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26/40



本部に戻るまでの短い時間、車内は静かだった。萱島は安立が口を開くのを待っている。安立が口を開いたのは、本部の駐車場に着いた時だった。

「なあ、文ちゃん。あの青山って男、どう思う?」

腕を組んだ安立は、正面を見据えたまま質問した。

「胡散臭(うさんくさ)いとは思いますけど、小林がどうやって金を作ったまでは」

小綺麗にしていても、やっているのは金貸しで、元以上にとれればいい仕事だ。
萱島の思うように、青山には隙が見当たらなかった。一介の町のファイナンス会社が、綺麗な営業をしているとは思ってない。だからこそ隙がなかったのか、刑事が来訪してくるのが分かっていたのか。

青山の話は、加点する部分があっても減点できる箇所がなかった具合が、不自然な気がした。

「安立さんは、どう思ったんですか?」
「一回は確実に、青山は嘘をついたと思う」
「嘘、ですか? 何で分かるんですか?」
「目が右上を見てた。偶然もあるかもしれんけどな」
「それが何か、あるんですか?」

運転席の萱島が、安立を覗き込んだ。

「人は嘘をつく時、無意識に右上を見るらしい。まあ、癖もあるやろうから一概には言えんで」

安立の亡くなった父親が、昔に教えてくれた。大学を卒業後は商社に入り、四十五歳の時に、心筋梗塞で亡くなった。大学は心理学を専攻していたとかで、面白おかしく話してくれた父親だった。

それに今まで多くの被疑者を見てきたが、父親の言っていたことがあながち嘘ではないと知っていた。

「面白い話ですね。俺も安立さんの前では嘘を吐けないですね」

お前は何か俺に、不都合な嘘でも……と思ったことは口には出さなかった。




夜の会議が始まろうとする時間、一ペアだけが、まだ戻ってきていなかった。

「遅いな、ジュンジュンら。何か聞いてるか?」

安立が戻ってきている面々を見渡して聞いたが、返事はない。先に始める訳にもいかない。仕方がないので、そのまま待つことにした。
時計は七時半を回ろうとしている。安立の携帯が鳴った。遠野らかと思ったが、画面には釣鐘の名前が表示されていた。安立は席を立って、廊下に出た。

「安立です」
「今、ええか?」
「はい。会議ですけど、まだ全員が揃ってないんで。何かありましたか?」
「お前、まだ本部におるんか?」

キュッと胃が縮んだ気がした。
ふと誰かが足早に近づいてくる気配がして振り向くと、遠野と山崎が戻ってきた。軽く頭を下げた二人は、安立の目の前を通って部屋に入っていく。瞬間、何かを思い出しかけたが、釣鐘の声で掻き消されてしまった。

「夜の会議が終わったら帰りますけど」
「ほんだら、ちょっと付き合え。いつもの店におるから終わったら来い」

安立の返事を待たずに、釣鐘は電話を切ってしまった。長々と話されるよりはマシだった。
ただ、釣鐘は酒が入ると少々説教を垂れ流すのと、無闇に背中や肩を叩いてくるのが難点だった。
肩を回しながら部屋に戻った安立は、すぐに会議を始めた。

「ほんだら、藤井と高津から」

安立は指名していく。

「はい。交友関係を洗い直しましたが、特に親しくしていた人間もやはりおらず、宮本自身が誰と繋がっていたかも掴むことはできませんでした」

八尾、今橋と続くが大した情報は、やはりない。
仕事をして家に帰って寝て、朝起きて会社。休みや時間がある時には出会い系サイトで女を漁り、横領した金で買い物。しかし、人間関係が希薄であった宮本の協力者は、必ずいるはずだった。

最後に報告するのは遠野と山崎。時間に遅れてきたのだ。何か持っているかもしれないと、期待に安立の胸が膨らむ。

「宮本の発信履歴を取り寄せて、何人かと会うことができました。しかし、ほとんどが出合い系サイトの女で、残りは仕事の関係者ばかりでした。念のために仕事関係者の身元も調べましたが、全員が銀行の得意先でした。以上です」

