表示設定
表示設定
目次 目次




第二十二巻

ー/ー



 明心(あこ)の姿が見えない、と騒ぎになったのは夕刻時だった。明朝は早くからでかける場合もあるので気にしていなかったが、夕餉時刻になっても姿を現さないのは妙だと、郎党たちの間であがったのである。
 なお、伝えにきたのは薬右衛門(やくえもん)であった。
 「幽(ゆう)の姿も見えん。あの馬鹿者めは、おそらく小僧に付き添ったのでしょう」
 土間の食料が減っておったらしいのでな、と、うめ。
 「策としては良いのだが、な」
 「叔父上」
 ふう、と、定正(さだまさ)少し疲れ気味の表情で、とん、と扇子で左手の平を軽くたたいた。
 「も、申し訳ございませぬっ。義弟が勝手な真似を」
 と、土下座する、たけ。緊急のため、今回の会合にはたけと伝令係の薬右衛門も同席している。
 眉をひそめた定清(さだきよ)は、
 「お館様。如何される」
 「うむ。たけ殿、面を上げよ。明心の心意気をくむに、真相を確かめようとしたか」
 「間違いないでしょう。先日、俺にそう願い出ておりました」
 「若、断られたのか」
 「無論」
 「当然か。中々の切れ者ではあるが、いかんせん未熟。無事に帰ってくれば良いが」
 「幽は、情が芽生えたか。薬右衛門よ、区画での態度はどうであった」
 「恐れながら申し上げます。日が経過するにつれ、二人の間に信頼と友情が育まれたかと」
 「そう、であるか」
 しばしの沈黙が、続く。
 「もし明心が何らかの有益な情報を持って来たのであれば、咎め無し。死んだらそれまでじゃ」
 「お館様、それは」
 「光正。連れ戻した所で何になる」
 返す言葉もなく、視線を下にむける光正。命をとるか、気持ちをとるかなど、すぐにだせる答えでもなく、どちらが正しいのかという問題でもない。先程、定正が口にした策も、考えの一つなのである。
 要は、男気を買って任せてみる、と定光(さだみつ)は言っているのだ。
 「幽も付いているのであれば、何かしら持ち帰って来よう。この件はここまでとする」
 周囲が動き出す中、たけは、
 「薬右衛門。皆に妙な行動を起こすなと、伝えて欲しい」
 「御意」
 「頼んだぞ」
 平家の姫はゆっくりと立ちあがると、縁側にいた光正と目があう。
 「一応、お前を見張っておきたいのでな」
 「ああ。そうだな」
 一礼をした薬右衛門は、一足先に居住区へと戻る。見送った二人は、ゆっくりと寝殿へと歩きだした。
 虫の音が響く中、光正は妻の顔を見る。
 「心配か」
 「ああ。さすがに無謀が過ぎる。相手は国なのに、どうして」
 「それだけお前の力になりたいのだろう」
 「できる範囲でやれといっているのに。全くもう。本当にいう事を聞かない」
 「奴なりの甘えだろうな」
 「そういう、ものだのだろうか。薬右衛門の話も聞かないが。いや、うめ殿のは素直に聞くな」
 「うめは世界が違う」
 「世界?」
 たけは、意味不明な事を、と思ったが、光正の顔色が若干青くなっているのを見て、ますます理解できなかった。
 「うめはともかく。小僧の気持ちはくんでやれ。俺も分からんでもないからな」
 「無事に帰ってきてくれれば何も望まん。例え手柄を上げられず、何らかの処罰を受けたとしても」
 「そうか」
 ふと、妻の歩みがとまる。つられた男は月を見上げた女性の顔を見つめた。
 明心は手柄や褒美など望んでおるまい。望むとすれば、たけの傍にいる事、か。
 複雑な想いを抱きながらも、光正は闇夜に輝く月光に魅入っていた。
 太陽や雲、雨も、月と同様、天から降り注ぐ恵みの一つとして数えらえる。日の光や陽光をさえぎる衣、恵みの水も、過ぎれば人にとっては害となす存在だが、月だけは例外ではなかろうか。
 そんな優しく包みこむ淡い光は等しく注がれ、時に情緒的に、時にもの悲しく、寂しい想いを馳せるかもしれない。
 特に、幼い子供にとって、夜は恐ろしい。
