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第二十巻

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 波多野景通(はたのかげみち)が源家を訪れてから二週間後。大きな粒をつけた稲穂が垂れさがる直前の時期に、不穏な噂が流れてくる。
 「六年もの時が経てば、そうなるやもしれんが。信じ難い」
 「若造の猿知恵ですよ、定清(さだきよ)兄上。他の領地で、その様な話は一切聞きませぬ」
 「よもやあったとしても、ただの民衆が起こしたとなろう。己が誇りを汚す行為をするとは思えん」
 と、定清、定正(さだまさ)、定光(さだみつ)の三人。源家を治める中心人物らは、影からの報告に怪訝を示していた。
 「定正。お前はどう見る」
 「領地を狙っているのでしょう。ここの所、特に北条の動きが怪しい故、警戒するに越した事はございますまい」
 「先鋒として動いておる可能性、か」
 「左様でございます。とはいえ、今は動かない方が宜しいでしょう。万が一事実であったとしたならば、その時に謝罪すれば良いのです」
 「ふむ。卸す際、探れるだけ探る様に言っておこう。うめ、そなたの部隊を借りたい」
 「心得た。得意な者を数人派遣する」
 「恩に着る。たけ殿には黙っていた方が良いな」
 「ええ。光正には私から話しましょう」
 「良し。この件は一旦ここまでとする。おお、そうじゃ。薬園についてなのだが」
 この日は暮れるまで、会合が続いた。
 翌日、話を聞いた次期当主の光正(みつまさ)は、どうする事もなく、日課の素振りをしている。
 波多野は寝殿に迷い込んで、たけが門まで案内したと話していたが。下見だったのかもしれんな。
 何故か苛立ってきた青年は、思いきり木刀を振りおろした。刀の先が地面にぶつかり、小さな穴があく。
 「偶然にしろ何にしろ、面倒な奴め。昔から何を考えているか分からん」
 たけが知ってしまったら、真相を確かめるべく乗りこみかねない、と光正は思った。
 「まあ、問題無いか。波多野領で噂が広またのは先日らしいからな」
 人の移動は時間がかかる。距離を考えても最低で一週間は必要だろう。
 腹にたまってしまった不穏をはきだすと、光正は素振りを再開した。
 ちなみに当の妻は、気晴らしに市へとでかけていた。明心(あこ)もついてきており、少し離れて幽(ゆう)が見張っている。
 「やはり外は良いな。見ていて楽しい」
 「そろそろ季節の変わり目だし、色んなのがあるしね。お、うまそう」
 「おう、坊主。ひとつどうだい」
 「ちょうだい。あ、姉貴も食う」
 「そうだな、頂こう」
 「毎度ぉっ」
 三つの軽食と手持ちを交換すると、少し離れた場所に座れるところを見つけ、幽をまじえて軽食をとる。
 「んーっ。市が開かれてる日ならでは。うんま」
 「平時に外で食事するのも、やはり良いな」
 幽が明心の隣で頷く。会話ができない代わりに表情が豊かで、気持ちの疎通がはかりやすい。
 「明心。皆とは上手くやっているか」
 「うん。最近、平家の人たちと一緒に農作業したり訓練してる」
 「訓練? どの様な」
 「刀の使い方だよ。おれには小太刀が一番あってるんだとさ」
 「戦場に出るつもりか」
 「必要なら、ね。できればでたくない」
 「出なくてよい。必要ないだろう」
 「それじゃあ姉貴の役にたてないじゃん」
 「そんな事は気にするな。お前はお前らしく生きていればよいのだ」
 よかねぇっつうの、と思いながら口をとがらせる、明心。一方、幽は遠くを見つめていた。
 「護身なら構わん。それ以上は他の者たちに任せるのだぞ。いいな」
 「はいはい。わっかりましたよーだ」
 絶対に分かっていない、と、たけは感じた。ふてくされてそっぽをむくのは、今より体が小さい頃より変わらないからだ。
 「全く。そろそろ戻るか。あまり空けていると面目が立たんのでな」
 「幽がいても駄目なんだ」
