8
8/40翌日、城見の代わりに朝礼を仕切り、何食わぬ顔で支店を出た。
昨夜の青山との話で、審査などに取られる時間を考えて、今夜に実行する手筈になった。但し、何か違算などの問題が起こって遅くなった場合に限り、翌日に繰り越すと取り決めた。
世間は盆休みとあって、訪問を予め断られている家や会社が多い。宮本は、数駅離れた漫画喫茶で時間を潰し、早めの昼食を支店の食堂に食べに戻った。
少しだけ事務処理をしたあと、出会い系サイトで約束が取れた女と、京橋で待ち合わせた。頭の中で何度もシミュレーションをし、緊張と興奮が入り乱れて、一足先に男としての気合いを入れたかった。
会った女は三〇半ばの人妻で、かなりの欲求不満だったのか、一度では済まなかった。宮本も不安を払拭しようとセックスに集中して、久々に三回も射精ができて、変な自信も沸いてきた。
三時ギリギリに支店に戻った時には、朝にたじろいでいた気持ちは綺麗さっぱりとなくなっていた。
「どうしたんや?」
窓口の大垣香奈惠が古い帳簿を見ながら、本店と電話していた。平野も香奈惠の電話を横で聞いている。
「自分が藤本さんから通帳を預かってきたんですが、古い通帳やったから雑口口座に入っているみたいで」
狭山が申し訳なさそうな声を出した。他の三人は、窓口の作業には興味はないらしい。宮本は、平野の横に移動した。
「雑口座の復活か?」
「取引先課長(とりちょう)、帰ってはったんですか? そうなんですわ。恒例ですわ。年末年始とお盆休み。時間を持て余す人が、掃除していて出てくるパターン」
「狭山が、ごめんな」
「しゃあないですよ」
「時間、掛かりそうなん?」
「まだ窓口は完全には締めてないけど、残高があるかどうかは、調べるのに時間がねえ」
雑口の最終残金を探すには、時間が掛かる。
「狭山! 藤本さんには時間が掛かるって説明してるな?」
「はい。急いでへんとは言ってました」
「平野課長。支店長も休みで、おらんし、適当に今日は切り上げたどうやろ?」
「そうやなあ。大垣さん。キリのいいところでまででええから」
香奈惠は帳簿に目を向けたまま、曖昧な返事をした。全窓口と伝票の締めが終わり、五時半を過ぎて一人、二人と帰って行く。
結局、平野と香奈惠が七時前まで粘っていた。
「取引先課長(とりちょう)は、まだ残ってるんですか?」
平野が鞄を机に置いて、帰宅準備をしていた。
「ちょっと、やらなアカンことがあるんですわ。戸締まりはやっときますんで、帰ってもらって大丈夫ですよ」
「そうですか。ほんだら、帰りますわ。お疲れさまでした」
「お疲れ様です」
従業員用出口の鉄扉の閉まる音が聞こえてきて、宮本はやっと力を抜いた。シャッターが閉じられた店内は、ちょっとした要塞だった。
念のために、宮本は三〇分近く経ってから青山に連絡を入れた。
「青山さん。皆、帰りました」
「そうですか。ほんだら、今からプロが行くから、中に入れたってください」
「分かりました」
電話を切って五分もしないうちに、インターフォンが鳴った。宮本が鉄扉の覗き窓を開けて確認した。
すると薄暗い中に、黒いジーンズとTシャツのショートカットの女が立っていた。美人でも可愛くもない。年は三〇台の半ばにも、二〇台の後半にも見えた。
「青山さんの?」
「そうや」
てっきり男だと思っていた宮本は驚いた。扉を開けると、宮本に目もくれずに女は中に入ってきた。
「ちょ、ちょっと」
宮本は女を追いかける。迷うことなく女は、支店長の抽斗(ひきだし)の前にしゃがみ込んでいた。
「支店長の席、知ってはるん?」
しかし女は返事をせず、布に巻かれた工具を床の上に広げ、既に作業に入っていた。
女が工具を差し込むと、直ぐに抽斗の鍵が開いた。あっという間の出来事で、宮本は呆然としていた。
「カードと印鑑やろ。これでええんか?」
女は不機嫌な声と顔をして、抽斗から取り出したカードと印鑑を手にしていた。顔が残念なんだから、愛想笑いでもしたらまだ可愛らしげがあるのにと、どうでもいい感想が頭を過(よ)ぎった。
「え? そ、そうです」
「一時間くらいで戻ってくるから、待っとき」
女は立ち上がると、風のように去っていった。
残された宮本は、女が本当に存在しているのか、幻とでも会話していた気がした。
しかし女は約束通り、きっちり一時間で戻って来て、カードと印鑑を元の位置に戻した。
「これ、複製したカードと印鑑やから」と、袋を放り投げてきて、慌ててキャッチした。最後にデスクの鍵を閉めて、宮本を見ることなく、無言で去って行った。
何だか夢を見ている心地になっていた宮本は、手にしていた袋を開けた。中には、さっき机の抽斗に仕舞った、同じ物が入っていた。
印鑑を取り出して確認すると、丸の端が擦れた特徴のある、城見の印鑑だった。我に返った宮本は、急いで作り上げた融資書類の全てに、城見の印鑑を押印した。
