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プライドの在処

ー/ー



プライドの在処が同じ人間とは、恋愛なんてできたものではない。

たとえば「私はデパートコスメしか使ってないから化粧乗りが悪い時なくて~」や「芦田さんはナチュラルメイクで大丈夫ですよ~。最近はマスクをつけることが多いんですから~」などと言ってのける人間とは、本当の意味で仲良くできる理由などないのだから。

「先輩、今日の俺の化粧乗りどうですか。調子いいと思いませんか」

そして、それが異性であれば尚のこと、だ。

「いいんじゃないの」

ワンルームに鎮座する2人掛けのソファーに悠々と座りながら、私は九龍の顔も見ずに返事をした。

「いやいや。ちゃんと見てくださいよ。ほら」

159cmと男性にしては小柄な彼は、少し状態を傾けただけで私の顔元に容易に接近してきた。

こいつ、パーソナルスペースの概念が壊れているんじゃないだろうか。

肩を押し返しながら「ちょっと、わかったから。確かにいいから」と言うと、彼は見えない尻尾を千切れんばかりに振り、生えていない犬耳をピンと突き立てながら「ですよね!」と満足気に化粧台へ戻っていった。

カーテンレースは淡いピンク、ローテーブルの下には柔らかな円形のラグ。丁寧に編み込まれたようなこの部屋は、九龍の部屋だ。

休みの日は大抵、彼に部屋へと招かれる。曰く「化粧道具を全部持っていくのは重いし」とのことらしかった。

懐かれることには慣れている。けれど、異性のそれは初めてだった。



九龍と出会ったのは、3年前だ。

「たまには若い子たちとの交流も必要ですよぉ」

同部署の後輩にあたる環明音から何度もしつこく誘われ「この1回を免罪符に、もう誘わないでよ」と折れた時が、私が参加した最初で最後の合コンだった。

「若い子」と何度も言われるが、私だってまだ社会人経験4年目の26歳で、彼女は24歳だった。

環は「免罪符ってなんですか?」と言った後に「まぁ、若い子にハマればまた行きたくなりますよぉ」と笑って、業務終了時間ぴったりにバッグと私の腕を抱えてオフィスを出る。

別部署の環の同期にあたる『せいこちゃん』と合流し、そろって退社する。

行きしなで、彼女が集めてきたのは大学生の弟と、弟に集めてもらった友人2人だと知った。

居酒屋に入ると、環にたれ目が似たガタイのいい男が手を振ってきた。

3人の男の真ん中に九龍はいた。橙のパーカーに明るい髪、中性的な顔にはこなれたメイクが施されていた。

「いやぁ、皆さんやっぱり大人のお姉さんって感じでお綺麗ですね! ドキドキしちゃいます!」

「やだー、若い子からそんなの言われたら肌がつやつやになっちゃうなぁ、ね、芦田さん」

「はいはいそうね」

最初は、それが幹事同士の取り決めであるかのように、無口な九龍に言及することを誰もしなかった。

ルールがあるんだったら前もって教えておけよと私は思ったが、そこを不用意に突くほど私も若くはないので、空気を読んでただただ運ばれてくる焼き鳥を食らいハイボールを呷っていた。

