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怨炎

ー/ー



ノーチェスの空を、どす黒い妖気が包んでいく。穢れのない真水に、黒の絵の具を零したように、ゆっくりと、確実に蝕んでいく。藍色の空は、その異変を人々に気づかせることはなく、ある限られた者だけが、突き動かされていた。


「次から次へと……(うじ)のように湧いてでる……!」

「あれ、倒せばいいのか?」

「それはダメ! 絶対ダメ!」

「……そうは言っても!」


 九尾の狐は止まらない。もはや人間の言葉に傾ける耳などなかった。激情を露わにする九尾の狐の青い炎が、再びモニカを襲う。


「”呪層(じゅそう)狐火(きつねび)”」

「”炎獄(えんごく)”!」


 蒼と紅の炎が激突し、耳を(つんざ)くような轟音と熱風を引き起こす。瞬く間に大広場は土煙に満たされ、九尾の狐の姿はまったく見えなくなってしまう。


(今のうち。急いで)

「ビアス先輩!」


 九尾の狐からもこちらの姿は見えないことを察したビアスが、瞬時にモニカと旭を抱えて遮蔽物に身を隠す。煙幕代わりになっている土煙が収まるのを待って息を潜めていた。


「騎獅道。君にあいつの姿は見える?」

「……完全には見えてない。ぼやけて認識できる程度だ」

「私も。やっぱり、モニカちゃんと私たちじゃ何かが違うんだ。それに……」


 九尾の狐には、魔法が通じない。


「生きている次元が違うんだ。いくら見えても、あっち側の世界の奴らに俺たちは干渉できない」


 旭の焔もまったく通じず、ビアスの鏡に、九尾の狐は映らない。それは、妖と魔法の存在する次元が違うからだ。更に具体的に言うなら、玉藻の前は()()で、旭たちが()()だからだ。


「どうしようもないね。まぁ、モニカちゃんはアレを説得したいみたいだから都合はいいんだけど、どうやって足止めしようか」

「俺がやる」


 だが、旭にはあった。理へ至った確信が。あの日、獄蝶のジョカとの戦いで掴んだ魔法の本懐が。そして――


「そうだね。同じ炎ならそっちの方が」

「炎じゃねぇよ」


 同じ()()()としての憐れみのような、何か。


「焔だ」


 遮蔽物から飛び出し、わざわざ空を飛んで旭は九尾の狐に近づいていく。九尾の狐に迫るほど、妖気は濃くなっていく。土煙を突き抜けると、藍色の曇天が広がっている。


「来たか、人間」


 声のする方に目をやると、そこには先程までの激突が嘘のように冷静な瞳で旭を見る玉藻の前がいた。空気が震えるような雰囲気はない。つい数分前までけたたましく叫んでいた旭の直感も、今では鳴りを潜めている。


「お前って、情緒不安定なのか?」

「……尾を失って取り乱していた。貴様たち人間は憎いが、最優先にすべきは我が娘じゃ」

「あ? 尻尾なら全部あるだろうよ」

「見た目だけじゃ。この尾は、()()()()()1()()()を九つに分けただけ。まぁ、代償としては少なすぎるくらいじゃな」

「……へぇ、代償ね。何をやった代償だ?」


 そんなことを聞いた旭だったが、頭の中を支配していたのはまったく別のことだった。何気なく九尾の狐が発した言葉が、頭から離れない。


(残ってる1本分? じゃあこいつは……)


 今の九尾の狐は、本来の実力の9分の1しか出せていない。()()として、8つの尾を犠牲にしたから。


「理を破るのは容易ではないのだ。ましてや、妾たち妖、即ち死者がこちらの世界へ来るなど……余程の対価を払わねばならん」

「……お前の探してる妖が()()()()()、帰ってくれんのか」


 旭は既に、『娘』という言葉だけで、九尾の狐の探している妖が誰なのか検討がついていた。その妖に最も近いモニカよりも先に。


「あぁ、もちろんじゃ。我が娘を見つけ、()()()()()()()()()

