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23 朝練 茨城編その3

ー/ー





「おはよう真幸、朝だ」
「ん…はよ…ふぁーあ…眠たい」

 暖かい颯人の腕の中で目が覚める。
 ぱちぱち瞬いて目を擦ると、微笑みのイケメンがじっと見つめてくる。
 
 毎朝これだからいい加減慣れたけど、どうして毎回見つめられてるんだ俺は。
 
 
「昨晩遅かったからな、疲れただろう」
「うん、でもすっきりしてる。颯人のおかげだな。ありがとう」
「うむ」

 布団から起き上がり、手を伸ばして背伸びする。
 布団の上で寝起きのストレッチだ。これから運動するから怪我予防しておかないと。体の細胞にも目を覚ましてもらうために血を巡らせる。

 
 現時刻、2:45。朝なのか?夜なのか?夏だけどまだ夜明け前だな。
タバコの匂いがするし、誰か起きてるみたいだ。浴衣の合わせを直して、窓辺にとてとて歩く。
 障子戸を開けると、もわーんとタバコの煙が漂って来た。…どしたんだこんなに沢山吸って。灰皿が山になってるぞ。

「お、おはよう。真幸」
「鬼一さんおはよ。どうしたんだよこんなに吸い殻山にして……なんか出た?」
「い、いや。その……」

 

 しどろもどろで耳まで真っ赤になってる鬼一さんの向かいに座り、タバコに火をつける。
 ぁー目が覚める。朝はニコチン摂取せんとやはりぼーっとするなぁ。

「真幸は、毎晩ああなのか?」
「……ああって?」
「颯人様と、一緒に寝てただろ?」
 
「え?うん。鬼一さん達は顕現してないから一緒に寝ないんだろ?体の中にいるから大丈夫なのかな?
 神力を分けるから別で寝るのはダメって言われて、初日からそうだよ」
「…………把握した」

 

 鬼一さん、何とも言えない顔してるけどなんで?

「もしかして、一緒に寝るのはおかしいのか?」
「いや!!普通だ!!顕現できるやつはそうだろう!!何もおかしくない!!」

「おお?そうならいいけど」
 
 声でっかいな、びっくりした。おかげですっかり目が覚めたけど。
 タバコを吸い終わり、窓を開け放つ。顔洗って歯磨きしてこよ。

「鬼一さんも着替えてね、散歩行こ。」
「おう……」

 ━━━━━━


「「いーうーいーうーいー」」
「……」
「「プルルルルルル」」
「……」
 
 颯人と俺、鈴村さんと鬼一さんで連れ立って海辺を歩く。
 いやー気持ちいいなぁーーー!!
大海原、潮風、波の音……海に来ると叫びたくなるな。夏の夜明けは早いから、もう真っ暗じゃなくなってる。
 
 この薄暗い時間は彼は誰時(かわたれどき)って言うんだぞ。
 黄昏の反対で、近くに行かないと誰だかわからない位の朝って意味らしい。都会じゃこの言葉の意味は正しくわからんだろうな、ビッカビカのネオンが山ほどあって不夜城だし。
 
 浜辺は開放感があるし、漁船が出てるのが見えるしで楽しい散歩だ…。自然との触れ合いはいいもんだな。


  
「ところで鬼一さん、修行しにきたんだから真似して。リピートアフターミー」
 
「いや、何だそれは。奇怪すぎる……鈴村は何故普通にしてるんだ」
 

「これはちゃーんとしたボイストレーニングや。鬼一さん知らんの?」
「ぐっ……そんなのをやるのか。最初のはそうだとしても、口をプルプルさせるのはなんだ」
 
「リップロールって言うんやで。言葉を発する時に筋肉が動きやすくしてんの。祝詞やるなら必要やよ。ね、真幸」
 
「んぁ!?…な、何で突然名前呼びになったんだ??」
「ええやろ。昨日ガールズトークした仲やん」
「別にいいけど…俺はガールじゃなくて男だぞ」
 
「知っとるわ。ボイトレの時は腹筋を手で押さえた方がええな。腹式呼吸で息を吐き切るまで続ければ、腹筋も肺も鍛えられるで」
「ほう!すごいな、鈴村さんよく知ってるね」

 前を歩いていた鈴村さんが振り返り、颯人をチラッと見て俺に目線を移してくる。
 何故かほんのり頬を赤く染めて。

 

「…妃菜(ひな)って呼んでや」
「へ?あ、名前?」
「うん」
 
「でもみんな苗字呼びだろ?女の子にいきなりそう言うのは、失礼な気がするんだが」
「本人がええって言うてるの。これから長うお世話になるんやから、さんづけは嫌や。仲ようしてくれるて言うたやろ?」
「へ?……そ、そうだけど」
 
「ほな、言うてみて。」
「えぇ…?」

 何が起きてるんだ??鬼一さん、なんでそんな生暖かい笑顔を浮かべてる?
チベスナ顔に口だけ笑ってるのなんかやだな。

「チッ。小娘……」
 
 あれ?颯人はなんで不機嫌なの!?
 眉を顰めて舌打ちしてる。鬼一さんが慌てたように間に入って、俺の肩をがっしり掴む。何で慌ててるんだ?


