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 近隣では進学校と名立たる偏差値高めの高校も、午後一時の昼休みは若々しい喧騒に包まれていた。
 校内のざわめきを完璧な他人事としながら、少女は二階の教室へ向かう階段を上る。下りてきた誰かが自分の名字を呼ぶのに、思わず振り向いた。
「おはよう!」
 午後一時がおはようの時間か。ぽつんと思ったが、軽く声を返す。
「……おはよ」
 気のない最低限の返事だったが、クラスメイトの男子はそれを気にする風もなく、友人たちと連れ立ってどこかへ去っていった。幾度も挨拶をされた後、近藤(こんどう)という名字をようやく記憶の隅に転がした。サッカー部では次期部長の最有力候補であるという噂を、クラスの女子がこそこそ騒いでいるのを耳にしたことがある。確かに、押しつけがましいほど明るく挨拶をしやがる、爽やかを絵にかいたような男だ。それだけの評価に憂鬱を引きつれて、彼女は教室の扉を開けた。

 少女は人気者だった。
 それは彼女が望まずとも得てしまうもので、名前だけが独り歩きする、至極迷惑なものだった。
 平均よりも数センチ高いすらりとした痩身は、体育の最中には特に鬱陶しい視線を浴びた。無遠慮なやつがレンズで追いかけていることも、彼女は知っていた。かといってそいつのスマートフォンを叩き潰すのも面倒なので、「いつか殺す」とだけ思ってやった。
 女子高生らしく周囲とつるむ真似をせず、いつも背筋を伸ばして一人で歩く彼女は、いわゆる孤高の美少女だった。冷めた態度に、ごくまれに見せる笑顔は周りの同級生よりも随分大人びていて、彼女に惹かれる男子生徒は数えきれないほど存在した。彼らの多くは目線だけで彼女を追い、手を出さない自分は無害だと信じていたが、一方で少女はいい加減にうんざりしていた。
 授業中、移動中、休み時間。いつだって、足や胸元、横顔を舐めていくやつらの視線を感じた。学年を重ねるごとに、そういった気に食わない連中の割合は増えていき、気づかれていないと本人が妄信している盗撮も、容易に見抜けるほど場数を重ねた。
 これなら、あの近藤とかいう男みたいに堂々と声をかけ、たまに面白くもない話をふってくる連中のほうが幾分マシだと思う。しかし彼らも隙あらば顔を覗き込み、遠慮を知らずに土足で踏み込もうとする。
 少女にとって同年代の男とは、そうした存在だった。

 かといって、代わりに女子生徒が彼女に近寄ってくることもなかった。
 十二分に愛らしい顔立ちをした彼女に始めこそ羨望の眼差しを向けるが、その隙のなさを知ると次第に歪んだ嫌悪や嫉妬心を抱くのだ。
 見事な容姿だけではなく成績も上位にくい込み、体育も人並み以上にやり遂げる。そんな少女は社交性を見せず、物言いもどこか冷たさを感じさせるのに、男子たちの関心を一心に得ているのだ。
 そうして、仕方がなく一人でいるのではなく、選んで一人でいるような少女を、周囲の女子生徒の多くはいけ好かない存在だと妬んだ。しかし彼女たちに、その態度をあからさまにする度胸はない。表面上はにこやかに挨拶をし、教室の後部でのみ汚れた本音を語り合った。
うわべの挨拶に乾いた返事をしながら、少女は彼女たちが自分を見張っていることを知っていた。大きな失敗の断片を、男子たちを失望させる失言を、繕った態度にいつか出る綻びを躍起になって探し求める。まるでハイエナだ。
 少女にとって同年代の女とは、そうした存在だった。

 だから彼女にとって学校とは、ちっとも面白い場所ではなかった。ただ将来的に有利だから通っているだけ。必要性がなければ、こんなところには近づきたくもない。
 放課後、まとわりつく全てに飽き飽きする彼女は、午後二時間分の教材を鞄にしまって立ち上がった。課題を提出しに行ったおかげで少し遅くなり、教室には女子同士のグループが二、三か所に点在するだけだった。
「ねえねえ、桜庭(さくらば)さん」
