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The disturbance never ends

ー/ー



-騒乱が終わるとき----それは恐らく、誰かの命が終わるときである-


 同時刻、ソドム中央都市管理局、執政長官室。

 そこでは、この国のトップに立つ、執政長官――――ゴルダ執政長官が、自慢の愛銃、44口径マグナムを念入りに磨いていた。フレームを特殊な技術でゴールドに染め、ロングバレルで美しく仕上げられたそれを、彼はいたく気に入っていた。

 もっとも、その美しく輝く銃を、この丸々と太った、勲章だらけの軍服の壮年の男は、ただの一度も撃ったことはないのだが。

「うむ、ジュリエット……。お前は今日も美しいな。くふふふふ……」

 じゃらじゃらと指輪を付けた手でその銃を磨きながら、ゴルダはにんまりと嫌らしく笑う。どうやら、この男は銃に女性の名をつけ、楽しむという性癖があるようだ。

 そのとき、入り口のドアをノックする音が響いた。その音にお楽しみを邪魔されたゴルダは、明らかに不機嫌そうに眉をしかめる。

 が、その返事を待たず、一人の男が入室する。髪と目を除き、顔の部分を包帯で覆った男――――執政官、シュナイゼルだった。

「シュナイゼル! 貴様、この時間は邪魔をするなと言ってあるだろうが!」

「失礼いたしました。しかし、計画の進展があったもので」

 恫喝するゴルダに、包帯の男は落ち着いた声で返す。悪びれた様子も、恐れる様子もない。その目は何の色もなく、不気味にゴルダを見返すだけだ。

「……まあいい。報告しろ」

 逆にゴルダのほうが目をそらし、早くしろとでも言いたげに手を振って見せる。だが、その手は本人も気づかぬうちに、じっとりと汗で濡れていた。

 この男――――シュナイゼルという男は不気味だ。その容姿もさることながら、なにを考えているのかさっぱりつかめない。

 だが、とゴルダは思う。

 今のプロジェクト――――システム・ウロボロスの完成には、この男の存在が必要不可欠だ。何しろ、この男の科学技術はずば抜けている。さすがは、軍の研究所でトップの頭脳と呼ばれるだけのことはある。その頭脳、せいぜい利用させてもらおう。

 心の中でほくそ笑むと、一つ咳払いをし、ゴルダはシュナイゼルに向き直る。

「……では。システム・ウロボロスの稼働率が50%を超えました。今現在であれば、ソドム内の全オートマトン程度ならば完全に支配化に置くことができます」

「そうか、すばらしい! これであの忌々しい鉄クズどもを兵士に変えられるわけだな!」

 興奮気味に手を叩くゴルダに、シュナイゼルがかすかに目を細める。

「――――いえ。今はまだ、スクラップドギアのオートマトンたちを従わせるほどの力はございません。擬似人格システムを有したオートマトンに対しては、そのシステムが一種のプロテクトとなり、抵抗されてしまうでしょう」

「なんだ、まだその程度か。それだけのことで私の時間を割いたのかね?」

 利用する、という思考も忘れ、ゴルダが不機嫌に顔をしかめる。

「いえ。そちらは単純な状況報告に過ぎません。本来の報告は――――」

 一度言葉を切ったシュナイゼルの目が、再び細められる。笑っているような、嘲っているような、あの、不気味な目に。

「極秘に開発中だった、あれ――――『アンビション』が完成いたしました。後は稼動テストを行うのみです」

 その言葉に、嘲るようだったシュナイゼルの目も気にせず――――ただ単に気がつかなかっただけかもしれないが――――ゴルダは椅子から立ち上がって歓喜した。

「そうかそうか! ついに出来上がったか! ふははは、あれさえあればスクラップドギアの鉄クズどもなど踏み潰して――――」

「……閣下」

 歓喜に小躍りするゴルダを、シュナイゼルの声が――――これまでになく、深く、不気味に、まるで地獄の底から響いてきた呼び声のように、制した。

 ぞくり、と。背筋に走った戦慄に、思わずゴルダは硬直する。

「やつらは、我らが尖兵として、エデン攻略の礎となってもらわねばなりません。文字通りスクラップにしてしまっては、意味がないかと」

「……む、むう……。そ、そうであったな」

 闇から覗き込むような瞳に見つめられ、ゴルダはいすに座る。じわり、と一筋の冷や汗が彼の頬を伝って落ちていった。

「報告は、以上です。この後はアンビションのテストと、システム・ウロボロスの構築を進めてまいります」

「う、うむ……ご苦労」

 やっとのことでそれだけ返すゴルダに、シュナイゼルは恭しく一礼すると、執務長官室を去っていった。

「ぐぬう……気味の悪いやつめ。まあいいわ、あれと、システムさえできてしまえばエデンも私のものになるのは間違いない。そうなれば、そうだな……。執政長官などという肩書きではなく、皇帝と名乗ってもいいかも知れんな、ふははははは!」

 自分に酔ったように高笑いを上げるゴルダに、気づくよしもなかった。ドアの向こうでは、シュナイゼルがまた、あの笑いとも嘲りとも取れる不気味な瞳で、その声を聞いていたことを。
 シドウ・シラミネの屋敷――――それは、屋敷というにはあまりに質素なものだった。ソドムの上流階級区にありながら、戦前の学校を小さくしたような、住居と呼ぶには少々変わった形をした建物だ。

「これが、おじ様のお屋敷?」

 半分演技で、半分本気で、セトミがいぶかしむような声を上げる。

「そうだ。私の家は、私が営む孤児院も兼ねている。だが、ここにいるのは、かわいそうな孤児などではない。彼らは、私の息子であり、娘だ。家族とともに住むのは、当然のことだ」

 この誰もが生きることに必死なこの世界で、シラミネはそう、堂々と言い切った。自らの命のためならわが子の命さえ売ることもいとわぬものの多い中、それは確かに、立派なことなのだろう。

 だがそれは、セトミの胸に不意に暗雲をもたらす。それは、きっと、幼い頃の自分には手に入らなかったものが、ここにあるからだ。
「……おじ様は、慈悲深いのですね」

 うつむいて言うセトミに、シラミネは何かを感じたか、首を横に振る。

「いや、ええかっこしいなだけだ。父親の座右の銘が『義を見てせざるは勇なきなり』でね。助けられるものがいるのに何もせんのは、格好悪いと思っておっただけじゃよ」

 冗談めかして言うシラミネだが、ふとその表情に影が差した。

「それに、領地を広げると言って戦争を繰り返すのは、我々、評議会だ。自らのエゴのために争いを起こし、犯した罪を償おうとすることを、慈悲深いとは言えぬよ」

 自らに言い聞かせるようにしてつぶやくと、シラミネは車椅子を操り、屋敷へと進んで行く。

「シラミネ様、お押しします」
 乗ってきた車を車庫へ入れてきたリリアがシラミネの後ろにつくが、彼はゆっくりと首を横に振る。

「いや、大丈夫だ。少しは身体も動かさんと、頭の中まで動かなくなってしまいそうだからな」

 シラミネの案内で、二人は屋敷の中へと入る。そこは今では珍しい木製の壁を基調とした建物で、古い西洋風の洋館だった。派手な豪華さはないものの、木目調の壁や床がどことなく暖かさを感じさせる。

「では、私の部屋で詳しい話をするとしよう。今日ゲートを越えてきたところなのだし、少し休ませてやりたいが、なにぶん時間がない」

 彼の後について、二人はすぐ側にある部屋へと入った。そこも屋敷の外観や内装と同じく、豪華さを感じさせるものは何もない。あるのは質素な天蓋つきのベッドに、ぎっしりと本の詰められた本棚、小さなテーブル、そして幾枚かの書類が置かれた机だけだ。
「さて……早速だが、本題に入ろう。まず、君たちの目的である擬似人格デヴァイスは、ソドムの中枢である、中央管理局に運びこまれている。管理局と言う名ではあるが、実際、そこは軍事基地だ。軍政の中心であり、同時にこの都市最大の基地、科学研究施設でもある」

 シラミネの剣呑な物言いに、セトミが演技をやめ、腕を組んで壁に寄りかかる。

「……ふーん……なかなか、一筋縄ではいかなそうね。忍び込んだら、ずいぶん楽しいアトラクションが待ってそうだわ」

「うむ。出迎えてくれるのが、陽気なきぐるみたちなら良かったのだがな。一歩間違えば出てくるのは精鋭の兵隊たちだ。共通点は、ラッパを構えるのがよく似合うことくらいだよ」

 シラミネが皮肉げに言うラッパとは、恐らくライフルのことだろう。彼は両手で銃を構える仕草をして見せた。

「……で、肝心のエマは、その基地内のどこにいるわけ?」

 セトミの言葉に、シラミネはテーブル上に地図のようなものを広げた。

「その擬似人格OS――――エマというのか。彼女は、恐らく、基地の地下に存在する施設……研究施設エリアにいると見て間違いないだろう。軍の最新兵器や、各種武装はすべてそこで開発されているからな」

「……ちょっと待った」

 シラミネの言葉に、セトミが引っかかった表情でストップをかける。

「今、『恐らく』って言ったよね。おじさま、副長官だってのに、軍が研究中の最新システムがどこで開発されてるか、聞かされてないの?」

「言ったろう、私は所詮、お飾りの副長官だ。対外政策の重要な点は、知らされることはない。……それに、例え私が権力を持っていたとしても、科学技術省の連中には、そうそう口出しはできん」

 ため息をつきながら腕を組むシラミネに、リリアが鋭い視線を向けた。

「この国で実際に権力(ちから)をもつものは、文字通り、力を持つものたち――――そういうことですね」

「そうだ。研究施設の研究員たちは、研究員であると同時に、そこで開発される様々な兵器のエキスパートでもある。最新型のガンマレイなどの兵装は、強力ではあるが操作が複雑であったり、メンテナンスに専門知識を必要とすることが多い。つまり……」

「この国の火薬を握ってるのは、その研究機関、ってわけね」

 合点がいったとばかりに頭をかくセトミに、シラミネが神妙な表情でうなずく。

「そこに忍び込もうというのだ、一筋縄ではいかん。基地内のほかの施設ならば、その変装と、私とともに行動することでごまかせるだろうが、ここでやつらに見つかればただではすまん」

「……で、どうすればいいわけ?」

 肩をすくめるセトミに、シラミネが壁のカレンダーを指して見せる。その指先は、明日に当たる日――――戦勝記念日と記された日付を指し示していた。

「幸運なことに、明日は戦勝記念日だ。毎年この日は、軍が総出で祝賀パレードや記念式典を行う。もちろん、中央管理局の兵士や研究者たちも例外ではない。普段より、警備は手薄になるはずだ。そこを突く」

