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第18話 亜細亜という男

ー/ー



「待ってました! マスターのアメコ!」
 薫は、待ちわびていたアメリカンコーヒーのカップを手に取る。嬉々とする彼女、その旨さは折り紙付きか。
「お連れ様はほむら珈琲でしたね? 少々お待ちください」
 マスターはエスプレッソマシンに手を掛ける。ハンドルを回してポルタフィルターを外し、バスケット部へ粉を注ぐ。
 極細挽きの豆は砂のように注がれていく。フィルターを本体へ接続すると、高圧の蒸気で一気にコーヒーが抽出される。
 こちらはネルドリップと違い、わずか数秒で抽出が終わってしまう。そして何より、高圧で抽出された深煎り豆の香味は実に重厚であり、周囲へ放つ存在感は強い。
「お待たせしました。ほむら珈琲です」
 良行に差し出されたのは、お猪口程度のとても小さなカップだ。これはマスターがケチという訳ではなく、それほどコーヒーの香味が重厚という事だ。
 良行はカップを手に取り、コーヒーをすする。
「......旨い! 旨い!!」
 良行は、ほむら珈琲の奥深い味わいに思わず唸る。口中に濃厚なコクと香りが広がる。
 それでいて、仄かな甘みが心地よい。相反する両者がこの一杯に同居している、その不思議は言葉にすることさえ難しい。
「あの小僧、出来るな。それに引き換え、お前は何だ? メリケンかぶれにも程があるわい」
 亜細亜は薫を(なじ)る。
「亜細亜君こそ、鴛鴦茶(えんおうちゃ)だなんて趣味が悪い」
 薫も負けてはいない。嗜好品の良し悪しは、とやかく言うと喧嘩になること必至だ。
「これはだな、戒めの為に飲むのだ」
 鴛鴦茶とは、台湾由来のコーヒーと紅茶を折衷させた飲み物である。味わいを両立させる淹れ方は困難を極め、かつ両者が交互に顔を出すような独特の癖がある。
 要するに、これを自ら飲む亜細亜はかなりの変人と言える。
「そんな気色悪い飲み物、よく飲めるよね?」
 薫の言葉には、亜細亜への侮蔑が込められていた。このやりとり、おそらく昔からなのだろう、
「平和ボケした小娘には分かるまい。この一杯は、まさに世界の闇だ」
 亜細亜の発言は意味深に思える。一杯のコーヒーに世界を見るほど、彼の人生は壮絶だったのか。良行はどことなく勘ぐってしまう。
「......亜細亜さん、あなたの言う世界って何ですか?」
 良行は、思い立ったように亜細亜へ問いかける。その表情はいたって真面目。
「良行君。あいつの話なんか真に受けなくていいから」
 薫は面倒そうな顔をしている。だが、良行は退かない。
「あなたの真意、聞いてみたくて」
 良行の熱い視線。それに呼応し、亜細亜は静かに語り出す。
「儂は幼い頃より、メリケンの侵略的思想が気に入らなかった。正義の名の下に、自分たちの理想を押し付ける姿がな。そして、それを鵜吞みにしてありがたがる日本人どもも愚かに見えた」
 良行は、彼の言葉へ静かに耳を傾けている。何も言わず、静かに。
「そんなメリケンへの反骨心から、対立国であるロシア軍に傭兵として志願した。メリケンどもに目にもの見せてやろうと思ったのだ」
 亜細亜の言葉は静かに熱を帯びていく。良行には、それが肌身で感じられた。
「先代には諭された。国政に武力で介入してはならないと。しかし、血気盛んだった儂は一切耳を貸さなかった。今思えば、若さ故の過ちよ......」
 彼の表情には、時折後悔の念が見え隠れしていた。憂いる表情もまた、意味深長だ。
「当時の儂は、メリケンへ一矢報いることに躍起だった。しかし、ある出来事がその思いを瓦解させたのだ......」
 亜細亜の顔が曇り始める。話はさらに続く。
