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6-9

ー/ー



 テナーは倉庫にあった普通のワイヤを振り回しながら、蜘蛛から逃れようと全力で走り回っていた。途中、奴が何度か毒液を吐き捨てたが、彼は上手く回避している。
  蜘蛛のビジュアルが気持ち悪すぎて鳥肌が止まらない。動きを注視しつつ、僕もパレットの間を縫い体勢を低くして動き回った。勿論、決して無駄な時間を過ごしているわけではない。スプリンクラーは止まったものの、触れた杉板はすっかり水を吸い上げて湿っていた。

 すると、その濡れた杉板の上を飛び回っていたテナーが、足を滑らせて転んでしまった。パレットの上から落ちそうになったテナーは何とか端を掴んで落下を逃れたけれど、後ろから迫っていた蜘蛛に追いつかれ、トゲトゲの脚でひょいと体を摘まみ上げられている。
 奴は再び毒液を涎のように垂らし、テナーを食らおうとしていよいよマズいと思ったが、その時どこからか聞き覚えのある声が響いた。

「待った。まだ食べたら、駄目。とりあえず、拘束して」

 声の主は待ちに待った角だ。背中には蜂の翅が生えており、彼女は宙を舞うと蜘蛛の後方へ静かに降り立った。
 主人の言葉に蜘蛛は渋々テナーを自分から少し距離を取ってぶら下げ、蜂模様のお尻の先から糸を吐き出し、首から下を器用にぐるぐる巻きにした。糸玉の中でテナーは藻掻いているが、頑丈な材質なのか簡単に破れそうもない。

 早く助けなければ、という焦る気持ちを何とか押さえて、僕は息を潜めて所定の位置についた。ここで失敗すれば全てが水の泡だ。

「陸前。総長和泉は、何を隠している? お前たちは、あと何人、仲間がいる?」

 角は()から情報を聞き出そうとしている。だが彼女の目の前にぶら下がっている彼は何も答えない。蜘蛛の気色悪い脚の先端が、彼の頬を撫でた。
 だが答えられるわけないだろう、テナーは人の言葉を話すことはできないのだ。なら何故、彼女は何の違和感もなく問いかけているのか。

 答えは、至極簡単。

「テナー、()()!」
「……!?」

 僕の発言を聞いたテナーは〝陸前()の姿〟から元の犬の姿に戻り、糸玉を噛み千切って脱出した。それと同時に僕はこの間に計算して仕掛けておいたワイヤを高速で引き上げ、水に濡れて重くなった杉板で蜘蛛を挟み撃ちにしたのだ。
 畳ほどの大きさで、厚さ8センチとした杉の木の重量はおよそ50キロ。更に水を含み飽和状態となった板は2倍の100キロに相当する。そんな板を2枚括りにして両側から本を閉じるかのように挟まれたらどうなるか。

「ピギャァアアア……ッ!」

 奴は世にも恐ろしい断末魔の叫びを上げて潰れ、小さな爆発を起こしたように中から液体が飛び散った。それを唖然と見つめている角の背後を間髪入れずに取った僕は、彼女が振り向くより早く両手を前に広げて叫んだ。

番手調節(コードチューニング)12番1/2(にぶ)複合鋼陣(シンフォニー)ッ!」

 瞬間、角と僕の間に大きな蜘蛛の巣のような網目のワイヤが現れ、角を背後から包み込んで拘束した。今回の番手12番1/2はワイヤの中でも極めて細く、角の翅をボロボロに裂き、暴れるほど健康的な色の肌に食い込んでいく。丁寧に纏められたお団子の髪も解けてしまっていた。

「滑稽だな、蟲使いが蜘蛛の巣もどきに捕らわれるなんて」
「……貴様、犬を身代わりに、入れ違ったのか」

 皮肉を吐き地面に転がっている彼女に近づき見下ろせば、涙目に恨みを込めた視線で睨みつけられる。彼女は僕を捕らえたと思って完全に油断していたようだ。
 でも広と変わらない歳の女の子をいたぶるのは、かなり心苦しいもので。

 侮るな、コイツは五音衆だ。同情している暇はない。
 それに彼女がテナー()にしたように、こちらにも聞きたいことは色々ある。

「今、お前たちを率いているのは誰だ」

 黒使がまだ復活していない今、奴らを率いているのは何者なのか。これはまだ僕たちの誰もが掴めていないことだ。……そしてもう1つ。

「音のピッチを下げているな? 何を企んでいるんだ」
「この程度で、私が答えるわけが……あぁっ!」

 口答えなど許さないと言わんばかりに拘束の強さを引き上げると、角の口から少女らしい苦しそうな悲鳴が上がった。頼むから、これ以上惨いことをさせないでくれ。
 そんな僕の気持ちを悟っているかのように、足元に戻ってきた秋田犬姿のテナーが心配そうに見上げてくれた。

