大山参道
ー/ー
西那須野駅で二人は電車を降りた。
改札は西口にあり、構内にある跨線橋を渡り、東口に回る。
人影はまばらだった。ジュディスはイギリス郊外の駅にいるような感じがして気が安らいだ。季節は秋が深まる十一月下旬だ。キルトコートが防寒対策の役を果たしている。
「少し冷えるかもしれない」と言う栄一にジュディスはコートの襟を合わせた。
「ロンドンはここより北にあるけど、暖かいから」
「温暖な海洋性気候の土地だったな。でも、この季節の日の出は七時半頃だったっけか。十六時には陽が沈んでいた」
栄一はイギリスの冬の夜の長さを思い出したようだ。
「何か食べるかい?」
周囲を見渡して、かつてのハモンド家ゲストは、ジュディスに聞いた。
「あそこのお店に入ってみない? あれはレストランでしょ」
ジュディスが指差したのは蕎麦屋だった。すがれた暖簾が寒風にあおられはためいている。
栄一は笑った。
「いつからそんなチャレンジャーになったんだ」
「どういうこと」
「ロンドンにラーメン屋はあったっけ?」
「ええ、でも私は入ったことはないわ。友達がローストビーフラーメンを食べたって自慢をしていたけど……」
「なんだそれは? 高そうだな」
「そうよ、学生が簡単に入れるファストフード店ではないもの」
「ジュディス、あの店はジャパニーズヌードルの店だ。君は食事の無音教育をうけているから、きっと不快になると思うよ。日本人の食文化ではヌードルは盛大な音をたてて啜るものなんだ」
なんだ、そんなことかという顔をしてジュディスは蕎麦屋に向かい、栄一は慌てて後を追った。
青い目のブロンド女性の入店に若干の緊張が生まれた店内で椅子をひいてジュディスを座らせ、栄一はメニュー内容を彼女に説明した。『きつね蕎麦』が選ばれた。「きつねなんてかわいいじゃない」と言われたものだ。
「君の決断を尊重するけど、箸のかわりにフォークをもらおうか?」
「大丈夫。箸は中華でも使っているわ」
少しムキになってジュディスは栄一の提案を謝絶した。見くびらないでちょうだいという顔をしている。
出てきた蕎麦のどこが『FOX』なのだと不平を鳴らしたが、無音教育で育ったはずのジュディスの頬がすぼめられ、蕎麦が派手な音とともに彼女の口の中に吸い込まれてゆく。栄一は驚きの声を漏らした。
「どこで練習してきたんだ」
「ひそかにね。部屋で『ポット・ヌードル』を食べ続けて」
麺類をすすり上げる技術の練習台となった、独特の味わいで名高いカップ麺の名があげられる。
まずまずの手つきで箸をあやつりながら、彼女は豪快に蕎麦をすすり上げる。きっと家族や、友人たちの前では披露できず、せっかくの技術を眠らせざるをえなかったフラストレーションをここで晴らすつもりなのだろう。
「僕が啜る音をたてても、君は大丈夫なのか」
「やってみて」
栄一は蕎麦をすすった。
ジュディスは笑みを漏らして言った。
「美しい音。大丈夫……あなたを嫌いになることはないし、私も自分の技に磨きをかけることにする」
栄一は笑った。
「もう十分、ネイティブの食べ手になっているよ」
「スープの味が面白いわ。それにこのふわふわした食べ物。『ポット・ヌードル』より美味しいかも」
きつね蕎麦の語源となったきつねが好物だという揚げを器用に持ち上げ、つゆも音をたててすする。
「甘じょっぱいと言うんだけどね、こちらでは。それに……『ポット・ヌードル』より美味しいと言われて光栄に思う店は少ないと思うよ」栄一はジュディスの感想への評価を口にした。
蕎麦を食べ終えた二人は店を出て駅前から真っ直ぐにのびる道を進んだ。
ほどなく、人だかりのある賑やかなスポットにたどりつく。
「ここね」
ジュディスは栄一にふりかえってにこやかに言った。目的地に辿りついたのだ。ロンドンを出てから、十五時間が経過していた。
「大山参道よ」
大山巌元帥の墓所とそこに連なる参道が彼女の目の前にあった。
この日をどれだけ待ち望んだことだろう。
さっき栄一が私のことを変わっていると言ったけど、そのとおり。でも、私の中の日本は、まず大山巌元帥ありきなの。
ジュディスは心中でつぶやいた。
参道は南北に走っている。自分たちが歩いてきた通りが参道を横切っており、その南側に高い石塔が見えた。
「慰霊塔らしいね。戦没者の」
栄一が石碑の解説を見て言った。
おりしも紅葉の盛りの季節だ。