 クラスメイトへのほんの僅かな倫理観、辛うじての妥協が無視をしてはいけないと言ったから、少女は顔を上げた。
 声をかけた女子生徒が正面に、その友人二人は両脇にと、彼女たちはいそいそと机を三方向から取り囲んでくる。
 両脇にいる二人の名前を、少女はまだ覚えていなかった。クラスの女子AとB。Aはいやに俯いていて、Bは勝気そうな顔をしている。その程度に分別できれば充分だろう。クラスメイトに無関心な少女が周囲の顔と名前を一致させる頃には、再びクラスは変わってしまうのだ。
 だが、中心にいるのは栗本(くりもと)幸子(さちこ)。昨年も同じクラスだったのと、出席番号が前後で並んでしまう関係。加えてあちこちで誰かがあだ名を呼んでいるおかげで、その名を覚えてしまった。さっちん、さっちん。幸子でさっちんか、随分ひねりがないなと思ったのを覚えている。
「あのね、桜庭さん、確認したいことがあるんだけど」
 そう言って栗本幸子はきょろきょろとあたりを確認する。二組ほど残っているカースト低下層のグループの存在は、気にするに値しないらしい。
「いいよ、さっちん……」
「よくないよ」
 消え入りそうなAの声に、栗本幸子が正義感たっぷりの表情を返した。なにも口を挟まないまま始まる茶番に、少女は若干の苛立ちを覚える。
「なに」
「単刀直入に言うよ。近藤君のこと、どう思ってんの」
 それが誰なのか瞬時に思い出せない様子は、女子生徒たちにとって鼻につくものだった。「サッカー部の」そう付け足されて、ようやく少女は思い出した。挨拶のうるさいやつだ。
「はっきりさせてあげなよ」
「はっきりって、なにが」
「だから、好きか嫌いか、言ってあげなよってこと」
 顔をしかめる相手に、少女も訝しげな表情を返す。
「私が、近藤に?」
 あの男子生徒が自分に多少の気を持っていることぐらい、少女はとっくに気が付いていた。だがそこに自分の責められる理由があるとは思えなかった。
「別に、好きでも嫌いでもないのに、言うことなんてないよ」
 するとAはいっそう顔をゆがめる。それを慰めるように栗本幸子が肩を抱いて頭を撫で、Bはこれ見よがしに眉根を寄せた。
「それなら、なおさら言ってあげなよ。近藤くんだって不憫だし、みっちーも可哀想じゃんか」
 Bの言葉からAのあだ名を知る。道子とでもいう名前だったか。
「何も言ってないうちから嫌いだなんて言われる方が、不憫じゃないの」
 挨拶をし、たまに記憶にも残らない会話をする相手に、好意を意識した言葉を吐く理由が見つからない。そんな自意識過剰な真似などしたくもない。
「桜庭さんもメッセージ呼んだでしょ。みっちー、ほんとに勇気出したのに」そうして栗本幸子が睨んでくる。「既読の数、ちゃんと人数分あったんだから」
 ようやく思い出すと共に、自分のメッセージを何人が目にしたのかが分かるアプリケーションのシステムに、ほとほと嫌気がさした。そうして、文面ではクラスの女子全員に私的な心情をさらけ出すくせに、現実ではめそめそと下を向いている少女Aに更に苛立つ。
「桜庭さん、頭いいんならさあ、そんぐらい察してよ」
 手首にカラフルなシュシュをつけた手で同級生の頭を撫でる相手へ、少女は顔を向けた。いつの間にか心に灯ってしまった火が、苛立ちを燃料に更に火力を上げようとしている。相手の手首で揺れるシュシュの鮮やかさでさえ、今は火力をかさましする油たり得てしまう。
「クラスのみんなに言うのって、ほんっとーに勇気いるんだしさあ。だから協力してって言ったじゃん。なにも返事しないなら、分かったってことでしょ」
 せめて本人が言うならまだ同情の余地を検討するが、当の女子生徒Aは目に涙をためているだけだ。
「その協力が、私が近藤に脈なしだって、わざわざ伝えること?」
 馬鹿らしい。呆れ果て、ないはずの愛想もすっかり尽きてからからだ。なのに何故、向こうまで呆れた顔をしているのか。
「そうかもしれないけどさあ。察してよ。みっちーは優しいから、そこまで言えないのに」
