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翌朝一番、融資課長である富田に、書類を回した。

「すんません。これお願いしますわ。ちょっと確認したいことがあって、支店長にちょっと戻してもらってたんです。後は融資に回したらええ、って言われてたんですわ」
「そうですか」

富田が書類をパラパラ捲って中を確認している間、心臓が踊り狂うように動いていた。

「わかりました。支店長のお墨付きかあ。本店に回しても早く下りてきそうですな。ほんだら、信用照会して回しときます」
「なるべく早く、お願いしますわ」
「わかりました」

富田は怪しむことなく受け取り、宮本は胸を撫で下ろした。
宮本は外回りに出て、直ぐに青山に連絡を入れた。

「青山さん。宮本です」
「どうでした?」
「融資課に回して、後は決裁待ちですわ。大丈夫やろうか?」
「何が、です?」
「支店長にバレへんやろうか?」
「大丈夫でしょ。実行されたら、美井銀行へ振り込んでくださいよ」
「青山さん。ほんまにキックバック、くれはるやんな?」
「大丈夫。ちゃんと渡しますから。ほんだら電話、切りますよ」と、電話は切れてしまった。

胸の中に燻(くすぶ)る不安は、ジワジワと宮本の体を侵食し始め、息が詰まりそうだった。
無事に融資が実行されたのは、城見が出勤してくる二日前だった。ただ、問題が起こった。

「取引先課長。小林不動産やけど、実行する時に顔を合わせたいから、今日は会社にいはります?」

富田の言葉は、今の宮本には、余計な話だった。話をどう都合のいいように持って行けば、富田が納得するかを瞬時で考えた。
緊張と焦りで早口にならないために、宮本は何度も落ち着けと頭の中で繰り返した。

「何で?」
「融資を実行する時は、行くのが筋やし」

 富田がパラパラと書類を捲(めく)っている。余裕を持っている富田の素振りが、宮本に対する嫌がらせに見えた。

「でも支店長と社長も話してはったし、俺に後は任せてるからって言われてるから、大丈夫ですよ」
「いや、でも」

 宮本は、間髪を入れずに続けた。

「それに小林社長、今日は夕方にならな帰ってこうへんからって聞いてて、任せられてるんですわ。出金伝票とか、もう預かってきてるし」

富田は腕を組んで唸っている。ここまで来て、何で面倒くさいこと言い出すんだと、宮本は焦らずにはいられなかった。
慌てすぎても変に思われるかもしれない。こんな時はどうすればいいか、青山は教えてくれていなかった。
宮本は、かなり混乱していた。なぜなら、実行される際は、だいたいが、融資課が足を運ぶ。

「支店長と話がついてるんかあ……なら、宮本課長に任せますわ」
「ほんだら処理してしもうて、夕方、社長のところへ行って来ますわ」

宮本は、入金された通帳を香奈惠に処理してもらうことにした。
落ち着かないまま時間は過ぎ、宮本は外回りへほとんど出ることはなかった。
支店長という上から押さえつけてくる石がいない支店は、空気が軽く、さっさと行員たちは帰って行く。宮本も青山に連絡を取っていて、七時にいつもの店で会う約束になっていた。

六時過ぎには支店は空になり、宮本も戸締まりをして、北新地に向かった。
最寄り駅まで歩き、京橋まで出て乗り換える。支店を出てから店に着くまで、ずっと人の目が気になって、いたたまれなかった。宮本のした悪事を見透かされている気がしてならなかった。

店に着いて部屋に案内されるときも、「今日、何をしてきたか、知っているぞ」と店員の顔が言っている気がした。

「やりはりましたな。宮本さん。お疲れ様でした」

テーブルの上には既に料理と酒が並べられていて、今日の青山はまだ手を付けてはいなかった。

「青山さん。冷や冷やしたけど、何とかやり遂げましたわ」

何となく宮本は、ほっとした。道中、人の目だけを気にしていて、周りの風景が見えてはいなかった。やっと白黒の世界から色味のある世界に帰って来た感覚だった。
上座に座っている青山がビールを注ごうとしている。宮本は慌ててコップを差し出した。注がれたビールを一気に飲み干すと、直ぐさま青山が二杯目を入れてくる。

