明朝、たけと一部の者たちは、先に寺院へむけて出発した。見送った光正(みつまさ)の背中が、珍しく寂しそうに見える。
「まだ始まったばかりだというに、その様な悲壮感を漂わせるでないぞ」
「叔父上」
「成るようにしか成らんのだ。双方共、目指す道は同じ。どこかに糸口があるやもしれぬ」
「そう、ですね。上手く行く事を願うばかりです」
「存外行くかもしれんぞ? 何せ、あのたけ殿だからな」
「それは、どういう」
「んん? あの娘は何をしでかすか分かるまいに」
「ああ、確かに。何故そうなるかと思う場面がちらほらと」
「ふふ。その場面、景通(かげみち)殿が見れば呆気に取られような。その時が好機よ」
「は、はあ」
「全く。遊び心も解せねば人生つまらんぞ。肩の力を抜く術を知っておけ」
「は、はい」
「して光正よ」
すすす、と近づき、広げた扇で顔下半分を隠しながら、
「男ならいい加減腹を括れ。でないと私がかっさらって食べてしまうぞ」
「叔父上っ」
「はっはっはっ。では後程な」
顔を真っ赤にして大声をだしてしまったため、周囲から注目を集めてしまう。
まあ、定正(さだまさ)との会話なら、からかわれたのだろうと、下の者たちは作業に戻る。
「何大声上げているのですか。みっともない」
と、女性の声。両手に腰をあててたっている、まつの姿があった。
「こたびの件、兄上の意気地なしが招いた結果かもしれないのですよ。しっかりして下さい」
「ぐ。わ、分かっている」
「全くもう。いい加減に正式に夫婦になって頂きませんと。私がたけ様と気軽にすごせないではありませんか」
「それは俺のせいなのか」
「きちんと義理姉上(あねうえ)様とお呼びしたいのです。憧れていますから」
両手をあわせて瞳に星を宿らせる、まつ。妹が別の何かになったと、兄は感じる。
「とにかく。お救いしましたら、責任とってください。いいですねっ」
「良いから出立の準備をしろ」
「いわれなくともっ」
頭から湯気をだしながら去る、源家の姫君。
どうして自分の周りにはこうも癖の強い者が多いのだと、頭痛がしてきた光正であった。
波多野(はたの)領地へ出発した源軍は、特に障害もなく目的地の近くへとたどり着く。強いていえば、光正が伯父の定清(さだきよ)に顔色の悪さを心配されたぐらいである。
指定された山の麓には、波多野軍武士十名ほどと縛られた明心(あこ)の姿があった。
「約束は守られた様だな」
「ああ。この通り、坊主は無事だ。今解こう」
両手が自由になると、少年はもっていた小太刀を投げられる。
「行くと良い。愚かな真似はするなよ」
「わかってるよ」
波多野武士と目をあわせながら後ずさりし、追いつかれないだろう距離まで離れると体を回転させて走りだす。
全力疾走して源氏軍に合流すると、
「あ、姉貴は」
「たけは波多野殿と直接交渉する為に寺院へ向かった。俺達はここで待機だ」
「た、待機、って」
「ちゃんと説明する」
今日に至るまでの経緯を聞くと、少年は複雑な表情をした。
「くそ、おれのせいで。まんまとはめられた」
「そう思うのなら、以後は気をつけよ。後はたけ殿に任せようぞ」
明心は心配そうに、寺院のある方向へと、顔をむける。源氏陣営も波多野陣営も、今回の交渉に関心をもった視線の交わる先に、古くからある存在がある。
建物の入口には、源氏側からは幽(ゆう)が、波多野側からは女性の影が見張りとして直立していた。
木々に囲まれた中、ゆったりとした時間が流れる。
たけと景通は、内部に案内されてからしばしの間、縁側で風にあたっていた。
「そろそろ始めましょうか」
「ええ」
「折角の風景ですし、ここでいいでしょう。妙に緊張しなくてすみますし」
と、お茶を飲む景通。たけは臨戦態勢で臨んだため、すっかり毒気を抜かれてしまった。
「明心は無事なのですか」
「普通に話して下さって結構ですよ。彼は今頃、源氏軍と合流しているでしょう」
「では遠慮なく。私と交渉がしたいと仰ったが、何用か」
「単刀直入に申し上げましょう。郎党達と共に波多野家へお越しになっては如何か、と思いましてね」
「な、何を突然」
「不憫(ふびん)でならないのですよ、たけ姫。貴女がね」