「最後のチャンスだ、角。もう一度聞く、お前たちを率いているのは誰だ」

 僕の問いに角は奥歯を噛みしめると、静かに目を閉じた。
 ついに観念したか……? と思った次の瞬間。

「うぅ……、あぁあああああッ!!」

 カッと見開いた瞳は闇のように白目まで真っ黒で、雄叫びを上げる口元の犬歯がメキメキと伸びて大顎に発達した。それだけでなく角の額からは触覚が生え、体がどんどん膨れ上がり柔らかい肌質から打って変わり、黒と橙の縞模様を彩った外骨格に覆われていく。
 生え替わったその強靱な顎で僕のワイヤは引きちぎられ、失ったはずの翅が巨大化して再び背中から広がった。その面影に先ほどまでの可愛らしさはない。

 それは、紛うことなき蜂。
 彼女自身が3メートルはあろう巨大な女王蜂に変化した。

 空気が震えたのを肌で感じ、僕は嫌な予感がして身構えたけれど、それよりも早く角の前脚で地面に押さえつけてしまった。鋭い爪のせいで身動きが取れない。直ぐさまテナーが助けようと脚に噛みつくも、触覚を鞭のように振るい呆気なく吹き飛ばされて壁に激突した。痛そうに悲鳴を上げるテナーの声が聞こえる。

「テナァァァ――ッ!」
「モウイイ。オマエ、ウザイ。オマエ、コロス。ナカマ、ミナ、コロス……」

 カタカタと顎を震わせて片言で太い声を発した角は、再び手下である蜂の大群を出現させた。その蜂たちも今までと違い、ひと回りほど大きくなっているように見えた。全員、揃いも揃って興奮状態だ。
 僕は必死に脱出を試みているが、爪に完全に固定されて逃れられる気がしない。