「……なるほどね。それなら、ことはそう難しくないかもね」

 帽子を浅く被りなおしながら、セトミがにやりと笑う。敵の警備は手薄、なおかつこちらにはシラミネという軍の副長官がついている。正体を看破されることは、そうそうあるまい。

「うむ。明日、君には私とともに中央管理局へ行ってもらう。姪に基地を案内する、という名目でな。そして、基地の隣にある式典会場で長官の演説が始まる午前11時、君は基地内で『ついうっかり』私とはぐれる。そして『迷って』研究施設エリアへ入り込んでしまうんだ」

「『おじさまとはぐれてしまいました……どうしましょう。ここがどこなのかもわからないわ』……っていう演技をしながら歩いていけばいいわけね」

 おどけたお嬢様口調で、大仰な演技をして見せるセトミに、シラミネが笑う。

「そうだ。それで監視カメラに映っても怪しまれることもないし、万一、兵士に見つかってもとりあえず言い訳は立つ。研究施設エリアに到達したら、システム構築部門にあるコンピューターを探せ。そこに、エマ君はいるはずだ」

「そこまで私も同行いたします。そのコンピューターのプロテクトは、相当高度なシステムが採用されているはずです。ですが、私の演算能力ならば解析は可能です」

 冷静に言うリリアに、セトミが一つうなずく。確かにシャドウや戦前の施設にもぐりこむときは、そっち関係は大体ショウの仕事だった。不得手な自分がやるよりも、リリアがプロテクトを突破するほうが早いだろう。

「で、エマをデヴァイスに取り返して、さっさとおさらばすればいいわけね。意外に楽勝なんじゃない?」

「……そう簡単にいけばいいのですが」

 あっけらかんと言い放つセトミに、リリアの表情がわずかに曇る。

「……なにか嫌な予感がいたします。システムに不具合を見つけたときのような……」

 珍しくその物言いは、はっきりとしない。いつもは読んで字のごとく機械的に、冷静沈着な判断を下す彼女にとっては、人間で言う第六感のようなそれが、どことなく不気味であった。

「ま、慎重になるに越したことはないね。見つかったら、下手すりゃ一発アウトだかんね」

 リリアのその様子に、セトミも表情を引き締める。

「……なんにせよ、決行は明日だ。今のうちに、心の準備をしておくといい」

 シラミネの言葉に、セトミ、リリアともにうなずいた。
 同日、午後7時。ソドム上流階級区。

 ソドム軍第一防衛隊・部隊長シルバは、幼なじみであるタリアと共に、レストランで食事をとっていた。上流階級区のレストランとは言っても、それほど値のはらない、食堂と言ってもいいくらいの簡素な場所である。実際、周囲の客はこの地区に働きに出てきているらしい、中流、もしくはそれ以下の空気をまとった人間だけだ。

 シルバもタリアも、育った環境のためか、どうにも高級感のある場所というのは苦手だった。

「――――まったく、食事なら昨日も付き合っただろう。どうしてこう、毎日毎日、俺を誘いたがる?」

「あら、ご挨拶ね。可愛い幼なじみを置いて、長いこと任務に就いてたんだから、2,3日付き合ってくれたっていいじゃない?」

 仏頂面のシルバに、金髪の女性、タリアがいたずらっぽく笑う。
「――――それに、用事は食事だけじゃなくってよ」

 だが、不意に走ったタリアの剣呑な視線に、シルバが口元を隠すように手を組んだ。

「……明日のことか」

「そう、それも基地内じゃちょっと……なお話」

 先ほどよりも低く、静かな声になった二人のそれは、混雑時の食堂という喧騒に紛れ、飲まれるように消える。

「……シルバ、あなたなぜ、明日は基地の担当なの? ソドムを守る鉄壁の壁――――鬼と聞こえた第一防衛隊が、式典会場じゃなく、お留守番なんて、空家をドーベルマンでがっちり守ってるようなものよ?」

「……仕方ないだろう、上官の命令だ」
 そう言うシルバの表情は、自分でも納得できないと顔に書いてあるような仏頂面である。その顔に、タリアの視線がきつくなる。

「……シュナイゼルね」

 一際低くなったタリアの声に、シルバは無言でうなずく。

「何考えてるのかしらね、あのミイラ男は。やたらエデンをとることに執着してるみたいだけど。議会でもスクラップドの問題なんか眼中にないって感じ。長官まで抱き込んで、強硬に侵略論を推してんの。おかげでこっちは仕事が増えそうよ」

「……そうだな。エデンの情報も大方掴んだ今、評議会最年少執政官にして、軍部の対外攻略担当官殿は、忙しくなりそうだな」

「ちょっ、やめてよ。オフレコよ、オフレコ!」

 タリアが慌てた様子で、人差し指を口の前に立てて見せる。
 そう、このタリアは、評議会に置いて最年少の執政官であり、なおかつ対外攻略担当官――――要するに、敵国を攻めるプランの作戦立案、指揮、実行を司る人物でもあった。幼い頃より軍に属し、前線で武功を立ててきたゆえの出世であった。

「大体、まともにやりあったらシルバのが完全に上手でしょ。あなたが本気で前線に立ってたら、立場は逆でしょうに」

「……俺は今の立場が性に合ってる。侵略よりも、守ることのほうがな。それに、そのほうがあれを使うことは少なくて済む」

 腕を組んでいうシルバに、タリアは頬杖をついてため息をつく。

「……はあ。あなたって、軍人って言うよりあれだわ。あの……なんだっけ……」

 しばらく言葉を探すように宙に視線を漂わせていたタリアが、シルバの腰のカタナを見、思い出したように手を打った。

「そう、サムライ!」

「……意味がわからん」

 だが、当の本人はしれっとした顔で食後のコーヒーをすすっている。が、不意にその鋭い視線をタリアに向け、カップを置く。

「……そのサムライから、一つ忠告だ。明日の記念式典……気をつけろ。なにか嫌な予感がする」

「……嫌な予感?」

 あまりに曖昧な言い回しに、眉間にシワを寄せてタリアが返す。

「ああ。国内も国外もきな臭い雰囲気……オートマトンとは一触即発なのに、俺たちは次の獲物を見ているのは誰の目にも明らか。そしてそこに来て、明日のお祭り騒ぎだ。……何かが起きる条件は、揃っている気がしてな」

 早口に一息で言い切ると、シルバはその嫌な予感を飲み干そうとするかのように、カップのコーヒーを胃へ流し込む。

「ご忠告ありがとう。ま、嫌でも明日はやってくるのよ。なにか起こったらなにか起こったで、最善を尽くしましょ」

 シルバの真似をするように、タリアが飲んでいたエールを一気に飲み干そうとし……その強い炭酸に、盛大にむせた。
「よし。十一時……ゴルダの演説が始まる時間になったら、地下に降り、二人は合流しろ。そして演説が終わるまでの間に、エマ君を連れ戻し、何食わぬ顔で私の元へ戻ってくればいい。ただし、地下に降りてからは監視カメラに気をつけろ。いくら要人であるとはいえ、後々、エマ君がいなくなっていることに気づかれた際、外部のものが立ち入っていたことが発覚するのはまずい」

「確かに、しかもそれがおじさまの姪っ子となれば、おじさまの身も危ないしね」

 頬をぽりぽりと掻きながらいうセトミに、シラミネが苦笑いする。

「まあ、私自身はどうなってもいいが……下手を踏むと、君たちへの協力もこれで最後になってしまうからな」

 自嘲気味に言うシラミネに、思わずセトミが肩をすくめた。

「さて、では装備の確認をしてから行くとしよう。すべて問題なく準備できているか?」
「もちろん。なんかあった時のための準備もバッチリよ」

 そういうセトミのドレスやウィッグの下には、実に様々な武器や道具が隠されている。まず、右腿に装備した、バンド付きホルスターに納められたアンセム。ドレスのロングスカートに隠れ、外からではそんなものがあることを微塵も感じさせない。万一、何かしらの理由で怪しまれたとしても、副長官の姪のスカートの中を調べさせろ、などという兵はいるまい。

 反対側、左の腿には、普段左腕に装備しているメディカルデヴァイスがある。これも万一戦闘などになった場合の対策だ。もちろん通信機能もオンになっており、接続されたイヤホンとマイクがドレス、ウィッグの下を通り、それぞれ襟元、耳にまで伸びている。

「よし……む、そうだ、一つ忘れていた。これも持っていけ」

「これ……ヘアピン? なんでこんなに?」

 思い出したように、シラミネが差し出しだのは、10本ほどのヘアピンが入ったプラスチックのケースだった。その意図がつかめず、ケースとシラミネの顔を交互に見比べるセトミに、彼が言う。

「慣れぬ長い髪で、何かしらの作業を行わねばならん時もあるだろう。その時、髪が邪魔にならんように使うといい。昔、娘が使っていたものだからかなり古いが、使えることは使えるはずだ」

「うーん……まあありがたいけど、こんなにいらないよ」

 渋面で言うセトミに、しかしシラミネは押し付けるようにしてケースを渡した。

「いいから取っておけ。多すぎても、困るということもあるまい。さあ、行くぞ」

 車椅子姿ながら、器用に車外へ降りるシラミネに返すタイミングを無くし、仕方なくセトミはヘアピンの入ったケースを懐へとしまった。

そのシラミネの車椅子を押しながらリリアが、少し離れてセトミが、ついに中央管理局に潜入した。

そこは、コンクリートの打ちっぱなしになった、殺風景な空間だった。それなりに整備された街とはいえ、やはり大戦後の施設なのだということを嫌が応にも実感させる。

入ってすぐ、通路は正面、右、左と三叉路になっている。その無骨な景観も相まって、しっかりと道を覚えておかなければ迷ってしまいそうだ。セトミは変装用の帽子を、深くかぶり直して鋭く左右を見る。

「ここを左に行けば、地下へと続く階段の方向へ行ける。迷うなよ」

 セトミの表情を見てとってか、シラミネが周囲にもれないように静かに囁いた。

「さて、では二人をまずは訓練場へ案内するとするかな。リリア君、まずはまっすぐ進んでくれたまえ」

「……かしこまりました」

 リリアがゆっくりと、かすかに瞳から機械音をさせながら進んでいく。おそらく、周囲を警戒してのことだろう。音がしているとはいえ、それは耳をすませなければ、彼女からしている音と気づかない程度のものだ。

 が、その瞳――――レンズが、不意に前方に集中した。

 それは、ゆっくりとこちらに向かって歩く青年だった。先日見た、街の入口の兵や、ゲートにいた兵とは違う、青い軍服を身にまとっている。どうやら、一兵卒ではなく、将校クラスの人間のようだ。

