16
17/40翌朝、時間になって捜査員が集まり、安立は素早く指示を出していった。
「藤井、高津は明日から狭山、日根野支店に。八尾、柏原は千里箕面、豊中服部支店に出向いて、今橋、阿倍は十三、野田阪神支店、あと本店に出向いて、宮本の在籍支店に漏れがないか確認や。それと宮本の口座を洗ってくれ。どっかでダミーを作ってるはずや。あと、不正出金の形跡。頼んだで」
解散後、安立は、萱島と山崎を連れて香里ケ丘支店に向かった。昨日の続きをしながら、一課の焦りが空気からひしひしと伝わってくるのを肌で感じていた。
加えて行員たちの動揺が混ざり、建物全体が異次元になっている。特に、朝から融資課の富田の顔色は悪かった。昨夜、最後に見た時よりも年を食い、白髪さえ増えている様相に見えた。
九時ちょうどに支店のシャッターが開いた。眩(まばゆ)いばかりの陽射しが正面、道路側から入ってきても、支店内の暗澹(あんたん)とした空気が浄化されることはなかった。
一〇時を過ぎた頃に、遠野が支店にやってきた。山崎が来た時よりも一課の視線は、針のような鋭さを持って集中している。
パーティションまで来た遠野が安立を見つけるなり、深々と頭を下げた。
「ご迷惑をお掛けしまた」
向こう側、一課がいる場所は急に静まり返り、安立たちの会話を聞いている。
「怪我、大丈夫やったんか?」
「はい。脳震盪(のうしんとう)を起こしただけやったのに、大げさやったんですよ」
「一課の聴取は?」
「病院のベッドの上で終わりました」
「山崎も、すまんかったな」
「いえ。俺がもっと早く駆けつけてたら」
山崎が言い終わるのを待って安立は立ち上がった。
「文ちゃん、山崎。ちょっと話してくるから、頼むで」と、遠野を一階の支店長室に連れて行った。
近くに居た行員に声を掛けて中に入る。ソファの感触を知っていた安立は、ゆっくり腰を下ろすのに対して、遠野は勢いよく腰を下ろして、沈み込むソファの深さに焦っている。
「山崎からは聞いたけど、宮本は?」
ソファの背凭(せもた)れに、全体重を預けた安立は、疲れた目を指でマッサージをして質問した。
「連れて行かれました」
「犯人は、複数か?」
「はい。三人組で黒いヘルメットを被っていて、顔は見えませんでしたけど、喧嘩慣れというか手慣れてる感じはありました」
「何で女性行員やなくて、男の宮本を連れ去ったんや?」
一課にも散々聞かれたはずだが、聞かないわけにもいかない。なすべき仕事は理解しているが、今回は糸が複雑に絡み合い過ぎている。一課も知捜も、解き目を見つけ出せていない。一課の焦りが倍になって、安立に伸(の)し掛かってきている気分だった。
「それはわかりません。車が襲われた時、二〇メートルほど離れて尾行してました。十字路に差し掛かった時にバイクが飛び出してきて接触し、派手な音がしたんです。咄嗟に出ていこうとは考えたんですが、宮本にバレてしまうし、接触事故なら警備会社が対応するやろうからと、路地にバイクを止めて様子を見守ってました。ほんだら助手席から警備員が一人下りてきて、当たった相手の具合を確認し始めたんです」
遠野は一度呼吸を整えて続けた。
「現金輸送車で前方は見えにくかったんですけど、どうもバイクの乗り手が、全く動かんかったんです。運転手の警備員も下りてきて、倒れた相手を確認してました。宮本は運転席の後ろ、女性行員は助手席に座ってて、前を覗きこんでる姿が窺えました。最初に下りた警備員が携帯を手にした時、白い乗用車が反対の筋からスピードを出して走ってきたかと思ったら、警備員を一人跳ねました。これはヤバイと思ってすぐに駆け寄って、警察だと名乗りました。自分に一瞬びくっと驚いてました。だけど、直ぐに間合いを詰めてきて……」
「やられたんやな」遠野はガクンと首を落として頷いた。
「女性行員は逃げようとして車から飛び出してきたのが見えましたが、宮本の姿は……」
横領をする人間だからといって、度胸があるわけじゃない。だいたいの人間が持ち合わせている未来予測的感覚や罪の意識が、欠如している人間が多い。
