Nate〜ネイト〜【3】
ー/ー「……う、ん?」
真夜中、自室のベッドの中で惰眠を貪っていたネイトは、何かが耳に届いた気がして半覚醒した。
研究所のスタッフは全員この宿舎での居住を義務付けられている。
この生活も、もう二年が過ぎた。
相当広いとはいえ、敷地内から出ること自体がまず許可されない。
しかし必要なものは申請すれば、審査は経るが「立場上、明らかに非常識」なものでなければ大抵は支給された。
殊に研究に関しては、「金に糸目をつけない」という意味をここに来て初めて知った気さえする。
望めばどんな機材や資材も、理由も問わず揃えてくれるのだ。
むしろ『外』の、ネイトが足元にも及ばない名のある教授より恵まれた環境かもしれない。
彼らの多くは、大学側と研究予算を巡り常に苦労を重ねているのを知っているからこそ。
食事もすべて供されるし、希望すれば身の回りの雑事、──掃除や洗濯も任せきりにできるので、自由がないことに目を瞑れば特段の不便はない。
ネイトは、居室内のことは自分で賄ってはいた。
基本は届けられる料理を食すとしても、機能が抑えられている分操作の容易な自動調理器も各個室に備え付けられている。食材の調達も、申請機器に入力するだけだ。
そのため、外での人生経験上も料理などできるわけもないネイトでさえ「自炊」することも可能だった。
クローンの「世話」に関しても、アンドロイドの存在が大きい。
細々とした「育児」のすべてを研究員が行うのはあり得ないからだ。
人間がすべきことは的確な指示。
いくらAIに曖昧な判断も可能だとはいえ、最初からアンドロイドに丸投げなどできよう筈もない。
まるで囚人のような、と忸怩たる思いを持っていたのは最初だけだ。
馴染んでみれば、ここは意外なほどに過ごしやすかった。
だからと言って何もかも好き勝手には行かないし、家庭を持つのは無理だ。
それも含めて、ネイトは人生を売ったと思っていた。
……少し大きくなり、耳障りになって来た通話音を脳が明確に捉える。
呼び出しが掛かってからさほど時間は経っていない筈だ。
業務上も、夜間にも関わらず何の前触れもなく呼び出されることは珍しくなかった。
「はい」
通話は、わざわざ物理的なスイッチを入れる必要もなく声で繋がる。
『ネイト! いま部屋だな?』
相手はマックスだった。
常に低温を保っているかのような彼が、いつになく慌てているのが伝わって来る。
問い掛けの内容からも。
内情については言うまでもなくこの先輩の方が熟知している筈なのに、いったいどうしたというのか。そもそも「ネイトの部屋」を指定しての通話だろうに。
「そうです。寝てました。他にどこに行けと?」
半ば寝ぼけていて些か失礼な返答になってしまったが、彼は気にする余裕もなさそうだった。
『〝レティ〟の「出荷」要請が入った! オリジナルが事故で重体だそうだ。すぐ来てくれ! とりあえず私のところへ』
「え……? はい、わかりました!」
あまりにも衝撃的な知らせに、眠気など瞬時に吹き飛んでしまう。
着替える暇さえ惜しく、パジャマ代わりの部屋着の上に丸めて放り出してあった白衣だけ羽織って、ネイトはドアを開け自室を飛び出す。
研究所は宿舎のすぐ目の前だ。
──〝レティ〟、お前は。……俺、は?
「ネイト、とにかく早急にデータを揃えろ! あとは連絡が来たら引き渡すだけだ」
〝レティ〟を、データと共にオリジナルの治療に当たっている医療機関へと。
移送される対象は、もう「眠らせて」あるとも知らされた。
──〝レティ〟、俺は、……俺はこれから、お前を「解体」する準備をするんだ。どうして、俺は、どうして……!
