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ー/ー



時代の変化に取り残されたような小さなカフェだった。そういう古き良き雰囲気を売りにしているのではなく、単純にボロいだけに見える。営業中という札が入口のドアにかかっていなかったら、通り過ぎていただろう。
「大通りから藤井くんのうちの細い通りに入る角に喫茶店があるでしょう? まだ少し時間があるから、そこでコーヒーでも飲んでいますね」
 去り際に聞いた言葉通り、綾乃さんはそこでコーヒーを飲んでいた。俺はそわそわしながら向かいの椅子へ座った。
「西村くん、こっちのほうがいいと思います」
 俺の格好を見て綾乃さんがからかうように言った。藤井の両親に会うとあって、一番綺麗そうな、しかし派手ではない服を見つけてきた。シャワーも浴びて髭も剃ってある。
「さすがにあれはなかったです」
「だね。コーヒーでいい?」
「いいえ、いいです。コーヒー苦手なんで」
「紅茶もおいしいのだけど」
「こういう上品な飲み物って、あんまり俺には合ってないというか。俺のことは気にしないでください」
 カネがないなんて言ったらおごられるような気がしたので、そういうことにしておいた。
「上品っていうほどでもないと思いますけど。なんだか藤井くんみたい」
 綾乃さんがくすり笑う。
 俺は思い出す。
「コーヒーのどこがうまいのか、西村は理解できるか?」
「コーヒー牛乳なら分かるが」
「あれの九割は牛乳と砂糖の実力だ。あれじゃなくてブラックの話。正直まずいよな?」
「まずいとは思わないが、おいしくはないと思う」
 そもそも俺はブラックでなど飲んだことがなかった。
「なあ西村。思うんだけど、あれってうまくないところがうまいんじゃないか?」
「何が言いたいんだ?」
「つまりコーヒー自体がブランドだ。価値が低いから、無意味に高い価値をつけて人をひきつけるんだ。俺は世界中がコーヒー会社に洗脳されてると思う」
 見たところ綾乃さんはコーヒーに何も入れずに飲んでいるようだが、藤井は自分の彼女に対しても馬鹿げた持論を展開したのだろうか。
「西村くんがいいなら、少し早いけれど行きましょうか」
 俺たちは藤井のうちへ向かった。
 綾乃さんが玄関の呼び鈴を、一瞬のためらいのあと押した。
 今ならまだここから逃げ出すこともできる。俯いて逡巡しているうちに玄関のドアが開いてしまう。
 現れた藤井のお母さんは以前お邪魔したときより皺が深く、陰が濃くなったように思えた。やはりどこかぎこちない挨拶を交わし、靴を脱ぐ。お母さんに従って階段を登り、藤井の部屋に足を踏み入れた。
 四畳半の空間は、机や小さなテレビ、本棚などが以前と全く変わらずに置かれていた。俺のと色違いのアコースティックギターもケースに仕舞われることなく、壁に立てかけてある。机の上は混沌としていて、パソコンのディスプレイ、その手前にシンセサイザー、そのほかスピーカー、マイク、音楽・作曲関連の雑誌。たぶん迂闊に触れなかったのだろう。だがフローリングは綺麗に掃除されてほこりはなく、テレビの前をのた打ち回っていたゲームのコード類は整理されてテレビ棚の下に収納されていた。それだけで部屋が片付きすぎて、がらんとして見えたのは気のせいだろうか。
 お母さんが窓を開けた。隣家の軒と青空が見えた。
 綾乃さんは部屋を見渡し、そっと足を踏み出す。そこに存在する一つ一つのものから藤井という人間に関する何かを読み取ろうとするかのように、透き通った瞳で観察していた。特に机の上の音楽関連のものには感慨深げな視線を向け、ときおり溜め息をついていた。
 俺はギターに目を留めた。はっきり言ってあまり良い物ではなく、値段相応。
「ビッグになるまではこいつでいいんだ。ビッグになったらそのぶん高いやつ買うから」
 ビッグになったのに、買い替え損ねたな、と胸中で藤井に言った。
 お母さんが机の引き出しを開けて、いくつかノートを取り出して俺たちに見せた。
「こんなものがあるのだけど、私らが読んでも、ちっとも分からなくてね」
 綾乃さんが表紙にでかでかと書かれた藤井の筆跡を読んだ。
「音楽創作ノート……」
 全部で四冊あった。俺たちはそれを持って一階に降りた。居間のソファに腰掛けて読んでみることにした。お母さんが熱い緑茶を出してくれた。
「西村くん、私もたぶん分からないことがあるだろうから、お願いします」
 俺なんかが読んでもいいのか? いない藤井に尋ねる。
 綾乃さんが一冊目のノートをテーブルの上に広げた。

●俺は今日からDTMに挑戦する。何か新しいことに挑戦する時なのだ!