「ある中東紛争において、メリケンと儂らロシア軍が衝突した時の事だ。戦場は市街地で、市民が逃げ惑う最中だった。メリケンの兵士はあろうことか、市民の女を捕まえて盾同然に構えたのだ。儂は怒りがこみ上げたさ。卑劣なメリケンが! とな」
 彼は、憤怒を押し殺して話を続ける。煮えくり返る(はらわた)を抑えるのもやっとか。
「だが、儂の同胞はためらいもなくメリケンに銃口を向けた。その傍らには泣き叫ぶ子供がいた。おそらく彼女の娘だろう。儂の怒りは同胞に向かった。しかし相手が悪かった。彼はロシア軍でも敏腕兵士で、成す術もなく返り討ちに遭ったわい」
 亜細亜の顔は悲哀に満ちる。いつしか場の空気も重くなる。
「その時儂は思った。メリケンにもロシアにも正義はなかった。愚かなのは儂の方だったのだと......」
 亜細亜の瞳は景色が滲んでいるだろう。良行は何となく察した。
「何だか辛気臭い空気、亜細亜君らしくないなぁ!」
 必死に皮肉を利かせようとしている。だが、薫自身が涙を抑えきれていない。
「......ねぇ! この空気何とかしてよ、マスター!」
 すると、マスターはおもむろにミルクピッチャーを亜細亜へ差し出す。ピッチャーからは仄かに湯気が立っている。
「......愛があれば、世界は変わるかもしれません」
 どうやら、鴛鴦茶にミルクを入れろということらしい。果たして、世界は変わるのだろうか。
 アジアは無言でミルクをカップへ注ぎ、マドラーでかき回す。そして、彼は黙してカップを口にする。
「どうなの? 世界は変わった??」
 薫が期待の眼差しで見つめている。その結果や、いかに……。
「......残念だが、世界は混迷を極めた」
 亜細亜の表情から、その一杯はとてつもなく不味いということが見て取れた。
「あっはは! 不味いに決まってるじゃーん!!」
 涙から一転、薫の表情には笑みが戻った。
 良行には、どことなくこの喫茶店の雰囲気が心地良く思えた。


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「待ってました! マスターのアメコ!」
 薫は、待ちわびていたアメリカンコーヒーのカップを手に取る。嬉々とする彼女、その旨さは折り紙付きか。
「お連れ様はほむら珈琲でしたね? 少々お待ちください」
 マスターはエスプレッソマシンに手を掛ける。ハンドルを回してポルタフィルターを外し、バスケット部へ粉を注ぐ。
 極細挽きの豆は砂のように注がれていく。フィルターを本体へ接続すると、高圧の蒸気で一気にコーヒーが抽出される。
 こちらはネルドリップと違い、わずか数秒で抽出が終わってしまう。そして何より、高圧で抽出された深煎り豆の香味は実に重厚であり、周囲へ放つ存在感は強い。
「お待たせしました。ほむら珈琲です」
 良行に差し出されたのは、お猪口程度のとても小さなカップだ。これはマスターがケチという訳ではなく、それほどコーヒーの香味が重厚という事だ。
 良行はカップを手に取り、コーヒーをすする。
「......旨い! 旨い!!」
 良行は、ほむら珈琲の奥深い味わいに思わず唸る。口中に濃厚なコクと香りが広がる。
 それでいて、仄かな甘みが心地よい。相反する両者がこの一杯に同居している、その不思議は言葉にすることさえ難しい。
「あの小僧、出来るな。それに引き換え、お前は何だ? メリケンかぶれにも程があるわい」
 亜細亜は薫を|詰《なじ》る。
「亜細亜君こそ、|鴛鴦茶《えんおうちゃ》だなんて趣味が悪い」
 薫も負けてはいない。嗜好品の良し悪しは、とやかく言うと喧嘩になること必至だ。
「これはだな、戒めの為に飲むのだ」
 鴛鴦茶とは、台湾由来のコーヒーと紅茶を折衷させた飲み物である。味わいを両立させる淹れ方は困難を極め、かつ両者が交互に顔を出すような独特の癖がある。