「ん……シラミネ先生?」

 ひどく険しい顔で歩を進めていた青年が、その姿を認めるのと同時に、意外そうに、しかしどこかに嬉しさをにじませて、シラミネに歩み寄る。

「む……おお、シルバか? お前、こんなところで何をしている? 今日は式典の方の警備じゃないのか?」

 一方のシラミネは、うれしそうにしながらも、どこか言葉の端に剣呑な響きを帯び、ている。それは、まるで――――計算外の出来事が起きたかのように。

「ええ、本来ならばそちらにつくのが道理と思うのですが、上官にこちらの警護を命じられまして。どうも、あの人には煙たがられているようです」

 皮肉げに言う青年の目は、基地に隣接する式典会場の方へと向いている。しかし、不意にその瞳がリリア、そしてセトミへと順に映った。

「ところで、こちらの方々は?」

「あ、ああ。彼女らは私の姪であるターニャと、そのお付きのメイドであるリリアだ。ターニャはエデンのそばにある町に住んでいたんだが、このところ、どうも向こうとはきな臭いだろう? そこで、こちらに来るように私が提案したんだ」

 ほんのわずか……近くで見なければわからないほどわずかに、シラミネが唇を噛む。セトミは帽子の下からそれを身、青年の『先生』という言葉と照らし合わせ、納得する。

 ――――おそらく、彼はシラミネの孤児院の出身なのだ。

「姪御さん……? 先生に姪御さんがいるなどとは初耳です。いや、ご兄弟がいるということすら、自分は知りませんでした」

 しかし青年の表情は、それを怪しむ素振りもない。シラミネのことを心から信じている、という様子だ。

「……っと、失礼しました。先生の親戚ならば、自分にとっても家族同然です。自分は第一防衛隊所属、シルバ中佐です。もしこの街で困ったことがあれば、なんでも相談してください」

 にこやかに敬礼してみせるシルバに、セトミは顔を伏せたまま、小さな声で答える。

「あ……ありがとうございます。私は……ターニャ=シラミネです」

 その伏せた目が、シルバの腰に差された、彼の得物へと注がれ、人知れず鋭くなる。

 そこにあったのは、普通のものよりわずかに短く、反りが大きなカタナ。どうやらそれは、抜く素早さを重視した、居合向きのカタナだった。他に銃器の類を持っている様子がないことから、それが彼の主武装と思われる。

 ――――こいつ、やりそうね。

 心の中でつぶやくセトミは、シラミネの表情が一瞬曇った理由を悟った。養子とはいえ、自分の息子が危険にさらされることなど、彼は望むまい。

「――――ん? 君、なんだか……」

 親しげに話しかけていたシルバの声に、不意に訝しげな色が混じる。

「あー、ところで、タリアとは最近どうかね? あのじゃじゃ馬娘のことだ、君に迷惑ばかりかけているのではと気が気でないのだよ」

 なぜか会話に割って入るような形でシルバの前に進みでたシラミネに、彼は一瞬面食らったように瞳を瞬かせたが、話題の内容にすぐに苦笑した。

「迷惑もなにも、立場的にはあちらが上官ですよ? 文句を言っているところなど見られたら、ただじゃすみません」

「ふふ、そうか。だがこちらの警備ということは、君は勤務中だろう? 我々はそろそろ行くとするよ。今日は彼女にここを案内しに来たのでね」

 軽く手をあげ、別れの挨拶をするシラミネに、シルバは笑顔で敬礼する。

「はい。では、自分は勤務に戻ります」

 そしてにわかに背を向けると、精悍な佇まいでその場から去っていった。

「……できることなら、彼とは……」

「事を構えないで欲しい、でしょ」

 機先を制するようにささやくセトミの視線は、鋭い。剣呑な色をたたえたそれは、もしも戦闘になれば保証はできないことを如実に語っていた。

「……善処はするけどね。相当できそうだわ、彼。もし戦いになったら、上手く煙にまけるかどうか」

 小さくため息をつくセトミに、シラミネもうなずく。

「……ああ、あやつの剣の才能は、軍の中でも抜きん出ている。あの歳で中佐にまで抜擢された理由も、それだ。無論、息子が傷つくのも辛いことだが、その力量の面から見ても、戦いは避けたほうがいい」

「ま、君子危うきになんとやら、って言うしね。面倒はできる限り、パスするとするわ」

 ゆっくりと基地内を歩くうちに、時間は刻々と過ぎていく。やがてシラミネが腕時計を横目で一瞥すると、近くにいる二人だけに見えるように、小さく頷いた。

「おっと、そういえば私の執政官室に必要な書類を置いてきたのを忘れていたよ。リリア君、すまないがそこまで車椅子を押して行ってもらえんかね」

「はい、シラミネ様」

 ちらりとセトミがリリアの横顔を一瞥する。小さくうなずくその表情は、おそらくしばらくしてから追う、という意味だろう。

「では、ターニャはここで待っていなさい。しばらくしたら戻る」

「はい、おじさま」

 やがてリリアが車椅子を押し、視界から見えなくなると、セトミは眉根を下げ、『知らないところで突然一人にされて不安顔のお嬢様』を演じつつ、辺りを伺う。

 幸い、この通路に兵士の姿はまばらであり、その誰もがこちらの様子に気を配っているようには見えない。中にはあくびしているものまでおり、弛緩しているのは想像に難くない。なにか起こるのなら式典会場とタカをくくっているのだろう。

「……ドッグ、ミッション開始。今歩いてきたルート、そちらで確認できる?」

「オーケー、感度良好だ、子猫ちゃん。こちらの端末でルートは確認できてる。まずは入口方面――――北へ向かってまっすぐ進め。監視カメラの反応もない。だが油断はするなよ」

「――――了解」

 メディカルデヴァイスは元々、シャドウのような大戦時の施設跡を探索するために開発されたシステムだ。それゆえに、ある程度の範囲であればオートマッピングを行い、端末にデータとして送信することも可能である。

 無論、直接デヴァイスを確認してもマップの閲覧は可能だが、腕につけていては目立ちすぎるために今回は腿に装着、端末を使ってショウにナビゲートしてもらう手はずになっていた。

「……よし、壁に付き合ったたら右。監視カメラがあるから気をつけろ。それをやり過ごしたらそのまま道なりに進め」

 かすかな機械音に耳をすませ、セトミはキョロキョロと周囲を見回しながらその音の下を通っていく。迷ってしまった女の子がうろうろしている演技をしながら通り過ぎたつもりだが、うまくごまかせたろうか。

 やがて機械音が遠く離れても周囲の様子が変わらないことからうまくいったと判断し、小さく胸をなでおろす。

「……ドッグ、リリアは来てる?」

「ああ、問題ない。この端末と同じように、彼女自身がお前のデヴァイスの信号を追えるようセッティングしてある。ちゃんとついてきてるよ」

 どうやら、ここまでは順調に来ているようだ。だが、セトミの胸にはどことなく、簡単には拭えない、一抹の不安があった。

 やがてその進む先に、やはりコンクリート打ちっぱなしの簡素な階段が姿を現す。その隣には二基のエレベーターがあるのも見える。

「ドッグ、エレベーター前についたわ。時間は?」

「十一時十分前だ。ほぼ時間通りだな。そのまま進んでいいだろう。だがエレベーターは使うな。監視カメラがあるし、誰かと鉢合わせたら逃げ場がねえ」

 ショウの言葉に、小さく返すとセトミは慎重に階段を下りていく。硬い床、なおかつ狭い空間であるため、油断すれば足音が響きそうだ。

 あまり長くはない階段を下り切ると、そこは薄暗い空間だった。明かりは最低限に抑えられているらしく、非常灯のような、壁の足元に等間隔に付けられた青白い明かりがあるだけだ。奇妙に静まり返った空気と相まって、そこはまるで不気味な古代遺跡を思わせる。

「はー、いい趣味してること」

 皮肉めいた口調で囁くセトミが周囲を素早く見回す。通路は正面、左右と三本に分かれている。そのどれもがまっすぐ、同じ景色が続いているため、下手に動くと迷いそうだ。

「ドッグ、リリアの到着を待つわ。変に動くと、本当にはぐれそう」

「だな。こっちの端末からじゃコンピューターの位置を特定するのは難しそうだ。彼女に感知してもらうのが最善だろう」

 セトミは階段の隅に身を寄せ、通路側からの死角に入る。その暗さのせいで見通しは良くないとはいえ、通路の真ん中にいるわけにもいかない。

 何者かの気配がしないか感覚を研ぎ澄まし、じっと待つ。その手はかすかに汗に濡れているが、シャドウでこのような状況は慣れている。若干、緊張こそすれ、恐怖はない。

 やがて鋭敏に張り巡らされた彼女の五感に、わずかに響いてくるものがあった。小さなものではあるが、足音だ。それはゆっくりと、上の階からこちらへと下りてくる。

 セトミは中腰で壁を伝って歩き、今度は階段からの死角に入る。息を潜めて階段の踊り場を睨みながら、無意識にスカートの下のアンセムの感触を確かめる。

 状況から見てリリアであることはほぼ間違いないが、絶対とは言えない。

 が、警戒するセトミに、小さく囁く声が響いた。

「セトミさん、警戒をお解きください。私です」

 その声は間違いなく、リリアのものだった。その自らの言葉を証明するかのごとく、彼女が音もなく踊り場に姿を現す。

「――――ふう。ま、そうだろうと思ったけど、一応、ね」

 安堵のため息とともに、セトミは壁の影から出る。

「さて、これで合流完了。あとはコンピューター目指してまっしぐらってわけだ」

 ここまでが順調だったせいか、あまり重みのないその言葉に、リリアの表情ににわかに影が差した。

「――――いえ、どうもそう簡単にはいかないようです」

 その声が普段よりも緊張を帯びたように揺らいでいるのを感じ取ったセトミも、つられるように声を低くする。

「……どういうこと?」

「この階に、多数のエネルギー反応があります。それらは規則的に移動していることから、ガンマレイを装備した兵士、もしくはなんらかの防衛システムが作動していると思われます」

 冷静なその瞳が周囲を警戒するように明滅していることからして、どうやらそれはそれなりに差し迫った危機であるらしい。


「……わかった。どういう風に動けばいい?」

「右の通路をまっすぐ進んでください。あちらは巡回ルートが決まっているようですから、そのパターンをかいくぐるように進めば問題ありません」

 リリアの言葉に、無言で頷くと、セトミはゆっくりと歩き出す。

 十分ほど歩いたろうか、リリアの誘導が正確なのか、敵に会うこともなく,二人は暗い廊下を進んでいく。

「……ひとつ、よろしいでしょうか」

 不意に、リリアが口を開いた。

「ん? なに?」

「……このような状況下でするべき話ではないとは思うのですが……。セトミ様は、なぜ『フリーダム』と名乗っているのですか?」

 思ってもいなかった彼女の質問に、思わず呆けたような顔をするセトミに、リリアが続ける。

「……マスターが、以前おっしゃられていたのです。人間は、自由に物事を考えられるようにあるべきだと。一定の思考に囚われず、様々な角度から物事を見るべきだと。しかし、私には理解できませんでした。あらゆる事象はある一つの事実のみで、複数の事実が存在するわけではありません」