 一行目に決意が示されていた。
「DTMっていうのは、パソコンの中で作る音楽のことです」
 俺はお母さんと綾乃さんのために解説した。

●必要なもの:DAW× 無料の試してみる?
シンセ○
VSTプラグイン 無料の?
サンプラー 保留
 …………

 DTM初心者の藤井は、必要なソフトやら機材やらをいろいろ調べるところから始めたようだ。俺はさらっと解説して次に進む。

●とりあえず解説サイト見ながらフリーのシーケンサで一曲作る。三日以内にやる。できたら西村に送る。

 シーケンサというのはソフト上の鍵盤を楽譜に見立てて曲を書いていくソフトだ。これを使えば楽譜が読めなくても作曲が出来る。
「面倒になったか、早く曲作りたくて、難しいこと全部飛ばしたみたいです」
 翌日の日付には、完成した曲について書かれていた。

●『ありがちな洞窟』が完成した。初めてにしては悪くない出来。ドラクエのBGMとして採用されてもおかしくない。

「藤井くん、自信満々ですね」
 しばらくフリーのシーケンサを使ってBGMを作る日が続いた。三曲ほど作って飽きてきたらしく、DAWやらVSTプラグインやら、本格的な作曲のほうに藤井の意識は向かっていく。

●フォーピースバンドを想定して処女作の作成開始!

 さらにはどこから仕入れてきた情報か、音楽理論や作曲のコツ、豆知識などがたくさん書き込まれ始めた。

●サビのメロディだけ完成! 曲名未定! 歌詞は曲が出来上がってからでいいだろうか。

 どうやら現段階ではネットからフリーのソフトと楽器の音データを集めてきて、限られた素材でいろいろ試しているらしい。

●サビにドラムとベース、シンセを付け終わる。

 ドラムの基礎知識やら、バンドにおけるベースの役割の重要性やらのメモもあり、ギター以外の楽器についても興味を持ち出したのがうかがえる。
 俺も昔DTMにはまり始めたころのことを思い出した。当然、ギター以外の楽器のパートも作らなければならないわけで、そうするとそれらの楽器の知識も欠かせない。楽器にはそれぞれ役割があり、得意な表現があり、音域があり……これをかじると普段何気なく聞いている音楽が全く違って聞こえてくるのだ。あの頃はベースもドラムもピアノも全てやってみたい衝動を抑えるのが大変だった。

●Aメロ、Bメロを作り始める。でもサビの雰囲気に合ったのが作れない。

●Aメロ作り直し。でもどこかで聞いたことあるようなメロディ……。こんなのそこらじゅうにあふれてる。

 Aメロ、Bメロを作るのに相当苦労したらしい。何度か作り直したという記述。

●ドラムが全部完成。しかし単調すぎるのでどうにかしたい。どうやればもっとノリがよくなるのか分からない。

●ベースラインがつまらない。アイデアが出ない。もうこれ以上、うまく直せる気がしない。

●なんか音が全体的に薄っぺらい。ひどい。なんか幼稚すぎる。プロが作ったのと違いすぎる。とにかく適当にいろいろ入れてみた。もうフォーピースバンドじゃない。ジュッピースくらいになってる。

「藤井くんの曲がちょっとごちゃごちゃしているのは、このときからでしょうか」
 綾乃さんが推測する。たぶんその通りだ。
 例えばベースという楽器は曲に厚みを持たせる。ベースの音だけを抜いてみると、いかにも音がスカスカして薄っぺらく聞こえるのだ。このとき藤井はまだうまくベースのパートを作れていなかったのだろうし、増してそれぞれの楽器を得意な音域で響かせることもできなかったに違いない。だから藤井の曲は薄っぺらく聞こえていた。そこで、音をごちゃごちゃとたくさん上乗せすることで、この薄さを補おうとしたのだ。
 結局出来上がった藤井の処女作は薄いどころかむしろ音が重なりすぎてごちゃごちゃしていたのだが、後年はこれが改善されて独特の厚みを持った曲が出来上がっていく。さらには楽器以外からサンプリングした音を使いまくるようになり、藤井らしいごちゃごちゃが極まっていき、現在の藤井の独特の音楽が完成したと言える。
 俺はここまで読み進める中で、何か漠然とした違和感を感じていた。理由は分からない。しかし何か不自然で、俺の知っている藤井とはズレているような――。



●処女作の歌詞以外完成! 俺の才能やばすぎ!