 「駄目というより、彼は明心のお目付け役だからな。役割が違う」
 「そんなもんかねぇ」
 こくこく、と首を縦にふる幽。ふうん、と返した少年は、名残惜しそうに立ちあがると、
 「んま、今日で最後ってわけじゃないしな。帰ろっか」
 「ああ。また来よう」
 男たちは源家の跡取りの正室を館へと送ると、てけてけと平家郎党たちが住まう区画へと歩いていく。
 「あんたに色々教わってるって知ったら、ぶん殴られそうだなぁ」
 首を傾げた青年は、少年の肩を指でつつく。
 「おれだけ殴られるって?」
 幽は大きく一回うなづく。
 「ええー。共犯者になってくれよ」
 今度左右に首を振られた。
 「けちぃ」
 幽は立ちどまり、地面に文字を書いた。
 「されば、何とか、へたらず」
 彼が何とかの部分の隣に、をし、とつけ足すと、明心は、さればをしへたらず、と口にした。
 「細かいことはいいんだよっ。見て盗めっていうでしょ」
 いざとなったら責任転換されそうだ、と思った幽であった。
 同時刻、たけが部屋に戻ると、床の間に紙が置いてあった。うっすらと墨の跡が見えるあたり、手紙だろうか。
 たけは不思議に思いながら広げると、紙には、平家郎党の生き残りが波多野領地にて重大な事件を起こした、という内容が書かれていた。
 「なっ」
 手紙を握りつぶすと、光正の名を呼びながらふすまを乱暴に開ける。
 「な、何だ。いきなり」
 「これは本当なのかっ」
 ぐしゃぐしゃになった紙に目を通すと、彼はあ然としてしまう。
 「どうなのだ。何か情報は」
 「落ち着け。大体、これはどこにあったのだ」
 「と、床の間に置いてあった」
 「誰が置いた」
 「そ、それは」
 大きく息をはくと、うめを呼ぶ。
 「見覚えは無いか」
 「御座いませぬ。少なくとも、私は見たことがない筆跡ですな」
 眉間にしわを寄せた乳母は、警戒を強めまする、といって部屋を退出する。
 光正は、たけにむき直り、
 「気力が戻ったのは喜ばしいが。お前は源家の正室なのだ。忘れるなよ」
 「も、申し訳ない」
 少し表情を緩め、頭に手をそえる。
 「お前が郎党想いなのは承知している。もしまた似た様な事が起こったなら、必ず俺に相談しろ。いいな。勝手な行動は許さんぞ」
 「あ、ああ」
 「よし。これは俺が預かり、父上にも報告しよう」
 「ようやく、落ち着いたかと思ったのに」
 ぽそり、とつぶやく、たけ。横目で少々気落ちしている妻を見ながら、光正は黙っていた。
 食後、一族の要人たちとうめが集まる。
 「直接たけ殿に揺さ振りを掛けに来たか」
 「すまぬ。私の落ち度だ」
 「お前のせいだけではあるまい。にしても、うめのを突破するなど、大した連中ではないか」
 「油断ならんな。兄上、そなたも気をつけよ」
 「承知仕る。南方からの品は、より厳しく精査しよう」
 「俺も油断しておりました。まさか寝殿に堂々と忍び込むとは」
 「しかし、何故彼女の部屋が分かったのだ」
 定光の言葉に、一同の表情が曇る。
 「普段、たけは野太刀を持ち歩いておりまする。鞘を覚え、床の間を見たのでしょう」
 「間者、か。ふむ」
 「父上。如何なされましたか」
 「いや。わしの目も曇って来たと思うてな」
 「少なくとも、私にも先日の席で、その様な雰囲気は感じられませんでしたよ」
 「わしもだ。何か景通殿の中できっかけがあったのやもしれんぞ」
 「きっかけ、のう」
 と、あごに手をやる現当主。
 「市で何かあったか」
 「あるいは色香に当てられた、か」
 笑いながらいう定正の言葉に、光正の顔が険しくなる。
 「そう怖い顔をするな。たけ殿はお前に似て不器用な方だ。二股はありえまい。そこが愛らしい所だろう」
 上の兄二人は、目を細めて天を仰ぎ、うめは鋭くさせてにらみつける。
 「どうにせよ、あちらの動向を伺いつつ警戒を怠らないのが一番です。こちらから仕掛けては思う壺」
 「そうだな。うめ、兄上と協力して調べを迅速に進めよ」
 「御意」
 話し合いは解散となったが、光正の心は、部屋に戻ってもとらわれたままだった。
 
