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25/40ゴミに手を突っ込んだ安立を見て、萱島は大きく息を吐いた。
飲み物のカスは完全に乾いてはいるものの、やはり匂いがきつかった。丸められた紙にも染み込んではいたが、文字は読み取れる。
「これ、携帯番号ですね」
皺くちゃになった上に、お茶の染みが着いた紙だった。それ以外にも何枚かに番号か書かれたメモ用紙と、財務大臣と書かれた紙があった。
電話番号と思しき紙を袋に入れ、後はすべてゴミ箱に戻した。最後に二人は入念に手を洗い、パソコンの本体を持って店舗を出た。
早めに本部に戻った安立は、パソコンを鑑識に預けた。電話会社への番号照会を萱島に任せ、コーヒーを飲んで一息ついていた。時間も時間だが、電話会社には即日回答をさせろと萱島に伝えているから、皆が帰ってくるまでには番号の持ち主は判明しているだろう。
一課はどこまで進んでいるのか、動向が気になりつつも、この事件の筋を改めて考えていた。
「安立さん。回答が来ました」
萱島から手渡された安立は、合計四名分の契約者名と住所を確信した。
二つは市内にある飲食店と金融業者。残り二つは個人名だった。
「まだ時間はあるな。この飲食店と金融屋に行こか」
ナビに住所を打ち込み、まずは肥後橋にあるウッズ・ファイナンスに向かった。
車で一〇分もかからない距離だったが、昔の碁盤の目の名残で市内は一方通行が多い。大通りから外れて車一台が余裕を持って通れる路地に入り、コイン・パーキングで車を止めた。
ウッズ・ファイナンスはちょうど裏通りにある、細長くて比較的新しい七階建ビルの三階に入っていた。
三階までエレベータであがると、正面に呼び出し用のベルと電話が一台ぽつんと置かれていた。フロアの右上の天井にはカメラがあって、左手には扉があった。
「何か、もっとフランクな感じかと思ってましたけど、ちょっとした企業と変わらないんですね」
「そうやな。ファイナンス会社でも色々やからな」
安立が案内と書かれた指示に従って、電話機の来客用番号を押した。ワンコールもせずに受付の女性が出た。
「大阪府警のもんです。責任者と会わせてもらいたんです」
「あ、は、はい。お待ち下さい」
「どうも。刑事さんですか?」
安立と萱島は手帳を見せた。
「責任者のかたですか?」
「ええ。こんなところではなんですから、中へ入ってください」
座っても皺の後が残らない細身のスーツを着こなした、四〇歳半ばの男だった。
扉の向こうには、カウンターを挟んで数名の従業員がパソコン画面に向かっているか、受話器を手にしていた。
フロア突き当たりの右側には来客室のプレートがあって、使用中になっていた。この中に小林も、金の工面をするために入ったのだろうか? 今まで部屋の中に、金に縛られた人間がどれだけ訪れたのだろうか。
ファイナンスと言っても、銀行とは違い、審査は緩いので借りやすい。だが、行きはいいが、帰りは常に地獄に出向くみたいなものだ。返済は月一万、二万で大丈夫と言われて返済できる気になる。
結局は、いつまで経っても元本は減らずに、永遠と利息を払っている。感覚が麻痺してくるのかもしれない。
安立たちは左のカウンター内へと案内され、フロアの一番隅にある部屋に入った。扉には社長室とプレートが掛かっていた。
通された社長室は、小林不動産とは全く真逆だった。壁は白く、社長の椅子と応接用の椅子は黒の革張りソファとガラステーブル。社長机も天板はガラスに鉄ポールの脚で、白と黒の色で纏められた部屋だった。それに柑橘系のフレグランスの香りが漂っていて、服にも染み付くのでは? と思ってしまうほどに濃かった。
男は紺のスリーピーススーツに、ピンクのネクタイ。靴は先が尖ったブラウンの革靴。安立には成り上がりの人間に見えた。
「私が、この会社の社長しております、青山平継と申します」