「藤井くん、自画自賛ですね」
 綾乃さんが苦笑した。お母さんは懐かしそうに
「昔から走り出すと、もうどこまでも走って行っちゃって、止まらないんですよ」
 と言った。

●ボカロ購入! とりあえずラララで歌わせることに成功!!!

「びっくりマーク、太く書きすぎですね」
 と綾乃さん。紙面に書きなぐられた大根みたいなぶっといびっくりマーク三本から、藤井の喜びが伝わってくる。
 そして作詞作業が始まった。紙面には思いつきを片っ端からメモしていったような、言葉がずらりと並んでいる。

●グッドラック! ドラッグ! 最高の気分さ。イェイイェ。天国へトリップ! キミのリップ! 天使のキミに会えてグッドモーニング! …………

「こういうのは俺だったら絶対見られたくないです」
「あ、そうですね……」
「…………」
 ページをどんどんめくった。
 
●俺には作詞の才能がない。ひどい。ださい。

「気づいたみたいですね」
「案外早かったですね」
 しかし妥協してよく分からん歌詞のまま完成に至った。

●調教いまいち。しかしマスタリング完了! ついに傑作が完成!

●西村曰く、全体的につたない。これじゃ厳しいらしい。投稿はやめといたほうがいいとのこと。どうしようか悩む。確かに言われてみれば俺の曲はプロのと比べてしょぼい。どう考えてもランキング入りはできない気がする。だったら投稿する意味があるのか?

「ここに書いてある通り、俺は藤井に、曲の発表はやめたほうがいいと言ったことがあります。だけどあいつはネット上に投稿しました」
 そう。あいつは俺に何を言われてもポジティブだった。
 今、違和感の正体が分かった。このノートに気持ちを綴っている藤井は、確かに藤井らしいポジティブさも見受けられるが、全体的にはネガティブな言葉が多い。それが、俺の知っているあいつの印象とは異なるのだ。
 あいつは創作で悩みもせず、躊躇いもせず、自分が思うがままに次々と作品を世に出した。それが俺の知っている藤井。

●初投稿してやった!!! チョー緊張!

 そして再生数とお気に入りリストへの登録数がグラフ化されている。再生数は投稿初日に10回になり、それから勢いが弱まり、一か月後には32で増加しなくなった。お気に入りリストへの登録数は、2のままずっと変動なしだった。一か月でグラフは終わっていた。これ以上の記録は虚しいだけと気づいたのか。

●西村の言うとおりだった。全然相手にされていない。ほとんど批判のコメントばっかり。クズって書いたやつのほうがクズ。

「今あいつがメジャーデビューまでこぎつけたのを考えれば、本当に見る目がなかったのは俺ですね」
 俺は自嘲的に言った。あいつはすごい。全然相手にされなくても、次の曲を作ろうと思い、実際に作ってしまったのだから。俺はずっと足踏みをしているだけなのに。
「そんなことないですよ。あの子には、あなたのようにブレーキをかけてくれる人が必要だったはずですから」
 お母さんは静かに藤井の文字を見つめている。

●西村に全然反響がなかったことを伝えた。そうしたら「予想通りだけど何回聞いても厚みというか鬱陶しさだけはすげえよな」と言っていた。少しやる気が出た。二作目を作り始めようと思う。

