波多野景通(はたのかげみち)が源家を訪れてから二週間後。大きな粒をつけた稲穂が垂れさがる直前の時期に、不穏な噂が流れてくる。
「六年もの時が経てば、そうなるやもしれんが。信じ難い」
「若造の猿知恵ですよ、定清(さだきよ)兄上。他の領地で、その様な話は一切聞きませぬ」
「よもやあったとしても、ただの民衆が起こしたとなろう。己が誇りを汚す行為をするとは思えん」
と、定清、定正(さだまさ)、定光(さだみつ)の三人。源家を治める中心人物らは、影からの報告に怪訝を示していた。
「定正。お前はどう見る」
「領地を狙っているのでしょう。ここの所、特に北条の動きが怪しい故、警戒するに越した事はございますまい」
「先鋒として動いておる可能性、か」
「左様でございます。とはいえ、今は動かない方が宜しいでしょう。万が一事実であったとしたならば、その時に謝罪すれば良いのです」
「ふむ。卸す際、探れるだけ探る様に言っておこう。うめ、そなたの部隊を借りたい」
「心得た。得意な者を数人派遣する」
「恩に着る。たけ殿には黙っていた方が良いな」
「ええ。光正には私から話しましょう」
「良し。この件は一旦ここまでとする。おお、そうじゃ。薬園についてなのだが」
この日は暮れるまで、会合が続いた。
翌日、話を聞いた次期当主の光正(みつまさ)は、どうする事もなく、日課の素振りをしている。
波多野は寝殿に迷い込んで、たけが門まで案内したと話していたが。下見だったのかもしれんな。
何故か苛立ってきた青年は、思いきり木刀を振りおろした。刀の先が地面にぶつかり、小さな穴があく。
「偶然にしろ何にしろ、面倒な奴め。昔から何を考えているか分からん」
たけが知ってしまったら、真相を確かめるべく乗りこみかねない、と光正は思った。
「まあ、問題無いか。波多野領で噂が広またのは先日らしいからな」
人の移動は時間がかかる。距離を考えても最低で一週間は必要だろう。
腹にたまってしまった不穏をはきだすと、光正は素振りを再開した。
ちなみに当の妻は、気晴らしに市へとでかけていた。明心(あこ)もついてきており、少し離れて幽(ゆう)が見張っている。
「やはり外は良いな。見ていて楽しい」
「そろそろ季節の変わり目だし、色んなのがあるしね。お、うまそう」
「おう、坊主。ひとつどうだい」
「ちょうだい。あ、姉貴も食う」
「そうだな、頂こう」
「毎度ぉっ」
三つの軽食と手持ちを交換すると、少し離れた場所に座れるところを見つけ、幽をまじえて軽食をとる。
「んーっ。市が開かれてる日ならでは。うんま」
「平時に外で食事するのも、やはり良いな」
幽が明心の隣で頷く。会話ができない代わりに表情が豊かで、気持ちの疎通がはかりやすい。
「明心。皆とは上手くやっているか」
「うん。最近、平家の人たちと一緒に農作業したり訓練してる」
「訓練? どの様な」
「刀の使い方だよ。おれには小太刀が一番あってるんだとさ」
「戦場に出るつもりか」
「必要なら、ね。できればでたくない」
「出なくてよい。必要ないだろう」
「それじゃあ姉貴の役にたてないじゃん」
「そんな事は気にするな。お前はお前らしく生きていればよいのだ」
よかねぇっつうの、と思いながら口をとがらせる、明心。一方、幽は遠くを見つめていた。
「護身なら構わん。それ以上は他の者たちに任せるのだぞ。いいな」
「はいはい。わっかりましたよーだ」
絶対に分かっていない、と、たけは感じた。ふてくされてそっぽをむくのは、今より体が小さい頃より変わらないからだ。
「全く。そろそろ戻るか。あまり空けていると面目が立たんのでな」
「幽がいても駄目なんだ」
「駄目というより、彼は明心のお目付け役だからな。役割が違う」
「そんなもんかねぇ」
こくこく、と首を縦にふる幽。ふうん、と返した少年は、名残惜しそうに立ちあがると、
