陽女~Shinening Day~
ー/ー 柔らかい風が吹き抜けていく……
まだ肌寒さをまといつつ、でもどこか暖かくて、包み込むような風が。
そんな風の吹いてくる方角に、あの人は薄らと笑みを浮かべて顔を向けていた。
その表情の意味はよくわからなかったけれど、あの人が嬉しそうにしていることが、私にはこの上ない喜びだった。
「朋胤さま、どうしたのですか?ずっとこんなところでぼんやりとなさって」
だから私は問いかけてみる。
あの人の浮かべる幸せそうな表情の意味を知りたくて。
「春のね、風を感じていたんだ。とても心地よい風を」
あの人は私の方に顔を向けて、優しく微笑んでくれる。
そうしてからまた、あの人は風の吹いてくる方向を見つめる。
私はそんな彼の隣に立って、同じ方角を見つめてみる。
ふわりと一陣の風が、私とあの人の間を通り過ぎていく。
わたしの髪が一瞬だけ宙に舞い、緩やかに元の位置に落ちてくるのが心地よかった。
だけれど、まだ幼かった私は彼の心を独り占めしている風に少しだけ妬心をもってしまう。
だから少しすねた表情で彼の着物の裾を軽く引っ張ると口を開く。
「朋胤さまは陽奈美とも遊ばなければなりませんよ、でないと陽奈美は寂しくて泣いてしまいますよ」
懐かしい夢だった。
幼き日に心の底から大切に思えた人と過ごした、貴重で幸せで温かい思い出。
久方ぶりにあの人の夢を見た。
もう時を数えるのにも疲れ果てるほどに、会うことが出来ないあの人の顔。
どれほどの時間が経過しても、消して忘れることの出来ないあの人の声。
それでももう何年も、いや何十何百という時間の中で、見ることも無くなっていたあの人の夢。
久方ぶりにそんな夢を見たせいか、いつもより早く目が覚めてしまった私は、もう一度眠りにつく気にもなれず、隣で静かな寝息を立てている大切な妹を起こさないように気をつけながら、そっと布団から抜け出した。
まだ初春の早朝のこと。
まだまだ冷たい朝の空気が、私の意識をすぐに覚醒させてくれる。
私はなんとなく、思いつくままに境内の中を、どこにいくでもなくふらふらと散策することにした。
妹の作った結界に守られて、招かざるモノ縁の無い物は入れなくなっている神域。
いや聖域と言うべきか。
故にそこには、害をなさぬ野鳥くらいしか訪うものもなくて、清浄な空気に包まれている。
起きがけに見た夢のことを思い出し、胸が少し切なくなって、私は一つため息をつく。
それはまだ寒い朝の空気に触れると、煙のように白く変化して緩やかに天に昇っていく。
(朋胤さま……貴方はなぜ、私たちの元にあらわれてくださらないのですか……)
誰に言うことも出来ぬ、心の中のモヤモヤを、しかし言葉にすることも出来ず、恨み言のように心中で繰り返す。
そのとき、ふと視界の片隅に見えるモノがあった。
視界の隅で揺れる青。
ゆっくりと近づいてみる。
小さな花がそこには在った。
不意に脳裏に、笑顔を浮かべたあの人の顔が思い出される。
「見てごらん……陽奈美。これがミスミソウ。綺麗だろ……。春になって寒い時期から温かくなってきたらその姿を見せてくれるんだ……。私はこの花が大好きなんだよ」
あの人の声が耳朶に蘇る。
花の清廉な青さに、あの人の笑顔が重なる。
今まであの人のことを、これ程強く思い出す事なんて無かったのに、なぜ今になってこれ程までに強くあの人のことを思い出すのだろうか。
これは何かの予感?
何らかの啓示?