「これって誉め言葉だったんですか?」
 綾乃さんが尋ねてきた。
「いやー……あんまり覚えてないんですけど、誉めたつもりは……」
「じゃあもしかして、何回も聞いてくれてる、というところが効いたのでしょうか」
「確かにこう言ったかもしれないですけど、実際二、三回しか聞いてないですよ俺」
「私には難しいことは分からないですが……あの子が音楽に一生懸命になっていたのは、きっとあなたのおかげだったんですね」
 お母さんが俺を見て、なぜか納得したように呟いた。俺は少し動揺して、
「あの……どうして急にそんなふうに思ったんですか。俺なんかいなくても、藤井、くんは音楽やっていたと思うんですけど」
「だってあの子、あなたの言葉をすごく信頼していると言いますか、私にはそんな気がしてきました。すごく影響を受けているように見えました」
「西村くんの影響は、実際すごかったと私も思います。たぶん西村くんがいなかったら、藤井くんがメジャーデビューするなんてなかったんじゃないでしょうか」
 なんだか、この人たちは俺を買いかぶりすぎていると思う。藤井の才能は藤井のもので、俺は一曲すらまともに完成させたことのない三流だ。確かに藤井は俺と出会ってから、ギターやDTMに手を出したのかもしれない。当時の藤井の目には、俺は音楽に関して一歩進んだ憧れの対象に見えていたのかもしれない。だけど俺と会う前からそもそも藤井は音楽に強い興味を持っていたし、いずれこの道に進んでいたのではないか。そして人気アーティストの仲間入りを果たし、メジャーデビューの話が舞い込んでいただろう。
 俺はノートをめくる。二作目、三作目についての記述がある。二作目は、再生数とお気に入り登録数の記録はほとんど変化がない。三作目で、せいぜい200回。しょぼいが、一作目の再生数32回よりだいぶいい。
 ノートは三冊目へ。