「それはつまり、例えば――――この作戦が成功するっていう現実と、失敗するっていう現実は、同時に存在しない――――そんな感じ?」

 珍しくうまく言葉にできない様子のリリアが、伝わったことを安堵したようにうなずく。

「――――自由ってのは、結果じゃないわ。むしろ、その前――――あるいはもしかしたら、その後にあるものよ」

 こちらも珍しく、セトミの瞳に真剣な色が宿った。静かなその声と瞳は、普段の彼女のそれよりも、わずかに暗く、重い。

「私がフリーダムと名乗るのは、最初はただ、自由になりたいだけだった。苦しいのも、泣くのも嫌。そんなものから逃げ去りたいというだけの、自分勝手な自由」

 リリアの表情が、いつもよりも固くなる。どこか苦さを感じているようなその顔つきは、異なる言語を聞いたかのように不可解げだ。

「自由とは、何者にも束縛されないのが自由なのではないのですか?」

「そうね。それも一つの自由。だけどそれは、私の言う自由じゃない」

 半ば自分の心根を確認しながら話すように、セトミは帽子を深くかぶりなおす。その表情が縁に隠れ、見えなくなる。

「好き勝手に暮らせることが自由じゃないの。私の自由は、自分で目的を選ぶこと。自分でそれを達するための手段を決めること。自分で見て、自分で考えること。それに背かないこと。そして、立ちふさがる壁は自分で越えること」

「……つまり、すべてを自分で選択できる、ということですか?」

 いまだ不思議そうねリリアの様子に、セトミは頭をかきながら答える。

「んー、ちょっと違うかな。できる、じゃなくて、するって言い換えればいいかもしんない。あんたのマスターは、いろんな角度から物事を見て、その中から自分が正しいと思えることを信じるべきだって言いたかったんじゃない?」

「正しいと思えること……」

 表情なく思案するリリアに、セトミは再び顔を隠す。

「ただ……自由ってのは、バーのツケみたいなもんだけどね。いつ、何をもってかはその人次第だけど、代償は必ず払わなければならないわ」

 その言葉に、再びリリアが沈黙した。

「……ま、中には否応なしに先払いさせられた運の悪いやつもいたりするけど、さ」

「それは……セトミさん自身のことですか?」

 まっすぐにこちらを見つめて言ったリリアに少し驚き、思わず顔を上げて彼女を見てから、少し……どこか自嘲するように、セトミは笑った。

 リリアの問いにセトミが言葉で答えることはなかったが、その少しだけ悲しげな笑みは、どれほどの言葉よりも如実に肯定を示していた。

 その彼女の足が、不意に止まった。瞳はすでに先程までの儚さはなく、獲物を見つめる猫の目のような鋭い光をたたえている。

「……おしゃべりはここまでにしましょ。どうやら、敵さんがいるみたいよ」

 その目は、通路の曲がり角の先へと注がれている。確かに、その向こうからかすかながら足音が聞こえるように思える。

「……敵の気配を感知いたしました。サーチします」

 その言葉と同時に、リリアの瞳が明滅する。

「ヒューマンらしき生体反応を検出。同者からガンマレイのエネルギー反応も確認致しました。その奥に巨大なコンピューター反応。これが目的のものと思われます」

「コンピュータールームの見張りってわけね。避けて通るのは無理か……」

 意を決し、セトミは曲がり角からわずかに顔をのぞかせ、敵兵の方向をのぞき見る。

 いったいここはなにを研究しているのか、不気味な黒い防護服と、防護マスクを身にまとった男と思しき人物がライフルタイプのガンマレイを手に、その向こうに見える部屋の入口前に立っている。

「うっわ、黒い防護服にマスクとか、夢にでもでてきそう。……さて、どうしたもんか」

 思案するセトミの後ろに、リリアが同じように敵の方を覗き込みながら、左手を構える。

「お任せ下さい。私に搭載されたガンマレイならば、気づかれずに敵を気絶させることも可能です」

「オッケー、アンセムじゃちょっと派手すぎるからね。リリア、任せた」

 無言ひとつ頷くと、リリアの左肩から左腕にかけてがカシャカシャと音を立て出す。

「ガンマレイ出力、12%。彩光明度、通常の20%に設定。左腕プリズミックレンズ、オープン。……標的ロックオン」

 初めて出会った時のように、まるでなにか複雑な乗り物を操作するかのような言葉を発する事に、その腕から機械音が響く。

「……ファイア」

 その冷徹に言い放たれた言葉と同時に、リリアが敵に向けた手のひらからガンマレイが発射される。以前放ったものよりもはるかに細く、光の弱い光線が正確に敵に命中する。

「……ぐっ!」

 敵はその光線に気づくこともなく、うつ伏せに倒れた。

「……おっどろいた。あんたの左手、彩光明度の調節までできるわけ? 万能すぎでしょ」

 驚きと呆れがないまぜになった表情でセトミが感嘆の息を漏らした。

 ガンマレイにおける彩光明度とは、要するにレーザーの輝きの強さのことだ。威力が高ければ高いほどその輝きは強くなるが、夜間や暗い場所での使用には、その光の強さゆえに居場所を見抜かれる危険性がある。

 だがリリアは、その明度さえも自在に操ってみせたのだ。これならば、隠密行動時でもレーザー光によって自分の位置を見抜かれることはない。

「元より、私は防衛機構として開発された機体です。様々な場面に対処できるよう、プログラミングされています。彩光明度調整機能『フィア・オブ・ザ・ダーク』もそのシステムの一つです」

 淡々と自分の機能と役割を説明する、少女の姿をしたそれは、とても先ほど自由ということはなにかと迷っていた彼女と同じには見えなかった。

 オートマトンとはいえ、人格プロトコルを有するものは、理解できないことに悩んだり、自分が機械であることを複雑に思ったりするものもいる、ということなのだろう。

 ――――なんだ、それなら、人間と一緒じゃない。

 不意に心に浮かんだその思いを、セトミはしかし心の底にしまった。今は、そのことについてじっくり考えている余裕はない。

「さて、それじゃ、コンピューターからエマをダウンロードするわよ。リリア、接続よろしく」

「了解いたしました」

 リリアは自らの右腕から接続コードを取り出すと、コンピューターとセトミのデヴァイスを接続する。そして自らはキーボードに向け、コマンドを入力し始める。

 そのリリアの表情が、ふと訝しげに変わった。

「……不可解な点が、ひとつあります」

「なに? なんか問題あり?」

 思わずコンピューターのモニターを覗き込むセトミに、リリアが画面を示しながら説明する。

「問題のエマさんという人格保有OSを確認致しました。しかしそれに対するプロテクトは皆無です。パスコードの設定すら施されていません」

 今現在のコンピューター事情において、パスコードの設定がされていない端末自体はさほど珍しくない。ネットワークを活用するにはそのための知識が必要であるし、その知識を持たない者にとっては、端末はただの日記帳となっていることも多い。

 無論、そういった程度のものならばパスコードがかけられていないのも理解できるが、重要なOSのデータが入ったコンピューターを無防備な状態にしておくのは、確かに不自然であると言えた。

「……でも、怪しんでてもしょうがないでしょ。どっちにしろ、こっちはそれが目的なんだから」

「……はい。では、ダウンロードを開始します」

 リリアが言うのと同時に、接続されたコードが淡い光を発しながらデータをデヴァイスへと転送していく。

「ダウンロード率、60%コンプリート。72%コンプリート……」

 律儀に読み上げていくリリアの言葉は、次々と紡がれていく。やはりスーパーコンピューターだけあって、情報処理の速さは抜群だ。

 やがて、それからほとんど間もなく、リリアがデヴァイスにエマがダウンロードされたことを告げた。

「ではセトミさん、デヴァイスを再起動してください」

 リリアの言葉に従い、一度足からデヴァイスを取り外したセトミが電源を入れなおす。

 するとそれはあまりにあっけなさすぎるほどに、モニターに現れた。

「……ここは、どこです? おや、この感じ……セトミさんのデヴァイスのパターンではありませんか?」

「よっ、おひさー、エマ。ご機嫌いかがですか?」

 おどけてみせるセトミに、モニター内のエマはわかっているのかいないのか、とぼけた表情を作る。

「ええと、どちら様でしたっけ? メモリー内にそういう外装のパターンの方はおられないのですが」

「その言い方、わかっていってんでしょ。私だよ、セトミ! あんたんところのお姫様を救い出した、セトミちゃん!」

 セトミが鼻息も荒く親指で自身を示すのを見、モニター内のエマはくすりと笑う。

「わかってますよ。私の娘を助け出してくれた方を、見た目が変わったくらいで忘れるものですか」

 その様子を見ていたリリアが、間に割って入るように言葉を挟む。

「申し訳ありませんが、再会を喜び合うのは後にした方が良いかと。今は安全とは言え、ここは敵の渦中ですので」

 しかしリリアの言葉に、エマは怪訝な表情を作る。

「今は安全? あの男はオートマトンのシステム掌握を行っていないのですか?」

 その言葉に、今度はセトミが剣呑な色の混ざった顔になる。

「……どういうこと?」

「あの包帯の男は、私のシステムを使って、オートマトンを掌握するシステムを完全なものに作り上げました。ゆえに、この街は戦乱の渦中にあるものと思ったのですが……」

 エマのセリフに、リリアが険しくなっていた表情をより一層険しくさせる。

「戦闘!? まさか、私たちのことがバレたの?」

 しかしセトミのその問いに、リリアは首を横に振る。

「いいえ。双方の武装の反応からして、戦っているのはおそらくヒューマン同士――――。地下の警護をしていた研究兵と、地上の警備を行っていた兵士が争っていると思われます」

