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6/40 確かに金融関係者のようだが、何か臭いというか、毛色が違う気がした。麻生が着ている良質のスーツよりも高そうで、何より青山の眼光が鋭くて自然に体が引けてくる。
宮本は二人の正面に座った。酒と料理がテーブルに並び、他愛もない話が続いた。
「宮本さん。第二地銀って、あんま給与は多くないでしょ?」
青山は飲み干したお猪口を弄(もてあそ)んでいる。
「そうですね。一般企業が羨(うらや)ましいですわ。でも、もう、この歳で異業種への転職は無理やし、諦めてます」
「銀行員は、他の企業では潰しが利きませんからな」
麻生は話す青山の横で、料理をつまみながら頷いている。
「麻生さん。話、そろそろどうやろう?」
「そうですね」
余興を終え、二人はやっと本題を持ち出してきた。箸を置いた麻生が、身を乗り出した。
「宮本の支店で、㈱小林不動産と取引あるやろ?」
部屋に入ってきて宮本が感じた敗北感は、自然と二人の間に序列を作り出しているようだった。宮本も抵抗する気力はなく、すんなりと白旗を揚げた。
結局は、各々が持つツキが大きいか小さいか、または持つことさえできないか。麻生はきっと生まれた時から手に大きなツキを持って生まれて、宮本は赤ん坊の手の中に収まるちっぽけなツキしか持って生まれてこなかったんだと考えた。
「何で知ってるんや?」
「そりゃあ、うちの顧客でもあるからな。宮本の担当なんも知ってるで」
小林不動産の預金は一〇〇〇万ほどの定期と、振り込みとして使われている普通預金があった。
「何や、飛びそうなんか?」
「近いな」
宮本に一瞬、緊張が走った。だが、融資実績がないので、他人事に擦り替わった。
「大変やな。でも、小林不動産は、健全なはずやったけどな」
「健全やで」
宮本は麻生の言葉を、すんなりと飲み込めなかった。
「何を言うてんねん。意味が分からへんわ」
麻生の言葉に宮本は、第二地銀のお前には理解できないだろうと言われているようで、怒りが込み上げてきた。お猪口に入っていた日本酒を一気に飲み込んで、注ぎ足した。
「宮本さん、小林不動産に融資をしてもらえへんやろうか?」
主導権が麻生から青山に代わった。
「いやいや。それは、おかしいでしょ。何で関係のない人間からお願いされるんですか? それとも、青山さんは小林不動産の関係者ですか?」
「関係者って聞かれたら、そうですね。金を社長に貸してますから」
宮本が麻生を見ると、昔と同じように白い歯を出して笑っている。ただ、麻生の笑いは、社会に出て付いた垢で薄汚くなっていた。宮本は麻生の顔に、不穏さを感じられずにはいられなかった。
「小林不動産は美井銀行から八〇〇〇万の融資を受けていて、私が経営しているウッズファイナンスから小林社長個人で二〇〇〇万の借金があるんですわ。小林社長が最近になって、借金が返されへん、って言い出しましてね。飛ばれたら、うちも困るし、美井銀行さんも困るんですわ。それで宮本さんの出番ですわ」
部屋の中は、寒いくらいに冷えているはずなのに、宮本の背中は汗ばんでいた。
「な、何ですのん?」
「アーバネットから二億、融資してもらいたいんです」
「二億? って、そんなん無理ですわ。それに何で、金が返されへんって分かってる先に、融資しなアカンのですか」
「小林社長はもう会社を畳んでしまいたいんですわ。というのは表向きで、若い女の身体に溺れてしもて、会社の金を使い込んでしもた。ようある話ですわ」
青山の柔和だった顔の表情はなくなり、血の通わない仮面に変わっていた。部屋に入ってきた時とは別人だ。
「アーバネットから融資された二億で、うちと美井銀行に返済してもらう。その後、小林社長には不渡りを出してもらいます。社長には五〇〇万を手数料で渡して逃げてもらい、残りを三人で分ける。どうです?」