 ふ、と、明心は、野盗に襲われないよう、山のふもとに隠れて寝ている幼子の夢で目を覚ました。今は木の上で寝ているので、そのような心配はほとんどないが。
 「久しぶりに木の上でねたせいか、体いてぇ」
 近くで寝ている幽は、ぐっすりである。
 「さすがに、騒ぎになってっかなぁ」
 あれだけの人数の中で暮らしたことがない少年は、ここしばらく不思議な感じですごしていた。たけと、少し離れて薬右衛門とで住んでいたが、当時とも違う感覚だった。
 噂をはじめて耳にしたとき頭に血がのぼってしまい、話していた女性たちに思わず詰めよるという、妙な行動までした自分がおかしくて仕方がなかった。
 だが、悪い気はしない。大人は信用できない生き物だが、たけをはじめ、薬右衛門、光正に定正、うめ、平家の郎党たち、そして、幽。彼女ら彼らは信じても大丈夫だと、何故か思えるからだ。
 説明はできない。でも、大切だというのは感じている。
 「ま、いっか。今ははたのとかいう奴を調べよう。そうすれば姉貴たちの役にたてる」
 再びまぶたが重くなると、すぐに眠りに落ちた。
 源領地から出発して四日後。急ぎ足で移動したので、予定より早く着いた。
 国境に関所が設けられているため、二人は銭を用意し、商人や旅行者に紛れて並ぶ。関税を払って通りぬけると、幽が明心の服を引っ張った。少年が顔をむけると、前者がある一点を指している。
 視線で追うと、変哲のない雑木林だった。
 幽は左人差し指をたてると、周囲を右人差し指で円をえがく。
 「誰かいるってこと」
 こくこく、とうなずく青年。今度は返事をした者の手に、あたかもしれず、とをつづる。
 「ばれてるかもしれないって? 気をつける」
 こくり、と、普段とは違う服を身にまとう幽は、表情を変えず歩きだした。もちろん、明心も後に続く。
 初日から行動するのも目立つので、二日は地理を覚えるために観光客としてまわり、大方叩きこむ。三日目、聞きこみや銭稼ぎをしながら、波多野領の具合を探っていく。
 「最近の話題といやあ、元平家の郎党かねえ。何でも野盗に成り下がって各地で暴れてるって話じゃないか」
 「北で暴れ回ってる連中のことだろ。そいつらが南下して商人を襲ってるとか」
 「都から逃げてきた残党が、腹いせに民衆を襲うんですって。物騒よねえ。おお怖い怖い」
 若干ずれがあるにせよ、共通しているのは、平家関係者だった、主に郎党が落ちぶれて暴徒化しているという内容だ。
 しかし、二人はそういう輩に出くわしていない。話にも緊張感や危機感はなく、完全に他人事である。
 「何かおかしい。地域ごとにいってること違うんだけど」
 腕を組み、考えこむ二人。初日に幽が感じとった敵らしき存在も、今やないという。
 国一つぐらいの距離があるならまだ理解できるが、同じ領内でこうも変わっていくだろうか。
 「まいったな。道中の宿に顔だしとけばよかったね」
 まだ調べていない場所といえば、当主一族が住まう館周辺だ。さすがの明心も危険すぎると、近づいていないのだが。
 「の、乗りこむ」
 吹っ飛びそうなほど、首を左右にふる幽。髪型も少し乱れてしまった。
 「うーん、でもさ。墓穴にいらずんば何とかをえず、だっけ。情報得られなそうじゃん」
 幽は顔の前で右手首を素早く直角に動かすと、地面に、こけつにいらずんばこじをえず、と書き、こけつの上に、正、隣に、ぼけつ、の文字を追加する。
 「んな細かいこといいじゃんよっ。どうしよう。待てよ」
 どうして地域ごとに違うのか、というふとした疑問がわき起こってくる。話を整理してみると、関所から波多野家の館を直線状で結ぶと、ちょうど上から順番に並んでいた。
 青年が、はっとして、明心の手をとり関所にの方向へ走りだそうとした。
 「おや、もうお帰りですか。せっかくいらしたのです。ゆっくりして行って下さい」
 目の前に、にこりと微笑む、波多野景通(かげみち)と、紺や黒色をした衣服を身にまとう影たちが現れた。
 
