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第二十五巻

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 約束した寺院に赴く前夜は、不思議と酒が恋しくなった。普段は飲まないのに、妙な感覚だ。
 いや。十六夜(いざよい)の日には、決まって彼女を思いだすからだろう。この辺りは、亡くなってから三年経つ今でも、毎月夜空を見上げている。この美しい月は、我が波多野領地だけでなく、源家をはじめ、全ての土地に降り注がれるのが憎たらしい。
 彼女と出会ったのは十三の頃。親同士が決めた婚礼の初顔合わせだった。
 相手は十六。当時はまだまだやんちゃ少年だったため、正式な服装が窮屈で嫌いだった。本当は武芸や読書などをすべて放りだして、虫や植物を眺めたり触ったり、農作業をするほうが好きだった。
 親達の挨拶が終わると、二人きりになった。何を話して良いのか分からず、とりあえず庭を眺めようと誘ったのを覚えている。我ながら下手な文句だと思う。
 当時は都に住んでいたので、今の館より庭園が広く、様々な草木が植えられていた。
 「素敵なお庭でございますね。近くで見られないのが残念ですわ」
 「摘んでまいりましょうか」
 「その様な殺生はお止め下さいまし。花も生きているのですから」
 と、ゆき姫は寂しそうに言った。本当は近くで見たいらしいが、足を怪我してしまい、動くのを禁じられたそうだ。ここに来る前は、誰かに抱えられて来たのだろう。
 足の理由を聞くと、扇で顔を隠しながら、
 「その。綺麗な蝶が飛んでいたので追いかけたら、躓いて転んでしまったのです。良い歳をしてお恥ずかしい限り」
 他の方には言わないで下さいませ、と、姫は続ける。名の通り肌の白い女性の耳は、真っ赤になっていた。
 可愛らしいと思い、見かけによらず活発な性格に好感を持った。そこで私は、良い考えが浮かぶ。
 「ゆき姫。少々お待ちいただけますか」
 「え、ええ」
 辞して使いの者に桶を持って来て貰うと、姫君から見えない位置に移動し、咲いている綺麗な花を掘り起こした。いくつかの花を中に入れ、土のあった高さまで埋める。
 その状態で姫の前に持って行くと、彼女は驚いた顔をした。
 「根から掘り起こしましたから、摘んではいません。後で戻せば生きたままでしょう?」
 「まあ、桶に入れるなんて。面白い発想ですわね」
 「好きな花を集めれば、簡易な庭を部屋に作れそうです」
 「ふふ、素敵ね。それなら雨の日でも花を愛でられるわ」
 初めて恋というのを知ったのは、この時だった。桔梗の花が良く似合うと感じたのも、好きになったのも同じ時期だと思う。
 それから二年後、私達は契りを交わし、夫婦となる。翌年には息子が、その翌々年には娘が生まれた。どちらも玉の様に愛らしく、すくすくと育っていった。
 四年の月日が過ぎ、娘がまだまだ目が離せない年頃になると、都で疫病が流行した。挙句の果てには冷害も起こり飢饉も重なるという、非常事態に陥る。
 当然、貴族の間でも病が蔓延し、祈祷が聞こえない日は無かった程だ。どの家も門を閉ざして静かに過ごし、一日も早い終焉を願っていた。
 しかし、貴族だろうが民衆だろうが、体力の低い者が餌食になるのが世の理(ことわり)。残酷だが、戦場でも同じ事が言える。
 そして、波多野家も当然ながら、自然の摂理には敵わない。
 「景通(かげみち)殿。どうか、お離れ、下さいませ。貴方様まで、倒れては、一大事に御座います」
 「何を申すか。私と君は一心同体。必ず治るから気をしっかり持って欲しい。約束しただろう。共に生きて孫の顔を見よう、と」
 「そう、でしたわね。きっと、親馬鹿ならず、祖父馬鹿になりそう、だわ」
 「ははは。良いじゃないか。その頃には今より世の中が落ち着いているだろうし。縁側で花々を愛でながら、ゆっくり過ごそう」