「……そっか。じゃあ無理だわ」


 その妖に対して、旭は大した思い入れはない。だというのに旭は、絶対に適わないはずの九尾の狐の前にたちはだかる。意味など、ないはずなのに。静まり返った空気を割くように、旭は九尾の狐に問いかけた。


「なんで俺が、ほとんど妖も見えねぇのにここへ来れたんだと思う?」

「……下らん質問じゃな。時間稼ぎか?」


 九尾の狐の言葉を無視して、旭は続ける。


()()()()()だよ。お前の放つ妖気と、あいつの妖気。その青い炎もな」


 その瞬間、九尾の狐の顔が歪む。畳み掛けるように、旭はまた続ける。


「あいつはずっとお前に憧れていたのに、肝心のお前は復讐に取り憑かれた哀れな姿……落胆するだろうな」

「貴様、我が娘に何を……!」

「何もしてねぇよ。俺はただ見てただけだ。あいつが必死にお前に追いつこうとしてる姿をな」


 そこは、ちょうどいい風が吹く野原だった。魔獣も出ない、森の奥だから人目を気にする必要も無い。そして、魔法の試運転にちょうどいい広さがあり、寝床もある。
 旭がそれを見たのは偶然、あるいは、運命に導かれた奇跡かもしれない。小柄な体格でありながら、必死に術を使い、大木に向かって小さな青い炎を放つ姿。大きくて輝いている淡い青と赤のオッドアイ。穢れの一つも知らない純白の髪。()()になることを目指す、健気で幼い小狐の姿。


「あいつは、ずっとお前を目指して頑張ってきたんだ」

「何が言いたい、人間!」

「あぁ、言いたいことしか見つからねぇよ!」


 青い炎と紅い焔が激突する。旭がソラを庇うことに、意味はない。モニカのように約束を交わした訳でもない。恩がある訳でもない。ただ、()()()()()()()

 母に褒められるために、必死に努力している姿を。理想に追いつくための、血のにじむような努力を。

 そして、重ねてしまった。過去の自分と、今のソラの姿を。『立派な妖狐になるため』と母の元を飛び出て、頼れるものも、人もいないこの世界で、1人戦っていたソラが、その努力が、報われないなんて悲しすぎる。だから旭は、無謀でも闘うのだ。


「あいつの気持ちを、想いを! 知ろうともしないお前が! 偉そうに連れて帰るだぁ?! 馬鹿なこと言ってんじゃねぇ!」


 旭の紅い焔が、勢いを増していく。呪層(じゅそう)によって満ちた妖気、その恩恵を受けて九尾の狐の力も強くなっているというのに。青い炎が、焔に押し負けている。力を増していく九尾の狐よりも、焔の火力が上がる速度の方が圧倒的に早い。


「人間ごときに何がわかる!」

「分からねぇさ! だから知るんだ! 理解するんだ!」


 旭は、会話の最中にも焔を()()に溜め込んでいた。内蔵が破裂するような腹圧と、体の隅々から細胞が溶けだすような感覚がするほど上がりきった体温。焔の火力は、既に限界点に至っている。


「所詮は人と妖! 妾の思いなど、貴様には分からぬ!」

「ならどうして、せめて自分の子どもの気持ちくらい理解してやらない!」


 されど対峙しているのは神獣、九尾の狐。押し切れるという甘い考えの通りになるはずもなく、2つの炎は均衡を保ったまま激突する。暗闇の空を爆炎で照らし、衝突の度に空気が割れる。だが、2人の均衡はあっさりと破られた。