 
「と、とりあえずボイトレとやらを教えてくれ!俺はそう言うの知らないんだからな!」
「おん。じゃあ鈴村さんの言ってた腹式呼吸で……」
「ひ な です」

 圧が強い!なんで!?
 うーんうーんうーん。

「ひ、妃菜が言ってた腹式呼吸からしよう」
「うふふ、はーい先生!」
「はぁ……何なんだ……」

 ルンルンになってスキップしながら歌い出した妃菜と項垂れる鬼一さん。そしてさらに不機嫌になった颯人。
 マジで何が起きてんだかわからん。
 元気になったんならいいけどさ。

妃菜が歩く先々で低級霊が四散してる…凄いな。

 

「真幸は鈴村に何をしたんだ?ハッ!まさか」
「なんもしてないよ!ただ夜中に話しただけなんですけど!?そんな顔しないで鬼一さん!」
 
「ああ、なるほど何となく分かった」
「えっ!?ちょ、どう言うこと??」
 
「チッ」
「だから何で不機嫌なの颯人は!?」
 
 鬼一さんの微妙な顔と颯人の不機嫌オーラを眺めつつ、訳分からんまま散歩を続けた。

 ━━━━━━


 
「はーい、じゃあ俺はこっちから水拭きするから鬼一さんはそっちからね。妃菜は洗面所頼む」
「おう」
「はいなー。トイレもやっとくわ」
「お願いしまーす!」

 固く絞った濡れ雑巾を片手に額の汗を拭きつつ畳の上をゴシゴシ拭いていく。
床拭きは足腰の筋肉も鍛えられるし、室内清掃はきっちりしないと神様に失礼だからな。お掃除も大切な禊の一つだ。
 実はあまり真面目にやった事がなかったから、やり方をきっちり颯人に教わってるのは内緒にしておこう。


 
「鈴村が名前呼びなのは何故なんじゃ?何があった?」
「魚彦、昨日の晩にな、ゴニョゴニョ」
「ほう…はぁ…あぁーなるほどな…」
 
「全く腹立たしいだろう」
「腹立たしくはないじゃろ。ワシはお前さんに同衾を譲ったではないか。今日はワシと寝るんじゃからな」
「我は譲らぬ」
 
「子供かお主は。布団をくっ付ければよいか。もしくは顕現を解けば真幸の中で眠れるぞ」
「それでは意味がない。我は腕に抱いて眠りたいのだ」
「……お主わがままじゃのう…」


 
「そこ、ちょっと邪魔だから退いて」
「むぅ。真幸に邪魔と言われた」
「ほっほ、颯人はでかいからのう」

 窓際で喋ってる二人をどかしてコロコロでカーペットの埃を取る。
まったく、誰と寝たっていいだろもう。
 俺は山彦と寝たいけど、遠慮して出てこないからな…あの子は。

 

「洗面台、トイレと玄関も掃除してきたで。そっちは?」
「お!助かるよー。こっちももう終わるから先に風呂行ってきてくれ」

「……イイ」
「え?妃菜?」

 雑巾とバケツを握りしめた妃菜が顔を真っ赤にして佇んでいる。
 ……変なこと言ったかな俺。

 
「……ふぅ、居づらい。いたたまれない。俺はどうしたらいいんだ」
「鬼一さん!?なんで??俺何かした?」
 
「したと言えば、したな」
「えっ?よくわからんけどごめんよ。いや、でも心当たりないんだが」
「そうだな、その方がいい。そのままで居てくれ。頼む。」
 
「マジで何でなの」


 はてなマークが止まらないです。はい。

 ━━━━━━

 

 大きく柏手を打ち、簡易的な結界を張る。部屋の明かりを落とすと、太陽の気配が空を明るく染め始めた。
 
 
「よし。では始めよう。身口意(しんくい)宣る(のる)ことを忘れぬように。霊力が尽きたら補充の練習もだ」
「はい」

 真剣な顔の颯人と魚彦が神棚の前に並び、俺の後ろに妃菜と鬼一さんが正座で座っている。
 身口意(しんくい)と言うのは困った時だけに神様助けて!って言うのではなく、自分自身でやり遂げます。見守っていてくださいって感じで祝詞を唱える事。
 全て放り出して、無責任な神頼みでは神様は動かない。願いは自分自身で叶えるものだからな。


「今日はひふみ祝詞(のりと)から始めよう。鳥居之祓(とりいのはらえ)龍神祝詞(りゅうじんのりと)を経て大祓(おおはらえ)で締める。やり直しは最初から。日昇までに終わらせよ」
「はい」