たとえば金を盗んでも後で返すから、数字が合えばわからないからいい。盗んでバレたらどうなるかも考えていない。横領が発覚しても「じゃあ、返すからいいですよね」と、平気で言ってのける輩(やから)もいる。
まだ宮本とは対峙したわけじゃなかったが、やはり安立の見立てに近い感じがしていた。
「宮本の、犯行が行われた時の状況は、よく見えへんかった。そういうことやな」
「はい」
「ジュンジュン。宮本は生きてると思うか?」
遠野は眉を顰(ひそ)め、口元を撫でた。
「殺されてるかも、しませんね」
宮本が解放された知らせが入ってこない以上、やはり最悪な推測に達してしまう。
「わかった。このあと、ジュンジュンと山崎は、もう一度しっかり交友関係を洗ってこい」
安立と遠野は立ち上がって部屋を出た。一階のフロアの空気が、支店長室に入る前とは全く違っている。暗澹(あんたん)とした中に悲壮感と空気がより重く伸(の)し掛かってきた。
中央の城見の席の周りに、平野、富田、あと営業の男たちが集まっている。女性行員も、後ろを気にしていた。明らかに、新たな別の厄介ごとが降り掛かっている気配が漂っていた。
立っている平野と富田の間からのぞく、城見と目が合った。離れた所からでも、脂ぎった体から、かなりの汗を掻いている有様が伺える。
フロアを見ると、相変わらず人はいない。安立は助けを求める風な城見の席に移動した。
「何かありました?」
「――」
「私は、決裁なんかしてへん」
「ジュンジュン。すまんけど、文ちゃんを呼んできてくれ。後は、予定通りにや」
「わかりました」
安立は、死相が浮かび上がっている四人を連れて、支店長室に戻った。
「藤井、高津は明日から狭山、日根野支店に。八尾、柏原は千里箕面、豊中服部支店に出向いて、今橋、阿倍は十三、野田阪神支店、あと本店に出向いて、宮本の在籍支店に漏れがないか確認や。それと宮本の口座を洗ってくれ。どっかでダミーを作ってるはずや。あと、不正出金の形跡。頼んだで」
解散後、安立は、萱島と山崎を連れて香里ケ丘支店に向かった。昨日の続きをしながら、一課の焦りが空気からひしひしと伝わってくるのを肌で感じていた。
加えて行員たちの動揺が混ざり、建物全体が異次元になっている。特に、朝から融資課の富田の顔色は悪かった。昨夜、最後に見た時よりも年を食い、白髪さえ増えている様相に見えた。
九時ちょうどに支店のシャッターが開いた。眩(まばゆ)いばかりの陽射しが正面、道路側から入ってきても、支店内の暗澹(あんたん)とした空気が浄化されることはなかった。
一〇時を過ぎた頃に、遠野が支店にやってきた。山崎が来た時よりも一課の視線は、針のような鋭さを持って集中している。
パーティションまで来た遠野が安立を見つけるなり、深々と頭を下げた。
「ご迷惑をお掛けしまた」
向こう側、一課がいる場所は急に静まり返り、安立たちの会話を聞いている。
「怪我、大丈夫やったんか?」
「はい。脳震盪(のうしんとう)を起こしただけやったのに、大げさやったんですよ」
「一課の聴取は?」
「病院のベッドの上で終わりました」
遠野が力なく答えた。
「山崎も、すまんかったな」
遠野は、もう一度、今度は山崎に頭を下げた。
「いえ。俺がもっと早く駆けつけてたら」
山崎が言い終わるのを待って安立は立ち上がった。
「文ちゃん、山崎。ちょっと話してくるから、頼むで」と、遠野を一階の支店長室に連れて行った。
近くに居た行員に声を掛けて中に入る。ソファの感触を知っていた安立は、ゆっくり腰を下ろすのに対して、遠野は勢いよく腰を下ろして、沈み込むソファの深さに焦っている。
「山崎からは聞いたけど、宮本は?」
ソファの背凭(せもた)れに、全体重を預けた安立は、疲れた目を指でマッサージをして質問した。
「連れて行かれました」
「犯人は、複数か?」
「はい。三人組で黒いヘルメットを被っていて、顔は見えませんでしたけど、喧嘩慣れというか手慣れてる感じはありました」
「何で女性行員やなくて、男の宮本を連れ去ったんや?」
