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すれ違いの幸追人~カムパネルラ~ 3-②

ー/ー



 2ヶ月後。

「え! 佐和子さんが?」


「ええ、ご主人と子供さん連れて。大きくなったわねえ。来年は小学生かあ」

 佐原主任が遠い目をする。


 あの後、死に物狂いでレポートを仕上げ、最終週も無事に過ごして、産科病棟の実習は修了した。

 今は外科病棟実習の最中である。

 で、何故に産科病棟の佐原ミチ主任が外科にいるかといえば。


「佐原主任……カイザー終わったって、学生が呼びにきましたけど?」


 恐る恐る声をかけてくる新人看護師(この春卒業・入職したばかりのハルたちのすぐ上の先輩だ)の後ろに、3人の看護学生が緊張した面持ちで棒立ちしている。

 帝王切開の見学をする学生達を手術室に連れてきて、向こうの看護師にバトンタッチし、終わる頃合いを見計らって外科病棟で時間を潰していたのである。

(母性看護学実習の帝王切開手術見学では手術中の処置および新生児の手当ての見学の指導は手術室配置の看護師が行う。ちなみに、今日の佐原主任は実習指導オンリーのフリーシフトなので、比較的余裕がある勤務ということ)

「あ、行きまーす。ハルくんによろしくって言ってたから。ご主人の治療でメンタルケア外来通うんだって。また会うかもね」


 用件だけ伝えると早足で学生達の方へ向かい……すぐに戻ってきた。


「何か、奥さん、感じ変わってた。前から穏やかで優しい人だったけど、何だか胆が座ったっていうか……強くなった気がする」


 ま、子供を育てるには、強くならざるをえないんだけど……それだけ言い置いて、今度こそかなり足早に去っていった。






「へえ、ミチ姐、そんなこと言っていたのか」
 夕食後、ハルから話を聞いた瑛比古さん、佐原ミチの慧眼に心の中で拍手した。


 実は昼間、やはり佐和子さんが、貴弘さんと弘夢くんを伴って、明知探偵事務所へ訪ねてきた。

 貴弘さんは全ての記憶を取り戻しはしなかったが、佐和子さんが献身的に看病しているためか、少しずつ発語が増え、笑顔も見られるようになってきたと、丸田氏に聞いていた。

 慣れない場所にきて緊張しているのか、最初は表情が強ばっていたが、対照的に、てらいなく人懐っこい笑顔を見せる弘夢くんを見て、ふっと微笑むことがあった。


「記憶がなくても、指は電卓やブラインドタッチを憶えているみたいで。須藤のご両親の紹介で、経理事務の仕事を紹介していただきました。まずは社会復帰のリハビリと言うことで、パートなんですけど」

 生活費については、須藤義正氏から慰謝料を払うという申し出があったが、辞退したと言う。

「元のように暮らせれば十分です、ってお断りしました。だって、あまりにも高額な小切手をお見せになるものだから……」

 ならば、生活が軌道に乗るまでの手助けをさせて欲しいと言われ、お願いすることにしたという。

「……多くを望まない、佐和子さんらしい選択ですね」

「それでも過分なお世話をいただいて、心苦しいくらいです」

 邪気のない笑顔で、申し訳なさそうに、少し目を伏せる仕草は、楚々としていて、しおらしげだ。

(……本当に女は魔物だよ)