それなりにアルコールが進んだ頃、ちょうどそれぞれがすきな顔や性格の話が盛り上がり始めた頃だっただろうか。環が口火を切った。

「九龍君はあれかな、中身は女の子だったりするの? やだかわい~」

空気を読み、無言ながらも陽気を装っていた九龍の表情に亀裂が入った瞬間を確かに見た。

両端の男2人も逡巡したものの「そうなんだよ。こいつたまに、どっちかわかんなくて」と環の発言に乗っかる姿勢をみせる。

場の空気を優先しても良い。そんな暗黙の了解が2人の間で交わされたようだった。

「ちょっと、吞みすぎたかな……。お手洗い行ってくる」

席を立つ九龍に、環は「入る方間違えないようにねー」とヤジを飛ばした。

瞬間、体内の酒がすべて沸騰したような熱さを自覚したときには、私はわざとテーブルに膝をぶつけて、掘りごたつから足を抜いていた。

机上のビールから泡が少し零れる。冷や水を浴びたように場が静まり返り、私に視線が集まった。

「私もちょっと、お花摘みに行ってくる」



「何、やられかけてんの。」

トイレの前で九龍を待ち受け、目が合って開口一番に私は言い放った。

私の名前を憶えていた九龍は「芦田さん、なんで」と言い、少し赤くなった目をこすった。

私はその手を掴み「もっと赤くなるからこするのはやめなさい」と言った後、そのまま話し続けた。

「私は、自分が武器として化粧を取ることに疑問はない。あなたもそうなんでしょ?」

彼はうるんだ瞳をさらにぼやぼやとさせながら、ゆっくりと頭を縦に振った。

一滴、涙が床に落ちる。私はその首肯に満足し、

「戻るわよ。あんな奴にやられっぱなしでたまるか! ね!」

と無理やり彼を味方に引き入れてから、九龍にハンカチを手渡した。

「あ、あと、もうあなた飲まなくていいわよ。注文の時は私にウーロンハイお願いって言いなさい。店員にはウーロン茶を頼んで回すから」

少しあっけにとられたようにしてから、九龍はガサガサの声で「あ、はい」とだけ言った。

「酔った勢いで乗り切ろうとしないで、ちゃんと戦えるようになりなさい」



「先輩は、俺に聞かないんすね」

部屋からの帰り際、私が玄関で靴を履いていると、背後から九龍は言った。

「何をよ」

立ち上がって振り返ると、彼は唇をにゅっ、と突き出しながら「中身がぁ、女の子? やだかわい~」と言い、そのあと支えの糸を全て切ったかのように表情を落とし「とか、そういうことです」と言った。