青山が、じっと宮本の顔を見つめてきた。喉の奥にビー玉が詰まったような感覚があり、宮本は上手く空気を吸うことができずにいた。
「リスクは、宮本さんとこで焦げ付くけど、大して金にもならへん仕事して、仮に支店長になれたとしても知れてますやろ? 返事は今すぐにとは言いませんから」
青山は子供を諭すように優しく宮本に話し掛けてきた。
数百万、数千万の預金を取るのに足元を見られ、取ってきたとしても給与が上がるわけでも、ボーナスが大幅に跳ね上がることもない。行員だから給与がいいと思って寄ってきた女は、手取り額を聞いて風のように宮本の前から消えていった。
最近は、風俗以外の女ともヤッていない。数千万も手に入れば、市内にマンションを買える。
宮本は麻生を見た。麻生は深刻な顔をしてはいるが、話の重大さには慣れた感じがあった。
「ちょっと考えさせて下さい」
「わかりました。これ、私の名刺です」
受け取った名刺には、㈱ウッズファイナンス代表取締役社長と記載されていた。青山は表情を崩して酒を飲み「ほんま、ようある話ですわ」と、宮本を見て呟いた。
週末の土曜日、単身用の賃貸に住んでいる宮本は昼過ぎに目が覚めた。
インスタント・ラーメンを啜りながら、ビールを飲む。レンタル・ビデオ店に行くつもりだったが、外は薄暗く、今にも一雨ざーっと降りそうだった。
仕方なく年始に録画したまま見ていなかった、お笑い番組を見ることにした。部屋にはテレビから聞こえる観客の笑い声と麺を啜る音だけで、宮本の侘びしい人生を表していた。
「何がおもろいねん」
一人でテレビに向かってツッコミを入れながら、缶ビールの中身を一気に飲みほした。空になったカップ麺をそのままゴミ箱に投げ入れ、もう一本、ビール缶を開けた。
宮本はシンク台に凭れて、一瞥できる部屋を眺めた。
くたびれた数着のスーツがハンガー・ラックに掛かり、もう何ヶ月も洗っていないベッドのシーツ類。部屋の隅には、山積みになったままの洗濯物。
「洗濯せな、着るもんなくなるな」
一人で部屋にいると、どうしても独り言が増えてしまう。大きくため息を付いた宮本は、缶ビールを置いて、洗濯物の山の前に座った。
ランドリー用の袋に、とにかく下着等を入れ、ワイシャツはクリーニング店に持っていくために紙袋に突っ込んだ。汗で臭くなったスーツも紙袋に入れた。
ポケットから携帯を取り出すと、個人用の携帯に不在着信のランプが光っていた。画面を見ると知らない番号からで、留守電も入っている。
再生してみると、相手は先週会った青山で、入っていた録音は、返事の催促だった。
今まで顧客の金をかすめてはきたが、青山たちの話はスケールが違う。
キックバックは確かに魅力的ではある。既に悪事に手を染めているくせに宮本は、青山や麻生のような巨悪に手を染めていいものかと思い悩んでいたし、手を貸さない選択が麻生に対して唯一の勝てる手段の気がしていた。
しかし、部屋を見渡すと、くだらないちっぽけな薄汚れたプライドを持っている状況が、馬鹿馬鹿しくなる。このまま安マンションで年月を重ねて、知らぬ間に息を引き取り、発見された時には異臭を放って腐っている自分自身を想像した。
銀行では、一社員の孤独死の話が、時々話題になっては哀れみを買うのかと想像すると、居た堪れない気持ちになった。宮本は自然と、着信のあった番号に折り返していた。
「宮本さん? 留守電を聞いてくれはったんですね」
「はい」
「それで、どうです?」
「受けます」
「ほんまですか! 宮本さんなら、受けてくれはると思ってたんです。ほんだら、早速ですが週明けて直ぐ、以前の料亭に八時にどうです? 込み入った話をしな、あきませんし」
「分かりました」
「ほんだら予約は私の名前でしときますんで」