遠野たちが遅くなった理由は判明したが、特色ない報告だけだった。安立は肩を落として、自分たちの収穫を報告する。翌朝に捜査先を決めると告げて、安立は解散の言葉を出した。



店に着いた安立に、馴染み顔の店員が「こちらです」と奥の部屋に案内をしてくれた。障子を引いて中に入った安立は、思わず動きを止めた。

「お疲れさん。まあ、座れ。ねーちゃん。生ビール追加な」と、釣鐘が案内をしてくれた店員に注文をする。
座卓には、捜査一課長の淡路、その隣に釣鐘。淡路の正面には高石。必然的に安立は、高石の隣に座ることになる。

「これは?」

高石は安立が入ってきてから一度も顔を向けはしない。
淡路は眉間に皺を寄せてはいるが、安立の反応を面白がっている節が窺える。釣鐘は冷酒を飲んでいて、いつもは柔和になる顔が、かなり厳しい顔付きになっている。
釣鐘が残っていた冷酒を一気に飲み干してから、声を出した。

「知捜がやってる横領、一課の現金強奪事件。キーマンは宮本正守や。そこで刑事部長様からのお達しがあった。一課と知捜で情報交換しろ、とな」

願ったり叶ったりだったが、宮本をどっちで挙げるかだろう。高石はこれ見よがしに、飲み干したジョッキをテーブルに置いて、淡路は弄ぶようにビール・ジョッキをワイングラスみたいに回している。

釣鐘は腕を組んだまま、空になったコップを一点に見ている。誰も口を開かない居心地の悪い時間に一番に割って入ってきたのが、高石だった。

「宮本は、うちの重要参考人やから、うちで挙げる。あとは、知捜が持っていったらええ」
「横取りする気ですか? 元々、宮本は知捜が追ってたんです。知捜が挙げるのが当然やないですか」

高石のさも当たり前に、宮本は一課の取り分だと出してきた。安立は思わず勢いよく話に乗ってしまった。
知捜は慎重に宮本の周りを固めてきたのを、一課が挙げるとなれば、部下たちも納得はしないし、士気も下がる可能性が大きい。

「カッコつけ、ええか? こっちは四億や。たかだかの金とは訳がちゃうし、警察の威信も懸かっとる。わかるやろ?」

不正融資の件は、関係がないから話してはいない。だが金額の問題ではない。確かに現金輸送車強奪事件は、世間の注目を浴びてはいるが、安立たちの事件も表には出ないだけで、悪質な犯罪だ。
高石の口ぶりは、どこか知捜の仕事を軽視していて腹が立ってくる。

「警察の威信やなくて、高石さんの面子でしょうが。知捜にあんたの面子なんか関係ないんじゃ」
「はあ? お前、誰に口ぃ聞いとんじゃ!」

高石はようやく安立と目を合わせた。もともと体が酒と合わないのか、顔が真っ赤になっているおかげで、本人は凄んでいるつもりでも、凄味が半減している。

「まあまあ、二人とも落ち着け」

見ると釣鐘が、タコの唐揚げを口に放り込んだ。

「淡路課長。宮本はうちで挙げます。その代わり、宮本に関する情報は一課に全部すっかり流す妥協案は、どうですかね?」
「宮本は、知捜が先に唾を付けてたからな。高石、ええやろ?」

何か言いたそうではあったが、淡路の言葉は高石の頭を押さえつけていた。
高石は、お代わりしていたビールを、また、一気に喉に流し込んでいく。
釣鐘と淡路が目配(めくば)せをしている。元から話はほぼ付いていたのだと、安立は思った。とんだ茶番だった。なら、わざわざ呼び出してくれるなと、安立も温くなったビールを飲み干した。