 「はい。楽しみ、です」
 握った手は確かに暖かく、しっかりと握り返してくれていた。近くに置いていた桔梗も凛として咲いていたのに。
 「かげ、みち殿。貴方様のお優しさ、嬉しゅう、ございました。ゆき、は幸せ者、です」
 「ゆき?」
 「ど、か、しあ、せに」
 時が経ち、いつの間にか枯れていた花は、もう元に戻る事は無い。
 「ゆき、ゆきっ。頼む、目を開けてくれ。今一度、声を。声を聴かせてくれ。私の、名を、呼ん、で」
 何故、どうして君なんだ。どうしてっ。
 全体的に流行りが落ち着いて来た矢先の出来事だった。
 子供達が無事だったのは不幸中の幸いだった。別館で過ごさせたから、助かったのかもしれない。
 本来ならわんわん泣いている子らを諫めなければならないが、その様な気力は湧かなかった。実父や義理母も患い、帰らぬ人となっていたから。
 他の家も、年齢問わず死者が続出したという。きっと、私と同じ気持ちになったに違いない。
 疫病が治まり、飢饉を凌いでから、おそらく半年程経過しただろうか。時間の記憶はあまり無いが、それ位に生き残った母上や義理父上、親戚の方々が縁談を持って来るようになる。
 当然、全て断った。私には、ゆき、という愛おしい妻がいる。忘れるなど出来るはずが無い。気遣いはありがたいが、迷惑だった。無論、中には家との結びつきしか考えていない奴らもいただろうが、細事に過ぎない。
 彼女への気持ちは少しも変わっていない。例え亡霊でも会えるのならば、地獄の果てでも行く。それでも、この世から旅立った人間は、時間と共に離れていくものなのかもしれない。それが、誰であったとしても。
 床の間に飾ってある花瓶を持って来て、月の光に当てる。花びらについている水滴は月光を吸収し、うっすらと母体を映し出す。
 まるで、誰かの涙にも見えなくは無い。ゆきのだろうか。それとも。
 妻を失ってから、世界から殆どの色が消え去った。感じるのは子供達と草木と花々だけだった。全てがむなしく映るせいで、冷たい人間に見られている事だろう。実際、物事を恐ろしいまでに冷徹に俯瞰出来る。
 それがどうした事か、久しぶりに色を見た気がした。桔梗の花そのものが、まだこの世にいるなんて思ってもみなかったのもある。
 御多分に漏れず、花にも色がある。桔梗では白と青、桃色だ。ゆきは白色の印象が強い。花言葉が清楚だからだと思う。
 なお、活けられているのは青だ。最近はこの色を多く飾っている気がする。
 「誠実、気品、だったな。うん。良く似合う」
 調べでは正式に婚礼をあげていない。しかも、どんな事情があるにせよ親の仇敵である男の妻になるなど屈辱の極みだ。ましてや子などあり得ない。何を考えて娶ろうとしたのかは知らないが、実に腹立たしい。娘がそんな目に遭っているとしたら、間違いなく助けに行く。
 「もっと早く会っていたのなら良かったのだが。こればかりは仕方が無いか」
 混迷している時代に厄介事など起こさないのが得策だが、武士の誇りを汚す源光正(みなもとのみつまさ)を許す気にはなれない。征服などしたく無いが、領地が手に入れば、万が一の風害や水害にもより柔軟な対応が可能となる利点もある。
 勿論、現地に住まう民衆はそのままの生活を送らせ、人々の流通を活発にすれば、双方の経済も回りやすい。
 まあ、領地に関しては最終的な話になるが。
 たけ姫に関しては、初めは妾で良いだろう。彼女の気持ちもある。私を受け入れられるなら、側室になって貰えれば十分だ。
 郎党に関しても、源氏よりは彼らも受け入れやすいだろう。
 この辺りを解決するには時が必要だ。急ぐ必要も無い、ゆっくりと馴染ませれば良い。
 花を手に取り、口付けをする。ゆきは、許してくれると思う。もし、許せなければ、祟り殺せば良い。
 「万事は整った。後は実際にどうなるかは御仏のみが知る、といった所か」
 花瓶と酒瓶を持ち床の間へと行くと、そこに二つを置いた。