 背中で息を呑む音が聞こえたな。
祝詞は長いからなぁ、聞いてる方も疲弊するとは思う。さて!やるぞっ。


 
 颯人を見据え、腹に力を込める。
 まずはひふみ祝詞の前に祓詞(はらえのことば)から。祓詞は神事の始まりに必ず使われる祝詞だから、これは練習のうちに入らない。

――掛けまくも畏き(かけまくもかしこき) 伊邪那岐大神(いざなぎのおほかみ)
 筑紫の日向の橘の小戸(つくしのひむかのたちばなのをど)阿波岐原に(あはぎはらに)
 禊ぎ祓へ給ひし時に(みそぎはらへたまひしときに)
 生り坐せる祓戸の大神等(なりませるはらへどのおほかみたち)
 諸々の禍事(もろもろのまがごと) (つみ) (けがれ) 有らむをば(あらむをば)
 祓へ給ひ清め給へと(はらへたまひきよめたまへと)
 白すことを聞こし召せと(まをすことをきこしめせと)
 恐み恐みも白す(かしこみかしこみもまをす)――
 
 さて、次はひふみ祝詞だ。全ての祝詞は口から吐くときに言霊を乗せるよう意識して(うた)う。
 神様に言葉を届けるには心が整わなければならない。無心に、純粋に。祝詞の意味をそのまま伝えられるように。
 

 ──ひふみ よいむなや
 こともちろらね
 しきる ゆゐつわぬ
 そをたはくめか
 うおえ にさりへて
 のますあせゑほれけん
 布留部(ふるべ) 由良由良止(ゆらゆらと) 布留部(ふるべ)――

 ひふみ祝詞の難しいところは最後のパワー増幅の言葉だ。
 
『ふるべ、ゆらゆらと、ふるべ』と唱えて十種神宝(とくさのかんだから)の力を借りる。
 十種神宝(とくさのかんだから)天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、九州に降臨した際持ってきた神器。十種類全ての神器、役割、その姿形をきっちりイメージしなければその力は借りられない。


「十種が発動しておらぬ。やり直し」
「はい」
 

 くー。やはりな。難しい…。
山神と対峙した時と同じく、汗が吹き出してくる。喉の奥がヒリヒリしてきた。
 少し霊力を乗せすぎたな…少しずつ絞って調節しよう。
 颯人の血をちゅーちゅー吸ったときに感じた体の血管をイメージしながら力を絞る。細く、長く、途切れないように。


 ――神の在座(ます)鳥居に伊禮(いれ)
 此身(このみ)より日月(ひつき)の宮と(やす)らげくす――
 
 ひふみ祝詞、鳥居を浄める鳥居之祓(とりいのはらえ)を終えて龍神祝詞に移ると、外に天気雨が降り出した。
 
 龍神は雨の神様。細かく言えばその内にたくさん名のある神様がいるが、全部まとめて龍神と呼ばれる。
 龍神祝詞は雨によって清めてくれる広範囲浄化の祝詞だ。雨雫の湿った匂い、地面から湧き立つ土の匂いが香る。
 

――高天原(たかまのはらに)()()して
 天と地に御働(みはたらき)(あらわ)(たまう)龍王は
 大宇宙の根元(こんげん)御祖(みおや)御使(みつかい)にして
 一切を産み一切を育て
 萬物(よろずのもの)を御支配あらせ(たま)
 王神(おおじん)なれば
 一二三四五六七八九十(ひふみよいむなやことの)十種の(とくさの)
 御寶を己(みたからをおのが)がすがたと(へん)(たま)いて
 自在自由に天界地界人(じざいじゆうにてんかいちかいじんかい)界を
 (おさ)(たま)
 龍王神なるを尊み敬い(りゅうおうじんなるをとうとみうやまい)て――

「雨が止んだ。やり直し」
「はい」


 
 もう一度ひふみ祝詞からやり直し始める。
 霊力が空になりそうだ。魚彦の勾玉に触れると、魚彦が目を閉じた。
 ふわふわ暖かい神力が体を包み込み、体の芯まで染みていく。それが奥まで届くと、颯人の勾玉が熱を放つ。
 熱い……腹の中で焼け落ちそうな熱を放ち、体の中心から甘い味が込み上げてくる。


 俺の汗が畳に落ちる音。
 海水が浜辺に押し寄せる、波音。
 風に揺れる防風林の葉が擦れ合う音。
 全部の音が耳に聞こえて、それが一斉に聞こえなくなる。
 俺の祝詞に乗せて言霊が天空に届く。
雲が割れて、青空がのぞく様子が頭の中に浮かんだ。


――高天原に神留り坐す(たかまのはらにかむづまります)
 皇親神漏岐(すめらがむつかむろぎ) 神漏美の命以ちて(かむろみのみこともちて)
 八百萬神等を神集へに集え賜ひ(やほろずのかみたちをかむつどへにつどへたまひ)
 神議りに議り賜ひて(かむはかりにはかりたまひて) 
 我が皇御孫命は(あがすめみまのみことは) 豊葦原水穂國を(とよあしはらのみづほのくにを)
 安國と平けく知ろし食せと(やすくにとたひらけくしろしめせと)
 事依さし奉りき(ことよさしまつりき)
 此く依さし奉りし國中(かくよさしまつりしくぬち)
 荒振る神等をば(あらぶるかみたちをば)
 神問はしに問はし賜ひ(かむとはしにとはしたまひ)
 神掃ひに掃ひ賜ひて(かむはらひにはらひたまひて)
 語問ひし磐根(こととひしいはね) 樹根立(きねたち)
 草の片葉をも語止めて(くさのかきはをもことやめて)天の磐座放ち(あめのいはくらはなち)
 天の八重雲を(あめのやへぐもを)
 伊頭の千別きに千別き(いづのちわきにちわき)
 天降し依さし奉りき(あまくだしよさしまつりき)――
 