「……おかあさま?」


 一匹の妖によって。


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次のエピソードへ進む 怨炎 ―2―


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ノーチェスの空を、どす黒い妖気が包んでいく。穢れのない真水に、黒の絵の具を零したように、ゆっくりと、確実に蝕んでいく。藍色の空は、その異変を人々に気づかせることはなく、ある限られた者だけが、突き動かされていた。
「次から次へと……|蛆《うじ》のように湧いてでる……!」
「あれ、倒せばいいのか?」
「それはダメ! 絶対ダメ!」
「……そうは言っても!」
 九尾の狐は止まらない。もはや人間の言葉に傾ける耳などなかった。激情を露わにする九尾の狐の青い炎が、再びモニカを襲う。
「”|呪層《じゅそう》・|狐火《きつねび》”」
「”|炎獄《えんごく》”!」
 蒼と紅の炎が激突し、耳を|劈《つんざ》くような轟音と熱風を引き起こす。瞬く間に大広場は土煙に満たされ、九尾の狐の姿はまったく見えなくなってしまう。
(今のうち。急いで)
「ビアス先輩!」
 九尾の狐からもこちらの姿は見えないことを察したビアスが、瞬時にモニカと旭を抱えて遮蔽物に身を隠す。煙幕代わりになっている土煙が収まるのを待って息を潜めていた。
「騎獅道。君にあいつの姿は見える?」
「……完全には見えてない。ぼやけて認識できる程度だ」
「私も。やっぱり、モニカちゃんと私たちじゃ何かが違うんだ。それに……」
 九尾の狐には、魔法が通じない。
「生きている次元が違うんだ。いくら見えても、あっち側の世界の奴らに俺たちは干渉できない」
 旭の焔もまったく通じず、ビアスの鏡に、九尾の狐は映らない。それは、妖と魔法の存在する次元が違うからだ。更に具体的に言うなら、玉藻の前は|死《・》|者《・》で、旭たちが|生《・》|者《・》だからだ。
「どうしようもないね。まぁ、モニカちゃんはアレを説得したいみたいだから都合はいいんだけど、どうやって足止めしようか」
「俺がやる」
 だが、旭にはあった。理へ至った確信が。あの日、獄蝶のジョカとの戦いで掴んだ魔法の本懐が。そして――
「そうだね。同じ炎ならそっちの方が」
「炎じゃねぇよ」
 同じ|復《・》|讐《・》|者《・》としての憐れみのような、何か。
「焔だ」
 遮蔽物から飛び出し、わざわざ空を飛んで旭は九尾の狐に近づいていく。九尾の狐に迫るほど、妖気は濃くなっていく。土煙を突き抜けると、藍色の曇天が広がっている。
「来たか、人間」
 声のする方に目をやると、そこには先程までの激突が嘘のように冷静な瞳で旭を見る玉藻の前がいた。空気が震えるような雰囲気はない。つい数分前までけたたましく叫んでいた旭の直感も、今では鳴りを潜めている。
「お前って、情緒不安定なのか?」
「……尾を失って取り乱していた。貴様たち人間は憎いが、最優先にすべきは我が娘じゃ」
「あ? 尻尾なら全部あるだろうよ」
「見た目だけじゃ。この尾は、|残《・》|っ《・》|て《・》|い《・》|る《・》|1《・》|本《・》|分《・》を九つに分けただけ。まぁ、代償としては少なすぎるくらいじゃな」
「……へぇ、代償ね。何をやった代償だ?」
 そんなことを聞いた旭だったが、頭の中を支配していたのはまったく別のことだった。何気なく九尾の狐が発した言葉が、頭から離れない。
(残ってる1本分? じゃあこいつは……)
 今の九尾の狐は、本来の実力の9分の1しか出せていない。|代《・》|償《・》として、8つの尾を犠牲にしたから。
「理を破るのは容易ではないのだ。ましてや、妾たち妖、即ち死者がこちらの世界へ来るなど……余程の対価を払わねばならん」
