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曰くつき

ー/ー



「病院……?」

 病院とはどこのことなのか。人口減が進み斜陽化が進む南柳市と言えども数限りなく病院はある。それでも吉良は、おそらくは白坂が言っているその病院の外観をおぼろげにではあるが頭の中に浮かべることができた。

 内田紗奈の胃の中から摘出された燃えたようなガラス片。椿杏が行って帰ってきた場所。水子霊にとって親和性の高い場所。曰くつき。そして、病院。

 これらを線で繋げられる場所は南柳市において一箇所しかなかった。

 見当はついたが、ひとまず吉良は掴まれたままの白坂の手を丁寧に放そうとする。白坂の手首を触るが、氷でも触っているかのようにひどく冷たい。

 白坂は、どこから湧いてくるのかさらに手に力を込めた。放されないようにしようとでもいうように。

「……病院の奥……奥から……声が……声が……」

 真っ直ぐに見つめたままの瞳が異常を伝えていた。吉良がやや乱暴にぐいっと腕を引っ張るが、軽い痛みが襲った。

 白坂が爪を立てているのだ。

「──落ち着いて、手を放してください。白坂さん。大丈夫です……ここは安全」

「声……声……赤ちゃんの声……いっぱい……声」

 まずい──と吉良は直感した。病室に入る前は噛み合っていた会話が歯車がズレていくようにどんどん噛み合わなくなっていく。

 こうした症状は今まで何度も見てきた。怪異を目の当たりにして眼前の現象が常識で測れなくなった際に自己防衛のために起こる場合もあるが、あやかしに取り憑かれている場合はむしろ、異変の現れとしての兆候の方が多かった。

 目で合図を送るまでもなく壁に寄りかかっていた月岡も空気の変化に気づき動き始めていた。

 しかし、月岡が白坂の体を取り押さえるよりも前にそれ(・・)──つまり急激な変化が生じる。

「声……声、声、こえ、コえ、コエ、ゴエ──」

 爪が食い込んでいく。体は前傾姿勢になり、極限状態まで筋肉と脂肪のなくなった体が更に痩せ衰えていく。唯一正常を保っていた黒髪の色素が急速に失われていき、白髪と化していく。

 吉良を見ていた瞳は上下左右に揺れ動き、焦点がまるで合わなくなる。やがて白目を剥いてベッドの上へと上体が仰向けに倒れ込み、すかさず起き上がると。

「あぁああ、あぅああ、アァアア、アアアアァアア、アァァアアアアャアアアアヤアアアアア!!!!!!!!!」

 赤子のような叫び声を上げて、大きく口を開けると吉良に向かって飛びついてきた。

「やめろっ!」

 間一髪、月岡が後ろから両脇の下に腕を入れると急変した白坂の動きを無理矢理に静止させた。それでも、白坂の手は吉良の手首に食い込んだまま放すことはない。

「月岡さん! ナースコールをっ!」

 月岡はなぜか黙ったまま眉間にシワを寄せていた。聞こえていないのかと思い、吉良は白坂の指を剥がしながらもう一度呼びかける。

 返ってきたのは舌打ちだ。

「わかってるよ! だが、今腕を放すことはできない! 椿のばあさんのときも思ったが、こいつの力、尋常じゃない!」

 月岡の腕から逃れようと歯を食いしばりながら白坂──もうすでに人の姿から餓鬼の姿に成り果てようとしている──は、唸り声を上げて全身に力を込めていた。

 吉良の手首もますます拗られるように力が強く込められ、吉良は苦痛の声を発した。

 なんとか逃れなければ──と怨念のような力の籠もった指を一本一本剥がしていく。その間も餓鬼憑きは目の前の獲物に飛びかかろうと右に左に体を捻る。

 獣のような咆哮とともに口から飛ばされた唾が吉良の眼鏡にべたりとついた。

「早く……逃げろ! このままじゃ持たねぇ……」

 なんとか動きを封じている月岡の腕が震え始めた。吉良は指を剥がすのを諦めて思い切り後ろへ仰け反ったが、手は岩のように硬くびくともしない。

 餓鬼憑きの口が大きく開かれ、強烈な腐臭の臭いとともに中から鋭利な犬歯が覗く。

 最悪な事態が頭を過った。暴れ出せば餓鬼は歯を突き立てて顔ごと食い破ろうとしてくるかもしれない。一度人を食った餓鬼はさらに凶暴化する危険性がある。変化は他の個体にも波及し、更なる暴走が始まる。