 【注釈】
 あたかもしれず↓あたかも知れず
 ・意味
 敵かもしれない


スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 第二十三巻


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



 明心(あこ)の姿が見えない、と騒ぎになったのは夕刻時だった。明朝は早くからでかける場合もあるので気にしていなかったが、夕餉時刻になっても姿を現さないのは妙だと、郎党たちの間であがったのである。
 なお、伝えにきたのは薬右衛門(やくえもん)であった。
 「幽(ゆう)の姿も見えん。あの馬鹿者めは、おそらく小僧に付き添ったのでしょう」
 土間の食料が減っておったらしいのでな、と、うめ。
 「策としては良いのだが、な」
 「叔父上」
 ふう、と、定正(さだまさ)少し疲れ気味の表情で、とん、と扇子で左手の平を軽くたたいた。
 「も、申し訳ございませぬっ。義弟が勝手な真似を」
 と、土下座する、たけ。緊急のため、今回の会合にはたけと伝令係の薬右衛門も同席している。
 眉をひそめた定清(さだきよ)は、
 「お館様。如何される」
 「うむ。たけ殿、面を上げよ。明心の心意気をくむに、真相を確かめようとしたか」
 「間違いないでしょう。先日、俺にそう願い出ておりました」
 「若、断られたのか」
 「無論」
 「当然か。中々の切れ者ではあるが、いかんせん未熟。無事に帰ってくれば良いが」
 「幽は、情が芽生えたか。薬右衛門よ、区画での態度はどうであった」
 「恐れながら申し上げます。日が経過するにつれ、二人の間に信頼と友情が育まれたかと」
 「そう、であるか」
 しばしの沈黙が、続く。
 「もし明心が何らかの有益な情報を持って来たのであれば、咎め無し。死んだらそれまでじゃ」
 「お館様、それは」
 「光正。連れ戻した所で何になる」
 返す言葉もなく、視線を下にむける光正。命をとるか、気持ちをとるかなど、すぐにだせる答えでもなく、どちらが正しいのかという問題でもない。先程、定正が口にした策も、考えの一つなのである。
 要は、男気を買って任せてみる、と定光(さだみつ)は言っているのだ。
 「幽も付いているのであれば、何かしら持ち帰って来よう。この件はここまでとする」
 周囲が動き出す中、たけは、
 「薬右衛門。皆に妙な行動を起こすなと、伝えて欲しい」
 「御意」
 「頼んだぞ」
 平家の姫はゆっくりと立ちあがると、縁側にいた光正と目があう。
 「一応、お前を見張っておきたいのでな」
 「ああ。そうだな」
 一礼をした薬右衛門は、一足先に居住区へと戻る。見送った二人は、ゆっくりと寝殿へと歩きだした。
 虫の音が響く中、光正は妻の顔を見る。
 「心配か」
 「ああ。さすがに無謀が過ぎる。相手は国なのに、どうして」
 「それだけお前の力になりたいのだろう」
 「できる範囲でやれといっているのに。全くもう。本当にいう事を聞かない」
 「奴なりの甘えだろうな」
 「そういう、ものだのだろうか。薬右衛門の話も聞かないが。いや、うめ殿のは素直に聞くな」
 「うめは世界が違う」
 「世界?」
 たけは、意味不明な事を、と思ったが、光正の顔色が若干青くなっているのを見て、ますます理解できなかった。
 「うめはともかく。小僧の気持ちはくんでやれ。俺も分からんでもないからな」
 「無事に帰ってきてくれれば何も望まん。例え手柄を上げられず、何らかの処罰を受けたとしても」
 「そうか」
 ふと、妻の歩みがとまる。つられた男は月を見上げた女性の顔を見つめた。
 明心は手柄や褒美など望んでおるまい。望むとすれば、たけの傍にいる事、か。
 複雑な想いを抱きながらも、光正は闇夜に輝く月光に魅入っていた。
 太陽や雲、雨も、月と同様、天から降り注ぐ恵みの一つとして数えらえる。日の光や陽光をさえぎる衣、恵みの水も、過ぎれば人にとっては害となす存在だが、月だけは例外ではなかろうか。
 そんな優しく包みこむ淡い光は等しく注がれ、時に情緒的に、時にもの悲しく、寂しい想いを馳せるかもしれない。