 蜂たちが一斉に襲ってきたと同時にワイヤを振り乱して足掻く。
 しかし抵抗も空しく、全身に強烈な痛みを覚えた僕はそこで気を失った。



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 テナーは倉庫にあった普通のワイヤを振り回しながら、蜘蛛から逃れようと全力で走り回っていた。途中、奴が何度か毒液を吐き捨てたが、彼は上手く回避している。
  蜘蛛のビジュアルが気持ち悪すぎて鳥肌が止まらない。動きを注視しつつ、僕もパレットの間を縫い体勢を低くして動き回った。勿論、決して無駄な時間を過ごしているわけではない。スプリンクラーは止まったものの、触れた杉板はすっかり水を吸い上げて湿っていた。
 すると、その濡れた杉板の上を飛び回っていたテナーが、足を滑らせて転んでしまった。パレットの上から落ちそうになったテナーは何とか端を掴んで落下を逃れたけれど、後ろから迫っていた蜘蛛に追いつかれ、トゲトゲの脚でひょいと体を摘まみ上げられている。
 奴は再び毒液を涎のように垂らし、テナーを食らおうとしていよいよマズいと思ったが、その時どこからか聞き覚えのある声が響いた。
「待った。まだ食べたら、駄目。とりあえず、拘束して」
 声の主は待ちに待った角だ。背中には蜂の翅が生えており、彼女は宙を舞うと蜘蛛の後方へ静かに降り立った。
 主人の言葉に蜘蛛は渋々テナーを自分から少し距離を取ってぶら下げ、蜂模様のお尻の先から糸を吐き出し、首から下を器用にぐるぐる巻きにした。糸玉の中でテナーは藻掻いているが、頑丈な材質なのか簡単に破れそうもない。
 早く助けなければ、という焦る気持ちを何とか押さえて、僕は息を潜めて所定の位置についた。ここで失敗すれば全てが水の泡だ。
「陸前。総長和泉は、何を隠している? お前たちは、あと何人、仲間がいる?」
 角は|僕《・》から情報を聞き出そうとしている。だが彼女の目の前にぶら下がっている彼は何も答えない。蜘蛛の気色悪い脚の先端が、彼の頬を撫でた。
 だが答えられるわけないだろう、テナーは人の言葉を話すことはできないのだ。なら何故、彼女は何の違和感もなく問いかけているのか。
 答えは、至極簡単。
「テナー、|戻《・》|れ《・》!」
「……!?」
 僕の発言を聞いたテナーは〝|陸前《僕》の姿〟から元の犬の姿に戻り、糸玉を噛み千切って脱出した。それと同時に僕はこの間に計算して仕掛けておいたワイヤを高速で引き上げ、水に濡れて重くなった杉板で蜘蛛を挟み撃ちにしたのだ。
 畳ほどの大きさで、厚さ8センチとした杉の木の重量はおよそ50キロ。更に水を含み飽和状態となった板は2倍の100キロに相当する。そんな板を2枚括りにして両側から本を閉じるかのように挟まれたらどうなるか。
「ピギャァアアア……ッ!」
 奴は世にも恐ろしい断末魔の叫びを上げて潰れ、小さな爆発を起こしたように中から液体が飛び散った。それを唖然と見つめている角の背後を間髪入れずに取った僕は、彼女が振り向くより早く両手を前に広げて叫んだ。
「|番手調節《コードチューニング》12番|1/2《にぶ》、|複合鋼陣《シンフォニー》ッ!」
 瞬間、角と僕の間に大きな蜘蛛の巣のような網目のワイヤが現れ、角を背後から包み込んで拘束した。今回の番手12番1/2はワイヤの中でも極めて細く、角の翅をボロボロに裂き、暴れるほど健康的な色の肌に食い込んでいく。丁寧に纏められたお団子の髪も解けてしまっていた。
「滑稽だな、蟲使いが蜘蛛の巣もどきに捕らわれるなんて」
「……貴様、犬を身代わりに、入れ違ったのか」
 皮肉を吐き地面に転がっている彼女に近づき見下ろせば、涙目に恨みを込めた視線で睨みつけられる。彼女は僕を捕らえたと思って完全に油断していたようだ。
 でも広と変わらない歳の女の子をいたぶるのは、かなり心苦しいもので。
 侮るな、コイツは五音衆だ。同情している暇はない。
 それに彼女が|テナー《僕》にしたように、こちらにも聞きたいことは色々ある。
「今、お前たちを率いているのは誰だ」
 黒使がまだ復活していない今、奴らを率いているのは何者なのか。これはまだ僕たちの誰もが掴めていないことだ。……そしてもう1つ。
「音のピッチを下げているな? 何を企んでいるんだ」
「この程度で、私が答えるわけが……あぁっ!」
 口答えなど許さないと言わんばかりに拘束の強さを引き上げると、角の口から少女らしい苦しそうな悲鳴が上がった。頼むから、これ以上惨いことをさせないでくれ。
 そんな僕の気持ちを悟っているかのように、足元に戻ってきた秋田犬姿のテナーが心配そうに見上げてくれた。
「最後のチャンスだ、角。もう一度聞く、お前たちを率いているのは誰だ」
 僕の問いに角は奥歯を噛みしめると、静かに目を閉じた。
 ついに観念したか……? と思った次の瞬間。
「うぅ……、あぁあああああッ!!」
 カッと見開いた瞳は闇のように白目まで真っ黒で、雄叫びを上げる口元の犬歯がメキメキと伸びて大顎に発達した。それだけでなく角の額からは触覚が生え、体がどんどん膨れ上がり柔らかい肌質から打って変わり、黒と橙の縞模様を彩った外骨格に覆われていく。
 生え替わったその強靱な顎で僕のワイヤは引きちぎられ、失ったはずの翅が巨大化して再び背中から広がった。その面影に先ほどまでの可愛らしさはない。
 それは、紛うことなき蜂。
 彼女自身が3メートルはあろう巨大な女王蜂に変化した。
 空気が震えたのを肌で感じ、僕は嫌な予感がして身構えたけれど、それよりも早く角の前脚で地面に押さえつけてしまった。鋭い爪のせいで身動きが取れない。直ぐさまテナーが助けようと脚に噛みつくも、触覚を鞭のように振るい呆気なく吹き飛ばされて壁に激突した。痛そうに悲鳴を上げるテナーの声が聞こえる。
「テナァァァ――ッ!」
「モウイイ。オマエ、ウザイ。オマエ、コロス。ナカマ、ミナ、コロス……」
 カタカタと顎を震わせて片言で太い声を発した角は、再び手下である蜂の大群を出現させた。その蜂たちも今までと違い、ひと回りほど大きくなっているように見えた。全員、揃いも揃って興奮状態だ。
 僕は必死に脱出を試みているが、爪に完全に固定されて逃れられる気がしない。
 蜂たちが一斉に襲ってきたと同時にワイヤを振り乱して足掻く。
 しかし抵抗も空しく、全身に強烈な痛みを覚えた僕はそこで気を失った。