昨夜の青山との話で、審査などに取られる時間を考えて、今夜に実行する手筈になった。但し、何か違算などの問題が起こって遅くなった場合に限り、翌日に繰り越すと取り決めた。
世間は盆休みとあって、訪問を予め断られている家や会社が多い。宮本は、数駅離れた漫画喫茶で時間を潰し、早めの昼食を支店の食堂に食べに戻った。
少しだけ事務処理をしたあと、出会い系サイトで約束が取れた女と、京橋で待ち合わせた。頭の中で何度もシミュレーションをし、緊張と興奮が入り乱れて、一足先に男としての気合いを入れたかった。
会った女は三〇半ばの人妻で、かなりの欲求不満だったのか、一度では済まなかった。宮本も不安を払拭しようとセックスに集中して、久々に三回も射精ができて、変な自信も沸いてきた。
三時ギリギリに支店に戻った時には、朝にたじろいでいた気持ちは綺麗さっぱりとなくなっていた。
「どうしたんや?」
窓口の大垣香奈惠が古い帳簿を見ながら、本店と電話していた。平野も香奈惠の電話を横で聞いている。
「自分が藤本さんから通帳を預かってきたんですが、古い通帳やったから雑口口座に入っているみたいで」
狭山が申し訳なさそうな声を出した。他の三人は、窓口の作業には興味はないらしい。宮本は、平野の横に移動した。
「雑口座の復活か?」
「取引先課長(とりちょう)、帰ってはったんですか? そうなんですわ。恒例ですわ。年末年始とお盆休み。時間を持て余す人が、掃除していて出てくるパターン」
「狭山が、ごめんな」
「しゃあないですよ」
「時間、掛かりそうなん?」
「まだ窓口は完全には締めてないけど、残高があるかどうかは、調べるのに時間がねえ」
雑口の最終残金を探すには、時間が掛かる。
「狭山! 藤本さんには時間が掛かるって説明してるな?」
「はい。急いでへんとは言ってました」
「平野課長。支店長も休みで、おらんし、適当に今日は切り上げたどうやろ?」
「そうやなあ。大垣さん。キリのいいところでまででええから」
香奈惠は帳簿に目を向けたまま、曖昧な返事をした。全窓口と伝票の締めが終わり、五時半を過ぎて一人、二人と帰って行く。
結局、平野と香奈惠が七時前まで粘っていた。
「取引先課長(とりちょう)は、まだ残ってるんですか?」
平野が鞄を机に置いて、帰宅準備をしていた。
「ちょっと、やらなアカンことがあるんですわ。戸締まりはやっときますんで、帰ってもらって大丈夫ですよ」
「そうですか。ほんだら、帰りますわ。お疲れさまでした」
「お疲れ様です」
従業員用出口の鉄扉の閉まる音が聞こえてきて、宮本はやっと力を抜いた。シャッターが閉じられた店内は、ちょっとした要塞だった。
念のために、宮本は三〇分近く経ってから青山に連絡を入れた。
「青山さん。皆、帰りました」
「そうですか。ほんだら、今からプロが行くから、中に入れたってください」
「分かりました」
電話を切って五分もしないうちに、インターフォンが鳴った。宮本が鉄扉の覗き窓を開けて確認した。
すると薄暗い中に、黒いジーンズとTシャツのショートカットの女が立っていた。美人でも可愛くもない。年は三〇台の半ばにも、二〇台の後半にも見えた。
「青山さんの?」
「そうや」
てっきり男だと思っていた宮本は驚いた。扉を開けると、宮本に目もくれずに女は中に入ってきた。
「ちょ、ちょっと」
宮本は女を追いかける。迷うことなく女は、支店長の抽斗(ひきだし)の前にしゃがみ込んでいた。
「支店長の席、知ってはるん?」
しかし女は返事をせず、布に巻かれた工具を床の上に広げ、既に作業に入っていた。
女が工具を差し込むと、直ぐに抽斗の鍵が開いた。あっという間の出来事で、宮本は呆然としていた。
「カードと印鑑やろ。これでええんか?」
女は不機嫌な声と顔をして、抽斗から取り出したカードと印鑑を手にしていた。顔が残念なんだから、愛想笑いでもしたらまだ可愛らしげがあるのにと、どうでもいい感想が頭を過(よ)ぎった。
「え? そ、そうです」
「一時間くらいで戻ってくるから、待っとき」
女は立ち上がると、風のように去っていった。
残された宮本は、女が本当に存在しているのか、幻とでも会話していた気がした。
しかし女は約束通り、きっちり一時間で戻って来て、カードと印鑑を元の位置に戻した。
「これ、複製したカードと印鑑やから」と、袋を放り投げてきて、慌ててキャッチした。最後にデスクの鍵を閉めて、宮本を見ることなく、無言で去って行った。
何だか夢を見ている心地になっていた宮本は、手にしていた袋を開けた。中には、さっき机の抽斗に仕舞った、同じ物が入っていた。
印鑑を取り出して確認すると、丸の端が擦れた特徴のある、城見の印鑑だった。我に返った宮本は、急いで作り上げた融資書類の全てに、城見の印鑑を押印した。
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