 特に、幼い子供にとって、夜は恐ろしい。
 ふ、と、明心は、野盗に襲われないよう、山のふもとに隠れて寝ている幼子の夢で目を覚ました。今は木の上で寝ているので、そのような心配はほとんどないが。
 「久しぶりに木の上でねたせいか、体いてぇ」
 近くで寝ている幽は、ぐっすりである。
 「さすがに、騒ぎになってっかなぁ」
 あれだけの人数の中で暮らしたことがない少年は、ここしばらく不思議な感じですごしていた。たけと、少し離れて薬右衛門とで住んでいたが、当時とも違う感覚だった。
 噂をはじめて耳にしたとき頭に血がのぼってしまい、話していた女性たちに思わず詰めよるという、妙な行動までした自分がおかしくて仕方がなかった。
 だが、悪い気はしない。大人は信用できない生き物だが、たけをはじめ、薬右衛門、光正に定正、うめ、平家の郎党たち、そして、幽。彼女ら彼らは信じても大丈夫だと、何故か思えるからだ。
 説明はできない。でも、大切だというのは感じている。
 「ま、いっか。今ははたのとかいう奴を調べよう。そうすれば姉貴たちの役にたてる」
 再びまぶたが重くなると、すぐに眠りに落ちた。
 源領地から出発して四日後。急ぎ足で移動したので、予定より早く着いた。
 国境に関所が設けられているため、二人は銭を用意し、商人や旅行者に紛れて並ぶ。関税を払って通りぬけると、幽が明心の服を引っ張った。少年が顔をむけると、前者がある一点を指している。
 視線で追うと、変哲のない雑木林だった。
 幽は左人差し指をたてると、周囲を右人差し指で円をえがく。
 「誰かいるってこと」
 こくこく、とうなずく青年。今度は返事をした者の手に、あたかもしれず、とをつづる。
 「ばれてるかもしれないって? 気をつける」
 こくり、と、普段とは違う服を身にまとう幽は、表情を変えず歩きだした。もちろん、明心も後に続く。
 初日から行動するのも目立つので、二日は地理を覚えるために観光客としてまわり、大方叩きこむ。三日目、聞きこみや銭稼ぎをしながら、波多野領の具合を探っていく。
 「最近の話題といやあ、元平家の郎党かねえ。何でも野盗に成り下がって各地で暴れてるって話じゃないか」
 「北で暴れ回ってる連中のことだろ。そいつらが南下して商人を襲ってるとか」
 「都から逃げてきた残党が、腹いせに民衆を襲うんですって。物騒よねえ。おお怖い怖い」
 若干ずれがあるにせよ、共通しているのは、平家関係者だった、主に郎党が落ちぶれて暴徒化しているという内容だ。
 しかし、二人はそういう輩に出くわしていない。話にも緊張感や危機感はなく、完全に他人事である。
 「何かおかしい。地域ごとにいってること違うんだけど」
 腕を組み、考えこむ二人。初日に幽が感じとった敵らしき存在も、今やないという。
 国一つぐらいの距離があるならまだ理解できるが、同じ領内でこうも変わっていくだろうか。
 「まいったな。道中の宿に顔だしとけばよかったね」
 まだ調べていない場所といえば、当主一族が住まう館周辺だ。さすがの明心も危険すぎると、近づいていないのだが。
 「の、乗りこむ」
 吹っ飛びそうなほど、首を左右にふる幽。髪型も少し乱れてしまった。
 「うーん、でもさ。墓穴にいらずんば何とかをえず、だっけ。情報得られなそうじゃん」
 幽は顔の前で右手首を素早く直角に動かすと、地面に、こけつにいらずんばこじをえず、と書き、こけつの上に、正、隣に、ぼけつ、の文字を追加する。
 「んな細かいこといいじゃんよっ。どうしよう。待てよ」
 どうして地域ごとに違うのか、というふとした疑問がわき起こってくる。話を整理してみると、関所から波多野家の館を直線状で結ぶと、ちょうど上から順番に並んでいた。
 青年が、はっとして、明心の手をとり関所にの方向へ走りだそうとした。
 「おや、もうお帰りですか。せっかくいらしたのです。ゆっくりして行って下さい」
 目の前に、にこりと微笑む、波多野景通(かげみち)と、紺や黒色をした衣服を身にまとう影たちが現れた。
 【注釈】
 あたかもしれず↓あたかも知れず
 ・意味
 敵かもしれない