いや。最初からわかっていたことだ。
〝レティ〟を知る前、初めてこのラボに顔を出した日にマックスに忠告されていた。
彼は当然の如く承知していたのだ。「実験体」に思い入れると、苦痛が待っているだけだと。
それでも、これがネイトの「仕事」だった。
意識と身体を強引に切り離すように、無心でデータにアクセスする。
考えたらその時点で何もできなくなってしまう。
このデータを呼び出して整えたら、即座に〝レティ〟の出荷票になるとわかっているからこそ。
所詮、駒なのだ。
〝レティ〟を想うなどと耳障りの良いお題目を唱えながらも、現実にはオーダーに従って動く己はただの矮小な卑怯者に過ぎない。
内心の葛藤を必死で抑えつけていたネイトは、マックスが誰かと通話し始めたのにも気づかなかった。
無意識に止まる動きを、何故叱責されないのかも。
「もういい。助からなかったってさ」
背後から肩に手を置いたマックスの静かな声に、自分の周りだけ時間が止まった気がする。
「オリジナルが、……死んだ?」
「そう」
何の感情も伺わせずに彼が首肯する。
「じゃあ、──あの子は? どうなるんですか?」
見も知らないオリジナルの生死よりネイトにとって重要なのは〝レティ〟だった。
すべてが同じだとしても。
「さあな。こういうケースは私も未体験だし、聞いたこともない」
先輩がお手上げだとでも言いたげに、両掌を上に向けた芝居がかったポーズを取る。
それさえもまるで計算された演技のようだった。
何もかもが舞台の上で行われているかのようで、どこか現実味がない。
紛れもなく今現在、我が身に起こっている事象なのに。
棒立ちのまま何もできずにいるネイトを放置して、マックスが「これから先」に向けて慌ただしく動き出した。
真夜中、自室のベッドの中で惰眠を貪っていたネイトは、何かが耳に届いた気がして半覚醒した。
研究所のスタッフは全員この宿舎での居住を義務付けられている。
この生活も、もう二年が過ぎた。
相当広いとはいえ、敷地内から出ること自体がまず許可されない。
しかし必要なものは申請すれば、審査は経るが「立場上、明らかに非常識」なものでなければ大抵は支給された。
殊に研究に関しては、「金に糸目をつけない」という意味をここに来て初めて知った気さえする。
望めばどんな機材や資材も、理由も問わず揃えてくれるのだ。
むしろ『外』の、ネイトが足元にも及ばない名のある教授より恵まれた環境かもしれない。
彼らの多くは、大学側と研究予算を巡り常に苦労を重ねているのを知っているからこそ。
食事もすべて供されるし、希望すれば身の回りの雑事、──掃除や洗濯も任せきりにできるので、自由がないことに目を瞑れば特段の不便はない。
ネイトは、居室内のことは自分で賄ってはいた。
基本は届けられる料理を食すとしても、機能が抑えられている分操作の容易な自動調理器も各個室に備え付けられている。食材の調達も、申請機器に入力するだけだ。
そのため、外での人生経験上も料理などできるわけもないネイトでさえ「自炊」することも可能だった。
クローンの「世話」に関しても、アンドロイドの存在が大きい。
細々とした「育児」のすべてを研究員が行うのはあり得ないからだ。
人間がすべきことは的確な指示。
いくらAIに曖昧な判断も可能だとはいえ、最初からアンドロイドに丸投げなどできよう筈もない。
まるで囚人のような、と忸怩たる思いを持っていたのは最初だけだ。
馴染んでみれば、ここは意外なほどに過ごしやすかった。
だからと言って何もかも好き勝手には行かないし、家庭を持つのは無理だ。
それも含めて、ネイトは人生を売ったと思っていた。
……少し大きくなり、耳障りになって来た通話音を脳が明確に捉える。
呼び出しが掛かってからさほど時間は経っていない筈だ。
業務上も、夜間にも関わらず何の前触れもなく呼び出されることは珍しくなかった。
「はい」
通話は、わざわざ物理的なスイッチを入れる必要もなく声で繋がる。
『ネイト! いま部屋だな?』
相手はマックスだった。
常に低温を保っているかのような彼が、いつになく慌てているのが伝わって来る。
問い掛けの内容からも。
内情については言うまでもなくこの先輩の方が熟知している筈なのに、いったいどうしたというのか。そもそも「ネイトの部屋」を指定しての通話だろうに。
「そうです。寝てました。他にどこに行けと?」
半ば寝ぼけていて些か失礼な返答になってしまったが、彼は気にする余裕もなさそうだった。
『〝レティ〟の「出荷」要請が入った! オリジナルが事故で重体だそうだ。すぐ来てくれ! とりあえず私のところへ』
「え……? はい、わかりました!」
あまりにも衝撃的な知らせに、眠気など瞬時に吹き飛んでしまう。
着替える暇さえ惜しく、パジャマ代わりの部屋着の上に丸めて放り出してあった白衣だけ羽織って、ネイトはドアを開け自室を飛び出す。
研究所は宿舎のすぐ目の前だ。
──〝レティ〟、お前は。……俺、は?
