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高石は窓側の席でコーヒーを飲んでいた。

「お待たせしました」と、二席開けて安立も座った。
目の前には人が今でも住んでいるような明かりを灯した、大阪城がライトアップされている。

「ほら」と、高石が安立に渡してきたのは、ホットケーキ味と写真がある缶ジュース。

「おもろいやろ。疲れてる体には、甘いもんがええやろうと思ってな。まあ、先輩からの差し入れや」

高石はいかにもな顔をしているつもりだろうが、分厚い頬の肉が小刻みに震えている。女みたいな嫌がらせをする、女々しい奴だ。

「いただきます」安立はジュースを一気に飲み干した。
「甘かったけど、脳には、いい刺激ですわ。ありがとうございました」

缶にプリントされた通りホットケーキの味だが、噛むのではなく、液体を流し込むという行為が、何とも表現しがたい飲み物だった。それに口の中でクソ甘ったるい味が残って、口を濯(ゆす)ぎたい。

「ほらこれ」

面白くなさそうに高石が大阪府警と印字された白い封筒を、机に滑らせて寄越してきた。
安立は何も言わずに中を取り出して目を通す。

「そこに映ってる車やけど、滋賀県から入ってきとる。追跡した詳細を書いてあるやろ?」
「これが?」
「現金輸送車強奪犯が乗ってたと思われる、いや、乗ってた車や。時間も確認してみろ。襲撃事件があって時間を逆算しても、ちょっと合わへんのがわかるやろ」

高石の言いたいことが、やっとわかった。

「宮本を何処かで下ろすのに掛かった時間ですね」

高石は大阪城を見ながら缶の紅茶を飲んだ。

「宮本がその車に乗ってる様子はなかったわ。そんだけや。阿呆だら」と、余計な一言を付けて、先に席を立った。
 ふとどうして高石が自分に、こんなにも悪態をつくのかが気になった。

「すんません。高石さんは何で、自分を毛嫌いしてるんですか?」

 座ったままの安立を、立ったままの高石が見下ろしていた。

「毛嫌いちゃう。大嫌いやねん。何か文句あるんか」

高石の組んだ腕がちゃんと組めていない。

「だから、理由ですよ。理由。この際やから聞きたくなったんで」
「理由? そんなもん全部や! 全部が嫌いや。ヴァレンタインには本部中の女からちゃうかってくらいのチョコをもらってたり、背が高かったり、結婚してバツイチで子持ちやったり、全部や。何か文句あるんか」

 何かよく分からない理由ではあったが、安立が気にする程の理由でもない気がした。それにこれだけ威張って言われると、清々しいし、好感が持てた。安立はこういう人間は嫌いではなかった。
 高石はフンッと勢いよく鼻をならして、食堂を出て行った。
安立も萱島と合流して釣鐘が用意した会議室に入った。

「どうやった?」釣鐘は挨拶早々に情報を求めてきた。

「遠野は一度、ブラックリストに載ったみたいです。でも、少し前に借金を全額、返済してます。それと、家にも寄ってみました」
「遠野の家にか?」

釣鐘は、安立の行動を大胆だと感じたのか、突いていた頬杖を止めた。

「ちょうど捜査で近くを通ったからと。遠野の奥さんとは顔見知りなんで」
「怪しまれんかったか?」

釣鐘の眉間に、深く皺が刻み込まれた。

「心配ないでしょ。奥さんは最近、様子がおかしいと言ってはりました。どこか憔悴(しょうすい)しているような感じだ、と」
「そんな風には見えんかったけど、夫婦やな」

釣鐘の腕を組んで感慨深くなっている姿は、今の状況には異質に見える。

「それよりや。借金が全額返済されてたってのは、どれくらいや」
「七〇〇万弱です」

答えたのは萱島だった。

「金の動きは、どうやった?」

釣鐘は、萱島に体を向けた。

「明日、口座確認を、依頼した銀行に聞き取りに行く予定です。口座名は遠野潤一と遠野幸美。念のために、今は亡くなっている遠野の実父である遠野次郎です」
「そうか。わかった。なるべく急いで洗ってくれ」

釣鐘が席を立ち、部屋を出て行く。

「そうや、安立。連絡あったか?」

ドアを締める間際に釣鐘が振り返って聞いてきた。何のことか安立には直ぐに理解できた。

「ありました。滋賀県かもしれませんわ」

釣鐘はそのまま返事をせずに二人に背を向け、軽く手を上げただけだった。
捜査員が集まっている部屋に向かう途中だった。

「滋賀って、もしかして、宮本ですか?」

萱島に話したつもりになっていた安立は、何を今更と思って直ぐに、思い違いをしていたのに気付いた。

「そうや。逃走した犯人は車を乗り換えて、滋賀を通ってるみたいなんや。すまん。言うの忘れとったわ」
「ちょっと待って下さいよ。いつ、そんな情報を仕入れたんですか? ずっと一緒におったのに」