 
 集中力が極限に達したのが自分でもわかった。颯人は祝詞の組み合わせをいつも物語に仕立てるんだ。その意思がそのまま言霊に乗って広がっていく。
 
 今回は禊をした巫女が、鳥居をくぐり舞を舞って乾いた大地に雨を降らせる。そのお礼に大祓祝詞を奏上って感じだ。
 しっかりしたイメージを掴んで、ようやく最後の大祓祝詞まで終わらせた。


 
「よろしい。さぁ、日光浴だ」
「………っ」
 
 颯人が柏手を打ち、重なった祝詞の効果を解除した途端に膝から崩れ落ちる。
 うー、吐きそう。頭の中がぐるぐるして、喉までせり上がってきたものを押しとどめた。
 全力疾走した後みたいに胸が痛くなり、息も絶え絶えデス。


 
「我が抱いてやろう」
「はぁ…はぁ…やだよ。歩ける」
「日光では足らぬ故、我の膝の上で霊力回復をしながら陽を浴びれば良い。神力で其方の霊力を引っ張るのだ。今日は仕事があるだろう?早う回復した方が良かろう」
「ぐぬぬ…」

 颯人がおでこに張り付いた前髪をかきあげてくれて、そのままお姫様抱っこされてしまう。
 俺は大変不満だ。くそっ!こうなりたくないのに!!まだまだ修行が足らんな。

 

 颯人が足早に窓辺の椅子に座り、指先でヒョイっと空を切ると窓がスパーン!と開く。

「こら!窓は丁寧に開けて。人ん家なんだぞ」
「むぅ…わかった」

 
 そよそよ吹き込んでくる風は清浄だ。うまく清められた感じだな。太陽が海から半分顔を出してる。最初は日が登り切っても唱え終わらなかったから……成長したな、俺。

 
「真幸はまだ半人前だ」
「わーってるよ。このやりとり前もしたな。俺もまだまだ先に進んでないって事かぁ」
「ふ、一人前への道は険しいのだ。仕方あるまい。わずかな歩みは成されている」
 
「へーへー、僅かね。今日の本番でガッツリ進んでやるからな」
「楽しみだ」

「やれやれ、向上心が高いのも心配じゃのう。無理をしすぎるでないぞ」
「魚彦は優しいな。ありがとう」
 
 魚彦が向かいに座ってみんな一緒に朝日を浴びる。颯人が着物からスーツに衣服を変えて、魚彦もそれに倣った。
 今日のスーツは黒か。俺たち三人とも真っ黒黒だな。ネクタイも真っ黒なんだ。んふふ。

 
 
「あ、そう言えば鬼一さんと妃菜は?」
「……伸びとる」
「えっ!?あ…あぁー……」

 
 妃菜が畳の上で完全に大の字で伸びて、鬼一さんは立ち上がれずに汗を拭いてる。
 俺の祝詞に当てられたかな…。
 清い水に魚が住めないように、あまりに祝詞をやり過ぎるとこうなるんだ。

 フラフラしながら鬼一さんはようやく立ち上がり、座布団を敷いて俺の脇に座る。
 ゆらゆらしながら段々と机の上にうずくまり、額に汗が滲んでるのが見えた。
 大丈夫かな……。

 

「朝からこんなに連続で…信じられん」
「ほ?そうなの?」
 
「普通祝詞は一つしか使わんし、練習って言ったって多すぎる。力の波動に完全に当てられた。真幸は最後の一連でゾーンに入ってたな……」

 ん?なんだそりゃ?

「ぞーん?パオーンの象か?」
「んふっ!真幸は面白いのう。ぞーんというのは極限に達した集中の状態じゃ。神に最も近づける、人間の限界を超えた域よ。颯人の意地悪はそれを引き出すためでもある」
 
「ほー、颯人は意地悪してるのか?」
 
 颯人の胸に頭をくっつけて顔を見上げると、不満そうな颯人が上からのぞいてくる。意地悪じゃないと分かってて聞いた俺の方がそうだからね。
 まだ纏めてないから俺の顔の周りにサラサラ髪が降りて来て、黒いカーテンに包まれたみたいな心地になる。
 こう言うの、嫌いじゃない。


 
「違う。我は真幸のために厳しくしている。滅多なことを言うものではないぞ魚彦」
「ワシなら合格ラインなのに、嫁姑戦争のようにやり直しさせるじゃろ」
 
「ほぉん…でもいいよ。俺は修行しないといけないからな。まだ半人前だし。早く上達したいからさ」
「そうだろう、そうだろう。我の弟子は優秀でよい。鼻が高い」

 颯人が満面の笑みを浮かべて、俺も嬉しくなってくる。
 へへっ。褒められちゃった。

  
「鬼一、これはあまり参考にしてはならんぞ。其方がやったら命が危険じゃ」
「できません…無理です。申し訳ありません……」
 
「鬼一さんは真言の方が得意なのか?俺はまだ文字の意味が分からなくて、使えないんだ」

 うぐ、とうめいた鬼一さん。
 顔を突っ伏したままで唸ってる。

 

