ガラガラ、と勢いよく玄関の戸が開く音がした。玄関の前にはランドセルを背負った重信が立っている。
「ただいま!」重信は元気よく声をあげた。今日は学校の始業式で、まだ日も高いうちに重信は家に帰ってきた。
「おかえり、しげちゃん」
台所の方から妙子の声がする。玄関に醤油たれの焼ける甘くていい匂いが漂ってきている。妙子は昼食を作っている最中だった。
臭いに我慢しきれず、重信はランドセルを居間の隅へと置き食卓に向かった。まだ何も置かれていない食卓の前にひかれた座布団に座り、料理ができるのを待つことにした。
ジュージューという音を聞きながら重信は期待に胸を膨らませる。お腹がぺこぺこで、早くご飯を食べたいのだがもう少し時間がかかりそうで、仕方なく重信は鼻歌を歌って気を紛らわすことにした。歌うのは当時していたアニメのオープニングテーマだ。
「今日はやけに元気ね、なにかいいことあったの?」
妙子はフライパンから目を離さず、少し外れた音程で歌う重信に声をかけた。妙子の問いに、重信は「んー、内緒!」とにこやかに返した。
重信は今日の学校のことを思い出し、にまにまと笑った。この日は、学校で当時好きな女の子と話すことができたおかげで重信は上機嫌だったのだ。
学校で会った友達に、家に燕の巣ができていることを伝えた。最初は興味もなさそうだった友達も、利治の言っていた『幸運を運んでくる』という言葉を伝えると、「えー、いいなぁ」と言うようになった。その後、その話を聞いていたのか、好きな子に声を掛けられた。
「ねぇ、聞いたんだけど、松木君の家にもつばめが来てるの?」
「う、うん」
「そうなんだ! 実はね、私の家にも毎年つばめが来ているんだ。かわいいよね、つばめ」
話しを聞くと、その子は餌をあげているところを見るのが好きだという。重信の家では、まだ燕のヒナが産まれておらず、話しを理解することができなかった。だけど、重信は見栄をはり「うん、そうだよね」と言ってしまった。
その子のことは遠くから見ているだけで、声をかけることができなかった。そんな毎日が、燕をきっかけとして一気に近づくことができた。
重信は、本当に燕が幸運を運んできてくれたのだと、燕に感謝をした。
「えー、お母さんに教えてよ」
「また今度ね!」
妙子は残念そうにそう言いながら、用意していた皿に豚肉を焼いた物を盛り付けていく。生姜のいい香りがふわりと食卓の方へと流れていく。その匂いに、重信は生唾を飲み込んだ。
妙子の作るしょうが焼きは絶品だ。ショウガをチューブの物を使うのではなく、生の生姜をすりおろした物を肉と漬け込む。肉は柔らかく、そして、重信の口に合うように少しだけ砂糖を多めにして甘めに味付けをしている。一番の大好物はハンバーグだが、このしょうが焼きも重信の大好物であった。
重信の前に、大きな皿に盛りつけられたしょうが焼きが置かれる。その後、白米と味噌汁ときゅうりとキャベツを刻んだサラダが食卓に並んだ。
「いただきます!」そう言い、重信は食事を始めた。
「ごちそうさまでした!」
そう言うなり、重信は茶碗を台所まで持っていき、水を溜めてある桶に漬けた。食卓では、まだ妙子が食事を続けている。
「お母、ちょっと出かけてくる!」
「しげちゃん、どこに行くの?」
「やすんところ!」
友達の名前を妙子に告げた後、重信は玄関で靴を履く。背中の方から聞こえる「気を付けてね!」という声に「うん!」と返して外へと出た。
空は雲一つもない快晴。太陽から降り注ぐ光に重信は少しだけ目を細め、自転車の方へと向かった。妙子に教えてもらい、春休みの間に自転車に乗れるようになっていた。やすにこの自転車を自慢するのも、友達の家に行く目的だった。
重信は自転車にまたがり燕の巣を見上げる、巣からは燕の頭が飛び出ているのが見えた。それを見て、重信はにんまりと笑みを浮かべる。
春休みが終わるころに燕の巣は完成していた。重信の目の先にいる燕は雀と違い、重信が近付いても逃げることはなく、それが重信の燕好きに拍車をかけた。
「ずっと、ここにいてね!」
重信は大きな声で燕に声を掛け、友達の家へと向けて自転車を漕ぎ出したのだった。