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時代の変化に取り残されたような小さなカフェだった。そういう古き良き雰囲気を売りにしているのではなく、単純にボロいだけに見える。営業中という札が入口のドアにかかっていなかったら、通り過ぎていただろう。
「大通りから藤井くんのうちの細い通りに入る角に喫茶店があるでしょう? まだ少し時間があるから、そこでコーヒーでも飲んでいますね」
 去り際に聞いた言葉通り、綾乃さんはそこでコーヒーを飲んでいた。俺はそわそわしながら向かいの椅子へ座った。
「西村くん、こっちのほうがいいと思います」
 俺の格好を見て綾乃さんがからかうように言った。藤井の両親に会うとあって、一番綺麗そうな、しかし派手ではない服を見つけてきた。シャワーも浴びて髭も剃ってある。
「さすがにあれはなかったです」
「だね。コーヒーでいい?」
「いいえ、いいです。コーヒー苦手なんで」
「紅茶もおいしいのだけど」
「こういう上品な飲み物って、あんまり俺には合ってないというか。俺のことは気にしないでください」
 カネがないなんて言ったらおごられるような気がしたので、そういうことにしておいた。
「上品っていうほどでもないと思いますけど。なんだか藤井くんみたい」
 綾乃さんがくすり笑う。
 俺は思い出す。
「コーヒーのどこがうまいのか、西村は理解できるか?」
「コーヒー牛乳なら分かるが」
「あれの九割は牛乳と砂糖の実力だ。あれじゃなくてブラックの話。正直まずいよな?」
「まずいとは思わないが、おいしくはないと思う」
 そもそも俺はブラックでなど飲んだことがなかった。
「なあ西村。思うんだけど、あれってうまくないところがうまいんじゃないか?」
「何が言いたいんだ?」
「つまりコーヒー自体がブランドだ。価値が低いから、無意味に高い価値をつけて人をひきつけるんだ。俺は世界中がコーヒー会社に洗脳されてると思う」
 見たところ綾乃さんはコーヒーに何も入れずに飲んでいるようだが、藤井は自分の彼女に対しても馬鹿げた持論を展開したのだろうか。
「西村くんがいいなら、少し早いけれど行きましょうか」
 俺たちは藤井のうちへ向かった。
 綾乃さんが玄関の呼び鈴を、一瞬のためらいのあと押した。
 今ならまだここから逃げ出すこともできる。俯いて逡巡しているうちに玄関のドアが開いてしまう。
 現れた藤井のお母さんは以前お邪魔したときより皺が深く、陰が濃くなったように思えた。やはりどこかぎこちない挨拶を交わし、靴を脱ぐ。お母さんに従って階段を登り、藤井の部屋に足を踏み入れた。
 四畳半の空間は、机や小さなテレビ、本棚などが以前と全く変わらずに置かれていた。俺のと色違いのアコースティックギターもケースに仕舞われることなく、壁に立てかけてある。机の上は混沌としていて、パソコンのディスプレイ、その手前にシンセサイザー、そのほかスピーカー、マイク、音楽・作曲関連の雑誌。たぶん迂闊に触れなかったのだろう。だがフローリングは綺麗に掃除されてほこりはなく、テレビの前をのた打ち回っていたゲームのコード類は整理されてテレビ棚の下に収納されていた。それだけで部屋が片付きすぎて、がらんとして見えたのは気のせいだろうか。
 お母さんが窓を開けた。隣家の軒と青空が見えた。
 綾乃さんは部屋を見渡し、そっと足を踏み出す。そこに存在する一つ一つのものから藤井という人間に関する何かを読み取ろうとするかのように、透き通った瞳で観察していた。特に机の上の音楽関連のものには感慨深げな視線を向け、ときおり溜め息をついていた。
 俺はギターに目を留めた。はっきり言ってあまり良い物ではなく、値段相応。
「ビッグになるまではこいつでいいんだ。ビッグになったらそのぶん高いやつ買うから」
 ビッグになったのに、買い替え損ねたな、と胸中で藤井に言った。
 お母さんが机の引き出しを開けて、いくつかノートを取り出して俺たちに見せた。
「こんなものがあるのだけど、私らが読んでも、ちっとも分からなくてね」
 綾乃さんが表紙にでかでかと書かれた藤井の筆跡を読んだ。
「音楽創作ノート……」
 全部で四冊あった。俺たちはそれを持って一階に降りた。居間のソファに腰掛けて読んでみることにした。お母さんが熱い緑茶を出してくれた。
「西村くん、私もたぶん分からないことがあるだろうから、お願いします」
 俺なんかが読んでもいいのか? いない藤井に尋ねる。
 綾乃さんが一冊目のノートをテーブルの上に広げた。
●俺は今日からDTMに挑戦する。何か新しいことに挑戦する時なのだ!
 一行目に決意が示されていた。
「DTMっていうのは、パソコンの中で作る音楽のことです」
 俺はお母さんと綾乃さんのために解説した。
●必要なもの:DAW× 無料の試してみる?
シンセ○
VSTプラグイン 無料の?
サンプラー 保留
 …………
 DTM初心者の藤井は、必要なソフトやら機材やらをいろいろ調べるところから始めたようだ。俺はさらっと解説して次に進む。
●とりあえず解説サイト見ながらフリーのシーケンサで一曲作る。三日以内にやる。できたら西村に送る。
 シーケンサというのはソフト上の鍵盤を楽譜に見立てて曲を書いていくソフトだ。これを使えば楽譜が読めなくても作曲が出来る。
「面倒になったか、早く曲作りたくて、難しいこと全部飛ばしたみたいです」
 翌日の日付には、完成した曲について書かれていた。
●『ありがちな洞窟』が完成した。初めてにしては悪くない出来。ドラクエのBGMとして採用されてもおかしくない。
「藤井くん、自信満々ですね」
 しばらくフリーのシーケンサを使ってBGMを作る日が続いた。三曲ほど作って飽きてきたらしく、DAWやらVSTプラグインやら、本格的な作曲のほうに藤井の意識は向かっていく。
