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ー/ー枚方警察署で夜に開かれた捜査会議では、最前列に座っている淡路一課長の機嫌がすこぶる悪いのが分かった。確か、西成であった妊婦殺害事件が長引いている。機嫌の悪いのは、今回の事件だけではなさそうだ。
隣には堺(さかい)貫太郎(かんたろう)管理官と進行役の三島(みしま)隆盛(たかもり)係長が座り、号令が発せられた。高石は始まりと終わりの立ったり座ったりが、学校かよといつも面倒で嫌いだった。
「本日の現金輸送車強奪事件は、稀に見る悪質さであり」
「ええか。府警の威信と面子に懸けても検挙しろ! 分かったな!」
会議室に、男たちの生臭い息が一斉に吐き出される。三島が進行を続ける。
「高石班。事情聴取の結果を」
「知捜の遠野巡査長、アーバネット銀行の城見支店長、長尾香澄の話にズレは見当たりませんでした。蓮浄寺で回収した現金を輸送中、十字路からバイクが飛び出してきて衝突。多分、警備員二人を車から出すために一計を図っていたのではと推測されます。その後、反対から白い乗用車がスピード出して警備員一人を撥ね、介抱していたもう一人はスタンガンで負傷。乗用車からヘルメットを被った犯人二人が降りてきて、駆けつけた遠野巡査長を襲っています」
「単なる事故やと思ったと」
「蓮浄寺の現住職の隆光氏の話では、宗派の葬儀、それも、住職クラスが亡くなると、集まる香典の額が億単位になるが、全額返しになることは、僧侶なら誰でも知っているはずと。しかし一般的には知られてはいないので、なぜ狙われたのか全くわからないと言っていました。また家族は妻の美空と息子の定円(じょうえん)。その妻である朋美と双子兄弟がいますが、兄は京都の寺に修行中。弟は違う寺で住職をしています。いずれも、アリバイはありました。妻や兄弟、住職らは、わざわざ金額を口にはしていないと」
どちらにせよお調子者の河内(かわうち)遥一(よういち)警部補が率いる班が入ってくるのは時間の問題かもしれない。高石は河内のよくわからないテンションが好きではなかった。
結局、会議では翌日の捜査方針の割当。逃走車両の行方はまだ掴めていないとのことだった。見つかってもバイク同様に盗難車両に違いない。車中に髪の一本でも手がかりが残っていればまだいいかもしれない。高石は号令で立ち上がったが、前列者の壁で前は見えかった。
会議終了後、高石と糸屋は府道を車で走らせ、宮本が在籍していた大学に来ていた。
「大阪府警ですが、名簿を見せてもらいたいんです」
学生部に座っている事務職員に声を掛けて、警察手帳の提示をした。「少々お待ち下さい」と奥に座っていた責任者を呼び行った。
「何か、大学って変な空間ですね」
「どうしてん」
「いや、自分は高校卒業して入庁したんで、大学って入ったことがないんです」
意外だった。糸屋はどちらかと言えば、男の割に色が白く、細身で頼りなく見える。てっきりガリ勉タイプだと、高石は勝手に想像していた。
「お前、いくつや」
「今年で二十七歳になります」
「ほんだら巡査部長の試験、受けれるやろ」
「お待たせしました。よろしかったら、中へどうぞ」
中から出て来たのは疲れきった、化粧の浮いた中年の女性だった。事務所内にある簡易の商談室に通してくれた。
「どうも、学生部課長の中崎です。今日は、どういったご用件で」
高石は控えてきていた宮本のプロフィールを提示した。
「この人物が在籍していた時の、サークルや授業、受講していたゼミを調べたいんです。全ての資料を提出してもらいたい」
令状を机の上に広げた高石の口ぶりは、中崎に選択する余地を与えなかった。
「かしこまりました。資料を揃えるまで、少しお時間を頂けますか?」
「どれくらいです?」
「三〇分ほど」
「分かりました。一五分でお願いします」
「高石さん。協力してくれはるのに、そんな無茶振りをせんでもいいんとちゃいます?」
「刑事は舐められたら終わりや。別にきっかり十五分やなくてもええねん。体面や。ほら」
高石がポケットから包みを取り出して糸屋に渡した。
「なんですか?」
「何ですかって、飴ちゃんや。待ってる間に食っとけ」
高石が口に入れた飴がなくなった頃に、中崎と女性職員二人が資料を抱えて戻ってきた。
「これが全部になります。あとゼミとサークル関係はデータになってるんですが……」
「そうですか。ほんだらパソコン貸してください。必要なデータは持って帰ります」
「はあ。ほんだら使いはる時に声を掛けて下さい」