「マジで? なんでやつら同士がやり合うわけ?」

 困惑するセトミに、リリアが耳打ちするように顔を近づける。

「わかりませんが、ここは……」

 彼女がそこまで言った瞬間、部屋のドアが勢いよく蹴り開けられた。

「シラミネ副長官の姪、ターニャ=シラミネだな! お前を拘束する! 無駄な抵抗はするな!」

 現れたのは、先ほど見た地下の研究兵と同じ武装をした、数人の兵。

「正体を隠したまま、潜伏するべきかと」

 言葉の続きをささやくリリアに、セトミは怯える少女の顔を装いながら、ゆっくりと両手を挙げた。





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みんなのリアクション



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-騒乱が終わるとき----それは恐らく、誰かの命が終わるときである-
 同時刻、ソドム中央都市管理局、執政長官室。
 そこでは、この国のトップに立つ、執政長官――――ゴルダ執政長官が、自慢の愛銃、44口径マグナムを念入りに磨いていた。フレームを特殊な技術でゴールドに染め、ロングバレルで美しく仕上げられたそれを、彼はいたく気に入っていた。
 もっとも、その美しく輝く銃を、この丸々と太った、勲章だらけの軍服の壮年の男は、ただの一度も撃ったことはないのだが。
「うむ、ジュリエット……。お前は今日も美しいな。くふふふふ……」
 じゃらじゃらと指輪を付けた手でその銃を磨きながら、ゴルダはにんまりと嫌らしく笑う。どうやら、この男は銃に女性の名をつけ、楽しむという性癖があるようだ。
 そのとき、入り口のドアをノックする音が響いた。その音にお楽しみを邪魔されたゴルダは、明らかに不機嫌そうに眉をしかめる。
 が、その返事を待たず、一人の男が入室する。髪と目を除き、顔の部分を包帯で覆った男――――執政官、シュナイゼルだった。
「シュナイゼル! 貴様、この時間は邪魔をするなと言ってあるだろうが!」
「失礼いたしました。しかし、計画の進展があったもので」
 恫喝するゴルダに、包帯の男は落ち着いた声で返す。悪びれた様子も、恐れる様子もない。その目は何の色もなく、不気味にゴルダを見返すだけだ。
「……まあいい。報告しろ」
 逆にゴルダのほうが目をそらし、早くしろとでも言いたげに手を振って見せる。だが、その手は本人も気づかぬうちに、じっとりと汗で濡れていた。
 この男――――シュナイゼルという男は不気味だ。その容姿もさることながら、なにを考えているのかさっぱりつかめない。
 だが、とゴルダは思う。
 今のプロジェクト――――システム・ウロボロスの完成には、この男の存在が必要不可欠だ。何しろ、この男の科学技術はずば抜けている。さすがは、軍の研究所でトップの頭脳と呼ばれるだけのことはある。その頭脳、せいぜい利用させてもらおう。
 心の中でほくそ笑むと、一つ咳払いをし、ゴルダはシュナイゼルに向き直る。
「……では。システム・ウロボロスの稼働率が50%を超えました。今現在であれば、ソドム内の全オートマトン程度ならば完全に支配化に置くことができます」
「そうか、すばらしい! これであの忌々しい鉄クズどもを兵士に変えられるわけだな!」
 興奮気味に手を叩くゴルダに、シュナイゼルがかすかに目を細める。
「――――いえ。今はまだ、スクラップドギアのオートマトンたちを従わせるほどの力はございません。擬似人格システムを有したオートマトンに対しては、そのシステムが一種のプロテクトとなり、抵抗されてしまうでしょう」
「なんだ、まだその程度か。それだけのことで私の時間を割いたのかね?」
 利用する、という思考も忘れ、ゴルダが不機嫌に顔をしかめる。
「いえ。そちらは単純な状況報告に過ぎません。本来の報告は――――」
 一度言葉を切ったシュナイゼルの目が、再び細められる。笑っているような、嘲っているような、あの、不気味な目に。
「極秘に開発中だった、あれ――――『アンビション』が完成いたしました。後は稼動テストを行うのみです」
 その言葉に、嘲るようだったシュナイゼルの目も気にせず――――ただ単に気がつかなかっただけかもしれないが――――ゴルダは椅子から立ち上がって歓喜した。
「そうかそうか! ついに出来上がったか! ふははは、あれさえあればスクラップドギアの鉄クズどもなど踏み潰して――――」
「……閣下」
 歓喜に小躍りするゴルダを、シュナイゼルの声が――――これまでになく、深く、不気味に、まるで地獄の底から響いてきた呼び声のように、制した。
 ぞくり、と。背筋に走った戦慄に、思わずゴルダは硬直する。
「やつらは、我らが尖兵として、エデン攻略の礎となってもらわねばなりません。文字通りスクラップにしてしまっては、意味がないかと」
「……む、むう……。そ、そうであったな」
 闇から覗き込むような瞳に見つめられ、ゴルダはいすに座る。じわり、と一筋の冷や汗が彼の頬を伝って落ちていった。
「報告は、以上です。この後はアンビションのテストと、システム・ウロボロスの構築を進めてまいります」
「う、うむ……ご苦労」
 やっとのことでそれだけ返すゴルダに、シュナイゼルは恭しく一礼すると、執務長官室を去っていった。
「ぐぬう……気味の悪いやつめ。まあいいわ、あれと、システムさえできてしまえばエデンも私のものになるのは間違いない。そうなれば、そうだな……。執政長官などという肩書きではなく、皇帝と名乗ってもいいかも知れんな、ふははははは!」
 自分に酔ったように高笑いを上げるゴルダに、気づくよしもなかった。ドアの向こうでは、シュナイゼルがまた、あの笑いとも嘲りとも取れる不気味な瞳で、その声を聞いていたことを。
 シドウ・シラミネの屋敷――――それは、屋敷というにはあまりに質素なものだった。ソドムの上流階級区にありながら、戦前の学校を小さくしたような、住居と呼ぶには少々変わった形をした建物だ。
「これが、おじ様のお屋敷?」
 半分演技で、半分本気で、セトミがいぶかしむような声を上げる。
「そうだ。私の家は、私が営む孤児院も兼ねている。だが、ここにいるのは、かわいそうな孤児などではない。彼らは、私の息子であり、娘だ。家族とともに住むのは、当然のことだ」
 この誰もが生きることに必死なこの世界で、シラミネはそう、堂々と言い切った。自らの命のためならわが子の命さえ売ることもいとわぬものの多い中、それは確かに、立派なことなのだろう。
 だがそれは、セトミの胸に不意に暗雲をもたらす。それは、きっと、幼い頃の自分には手に入らなかったものが、ここにあるからだ。
「……おじ様は、慈悲深いのですね」
 うつむいて言うセトミに、シラミネは何かを感じたか、首を横に振る。
「いや、ええかっこしいなだけだ。父親の座右の銘が『義を見てせざるは勇なきなり』でね。助けられるものがいるのに何もせんのは、格好悪いと思っておっただけじゃよ」
 冗談めかして言うシラミネだが、ふとその表情に影が差した。
「それに、領地を広げると言って戦争を繰り返すのは、我々、評議会だ。自らのエゴのために争いを起こし、犯した罪を償おうとすることを、慈悲深いとは言えぬよ」
 自らに言い聞かせるようにしてつぶやくと、シラミネは車椅子を操り、屋敷へと進んで行く。
「シラミネ様、お押しします」
 乗ってきた車を車庫へ入れてきたリリアがシラミネの後ろにつくが、彼はゆっくりと首を横に振る。
「いや、大丈夫だ。少しは身体も動かさんと、頭の中まで動かなくなってしまいそうだからな」
 シラミネの案内で、二人は屋敷の中へと入る。そこは今では珍しい木製の壁を基調とした建物で、古い西洋風の洋館だった。派手な豪華さはないものの、木目調の壁や床がどことなく暖かさを感じさせる。
「では、私の部屋で詳しい話をするとしよう。今日ゲートを越えてきたところなのだし、少し休ませてやりたいが、なにぶん時間がない」
 彼の後について、二人はすぐ側にある部屋へと入った。そこも屋敷の外観や内装と同じく、豪華さを感じさせるものは何もない。あるのは質素な天蓋つきのベッドに、ぎっしりと本の詰められた本棚、小さなテーブル、そして幾枚かの書類が置かれた机だけだ。
「さて……早速だが、本題に入ろう。まず、君たちの目的である擬似人格デヴァイスは、ソドムの中枢である、中央管理局に運びこまれている。管理局と言う名ではあるが、実際、そこは軍事基地だ。軍政の中心であり、同時にこの都市最大の基地、科学研究施設でもある」
 シラミネの剣呑な物言いに、セトミが演技をやめ、腕を組んで壁に寄りかかる。
「……ふーん……なかなか、一筋縄ではいかなそうね。忍び込んだら、ずいぶん楽しいアトラクションが待ってそうだわ」
「うむ。出迎えてくれるのが、陽気なきぐるみたちなら良かったのだがな。一歩間違えば出てくるのは精鋭の兵隊たちだ。共通点は、ラッパを構えるのがよく似合うことくらいだよ」
 シラミネが皮肉げに言うラッパとは、恐らくライフルのことだろう。彼は両手で銃を構える仕草をして見せた。
「……で、肝心のエマは、その基地内のどこにいるわけ?」
 セトミの言葉に、シラミネはテーブル上に地図のようなものを広げた。
「その擬似人格OS――――エマというのか。彼女は、恐らく、基地の地下に存在する施設……研究施設エリアにいると見て間違いないだろう。軍の最新兵器や、各種武装はすべてそこで開発されているからな」
「……ちょっと待った」
 シラミネの言葉に、セトミが引っかかった表情でストップをかける。
「今、『恐らく』って言ったよね。おじさま、副長官だってのに、軍が研究中の最新システムがどこで開発されてるか、聞かされてないの?」
「言ったろう、私は所詮、お飾りの副長官だ。対外政策の重要な点は、知らされることはない。……それに、例え私が権力を持っていたとしても、科学技術省の連中には、そうそう口出しはできん」
 ため息をつきながら腕を組むシラミネに、リリアが鋭い視線を向けた。
「この国で実際に権力(ちから)をもつものは、文字通り、力を持つものたち――――そういうことですね」
「そうだ。研究施設の研究員たちは、研究員であると同時に、そこで開発される様々な兵器のエキスパートでもある。最新型のガンマレイなどの兵装は、強力ではあるが操作が複雑であったり、メンテナンスに専門知識を必要とすることが多い。つまり……」
「この国の火薬を握ってるのは、その研究機関、ってわけね」
 合点がいったとばかりに頭をかくセトミに、シラミネが神妙な表情でうなずく。
「そこに忍び込もうというのだ、一筋縄ではいかん。基地内のほかの施設ならば、その変装と、私とともに行動することでごまかせるだろうが、ここでやつらに見つかればただではすまん」