「鬼一も理解し切れてはおらぬ。赤城山で受けた真言の補助は未完成だった」
 
「ありゃ、そうなのか?でもホワホワあったかかったし体が楽になったよ」
 
「真言は間違えさえしなければ効力はある。祝詞は意味が理解し切れなければ効果は殆どない。どちらも危険性はあるが、真言は徳のない坊主でも習慣で唱えていれば熟練するからな」
 
「なるほど。えっ、じゃあ俺そっち覚えればよかったんじゃ?」

「ならぬ。我が教えるのならば祝詞であるし、神との対話を望むなら真言では不可能だ」
 
「それならしゃーなし。やー、今日は浄化前に神様に会えるといいんだが」

 昨日到着してから真っ先に挨拶に行ったんだが、全然応えてくれなかったんだよな。俺が未熟なせいかもしれんが、なんとなく神宮が空っぽな気がしてる。

 
 
「真幸の勘が当たらないとよいが」
「頭ん中覗くな。でもそうだな。厄介事が増えなきゃいいけど」

 海から登り切った朝日を眺め、手を合わせる。お仕事の始まりだ。

 神様、今日も一日宜しくお願いします。



 
 
 


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「昨晩遅かったからな、疲れただろう」
「うん、でもすっきりしてる。颯人のおかげだな。ありがとう」
「うむ」
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「お、おはよう。真幸」
「鬼一さんおはよ。どうしたんだよこんなに吸い殻山にして……なんか出た?」
「い、いや。その……」
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 ぁー目が覚める。朝はニコチン摂取せんとやはりぼーっとするなぁ。
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「……ああって?」
「颯人様と、一緒に寝てただろ?」
「え?うん。鬼一さん達は顕現してないから一緒に寝ないんだろ?体の中にいるから大丈夫なのかな?
 神力を分けるから別で寝るのはダメって言われて、初日からそうだよ」
「…………把握した」
 鬼一さん、何とも言えない顔してるけどなんで?
「もしかして、一緒に寝るのはおかしいのか?」
「いや!!普通だ!!顕現できるやつはそうだろう!!何もおかしくない!!」
「おお?そうならいいけど」
 声でっかいな、びっくりした。おかげですっかり目が覚めたけど。
 タバコを吸い終わり、窓を開け放つ。顔洗って歯磨きしてこよ。
「鬼一さんも着替えてね、散歩行こ。」
「おう……」
 ━━━━━━
「「いーうーいーうーいー」」
「……」
「「プルルルルルル」」
「……」
 颯人と俺、鈴村さんと鬼一さんで連れ立って海辺を歩く。
 いやー気持ちいいなぁーーー!!
大海原、潮風、波の音……海に来ると叫びたくなるな。夏の夜明けは早いから、もう真っ暗じゃなくなってる。
 この薄暗い時間は|彼は誰時《かわたれどき》って言うんだぞ。
 黄昏の反対で、近くに行かないと誰だかわからない位の朝って意味らしい。都会じゃこの言葉の意味は正しくわからんだろうな、ビッカビカのネオンが山ほどあって不夜城だし。
 浜辺は開放感があるし、漁船が出てるのが見えるしで楽しい散歩だ…。自然との触れ合いはいいもんだな。
「ところで鬼一さん、修行しにきたんだから真似して。リピートアフターミー」
「いや、何だそれは。奇怪すぎる……鈴村は何故普通にしてるんだ」
「これはちゃーんとしたボイストレーニングや。鬼一さん知らんの?」
「ぐっ……そんなのをやるのか。最初のはそうだとしても、口をプルプルさせるのはなんだ」
「リップロールって言うんやで。言葉を発する時に筋肉が動きやすくしてんの。祝詞やるなら必要やよ。ね、真幸」
「んぁ!?…な、何で突然名前呼びになったんだ??」
「ええやろ。昨日ガールズトークした仲やん」
「別にいいけど…俺はガールじゃなくて男だぞ」
「知っとるわ。ボイトレの時は腹筋を手で押さえた方がええな。腹式呼吸で息を吐き切るまで続ければ、腹筋も肺も鍛えられるで」
「ほう!すごいな、鈴村さんよく知ってるね」
 前を歩いていた鈴村さんが振り返り、颯人をチラッと見て俺に目線を移してくる。
 何故かほんのり頬を赤く染めて。
「…|妃菜《ひな》って呼んでや」
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「うん」
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「えぇ…?」