 【注釈】
 さればをしへたらず↓されば教へたらず
 ・意味
 そもそも教えていない


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 「六年もの時が経てば、そうなるやもしれんが。信じ難い」
 「若造の猿知恵ですよ、定清(さだきよ)兄上。他の領地で、その様な話は一切聞きませぬ」
 「よもやあったとしても、ただの民衆が起こしたとなろう。己が誇りを汚す行為をするとは思えん」
 と、定清、定正(さだまさ)、定光(さだみつ)の三人。源家を治める中心人物らは、影からの報告に怪訝を示していた。
 「定正。お前はどう見る」
 「領地を狙っているのでしょう。ここの所、特に北条の動きが怪しい故、警戒するに越した事はございますまい」
 「先鋒として動いておる可能性、か」
 「左様でございます。とはいえ、今は動かない方が宜しいでしょう。万が一事実であったとしたならば、その時に謝罪すれば良いのです」
 「ふむ。卸す際、探れるだけ探る様に言っておこう。うめ、そなたの部隊を借りたい」
 「心得た。得意な者を数人派遣する」
 「恩に着る。たけ殿には黙っていた方が良いな」
 「ええ。光正には私から話しましょう」
 「良し。この件は一旦ここまでとする。おお、そうじゃ。薬園についてなのだが」
 この日は暮れるまで、会合が続いた。
 翌日、話を聞いた次期当主の光正(みつまさ)は、どうする事もなく、日課の素振りをしている。
 波多野は寝殿に迷い込んで、たけが門まで案内したと話していたが。下見だったのかもしれんな。
 何故か苛立ってきた青年は、思いきり木刀を振りおろした。刀の先が地面にぶつかり、小さな穴があく。
 「偶然にしろ何にしろ、面倒な奴め。昔から何を考えているか分からん」
 たけが知ってしまったら、真相を確かめるべく乗りこみかねない、と光正は思った。
 「まあ、問題無いか。波多野領で噂が広またのは先日らしいからな」
 人の移動は時間がかかる。距離を考えても最低で一週間は必要だろう。
 腹にたまってしまった不穏をはきだすと、光正は素振りを再開した。
 ちなみに当の妻は、気晴らしに市へとでかけていた。明心(あこ)もついてきており、少し離れて幽(ゆう)が見張っている。
 「やはり外は良いな。見ていて楽しい」
 「そろそろ季節の変わり目だし、色んなのがあるしね。お、うまそう」
 「おう、坊主。ひとつどうだい」
 「ちょうだい。あ、姉貴も食う」
 「そうだな、頂こう」
 「毎度ぉっ」
 三つの軽食と手持ちを交換すると、少し離れた場所に座れるところを見つけ、幽をまじえて軽食をとる。
 「んーっ。市が開かれてる日ならでは。うんま」
 「平時に外で食事するのも、やはり良いな」
 幽が明心の隣で頷く。会話ができない代わりに表情が豊かで、気持ちの疎通がはかりやすい。
 「明心。皆とは上手くやっているか」
 「うん。最近、平家の人たちと一緒に農作業したり訓練してる」
 「訓練? どの様な」
 「刀の使い方だよ。おれには小太刀が一番あってるんだとさ」
 「戦場に出るつもりか」
 「必要なら、ね。できればでたくない」
 「出なくてよい。必要ないだろう」
 「それじゃあ姉貴の役にたてないじゃん」
 「そんな事は気にするな。お前はお前らしく生きていればよいのだ」
 よかねぇっつうの、と思いながら口をとがらせる、明心。一方、幽は遠くを見つめていた。
 「護身なら構わん。それ以上は他の者たちに任せるのだぞ。いいな」
 「はいはい。わっかりましたよーだ」
 絶対に分かっていない、と、たけは感じた。ふてくされてそっぽをむくのは、今より体が小さい頃より変わらないからだ。
 「全く。そろそろ戻るか。あまり空けていると面目が立たんのでな」
 「幽がいても駄目なんだ」
 「駄目というより、彼は明心のお目付け役だからな。役割が違う」
 「そんなもんかねぇ」
 こくこく、と首を縦にふる幽。ふうん、と返した少年は、名残惜しそうに立ちあがると、