「ネイト、とにかく早急にデータを揃えろ! あとは連絡が来たら引き渡すだけだ」
〝レティ〟を、データと共にオリジナルの治療に当たっている医療機関へと。
移送される対象は、もう「眠らせて」あるとも知らされた。
──〝レティ〟、俺は、……俺はこれから、お前を「解体」する準備をするんだ。どうして、俺は、どうして……!
いや。最初からわかっていたことだ。
〝レティ〟を知る前、初めてこのラボに顔を出した日にマックスに忠告されていた。
彼は当然の如く承知していたのだ。「実験体」に思い入れると、苦痛が待っているだけだと。
それでも、これがネイトの「仕事」だった。
意識と身体を強引に切り離すように、無心でデータにアクセスする。
考えたらその時点で何もできなくなってしまう。
このデータを呼び出して整えたら、即座に〝レティ〟の出荷票になるとわかっているからこそ。
所詮、駒なのだ。
〝レティ〟を想うなどと耳障りの良いお題目を唱えながらも、現実にはオーダーに従って動く己はただの矮小な卑怯者に過ぎない。
内心の葛藤を必死で抑えつけていたネイトは、マックスが誰かと通話し始めたのにも気づかなかった。
無意識に止まる動きを、何故叱責されないのかも。
「もういい。助からなかったってさ」
背後から肩に手を置いたマックスの静かな声に、自分の周りだけ時間が止まった気がする。
「オリジナルが、……死んだ?」
「そう」
何の感情も伺わせずに彼が首肯する。
「じゃあ、──あの子は? どうなるんですか?」
見も知らないオリジナルの生死よりネイトにとって重要なのは〝レティ〟だった。
すべてが同じだとしても。
「さあな。こういうケースは私も未体験だし、聞いたこともない」
先輩がお手上げだとでも言いたげに、両掌を上に向けた芝居がかったポーズを取る。
それさえもまるで計算された演技のようだった。
何もかもが舞台の上で行われているかのようで、どこか現実味がない。
紛れもなく今現在、我が身に起こっている事象なのに。
棒立ちのまま何もできずにいるネイトを放置して、マックスが「これから先」に向けて慌ただしく動き出した。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
「……う、ん?」
真夜中、自室のベッドの中で惰眠を貪っていたネイトは、何かが耳に届いた気がして半覚醒した。
|研究所《ラボ》のスタッフは全員この宿舎での居住を義務付けられている。
この生活も、もう二年が過ぎた。
相当広いとはいえ、敷地内から出ること自体がまず許可されない。
しかし必要なものは申請すれば、審査は経るが「立場上、明らかに非常識」なものでなければ大抵は支給された。
殊に研究に関しては、「金に糸目をつけない」という意味をここに来て初めて知った気さえする。
望めばどんな機材や資材も、理由も問わず揃えてくれるのだ。
むしろ『外』の、ネイトが足元にも及ばない名のある|教授《プロフェッサー》より恵まれた環境かもしれない。
彼らの多くは、大学側と研究予算を巡り常に苦労を重ねているのを知っているからこそ。
食事もすべて供されるし、希望すれば身の回りの雑事、──掃除や洗濯も任せきりにできるので、自由がないことに目を瞑れば特段の不便はない。
ネイトは、居室内のことは自分で賄ってはいた。
基本は届けられる料理を食すとしても、機能が抑えられている分操作の容易な自動調理器も各個室に備え付けられている。食材の調達も、申請機器に入力するだけだ。
そのため、外での人生経験上も料理などできるわけもないネイトでさえ「自炊」することも可能だった。
クローンの「世話」に関しても、|アンドロイド《AI》の存在が大きい。
細々とした「育児」のすべてを研究員が行うのはあり得ないからだ。
人間がすべきことは的確な指示。
いくらAIに|曖昧《ファジー》な判断も可能だとはいえ、最初からアンドロイドに丸投げなどできよう筈もない。
まるで囚人のような、と忸怩たる思いを持っていたのは最初だけだ。
馴染んでみれば、ここは意外なほどに過ごしやすかった。
だからと言って何もかも好き勝手には行かないし、家庭を持つのは無理だ。
それも含めて、ネイトは人生を売ったと思っていた。
……少し大きくなり、耳障りになって来た通話音を脳が明確に捉える。
呼び出しが掛かってからさほど時間は経っていない筈だ。
業務上も、夜間にも関わらず何の前触れもなく呼び出されることは珍しくなかった。
「はい」
通話は、わざわざ物理的なスイッチを入れる必要もなく声で繋がる。
『ネイト! いま部屋だな?』
相手はマックスだった。
常に低温を保っているかのような彼が、いつになく慌てているのが伝わって来る。
問い掛けの内容からも。
内情については言うまでもなくこの先輩の方が熟知している筈なのに、いったいどうしたというのか。そもそも「ネイトの部屋」を指定しての通話だろうに。
「そうです。寝てました。他にどこに行けと?」
半ば寝ぼけていて些か失礼な返答になってしまったが、彼は気にする余裕もなさそうだった。
『〝レティ〟の「出荷」要請が入った! オリジナルが事故で重体だそうだ。すぐ来てくれ! とりあえず私のところへ』
「え……? はい、わかりました!」
あまりにも衝撃的な知らせに、眠気など瞬時に吹き飛んでしまう。
着替える暇さえ惜しく、パジャマ代わりの部屋着の上に丸めて放り出してあった白衣だけ羽織って、ネイトはドアを開け自室を飛び出す。
研究所は宿舎のすぐ目の前だ。
──〝レティ〟、お前は。……俺、は?