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「と、とりあえずボイトレとやらを教えてくれ!俺はそう言うの知らないんだからな!」
「おん。じゃあ鈴村さんの言ってた腹式呼吸で……」
「ひ な です」
 圧が強い!なんで!?
 うーんうーんうーん。
「ひ、妃菜が言ってた腹式呼吸からしよう」
「うふふ、はーい先生!」
「はぁ……何なんだ……」
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「えっ!?ちょ、どう言うこと??」
「チッ」
「だから何で不機嫌なの颯人は!?」
 鬼一さんの微妙な顔と颯人の不機嫌オーラを眺めつつ、訳分からんまま散歩を続けた。
 ━━━━━━
「はーい、じゃあ俺はこっちから水拭きするから鬼一さんはそっちからね。妃菜は洗面所頼む」
「おう」
「はいなー。トイレもやっとくわ」
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 固く絞った濡れ雑巾を片手に額の汗を拭きつつ畳の上をゴシゴシ拭いていく。
床拭きは足腰の筋肉も鍛えられるし、室内清掃はきっちりしないと神様に失礼だからな。お掃除も大切な禊の一つだ。
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「鈴村が名前呼びなのは何故なんじゃ?何があった?」
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「ほう…はぁ…あぁーなるほどな…」
「全く腹立たしいだろう」
「腹立たしくはないじゃろ。ワシはお前さんに同衾を譲ったではないか。今日はワシと寝るんじゃからな」
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「そこ、ちょっと邪魔だから退いて」
「むぅ。真幸に邪魔と言われた」
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まったく、誰と寝たっていいだろもう。
 俺は山彦と寝たいけど、遠慮して出てこないからな…あの子は。
「洗面台、トイレと玄関も掃除してきたで。そっちは?」
「お!助かるよー。こっちももう終わるから先に風呂行ってきてくれ」
「……イイ」
「え?妃菜?」
 雑巾とバケツを握りしめた妃菜が顔を真っ赤にして佇んでいる。
 ……変なこと言ったかな俺。
「……ふぅ、居づらい。いたたまれない。俺はどうしたらいいんだ」
「鬼一さん!?なんで??俺何かした?」
「したと言えば、したな」
「えっ?よくわからんけどごめんよ。いや、でも心当たりないんだが」
「そうだな、その方がいい。そのままで居てくれ。頼む。」
「マジで何でなの」
 はてなマークが止まらないです。はい。
 ━━━━━━
 大きく柏手を打ち、簡易的な結界を張る。部屋の明かりを落とすと、太陽の気配が空を明るく染め始めた。
「よし。では始めよう。|身口意《しんくい》で|宣る《のる》ことを忘れぬように。霊力が尽きたら補充の練習もだ」
「はい」
 真剣な顔の颯人と魚彦が神棚の前に並び、俺の後ろに妃菜と鬼一さんが正座で座っている。
 |身口意《しんくい》と言うのは困った時だけに神様助けて!って言うのではなく、自分自身でやり遂げます。見守っていてくださいって感じで祝詞を唱える事。
 全て放り出して、無責任な神頼みでは神様は動かない。願いは自分自身で叶えるものだからな。
「今日はひふみ|祝詞《のりと》から始めよう。|鳥居之祓《とりいのはらえ》、|龍神祝詞《りゅうじんのりと》を経て|大祓《おおはらえ》で締める。やり直しは最初から。日昇までに終わらせよ」
「はい」
 背中で息を呑む音が聞こえたな。
祝詞は長いからなぁ、聞いてる方も疲弊するとは思う。さて!やるぞっ。
 颯人を見据え、腹に力を込める。
 まずはひふみ祝詞の前に|祓詞《はらえのことば》から。祓詞は神事の始まりに必ず使われる祝詞だから、これは練習のうちに入らない。
――|掛けまくも畏き《かけまくもかしこき》 |伊邪那岐大神《いざなぎのおほかみ》
 |筑紫の日向の橘の小戸《つくしのひむかのたちばなのをど》の|阿波岐原に《あはぎはらに》
 |禊ぎ祓へ給ひし時に《みそぎはらへたまひしときに》
 |生り坐せる祓戸の大神等《なりませるはらへどのおほかみたち》
 |諸々の禍事《もろもろのまがごと》 |罪《つみ》 |穢《けがれ》 |有らむをば《あらむをば》
 |祓へ給ひ清め給へと《はらへたまひきよめたまへと》
 |白すことを聞こし召せと《まをすことをきこしめせと》
 |恐み恐みも白す《かしこみかしこみもまをす》――
 さて、次はひふみ祝詞だ。全ての祝詞は口から吐くときに言霊を乗せるよう意識して|謳《うた》う。
