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アスファルトからゆらゆらと陽炎が立ち上る中、バイクで急な勾配を下り、宮本はやっとアーバネット銀行香里ケ丘支店に着いた。
ヘルメットを脱ぐと、伸びた髪が汗でべったりと額に張り付いている。バイクに乗っていた尻も、汗で湿って気持ちが悪かった。

(こんだけいつも走り回って手取りが三〇万とか、何で銀行に拘(こだわ)って就活してやんやろう。ホンマ、学生時代に戻りたいわ)

ハンカチで顔を拭きながら、オートロックを外して扉を開ける。冷凍庫を開けた時のような冷気が皮膚に当たり、熱が急速に引いていくのが心地よかった。

(そんなに客も来(こ)うへんねんから、ちょっとは節約せえよな。少しでも、給与に還元して欲しいわ)

そろそろ香里ケ丘支店に異動になって二年近くになる。やっと慣れた住処になってきたところだ。
蓮浄寺の先代住職が亡くなった件を城見支店長に連絡をすると、詳しい話をすぐに聞かせろと要求されてわざわざ一度、戻ってきた。
従業員通路からフロアに入ると、客も疎(まば)らで窓口がせっつかれることもなく対応をしていた。寒いのか、窓口に座っている女性職員と融資担当の女性陣全員が、真っ黒いタイツを穿いて膝掛けをしている。

(こっちは炎天下の中、汗を掻きながら営業に出てるのに、いい気なもんや。俺らがおって給与が貰えるようなもんやのに、ちょっとは感謝せえよな)

と心の中で悪態をついた。
宮本の席の前には、他四人の営業の席が並んでいて、今の時点で戻って来ているのは香里ケ丘支店に異動しきて八ヶ月になる狭山(さやま)泰道(やすみち)だけだ。
ちょうど支店の真ん中の席にいるのが、業務課窓口担当課長の平野進で、前方の窓口から回ってきた伝票を精査しているのか、指の先を何度も舐めながら紙を捲(めく)っている。

平野の後ろの席では、後方事務を担当している八尾弘美が座っている。業務課を挟むようにして机が並ぶのが、たった三人しかいない融資課になる。
融資課の課長である富田慎吾(しんご)は去年、違う支店から異動してきたが、融資業務を始めてまだ一年弱にしかならない。その前は、宮本と同じ外回りの課長だった。

支店中央の後ろには支店長の席があるが、すぐに話を聞かせろといっていた本人がいないのを見て「何やねん」と小声で苛つきを吐き出した。
大手銀行とは違い、第二地方銀行の支店は、勤めている宮本でさえ見窄(みすぼ)らしいと思える。

どれだけ頑張ったとしても、最高年収は五〇〇万弱。おまけに、大手銀行ならパートがやるような仕事も、宮本が勤める第二地銀では営業がしなければならない。でかい仕事といっても、せいぜい数億円の融資の話くらいで、テレビで流れているような煌(きらび)やかさなど欠片(かけら)もなかった。

「取引先課長(とりちょう)お疲れさまです」

 狭山が今にも倒れそうな、覇気のない声を出すので、宮本の気分は支店内の辛気臭い空気に汚染されそうになる。

「お疲れさん。今日は志賀さんとこ行ってたんやろ? 預金は引き出せそうやったか?」

 宮本は足を組み、手を机に置いて身を乗り出した。

「何か、金利の優遇を五菱銀行で受けてるみたいなんですわ。だから、それよりもいい金利やったらって」
「どれくらいなん?」

 この低金利の時代、少しでもという気持ちで行員の足元を見て客は駆け引きをしてくる。小金持ちほど金に汚い傾向が強くて、厄介だった。

「コンマ四くらいみたいですわ」

部下の狭山は、細身にもかかわらず、額から流れる汗を何度もハンカチで拭っている。結婚をしているのに何故かいつも酸っぱい臭いをさせていて、夫婦仲を勝手に想像させられる。
宮本は狭山と雑談を交えながら、窓口の客が引くのを待っていた。

「金利を上げたとして、どれくらい引き出せるんや?」
「二千くらいかなあ」

 狭山が独り言のように呟く時は、予定額よりも持って帰ってくることが多い。宮本は預金を引き出せると確信し、今月の目標は何とかなりそうだと予想を立てた。
宮本は客が引いたのを確認して、「ちょっと待ってて」と窓口へと向かった。顧客から預かってきた現金と通帳を専用のトレイに入れ、窓口の大垣香奈(おおがかな)恵(え)に渡した。

