぇ、こっちとは空そのものが全然違うんだよね? あたし、『満天の星空』って言葉でしか知らないんだ。一回でいいから見てみたかったの」
あの、懐かしい絵本の中にある煌めきを。