「ネイト、とにかく早急にデータを揃えろ! あとは連絡が来たら引き渡すだけだ」
〝レティ〟を、データと共にオリジナルの治療に当たっている医療機関へと。
移送される対象は、もう「眠らせて」あるとも知らされた。
──〝レティ〟、俺は、……俺はこれから、お前を「解体」する準備をするんだ。どうして、俺は、どうして……!
いや。最初からわかっていたことだ。
〝レティ〟を知る前、初めてこのラボに顔を出した日にマックスに忠告されていた。
彼は当然の如く承知していたのだ。「|実験体《クローン》」に思い入れると、苦痛が待っているだけだと。
それでも、これがネイトの「仕事」だった。
意識と身体を強引に切り離すように、無心でデータにアクセスする。
考えたらその時点で何もできなくなってしまう。
このデータを呼び出して整えたら、即座に〝レティ〟の出荷票になるとわかっているからこそ。
所詮、駒なのだ。
〝レティ〟を想うなどと耳障りの良いお題目を唱えながらも、現実にはオーダーに従って動く己はただの矮小な卑怯者に過ぎない。
内心の葛藤を必死で抑えつけていたネイトは、マックスが誰かと通話し始めたのにも気づかなかった。
無意識に止まる動きを、何故叱責されないのかも。
「もういい。助からなかったってさ」
背後から肩に手を置いたマックスの静かな声に、自分の周りだけ時間が止まった気がする。
「オリジナルが、……死んだ?」
「そう」
何の感情も伺わせずに彼が首肯する。
「じゃあ、──あの子は? どうなるんですか?」
見も知らないオリジナルの生死よりネイトにとって重要なのは〝レティ〟だった。
すべてが《《同じ》》だとしても。
「さあな。こういうケースは私も未体験だし、聞いたこともない」
先輩がお手上げだとでも言いたげに、両掌を上に向けた芝居がかったポーズを取る。
それさえもまるで計算された演技のようだった。
何もかもが舞台の上で行われているかのようで、どこか現実味がない。
紛れもなく今現在、我が身に起こっている事象なのに。
棒立ちのまま何もできずにいるネイトを放置して、マックスが「これから先」に向けて慌ただしく動き出した。
真夜中、自室のベッドの中で惰眠を貪っていたネイトは、何かが耳に届いた気がして半覚醒した。
|研究所《ラボ》のスタッフは全員この宿舎での居住を義務付けられている。
この生活も、もう二年が過ぎた。
相当広いとはいえ、敷地内から出ること自体がまず許可されない。
しかし必要なものは申請すれば、審査は経るが「立場上、明らかに非常識」なものでなければ大抵は支給された。
殊に研究に関しては、「金に糸目をつけない」という意味をここに来て初めて知った気さえする。
望めばどんな機材や資材も、理由も問わず揃えてくれるのだ。
むしろ『外』の、ネイトが足元にも及ばない名のある|教授《プロフェッサー》より恵まれた環境かもしれない。
彼らの多くは、大学側と研究予算を巡り常に苦労を重ねているのを知っているからこそ。
食事もすべて供されるし、希望すれば身の回りの雑事、──掃除や洗濯も任せきりにできるので、自由がないことに目を瞑れば特段の不便はない。
ネイトは、居室内のことは自分で賄ってはいた。
基本は届けられる料理を食すとしても、機能が抑えられている分操作の容易な自動調理器も各個室に備え付けられている。食材の調達も、申請機器に入力するだけだ。
そのため、外での人生経験上も料理などできるわけもないネイトでさえ「自炊」することも可能だった。
クローンの「世話」に関しても、|アンドロイド《AI》の存在が大きい。
細々とした「育児」のすべてを研究員が行うのはあり得ないからだ。
人間がすべきことは的確な指示。
いくらAIに|曖昧《ファジー》な判断も可能だとはいえ、最初からアンドロイドに丸投げなどできよう筈もない。