「ほんだら今、互いに持ってる情報を交換しよか。明日からの新しい情報は、高石と安立二人でやり取りしてくれ。ほれ、電話番号を交換しとけよ」

淡路はどこか楽しそうだ。高石は頬杖して不貞腐れた顔で携帯を出してきた。安立は事務的に番号を交換した。
携帯に登録作業をしていた安立に、高石が一課の情報を話し始めた。

「美井銀行に、麻生正隆っていう宮本の大学の同期がおる。当の宮本は、あんまり麻生に好意的ではなかったみたいやけどな。あれや、美井銀行ってアーバネットの親やろ」

高石は渋々といった風ではあったが、ありがたい情報だった。安立も腹を割って、小林不動産、青山の情報を渡した。ただ高石は、互いに大きなネタを持ってはいないと、反対に肩を落としていた。大まかな話が終わったのは、京阪電車の終電間近だった。



    
翌朝、早めに登庁した安立は、昨夜の一課との交渉を伝えなければならない。
高石からもらった美井銀行の麻生が気になっていた。名前を思い浮かべる度に、頭の中で一瞬ちらっと光っては、残光も残さずに消えてしまう何かが、はっきりと見えない。

「おはようございます」

入ってきたのは遠野だった。
 時計を見ると、もう八時半になろうとしている。後に続いて、捜査員が途切れることなく入ってきた。

「ほんだら、始めるで。今日は藤井と高津は《ウッズ・ファイナンス》社長の青山を張ってもらう。遠野と山崎は引き続き、宮本の発信履歴の再度の洗い出し。八尾と柏原は青山の身辺調査。今橋と阿倍は小林不動産社長の身辺調査をしてくれ。俺と文ちゃんは、アーバネット銀行の親会社である美井銀行へ。美井銀行には、宮本の大学の同期だった麻生正隆がおる。そいつに話を聞きに行ってくる。以上」

昨夜の話は結局、部下たちには、しなかった。顔を上げた先に山崎がいて、目が合った。隣には遠野もいる。

「ジュンジュン。宮本の通話記録のコピー、頼むわ」
「はい。直ぐにコピーしてきます」

安立は出る前に小林不動産と小林社長宅の通話記録の照会を手配してから、美井銀行に向かった。車中で美井銀行大阪本店にアポを入れた。

「安立さん、なんかあったんですか?」萱島の言葉で我に返った。
「何やろうな。喉に刺さった小骨が気になってな」
「何か気になることがあるんですね」

萱島が言う通りだったが、小骨の正体がわからなかったが、萱島が骨を取り除いてくれた。

「麻生って名前、政治家でいましたよね」
「そうや! おった。財務大臣しとったわ」

 萱島がハンドルを握りながら「俺って、持ってますよね」と嬉しそうにしていた。




アーバネットの時と同様に、会議室に案内されたが、前回の部屋みたいに古臭さはない。流石は、メガバンクなだけあるなと、感心した。

「どうもお待たせしました。西日本の人事管理をしております、三木と申します」

三木は四十歳代の半ばくらいで、ギョロッとした目の小柄な男だった。安立は名刺交換と挨拶を済ませ、直ぐに本題に入った。

「こちらにお勤めの、麻生正隆さんのことです」
「はい。お電話で麻生くんのお名前をお聞きしておりましたので、詳細を纏めたものになります」

本部からここまで、十五分もしない。

「こんな短時間で?」

安立は驚きと賞賛を込めた。

「完璧ではございませんので、お帰りになるまでの資料ということで、お願い致します。それで、うちの麻生が何か不手際でも?」

萱島に資料を渡し、三木の質問に答えた。

「麻生さんが今まで受け持った取引先を、リストアップしてもらいたい。あと、同期のからの話も、お聞きしたいんです」
「かしこまりました。早速、本店に出向くように指示を出しておきますが、よろしいでしょうか?」