 「んま、今日で最後ってわけじゃないしな。帰ろっか」
 「ああ。また来よう」
 男たちは源家の跡取りの正室を館へと送ると、てけてけと平家郎党たちが住まう区画へと歩いていく。
 「あんたに色々教わってるって知ったら、ぶん殴られそうだなぁ」
 首を傾げた青年は、少年の肩を指でつつく。
 「おれだけ殴られるって?」
 幽は大きく一回うなづく。
 「ええー。共犯者になってくれよ」
 今度左右に首を振られた。
 「けちぃ」
 幽は立ちどまり、地面に文字を書いた。
 「されば、何とか、へたらず」
 彼が何とかの部分の隣に、をし、とつけ足すと、明心は、さればをしへたらず、と口にした。
 「細かいことはいいんだよっ。見て盗めっていうでしょ」
 いざとなったら責任転換されそうだ、と思った幽であった。
 同時刻、たけが部屋に戻ると、床の間に紙が置いてあった。うっすらと墨の跡が見えるあたり、手紙だろうか。
 たけは不思議に思いながら広げると、紙には、平家郎党の生き残りが波多野領地にて重大な事件を起こした、という内容が書かれていた。
 「なっ」
 手紙を握りつぶすと、光正の名を呼びながらふすまを乱暴に開ける。
 「な、何だ。いきなり」
 「これは本当なのかっ」
 ぐしゃぐしゃになった紙に目を通すと、彼はあ然としてしまう。
 「どうなのだ。何か情報は」
 「落ち着け。大体、これはどこにあったのだ」
 「と、床の間に置いてあった」
 「誰が置いた」
 「そ、それは」
 大きく息をはくと、うめを呼ぶ。
 「見覚えは無いか」
 「御座いませぬ。少なくとも、私は見たことがない筆跡ですな」
 眉間にしわを寄せた乳母は、警戒を強めまする、といって部屋を退出する。
 光正は、たけにむき直り、
 「気力が戻ったのは喜ばしいが。お前は源家の正室なのだ。忘れるなよ」
 「も、申し訳ない」
 少し表情を緩め、頭に手をそえる。
 「お前が郎党想いなのは承知している。もしまた似た様な事が起こったなら、必ず俺に相談しろ。いいな。勝手な行動は許さんぞ」
 「あ、ああ」
 「よし。これは俺が預かり、父上にも報告しよう」
 「ようやく、落ち着いたかと思ったのに」
 ぽそり、とつぶやく、たけ。横目で少々気落ちしている妻を見ながら、光正は黙っていた。
 食後、一族の要人たちとうめが集まる。
 「直接たけ殿に揺さ振りを掛けに来たか」
 「すまぬ。私の落ち度だ」
 「お前のせいだけではあるまい。にしても、うめのを突破するなど、大した連中ではないか」
 「油断ならんな。兄上、そなたも気をつけよ」
 「承知仕る。南方からの品は、より厳しく精査しよう」
 「俺も油断しておりました。まさか寝殿に堂々と忍び込むとは」
 「しかし、何故彼女の部屋が分かったのだ」
 定光の言葉に、一同の表情が曇る。
 「普段、たけは野太刀を持ち歩いておりまする。鞘を覚え、床の間を見たのでしょう」
 「間者、か。ふむ」
 「父上。如何なされましたか」
 「いや。わしの目も曇って来たと思うてな」
 「少なくとも、私にも先日の席で、その様な雰囲気は感じられませんでしたよ」
 「わしもだ。何か景通殿の中できっかけがあったのやもしれんぞ」
 「きっかけ、のう」
 と、あごに手をやる現当主。
 「市で何かあったか」
 「あるいは色香に当てられた、か」
 笑いながらいう定正の言葉に、光正の顔が険しくなる。
 「そう怖い顔をするな。たけ殿はお前に似て不器用な方だ。二股はありえまい。そこが愛らしい所だろう」
 上の兄二人は、目を細めて天を仰ぎ、うめは鋭くさせてにらみつける。
 「どうにせよ、あちらの動向を伺いつつ警戒を怠らないのが一番です。こちらから仕掛けては思う壺」
 「そうだな。うめ、兄上と協力して調べを迅速に進めよ」
 「御意」
 話し合いは解散となったが、光正の心は、部屋に戻ってもとらわれたままだった。
 【注釈】
 さればをしへたらず↓されば教へたらず
 ・意味
 そもそも教えていない