「……で、どうすればいいわけ?」
 肩をすくめるセトミに、シラミネが壁のカレンダーを指して見せる。その指先は、明日に当たる日――――戦勝記念日と記された日付を指し示していた。
「幸運なことに、明日は戦勝記念日だ。毎年この日は、軍が総出で祝賀パレードや記念式典を行う。もちろん、中央管理局の兵士や研究者たちも例外ではない。普段より、警備は手薄になるはずだ。そこを突く」
「……なるほどね。それなら、ことはそう難しくないかもね」
 帽子を浅く被りなおしながら、セトミがにやりと笑う。敵の警備は手薄、なおかつこちらにはシラミネという軍の副長官がついている。正体を看破されることは、そうそうあるまい。
「うむ。明日、君には私とともに中央管理局へ行ってもらう。姪に基地を案内する、という名目でな。そして、基地の隣にある式典会場で長官の演説が始まる午前11時、君は基地内で『ついうっかり』私とはぐれる。そして『迷って』研究施設エリアへ入り込んでしまうんだ」
「『おじさまとはぐれてしまいました……どうしましょう。ここがどこなのかもわからないわ』……っていう演技をしながら歩いていけばいいわけね」
 おどけたお嬢様口調で、大仰な演技をして見せるセトミに、シラミネが笑う。
「そうだ。それで監視カメラに映っても怪しまれることもないし、万一、兵士に見つかってもとりあえず言い訳は立つ。研究施設エリアに到達したら、システム構築部門にあるコンピューターを探せ。そこに、エマ君はいるはずだ」
「そこまで私も同行いたします。そのコンピューターのプロテクトは、相当高度なシステムが採用されているはずです。ですが、私の演算能力ならば解析は可能です」
 冷静に言うリリアに、セトミが一つうなずく。確かにシャドウや戦前の施設にもぐりこむときは、そっち関係は大体ショウの仕事だった。不得手な自分がやるよりも、リリアがプロテクトを突破するほうが早いだろう。
「で、エマをデヴァイスに取り返して、さっさとおさらばすればいいわけね。意外に楽勝なんじゃない?」
「……そう簡単にいけばいいのですが」
 あっけらかんと言い放つセトミに、リリアの表情がわずかに曇る。
「……なにか嫌な予感がいたします。システムに不具合を見つけたときのような……」
 珍しくその物言いは、はっきりとしない。いつもは読んで字のごとく機械的に、冷静沈着な判断を下す彼女にとっては、人間で言う第六感のようなそれが、どことなく不気味であった。
「ま、慎重になるに越したことはないね。見つかったら、下手すりゃ一発アウトだかんね」
 リリアのその様子に、セトミも表情を引き締める。
「……なんにせよ、決行は明日だ。今のうちに、心の準備をしておくといい」
 シラミネの言葉に、セトミ、リリアともにうなずいた。
 同日、午後7時。ソドム上流階級区。
 ソドム軍第一防衛隊・部隊長シルバは、幼なじみであるタリアと共に、レストランで食事をとっていた。上流階級区のレストランとは言っても、それほど値のはらない、食堂と言ってもいいくらいの簡素な場所である。実際、周囲の客はこの地区に働きに出てきているらしい、中流、もしくはそれ以下の空気をまとった人間だけだ。
 シルバもタリアも、育った環境のためか、どうにも高級感のある場所というのは苦手だった。
「――――まったく、食事なら昨日も付き合っただろう。どうしてこう、毎日毎日、俺を誘いたがる?」
「あら、ご挨拶ね。可愛い幼なじみを置いて、長いこと任務に就いてたんだから、2,3日付き合ってくれたっていいじゃない?」
 仏頂面のシルバに、金髪の女性、タリアがいたずらっぽく笑う。
「――――それに、用事は食事だけじゃなくってよ」
 だが、不意に走ったタリアの剣呑な視線に、シルバが口元を隠すように手を組んだ。
「……明日のことか」
「そう、それも基地内じゃちょっと……なお話」
 先ほどよりも低く、静かな声になった二人のそれは、混雑時の食堂という喧騒に紛れ、飲まれるように消える。
「……シルバ、あなたなぜ、明日は基地の担当なの? ソドムを守る鉄壁の壁――――鬼と聞こえた第一防衛隊が、式典会場じゃなく、お留守番なんて、空家をドーベルマンでがっちり守ってるようなものよ?」
「……仕方ないだろう、上官の命令だ」
 そう言うシルバの表情は、自分でも納得できないと顔に書いてあるような仏頂面である。その顔に、タリアの視線がきつくなる。
「……シュナイゼルね」
 一際低くなったタリアの声に、シルバは無言でうなずく。
「何考えてるのかしらね、あのミイラ男は。やたらエデンをとることに執着してるみたいだけど。議会でもスクラップドの問題なんか眼中にないって感じ。長官まで抱き込んで、強硬に侵略論を推してんの。おかげでこっちは仕事が増えそうよ」
「……そうだな。エデンの情報も大方掴んだ今、評議会最年少執政官にして、軍部の対外攻略担当官殿は、忙しくなりそうだな」
「ちょっ、やめてよ。オフレコよ、オフレコ!」
 タリアが慌てた様子で、人差し指を口の前に立てて見せる。
 そう、このタリアは、評議会に置いて最年少の執政官であり、なおかつ対外攻略担当官――――要するに、敵国を攻めるプランの作戦立案、指揮、実行を司る人物でもあった。幼い頃より軍に属し、前線で武功を立ててきたゆえの出世であった。
「大体、まともにやりあったらシルバのが完全に上手でしょ。あなたが本気で前線に立ってたら、立場は逆でしょうに」
「……俺は今の立場が性に合ってる。侵略よりも、守ることのほうがな。それに、そのほうがあれを使うことは少なくて済む」
 腕を組んでいうシルバに、タリアは頬杖をついてため息をつく。
「……はあ。あなたって、軍人って言うよりあれだわ。あの……なんだっけ……」
 しばらく言葉を探すように宙に視線を漂わせていたタリアが、シルバの腰のカタナを見、思い出したように手を打った。
「そう、サムライ!」
「……意味がわからん」
 だが、当の本人はしれっとした顔で食後のコーヒーをすすっている。が、不意にその鋭い視線をタリアに向け、カップを置く。
「……そのサムライから、一つ忠告だ。明日の記念式典……気をつけろ。なにか嫌な予感がする」
「……嫌な予感?」
 あまりに曖昧な言い回しに、眉間にシワを寄せてタリアが返す。
「ああ。国内も国外もきな臭い雰囲気……オートマトンとは一触即発なのに、俺たちは次の獲物を見ているのは誰の目にも明らか。そしてそこに来て、明日のお祭り騒ぎだ。……何かが起きる条件は、揃っている気がしてな」
 早口に一息で言い切ると、シルバはその嫌な予感を飲み干そうとするかのように、カップのコーヒーを胃へ流し込む。
「ご忠告ありがとう。ま、嫌でも明日はやってくるのよ。なにか起こったらなにか起こったで、最善を尽くしましょ」
 シルバの真似をするように、タリアが飲んでいたエールを一気に飲み干そうとし……その強い炭酸に、盛大にむせた。
「よし。十一時……ゴルダの演説が始まる時間になったら、地下に降り、二人は合流しろ。そして演説が終わるまでの間に、エマ君を連れ戻し、何食わぬ顔で私の元へ戻ってくればいい。ただし、地下に降りてからは監視カメラに気をつけろ。いくら要人であるとはいえ、後々、エマ君がいなくなっていることに気づかれた際、外部のものが立ち入っていたことが発覚するのはまずい」
「確かに、しかもそれがおじさまの姪っ子となれば、おじさまの身も危ないしね」
 頬をぽりぽりと掻きながらいうセトミに、シラミネが苦笑いする。
「まあ、私自身はどうなってもいいが……下手を踏むと、君たちへの協力もこれで最後になってしまうからな」
 自嘲気味に言うシラミネに、思わずセトミが肩をすくめた。
「さて、では装備の確認をしてから行くとしよう。すべて問題なく準備できているか?」
「もちろん。なんかあった時のための準備もバッチリよ」
 そういうセトミのドレスやウィッグの下には、実に様々な武器や道具が隠されている。まず、右腿に装備した、バンド付きホルスターに納められたアンセム。ドレスのロングスカートに隠れ、外からではそんなものがあることを微塵も感じさせない。万一、何かしらの理由で怪しまれたとしても、副長官の姪のスカートの中を調べさせろ、などという兵はいるまい。
 反対側、左の腿には、普段左腕に装備しているメディカルデヴァイスがある。これも万一戦闘などになった場合の対策だ。もちろん通信機能もオンになっており、接続されたイヤホンとマイクがドレス、ウィッグの下を通り、それぞれ襟元、耳にまで伸びている。
「よし……む、そうだ、一つ忘れていた。これも持っていけ」
「これ……ヘアピン? なんでこんなに?」
 思い出したように、シラミネが差し出しだのは、10本ほどのヘアピンが入ったプラスチックのケースだった。その意図がつかめず、ケースとシラミネの顔を交互に見比べるセトミに、彼が言う。
「慣れぬ長い髪で、何かしらの作業を行わねばならん時もあるだろう。その時、髪が邪魔にならんように使うといい。昔、娘が使っていたものだからかなり古いが、使えることは使えるはずだ」
「うーん……まあありがたいけど、こんなにいらないよ」
 渋面で言うセトミに、しかしシラミネは押し付けるようにしてケースを渡した。
「いいから取っておけ。多すぎても、困るということもあるまい。さあ、行くぞ」
 車椅子姿ながら、器用に車外へ降りるシラミネに返すタイミングを無くし、仕方なくセトミはヘアピンの入ったケースを懐へとしまった。
そのシラミネの車椅子を押しながらリリアが、少し離れてセトミが、ついに中央管理局に潜入した。
そこは、コンクリートの打ちっぱなしになった、殺風景な空間だった。それなりに整備された街とはいえ、やはり大戦後の施設なのだということを嫌が応にも実感させる。
入ってすぐ、通路は正面、右、左と三叉路になっている。その無骨な景観も相まって、しっかりと道を覚えておかなければ迷ってしまいそうだ。セトミは変装用の帽子を、深くかぶり直して鋭く左右を見る。
「ここを左に行けば、地下へと続く階段の方向へ行ける。迷うなよ」
 セトミの表情を見てとってか、シラミネが周囲にもれないように静かに囁いた。
「さて、では二人をまずは訓練場へ案内するとするかな。リリア君、まずはまっすぐ進んでくれたまえ」
「……かしこまりました」
 リリアがゆっくりと、かすかに瞳から機械音をさせながら進んでいく。おそらく、周囲を警戒してのことだろう。音がしているとはいえ、それは耳をすませなければ、彼女からしている音と気づかない程度のものだ。
 が、その瞳――――レンズが、不意に前方に集中した。
 それは、ゆっくりとこちらに向かって歩く青年だった。先日見た、街の入口の兵や、ゲートにいた兵とは違う、青い軍服を身にまとっている。どうやら、一兵卒ではなく、将校クラスの人間のようだ。