電話を切った宮本は、男としての勝負をするようで、心なしか高揚していた。
宮本は二人の正面に座った。酒と料理がテーブルに並び、他愛もない話が続いた。
「宮本さん。第二地銀って、あんま給与は多くないでしょ?」
青山は飲み干したお猪口を弄(もてあそ)んでいる。
「そうですね。一般企業が羨(うらや)ましいですわ。でも、もう、この歳で異業種への転職は無理やし、諦めてます」
「銀行員は、他の企業では潰しが利きませんからな」
麻生は話す青山の横で、料理をつまみながら頷いている。
「麻生さん。話、そろそろどうやろう?」
「そうですね」
余興を終え、二人はやっと本題を持ち出してきた。箸を置いた麻生が、身を乗り出した。
「宮本の支店で、㈱小林不動産と取引あるやろ?」
部屋に入ってきて宮本が感じた敗北感は、自然と二人の間に序列を作り出しているようだった。宮本も抵抗する気力はなく、すんなりと白旗を揚げた。
結局は、各々が持つツキが大きいか小さいか、または持つことさえできないか。麻生はきっと生まれた時から手に大きなツキを持って生まれて、宮本は赤ん坊の手の中に収まるちっぽけなツキしか持って生まれてこなかったんだと考えた。
「何で知ってるんや?」
「そりゃあ、うちの顧客でもあるからな。宮本の担当なんも知ってるで」
小林不動産の預金は一〇〇〇万ほどの定期と、振り込みとして使われている普通預金があった。
「何や、飛びそうなんか?」
「近いな」
宮本に一瞬、緊張が走った。だが、融資実績がないので、他人事に擦り替わった。
「大変やな。でも、小林不動産は、健全なはずやったけどな」
「健全やで」
宮本は麻生の言葉を、すんなりと飲み込めなかった。
「何を言うてんねん。意味が分からへんわ」
麻生の言葉に宮本は、第二地銀のお前には理解できないだろうと言われているようで、怒りが込み上げてきた。お猪口に入っていた日本酒を一気に飲み込んで、注ぎ足した。
「宮本さん、小林不動産に融資をしてもらえへんやろうか?」
主導権が麻生から青山に代わった。
「いやいや。それは、おかしいでしょ。何で関係のない人間からお願いされるんですか? それとも、青山さんは小林不動産の関係者ですか?」
「関係者って聞かれたら、そうですね。金を社長に貸してますから」
宮本が麻生を見ると、昔と同じように白い歯を出して笑っている。ただ、麻生の笑いは、社会に出て付いた垢で薄汚くなっていた。宮本は麻生の顔に、不穏さを感じられずにはいられなかった。
「小林不動産は美井銀行から八〇〇〇万の融資を受けていて、私が経営しているウッズファイナンスから小林社長個人で二〇〇〇万の借金があるんですわ。小林社長が最近になって、借金が返されへん、って言い出しましてね。飛ばれたら、うちも困るし、美井銀行さんも困るんですわ。それで宮本さんの出番ですわ」
部屋の中は、寒いくらいに冷えているはずなのに、宮本の背中は汗ばんでいた。
「な、何ですのん?」
「アーバネットから二億、融資してもらいたいんです」
「二億? って、そんなん無理ですわ。それに何で、金が返されへんって分かってる先に、融資しなアカンのですか」
「小林社長はもう会社を畳んでしまいたいんですわ。というのは表向きで、若い女の身体に溺れてしもて、会社の金を使い込んでしもた。ようある話ですわ」
青山の柔和だった顔の表情はなくなり、血の通わない仮面に変わっていた。部屋に入ってきた時とは別人だ。
「アーバネットから融資された二億で、うちと美井銀行に返済してもらう。その後、小林社長には不渡りを出してもらいます。社長には五〇〇万を手数料で渡して逃げてもらい、残りを三人で分ける。どうです?」
青山が、じっと宮本の顔を見つめてきた。喉の奥にビー玉が詰まったような感覚があり、宮本は上手く空気を吸うことができずにいた。