窓口には二人いるが、一人は機嫌のいい時と悪い時があって、今は機嫌が悪いと宮本は察して、支店で一番下の大垣がベストだと判断した。
ショートボブの大垣は、愛想良く笑みを浮かべ振り返って、椅子の横にしゃがみ込んだ宮本を見た。

「ごめんやけど、これ、直ぐやってくれへん? また、直ぐに持っていかなアカンねん」
「処理は何ですか?」
「定期にしてくれはるから、他行から振り込みが一千五百万、入ってるはずやねん。一千万は定期で、金利は夏のキャンペーン金利に〇・二プラスやから。残り五百万は振り込みと振替やわ」
「わかりました。処理が終わったら、声を掛けますんで」
「ほんだら、よろしく」

男が外に出て汗水を垂らしながら金を引き出すのに、支店では女のほうが強い。嫌われたら最後、急いでいても処理を後回しされる。だから、どの営業も下手(したて)に出て、支店内でも愛想を振り撒かないといけない。
大垣は処理を始めると、さっきの笑顔とは裏腹に顔を歪めながら処理をし始めた。

宮本は一旦そこで席に戻り、狭山と金利について話し始めて少しすると、客がポツポツと入り出した。

「狭山、ちょっと待ってて。すまんな」

宮本は鞄から違う顧客の通帳と伝票をセットにして、もう一度、大垣に渡しにいった。

「ごめん。これも忘れとったわ。もう出るから、直ぐに頼むわ」
「わかりました」

そのまま大垣の横にまたしゃがみ込んで、今度は作業が終わるのを待っていた。大垣が鬱陶(うっとう)しそうに一瞥(いちべつ)した 。

「ごめんな」

宮本はそのまま手元に通帳が戻ってくるのを待った。簡単な出金だけの作業はそう時間は掛からない。大口の客の通帳も一緒に返してもらうと、そそくさ自席に戻った。

「狭山、確実に持って帰ってこいよ。ほんだら俺は出るから」

 城見は放っておいて、宮本は荷物を詰め込みながら最後に「金利の件は支店長に話をつけとく」とだけ言い残して再び営業に出た。



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アスファルトからゆらゆらと陽炎が立ち上る中、バイクで急な勾配を下り、宮本はやっとアーバネット銀行香里ケ丘支店に着いた。
ヘルメットを脱ぐと、伸びた髪が汗でべったりと額に張り付いている。バイクに乗っていた尻も、汗で湿って気持ちが悪かった。

(こんだけいつも走り回って手取りが三〇万とか、何で銀行に拘(こだわ)って就活してやんやろう。ホンマ、学生時代に戻りたいわ)

ハンカチで顔を拭きながら、オートロックを外して扉を開ける。冷凍庫を開けた時のような冷気が皮膚に当たり、熱が急速に引いていくのが心地よかった。

(そんなに客も来(こ)うへんねんから、ちょっとは節約せえよな。少しでも、給与に還元して欲しいわ)

そろそろ香里ケ丘支店に異動になって二年近くになる。やっと慣れた住処になってきたところだ。
蓮浄寺の先代住職が亡くなった件を城見支店長に連絡をすると、詳しい話をすぐに聞かせろと要求されてわざわざ一度、戻ってきた。
従業員通路からフロアに入ると、客も疎(まば)らで窓口がせっつかれることもなく対応をしていた。寒いのか、窓口に座っている女性職員と融資担当の女性陣全員が、真っ黒いタイツを穿いて膝掛けをしている。

(こっちは炎天下の中、汗を掻きながら営業に出てるのに、いい気なもんや。俺らがおって給与が貰えるようなもんやのに、ちょっとは感謝せえよな)

と心の中で悪態をついた。
宮本の席の前には、他四人の営業の席が並んでいて、今の時点で戻って来ているのは香里ケ丘支店に異動しきて八ヶ月になる狭山(さやま)泰道(やすみち)だけだ。
ちょうど支店の真ん中の席にいるのが、業務課窓口担当課長の平野進で、前方の窓口から回ってきた伝票を精査しているのか、指の先を何度も舐めながら紙を捲(めく)っている。

平野の後ろの席では、後方事務を担当している八尾弘美が座っている。業務課を挟むようにして机が並ぶのが、たった三人しかいない融資課になる。
融資課の課長である富田慎吾(しんご)は去年、違う支店から異動してきたが、融資業務を始めてまだ一年弱にしかならない。その前は、宮本と同じ外回りの課長だった。