珍しく萱島が拗ねている。一課の高石からだと喉まで出かけたが、仲がいいと思われるのも何だか嫌だ。口から出たのが「俺はモテるからな」だった。
嫌い嫌いも好きの内というし、嘘ではない、と胸の内で弁明しておいた。

「何か、それ、めっちゃ笑えないないんですけど」と、ぶつぶつとボヤいていた。

「しかしどうしたもんかな」

安立は萱島の頭を鷲掴みした。

「折角、セットしなおして、いい感じのクネリができてたのに!」
「そう怒りなさんな。明日は滋賀県に人をやるけど、遠野の耳には入れたくないんや」

萱島は安立が何を言い出そうとしているのか、見当もつかないのか、しげしげと顔を見てくる。

「ちょっと芝居でも、打ってみるか。この後の捜査会議にお前は遅れると俺に電話を入れる」
「それは、無理があるんとちゃいますか? 一緒に動いてるのに」
「そうや。でも、お前が腹を下して、急いで来ようとして足を挫くんや。ほんで、俺が遠野に迎えに行かせる」

少し、いやかなり無理があるかもしれないが、遠野に一旦、部屋に出てもらうには、それしか案が浮かばなかった。

「何か、吉本のコントでありそうな感じちゃいます?」
「しゃあないやろ? 通話は、オンにしたままにしとけ。遠野が確実にお前をと接触したのを確認してから、皆には報告するから」

萱島は、苦いものでも噛んでしまった顔をしていた。

「お腹を下さんでも、いいんとちゃいますか? 足だけで。お腹下すって、ダサいし」
「腹を下さな、この新喜劇は、始まらんからな。それでいこ」

安立は強引に計画を進めることにした。
予定通り安立だけ部屋に入った。捜査員の面々はすでに集まっている。

「ほんだら始めようか」安立も椅子に座る。
「萱島は?」

気付いて声にしたのは藤井だった。

「今日一日、腹の具合が悪かったみたいでな。またトイレや。全部すっかり出したら来るから、先に始める」

安立がいるから、部下たちも特に何も言ってはこない。
早速、各々から報告を受けていく。二組目の安倍たちになった時に、安立の携帯が鳴った。

「まだ便所か?」

安立の一言で、捜査員が笑った。

「はあ? 今日はどうしてん。ほんだジュンジュンを行かせるから。手の掛かる坊やや」

安立は通話を切る振りをして、持っている書類をさり気なく上に置いた。

「すまんが、ジュンジュン。萱島が足を挫いたらしいねん。迎えに行ってくれへんか? 上の階のトイレにおるらしい。すまんな」

「わかりました」

遠野が出ていき、表面上は報告の続きを開始する。
書類をどけて携帯から漏れ出る音に耳を傾けた。

「遠野さん。すみません」と携帯から萱島の声が漏れ聞こえてきた。

「安倍、ちょっとすまん。皆に大事な報告がある」

昔、小学生の頃に舞台に立ってセリフを言わされた時のように、胸が激しく脈打った。

「遠野が裏切った。ウッズ・ファイナンスと繋がってるんや。宮本の居場所が滋賀県かもしれんから明日、向かう予定にしてるけど、遠野の耳には入れたくない。すまんが、山崎」

指名された山崎は、瞬きせず硬い表情をしていた。

「お前は遠野と大阪に残って、動きはないやろうけど、青山の監視や。二人が戻ってきたら、明日の偽の割り振りを決めるから、今のうちに本チャンをしとく」

遠野の話をした時、捜査員の動揺が部屋に響いて振動した気がした。だが、今はもう落ち着きを取り戻している。
安立は机の上に地図を広げた。全員が覗き込んで、一気に人の密度が濃くなる。目星をつけて民宿やホテル、旅館に、それぞれ担当を割り振っていく。

「藤井と高津はホテルと旅館。八尾と柏原は、民宿を回ってくれ。今橋と安倍は昭島議員を洗ってもらう。俺と萱島は、麻生と遠野の金の流れを洗う。以上や。何か質問はあるか?」

捜査員の目が安立一点に注がれた。完全にとはいえないが、すでに全員の顔は吹っ切れている。

「ほんだら遠野らが戻ってきたら、頼むで」

地図を小さく折り畳んで、ポケットに突っ込んだ。

「すみませーん」と萱島が中々の情けない声を出して戻ってきた。

「すまんかったな、遠野。ほんだら始めるで」

安立は仕切り直し、遠野と同じように偽りの仮面を付けた。



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目の前には人が今でも住んでいるような明かりを灯した、大阪城がライトアップされている。