ビールの冷たさが、内側から表皮に伝わってきて、シャツが汗でグショグショになっているのに気付いた。
青山は、にこにこしながら、宮本に食事を勧めてきてくれる。

「とりあえず腹ごしらえ、しましょか」
「青山さん、約束は守ってくれますよね?」

青山は困った顔をして笑った。

「信用されてませんか。約束のもんです」

 青山は机の下を覗き込むように顔を下げ、小さめのバッグを取り出した。
宮本は恐る恐るバッグを受け取ると、震える指でゆっくりとファスナーを開けた。小束が重なっていて、大束の替わりに太めの輪ゴムで束ねられている。
目視で、輪ゴムで大束にされた小束を数えると、五〇〇ずつで纏められている。少し手を入れて数えた宮本は、七つの塊を確認した。

「あ、青山さん。ほんまに、ほんまに、これは、俺の物なんですよね?」

 宮本は、宝籤(たからくじ)に当選した人間の気持ちが、少し分かった気がした。

「三五〇〇万、入ってます。以前に話して通り、うちの会社の借金返済に二〇〇〇万と、美井銀行への返済に八〇〇〇万。五〇〇万は社長に渡して、姿は消してもらいます。残り六〇〇〇万を、私と麻生さんで分けました」

 青山は、初めて会った時のように柔和で、人当たりがいい雰囲気に戻っていた。青山も気が張っていたんだと、宮本と何ら変わりない人の心を持っていた青山に、近親感が湧いた。

「じゃあ、五〇〇万、多いやないですか」
「当たり前です。今回の功労者やねんから。それに、それだけあったら、アジアに逃げられるし」

宮本は、今まで仕事として、他人の金と何度も触ってきた。
だが、今目の前にある束は、間違いなく自分の物。血沸き肉躍るを体感していて、青山の言葉を重く受け取ることはできなかった。

城見が長期休暇から戻ってくる前日、富田が家の事情で、休みを翌日の午後から一週間取得すると聞かされた。城見には連絡済みらしく、かなり嫌味を言われたと、愚痴を聞かされた。
話を聞いて宮本は、気が気ではなかった。

「支店長、他に何か言うてはりました?」
「特に、何も。私も要件だけ伝えて、早く切りたかったし。そうそう」

富田が気になるところで話を止める。宮本の指先が緊張で痺れ始めた。額からも、汗が吹き出してくる。

「ヴェネチア行ってはったみたいやね。支店長。嫌ごとが始まって、話の方向を変えたら、今度は旅行話に三〇分で、電話を切るのに時間が掛かったわ」

富田の話の内容から推測して、小林不動産の話は出てはいないみたいだ。身体が床に強く引っ張られるような脱力が、宮本を襲った。
城見と富田が顔を合わせず、また一週間すぎるのであれば、記憶は薄れて大丈夫だろう。
富田と話を終えてから自席に戻ると途中、平野に蓮浄寺から電話だと呼ばれた。

「どうも隆光さん。どうか、しはりましたか?」

受話器を肩で挟み、机に広がった伝票の振り分けを始める。

「以前にお話した、宗派のみのお式ですが、九月一二日の木曜日に決まりましたんで、よろしくお願いします」という連絡だった。
 年始の小銭が大量にある集計よりも札束ばかりだから、窓口の女性たちには頼みやすい。
翌日、出勤してきた城見に早速、蓮浄寺の集金の件で話をした。