 確かに高額過ぎる慰謝料はいらない、元通りの生活に戻るための手助けなら有り難くお受けする、と言うのは、欲が無い、と思える。


 だが相手は天下の須藤建設会長夫妻だ。
 そのコネクションは値千金……この求職難の時代に、なまじっか現金を貰うより、ずっと価値がある。

 いつ回復するか分からない貴弘さんや、これからお金がかかる弘夢くんを抱かえて、元通りの生活に戻るには、資金はいくらあっても足りない。

「そういえば、あの人も経理の仕事していたんだっけ。さすがだよなあ」

 普通の人間なら、目の前に多額の小切手があれば、日々の生活費の援助など目もくれず、飛び付くだろう。


 日々の生活、何年続くかわからない療養生活……それらを試算すれば、一時の大金など、所詮あぶく銭であることを、冷静に判断している。

「やっぱり強い人だよ」

「何が?」

 洗い物を終え、拭いた食器を棚にしまっていたナミが聞き返す。

「女性は強いなあ……って思って」

 子供のために、夫のために、なんであんなに強くなれるのか。

「男がだらしないと、女は強くならざるをえないんだって」

「ナミ……どこでそんな話聞いたんだよ?」

 何となく想像はつくが……一応瑛比古さんは聞いてみる。

「美代子お姉さん。でもお父さんや大兄ちゃんは大丈夫ね、って。だから僕言ったんだ」

「何て?」

「でもお父さんも大兄ちゃんも、自分に関係なく強い女の人が好みだと思うよ、って……」



 瑛比古さんは脱力し、メイと絵本を読んでいたハルは絵本に顔を埋め、一人遅い夕飯を摂っていたキリは大爆笑し……。


 笑い声の中で、ハルにはナミの言葉の続きが聞こえた。

「お母さんみたいな人」

 ああ、そうだな。

 不幸をも幸せに換えてしまう力を持った、強い人。

 母さんも。


 あの人、も。





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 2ヶ月後。
「え! 佐和子さんが?」
「ええ、ご主人と子供さん連れて。大きくなったわねえ。来年は小学生かあ」
 佐原主任が遠い目をする。
 あの後、死に物狂いでレポートを仕上げ、最終週も無事に過ごして、産科病棟の実習は修了した。
 今は外科病棟実習の最中である。
 で、何故に産科病棟の佐原ミチ主任が外科にいるかといえば。
「佐原主任……カイザー終わったって、学生が呼びにきましたけど?」
 恐る恐る声をかけてくる新人看護師(この春卒業・入職したばかりのハルたちのすぐ上の先輩だ)の後ろに、3人の看護学生が緊張した面持ちで棒立ちしている。
 帝王切開の見学をする学生達を手術室に連れてきて、向こうの看護師にバトンタッチし、終わる頃合いを見計らって外科病棟で時間を潰していたのである。
(母性看護学実習の帝王切開手術見学では手術中の処置および新生児の手当ての見学の指導は手術室配置の看護師が行う。ちなみに、今日の佐原主任は実習指導オンリーのフリーシフトなので、比較的余裕がある勤務ということ)
「あ、行きまーす。ハルくんによろしくって言ってたから。ご主人の治療でメンタルケア外来通うんだって。また会うかもね」
 用件だけ伝えると早足で学生達の方へ向かい……すぐに戻ってきた。
「何か、奥さん、感じ変わってた。前から穏やかで優しい人だったけど、何だか胆が座ったっていうか……強くなった気がする」
 ま、子供を育てるには、強くならざるをえないんだけど……それだけ言い置いて、今度こそかなり足早に去っていった。
「へえ、ミチ姐、そんなこと言っていたのか」
 夕食後、ハルから話を聞いた瑛比古さん、佐原ミチの慧眼に心の中で拍手した。
 実は昼間、やはり佐和子さんが、貴弘さんと弘夢くんを伴って、明知探偵事務所へ訪ねてきた。
 貴弘さんは全ての記憶を取り戻しはしなかったが、佐和子さんが献身的に看病しているためか、少しずつ発語が増え、笑顔も見られるようになってきたと、丸田氏に聞いていた。
 慣れない場所にきて緊張しているのか、最初は表情が強ばっていたが、対照的に、てらいなく人懐っこい笑顔を見せる弘夢くんを見て、ふっと微笑むことがあった。
「記憶がなくても、指は電卓やブラインドタッチを憶えているみたいで。須藤のご両親の紹介で、経理事務の仕事を紹介していただきました。まずは社会復帰のリハビリと言うことで、パートなんですけど」
 生活費については、須藤義正氏から慰謝料を払うという申し出があったが、辞退したと言う。
「元のように暮らせれば十分です、ってお断りしました。だって、あまりにも高額な小切手をお見せになるものだから……」
 ならば、生活が軌道に乗るまでの手助けをさせて欲しいと言われ、お願いすることにしたという。
「……多くを望まない、佐和子さんらしい選択ですね」
「それでも過分なお世話をいただいて、心苦しいくらいです」
 邪気のない笑顔で、申し訳なさそうに、少し目を伏せる仕草は、楚々としていて、しおらしげだ。
(……本当に女は魔物だよ)
 確かに高額過ぎる慰謝料はいらない、元通りの生活に戻るための手助けなら有り難くお受けする、と言うのは、欲が無い、と思える。
 だが相手は天下の須藤建設会長夫妻だ。
 そのコネクションは値千金……この求職難の時代に、なまじっか現金を貰うより、ずっと価値がある。
 いつ回復するか分からない貴弘さんや、これからお金がかかる弘夢くんを抱かえて、元通りの生活に戻るには、資金はいくらあっても足りない。
「そういえば、あの人も経理の仕事していたんだっけ。さすがだよなあ」
 普通の人間なら、目の前に多額の小切手があれば、日々の生活費の援助など目もくれず、飛び付くだろう。
 日々の生活、何年続くかわからない療養生活……それらを試算すれば、一時の大金など、所詮あぶく銭であることを、冷静に判断している。
「やっぱり強い人だよ」
「何が?」
 洗い物を終え、拭いた食器を棚にしまっていたナミが聞き返す。
「女性は強いなあ……って思って」
 子供のために、夫のために、なんであんなに強くなれるのか。
「男がだらしないと、女は強くならざるをえないんだって」
「ナミ……どこでそんな話聞いたんだよ?」
 何となく想像はつくが……一応瑛比古さんは聞いてみる。
「美代子お姉さん。でもお父さんや大兄ちゃんは大丈夫ね、って。だから僕言ったんだ」
「何て?」
「でもお父さんも大兄ちゃんも、自分に関係なく強い女の人が好みだと思うよ、って……」
 瑛比古さんは脱力し、メイと絵本を読んでいたハルは絵本に顔を埋め、一人遅い夕飯を摂っていたキリは大爆笑し……。
 笑い声の中で、ハルにはナミの言葉の続きが聞こえた。
「お母さんみたいな人」
 ああ、そうだな。
 不幸をも幸せに換えてしまう力を持った、強い人。
 母さんも。
 あの人、も。