社長と名乗った青山が名刺を出してきたので、形式的に両手で受け取った。
「申し訳ない。名刺を切らしてまして。私は、大阪府警捜査知捜知捜の安立と申します。隣にいるのは同じく知捜の萱島です。萱島は着任したばかりでまだ、名刺ができていないもので。申し訳ない」
咄嗟(とっさ)に思った。この男に名刺を渡すのは好ましくはない、と。萱島も安立の意図を読み取って、いつにない角度でお辞儀をしている。
「そうですか。それは残念です。刑事さんの名刺なんて、滅多に見られへんので。さあ、どうぞお掛けください」
安立たちは応接ソファに座り、青山は二人のちょうど真ん中の正面に腰を下ろす。営業スマイルといったところだろうか。青山の態度は、刑事を持て成す風には見えない。
「それで大阪府警本部捜査知捜のお二人が、今日は?」
舵を青山が握ろうとしている流れが癪(しゃく)に障(さわ)った。
「小林不動産の社長をご存じですか?」
「小林不動産? ちょっとお待ちください」
青山は立ち上がってデスクに座り、パソコンを触り始めた。安立は一挙一動を逃さまいと、青山から目を逸らさなかった。
「ああ、はいはい」
「枚方市の小林不動産さんですね。存じてるというよりは、お取引をしてました」
「してました、とは?」
「そうです。現在は完済してはって、以後の取引はありませんね。小林さんが、どうかしはったんですか?」
安立は右足の指むず痒くなる感覚があって、革靴の中で指を擦り合わせた。
「いえ、奥様がお探しなんですがね。ところで貸付金は、いくらでしたか?」
「さっきパソコンで確認したら一千五百万円でしたね。何か事業の運転資金とありました。まあ、でも、コレもあったみたいですけど」
「女、ですか? 何でそう思いはるんですか?」
青山の視線は、右上に向いていて記憶を辿っていますとアピールしていた。
「さっき資料を見て思い出したんですけど、家に寛(くつろ)ぐ場所がない。なんちゃらチャンって子がオアシスやって、ぼやいてはったから」
「その女性のこと、もっと詳しく覚えてませんか?」
青山から乾いた笑いが漏れた。
「覚えてるも何も、こっちも突っ込みませんでしたし、ほんまにボソッと言いはっただけですから」
青山は困った表情で笑っている。だが、職業柄、表情の使い分けをするのには長けているはず。だから安立には青山の一つ一つの表情が、どうも薄っぺらいものにしか見えない。
何だか分からないが、見た目は綺麗で透明なのに、中には不純物が多く入っている水を目に前にしている気分だった。水の中にどんな小さな不純物が入っているか見えない苛立ちというべきだろうか。
とにかく安立の中で、真っ直ぐに青山の話が喉を通らず、食道にジグザグに落ちていく感覚があった。
「そうですか。ところで一千五百千万は、いつ借りて、どれくらいの期間で返しはったんですか?」
「期間は一年弱になってましたわ」
「えらい短いですね。儲かってるようにも見えへんかったんですけど」
青山が大きく、これ見よがしに、溜息をついた。
「そんなこと言われましても、こちらとしては、貸したもんがちゃんと返ってきたら、ええんです。わかりはるでしょ? 小林さんがどんな経緯で返済したかまでは、うちの了見ちゃいますから」
安立は、これ以上は何も聞けそうにはないと判断した。萱島は安立の心中を察したのか、お互いの目が合った。合わせるように二人は立ち上がった。
「今日は、どうもありがとうございました」
「いえ。大した情報をお渡しできませんで」
「また何かあれば、お伺いするかもしれませんので、その時は、またご協力をお願い致します」
安立と萱島は、青山に見送られて部屋を後にした。
飲み物のカスは完全に乾いてはいるものの、やはり匂いがきつかった。丸められた紙にも染み込んではいたが、文字は読み取れる。
「これ、携帯番号ですね」