「昨日、蓮浄寺から電話がありまして、亡くなった先代住職の宗派だけで行われる葬式で集まる金が、数億になるから現金輸送車の手配を頼まれましたわ」

城見の脂肪で垂れ下がっていた目が見開いた。

「数億やて! 凄いやないか!」
「でも、一旦は入金しても、同額返しをするらしくて、翌月か翌々月には出ていくんですわ」

城見の机に乗り上げた脂肪が、サッと引いていき、月を跨がっての出金に良い顔をしなかった。

「ほんだら年始と同じ手配やし、取引先(とりち)課長(ょう)が仕切ればええ。あとは任せるわ」

城見は、ハエを追い払うような手つきを宮本に向けてきたが、不思議と腹は立たなかった。城見を出し抜いた勝利感が、宮本の気持ちを寛大にしていた。



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「すんません。これお願いしますわ。ちょっと確認したいことがあって、支店長にちょっと戻してもらってたんです。後は融資に回したらええ、って言われてたんですわ」
「そうですか」
富田が書類をパラパラ捲って中を確認している間、心臓が踊り狂うように動いていた。
「わかりました。支店長のお墨付きかあ。本店に回しても早く下りてきそうですな。ほんだら、信用照会して回しときます」
「なるべく早く、お願いしますわ」
「わかりました」
富田は怪しむことなく受け取り、宮本は胸を撫で下ろした。
宮本は外回りに出て、直ぐに青山に連絡を入れた。
「青山さん。宮本です」
「どうでした?」
「融資課に回して、後は決裁待ちですわ。大丈夫やろうか?」
「何が、です?」
「支店長にバレへんやろうか?」
「大丈夫でしょ。実行されたら、美井銀行へ振り込んでくださいよ」
「青山さん。ほんまにキックバック、くれはるやんな?」
「大丈夫。ちゃんと渡しますから。ほんだら電話、切りますよ」と、電話は切れてしまった。
胸の中に燻(くすぶ)る不安は、ジワジワと宮本の体を侵食し始め、息が詰まりそうだった。
無事に融資が実行されたのは、城見が出勤してくる二日前だった。ただ、問題が起こった。
「取引先課長。小林不動産やけど、実行する時に顔を合わせたいから、今日は会社にいはります?」
富田の言葉は、今の宮本には、余計な話だった。話をどう都合のいいように持って行けば、富田が納得するかを瞬時で考えた。
緊張と焦りで早口にならないために、宮本は何度も落ち着けと頭の中で繰り返した。
「何で?」
「融資を実行する時は、行くのが筋やし」
 富田がパラパラと書類を捲(めく)っている。余裕を持っている富田の素振りが、宮本に対する嫌がらせに見えた。
「でも支店長と社長も話してはったし、俺に後は任せてるからって言われてるから、大丈夫ですよ」
「いや、でも」
 宮本は、間髪を入れずに続けた。
「それに小林社長、今日は夕方にならな帰ってこうへんからって聞いてて、任せられてるんですわ。出金伝票とか、もう預かってきてるし」
富田は腕を組んで唸っている。ここまで来て、何で面倒くさいこと言い出すんだと、宮本は焦らずにはいられなかった。
慌てすぎても変に思われるかもしれない。こんな時はどうすればいいか、青山は教えてくれていなかった。
宮本は、かなり混乱していた。なぜなら、実行される際は、だいたいが、融資課が足を運ぶ。
「支店長と話がついてるんかあ……なら、宮本課長に任せますわ」
「ほんだら処理してしもうて、夕方、社長のところへ行って来ますわ」
宮本は、入金された通帳を香奈惠に処理してもらうことにした。
落ち着かないまま時間は過ぎ、宮本は外回りへほとんど出ることはなかった。
支店長という上から押さえつけてくる石がいない支店は、空気が軽く、さっさと行員たちは帰って行く。宮本も青山に連絡を取っていて、七時にいつもの店で会う約束になっていた。
六時過ぎには支店は空になり、宮本も戸締まりをして、北新地に向かった。
最寄り駅まで歩き、京橋まで出て乗り換える。支店を出てから店に着くまで、ずっと人の目が気になって、いたたまれなかった。宮本のした悪事を見透かされている気がしてならなかった。
店に着いて部屋に案内されるときも、「今日、何をしてきたか、知っているぞ」と店員の顔が言っている気がした。
「やりはりましたな。宮本さん。お疲れ様でした」
テーブルの上には既に料理と酒が並べられていて、今日の青山はまだ手を付けてはいなかった。
