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捜査二課知能犯特別捜査係警部補である安立(あんりゅう)剣剛(けんごう)は、やっとメガバンク横領事件の目処(めど)がついたことで、凝り固まった体を解すために道場に来ていた。
洗っても、汗の匂いがどこか染みのように残っている道着を身に着けた。それだけで、じんわりと汗が出てくる。
防具を持って道場に入ると、正座をして瞑想している人物が目に入った。それが捜査一課課長の淡路(あわじ)十蔵(じゅうぞう)警視正だと、直ぐにわかった。

「やっと来たか、安立」

 淡路はゆっくりと目を開けたが安立を見ることはなく、まるで遠くを見据えているように視線を真っ直ぐに向けていた。歪みを許さない視線は、捜査に向き合う淡路そのものだと思った。
眉間に寄る皺は、ナイフで切り込んだ傷みたいに顔の一部となっている。眉間の皺の深さの分、人の汚れきった部分と無念の形相を浮かべた被害者を見てきたに違いない。

「どうしはったんですか?」
「お前がここに来るって聞いたからや。久々にやろか」

淡路は、安立が最初に配属された交番での先輩警官だ。警官のイロハや付き合い方、事務的な作業を一気に詰め込まれた。安立が新米だからと甘やかしたりはしなかった。
縦社会の厳しさを教えてはくれたが、検挙率が低い後輩には手柄を譲る面倒見の良さがあった。だからか、一緒にいた短い期間中「お前も来い!」と、何度も先輩警官や後輩警官との飲み会に連れ回された。

一度だけ夜勤明けに誘われて断ったことがあった。淡路は「アホか! こういうのには顔を出して、適当にしとけばええんや」と、やはり引きずるように連れて行かれた。
時間が流れて、あの連れ回しは、淡路が安立の顔をあちこちに売ってくれていたんだと分かった。
安立は「失礼します」と淡路の隣に座り、二人で胴と面を着けていく。静寂な道場は、音まみれの現実とは切り離されて、安立の中にもゆっくりと落ち来る。淡路が先に立ち、安立も続いた。

お互い軽く肩を回して足を伸ばす。どちらともなく屈んで構えを取って立ち上がった。静寂だった道場に、安立と淡路の牽制する短くて野太い声が木霊する。ジリジリ足を相手に寄せては、フェイントで踏み込み、大きな音が響いた。

竹刀の剣先が軽く擦れると、両者とも譲らず押さえ込もうとする力がお互いに伝わっていた。
淡路が一気に詰めてきたかと思うと同時に、安立は体当たりをされた。
後ろに少し体勢を崩した隙を淡路は見逃さなかった。一気に踏み込んできた淡路の竹刀は、安立の面を狙っていた。

すんでのところで安立は首を曲げて、一本を取られずに済んだが、重たくなった竹刀が、安立の肩に当たった。そのまま二人は鍔迫り合いになった。

「今回、まさか四課やなくて、一課から情報が入ると驚きました」

安立は面の隙間から淡路を見た。すると目が合った。

「それをモノにしたんは、安立や。俺はたまたま殺人事件の聞き込んだ先の反応がおかしかったって言うただけや」

 淡路の鋭い眼光が、安立に突き刺さるようだった。

「ありがとうござました」
「まだ早いで」と淡路は体を離して、素早く胴に一本、入れてきた。
「油断したらアカンって、昔、ちゃんと教えたやろ」

安立は、面の奥でニヤッとしている淡路を見て「稽古、ありがとうございました」と頭を下げた。




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洗っても、汗の匂いがどこか染みのように残っている道着を身に着けた。それだけで、じんわりと汗が出てくる。
防具を持って道場に入ると、正座をして瞑想している人物が目に入った。それが捜査一課課長の淡路(あわじ)十蔵(じゅうぞう)警視正だと、直ぐにわかった。

「やっと来たか、安立」

 淡路はゆっくりと目を開けたが安立を見ることはなく、まるで遠くを見据えているように視線を真っ直ぐに向けていた。歪みを許さない視線は、捜査に向き合う淡路そのものだと思った。
眉間に寄る皺は、ナイフで切り込んだ傷みたいに顔の一部となっている。眉間の皺の深さの分、人の汚れきった部分と無念の形相を浮かべた被害者を見てきたに違いない。

「どうしはったんですか?」
「お前がここに来るって聞いたからや。久々にやろか」

淡路は、安立が最初に配属された交番での先輩警官だ。警官のイロハや付き合い方、事務的な作業を一気に詰め込まれた。安立が新米だからと甘やかしたりはしなかった。
縦社会の厳しさを教えてはくれたが、検挙率が低い後輩には手柄を譲る面倒見の良さがあった。だからか、一緒にいた短い期間中「お前も来い!」と、何度も先輩警官や後輩警官との飲み会に連れ回された。

一度だけ夜勤明けに誘われて断ったことがあった。淡路は「アホか! こういうのには顔を出して、適当にしとけばええんや」と、やはり引きずるように連れて行かれた。
時間が流れて、あの連れ回しは、淡路が安立の顔をあちこちに売ってくれていたんだと分かった。
安立は「失礼します」と淡路の隣に座り、二人で胴と面を着けていく。静寂な道場は、音まみれの現実とは切り離されて、安立の中にもゆっくりと落ち来る。淡路が先に立ち、安立も続いた。

お互い軽く肩を回して足を伸ばす。どちらともなく屈んで構えを取って立ち上がった。静寂だった道場に、安立と淡路の牽制する短くて野太い声が木霊する。ジリジリ足を相手に寄せては、フェイントで踏み込み、大きな音が響いた。

竹刀の剣先が軽く擦れると、両者とも譲らず押さえ込もうとする力がお互いに伝わっていた。
淡路が一気に詰めてきたかと思うと同時に、安立は体当たりをされた。
後ろに少し体勢を崩した隙を淡路は見逃さなかった。一気に踏み込んできた淡路の竹刀は、安立の面を狙っていた。

すんでのところで安立は首を曲げて、一本を取られずに済んだが、重たくなった竹刀が、安立の肩に当たった。そのまま二人は鍔迫り合いになった。

「今回、まさか四課やなくて、一課から情報が入ると驚きました」

安立は面の隙間から淡路を見た。すると目が合った。

「それをモノにしたんは、安立や。俺はたまたま殺人事件の聞き込んだ先の反応がおかしかったって言うただけや」

 淡路の鋭い眼光が、安立に突き刺さるようだった。

「ありがとうござました」
「まだ早いで」と淡路は体を離して、素早く胴に一本、入れてきた。
「油断したらアカンって、昔、ちゃんと教えたやろ」

安立は、面の奥でニヤッとしている淡路を見て「稽古、ありがとうございました」と頭を下げた。




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