皺くちゃになった上に、お茶の染みが着いた紙だった。それ以外にも何枚かに番号か書かれたメモ用紙と、財務大臣と書かれた紙があった。
電話番号と思しき紙を袋に入れ、後はすべてゴミ箱に戻した。最後に二人は入念に手を洗い、パソコンの本体を持って店舗を出た。
早めに本部に戻った安立は、パソコンを鑑識に預けた。電話会社への番号照会を萱島に任せ、コーヒーを飲んで一息ついていた。時間も時間だが、電話会社には即日回答をさせろと萱島に伝えているから、皆が帰ってくるまでには番号の持ち主は判明しているだろう。
一課はどこまで進んでいるのか、動向が気になりつつも、この事件の筋を改めて考えていた。
「安立さん。回答が来ました」
萱島から手渡された安立は、合計四名分の契約者名と住所を確信した。
二つは市内にある飲食店と金融業者。残り二つは個人名だった。
「まだ時間はあるな。この飲食店と金融屋に行こか」
ナビに住所を打ち込み、まずは肥後橋にあるウッズ・ファイナンスに向かった。
車で一〇分もかからない距離だったが、昔の碁盤の目の名残で市内は一方通行が多い。大通りから外れて車一台が余裕を持って通れる路地に入り、コイン・パーキングで車を止めた。
ウッズ・ファイナンスはちょうど裏通りにある、細長くて比較的新しい七階建ビルの三階に入っていた。
三階までエレベータであがると、正面に呼び出し用のベルと電話が一台ぽつんと置かれていた。フロアの右上の天井にはカメラがあって、左手には扉があった。
「何か、もっとフランクな感じかと思ってましたけど、ちょっとした企業と変わらないんですね」
「そうやな。ファイナンス会社でも色々やからな」
安立が案内と書かれた指示に従って、電話機の来客用番号を押した。ワンコールもせずに受付の女性が出た。
「大阪府警のもんです。責任者と会わせてもらいたんです」
「あ、は、はい。お待ち下さい」
五分ほどして、左手にあるドアが開いた。
その間、萱島はガラスに映る自分の姿を、何度もチェックしていた。よくも飽きずに、自分ばかりを見ているなと、安立は感心した。
その間、萱島はガラスに映る自分の姿を、何度もチェックしていた。よくも飽きずに、自分ばかりを見ているなと、安立は感心した。
「どうも。刑事さんですか?」
安立と萱島は手帳を見せた。
「責任者のかたですか?」
「ええ。こんなところではなんですから、中へ入ってください」
座っても皺の後が残らない細身のスーツを着こなした、四〇歳半ばの男だった。
扉の向こうには、カウンターを挟んで数名の従業員がパソコン画面に向かっているか、受話器を手にしていた。
フロア突き当たりの右側には来客室のプレートがあって、使用中になっていた。この中に小林も、金の工面をするために入ったのだろうか? 今まで部屋の中に、金に縛られた人間がどれだけ訪れたのだろうか。
ファイナンスと言っても、銀行とは違い、審査は緩いので借りやすい。だが、行きはいいが、帰りは常に地獄に出向くみたいなものだ。返済は月一万、二万で大丈夫と言われて返済できる気になる。
結局は、いつまで経っても元本は減らずに、永遠と利息を払っている。感覚が麻痺してくるのかもしれない。
安立たちは左のカウンター内へと案内され、フロアの一番隅にある部屋に入った。扉には社長室とプレートが掛かっていた。
通された社長室は、小林不動産とは全く真逆だった。壁は白く、社長の椅子と応接用の椅子は黒の革張りソファとガラステーブル。社長机も天板はガラスに鉄ポールの脚で、白と黒の色で纏められた部屋だった。それに柑橘系のフレグランスの香りが漂っていて、服にも染み付くのでは? と思ってしまうほどに濃かった。
男は紺のスリーピーススーツに、ピンクのネクタイ。靴は先が尖ったブラウンの革靴。安立には成り上がりの人間に見えた。
「私が、この会社の社長しております、青山平継と申します」