私は胸のなかにざわめきと、そして微かに灯る熱を感じて、そっと自身の胸の上に手のひらを重ねた。
心の中で、幾度もあの人の名をつぶやく。
そしてポロリと口からこぼれ落ちた言葉。
「お会い……しとうございます……」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ガタンッという大きな揺れを体に感じ、俺は微睡みから覚醒する。
「もう着いたの……」
寝起きのはっきりしない頭で、気だるそうな声で俺は両親に向かってそう尋ねる。
「いや……もうすぐだ。あと5分くらいじゃないかな……ナビの計算だがな」
ハンドルをしっかりと握り、前を向いたままで父さんが言う。
「どうせまた、昨日もゲームして夜更かししたんでしょう……全くこの子は。あんたももう高校生になるんだから、ちょっとはしっかりしなさいよ」
俺がうたた寝していた原因を、ゲームが原因の夜更かしと決めつけた母が、チクチクと言う。
「解ってるよ……てか、ゲームのしすぎじゃないし……。なんか寝付けなかったんだよ」
面倒くさそうに母親にそう言い返すと、俺は窓の外を流れる景色に目を向ける。
この町に引っ越すことが決まってから、なんとなく心が落ち着かなくて、眠れない日が続いている。
それは新しい街への引っ越しと、高校生活の始まりという二つが重なったからかとも思った。
だけどもその理由はどうもしっくりこないと感じる自分がいる。
なんと言うべきなのか、言葉で上手く言い表せないけれど、呼ばれている気がする。
そんな感覚と、そう感じる度に胸に去来する、原因不明の焦燥感。
それがずっと続いている気がする。
別に転勤族でもないし、全国各地に支社があるわけでも無いうちの父親の、突然の転勤命令。
急激に環境が変わる不安から、そういう感覚になっているのかもしれないと、自分で自分に言い訳をしているけれど、それもしっくりこない気がして、モヤモヤとする。
まあ……いいか。
俺はそうつぶやいて、思考を停めた。
考えてもわからない物はわからない。
なら無駄に考えて疲労すること自体が愚かしいと。
なるようになるさ。
自分に言い聞かせるようにそうつぶやいて、俺は目を閉じる。
新しく始まる生活。
新しく始まる高校生という時代に思いをはせながら。
まだ肌寒さをまといつつ、でもどこか暖かくて、包み込むような風が。
そんな風の吹いてくる方角に、あの人は薄らと笑みを浮かべて顔を向けていた。
その表情の意味はよくわからなかったけれど、あの人が嬉しそうにしていることが、私にはこの上ない喜びだった。
「朋胤さま、どうしたのですか?ずっとこんなところでぼんやりとなさって」
だから私は問いかけてみる。
あの人の浮かべる幸せそうな表情の意味を知りたくて。
「春のね、風を感じていたんだ。とても心地よい風を」
あの人は私の方に顔を向けて、優しく微笑んでくれる。
そうしてからまた、あの人は風の吹いてくる方向を見つめる。
私はそんな彼の隣に立って、同じ方角を見つめてみる。
ふわりと一陣の風が、私とあの人の間を通り過ぎていく。
わたしの髪が一瞬だけ宙に舞い、緩やかに元の位置に落ちてくるのが心地よかった。
だけれど、まだ幼かった私は彼の心を独り占めしている風に少しだけ妬心をもってしまう。
だから少しすねた表情で彼の着物の裾を軽く引っ張ると口を開く。
「朋胤さまは陽奈美とも遊ばなければなりませんよ、でないと陽奈美は寂しくて泣いてしまいますよ」
懐かしい夢だった。
幼き日に心の底から大切に思えた人と過ごした、貴重で幸せで温かい思い出。
久方ぶりにあの人の夢を見た。
もう時を数えるのにも疲れ果てるほどに、会うことが出来ないあの人の顔。
どれほどの時間が経過しても、消して忘れることの出来ないあの人の声。
それでももう何年も、いや何十何百という時間の中で、見ることも無くなっていたあの人の夢。
久方ぶりにそんな夢を見たせいか、いつもより早く目が覚めてしまった私は、もう一度眠りにつく気にもなれず、隣で静かな寝息を立てている大切な妹を起こさないように気をつけながら、そっと布団から抜け出した。