「青山さん。冷や冷やしたけど、何とかやり遂げましたわ」
何となく宮本は、ほっとした。道中、人の目だけを気にしていて、周りの風景が見えてはいなかった。やっと白黒の世界から色味のある世界に帰って来た感覚だった。
上座に座っている青山がビールを注ごうとしている。宮本は慌ててコップを差し出した。注がれたビールを一気に飲み干すと、直ぐさま青山が二杯目を入れてくる。
ビールの冷たさが、内側から表皮に伝わってきて、シャツが汗でグショグショになっているのに気付いた。
青山は、にこにこしながら、宮本に食事を勧めてきてくれる。
「とりあえず腹ごしらえ、しましょか」
「青山さん、約束は守ってくれますよね?」
青山は困った顔をして笑った。
「信用されてませんか。約束のもんです」
 青山は机の下を覗き込むように顔を下げ、小さめのバッグを取り出した。
宮本は恐る恐るバッグを受け取ると、震える指でゆっくりとファスナーを開けた。小束が重なっていて、大束の替わりに太めの輪ゴムで束ねられている。
目視で、輪ゴムで大束にされた小束を数えると、五〇〇ずつで纏められている。少し手を入れて数えた宮本は、七つの塊を確認した。
「あ、青山さん。ほんまに、ほんまに、これは、俺の物なんですよね?」
 宮本は、宝籤(たからくじ)に当選した人間の気持ちが、少し分かった気がした。
「三五〇〇万、入ってます。以前に話して通り、うちの会社の借金返済に二〇〇〇万と、美井銀行への返済に八〇〇〇万。五〇〇万は社長に渡して、姿は消してもらいます。残り六〇〇〇万を、私と麻生さんで分けました」
 青山は、初めて会った時のように柔和で、人当たりがいい雰囲気に戻っていた。青山も気が張っていたんだと、宮本と何ら変わりない人の心を持っていた青山に、近親感が湧いた。
「じゃあ、五〇〇万、多いやないですか」
「当たり前です。今回の功労者やねんから。それに、それだけあったら、アジアに逃げられるし」
宮本は、今まで仕事として、他人の金と何度も触ってきた。
だが、今目の前にある束は、間違いなく自分の物。血沸き肉躍るを体感していて、青山の言葉を重く受け取ることはできなかった。
城見が長期休暇から戻ってくる前日、富田が家の事情で、休みを翌日の午後から一週間取得すると聞かされた。城見には連絡済みらしく、かなり嫌味を言われたと、愚痴を聞かされた。
話を聞いて宮本は、気が気ではなかった。
「支店長、他に何か言うてはりました?」
「特に、何も。私も要件だけ伝えて、早く切りたかったし。そうそう」
富田が気になるところで話を止める。宮本の指先が緊張で痺れ始めた。額からも、汗が吹き出してくる。
「ヴェネチア行ってはったみたいやね。支店長。嫌ごとが始まって、話の方向を変えたら、今度は旅行話に三〇分で、電話を切るのに時間が掛かったわ」
富田の話の内容から推測して、小林不動産の話は出てはいないみたいだ。身体が床に強く引っ張られるような脱力が、宮本を襲った。
城見と富田が顔を合わせず、また一週間すぎるのであれば、記憶は薄れて大丈夫だろう。
富田と話を終えてから自席に戻ると途中、平野に蓮浄寺から電話だと呼ばれた。
「どうも隆光さん。どうか、しはりましたか?」
受話器を肩で挟み、机に広がった伝票の振り分けを始める。
「以前にお話した、宗派のみのお式ですが、九月一二日の木曜日に決まりましたんで、よろしくお願いします」という連絡だった。
 年始の小銭が大量にある集計よりも札束ばかりだから、窓口の女性たちには頼みやすい。
翌日、出勤してきた城見に早速、蓮浄寺の集金の件で話をした。
「昨日、蓮浄寺から電話がありまして、亡くなった先代住職の宗派だけで行われる葬式で集まる金が、数億になるから現金輸送車の手配を頼まれましたわ」
城見の脂肪で垂れ下がっていた目が見開いた。
「数億やて! 凄いやないか!」
「でも、一旦は入金しても、同額返しをするらしくて、翌月か翌々月には出ていくんですわ」
城見の机に乗り上げた脂肪が、サッと引いていき、月を跨がっての出金に良い顔をしなかった。
「ほんだら年始と同じ手配やし、取引先(とりち)課長(ょう)が仕切ればええ。あとは任せるわ」
城見は、ハエを追い払うような手つきを宮本に向けてきたが、不思議と腹は立たなかった。城見を出し抜いた勝利感が、宮本の気持ちを寛大にしていた。