中崎の話は、どこか歯切れが悪い。察して欲しいと気配を漂わせている。高石が推察するに、データを持ち出して欲しくはないのだろう。
「まあまあな量ですね」
「ほんだらやるで」
「すみません。あの、もう直ぐ昼になるんですが、食堂を利用されるなら早めのほうが……」
時計を確認すると、十一時過ぎになっている。
「そうですか。糸屋せっかくや。先に飯を食いに行こか」
「はい」
格安の日替わり定食に、糸屋は何度も「安い」を連呼していた。掻き込むように食べた二人が学生部に戻ると同時に、学生たちが蟻の大群のように集まり出した。
続きをするため、元の椅子に座った糸屋は、何度も出てもいない腹を擦っていた。データと資料から宮本関連の情報を抜き出し終えたのは、夕方になる前だった。
「この宮本のゼミを受け持っていた教授はいはりますか?」
「めちゃくちゃ無駄に広いですね。異世界っていうか、ここだけ異空間ですね」
糸屋はレジャーランドにでも来た気になっている。高石も歩きながら構内を見渡し、確かに糸屋の言っている意味が分からなくもない。講義時間だが、ぶらついている学生やベンチで寝ている奴もいる。大学構内だけ時間の流れが独特で、空気もフワついているかもしれない。
「糸屋、お前がフワついててどうすんねん。気を引き締めろ」
「すんません」
隣には堺(さかい)貫太郎(かんたろう)管理官と進行役の三島(みしま)隆盛(たかもり)係長が座り、号令が発せられた。高石は始まりと終わりの立ったり座ったりが、学校かよといつも面倒で嫌いだった。
「本日の現金輸送車強奪事件は、稀に見る悪質さであり」
「そんなん、ええ」
三島の話に割り込んだのは淡路だった。
「ええか。府警の威信と面子に懸けても検挙しろ! 分かったな!」
会議室に、男たちの生臭い息が一斉に吐き出される。三島が進行を続ける。
「高石班。事情聴取の結果を」
「知捜の遠野巡査長、アーバネット銀行の城見支店長、長尾香澄の話にズレは見当たりませんでした。蓮浄寺で回収した現金を輸送中、十字路からバイクが飛び出してきて衝突。多分、警備員二人を車から出すために一計を図っていたのではと推測されます。その後、反対から白い乗用車がスピード出して警備員一人を撥ね、介抱していたもう一人はスタンガンで負傷。乗用車からヘルメットを被った犯人二人が降りてきて、駆けつけた遠野巡査長を襲っています」
「なんで、遠野は事故を起こした直後、前に出張らんかった?」
淡路が鼻を膨らましているのが見える。
「単なる事故やと思ったと」
淡路も知捜の事情は分かっているはずだが、あえて聞いてくるところが憎らしい。所轄の人間もいるから、仕方がない。
三島が淡路の顔色を見て、進行を続ける。次の報告は高石の部下である浮田巡査部長だ。
三島が淡路の顔色を見て、進行を続ける。次の報告は高石の部下である浮田巡査部長だ。
「蓮浄寺の現住職の隆光氏の話では、宗派の葬儀、それも、住職クラスが亡くなると、集まる香典の額が億単位になるが、全額返しになることは、僧侶なら誰でも知っているはずと。しかし一般的には知られてはいないので、なぜ狙われたのか全くわからないと言っていました。また家族は妻の美空と息子の定円(じょうえん)。その妻である朋美と双子兄弟がいますが、兄は京都の寺に修行中。弟は違う寺で住職をしています。いずれも、アリバイはありました。妻や兄弟、住職らは、わざわざ金額を口にはしていないと」
どちらにせよお調子者の河内(かわうち)遥一(よういち)警部補が率いる班が入ってくるのは時間の問題かもしれない。高石は河内のよくわからないテンションが好きではなかった。
結局、会議では翌日の捜査方針の割当。逃走車両の行方はまだ掴めていないとのことだった。見つかってもバイク同様に盗難車両に違いない。車中に髪の一本でも手がかりが残っていればまだいいかもしれない。高石は号令で立ち上がったが、前列者の壁で前は見えかった。
会議終了後、高石と糸屋は府道を車で走らせ、宮本が在籍していた大学に来ていた。
「大阪府警ですが、名簿を見せてもらいたいんです」
学生部に座っている事務職員に声を掛けて、警察手帳の提示をした。「少々お待ち下さい」と奥に座っていた責任者を呼び行った。
「何か、大学って変な空間ですね」
糸屋が今日昨日と山奥から出てきたみたいな、物珍しそうに周りを見ている。
「どうしてん」
「いや、自分は高校卒業して入庁したんで、大学って入ったことがないんです」
意外だった。糸屋はどちらかと言えば、男の割に色が白く、細身で頼りなく見える。てっきりガリ勉タイプだと、高石は勝手に想像していた。