まだ初春の早朝のこと。
まだまだ冷たい朝の空気が、私の意識をすぐに覚醒させてくれる。
私はなんとなく、思いつくままに境内の中を、どこにいくでもなくふらふらと散策することにした。
妹の作った結界に守られて、招かざるモノ縁の無い物は入れなくなっている神域。
いや聖域と言うべきか。
故にそこには、害をなさぬ野鳥くらいしか訪うものもなくて、清浄な空気に包まれている。
起きがけに見た夢のことを思い出し、胸が少し切なくなって、私は一つため息をつく。
それはまだ寒い朝の空気に触れると、煙のように白く変化して緩やかに天に昇っていく。
(朋胤さま……貴方はなぜ、私たちの元にあらわれてくださらないのですか……)
誰に言うことも出来ぬ、心の中のモヤモヤを、しかし言葉にすることも出来ず、恨み言のように心中で繰り返す。
そのとき、ふと視界の片隅に見えるモノがあった。
視界の隅で揺れる青。
ゆっくりと近づいてみる。
小さな花がそこには在った。
不意に脳裏に、笑顔を浮かべたあの人の顔が思い出される。
「見てごらん……陽奈美。これがミスミソウ。綺麗だろ……。春になって寒い時期から温かくなってきたらその姿を見せてくれるんだ……。私はこの花が大好きなんだよ」
あの人の声が耳朶に蘇る。
花の清廉な青さに、あの人の笑顔が重なる。
今まであの人のことを、これ程強く思い出す事なんて無かったのに、なぜ今になってこれ程までに強くあの人のことを思い出すのだろうか。
これは何かの予感?
何らかの啓示?
私は胸のなかにざわめきと、そして微かに灯る熱を感じて、そっと自身の胸の上に手のひらを重ねた。
心の中で、幾度もあの人の名をつぶやく。
そしてポロリと口からこぼれ落ちた言葉。
「お会い……しとうございます……」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ガタンッという大きな揺れを体に感じ、俺は微睡みから覚醒する。
「もう着いたの……」
寝起きのはっきりしない頭で、気だるそうな声で俺は両親に向かってそう尋ねる。
「いや……もうすぐだ。あと5分くらいじゃないかな……ナビの計算だがな」
ハンドルをしっかりと握り、前を向いたままで父さんが言う。
「どうせまた、昨日もゲームして夜更かししたんでしょう……全くこの子は。あんたももう高校生になるんだから、ちょっとはしっかりしなさいよ」
俺がうたた寝していた原因を、ゲームが原因の夜更かしと決めつけた母が、チクチクと言う。
「解ってるよ……てか、ゲームのしすぎじゃないし……。なんか寝付けなかったんだよ」
面倒くさそうに母親にそう言い返すと、俺は窓の外を流れる景色に目を向ける。
この町に引っ越すことが決まってから、なんとなく心が落ち着かなくて、眠れない日が続いている。
それは新しい街への引っ越しと、高校生活の始まりという二つが重なったからかとも思った。
だけどもその理由はどうもしっくりこないと感じる自分がいる。
なんと言うべきなのか、言葉で上手く言い表せないけれど、呼ばれている気がする。
そんな感覚と、そう感じる度に胸に去来する、原因不明の焦燥感。
それがずっと続いている気がする。
別に転勤族でもないし、全国各地に支社があるわけでも無いうちの父親の、突然の転勤命令。
急激に環境が変わる不安から、そういう感覚になっているのかもしれないと、自分で自分に言い訳をしているけれど、それもしっくりこない気がして、モヤモヤとする。
まあ……いいか。
俺はそうつぶやいて、思考を停めた。
考えてもわからない物はわからない。
なら無駄に考えて疲労すること自体が愚かしいと。
なるようになるさ。
自分に言い聞かせるようにそうつぶやいて、俺は目を閉じる。
新しく始まる生活。
新しく始まる高校生という時代に思いをはせながら。
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