「リスクは、宮本さんとこで焦げ付くけど、大して金にもならへん仕事して、仮に支店長になれたとしても知れてますやろ? 返事は今すぐにとは言いませんから」
青山は子供を諭すように優しく宮本に話し掛けてきた。
数百万、数千万の預金を取るのに足元を見られ、取ってきたとしても給与が上がるわけでも、ボーナスが大幅に跳ね上がることもない。行員だから給与がいいと思って寄ってきた女は、手取り額を聞いて風のように宮本の前から消えていった。
最近は、風俗以外の女ともヤッていない。数千万も手に入れば、市内にマンションを買える。
宮本は麻生を見た。麻生は深刻な顔をしてはいるが、話の重大さには慣れた感じがあった。
「ちょっと考えさせて下さい」
「わかりました。これ、私の名刺です」
受け取った名刺には、㈱ウッズファイナンス代表取締役社長と記載されていた。青山は表情を崩して酒を飲み「ほんま、ようある話ですわ」と、宮本を見て呟いた。
週末の土曜日、単身用の賃貸に住んでいる宮本は昼過ぎに目が覚めた。
インスタント・ラーメンを啜りながら、ビールを飲む。レンタル・ビデオ店に行くつもりだったが、外は薄暗く、今にも一雨ざーっと降りそうだった。
仕方なく年始に録画したまま見ていなかった、お笑い番組を見ることにした。部屋にはテレビから聞こえる観客の笑い声と麺を啜る音だけで、宮本の侘びしい人生を表していた。
「何がおもろいねん」
一人でテレビに向かってツッコミを入れながら、缶ビールの中身を一気に飲みほした。空になったカップ麺をそのままゴミ箱に投げ入れ、もう一本、ビール缶を開けた。
宮本はシンク台に凭れて、一瞥できる部屋を眺めた。
くたびれた数着のスーツがハンガー・ラックに掛かり、もう何ヶ月も洗っていないベッドのシーツ類。部屋の隅には、山積みになったままの洗濯物。
「洗濯せな、着るもんなくなるな」
一人で部屋にいると、どうしても独り言が増えてしまう。大きくため息を付いた宮本は、缶ビールを置いて、洗濯物の山の前に座った。
ランドリー用の袋に、とにかく下着等を入れ、ワイシャツはクリーニング店に持っていくために紙袋に突っ込んだ。汗で臭くなったスーツも紙袋に入れた。
ポケットから携帯を取り出すと、個人用の携帯に不在着信のランプが光っていた。画面を見ると知らない番号からで、留守電も入っている。
再生してみると、相手は先週会った青山で、入っていた録音は、返事の催促だった。
今まで顧客の金をかすめてはきたが、青山たちの話はスケールが違う。
キックバックは確かに魅力的ではある。既に悪事に手を染めているくせに宮本は、青山や麻生のような巨悪に手を染めていいものかと思い悩んでいたし、手を貸さない選択が麻生に対して唯一の勝てる手段の気がしていた。
しかし、部屋を見渡すと、くだらないちっぽけな薄汚れたプライドを持っている状況が、馬鹿馬鹿しくなる。このまま安マンションで年月を重ねて、知らぬ間に息を引き取り、発見された時には異臭を放って腐っている自分自身を想像した。
銀行では、一社員の孤独死の話が、時々話題になっては哀れみを買うのかと想像すると、居た堪れない気持ちになった。宮本は自然と、着信のあった番号に折り返していた。
「宮本さん? 留守電を聞いてくれはったんですね」
「はい」
「それで、どうです?」
「受けます」
「ほんまですか! 宮本さんなら、受けてくれはると思ってたんです。ほんだら、早速ですが週明けて直ぐ、以前の料亭に八時にどうです? 込み入った話をしな、あきませんし」
「分かりました」
「ほんだら予約は私の名前でしときますんで」
電話を切った宮本は、男としての勝負をするようで、心なしか高揚していた。
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