「……お前の探してる妖が|見《・》|つ《・》|か《・》|れ《・》|ば《・》、帰ってくれんのか」
 旭は既に、『娘』という言葉だけで、九尾の狐の探している妖が誰なのか検討がついていた。その妖に最も近いモニカよりも先に。
「あぁ、もちろんじゃ。我が娘を見つけ、|保《・》|護《・》|し《・》|て《・》|連《・》|れ《・》|て《・》|帰《・》|る《・》」
「……そっか。じゃあ無理だわ」
 その妖に対して、旭は大した思い入れはない。だというのに旭は、絶対に適わないはずの九尾の狐の前にたちはだかる。意味など、ないはずなのに。静まり返った空気を割くように、旭は九尾の狐に問いかけた。
「なんで俺が、ほとんど妖も見えねぇのにここへ来れたんだと思う?」
「……下らん質問じゃな。時間稼ぎか?」
 九尾の狐の言葉を無視して、旭は続ける。
「|似《・》|て《・》|た《・》|か《・》|ら《・》だよ。お前の放つ妖気と、あいつの妖気。その青い炎もな」
 その瞬間、九尾の狐の顔が歪む。畳み掛けるように、旭はまた続ける。
「あいつはずっとお前に憧れていたのに、肝心のお前は復讐に取り憑かれた哀れな姿……落胆するだろうな」
「貴様、我が娘に何を……!」
「何もしてねぇよ。俺はただ見てただけだ。あいつが必死にお前に追いつこうとしてる姿をな」
 そこは、ちょうどいい風が吹く野原だった。魔獣も出ない、森の奥だから人目を気にする必要も無い。そして、魔法の試運転にちょうどいい広さがあり、寝床もある。
 旭がそれを見たのは偶然、あるいは、運命に導かれた奇跡かもしれない。小柄な体格でありながら、必死に術を使い、大木に向かって小さな青い炎を放つ姿。大きくて輝いている淡い青と赤のオッドアイ。穢れの一つも知らない純白の髪。|妖《・》|狐《・》になることを目指す、健気で幼い小狐の姿。
「あいつは、ずっとお前を目指して頑張ってきたんだ」
「何が言いたい、人間!」
「あぁ、言いたいことしか見つからねぇよ!」
 青い炎と紅い焔が激突する。旭がソラを庇うことに、意味はない。モニカのように約束を交わした訳でもない。恩がある訳でもない。ただ、|知《・》|っ《・》|て《・》|し《・》|ま《・》|っ《・》|た《・》。
 母に褒められるために、必死に努力している姿を。理想に追いつくための、血のにじむような努力を。
 そして、重ねてしまった。過去の自分と、今のソラの姿を。『立派な妖狐になるため』と母の元を飛び出て、頼れるものも、人もいないこの世界で、1人戦っていたソラが、その努力が、報われないなんて悲しすぎる。だから旭は、無謀でも闘うのだ。
「あいつの気持ちを、想いを! 知ろうともしないお前が! 偉そうに連れて帰るだぁ?! 馬鹿なこと言ってんじゃねぇ!」
 旭の紅い焔が、勢いを増していく。|呪層《じゅそう》によって満ちた妖気、その恩恵を受けて九尾の狐の力も強くなっているというのに。青い炎が、焔に押し負けている。力を増していく九尾の狐よりも、焔の火力が上がる速度の方が圧倒的に早い。
「人間ごときに何がわかる!」
「分からねぇさ! だから知るんだ! 理解するんだ!」
 旭は、会話の最中にも焔を|内《・》|側《・》に溜め込んでいた。内蔵が破裂するような腹圧と、体の隅々から細胞が溶けだすような感覚がするほど上がりきった体温。焔の火力は、既に限界点に至っている。
「所詮は人と妖! 妾の思いなど、貴様には分からぬ!」
「ならどうして、せめて自分の子どもの気持ちくらい理解してやらない!」
 されど対峙しているのは神獣、九尾の狐。押し切れるという甘い考えの通りになるはずもなく、2つの炎は均衡を保ったまま激突する。暗闇の空を爆炎で照らし、衝突の度に空気が割れる。だが、2人の均衡はあっさりと破られた。
「……おかあさま?」
 一匹の妖によって。