「もういいよ……さっちん、いいってば」いいと言うくせに、今にも泣き出しそうな顔をしている。
 これは誰がどう見ても、私がこいつをいじめてるんだな。
 いけないと分かっているが、抑える前に炎は強火に至っていく。いけないと戒めるべき理由も、次第にわからなくなってくる。
「なにそれ。見ちゃったら、そこまでしなきゃなんないの。まだ私は何も言われてないんだから、好きならさっさと告っちゃえばいいのに」
 すると信じられないといった風にAは顔をくしゃりと歪め、なぜだか代弁者だけが声を荒げた。
「それが難しいから協力してって言ってるのに。桜庭さんもそれぐらい考えてよ」
 何も言わない相手に、何を忖度しろというんだ。どんな義理があって、これを見た人間は私の気持ちを理解して尊重しろとほざくんだ。質が悪すぎる。
 だから少女ははっきりと彼女たちを見て言い放った。
「自分では何にも行動しないくせに、見たやつは協力しろって勝手に押し付けてさ、それって迷惑だとは思わないの」
 ああ、ついにAが泣き出した。だがその押しつけがましい涙は、少女の強火へ余計に油を注ぐだけだった。
「だから、そこまで言ってないじゃんか。少しでいいから、気持ち考えてあげてって言ってるだけなのに。桜庭さんもちょっとは協力してよ」
「考えろだの協力しろだのって、方法があるならせめて自分で言いに来なよ。自分じゃ文句ひとつ言えないくせにさ、協力内容は自分で察して動けだなんて、尋常じゃなく自分勝手じゃない。世の中舐めすぎでしょ」
 その言葉に、栗本幸子含む三人の同級生は一瞬絶句したが、道理よりも青春を愛する中心の女子は、勢い込んで口を開こうとした。
 だが、その口は結局何も言わずに閉じられた。教室の外、廊下をたどって、賑やかな男子生徒の集団が近づいてきたためだった。
 悪い口を吐けなくなった相手からさっさと目線を逸らし、少女は軽い鞄を肩にかけると三人に背を向けた。
 人でなし、といういわれのない低い暴言が一言だけ地を這うのには、決して振り返らなかった。


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 近隣では進学校と名立たる偏差値高めの高校も、午後一時の昼休みは若々しい喧騒に包まれていた。
 校内のざわめきを完璧な他人事としながら、少女は二階の教室へ向かう階段を上る。下りてきた誰かが自分の名字を呼ぶのに、思わず振り向いた。
「おはよう!」
 午後一時がおはようの時間か。ぽつんと思ったが、軽く声を返す。
「……おはよ」
 気のない最低限の返事だったが、クラスメイトの男子はそれを気にする風もなく、友人たちと連れ立ってどこかへ去っていった。幾度も挨拶をされた後、|近藤《こんどう》という名字をようやく記憶の隅に転がした。サッカー部では次期部長の最有力候補であるという噂を、クラスの女子がこそこそ騒いでいるのを耳にしたことがある。確かに、押しつけがましいほど明るく挨拶をしやがる、爽やかを絵にかいたような男だ。それだけの評価に憂鬱を引きつれて、彼女は教室の扉を開けた。
 少女は人気者だった。
 それは彼女が望まずとも得てしまうもので、名前だけが独り歩きする、至極迷惑なものだった。
 平均よりも数センチ高いすらりとした痩身は、体育の最中には特に鬱陶しい視線を浴びた。無遠慮なやつがレンズで追いかけていることも、彼女は知っていた。かといってそいつのスマートフォンを叩き潰すのも面倒なので、「いつか殺す」とだけ思ってやった。
 女子高生らしく周囲とつるむ真似をせず、いつも背筋を伸ばして一人で歩く彼女は、いわゆる孤高の美少女だった。冷めた態度に、ごくまれに見せる笑顔は周りの同級生よりも随分大人びていて、彼女に惹かれる男子生徒は数えきれないほど存在した。彼らの多くは目線だけで彼女を追い、手を出さない自分は無害だと信じていたが、一方で少女はいい加減にうんざりしていた。