 餓鬼憑きが見境なく人を襲い始める。その先は──まさに地獄絵図だ。

 そうなるわけにはいかない。そうさせるわけにはいかない。もう一度腕が引き千切られるのを覚悟に後ろへ体重をかけたそのとき。

 急に体が軽くなった。

「吉良!!!!」

 月岡の腕から抜け出した餓鬼憑きの愉悦に震えた顔が吉良に近付いてくる。


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「病院……?」
 病院とはどこのことなのか。人口減が進み斜陽化が進む南柳市と言えども数限りなく病院はある。それでも吉良は、おそらくは白坂が言っているその病院の外観をおぼろげにではあるが頭の中に浮かべることができた。
 内田紗奈の胃の中から摘出された燃えたようなガラス片。椿杏が行って帰ってきた場所。水子霊にとって親和性の高い場所。曰くつき。そして、病院。
 これらを線で繋げられる場所は南柳市において一箇所しかなかった。
 見当はついたが、ひとまず吉良は掴まれたままの白坂の手を丁寧に放そうとする。白坂の手首を触るが、氷でも触っているかのようにひどく冷たい。
 白坂は、どこから湧いてくるのかさらに手に力を込めた。放されないようにしようとでもいうように。
「……病院の奥……奥から……声が……声が……」
 真っ直ぐに見つめたままの瞳が異常を伝えていた。吉良がやや乱暴にぐいっと腕を引っ張るが、軽い痛みが襲った。
 白坂が爪を立てているのだ。
「──落ち着いて、手を放してください。白坂さん。大丈夫です……ここは安全」
「声……声……赤ちゃんの声……いっぱい……声」
 まずい──と吉良は直感した。病室に入る前は噛み合っていた会話が歯車がズレていくようにどんどん噛み合わなくなっていく。
 こうした症状は今まで何度も見てきた。怪異を目の当たりにして眼前の現象が常識で測れなくなった際に自己防衛のために起こる場合もあるが、あやかしに取り憑かれている場合はむしろ、異変の現れとしての兆候の方が多かった。
 目で合図を送るまでもなく壁に寄りかかっていた月岡も空気の変化に気づき動き始めていた。
 しかし、月岡が白坂の体を取り押さえるよりも前に|それ《・・》──つまり急激な変化が生じる。
「声……声、声、こえ、コえ、コエ、ゴエ──」
 爪が食い込んでいく。体は前傾姿勢になり、極限状態まで筋肉と脂肪のなくなった体が更に痩せ衰えていく。唯一正常を保っていた黒髪の色素が急速に失われていき、白髪と化していく。
 吉良を見ていた瞳は上下左右に揺れ動き、焦点がまるで合わなくなる。やがて白目を剥いてベッドの上へと上体が仰向けに倒れ込み、すかさず起き上がると。
「あぁああ、あぅああ、アァアア、アアアアァアア、アァァアアアアャアアアアヤアアアアア!!!!!!!!!」
 赤子のような叫び声を上げて、大きく口を開けると吉良に向かって飛びついてきた。
「やめろっ!」
 間一髪、月岡が後ろから両脇の下に腕を入れると急変した白坂の動きを無理矢理に静止させた。それでも、白坂の手は吉良の手首に食い込んだまま放すことはない。
「月岡さん! ナースコールをっ!」
 月岡はなぜか黙ったまま眉間にシワを寄せていた。聞こえていないのかと思い、吉良は白坂の指を剥がしながらもう一度呼びかける。
 返ってきたのは舌打ちだ。
「わかってるよ! だが、今腕を放すことはできない! 椿のばあさんのときも思ったが、こいつの力、尋常じゃない!」
 月岡の腕から逃れようと歯を食いしばりながら白坂──もうすでに人の姿から餓鬼の姿に成り果てようとしている──は、唸り声を上げて全身に力を込めていた。
 吉良の手首もますます拗られるように力が強く込められ、吉良は苦痛の声を発した。
 なんとか逃れなければ──と怨念のような力の籠もった指を一本一本剥がしていく。その間も餓鬼憑きは目の前の獲物に飛びかかろうと右に左に体を捻る。
 獣のような咆哮とともに口から飛ばされた唾が吉良の眼鏡にべたりとついた。
「早く……逃げろ! このままじゃ持たねぇ……」
 なんとか動きを封じている月岡の腕が震え始めた。吉良は指を剥がすのを諦めて思い切り後ろへ仰け反ったが、手は岩のように硬くびくともしない。
 餓鬼憑きの口が大きく開かれ、強烈な腐臭の臭いとともに中から鋭利な犬歯が覗く。
 最悪な事態が頭を過った。暴れ出せば餓鬼は歯を突き立てて顔ごと食い破ろうとしてくるかもしれない。一度人を食った餓鬼はさらに凶暴化する危険性がある。変化は他の個体にも波及し、更なる暴走が始まる。
 餓鬼憑きが見境なく人を襲い始める。その先は──まさに地獄絵図だ。
 そうなるわけにはいかない。そうさせるわけにはいかない。もう一度腕が引き千切られるのを覚悟に後ろへ体重をかけたそのとき。
 急に体が軽くなった。
「吉良!!!!」
 月岡の腕から抜け出した餓鬼憑きの愉悦に震えた顔が吉良に近付いてくる。