参道の両側に植えられたイロハモミジが見事に色づいていた。
「ワオ!」
ジュディスは思わず声をあげた。
「綺麗だわ、とても綺麗」
通りから慰霊塔の方を見ると参道の左右に濃淡の違いはあるが、オレンジ色のモミジのトンネルが続き、その奥に一本だけ黄色のモミジがあり、人目をひいている。
「この慰霊塔の反対側、参道の北の端に大山巌元帥の墓所があるって」
「知っているわ」
ジュディスは何度も何度も繰り返し見たネット画像を思い出した。
二人は墓所に向かった。
参道のモミジの色が変化した。
南側と違いモミジは一色だけではなかった。黄色、オレンジ、赤、深紅、それに緑、それらが交ざり合い、思わず見とれてしまうほどに美しかった。
「素敵ね」
手を差し伸べるかのように、色づいたモミジが枝を垂らしている。
歩を進めると、色とりどりのモミジが折り重なるように次から次へと現れ、その色彩が遠近感を際立たせ、参道を奥行き深いものにしていた。
玉砂利を踏む足音が心地よい。ジュディスはその音を愉しんだ。
落ち葉が参道に積もり、玉砂利の道を赤く染めている。
振り返ると高々としたもみじのてっぺんにある葉の茂みが霞のように見え、黒々とした枝のシルエットとともに、背景となる曇った灰白色の空に影絵のように浮かび上がっていた。
前方で、ここでも道路が参道を横切っている。
道路のむこう側で参道の両側に植えられたモミジ並木が杉木立にかわっている。
杉木立の前に二基の石灯籠が立てられ、そこから先が神聖なエリアであることを伝えていた。
高々と聳える杉木立に囲まれた参道の静けさが背後のモミジ並木に囲まれた賑やかさとは対照的だった。
木立の先に大山巌墓所がある。
墓所の木の扉は閉ざされていた。
「残念だな、ジュディス」
「いいんです。私はこの地に来れたことを神に感謝します」
扉の上に石の鳥居の頭がわずかにのぞいている。
「あの鳥居の先にお墓があるのよ」
栄一にジュディスが教えた。
墓所に向かってジュディスはしばし、手を合わせて頭を垂れた。
まさしく彼女にとっての聖地巡礼だった。
(大山巌元帥、やっとあなたにお会いできました)
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改札は西口にあり、構内にある跨線橋を渡り、東口に回る。
人影はまばらだった。ジュディスはイギリス郊外の駅にいるような感じがして気が安らいだ。季節は秋が深まる十一月下旬だ。キルトコートが防寒対策の役を果たしている。
「少し冷えるかもしれない」と言う栄一にジュディスはコートの襟を合わせた。
「ロンドンはここより北にあるけど、暖かいから」
「温暖な海洋性気候の土地だったな。でも、この季節の日の出は七時半頃だったっけか。十六時には陽が沈んでいた」
栄一はイギリスの冬の夜の長さを思い出したようだ。
「何か食べるかい?」
周囲を見渡して、かつてのハモンド家ゲストは、ジュディスに聞いた。
「あそこのお店に入ってみない? あれはレストランでしょ」
ジュディスが指差したのは蕎麦屋だった。すがれた暖簾が寒風にあおられはためいている。
栄一は笑った。
「いつからそんなチャレンジャーになったんだ」
「どういうこと」
「ロンドンにラーメン屋はあったっけ?」
「ええ、でも私は入ったことはないわ。友達がローストビーフラーメンを食べたって自慢をしていたけど……」
「なんだそれは? 高そうだな」
「そうよ、学生が簡単に入れるファストフード店ではないもの」
「ジュディス、あの店はジャパニーズヌードルの店だ。君は食事の無音教育をうけているから、きっと不快になると思うよ。日本人の食文化ではヌードルは盛大な音をたてて啜るものなんだ」
なんだ、そんなことかという顔をしてジュディスは蕎麦屋に向かい、栄一は慌てて後を追った。
青い目のブロンド女性の入店に若干の緊張が生まれた店内で椅子をひいてジュディスを座らせ、栄一はメニュー内容を彼女に説明した。『きつね蕎麦』が選ばれた。「きつねなんてかわいいじゃない」と言われたものだ。
「君の決断を尊重するけど、箸のかわりにフォークをもらおうか?」
「大丈夫。箸は中華でも使っているわ」
少しムキになってジュディスは栄一の提案を謝絶した。見くびらないでちょうだいという顔をしている。