「ん……シラミネ先生?」
 ひどく険しい顔で歩を進めていた青年が、その姿を認めるのと同時に、意外そうに、しかしどこかに嬉しさをにじませて、シラミネに歩み寄る。
「む……おお、シルバか? お前、こんなところで何をしている? 今日は式典の方の警備じゃないのか?」
 一方のシラミネは、うれしそうにしながらも、どこか言葉の端に剣呑な響きを帯び、ている。それは、まるで――――計算外の出来事が起きたかのように。
「ええ、本来ならばそちらにつくのが道理と思うのですが、上官にこちらの警護を命じられまして。どうも、あの人には煙たがられているようです」
 皮肉げに言う青年の目は、基地に隣接する式典会場の方へと向いている。しかし、不意にその瞳がリリア、そしてセトミへと順に映った。
「ところで、こちらの方々は?」
「あ、ああ。彼女らは私の姪であるターニャと、そのお付きのメイドであるリリアだ。ターニャはエデンのそばにある町に住んでいたんだが、このところ、どうも向こうとはきな臭いだろう? そこで、こちらに来るように私が提案したんだ」
 ほんのわずか……近くで見なければわからないほどわずかに、シラミネが唇を噛む。セトミは帽子の下からそれを身、青年の『先生』という言葉と照らし合わせ、納得する。
 ――――おそらく、彼はシラミネの孤児院の出身なのだ。
「姪御さん……? 先生に姪御さんがいるなどとは初耳です。いや、ご兄弟がいるということすら、自分は知りませんでした」
 しかし青年の表情は、それを怪しむ素振りもない。シラミネのことを心から信じている、という様子だ。
「……っと、失礼しました。先生の親戚ならば、自分にとっても家族同然です。自分は第一防衛隊所属、シルバ中佐です。もしこの街で困ったことがあれば、なんでも相談してください」
 にこやかに敬礼してみせるシルバに、セトミは顔を伏せたまま、小さな声で答える。
「あ……ありがとうございます。私は……ターニャ=シラミネです」
 その伏せた目が、シルバの腰に差された、彼の得物へと注がれ、人知れず鋭くなる。
 そこにあったのは、普通のものよりわずかに短く、反りが大きなカタナ。どうやらそれは、抜く素早さを重視した、居合向きのカタナだった。他に銃器の類を持っている様子がないことから、それが彼の主武装と思われる。
 ――――こいつ、やりそうね。
 心の中でつぶやくセトミは、シラミネの表情が一瞬曇った理由を悟った。養子とはいえ、自分の息子が危険にさらされることなど、彼は望むまい。
「――――ん? 君、なんだか……」
 親しげに話しかけていたシルバの声に、不意に訝しげな色が混じる。
「あー、ところで、タリアとは最近どうかね? あのじゃじゃ馬娘のことだ、君に迷惑ばかりかけているのではと気が気でないのだよ」
 なぜか会話に割って入るような形でシルバの前に進みでたシラミネに、彼は一瞬面食らったように瞳を瞬かせたが、話題の内容にすぐに苦笑した。
「迷惑もなにも、立場的にはあちらが上官ですよ? 文句を言っているところなど見られたら、ただじゃすみません」
「ふふ、そうか。だがこちらの警備ということは、君は勤務中だろう? 我々はそろそろ行くとするよ。今日は彼女にここを案内しに来たのでね」
 軽く手をあげ、別れの挨拶をするシラミネに、シルバは笑顔で敬礼する。
「はい。では、自分は勤務に戻ります」
 そしてにわかに背を向けると、精悍な佇まいでその場から去っていった。
「……できることなら、彼とは……」
「事を構えないで欲しい、でしょ」
 機先を制するようにささやくセトミの視線は、鋭い。剣呑な色をたたえたそれは、もしも戦闘になれば保証はできないことを如実に語っていた。
「……善処はするけどね。相当できそうだわ、彼。もし戦いになったら、上手く煙にまけるかどうか」
 小さくため息をつくセトミに、シラミネもうなずく。
「……ああ、あやつの剣の才能は、軍の中でも抜きん出ている。あの歳で中佐にまで抜擢された理由も、それだ。無論、息子が傷つくのも辛いことだが、その力量の面から見ても、戦いは避けたほうがいい」
「ま、君子危うきになんとやら、って言うしね。面倒はできる限り、パスするとするわ」
 ゆっくりと基地内を歩くうちに、時間は刻々と過ぎていく。やがてシラミネが腕時計を横目で一瞥すると、近くにいる二人だけに見えるように、小さく頷いた。
「おっと、そういえば私の執政官室に必要な書類を置いてきたのを忘れていたよ。リリア君、すまないがそこまで車椅子を押して行ってもらえんかね」
「はい、シラミネ様」
 ちらりとセトミがリリアの横顔を一瞥する。小さくうなずくその表情は、おそらくしばらくしてから追う、という意味だろう。
「では、ターニャはここで待っていなさい。しばらくしたら戻る」
「はい、おじさま」
 やがてリリアが車椅子を押し、視界から見えなくなると、セトミは眉根を下げ、『知らないところで突然一人にされて不安顔のお嬢様』を演じつつ、辺りを伺う。
 幸い、この通路に兵士の姿はまばらであり、その誰もがこちらの様子に気を配っているようには見えない。中にはあくびしているものまでおり、弛緩しているのは想像に難くない。なにか起こるのなら式典会場とタカをくくっているのだろう。
「……ドッグ、ミッション開始。今歩いてきたルート、そちらで確認できる?」
「オーケー、感度良好だ、子猫ちゃん。こちらの端末でルートは確認できてる。まずは入口方面――――北へ向かってまっすぐ進め。監視カメラの反応もない。だが油断はするなよ」
「――――了解」
 メディカルデヴァイスは元々、シャドウのような大戦時の施設跡を探索するために開発されたシステムだ。それゆえに、ある程度の範囲であればオートマッピングを行い、端末にデータとして送信することも可能である。
 無論、直接デヴァイスを確認してもマップの閲覧は可能だが、腕につけていては目立ちすぎるために今回は腿に装着、端末を使ってショウにナビゲートしてもらう手はずになっていた。
「……よし、壁に付き合ったたら右。監視カメラがあるから気をつけろ。それをやり過ごしたらそのまま道なりに進め」
 かすかな機械音に耳をすませ、セトミはキョロキョロと周囲を見回しながらその音の下を通っていく。迷ってしまった女の子がうろうろしている演技をしながら通り過ぎたつもりだが、うまくごまかせたろうか。
 やがて機械音が遠く離れても周囲の様子が変わらないことからうまくいったと判断し、小さく胸をなでおろす。
「……ドッグ、リリアは来てる?」
「ああ、問題ない。この端末と同じように、彼女自身がお前のデヴァイスの信号を追えるようセッティングしてある。ちゃんとついてきてるよ」
 どうやら、ここまでは順調に来ているようだ。だが、セトミの胸にはどことなく、簡単には拭えない、一抹の不安があった。
 やがてその進む先に、やはりコンクリート打ちっぱなしの簡素な階段が姿を現す。その隣には二基のエレベーターがあるのも見える。
「ドッグ、エレベーター前についたわ。時間は?」
「十一時十分前だ。ほぼ時間通りだな。そのまま進んでいいだろう。だがエレベーターは使うな。監視カメラがあるし、誰かと鉢合わせたら逃げ場がねえ」
 ショウの言葉に、小さく返すとセトミは慎重に階段を下りていく。硬い床、なおかつ狭い空間であるため、油断すれば足音が響きそうだ。
 あまり長くはない階段を下り切ると、そこは薄暗い空間だった。明かりは最低限に抑えられているらしく、非常灯のような、壁の足元に等間隔に付けられた青白い明かりがあるだけだ。奇妙に静まり返った空気と相まって、そこはまるで不気味な古代遺跡を思わせる。
「はー、いい趣味してること」
 皮肉めいた口調で囁くセトミが周囲を素早く見回す。通路は正面、左右と三本に分かれている。そのどれもがまっすぐ、同じ景色が続いているため、下手に動くと迷いそうだ。
「ドッグ、リリアの到着を待つわ。変に動くと、本当にはぐれそう」
「だな。こっちの端末からじゃコンピューターの位置を特定するのは難しそうだ。彼女に感知してもらうのが最善だろう」
 セトミは階段の隅に身を寄せ、通路側からの死角に入る。その暗さのせいで見通しは良くないとはいえ、通路の真ん中にいるわけにもいかない。
 何者かの気配がしないか感覚を研ぎ澄まし、じっと待つ。その手はかすかに汗に濡れているが、シャドウでこのような状況は慣れている。若干、緊張こそすれ、恐怖はない。
 やがて鋭敏に張り巡らされた彼女の五感に、わずかに響いてくるものがあった。小さなものではあるが、足音だ。それはゆっくりと、上の階からこちらへと下りてくる。
 セトミは中腰で壁を伝って歩き、今度は階段からの死角に入る。息を潜めて階段の踊り場を睨みながら、無意識にスカートの下のアンセムの感触を確かめる。
 状況から見てリリアであることはほぼ間違いないが、絶対とは言えない。
 が、警戒するセトミに、小さく囁く声が響いた。
「セトミさん、警戒をお解きください。私です」
 その声は間違いなく、リリアのものだった。その自らの言葉を証明するかのごとく、彼女が音もなく踊り場に姿を現す。
「――――ふう。ま、そうだろうと思ったけど、一応、ね」
 安堵のため息とともに、セトミは壁の影から出る。
「さて、これで合流完了。あとはコンピューター目指してまっしぐらってわけだ」
 ここまでが順調だったせいか、あまり重みのないその言葉に、リリアの表情ににわかに影が差した。
「――――いえ、どうもそう簡単にはいかないようです」
 その声が普段よりも緊張を帯びたように揺らいでいるのを感じ取ったセトミも、つられるように声を低くする。
「……どういうこと?」
「この階に、多数のエネルギー反応があります。それらは規則的に移動していることから、ガンマレイを装備した兵士、もしくはなんらかの防衛システムが作動していると思われます」
 冷静なその瞳が周囲を警戒するように明滅していることからして、どうやらそれはそれなりに差し迫った危機であるらしい。
「……わかった。どういう風に動けばいい?」
「右の通路をまっすぐ進んでください。あちらは巡回ルートが決まっているようですから、そのパターンをかいくぐるように進めば問題ありません」
 リリアの言葉に、無言で頷くと、セトミはゆっくりと歩き出す。
 十分ほど歩いたろうか、リリアの誘導が正確なのか、敵に会うこともなく,二人は暗い廊下を進んでいく。
「……ひとつ、よろしいでしょうか」
 不意に、リリアが口を開いた。
「ん? なに?」
「……このような状況下でするべき話ではないとは思うのですが……。セトミ様は、なぜ『フリーダム』と名乗っているのですか?」