 寝床に戻り、仮眠を取って明日に備えよう。
 この戦乱の世が、少しでも平和になるように。


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 いや。十六夜(いざよい)の日には、決まって彼女を思いだすからだろう。この辺りは、亡くなってから三年経つ今でも、毎月夜空を見上げている。この美しい月は、我が波多野領地だけでなく、源家をはじめ、全ての土地に降り注がれるのが憎たらしい。
 彼女と出会ったのは十三の頃。親同士が決めた婚礼の初顔合わせだった。
 相手は十六。当時はまだまだやんちゃ少年だったため、正式な服装が窮屈で嫌いだった。本当は武芸や読書などをすべて放りだして、虫や植物を眺めたり触ったり、農作業をするほうが好きだった。
 親達の挨拶が終わると、二人きりになった。何を話して良いのか分からず、とりあえず庭を眺めようと誘ったのを覚えている。我ながら下手な文句だと思う。
 当時は都に住んでいたので、今の館より庭園が広く、様々な草木が植えられていた。
 「素敵なお庭でございますね。近くで見られないのが残念ですわ」
 「摘んでまいりましょうか」
 「その様な殺生はお止め下さいまし。花も生きているのですから」
 と、ゆき姫は寂しそうに言った。本当は近くで見たいらしいが、足を怪我してしまい、動くのを禁じられたそうだ。ここに来る前は、誰かに抱えられて来たのだろう。
 足の理由を聞くと、扇で顔を隠しながら、
 「その。綺麗な蝶が飛んでいたので追いかけたら、躓いて転んでしまったのです。良い歳をしてお恥ずかしい限り」
 他の方には言わないで下さいませ、と、姫は続ける。名の通り肌の白い女性の耳は、真っ赤になっていた。
 可愛らしいと思い、見かけによらず活発な性格に好感を持った。そこで私は、良い考えが浮かぶ。
 「ゆき姫。少々お待ちいただけますか」
 「え、ええ」
 辞して使いの者に桶を持って来て貰うと、姫君から見えない位置に移動し、咲いている綺麗な花を掘り起こした。いくつかの花を中に入れ、土のあった高さまで埋める。
 その状態で姫の前に持って行くと、彼女は驚いた顔をした。
 「根から掘り起こしましたから、摘んではいません。後で戻せば生きたままでしょう?」
 「まあ、桶に入れるなんて。面白い発想ですわね」
 「好きな花を集めれば、簡易な庭を部屋に作れそうです」
 「ふふ、素敵ね。それなら雨の日でも花を愛でられるわ」
 初めて恋というのを知ったのは、この時だった。桔梗の花が良く似合うと感じたのも、好きになったのも同じ時期だと思う。
 それから二年後、私達は契りを交わし、夫婦となる。翌年には息子が、その翌々年には娘が生まれた。どちらも玉の様に愛らしく、すくすくと育っていった。
 四年の月日が過ぎ、娘がまだまだ目が離せない年頃になると、都で疫病が流行した。挙句の果てには冷害も起こり飢饉も重なるという、非常事態に陥る。
 当然、貴族の間でも病が蔓延し、祈祷が聞こえない日は無かった程だ。どの家も門を閉ざして静かに過ごし、一日も早い終焉を願っていた。
 しかし、貴族だろうが民衆だろうが、体力の低い者が餌食になるのが世の理(ことわり)。残酷だが、戦場でも同じ事が言える。
 そして、波多野家も当然ながら、自然の摂理には敵わない。
 「景通(かげみち)殿。どうか、お離れ、下さいませ。貴方様まで、倒れては、一大事に御座います」
 「何を申すか。私と君は一心同体。必ず治るから気をしっかり持って欲しい。約束しただろう。共に生きて孫の顔を見よう、と」
 「そう、でしたわね。きっと、親馬鹿ならず、祖父馬鹿になりそう、だわ」
 「ははは。良いじゃないか。その頃には今より世の中が落ち着いているだろうし。縁側で花々を愛でながら、ゆっくり過ごそう」
 「はい。楽しみ、です」
 握った手は確かに暖かく、しっかりと握り返してくれていた。近くに置いていた桔梗も凛として咲いていたのに。