一課にも散々聞かれたはずだが、聞かないわけにもいかない。なすべき仕事は理解しているが、今回は糸が複雑に絡み合い過ぎている。一課も知捜も、解き目を見つけ出せていない。一課の焦りが倍になって、安立に伸(の)し掛かってきている気分だった。
「それはわかりません。車が襲われた時、二〇メートルほど離れて尾行してました。十字路に差し掛かった時にバイクが飛び出してきて接触し、派手な音がしたんです。咄嗟に出ていこうとは考えたんですが、宮本にバレてしまうし、接触事故なら警備会社が対応するやろうからと、路地にバイクを止めて様子を見守ってました。ほんだら助手席から警備員が一人下りてきて、当たった相手の具合を確認し始めたんです」
遠野は一度呼吸を整えて続けた。
「現金輸送車で前方は見えにくかったんですけど、どうもバイクの乗り手が、全く動かんかったんです。運転手の警備員も下りてきて、倒れた相手を確認してました。宮本は運転席の後ろ、女性行員は助手席に座ってて、前を覗きこんでる姿が窺えました。最初に下りた警備員が携帯を手にした時、白い乗用車が反対の筋からスピードを出して走ってきたかと思ったら、警備員を一人跳ねました。これはヤバイと思ってすぐに駆け寄って、警察だと名乗りました。自分に一瞬びくっと驚いてました。だけど、直ぐに間合いを詰めてきて……」
「やられたんやな」遠野はガクンと首を落として頷いた。
「女性行員は逃げようとして車から飛び出してきたのが見えましたが、宮本の姿は……」
「土壇場では女の逃げ足が速かったってことか」
横領をする人間だからといって、度胸があるわけじゃない。だいたいの人間が持ち合わせている未来予測的感覚や罪の意識が、欠如している人間が多い。
たとえば金を盗んでも後で返すから、数字が合えばわからないからいい。盗んでバレたらどうなるかも考えていない。横領が発覚しても「じゃあ、返すからいいですよね」と、平気で言ってのける輩(やから)もいる。
まだ宮本とは対峙したわけじゃなかったが、やはり安立の見立てに近い感じがしていた。
「宮本の、犯行が行われた時の状況は、よく見えへんかった。そういうことやな」
「はい」
遠野の声は、聞こえるか聞こえないかくらいに弱々しかった。
安立は、腹に詰まった塊を外に出すように、大きく息を吐いた。
安立は、腹に詰まった塊を外に出すように、大きく息を吐いた。
「ジュンジュン。宮本は生きてると思うか?」
遠野は眉を顰(ひそ)め、口元を撫でた。
「殺されてるかも、しませんね」
宮本が解放された知らせが入ってこない以上、やはり最悪な推測に達してしまう。
「わかった。このあと、ジュンジュンと山崎は、もう一度しっかり交友関係を洗ってこい」
安立と遠野は立ち上がって部屋を出た。一階のフロアの空気が、支店長室に入る前とは全く違っている。暗澹(あんたん)とした中に悲壮感と空気がより重く伸(の)し掛かってきた。
中央の城見の席の周りに、平野、富田、あと営業の男たちが集まっている。女性行員も、後ろを気にしていた。明らかに、新たな別の厄介ごとが降り掛かっている気配が漂っていた。
立っている平野と富田の間からのぞく、城見と目が合った。離れた所からでも、脂ぎった体から、かなりの汗を掻いている有様が伺える。
フロアを見ると、相変わらず人はいない。安立は助けを求める風な城見の席に移動した。
「何かありました?」
囲んでいた三人が一斉に振り向き、安立たちの存在を思い出した顔をしていた。
「――」
四人が四人とも口を閉ざし、誰かが口を開くのを待っている。互いが責任から逃れ、起こった不都合から逃げ出してしまいたいと、各々の顔が訴えていた。
安立の目には保身を計ろうとする、人間の無様な姿に見えていた。
「私は、決裁なんかしてへん」
城見の声は、今にも泣きそうだった。
「ジュンジュン。すまんけど、文ちゃんを呼んできてくれ。後は、予定通りにや」
「わかりました」
安立は、死相が浮かび上がっている四人を連れて、支店長室に戻った。
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