三木は動揺する素振りを見せず、警察の意向を全て聞き入れますといった様子だった。
警察も銀行も信用第一と通じるところがある。問題が発覚した場合、燻っている間に処置を施せば、何もなかったのも同じだ。

しかし元の火種は、組織からも危険因子と変わりはない。だからその後、陽の目を見ることはないに等しい。
麻生は現在、三木の中で天秤に掛けられているだろう。片方に組織、反対の皿に麻生が乗っていて若干、麻生に比重が掛かっていると思われた。

「さすが、メガバンクですね。仕事が早くて助かります。ところで麻生さんは今、どこの支店に?」
「麻生は大阪南支店なんですが、昨日から夏季休暇を取っておりまして、私どもも連絡が取れない状況でございます」

通じるところがあっても、警察みたいに分刻みで旅行のスケジュールを休み前に提出させてはいないだろうから、知るのは難しいだろう。
それにしても麻生は休暇中で、宮本と小林は、姿を消してしまっている。偶然にしては重なり過ぎている。

「それは、しょうがないですね。ほんだら、あとはお願いします。連絡は名刺に書いてある携帯にしてもらってもいいので。今日はこれで」

すかさず三木も立ち上がり、エレベーター・ホールまで先導してくれた。

「三木さん。もう一つ調べてもらいたことが」
「なんでしょうか?」

行員らしく手を前に揃えていた三木が、安立を見上げた。

「ウッズ・ファイナンスという会社と取引があるか。あと。青山平継という人物と取引があるかも、調べてもらいたいんです」
「かしこまりました」

 レベーターの扉が開いた。安立たちが乗り込んで扉が閉まりきるまで、三木は頭を下げたままだった。
車で移動中に山崎から安立の携帯に連絡が入った。

「どうしたんや?」
「安立さん。朝一で照会依頼しはった返信が来てます」
「そうか。ほんだらいったん戻るわ。そっちは、どうや?」
「――」

安立にしてみれば軽い会話のはずだったが、電話の向こうからは違った空気が流れている。

「何や? 何かあったんか?」
「あ、いや。ちょっと電波が悪いみたいですわ。ほんだら、まだ作業が残ってるんで」

山崎は何かを掴んだのか? 山崎はあまりネタを仕込む刑事ではなかった。どちらかと言えば、地道に畑を耕すような男で、かならず肥料となる物を持って帰ってくる。夜の会議で安立に大きな物をくれるかもしれないと期待が膨らむ。

本部に戻り、遠野から受け取っていた記録と小林社長の自宅、事務所からの発信履歴を萱島と手分けして照合した。集中力を切らさないために、適度に休憩を取った。窓のない部屋での作業は、時間の感覚を麻痺させる。
安立の携帯が鳴って、夕方と気付いた。電話の相手は美井銀行の三木だった。

「どうか、しはりましたか?」

左の肩と首で電話を挟んで、反対の肩を回した。

「午前中にお話しました、麻生の同期を本日できるだけ招集しましたので、十八時頃に来ていただければと思っておりますが」
「明日と仰ってはりませんでしたか?」
「はい。ですが、早いほうがいいかと思いまして」

三木の穏やかな口調の中に、警察が訪問して行員の動向を探ろうとする安立たちに対し、かなりの焦りを感じている空気が伝わってきた。

「わかりました。十八時頃に伺いますんで」

隣に座っている萱島は、ペンを持って目を左右に動かしている。

「萱島。美井銀行も三木さんから電話があって今日、同期を集めてくれはったらしい。十七時半には、出るで」
「そうなんですか? さすがは、メガバンク。仕事が早いですね」