 神様に言葉を届けるには心が整わなければならない。無心に、純粋に。祝詞の意味をそのまま伝えられるように。
 ──ひふみ よいむなや
 こともちろらね
 しきる ゆゐつわぬ
 そをたはくめか
 うおえ にさりへて
 のますあせゑほれけん
 |布留部《ふるべ》 |由良由良止《ゆらゆらと》 |布留部《ふるべ》――
 ひふみ祝詞の難しいところは最後のパワー増幅の言葉だ。
『ふるべ、ゆらゆらと、ふるべ』と唱えて|十種神宝《とくさのかんだから》の力を借りる。
 |十種神宝《とくさのかんだから》は|天照大神《アマテラスオオミカミ》の孫である|瓊瓊杵尊《ににぎのみこと》が、九州に降臨した際持ってきた神器。十種類全ての神器、役割、その姿形をきっちりイメージしなければその力は借りられない。
「十種が発動しておらぬ。やり直し」
「はい」
 くー。やはりな。難しい…。
山神と対峙した時と同じく、汗が吹き出してくる。喉の奥がヒリヒリしてきた。
 少し霊力を乗せすぎたな…少しずつ絞って調節しよう。
 颯人の血をちゅーちゅー吸ったときに感じた体の血管をイメージしながら力を絞る。細く、長く、途切れないように。
 ――神の|在座《ます》鳥居に|伊禮《いれ》ば
 |此身《このみ》より|日月《ひつき》の宮と|安《やす》らげくす――
 ひふみ祝詞、鳥居を浄める|鳥居之祓《とりいのはらえ》を終えて龍神祝詞に移ると、外に天気雨が降り出した。
 龍神は雨の神様。細かく言えばその内にたくさん名のある神様がいるが、全部まとめて龍神と呼ばれる。
 龍神祝詞は雨によって清めてくれる広範囲浄化の祝詞だ。雨雫の湿った匂い、地面から湧き立つ土の匂いが香る。
――|高天原《たかまのはらに》に|坐《ま》し|坐《ま》して
 天と地に|御働《みはたらき》を|現《あらわ》し|給《たまう》龍王は
 大宇宙の|根元《こんげん》の|御祖《みおや》の|御使《みつかい》にして
 一切を産み一切を育て
 |萬物《よろずのもの》を御支配あらせ|給《たま》う
 |王神《おおじん》なれば
 |一二三四五六七八九十《ひふみよいむなやことの》の|十種の《とくさの》
 |御寶を己《みたからをおのが》がすがたと|變《へん》じ|給《たま》いて
 |自在自由に天界地界人《じざいじゆうにてんかいちかいじんかい》界を
 |治《おさ》め|給《たま》う
 |龍王神なるを尊み敬い《りゅうおうじんなるをとうとみうやまい》て――
「雨が止んだ。やり直し」
「はい」
 もう一度ひふみ祝詞からやり直し始める。
 霊力が空になりそうだ。魚彦の勾玉に触れると、魚彦が目を閉じた。
 ふわふわ暖かい神力が体を包み込み、体の芯まで染みていく。それが奥まで届くと、颯人の勾玉が熱を放つ。
 熱い……腹の中で焼け落ちそうな熱を放ち、体の中心から甘い味が込み上げてくる。
 俺の汗が畳に落ちる音。
 海水が浜辺に押し寄せる、波音。
 風に揺れる防風林の葉が擦れ合う音。
 全部の音が耳に聞こえて、それが一斉に聞こえなくなる。
 俺の祝詞に乗せて言霊が天空に届く。
雲が割れて、青空がのぞく様子が頭の中に浮かんだ。
――|高天原に神留り坐す《たかまのはらにかむづまります》
 |皇親神漏岐《すめらがむつかむろぎ》 |神漏美の命以ちて《かむろみのみこともちて》
 |八百萬神等を神集へに集え賜ひ《やほろずのかみたちをかむつどへにつどへたまひ》
 |神議りに議り賜ひて《かむはかりにはかりたまひて》 
 |我が皇御孫命は《あがすめみまのみことは》 |豊葦原水穂國を《とよあしはらのみづほのくにを》
 |安國と平けく知ろし食せと《やすくにとたひらけくしろしめせと》
 |事依さし奉りき《ことよさしまつりき》
 |此く依さし奉りし國中《かくよさしまつりしくぬち》に
 |荒振る神等をば《あらぶるかみたちをば》
 |神問はしに問はし賜ひ《かむとはしにとはしたまひ》
 |神掃ひに掃ひ賜ひて《かむはらひにはらひたまひて》
 |語問ひし磐根《こととひしいはね》 |樹根立《きねたち》
 |草の片葉をも語止めて《くさのかきはをもことやめて》|天の磐座放ち《あめのいはくらはなち》
 |天の八重雲を《あめのやへぐもを》
 |伊頭の千別きに千別き《いづのちわきにちわき》て
 |天降し依さし奉りき《あまくだしよさしまつりき》――
 集中力が極限に達したのが自分でもわかった。颯人は祝詞の組み合わせをいつも物語に仕立てるんだ。その意思がそのまま言霊に乗って広がっていく。
 今回は禊をした巫女が、鳥居をくぐり舞を舞って乾いた大地に雨を降らせる。そのお礼に大祓祝詞を奏上って感じだ。
 しっかりしたイメージを掴んで、ようやく最後の大祓祝詞まで終わらせた。
「よろしい。さぁ、日光浴だ」
「………っ」
 颯人が柏手を打ち、重なった祝詞の効果を解除した途端に膝から崩れ落ちる。