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 これなら、あの近藤とかいう男みたいに堂々と声をかけ、たまに面白くもない話をふってくる連中のほうが幾分マシだと思う。しかし彼らも隙あらば顔を覗き込み、遠慮を知らずに土足で踏み込もうとする。
 少女にとって同年代の男とは、そうした存在だった。
 かといって、代わりに女子生徒が彼女に近寄ってくることもなかった。
 十二分に愛らしい顔立ちをした彼女に始めこそ羨望の眼差しを向けるが、その隙のなさを知ると次第に歪んだ嫌悪や嫉妬心を抱くのだ。
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 そうして、仕方がなく一人でいるのではなく、選んで一人でいるような少女を、周囲の女子生徒の多くはいけ好かない存在だと妬んだ。しかし彼女たちに、その態度をあからさまにする度胸はない。表面上はにこやかに挨拶をし、教室の後部でのみ汚れた本音を語り合った。
うわべの挨拶に乾いた返事をしながら、少女は彼女たちが自分を見張っていることを知っていた。大きな失敗の断片を、男子たちを失望させる失言を、繕った態度にいつか出る綻びを躍起になって探し求める。まるでハイエナだ。
 少女にとって同年代の女とは、そうした存在だった。
 だから彼女にとって学校とは、ちっとも面白い場所ではなかった。ただ将来的に有利だから通っているだけ。必要性がなければ、こんなところには近づきたくもない。
 放課後、まとわりつく全てに飽き飽きする彼女は、午後二時間分の教材を鞄にしまって立ち上がった。課題を提出しに行ったおかげで少し遅くなり、教室には女子同士のグループが二、三か所に点在するだけだった。
「ねえねえ、|桜庭《さくらばさん」
 クラスメイトへのほんの僅かな倫理観、辛うじての妥協が無視をしてはいけないと言ったから、少女は顔を上げた。
 声をかけた女子生徒が正面に、その友人二人は両脇にと、彼女たちはいそいそと机を三方向から取り囲んでくる。
 両脇にいる二人の名前を、少女はまだ覚えていなかった。クラスの女子AとB。Aはいやに俯いていて、Bは勝気そうな顔をしている。その程度に分別できれば充分だろう。クラスメイトに無関心な少女が周囲の顔と名前を一致させる頃には、再びクラスは変わってしまうのだ。
 だが、中心にいるのは|栗本《くりもと》|幸子《さちこ》。昨年も同じクラスだったのと、出席番号が前後で並んでしまう関係。加えてあちこちで誰かがあだ名を呼んでいるおかげで、その名を覚えてしまった。さっちん、さっちん。幸子でさっちんか、随分ひねりがないなと思ったのを覚えている。
「あのね、桜庭さん、確認したいことがあるんだけど」
 そう言って栗本幸子はきょろきょろとあたりを確認する。二組ほど残っているカースト低下層のグループの存在は、気にするに値しないらしい。
「いいよ、さっちん……」
「よくないよ」
 消え入りそうなAの声に、栗本幸子が正義感たっぷりの表情を返した。なにも口を挟まないまま始まる茶番に、少女は若干の苛立ちを覚える。
「なに」
「単刀直入に言うよ。近藤君のこと、どう思ってんの」
 それが誰なのか瞬時に思い出せない様子は、女子生徒たちにとって鼻につくものだった。「サッカー部の」そう付け足されて、ようやく少女は思い出した。挨拶のうるさいやつだ。
「はっきりさせてあげなよ」
「はっきりって、なにが」
「だから、好きか嫌いか、言ってあげなよってこと」
 顔をしかめる相手に、少女も訝しげな表情を返す。
「私が、近藤に?」
 あの男子生徒が自分に多少の気を持っていることぐらい、少女はとっくに気が付いていた。だがそこに自分の責められる理由があるとは思えなかった。
「別に、好きでも嫌いでもないのに、言うことなんてないよ」