萱島が座ったまま体を後ろに反りながら、伸びた。

「で、どうや? 宮本と被ってる番号は、あったか?」
「いや、今のところはないですね。安立さんは?」
「聞くな」

萱島は肩を竦める素振りを見せてから一度立ち上がり、手鏡を出して自分の後頭部や背中をチェックしてから、机に向かい直した。



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「なあ、文ちゃん。あの青山って男、どう思う?」

腕を組んだ安立は、正面を見据えたまま質問した。

「胡散臭(うさんくさ)いとは思いますけど、小林がどうやって金を作ったまでは」

小綺麗にしていても、やっているのは金貸しで、元以上にとれればいい仕事だ。
萱島の思うように、青山には隙が見当たらなかった。一介の町のファイナンス会社が、綺麗な営業をしているとは思ってない。だからこそ隙がなかったのか、刑事が来訪してくるのが分かっていたのか。

青山の話は、加点する部分があっても減点できる箇所がなかった具合が、不自然な気がした。

「安立さんは、どう思ったんですか?」
「一回は確実に、青山は嘘をついたと思う」
「嘘、ですか? 何で分かるんですか?」
「目が右上を見てた。偶然もあるかもしれんけどな」
「それが何か、あるんですか?」

運転席の萱島が、安立を覗き込んだ。

「人は嘘をつく時、無意識に右上を見るらしい。まあ、癖もあるやろうから一概には言えんで」

安立の亡くなった父親が、昔に教えてくれた。大学を卒業後は商社に入り、四十五歳の時に、心筋梗塞で亡くなった。大学は心理学を専攻していたとかで、面白おかしく話してくれた父親だった。

それに今まで多くの被疑者を見てきたが、父親の言っていたことがあながち嘘ではないと知っていた。

「面白い話ですね。俺も安立さんの前では嘘を吐けないですね」

お前は何か俺に、不都合な嘘でも……と思ったことは口には出さなかった。




夜の会議が始まろうとする時間、一ペアだけが、まだ戻ってきていなかった。

「遅いな、ジュンジュンら。何か聞いてるか?」

安立が戻ってきている面々を見渡して聞いたが、返事はない。先に始める訳にもいかない。仕方がないので、そのまま待つことにした。
時計は七時半を回ろうとしている。安立の携帯が鳴った。遠野らかと思ったが、画面には釣鐘の名前が表示されていた。安立は席を立って、廊下に出た。

「安立です」
「今、ええか?」
「はい。会議ですけど、まだ全員が揃ってないんで。何かありましたか?」
「お前、まだ本部におるんか?」

キュッと胃が縮んだ気がした。
ふと誰かが足早に近づいてくる気配がして振り向くと、遠野と山崎が戻ってきた。軽く頭を下げた二人は、安立の目の前を通って部屋に入っていく。瞬間、何かを思い出しかけたが、釣鐘の声で掻き消されてしまった。

「夜の会議が終わったら帰りますけど」
「ほんだら、ちょっと付き合え。いつもの店におるから終わったら来い」

安立の返事を待たずに、釣鐘は電話を切ってしまった。長々と話されるよりはマシだった。
ただ、釣鐘は酒が入ると少々説教を垂れ流すのと、無闇に背中や肩を叩いてくるのが難点だった。
肩を回しながら部屋に戻った安立は、すぐに会議を始めた。

「ほんだら、藤井と高津から」

安立は指名していく。

「はい。交友関係を洗い直しましたが、特に親しくしていた人間もやはりおらず、宮本自身が誰と繋がっていたかも掴むことはできませんでした」

八尾、今橋と続くが大した情報は、やはりない。
仕事をして家に帰って寝て、朝起きて会社。休みや時間がある時には出会い系サイトで女を漁り、横領した金で買い物。しかし、人間関係が希薄であった宮本の協力者は、必ずいるはずだった。

最後に報告するのは遠野と山崎。時間に遅れてきたのだ。何か持っているかもしれないと、期待に安立の胸が膨らむ。

「宮本の発信履歴を取り寄せて、何人かと会うことができました。しかし、ほとんどが出合い系サイトの女で、残りは仕事の関係者ばかりでした。念のために仕事関係者の身元も調べましたが、全員が銀行の得意先でした。以上です」