出てきた蕎麦のどこが『FOX』なのだと不平を鳴らしたが、無音教育で育ったはずのジュディスの頬がすぼめられ、蕎麦が派手な音とともに彼女の口の中に吸い込まれてゆく。栄一は驚きの声を漏らした。
「どこで練習してきたんだ」
「ひそかにね。部屋で『ポット・ヌードル』を食べ続けて」
麺類をすすり上げる技術の練習台となった、独特の味わいで名高いカップ麺の名があげられる。
まずまずの手つきで箸をあやつりながら、彼女は豪快に蕎麦をすすり上げる。きっと家族や、友人たちの前では披露できず、せっかくの技術を眠らせざるをえなかったフラストレーションをここで晴らすつもりなのだろう。
「僕が啜る音をたてても、君は大丈夫なのか」
「やってみて」
栄一は蕎麦をすすった。
ジュディスは笑みを漏らして言った。
「美しい音。大丈夫……あなたを嫌いになることはないし、私も自分の技に磨きをかけることにする」
栄一は笑った。
「もう十分、ネイティブの食べ手になっているよ」
「スープの味が面白いわ。それにこのふわふわした食べ物。『ポット・ヌードル』より美味しいかも」
きつね蕎麦の語源となったきつねが好物だという揚げを器用に持ち上げ、つゆも音をたててすする。
「甘じょっぱいと言うんだけどね、こちらでは。それに……『ポット・ヌードル』より美味しいと言われて光栄に思う店は少ないと思うよ」栄一はジュディスの感想への評価を口にした。
蕎麦を食べ終えた二人は店を出て駅前から真っ直ぐにのびる道を進んだ。
ほどなく、人だかりのある賑やかなスポットにたどりつく。
「ここね」
ジュディスは栄一にふりかえってにこやかに言った。目的地に辿りついたのだ。ロンドンを出てから、十五時間が経過していた。
「大山参道よ」
大山巌元帥の墓所とそこに連なる参道が彼女の目の前にあった。
この日をどれだけ待ち望んだことだろう。
さっき栄一が私のことを変わっていると言ったけど、そのとおり。でも、私の中の日本は、まず大山巌元帥ありきなの。
ジュディスは心中でつぶやいた。
参道は南北に走っている。自分たちが歩いてきた通りが参道を横切っており、その南側に高い石塔が見えた。
「慰霊塔らしいね。戦没者の」
栄一が石碑の解説を見て言った。
おりしも紅葉の盛りの季節だ。
参道の両側に植えられたイロハモミジが見事に色づいていた。
「ワオ!」
ジュディスは思わず声をあげた。
「綺麗だわ、とても綺麗」
通りから慰霊塔の方を見ると参道の左右に濃淡の違いはあるが、オレンジ色のモミジのトンネルが続き、その奥に一本だけ黄色のモミジがあり、人目をひいている。
「この慰霊塔の反対側、参道の北の端に大山巌元帥の墓所があるって」
「知っているわ」
ジュディスは何度も何度も繰り返し見たネット画像を思い出した。
二人は墓所に向かった。
参道のモミジの色が変化した。
南側と違いモミジは一色だけではなかった。黄色、オレンジ、赤、深紅、それに緑、それらが交ざり合い、思わず見とれてしまうほどに美しかった。
「素敵ね」
手を差し伸べるかのように、色づいたモミジが枝を垂らしている。
歩を進めると、色とりどりのモミジが折り重なるように次から次へと現れ、その色彩が遠近感を際立たせ、参道を奥行き深いものにしていた。
玉砂利を踏む足音が心地よい。ジュディスはその音を愉しんだ。
落ち葉が参道に積もり、玉砂利の道を赤く染めている。
振り返ると高々としたもみじのてっぺんにある葉の茂みが霞のように見え、黒々とした枝のシルエットとともに、背景となる曇った灰白色の空に影絵のように浮かび上がっていた。
前方で、ここでも道路が参道を横切っている。
道路のむこう側で参道の両側に植えられたモミジ並木が杉木立にかわっている。
杉木立の前に二基の石灯籠が立てられ、そこから先が神聖なエリアであることを伝えていた。
高々と聳える杉木立に囲まれた参道の静けさが背後のモミジ並木に囲まれた賑やかさとは対照的だった。
木立の先に大山巌墓所がある。
墓所の木の扉は閉ざされていた。
「残念だな、ジュディス」
「いいんです。私はこの地に来れたことを神に感謝します」
扉の上に石の鳥居の頭がわずかにのぞいている。
「あの鳥居の先にお墓があるのよ」
栄一にジュディスが教えた。
墓所に向かってジュディスはしばし、手を合わせて頭を垂れた。
まさしく彼女にとっての聖地巡礼だった。
(大山巌元帥、やっとあなたにお会いできました)