「ほら」と、高石が安立に渡してきたのは、ホットケーキ味と写真がある缶ジュース。

「おもろいやろ。疲れてる体には、甘いもんがええやろうと思ってな。まあ、先輩からの差し入れや」

高石はいかにもな顔をしているつもりだろうが、分厚い頬の肉が小刻みに震えている。女みたいな嫌がらせをする、女々しい奴だ。

「いただきます」安立はジュースを一気に飲み干した。
「甘かったけど、脳には、いい刺激ですわ。ありがとうございました」

缶にプリントされた通りホットケーキの味だが、噛むのではなく、液体を流し込むという行為が、何とも表現しがたい飲み物だった。それに口の中でクソ甘ったるい味が残って、口を濯(ゆす)ぎたい。

「ほらこれ」

面白くなさそうに高石が大阪府警と印字された白い封筒を、机に滑らせて寄越してきた。
安立は何も言わずに中を取り出して目を通す。

「そこに映ってる車やけど、滋賀県から入ってきとる。追跡した詳細を書いてあるやろ?」
「これが?」
「現金輸送車強奪犯が乗ってたと思われる、いや、乗ってた車や。時間も確認してみろ。襲撃事件があって時間を逆算しても、ちょっと合わへんのがわかるやろ」

高石の言いたいことが、やっとわかった。

「宮本を何処かで下ろすのに掛かった時間ですね」

高石は大阪城を見ながら缶の紅茶を飲んだ。

「宮本がその車に乗ってる様子はなかったわ。そんだけや。阿呆だら」と、余計な一言を付けて、先に席を立った。
 ふとどうして高石が自分に、こんなにも悪態をつくのかが気になった。

「すんません。高石さんは何で、自分を毛嫌いしてるんですか?」

 座ったままの安立を、立ったままの高石が見下ろしていた。

「毛嫌いちゃう。大嫌いやねん。何か文句あるんか」

高石の組んだ腕がちゃんと組めていない。

「だから、理由ですよ。理由。この際やから聞きたくなったんで」
「理由? そんなもん全部や! 全部が嫌いや。ヴァレンタインには本部中の女からちゃうかってくらいのチョコをもらってたり、背が高かったり、結婚してバツイチで子持ちやったり、全部や。何か文句あるんか」

 何かよく分からない理由ではあったが、安立が気にする程の理由でもない気がした。それにこれだけ威張って言われると、清々しいし、好感が持てた。安立はこういう人間は嫌いではなかった。
 高石はフンッと勢いよく鼻をならして、食堂を出て行った。
安立も萱島と合流して釣鐘が用意した会議室に入った。

「どうやった?」釣鐘は挨拶早々に情報を求めてきた。

「遠野は一度、ブラックリストに載ったみたいです。でも、少し前に借金を全額、返済してます。それと、家にも寄ってみました」
「遠野の家にか?」

釣鐘は、安立の行動を大胆だと感じたのか、突いていた頬杖を止めた。

「ちょうど捜査で近くを通ったからと。遠野の奥さんとは顔見知りなんで」
「怪しまれんかったか?」

釣鐘の眉間に、深く皺が刻み込まれた。

「心配ないでしょ。奥さんは最近、様子がおかしいと言ってはりました。どこか憔悴(しょうすい)しているような感じだ、と」
「そんな風には見えんかったけど、夫婦やな」

釣鐘の腕を組んで感慨深くなっている姿は、今の状況には異質に見える。

「それよりや。借金が全額返済されてたってのは、どれくらいや」
「七〇〇万弱です」

答えたのは萱島だった。

「金の動きは、どうやった?」

釣鐘は、萱島に体を向けた。

「明日、口座確認を、依頼した銀行に聞き取りに行く予定です。口座名は遠野潤一と遠野幸美。念のために、今は亡くなっている遠野の実父である遠野次郎です」
「そうか。わかった。なるべく急いで洗ってくれ」

釣鐘が席を立ち、部屋を出て行く。

「そうや、安立。連絡あったか?」

ドアを締める間際に釣鐘が振り返って聞いてきた。何のことか安立には直ぐに理解できた。

「ありました。滋賀県かもしれませんわ」

釣鐘はそのまま返事をせずに二人に背を向け、軽く手を上げただけだった。
捜査員が集まっている部屋に向かう途中だった。

「滋賀って、もしかして、宮本ですか?」

萱島に話したつもりになっていた安立は、何を今更と思って直ぐに、思い違いをしていたのに気付いた。

「そうや。逃走した犯人は車を乗り換えて、滋賀を通ってるみたいなんや。すまん。言うの忘れとったわ」
「ちょっと待って下さいよ。いつ、そんな情報を仕入れたんですか? ずっと一緒におったのに」