 思ってもいなかった彼女の質問に、思わず呆けたような顔をするセトミに、リリアが続ける。
「……マスターが、以前おっしゃられていたのです。人間は、自由に物事を考えられるようにあるべきだと。一定の思考に囚われず、様々な角度から物事を見るべきだと。しかし、私には理解できませんでした。あらゆる事象はある一つの事実のみで、複数の事実が存在するわけではありません」
「それはつまり、例えば――――この作戦が成功するっていう現実と、失敗するっていう現実は、同時に存在しない――――そんな感じ?」
 珍しくうまく言葉にできない様子のリリアが、伝わったことを安堵したようにうなずく。
「――――自由ってのは、結果じゃないわ。むしろ、その前――――あるいはもしかしたら、その後にあるものよ」
 こちらも珍しく、セトミの瞳に真剣な色が宿った。静かなその声と瞳は、普段の彼女のそれよりも、わずかに暗く、重い。
「私がフリーダムと名乗るのは、最初はただ、自由になりたいだけだった。苦しいのも、泣くのも嫌。そんなものから逃げ去りたいというだけの、自分勝手な自由」
 リリアの表情が、いつもよりも固くなる。どこか苦さを感じているようなその顔つきは、異なる言語を聞いたかのように不可解げだ。
「自由とは、何者にも束縛されないのが自由なのではないのですか?」
「そうね。それも一つの自由。だけどそれは、私の言う自由じゃない」
 半ば自分の心根を確認しながら話すように、セトミは帽子を深くかぶりなおす。その表情が縁に隠れ、見えなくなる。
「好き勝手に暮らせることが自由じゃないの。私の自由は、自分で目的を選ぶこと。自分でそれを達するための手段を決めること。自分で見て、自分で考えること。それに背かないこと。そして、立ちふさがる壁は自分で越えること」
「……つまり、すべてを自分で選択できる、ということですか?」
 いまだ不思議そうねリリアの様子に、セトミは頭をかきながら答える。
「んー、ちょっと違うかな。できる、じゃなくて、するって言い換えればいいかもしんない。あんたのマスターは、いろんな角度から物事を見て、その中から自分が正しいと思えることを信じるべきだって言いたかったんじゃない?」
「正しいと思えること……」
 表情なく思案するリリアに、セトミは再び顔を隠す。
「ただ……自由ってのは、バーのツケみたいなもんだけどね。いつ、何をもってかはその人次第だけど、代償は必ず払わなければならないわ」
 その言葉に、再びリリアが沈黙した。
「……ま、中には否応なしに先払いさせられた運の悪いやつもいたりするけど、さ」
「それは……セトミさん自身のことですか?」
 まっすぐにこちらを見つめて言ったリリアに少し驚き、思わず顔を上げて彼女を見てから、少し……どこか自嘲するように、セトミは笑った。
 リリアの問いにセトミが言葉で答えることはなかったが、その少しだけ悲しげな笑みは、どれほどの言葉よりも如実に肯定を示していた。
 その彼女の足が、不意に止まった。瞳はすでに先程までの儚さはなく、獲物を見つめる猫の目のような鋭い光をたたえている。
「……おしゃべりはここまでにしましょ。どうやら、敵さんがいるみたいよ」
 その目は、通路の曲がり角の先へと注がれている。確かに、その向こうからかすかながら足音が聞こえるように思える。
「……敵の気配を感知いたしました。サーチします」
 その言葉と同時に、リリアの瞳が明滅する。
「ヒューマンらしき生体反応を検出。同者からガンマレイのエネルギー反応も確認致しました。その奥に巨大なコンピューター反応。これが目的のものと思われます」
「コンピュータールームの見張りってわけね。避けて通るのは無理か……」
 意を決し、セトミは曲がり角からわずかに顔をのぞかせ、敵兵の方向をのぞき見る。
 いったいここはなにを研究しているのか、不気味な黒い防護服と、防護マスクを身にまとった男と思しき人物がライフルタイプのガンマレイを手に、その向こうに見える部屋の入口前に立っている。
「うっわ、黒い防護服にマスクとか、夢にでもでてきそう。……さて、どうしたもんか」
 思案するセトミの後ろに、リリアが同じように敵の方を覗き込みながら、左手を構える。
「お任せ下さい。私に搭載されたガンマレイならば、気づかれずに敵を気絶させることも可能です」
「オッケー、アンセムじゃちょっと派手すぎるからね。リリア、任せた」
 無言ひとつ頷くと、リリアの左肩から左腕にかけてがカシャカシャと音を立て出す。
「ガンマレイ出力、12%。彩光明度、通常の20%に設定。左腕プリズミックレンズ、オープン。……標的ロックオン」
 初めて出会った時のように、まるでなにか複雑な乗り物を操作するかのような言葉を発する事に、その腕から機械音が響く。
「……ファイア」
 その冷徹に言い放たれた言葉と同時に、リリアが敵に向けた手のひらからガンマレイが発射される。以前放ったものよりもはるかに細く、光の弱い光線が正確に敵に命中する。
「……ぐっ!」
 敵はその光線に気づくこともなく、うつ伏せに倒れた。
「……おっどろいた。あんたの左手、彩光明度の調節までできるわけ? 万能すぎでしょ」
 驚きと呆れがないまぜになった表情でセトミが感嘆の息を漏らした。
 ガンマレイにおける彩光明度とは、要するにレーザーの輝きの強さのことだ。威力が高ければ高いほどその輝きは強くなるが、夜間や暗い場所での使用には、その光の強さゆえに居場所を見抜かれる危険性がある。
 だがリリアは、その明度さえも自在に操ってみせたのだ。これならば、隠密行動時でもレーザー光によって自分の位置を見抜かれることはない。
「元より、私は防衛機構として開発された機体です。様々な場面に対処できるよう、プログラミングされています。彩光明度調整機能『フィア・オブ・ザ・ダーク』もそのシステムの一つです」
 淡々と自分の機能と役割を説明する、少女の姿をしたそれは、とても先ほど自由ということはなにかと迷っていた彼女と同じには見えなかった。
 オートマトンとはいえ、人格プロトコルを有するものは、理解できないことに悩んだり、自分が機械であることを複雑に思ったりするものもいる、ということなのだろう。
 ――――なんだ、それなら、人間と一緒じゃない。
 不意に心に浮かんだその思いを、セトミはしかし心の底にしまった。今は、そのことについてじっくり考えている余裕はない。
「さて、それじゃ、コンピューターからエマをダウンロードするわよ。リリア、接続よろしく」
「了解いたしました」
 リリアは自らの右腕から接続コードを取り出すと、コンピューターとセトミのデヴァイスを接続する。そして自らはキーボードに向け、コマンドを入力し始める。
 そのリリアの表情が、ふと訝しげに変わった。
「……不可解な点が、ひとつあります」
「なに? なんか問題あり?」
 思わずコンピューターのモニターを覗き込むセトミに、リリアが画面を示しながら説明する。
「問題のエマさんという人格保有OSを確認致しました。しかしそれに対するプロテクトは皆無です。パスコードの設定すら施されていません」
 今現在のコンピューター事情において、パスコードの設定がされていない端末自体はさほど珍しくない。ネットワークを活用するにはそのための知識が必要であるし、その知識を持たない者にとっては、端末はただの日記帳となっていることも多い。
 無論、そういった程度のものならばパスコードがかけられていないのも理解できるが、重要なOSのデータが入ったコンピューターを無防備な状態にしておくのは、確かに不自然であると言えた。
「……でも、怪しんでてもしょうがないでしょ。どっちにしろ、こっちはそれが目的なんだから」
「……はい。では、ダウンロードを開始します」
 リリアが言うのと同時に、接続されたコードが淡い光を発しながらデータをデヴァイスへと転送していく。
「ダウンロード率、60%コンプリート。72%コンプリート……」
 律儀に読み上げていくリリアの言葉は、次々と紡がれていく。やはりスーパーコンピューターだけあって、情報処理の速さは抜群だ。
 やがて、それからほとんど間もなく、リリアがデヴァイスにエマがダウンロードされたことを告げた。
「ではセトミさん、デヴァイスを再起動してください」
 リリアの言葉に従い、一度足からデヴァイスを取り外したセトミが電源を入れなおす。
 するとそれはあまりにあっけなさすぎるほどに、モニターに現れた。
「……ここは、どこです? おや、この感じ……セトミさんのデヴァイスのパターンではありませんか?」
「よっ、おひさー、エマ。ご機嫌いかがですか?」
 おどけてみせるセトミに、モニター内のエマはわかっているのかいないのか、とぼけた表情を作る。
「ええと、どちら様でしたっけ? メモリー内にそういう外装のパターンの方はおられないのですが」
「その言い方、わかっていってんでしょ。私だよ、セトミ! あんたんところのお姫様を救い出した、セトミちゃん!」
 セトミが鼻息も荒く親指で自身を示すのを見、モニター内のエマはくすりと笑う。
「わかってますよ。私の娘を助け出してくれた方を、見た目が変わったくらいで忘れるものですか」
 その様子を見ていたリリアが、間に割って入るように言葉を挟む。
「申し訳ありませんが、再会を喜び合うのは後にした方が良いかと。今は安全とは言え、ここは敵の渦中ですので」
 しかしリリアの言葉に、エマは怪訝な表情を作る。
「今は安全? あの男はオートマトンのシステム掌握を行っていないのですか?」
 その言葉に、今度はセトミが剣呑な色の混ざった顔になる。
「……どういうこと?」
「あの包帯の男は、私のシステムを使って、オートマトンを掌握するシステムを完全なものに作り上げました。ゆえに、この街は戦乱の渦中にあるものと思ったのですが……」
 エマのセリフに、リリアが険しくなっていた表情をより一層険しくさせる。
「戦闘!? まさか、私たちのことがバレたの?」
 しかしセトミのその問いに、リリアは首を横に振る。
「いいえ。双方の武装の反応からして、戦っているのはおそらくヒューマン同士――――。地下の警護をしていた研究兵と、地上の警備を行っていた兵士が争っていると思われます」
「マジで? なんでやつら同士がやり合うわけ?」
 困惑するセトミに、リリアが耳打ちするように顔を近づける。
「わかりませんが、ここは……」
 彼女がそこまで言った瞬間、部屋のドアが勢いよく蹴り開けられた。
「シラミネ副長官の姪、ターニャ=シラミネだな! お前を拘束する! 無駄な抵抗はするな!」
 現れたのは、先ほど見た地下の研究兵と同じ武装をした、数人の兵。
「正体を隠したまま、潜伏するべきかと」
 言葉の続きをささやくリリアに、セトミは怯える少女の顔を装いながら、ゆっくりと両手を挙げた。