 「かげ、みち殿。貴方様のお優しさ、嬉しゅう、ございました。ゆき、は幸せ者、です」
 「ゆき?」
 「ど、か、しあ、せに」
 時が経ち、いつの間にか枯れていた花は、もう元に戻る事は無い。
 「ゆき、ゆきっ。頼む、目を開けてくれ。今一度、声を。声を聴かせてくれ。私の、名を、呼ん、で」
 何故、どうして君なんだ。どうしてっ。
 全体的に流行りが落ち着いて来た矢先の出来事だった。
 子供達が無事だったのは不幸中の幸いだった。別館で過ごさせたから、助かったのかもしれない。
 本来ならわんわん泣いている子らを諫めなければならないが、その様な気力は湧かなかった。実父や義理母も患い、帰らぬ人となっていたから。
 他の家も、年齢問わず死者が続出したという。きっと、私と同じ気持ちになったに違いない。
 疫病が治まり、飢饉を凌いでから、おそらく半年程経過しただろうか。時間の記憶はあまり無いが、それ位に生き残った母上や義理父上、親戚の方々が縁談を持って来るようになる。
 当然、全て断った。私には、ゆき、という愛おしい妻がいる。忘れるなど出来るはずが無い。気遣いはありがたいが、迷惑だった。無論、中には家との結びつきしか考えていない奴らもいただろうが、細事に過ぎない。
 彼女への気持ちは少しも変わっていない。例え亡霊でも会えるのならば、地獄の果てでも行く。それでも、この世から旅立った人間は、時間と共に離れていくものなのかもしれない。それが、誰であったとしても。
 床の間に飾ってある花瓶を持って来て、月の光に当てる。花びらについている水滴は月光を吸収し、うっすらと母体を映し出す。
 まるで、誰かの涙にも見えなくは無い。ゆきのだろうか。それとも。
 妻を失ってから、世界から殆どの色が消え去った。感じるのは子供達と草木と花々だけだった。全てがむなしく映るせいで、冷たい人間に見られている事だろう。実際、物事を恐ろしいまでに冷徹に俯瞰出来る。
 それがどうした事か、久しぶりに色を見た気がした。桔梗の花そのものが、まだこの世にいるなんて思ってもみなかったのもある。
 御多分に漏れず、花にも色がある。桔梗では白と青、桃色だ。ゆきは白色の印象が強い。花言葉が清楚だからだと思う。
 なお、活けられているのは青だ。最近はこの色を多く飾っている気がする。
 「誠実、気品、だったな。うん。良く似合う」
 調べでは正式に婚礼をあげていない。しかも、どんな事情があるにせよ親の仇敵である男の妻になるなど屈辱の極みだ。ましてや子などあり得ない。何を考えて娶ろうとしたのかは知らないが、実に腹立たしい。娘がそんな目に遭っているとしたら、間違いなく助けに行く。
 「もっと早く会っていたのなら良かったのだが。こればかりは仕方が無いか」
 混迷している時代に厄介事など起こさないのが得策だが、武士の誇りを汚す源光正(みなもとのみつまさ)を許す気にはなれない。征服などしたく無いが、領地が手に入れば、万が一の風害や水害にもより柔軟な対応が可能となる利点もある。
 勿論、現地に住まう民衆はそのままの生活を送らせ、人々の流通を活発にすれば、双方の経済も回りやすい。
 まあ、領地に関しては最終的な話になるが。
 たけ姫に関しては、初めは妾で良いだろう。彼女の気持ちもある。私を受け入れられるなら、側室になって貰えれば十分だ。
 郎党に関しても、源氏よりは彼らも受け入れやすいだろう。
 この辺りを解決するには時が必要だ。急ぐ必要も無い、ゆっくりと馴染ませれば良い。
 花を手に取り、口付けをする。ゆきは、許してくれると思う。もし、許せなければ、祟り殺せば良い。
 「万事は整った。後は実際にどうなるかは御仏のみが知る、といった所か」
 花瓶と酒瓶を持ち床の間へと行くと、そこに二つを置いた。
 寝床に戻り、仮眠を取って明日に備えよう。
 この戦乱の世が、少しでも平和になるように。