「なに? 聞いてほしいの?」

「聞いてほしいです。今」

あれ以来、彼と酒を飲んだことはない。

「先輩、ちょっとだけ、いいですか」

そう言って、彼は私の肩に額を預け、そっと背中に手を回してきた。

やわく、シャボン玉を抱きしようとするかのように、私の輪郭をそっとなぞるように。

「俺、もう、わかんないです。全部。わかる何かが、欲しい」

手を、回すべきだろうか。この背中に。安心を、落とし込んであげるべきだろうか。この手のひらに収まりそうだと錯覚してしまいそうな、小さな頭に。

プライドの在処が同じ人間とは、恋愛なんてできたものではない。

そう思わないと、いつも惹かれてしまうのは、同じ穴のムジナだ。

私の鼓動を聞くように九龍は額を、私の肩に押し付けている。

もう、言い逃れはできない。


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プライドの在処が同じ人間とは、恋愛なんてできたものではない。
たとえば「私はデパートコスメしか使ってないから化粧乗りが悪い時なくて~」や「芦田さんはナチュラルメイクで大丈夫ですよ~。最近はマスクをつけることが多いんですから~」などと言ってのける人間とは、本当の意味で仲良くできる理由などないのだから。
「先輩、今日の俺の化粧乗りどうですか。調子いいと思いませんか」
そして、それが異性であれば尚のこと、だ。
「いいんじゃないの」
ワンルームに鎮座する2人掛けのソファーに悠々と座りながら、私は九龍の顔も見ずに返事をした。
「いやいや。ちゃんと見てくださいよ。ほら」
159cmと男性にしては小柄な彼は、少し状態を傾けただけで私の顔元に容易に接近してきた。
こいつ、パーソナルスペースの概念が壊れているんじゃないだろうか。
肩を押し返しながら「ちょっと、わかったから。確かにいいから」と言うと、彼は見えない尻尾を千切れんばかりに振り、生えていない犬耳をピンと突き立てながら「ですよね!」と満足気に化粧台へ戻っていった。
カーテンレースは淡いピンク、ローテーブルの下には柔らかな円形のラグ。丁寧に編み込まれたようなこの部屋は、九龍の部屋だ。
休みの日は大抵、彼に部屋へと招かれる。曰く「化粧道具を全部持っていくのは重いし」とのことらしかった。
懐かれることには慣れている。けれど、異性のそれは初めてだった。
九龍と出会ったのは、3年前だ。
「たまには若い子たちとの交流も必要ですよぉ」
同部署の後輩にあたる環明音から何度もしつこく誘われ「この1回を免罪符に、もう誘わないでよ」と折れた時が、私が参加した最初で最後の合コンだった。
「若い子」と何度も言われるが、私だってまだ社会人経験4年目の26歳で、彼女は24歳だった。
環は「免罪符ってなんですか?」と言った後に「まぁ、若い子にハマればまた行きたくなりますよぉ」と笑って、業務終了時間ぴったりにバッグと私の腕を抱えてオフィスを出る。
別部署の環の同期にあたる『せいこちゃん』と合流し、そろって退社する。
行きしなで、彼女が集めてきたのは大学生の弟と、弟に集めてもらった友人2人だと知った。
居酒屋に入ると、環にたれ目が似たガタイのいい男が手を振ってきた。
3人の男の真ん中に九龍はいた。橙のパーカーに明るい髪、中性的な顔にはこなれたメイクが施されていた。
「いやぁ、皆さんやっぱり大人のお姉さんって感じでお綺麗ですね! ドキドキしちゃいます!」
「やだー、若い子からそんなの言われたら肌がつやつやになっちゃうなぁ、ね、芦田さん」
「はいはいそうね」
最初は、それが幹事同士の取り決めであるかのように、無口な九龍に言及することを誰もしなかった。
ルールがあるんだったら前もって教えておけよと私は思ったが、そこを不用意に突くほど私も若くはないので、空気を読んでただただ運ばれてくる焼き鳥を食らいハイボールを呷っていた。
それなりにアルコールが進んだ頃、ちょうどそれぞれがすきな顔や性格の話が盛り上がり始めた頃だっただろうか。環が口火を切った。
「九龍君はあれかな、中身は女の子だったりするの? やだかわい~」
空気を読み、無言ながらも陽気を装っていた九龍の表情に亀裂が入った瞬間を確かに見た。
両端の男2人も逡巡したものの「そうなんだよ。こいつたまに、どっちかわかんなくて」と環の発言に乗っかる姿勢をみせる。
場の空気を優先しても良い。そんな暗黙の了解が2人の間で交わされたようだった。
「ちょっと、吞みすぎたかな……。お手洗い行ってくる」
席を立つ九龍に、環は「入る方間違えないようにねー」とヤジを飛ばした。
瞬間、体内の酒がすべて沸騰したような熱さを自覚したときには、私はわざとテーブルに膝をぶつけて、掘りごたつから足を抜いていた。
机上のビールから泡が少し零れる。冷や水を浴びたように場が静まり返り、私に視線が集まった。
「私もちょっと、お花摘みに行ってくる」
「何、やられかけてんの。」
トイレの前で九龍を待ち受け、目が合って開口一番に私は言い放った。
私の名前を憶えていた九龍は「芦田さん、なんで」と言い、少し赤くなった目をこすった。
私はその手を掴み「もっと赤くなるからこするのはやめなさい」と言った後、そのまま話し続けた。
「私は、自分が武器として化粧を取ることに疑問はない。あなたもそうなんでしょ?」
彼はうるんだ瞳をさらにぼやぼやとさせながら、ゆっくりと頭を縦に振った。
一滴、涙が床に落ちる。私はその首肯に満足し、
「戻るわよ。あんな奴にやられっぱなしでたまるか! ね!」
と無理やり彼を味方に引き入れてから、九龍にハンカチを手渡した。
「あ、あと、もうあなた飲まなくていいわよ。注文の時は私にウーロンハイお願いって言いなさい。店員にはウーロン茶を頼んで回すから」
少しあっけにとられたようにしてから、九龍はガサガサの声で「あ、はい」とだけ言った。
「酔った勢いで乗り切ろうとしないで、ちゃんと戦えるようになりなさい」
「先輩は、俺に聞かないんすね」
部屋からの帰り際、私が玄関で靴を履いていると、背後から九龍は言った。
「何をよ」
立ち上がって振り返ると、彼は唇をにゅっ、と突き出しながら「中身がぁ、女の子? やだかわい~」と言い、そのあと支えの糸を全て切ったかのように表情を落とし「とか、そういうことです」と言った。
「なに? 聞いてほしいの?」
「聞いてほしいです。今」
あれ以来、彼と酒を飲んだことはない。
「先輩、ちょっとだけ、いいですか」
そう言って、彼は私の肩に額を預け、そっと背中に手を回してきた。
やわく、シャボン玉を抱きしようとするかのように、私の輪郭をそっとなぞるように。
「俺、もう、わかんないです。全部。わかる何かが、欲しい」
手を、回すべきだろうか。この背中に。安心を、落とし込んであげるべきだろうか。この手のひらに収まりそうだと錯覚してしまいそうな、小さな頭に。
プライドの在処が同じ人間とは、恋愛なんてできたものではない。
そう思わないと、いつも惹かれてしまうのは、同じ穴のムジナだ。
私の鼓動を聞くように九龍は額を、私の肩に押し付けている。
もう、言い逃れはできない。