遠野たちが遅くなった理由は判明したが、特色ない報告だけだった。安立は肩を落として、自分たちの収穫を報告する。翌朝に捜査先を決めると告げて、安立は解散の言葉を出した。



店に着いた安立に、馴染み顔の店員が「こちらです」と奥の部屋に案内をしてくれた。障子を引いて中に入った安立は、思わず動きを止めた。

「お疲れさん。まあ、座れ。ねーちゃん。生ビール追加な」と、釣鐘が案内をしてくれた店員に注文をする。
座卓には、捜査一課長の淡路、その隣に釣鐘。淡路の正面には高石。必然的に安立は、高石の隣に座ることになる。

「これは?」

高石は安立が入ってきてから一度も顔を向けはしない。
淡路は眉間に皺を寄せてはいるが、安立の反応を面白がっている節が窺える。釣鐘は冷酒を飲んでいて、いつもは柔和になる顔が、かなり厳しい顔付きになっている。
釣鐘が残っていた冷酒を一気に飲み干してから、声を出した。

「知捜がやってる横領、一課の現金強奪事件。キーマンは宮本正守や。そこで刑事部長様からのお達しがあった。一課と知捜で情報交換しろ、とな」

願ったり叶ったりだったが、宮本をどっちで挙げるかだろう。高石はこれ見よがしに、飲み干したジョッキをテーブルに置いて、淡路は弄ぶようにビール・ジョッキをワイングラスみたいに回している。

釣鐘は腕を組んだまま、空になったコップを一点に見ている。誰も口を開かない居心地の悪い時間に一番に割って入ってきたのが、高石だった。

「宮本は、うちの重要参考人やから、うちで挙げる。あとは、知捜が持っていったらええ」
「横取りする気ですか? 元々、宮本は知捜が追ってたんです。知捜が挙げるのが当然やないですか」

高石のさも当たり前に、宮本は一課の取り分だと出してきた。安立は思わず勢いよく話に乗ってしまった。
知捜は慎重に宮本の周りを固めてきたのを、一課が挙げるとなれば、部下たちも納得はしないし、士気も下がる可能性が大きい。

「カッコつけ、ええか? こっちは四億や。たかだかの金とは訳がちゃうし、警察の威信も懸かっとる。わかるやろ?」

不正融資の件は、関係がないから話してはいない。だが金額の問題ではない。確かに現金輸送車強奪事件は、世間の注目を浴びてはいるが、安立たちの事件も表には出ないだけで、悪質な犯罪だ。
高石の口ぶりは、どこか知捜の仕事を軽視していて腹が立ってくる。

「警察の威信やなくて、高石さんの面子でしょうが。知捜にあんたの面子なんか関係ないんじゃ」
「はあ? お前、誰に口ぃ聞いとんじゃ!」

高石はようやく安立と目を合わせた。もともと体が酒と合わないのか、顔が真っ赤になっているおかげで、本人は凄んでいるつもりでも、凄味が半減している。

「まあまあ、二人とも落ち着け」

見ると釣鐘が、タコの唐揚げを口に放り込んだ。

「淡路課長。宮本はうちで挙げます。その代わり、宮本に関する情報は一課に全部すっかり流す妥協案は、どうですかね?」
「宮本は、知捜が先に唾を付けてたからな。高石、ええやろ?」

何か言いたそうではあったが、淡路の言葉は高石の頭を押さえつけていた。
高石は、お代わりしていたビールを、また、一気に喉に流し込んでいく。
釣鐘と淡路が目配(めくば)せをしている。元から話はほぼ付いていたのだと、安立は思った。とんだ茶番だった。なら、わざわざ呼び出してくれるなと、安立も温くなったビールを飲み干した。