 うー、吐きそう。頭の中がぐるぐるして、喉までせり上がってきたものを押しとどめた。
 全力疾走した後みたいに胸が痛くなり、息も絶え絶えデス。
「我が抱いてやろう」
「はぁ…はぁ…やだよ。歩ける」
「日光では足らぬ故、我の膝の上で霊力回復をしながら陽を浴びれば良い。神力で其方の霊力を引っ張るのだ。今日は仕事があるだろう?早う回復した方が良かろう」
「ぐぬぬ…」
 颯人がおでこに張り付いた前髪をかきあげてくれて、そのままお姫様抱っこされてしまう。
 俺は大変不満だ。くそっ!こうなりたくないのに!!まだまだ修行が足らんな。
 颯人が足早に窓辺の椅子に座り、指先でヒョイっと空を切ると窓がスパーン!と開く。
「こら!窓は丁寧に開けて。人ん家なんだぞ」
「むぅ…わかった」
 そよそよ吹き込んでくる風は清浄だ。うまく清められた感じだな。太陽が海から半分顔を出してる。最初は日が登り切っても唱え終わらなかったから……成長したな、俺。
「真幸はまだ半人前だ」
「わーってるよ。このやりとり前もしたな。俺もまだまだ先に進んでないって事かぁ」
「ふ、一人前への道は険しいのだ。仕方あるまい。わずかな歩みは成されている」
「へーへー、僅かね。今日の本番でガッツリ進んでやるからな」
「楽しみだ」
「やれやれ、向上心が高いのも心配じゃのう。無理をしすぎるでないぞ」
「魚彦は優しいな。ありがとう」
 魚彦が向かいに座ってみんな一緒に朝日を浴びる。颯人が着物からスーツに衣服を変えて、魚彦もそれに倣った。
 今日のスーツは黒か。俺たち三人とも真っ黒黒だな。ネクタイも真っ黒なんだ。んふふ。
「あ、そう言えば鬼一さんと妃菜は?」
「……伸びとる」
「えっ!?あ…あぁー……」
 妃菜が畳の上で完全に大の字で伸びて、鬼一さんは立ち上がれずに汗を拭いてる。
 俺の祝詞に当てられたかな…。
 清い水に魚が住めないように、あまりに祝詞をやり過ぎるとこうなるんだ。
 フラフラしながら鬼一さんはようやく立ち上がり、座布団を敷いて俺の脇に座る。
 ゆらゆらしながら段々と机の上にうずくまり、額に汗が滲んでるのが見えた。
 大丈夫かな……。
「朝からこんなに連続で…信じられん」
「ほ?そうなの?」
「普通祝詞は一つしか使わんし、練習って言ったって多すぎる。力の波動に完全に当てられた。真幸は最後の一連でゾーンに入ってたな……」
 ん?なんだそりゃ?
「ぞーん?パオーンの象か?」
「んふっ!真幸は面白いのう。ぞーんというのは極限に達した集中の状態じゃ。神に最も近づける、人間の限界を超えた域よ。颯人の意地悪はそれを引き出すためでもある」
「ほー、颯人は意地悪してるのか?」
 颯人の胸に頭をくっつけて顔を見上げると、不満そうな颯人が上からのぞいてくる。意地悪じゃないと分かってて聞いた俺の方がそうだからね。
 まだ纏めてないから俺の顔の周りにサラサラ髪が降りて来て、黒いカーテンに包まれたみたいな心地になる。
 こう言うの、嫌いじゃない。
「違う。我は真幸のために厳しくしている。滅多なことを言うものではないぞ魚彦」
「ワシなら合格ラインなのに、嫁姑戦争のようにやり直しさせるじゃろ」
「ほぉん…でもいいよ。俺は修行しないといけないからな。まだ半人前だし。早く上達したいからさ」
「そうだろう、そうだろう。我の弟子は優秀でよい。鼻が高い」
 颯人が満面の笑みを浮かべて、俺も嬉しくなってくる。
 へへっ。褒められちゃった。
「鬼一、これはあまり参考にしてはならんぞ。其方がやったら命が危険じゃ」
「できません…無理です。申し訳ありません……」
「鬼一さんは真言の方が得意なのか?俺はまだ文字の意味が分からなくて、使えないんだ」
 うぐ、とうめいた鬼一さん。
 顔を突っ伏したままで唸ってる。
「鬼一も理解し切れてはおらぬ。赤城山で受けた真言の補助は未完成だった」
「ありゃ、そうなのか?でもホワホワあったかかったし体が楽になったよ」
「真言は間違えさえしなければ効力はある。祝詞は意味が理解し切れなければ効果は殆どない。どちらも危険性はあるが、真言は徳のない坊主でも習慣で唱えていれば熟練するからな」
「なるほど。えっ、じゃあ俺そっち覚えればよかったんじゃ?」
「ならぬ。我が教えるのならば祝詞であるし、神との対話を望むなら真言では不可能だ」
「それならしゃーなし。やー、今日は浄化前に神様に会えるといいんだが」
 昨日到着してから真っ先に挨拶に行ったんだが、全然応えてくれなかったんだよな。俺が未熟なせいかもしれんが、なんとなく神宮が空っぽな気がしてる。
「真幸の勘が当たらないとよいが」
「頭ん中覗くな。でもそうだな。厄介事が増えなきゃいいけど」
 海から登り切った朝日を眺め、手を合わせる。お仕事の始まりだ。
 神様、今日も一日宜しくお願いします。