「んま、今日で最後ってわけじゃないしな。帰ろっか」
「ああ。また来よう」
男たちは源家の跡取りの正室を館へと送ると、てけてけと平家郎党たちが住まう区画へと歩いていく。
「あんたに色々教わってるって知ったら、ぶん殴られそうだなぁ」
首を傾げた青年は、少年の肩を指でつつく。
「おれだけ殴られるって?」
幽は大きく一回うなづく。
「ええー。共犯者になってくれよ」
今度左右に首を振られた。
「けちぃ」
幽は立ちどまり、地面に文字を書いた。
「されば、何とか、へたらず」
彼が何とかの部分の隣に、をし、とつけ足すと、明心は、さればをしへたらず、と口にした。
「細かいことはいいんだよっ。見て盗めっていうでしょ」
いざとなったら責任転換されそうだ、と思った幽であった。
同時刻、たけが部屋に戻ると、床の間に紙が置いてあった。うっすらと墨の跡が見えるあたり、手紙だろうか。
たけは不思議に思いながら広げると、紙には、平家郎党の生き残りが波多野領地にて重大な事件を起こした、という内容が書かれていた。
「なっ」
手紙を握りつぶすと、光正の名を呼びながらふすまを乱暴に開ける。
「な、何だ。いきなり」
「これは本当なのかっ」
ぐしゃぐしゃになった紙に目を通すと、彼はあ然としてしまう。
「どうなのだ。何か情報は」
「落ち着け。大体、これはどこにあったのだ」
「と、床の間に置いてあった」
「誰が置いた」
「そ、それは」
大きく息をはくと、うめを呼ぶ。
「見覚えは無いか」
「御座いませぬ。少なくとも、私は見たことがない筆跡ですな」
眉間にしわを寄せた乳母は、警戒を強めまする、といって部屋を退出する。
光正は、たけにむき直り、
「気力が戻ったのは喜ばしいが。お前は源家の正室なのだ。忘れるなよ」
「も、申し訳ない」
少し表情を緩め、頭に手をそえる。
「お前が郎党想いなのは承知している。もしまた似た様な事が起こったなら、必ず俺に相談しろ。いいな。勝手な行動は許さんぞ」
「あ、ああ」
「よし。これは俺が預かり、父上にも報告しよう」
「ようやく、落ち着いたかと思ったのに」
ぽそり、とつぶやく、たけ。横目で少々気落ちしている妻を見ながら、光正は黙っていた。
食後、一族の要人たちとうめが集まる。
「直接たけ殿に揺さ振りを掛けに来たか」
「すまぬ。私の落ち度だ」
「お前のせいだけではあるまい。にしても、うめのを突破するなど、大した連中ではないか」
「油断ならんな。兄上、そなたも気をつけよ」
「承知仕る。南方からの品は、より厳しく精査しよう」
「俺も油断しておりました。まさか寝殿に堂々と忍び込むとは」
「しかし、何故彼女の部屋が分かったのだ」
定光の言葉に、一同の表情が曇る。
「普段、たけは野太刀を持ち歩いておりまする。鞘を覚え、床の間を見たのでしょう」
「間者、か。ふむ」
「父上。如何なされましたか」
「いや。わしの目も曇って来たと思うてな」
「少なくとも、私にも先日の席で、その様な雰囲気は感じられませんでしたよ」
「わしもだ。何か景通殿の中できっかけがあったのやもしれんぞ」
「きっかけ、のう」
と、あごに手をやる現当主。
「市で何かあったか」
「あるいは色香に当てられた、か」
笑いながらいう定正の言葉に、光正の顔が険しくなる。
「そう怖い顔をするな。たけ殿はお前に似て不器用な方だ。二股はありえまい。そこが愛らしい所だろう」
上の兄二人は、目を細めて天を仰ぎ、うめは鋭くさせてにらみつける。
「どうにせよ、あちらの動向を伺いつつ警戒を怠らないのが一番です。こちらから仕掛けては思う壺」
「そうだな。うめ、兄上と協力して調べを迅速に進めよ」
「御意」
話し合いは解散となったが、光正の心は、部屋に戻ってもとらわれたままだった。
【注釈】
さればをしへたらず↓されば教へたらず
・意味
そもそも教えていない