「ほんだら今、互いに持ってる情報を交換しよか。明日からの新しい情報は、高石と安立二人でやり取りしてくれ。ほれ、電話番号を交換しとけよ」

淡路はどこか楽しそうだ。高石は頬杖して不貞腐れた顔で携帯を出してきた。安立は事務的に番号を交換した。
携帯に登録作業をしていた安立に、高石が一課の情報を話し始めた。

「美井銀行に、麻生正隆っていう宮本の大学の同期がおる。当の宮本は、あんまり麻生に好意的ではなかったみたいやけどな。あれや、美井銀行ってアーバネットの親やろ」

高石は渋々といった風ではあったが、ありがたい情報だった。安立も腹を割って、小林不動産、青山の情報を渡した。ただ高石は、互いに大きなネタを持ってはいないと、反対に肩を落としていた。大まかな話が終わったのは、京阪電車の終電間近だった。



    
翌朝、早めに登庁した安立は、昨夜の一課との交渉を伝えなければならない。
高石からもらった美井銀行の麻生が気になっていた。名前を思い浮かべる度に、頭の中で一瞬ちらっと光っては、残光も残さずに消えてしまう何かが、はっきりと見えない。

「おはようございます」

入ってきたのは遠野だった。
 時計を見ると、もう八時半になろうとしている。後に続いて、捜査員が途切れることなく入ってきた。

「ほんだら、始めるで。今日は藤井と高津は《ウッズ・ファイナンス》社長の青山を張ってもらう。遠野と山崎は引き続き、宮本の発信履歴の再度の洗い出し。八尾と柏原は青山の身辺調査。今橋と阿倍は小林不動産社長の身辺調査をしてくれ。俺と文ちゃんは、アーバネット銀行の親会社である美井銀行へ。美井銀行には、宮本の大学の同期だった麻生正隆がおる。そいつに話を聞きに行ってくる。以上」

昨夜の話は結局、部下たちには、しなかった。顔を上げた先に山崎がいて、目が合った。隣には遠野もいる。

「ジュンジュン。宮本の通話記録のコピー、頼むわ」
「はい。直ぐにコピーしてきます」

安立は出る前に小林不動産と小林社長宅の通話記録の照会を手配してから、美井銀行に向かった。車中で美井銀行大阪本店にアポを入れた。

「安立さん、なんかあったんですか?」萱島の言葉で我に返った。
「何やろうな。喉に刺さった小骨が気になってな」
「何か気になることがあるんですね」

萱島が言う通りだったが、小骨の正体がわからなかったが、萱島が骨を取り除いてくれた。

「麻生って名前、政治家でいましたよね」
「そうや! おった。財務大臣しとったわ」

 萱島がハンドルを握りながら「俺って、持ってますよね」と嬉しそうにしていた。




アーバネットの時と同様に、会議室に案内されたが、前回の部屋みたいに古臭さはない。流石は、メガバンクなだけあるなと、感心した。

「どうもお待たせしました。西日本の人事管理をしております、三木と申します」

三木は四十歳代の半ばくらいで、ギョロッとした目の小柄な男だった。安立は名刺交換と挨拶を済ませ、直ぐに本題に入った。

「こちらにお勤めの、麻生正隆さんのことです」
「はい。お電話で麻生くんのお名前をお聞きしておりましたので、詳細を纏めたものになります」

本部からここまで、十五分もしない。

「こんな短時間で?」

安立は驚きと賞賛を込めた。

「完璧ではございませんので、お帰りになるまでの資料ということで、お願い致します。それで、うちの麻生が何か不手際でも?」

萱島に資料を渡し、三木の質問に答えた。

「麻生さんが今まで受け持った取引先を、リストアップしてもらいたい。あと、同期のからの話も、お聞きしたいんです」
「かしこまりました。早速、本店に出向くように指示を出しておきますが、よろしいでしょうか?」