社長と名乗った青山が名刺を出してきたので、形式的に両手で受け取った。
「申し訳ない。名刺を切らしてまして。私は、大阪府警捜査知捜知捜の安立と申します。隣にいるのは同じく知捜の萱島です。萱島は着任したばかりでまだ、名刺ができていないもので。申し訳ない」
咄嗟(とっさ)に思った。この男に名刺を渡すのは好ましくはない、と。萱島も安立の意図を読み取って、いつにない角度でお辞儀をしている。
「そうですか。それは残念です。刑事さんの名刺なんて、滅多に見られへんので。さあ、どうぞお掛けください」
安立たちは応接ソファに座り、青山は二人のちょうど真ん中の正面に腰を下ろす。営業スマイルといったところだろうか。青山の態度は、刑事を持て成す風には見えない。
「それで大阪府警本部捜査知捜のお二人が、今日は?」
舵を青山が握ろうとしている流れが癪(しゃく)に障(さわ)った。
「小林不動産の社長をご存じですか?」
「小林不動産? ちょっとお待ちください」
青山は立ち上がってデスクに座り、パソコンを触り始めた。安立は一挙一動を逃さまいと、青山から目を逸らさなかった。
「ああ、はいはい」
青山が独り言を口にして、安立たちの前に座り直した。
「枚方市の小林不動産さんですね。存じてるというよりは、お取引をしてました」
「してました、とは?」
「そうです。現在は完済してはって、以後の取引はありませんね。小林さんが、どうかしはったんですか?」
安立は右足の指むず痒くなる感覚があって、革靴の中で指を擦り合わせた。
「いえ、奥様がお探しなんですがね。ところで貸付金は、いくらでしたか?」
「さっきパソコンで確認したら一千五百万円でしたね。何か事業の運転資金とありました。まあ、でも、コレもあったみたいですけど」
青山が小指を立てた。
「女、ですか? 何でそう思いはるんですか?」
青山の視線は、右上に向いていて記憶を辿っていますとアピールしていた。
「さっき資料を見て思い出したんですけど、家に寛(くつろ)ぐ場所がない。なんちゃらチャンって子がオアシスやって、ぼやいてはったから」
「その女性のこと、もっと詳しく覚えてませんか?」
青山から乾いた笑いが漏れた。
「覚えてるも何も、こっちも突っ込みませんでしたし、ほんまにボソッと言いはっただけですから」
青山は困った表情で笑っている。だが、職業柄、表情の使い分けをするのには長けているはず。だから安立には青山の一つ一つの表情が、どうも薄っぺらいものにしか見えない。
何だか分からないが、見た目は綺麗で透明なのに、中には不純物が多く入っている水を目に前にしている気分だった。水の中にどんな小さな不純物が入っているか見えない苛立ちというべきだろうか。
とにかく安立の中で、真っ直ぐに青山の話が喉を通らず、食道にジグザグに落ちていく感覚があった。
「そうですか。ところで一千五百千万は、いつ借りて、どれくらいの期間で返しはったんですか?」
「期間は一年弱になってましたわ」
「えらい短いですね。儲かってるようにも見えへんかったんですけど」
青山が大きく、これ見よがしに、溜息をついた。
「そんなこと言われましても、こちらとしては、貸したもんがちゃんと返ってきたら、ええんです。わかりはるでしょ? 小林さんがどんな経緯で返済したかまでは、うちの了見ちゃいますから」
安立は、これ以上は何も聞けそうにはないと判断した。萱島は安立の心中を察したのか、お互いの目が合った。合わせるように二人は立ち上がった。
「今日は、どうもありがとうございました」
二人は形式的に頭を下げた。
「いえ。大した情報をお渡しできませんで」
「また何かあれば、お伺いするかもしれませんので、その時は、またご協力をお願い致します」
安立と萱島は、青山に見送られて部屋を後にした。
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