珍しく萱島が拗ねている。一課の高石からだと喉まで出かけたが、仲がいいと思われるのも何だか嫌だ。口から出たのが「俺はモテるからな」だった。
嫌い嫌いも好きの内というし、嘘ではない、と胸の内で弁明しておいた。

「何か、それ、めっちゃ笑えないないんですけど」と、ぶつぶつとボヤいていた。

「しかしどうしたもんかな」

安立は萱島の頭を鷲掴みした。

「折角、セットしなおして、いい感じのクネリができてたのに!」
「そう怒りなさんな。明日は滋賀県に人をやるけど、遠野の耳には入れたくないんや」

萱島は安立が何を言い出そうとしているのか、見当もつかないのか、しげしげと顔を見てくる。

「ちょっと芝居でも、打ってみるか。この後の捜査会議にお前は遅れると俺に電話を入れる」
「それは、無理があるんとちゃいますか? 一緒に動いてるのに」
「そうや。でも、お前が腹を下して、急いで来ようとして足を挫くんや。ほんで、俺が遠野に迎えに行かせる」

少し、いやかなり無理があるかもしれないが、遠野に一旦、部屋に出てもらうには、それしか案が浮かばなかった。

「何か、吉本のコントでありそうな感じちゃいます?」
「しゃあないやろ? 通話は、オンにしたままにしとけ。遠野が確実にお前をと接触したのを確認してから、皆には報告するから」

萱島は、苦いものでも噛んでしまった顔をしていた。

「お腹を下さんでも、いいんとちゃいますか? 足だけで。お腹下すって、ダサいし」
「腹を下さな、この新喜劇は、始まらんからな。それでいこ」

安立は強引に計画を進めることにした。
予定通り安立だけ部屋に入った。捜査員の面々はすでに集まっている。

「ほんだら始めようか」安立も椅子に座る。
「萱島は?」

気付いて声にしたのは藤井だった。

「今日一日、腹の具合が悪かったみたいでな。またトイレや。全部すっかり出したら来るから、先に始める」

安立がいるから、部下たちも特に何も言ってはこない。
早速、各々から報告を受けていく。二組目の安倍たちになった時に、安立の携帯が鳴った。

「まだ便所か?」

安立の一言で、捜査員が笑った。

「はあ? 今日はどうしてん。ほんだジュンジュンを行かせるから。手の掛かる坊やや」

安立は通話を切る振りをして、持っている書類をさり気なく上に置いた。

「すまんが、ジュンジュン。萱島が足を挫いたらしいねん。迎えに行ってくれへんか? 上の階のトイレにおるらしい。すまんな」

「わかりました」

遠野が出ていき、表面上は報告の続きを開始する。
書類をどけて携帯から漏れ出る音に耳を傾けた。

「遠野さん。すみません」と携帯から萱島の声が漏れ聞こえてきた。

「安倍、ちょっとすまん。皆に大事な報告がある」

昔、小学生の頃に舞台に立ってセリフを言わされた時のように、胸が激しく脈打った。

「遠野が裏切った。ウッズ・ファイナンスと繋がってるんや。宮本の居場所が滋賀県かもしれんから明日、向かう予定にしてるけど、遠野の耳には入れたくない。すまんが、山崎」

指名された山崎は、瞬きせず硬い表情をしていた。

「お前は遠野と大阪に残って、動きはないやろうけど、青山の監視や。二人が戻ってきたら、明日の偽の割り振りを決めるから、今のうちに本チャンをしとく」

遠野の話をした時、捜査員の動揺が部屋に響いて振動した気がした。だが、今はもう落ち着きを取り戻している。
安立は机の上に地図を広げた。全員が覗き込んで、一気に人の密度が濃くなる。目星をつけて民宿やホテル、旅館に、それぞれ担当を割り振っていく。

「藤井と高津はホテルと旅館。八尾と柏原は、民宿を回ってくれ。今橋と安倍は昭島議員を洗ってもらう。俺と萱島は、麻生と遠野の金の流れを洗う。以上や。何か質問はあるか?」

捜査員の目が安立一点に注がれた。完全にとはいえないが、すでに全員の顔は吹っ切れている。

「ほんだら遠野らが戻ってきたら、頼むで」

地図を小さく折り畳んで、ポケットに突っ込んだ。

「すみませーん」と萱島が中々の情けない声を出して戻ってきた。

「すまんかったな、遠野。ほんだら始めるで」

安立は仕切り直し、遠野と同じように偽りの仮面を付けた。



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