支店中央の後ろには支店長の席があるが、すぐに話を聞かせろといっていた本人がいないのを見て「何やねん」と小声で苛つきを吐き出した。
大手銀行とは違い、第二地方銀行の支店は、勤めている宮本でさえ見窄(みすぼ)らしいと思える。

どれだけ頑張ったとしても、最高年収は五〇〇万弱。おまけに、大手銀行ならパートがやるような仕事も、宮本が勤める第二地銀では営業がしなければならない。でかい仕事といっても、せいぜい数億円の融資の話くらいで、テレビで流れているような煌(きらび)やかさなど欠片(かけら)もなかった。

「取引先課長(とりちょう)お疲れさまです」

 狭山が今にも倒れそうな、覇気のない声を出すので、宮本の気分は支店内の辛気臭い空気に汚染されそうになる。

「お疲れさん。今日は志賀さんとこ行ってたんやろ? 預金は引き出せそうやったか?」

 宮本は足を組み、手を机に置いて身を乗り出した。

「何か、金利の優遇を五菱銀行で受けてるみたいなんですわ。だから、それよりもいい金利やったらって」
「どれくらいなん?」

 この低金利の時代、少しでもという気持ちで行員の足元を見て客は駆け引きをしてくる。小金持ちほど金に汚い傾向が強くて、厄介だった。

「コンマ四くらいみたいですわ」

部下の狭山は、細身にもかかわらず、額から流れる汗を何度もハンカチで拭っている。結婚をしているのに何故かいつも酸っぱい臭いをさせていて、夫婦仲を勝手に想像させられる。
宮本は狭山と雑談を交えながら、窓口の客が引くのを待っていた。

「金利を上げたとして、どれくらい引き出せるんや?」
「二千くらいかなあ」

 狭山が独り言のように呟く時は、予定額よりも持って帰ってくることが多い。宮本は預金を引き出せると確信し、今月の目標は何とかなりそうだと予想を立てた。
宮本は客が引いたのを確認して、「ちょっと待ってて」と窓口へと向かった。顧客から預かってきた現金と通帳を専用のトレイに入れ、窓口の大垣香奈(おおがかな)恵(え)に渡した。

窓口には二人いるが、一人は機嫌のいい時と悪い時があって、今は機嫌が悪いと宮本は察して、支店で一番下の大垣がベストだと判断した。
ショートボブの大垣は、愛想良く笑みを浮かべ振り返って、椅子の横にしゃがみ込んだ宮本を見た。

「ごめんやけど、これ、直ぐやってくれへん? また、直ぐに持っていかなアカンねん」
「処理は何ですか?」
「定期にしてくれはるから、他行から振り込みが一千五百万、入ってるはずやねん。一千万は定期で、金利は夏のキャンペーン金利に〇・二プラスやから。残り五百万は振り込みと振替やわ」
「わかりました。処理が終わったら、声を掛けますんで」
「ほんだら、よろしく」

男が外に出て汗水を垂らしながら金を引き出すのに、支店では女のほうが強い。嫌われたら最後、急いでいても処理を後回しされる。だから、どの営業も下手(したて)に出て、支店内でも愛想を振り撒かないといけない。
大垣は処理を始めると、さっきの笑顔とは裏腹に顔を歪めながら処理をし始めた。

宮本は一旦そこで席に戻り、狭山と金利について話し始めて少しすると、客がポツポツと入り出した。

「狭山、ちょっと待ってて。すまんな」

宮本は鞄から違う顧客の通帳と伝票をセットにして、もう一度、大垣に渡しにいった。

「ごめん。これも忘れとったわ。もう出るから、直ぐに頼むわ」
「わかりました」

そのまま大垣の横にまたしゃがみ込んで、今度は作業が終わるのを待っていた。大垣が鬱陶(うっとう)しそうに一瞥(いちべつ)した 。

「ごめんな」

宮本はそのまま手元に通帳が戻ってくるのを待った。簡単な出金だけの作業はそう時間は掛からない。大口の客の通帳も一緒に返してもらうと、そそくさ自席に戻った。

「狭山、確実に持って帰ってこいよ。ほんだら俺は出るから」

 城見は放っておいて、宮本は荷物を詰め込みながら最後に「金利の件は支店長に話をつけとく」とだけ言い残して再び営業に出た。



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