「私が、不憫?」
「理由はさておき、たけ姫の肉親は光正殿に殺されました。仇敵に嫁ぐなど、侮辱が過ぎるでしょう」
たけは唇をかみ、下をむく。
「私には妻がいましたし、子も二人います。なので、世継ぎには困っていません。男子は私以外にもいますし」
景通は源氏よりも藤原の血筋のほうが気持ち的に楽では、と強調する。暮らしも郎党と一緒に面倒を見ると申しでた。
たけからすれば、番(つが)いが光正から景通となり、郎党たちは波多野家に仕える、という意味になる。
しかも波多野家当主は、夫婦とならずともよいときている。年月が経過すれば世間体上、となるかもしれないが、少なくとも、今ではない。
「いちいち憎しみに捕らわれず生きる事も出来るのです。良い条件でしょう。彼の実力は承知しているはず」
たけは、袴をつかむ。その手を、景通の手が包みこんだ。
「私をすぐに受け入れる必要はありません。これが交渉内容です。別に源家をどうこう、という意図はありませんよ」
「なる、ほど。だから私と直接話がしたい、と」
「そうです。だから源家の面々に話しても意味が無い」
にこり、と波多野家当主は微笑む。光正と異なり、実に柔和な表情である。
彼の言葉をうのみにするならば、たけにとっては願ってもいない話だ。仇の子を産むなど怖気が走ったのも事実だし、郎党たちにむざむざと我慢を強いる必要もない。
しかし、元はといえば平家側にあったのも現実である。背信行為をした結果が、一族を滅ぼしたにすぎないのだ。光正は単に、義に反した人間を誅しただけで、本来なら憎むなど見当違いもよいところでもある。
さらに、源家次期当主は、無理に触れてこなかった。それどころか、気を使っている様子で、いたわっているようにうかがえた。
極めつけは、裏切り者の一族を逃している事だ。露呈されれば、自らの身が危うくなるというのに。
たけを助けた理由は、今でも分からない。捕虜に等しい存在を養い、事もあろうに目下の郎党たちまで受けいれている。
何よりも彼の顔が、たけの頭の中一杯に広がっていた。普段の不愛想をはじめ、照れたとき、呆れたとき、うめに恐れをなしているとき、不機嫌なとき。
意外に表情があり、見かけによらず繊細で、最近は、少し笑うようにもなった。
その言葉、信じるぞ。
温かい言葉に、ほおへの温もり。
たけは、ゆっくりと目を開ける。
「景通殿。貴方のお気持ち、感謝致す」
当主は相手の表情に違和感を感じる。
「もし先に、貴方と会っていたのなら、承諾しただろうな」
「光正殿を信じるのですか。仇でしょう」
「確かにそうだ。正直、憎しみを抑えきれる自信はない」
「ならば何故」
「それでも良いと、いってくれたのだ。共に過ごしていく内に、悪人ではない、と」
「彼と生涯を共にするとなっても、同じ気持ちでいられるのですか」
「分からない。ただ、居心地はよい。そうなったらそうなった時に、考えればよい事」
景通は目を細める。
「彼を。光正殿を、慕っている、と」
逆に見開いた、たけは、首を左右にふる。
「光正殿には恩義がある。それだけだ。だから裏切れない」
どういう訳か、胸の奥が締めつけられる気がした、たけ。格上相手に緊張しているのだろうと感じる。
一方、景通は、想像以上に心を通わせていた事実に驚く。見通しが甘かったと、素直に認めざるを得なかった。
このまま強引に事を進めるか、それとも引き下がるか。
「大事にされている様ですね。安心しましたよ」
「重ね重ね、お気遣いに感謝致す。会って間もないのに」
「時間など関係ありませんよ。どうしたいかですから」
男は姫君から距離をとった。
「姫君の本心が知れて良かった。今日はここまでにして、山を降りましょう」
「ああ」
たけは、今日は、という単語に引っかかったが、今度は源家との話があるはずなので、その過程で会うかもしれない、という意味あいで受けとる。
帰り支度をして双方の影と合流して帰路につこうとすると、滝のような空模様にでくわした。
「うわあ。これは酷い」
「先程まで晴れていたというのに。さすがに下山するのは危険ですから、中で待ちましょうか」
「そう、ですね」
四人で建物の中に戻り、しばしの間時間を潰した。