「お前、いくつや」
「今年で二十七歳になります」
「ほんだら巡査部長の試験、受けれるやろ」
「そう、なんですけど。勉強が苦手なもんで」
ヘラヘラと笑う糸屋は、年齢を聞けば歳相応の青年に見えた。
「お待たせしました。よろしかったら、中へどうぞ」
中から出て来たのは疲れきった、化粧の浮いた中年の女性だった。事務所内にある簡易の商談室に通してくれた。
「どうも、学生部課長の中崎です。今日は、どういったご用件で」
高石は控えてきていた宮本のプロフィールを提示した。
「この人物が在籍していた時の、サークルや授業、受講していたゼミを調べたいんです。全ての資料を提出してもらいたい」
令状を机の上に広げた高石の口ぶりは、中崎に選択する余地を与えなかった。
「かしこまりました。資料を揃えるまで、少しお時間を頂けますか?」
「どれくらいです?」
「三〇分ほど」
「分かりました。一五分でお願いします」
中崎が口を開けようとするので、高石は睨み返した。中崎はそそくさと戻っていた。
「高石さん。協力してくれはるのに、そんな無茶振りをせんでもいいんとちゃいます?」
「刑事は舐められたら終わりや。別にきっかり十五分やなくてもええねん。体面や。ほら」
高石がポケットから包みを取り出して糸屋に渡した。
「なんですか?」
糸屋が、包みを摘まんで持った。
「何ですかって、飴ちゃんや。待ってる間に食っとけ」
高石が口に入れた飴がなくなった頃に、中崎と女性職員二人が資料を抱えて戻ってきた。
「これが全部になります。あとゼミとサークル関係はデータになってるんですが……」
「そうですか。ほんだらパソコン貸してください。必要なデータは持って帰ります」
「はあ。ほんだら使いはる時に声を掛けて下さい」
中崎の話は、どこか歯切れが悪い。察して欲しいと気配を漂わせている。高石が推察するに、データを持ち出して欲しくはないのだろう。
「まあまあな量ですね」
糸屋が、置かれた資料をパラパラと捲った。
「ほんだらやるで」
適当に分けた半分を糸屋の前に置いた。
資料の半分まで消化した頃に、中崎が申し訳なささそうな声を出して高石を呼んだ。
資料の半分まで消化した頃に、中崎が申し訳なささそうな声を出して高石を呼んだ。
「すみません。あの、もう直ぐ昼になるんですが、食堂を利用されるなら早めのほうが……」
時計を確認すると、十一時過ぎになっている。
「そうですか。糸屋せっかくや。先に飯を食いに行こか」
「はい」
格安の日替わり定食に、糸屋は何度も「安い」を連呼していた。掻き込むように食べた二人が学生部に戻ると同時に、学生たちが蟻の大群のように集まり出した。
続きをするため、元の椅子に座った糸屋は、何度も出てもいない腹を擦っていた。データと資料から宮本関連の情報を抜き出し終えたのは、夕方になる前だった。
「この宮本のゼミを受け持っていた教授はいはりますか?」
「今、調べてみます」
中崎がパソコンを叩いて数秒後に「今日は講義があったので、部屋にいはると思います。連絡しておくので、ここに行って下さい」
高石は仕方なく目印を付けられた構内地図を持って、教授の部屋に向かった。
高石は仕方なく目印を付けられた構内地図を持って、教授の部屋に向かった。
「めちゃくちゃ無駄に広いですね。異世界っていうか、ここだけ異空間ですね」
糸屋はレジャーランドにでも来た気になっている。高石も歩きながら構内を見渡し、確かに糸屋の言っている意味が分からなくもない。講義時間だが、ぶらついている学生やベンチで寝ている奴もいる。大学構内だけ時間の流れが独特で、空気もフワついているかもしれない。
「糸屋、お前がフワついててどうすんねん。気を引き締めろ」
「すんません」
糸屋は怒られて、尻尾の垂れ下がった犬のようになっていた。
結局、ゼミの教授に宮本の履歴書の写真を見せても、はっきりとは覚えていなかった。続けて携帯で連絡が取れたゼミの受講者が五人いたが、この五人とも教授との反応と変わりはなかった。ゼミの参加者は一五名。四名とアポが取れて、残りの六名にはまだ連絡が取れていなかった。
結局、ゼミの教授に宮本の履歴書の写真を見せても、はっきりとは覚えていなかった。続けて携帯で連絡が取れたゼミの受講者が五人いたが、この五人とも教授との反応と変わりはなかった。ゼミの参加者は一五名。四名とアポが取れて、残りの六名にはまだ連絡が取れていなかった。
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