 するとAはいっそう顔をゆがめる。それを慰めるように栗本幸子が肩を抱いて頭を撫で、Bはこれ見よがしに眉根を寄せた。
「それなら、なおさら言ってあげなよ。近藤くんだって不憫だし、みっちーも可哀想じゃんか」
 Bの言葉からAのあだ名を知る。道子とでもいう名前だったか。
「何も言ってないうちから嫌いだなんて言われる方が、不憫じゃないの」
 挨拶をし、たまに記憶にも残らない会話をする相手に、好意を意識した言葉を吐く理由が見つからない。そんな自意識過剰な真似などしたくもない。
「桜庭さんもメッセージ呼んだでしょ。みっちー、ほんとに勇気出したのに」そうして栗本幸子が睨んでくる。「既読の数、ちゃんと人数分あったんだから」
 ようやく思い出すと共に、自分のメッセージを何人が目にしたのかが分かるアプリケーションのシステムに、ほとほと嫌気がさした。そうして、文面ではクラスの女子全員に私的な心情をさらけ出すくせに、現実ではめそめそと下を向いている少女Aに更に苛立つ。
「桜庭さん、頭いいんならさあ、そんぐらい察してよ」
 手首にカラフルなシュシュをつけた手で同級生の頭を撫でる相手へ、少女は顔を向けた。いつの間にか心に灯ってしまった火が、苛立ちを燃料に更に火力を上げようとしている。相手の手首で揺れるシュシュの鮮やかさでさえ、今は火力をかさましする油たり得てしまう。
「クラスのみんなに言うのって、ほんっとーに勇気いるんだしさあ。だから協力してって言ったじゃん。なにも返事しないなら、分かったってことでしょ」
 せめて本人が言うならまだ同情の余地を検討するが、当の女子生徒Aは目に涙をためているだけだ。
「その協力が、私が近藤に脈なしだって、わざわざ伝えること?」
 馬鹿らしい。呆れ果て、ないはずの愛想もすっかり尽きてからからだ。なのに何故、向こうまで呆れた顔をしているのか。
「そうかもしれないけどさあ。察してよ。みっちーは優しいから、そこまで言えないのに」
「もういいよ……さっちん、いいってば」いいと言うくせに、今にも泣き出しそうな顔をしている。
 これは誰がどう見ても、私がこいつをいじめてるんだな。
 いけないと分かっているが、抑える前に炎は強火に至っていく。いけないと戒めるべき理由も、次第にわからなくなってくる。
「なにそれ。見ちゃったら、そこまでしなきゃなんないの。まだ私は何も言われてないんだから、好きならさっさと告っちゃえばいいのに」
 すると信じられないといった風にAは顔をくしゃりと歪め、なぜだか代弁者だけが声を荒げた。
「それが難しいから協力してって言ってるのに。桜庭さんもそれぐらい考えてよ」
 何も言わない相手に、何を忖度しろというんだ。どんな義理があって、これを見た人間は私の気持ちを理解して尊重しろとほざくんだ。質が悪すぎる。
 だから少女ははっきりと彼女たちを見て言い放った。
「自分では何にも行動しないくせに、見たやつは協力しろって勝手に押し付けてさ、それって迷惑だとは思わないの」
 ああ、ついにAが泣き出した。だがその押しつけがましい涙は、少女の強火へ余計に油を注ぐだけだった。
「だから、そこまで言ってないじゃんか。少しでいいから、気持ち考えてあげてって言ってるだけなのに。桜庭さんもちょっとは協力してよ」
「考えろだの協力しろだのって、方法があるならせめて自分で言いに来なよ。自分じゃ文句ひとつ言えないくせにさ、協力内容は自分で察して動けだなんて、尋常じゃなく自分勝手じゃない。世の中舐めすぎでしょ」
 その言葉に、栗本幸子含む三人の同級生は一瞬絶句したが、道理よりも青春を愛する中心の女子は、勢い込んで口を開こうとした。
 だが、その口は結局何も言わずに閉じられた。教室の外、廊下をたどって、賑やかな男子生徒の集団が近づいてきたためだった。
 悪い口を吐けなくなった相手からさっさと目線を逸らし、少女は軽い鞄を肩にかけると三人に背を向けた。
 人でなし、といういわれのない低い暴言が一言だけ地を這うのには、決して振り返らなかった。