三木は動揺する素振りを見せず、警察の意向を全て聞き入れますといった様子だった。
警察も銀行も信用第一と通じるところがある。問題が発覚した場合、燻っている間に処置を施せば、何もなかったのも同じだ。

しかし元の火種は、組織からも危険因子と変わりはない。だからその後、陽の目を見ることはないに等しい。
麻生は現在、三木の中で天秤に掛けられているだろう。片方に組織、反対の皿に麻生が乗っていて若干、麻生に比重が掛かっていると思われた。

「さすが、メガバンクですね。仕事が早くて助かります。ところで麻生さんは今、どこの支店に?」
「麻生は大阪南支店なんですが、昨日から夏季休暇を取っておりまして、私どもも連絡が取れない状況でございます」

通じるところがあっても、警察みたいに分刻みで旅行のスケジュールを休み前に提出させてはいないだろうから、知るのは難しいだろう。
それにしても麻生は休暇中で、宮本と小林は、姿を消してしまっている。偶然にしては重なり過ぎている。

「それは、しょうがないですね。ほんだら、あとはお願いします。連絡は名刺に書いてある携帯にしてもらってもいいので。今日はこれで」

すかさず三木も立ち上がり、エレベーター・ホールまで先導してくれた。

「三木さん。もう一つ調べてもらいたことが」
「なんでしょうか?」

行員らしく手を前に揃えていた三木が、安立を見上げた。

「ウッズ・ファイナンスという会社と取引があるか。あと。青山平継という人物と取引があるかも、調べてもらいたいんです」
「かしこまりました」

 レベーターの扉が開いた。安立たちが乗り込んで扉が閉まりきるまで、三木は頭を下げたままだった。
車で移動中に山崎から安立の携帯に連絡が入った。

「どうしたんや?」
「安立さん。朝一で照会依頼しはった返信が来てます」
「そうか。ほんだらいったん戻るわ。そっちは、どうや?」
「――」

安立にしてみれば軽い会話のはずだったが、電話の向こうからは違った空気が流れている。

「何や? 何かあったんか?」
「あ、いや。ちょっと電波が悪いみたいですわ。ほんだら、まだ作業が残ってるんで」

山崎は何かを掴んだのか? 山崎はあまりネタを仕込む刑事ではなかった。どちらかと言えば、地道に畑を耕すような男で、かならず肥料となる物を持って帰ってくる。夜の会議で安立に大きな物をくれるかもしれないと期待が膨らむ。

本部に戻り、遠野から受け取っていた記録と小林社長の自宅、事務所からの発信履歴を萱島と手分けして照合した。集中力を切らさないために、適度に休憩を取った。窓のない部屋での作業は、時間の感覚を麻痺させる。
安立の携帯が鳴って、夕方と気付いた。電話の相手は美井銀行の三木だった。

「どうか、しはりましたか?」

左の肩と首で電話を挟んで、反対の肩を回した。

「午前中にお話しました、麻生の同期を本日できるだけ招集しましたので、十八時頃に来ていただければと思っておりますが」
「明日と仰ってはりませんでしたか?」
「はい。ですが、早いほうがいいかと思いまして」

三木の穏やかな口調の中に、警察が訪問して行員の動向を探ろうとする安立たちに対し、かなりの焦りを感じている空気が伝わってきた。

「わかりました。十八時頃に伺いますんで」

隣に座っている萱島は、ペンを持って目を左右に動かしている。

「萱島。美井銀行も三木さんから電話があって今日、同期を集めてくれはったらしい。十七時半には、出るで」
「そうなんですか? さすがは、メガバンク。仕事が早いですね」

萱島が座ったまま体を後ろに反りながら、伸びた。

「で、どうや? 宮本と被ってる番号は、あったか?」
「いや、今のところはないですね。安立さんは?」
「聞くな」

萱島は肩を竦める素振りを見せてから一度立ち上がり、手鏡を出して自分の後頭部や背中をチェックしてから、机に向かい直した。



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