 要するに、これを自ら飲む亜細亜はかなりの変人と言える。
「そんな気色悪い飲み物、よく飲めるよね?」
 薫の言葉には、亜細亜への侮蔑が込められていた。このやりとり、おそらく昔からなのだろう、
「平和ボケした小娘には分かるまい。この一杯は、まさに世界の闇だ」
 亜細亜の発言は意味深に思える。一杯のコーヒーに世界を見るほど、彼の人生は壮絶だったのか。良行はどことなく勘ぐってしまう。
「......亜細亜さん、あなたの言う世界って何ですか?」
 良行は、思い立ったように亜細亜へ問いかける。その表情はいたって真面目。
「良行君。あいつの話なんか真に受けなくていいから」
 薫は面倒そうな顔をしている。だが、良行は退かない。
「あなたの真意、聞いてみたくて」
 良行の熱い視線。それに呼応し、亜細亜は静かに語り出す。
「儂は幼い頃より、メリケンの侵略的思想が気に入らなかった。正義の名の下に、自分たちの理想を押し付ける姿がな。そして、それを鵜吞みにしてありがたがる日本人どもも愚かに見えた」
 良行は、彼の言葉へ静かに耳を傾けている。何も言わず、静かに。
「そんなメリケンへの反骨心から、対立国であるロシア軍に傭兵として志願した。メリケンどもに目にもの見せてやろうと思ったのだ」
 亜細亜の言葉は静かに熱を帯びていく。良行には、それが肌身で感じられた。
「先代には諭された。国政に武力で介入してはならないと。しかし、血気盛んだった儂は一切耳を貸さなかった。今思えば、若さ故の過ちよ......」
 彼の表情には、時折後悔の念が見え隠れしていた。憂いる表情もまた、意味深長だ。
「当時の儂は、メリケンへ一矢報いることに躍起だった。しかし、ある出来事がその思いを瓦解させたのだ......」
 亜細亜の顔が曇り始める。話はさらに続く。
「ある中東紛争において、メリケンと儂らロシア軍が衝突した時の事だ。戦場は市街地で、市民が逃げ惑う最中だった。メリケンの兵士はあろうことか、市民の女を捕まえて盾同然に構えたのだ。儂は怒りがこみ上げたさ。卑劣なメリケンが! とな」
 彼は、憤怒を押し殺して話を続ける。煮えくり返る|腸《はらわた》を抑えるのもやっとか。
「だが、儂の同胞はためらいもなくメリケンに銃口を向けた。その傍らには泣き叫ぶ子供がいた。おそらく彼女の娘だろう。儂の怒りは同胞に向かった。しかし相手が悪かった。彼はロシア軍でも敏腕兵士で、成す術もなく返り討ちに遭ったわい」
 亜細亜の顔は悲哀に満ちる。いつしか場の空気も重くなる。
「その時儂は思った。メリケンにもロシアにも正義はなかった。愚かなのは儂の方だったのだと......」
 亜細亜の瞳は景色が滲んでいるだろう。良行は何となく察した。
「何だか辛気臭い空気、亜細亜君らしくないなぁ!」
 必死に皮肉を利かせようとしている。だが、薫自身が涙を抑えきれていない。
「......ねぇ! この空気何とかしてよ、マスター!」
 すると、マスターはおもむろにミルクピッチャーを亜細亜へ差し出す。ピッチャーからは仄かに湯気が立っている。
「......愛があれば、世界は変わるかもしれません」
 どうやら、鴛鴦茶にミルクを入れろということらしい。果たして、世界は変わるのだろうか。
 アジアは無言でミルクをカップへ注ぎ、マドラーでかき回す。そして、彼は黙してカップを口にする。
「どうなの? 世界は変わった??」
 薫が期待の眼差しで見つめている。その結果や、いかに……。
「......残念だが、世界は混迷を極めた」
 亜細亜の表情から、その一杯はとてつもなく不味いということが見て取れた。
「あっはは! 不味いに決まってるじゃーん!!」
 涙から一転、薫の表情には笑みが戻った。
 良行には、どことなくこの喫茶店の雰囲気が心地良く思えた。