まるで囚人のような、と忸怩たる思いを持っていたのは最初だけだ。
馴染んでみれば、ここは意外なほどに過ごしやすかった。
だからと言って何もかも好き勝手には行かないし、家庭を持つのは無理だ。
それも含めて、ネイトは人生を売ったと思っていた。
……少し大きくなり、耳障りになって来た通話音を脳が明確に捉える。
呼び出しが掛かってからさほど時間は経っていない筈だ。
業務上も、夜間にも関わらず何の前触れもなく呼び出されることは珍しくなかった。
「はい」
通話は、わざわざ物理的なスイッチを入れる必要もなく声で繋がる。
『ネイト! いま部屋だな?』
相手はマックスだった。
常に低温を保っているかのような彼が、いつになく慌てているのが伝わって来る。
問い掛けの内容からも。
内情については言うまでもなくこの先輩の方が熟知している筈なのに、いったいどうしたというのか。そもそも「ネイトの部屋」を指定しての通話だろうに。
「そうです。寝てました。他にどこに行けと?」
半ば寝ぼけていて些か失礼な返答になってしまったが、彼は気にする余裕もなさそうだった。
『〝レティ〟の「出荷」要請が入った! オリジナルが事故で重体だそうだ。すぐ来てくれ! とりあえず私のところへ』
「え……? はい、わかりました!」
あまりにも衝撃的な知らせに、眠気など瞬時に吹き飛んでしまう。
着替える暇さえ惜しく、パジャマ代わりの部屋着の上に丸めて放り出してあった白衣だけ羽織って、ネイトはドアを開け自室を飛び出す。
研究所は宿舎のすぐ目の前だ。
──〝レティ〟、お前は。……俺、は?
「ネイト、とにかく早急にデータを揃えろ! あとは連絡が来たら引き渡すだけだ」
〝レティ〟を、データと共にオリジナルの治療に当たっている医療機関へと。
移送される対象は、もう「眠らせて」あるとも知らされた。
──〝レティ〟、俺は、……俺はこれから、お前を「解体」する準備をするんだ。どうして、俺は、どうして……!
いや。最初からわかっていたことだ。
〝レティ〟を知る前、初めてこのラボに顔を出した日にマックスに忠告されていた。
彼は当然の如く承知していたのだ。「|実験体《クローン》」に思い入れると、苦痛が待っているだけだと。
それでも、これがネイトの「仕事」だった。
意識と身体を強引に切り離すように、無心でデータにアクセスする。
考えたらその時点で何もできなくなってしまう。
このデータを呼び出して整えたら、即座に〝レティ〟の出荷票になるとわかっているからこそ。
所詮、駒なのだ。
〝レティ〟を想うなどと耳障りの良いお題目を唱えながらも、現実にはオーダーに従って動く己はただの矮小な卑怯者に過ぎない。
内心の葛藤を必死で抑えつけていたネイトは、マックスが誰かと通話し始めたのにも気づかなかった。
無意識に止まる動きを、何故叱責されないのかも。
「もういい。助からなかったってさ」
背後から肩に手を置いたマックスの静かな声に、自分の周りだけ時間が止まった気がする。
「オリジナルが、……死んだ?」
「そう」
何の感情も伺わせずに彼が首肯する。
「じゃあ、──あの子は? どうなるんですか?」
見も知らないオリジナルの生死よりネイトにとって重要なのは〝レティ〟だった。
すべてが《《同じ》》だとしても。
「さあな。こういうケースは私も未体験だし、聞いたこともない」
先輩がお手上げだとでも言いたげに、両掌を上に向けた芝居がかったポーズを取る。
それさえもまるで計算された演技のようだった。
何もかもが舞台の上で行われているかのようで、どこか現実味がない。
紛れもなく今現在、我が身に起こっている事象なのに。
棒立ちのまま何もできずにいるネイトを放置して、マックスが「これから先」に向けて慌ただしく動き出した。