●フォーピースバンドを想定して処女作の作成開始!
 さらにはどこから仕入れてきた情報か、音楽理論や作曲のコツ、豆知識などがたくさん書き込まれ始めた。
●サビのメロディだけ完成! 曲名未定! 歌詞は曲が出来上がってからでいいだろうか。
 どうやら現段階ではネットからフリーのソフトと楽器の音データを集めてきて、限られた素材でいろいろ試しているらしい。
●サビにドラムとベース、シンセを付け終わる。
 ドラムの基礎知識やら、バンドにおけるベースの役割の重要性やらのメモもあり、ギター以外の楽器についても興味を持ち出したのがうかがえる。
 俺も昔DTMにはまり始めたころのことを思い出した。当然、ギター以外の楽器のパートも作らなければならないわけで、そうするとそれらの楽器の知識も欠かせない。楽器にはそれぞれ役割があり、得意な表現があり、音域があり……これをかじると普段何気なく聞いている音楽が全く違って聞こえてくるのだ。あの頃はベースもドラムもピアノも全てやってみたい衝動を抑えるのが大変だった。
●Aメロ、Bメロを作り始める。でもサビの雰囲気に合ったのが作れない。
●Aメロ作り直し。でもどこかで聞いたことあるようなメロディ……。こんなのそこらじゅうにあふれてる。
 Aメロ、Bメロを作るのに相当苦労したらしい。何度か作り直したという記述。
●ドラムが全部完成。しかし単調すぎるのでどうにかしたい。どうやればもっとノリがよくなるのか分からない。
●ベースラインがつまらない。アイデアが出ない。もうこれ以上、うまく直せる気がしない。
●なんか音が全体的に薄っぺらい。ひどい。なんか幼稚すぎる。プロが作ったのと違いすぎる。とにかく適当にいろいろ入れてみた。もうフォーピースバンドじゃない。ジュッピースくらいになってる。
「藤井くんの曲がちょっとごちゃごちゃしているのは、このときからでしょうか」
 綾乃さんが推測する。たぶんその通りだ。
 例えばベースという楽器は曲に厚みを持たせる。ベースの音だけを抜いてみると、いかにも音がスカスカして薄っぺらく聞こえるのだ。このとき藤井はまだうまくベースのパートを作れていなかったのだろうし、増してそれぞれの楽器を得意な音域で響かせることもできなかったに違いない。だから藤井の曲は薄っぺらく聞こえていた。そこで、音をごちゃごちゃとたくさん上乗せすることで、この薄さを補おうとしたのだ。
 結局出来上がった藤井の処女作は薄いどころかむしろ音が重なりすぎてごちゃごちゃしていたのだが、後年はこれが改善されて独特の厚みを持った曲が出来上がっていく。さらには楽器以外からサンプリングした音を使いまくるようになり、藤井らしいごちゃごちゃが極まっていき、現在の藤井の独特の音楽が完成したと言える。
 俺はここまで読み進める中で、何か漠然とした違和感を感じていた。理由は分からない。しかし何か不自然で、俺の知っている藤井とはズレているような――。
●処女作の歌詞以外完成! 俺の才能やばすぎ!
「藤井くん、自画自賛ですね」
 綾乃さんが苦笑した。お母さんは懐かしそうに
「昔から走り出すと、もうどこまでも走って行っちゃって、止まらないんですよ」
 と言った。
●ボカロ購入! とりあえずラララで歌わせることに成功!!!
「びっくりマーク、太く書きすぎですね」
 と綾乃さん。紙面に書きなぐられた大根みたいなぶっといびっくりマーク三本から、藤井の喜びが伝わってくる。
 そして作詞作業が始まった。紙面には思いつきを片っ端からメモしていったような、言葉がずらりと並んでいる。
●グッドラック! ドラッグ! 最高の気分さ。イェイイェ。天国へトリップ! キミのリップ! 天使のキミに会えてグッドモーニング! …………
「こういうのは俺だったら絶対見られたくないです」
「あ、そうですね……」
「…………」
 ページをどんどんめくった。
●俺には作詞の才能がない。ひどい。ださい。
「気づいたみたいですね」
「案外早かったですね」
 しかし妥協してよく分からん歌詞のまま完成に至った。
●調教いまいち。しかしマスタリング完了! ついに傑作が完成!
●西村曰く、全体的につたない。これじゃ厳しいらしい。投稿はやめといたほうがいいとのこと。どうしようか悩む。確かに言われてみれば俺の曲はプロのと比べてしょぼい。どう考えてもランキング入りはできない気がする。だったら投稿する意味があるのか?
「ここに書いてある通り、俺は藤井に、曲の発表はやめたほうがいいと言ったことがあります。だけどあいつはネット上に投稿しました」
 そう。あいつは俺に何を言われてもポジティブだった。
 今、違和感の正体が分かった。このノートに気持ちを綴っている藤井は、確かに藤井らしいポジティブさも見受けられるが、全体的にはネガティブな言葉が多い。それが、俺の知っているあいつの印象とは異なるのだ。
 あいつは創作で悩みもせず、躊躇いもせず、自分が思うがままに次々と作品を世に出した。それが俺の知っている藤井。
●初投稿してやった!!! チョー緊張!
 そして再生数とお気に入りリストへの登録数がグラフ化されている。再生数は投稿初日に10回になり、それから勢いが弱まり、一か月後には32で増加しなくなった。お気に入りリストへの登録数は、2のままずっと変動なしだった。一か月でグラフは終わっていた。これ以上の記録は虚しいだけと気づいたのか。
●西村の言うとおりだった。全然相手にされていない。ほとんど批判のコメントばっかり。クズって書いたやつのほうがクズ。
「今あいつがメジャーデビューまでこぎつけたのを考えれば、本当に見る目がなかったのは俺ですね」
 俺は自嘲的に言った。あいつはすごい。全然相手にされなくても、次の曲を作ろうと思い、実際に作ってしまったのだから。俺はずっと足踏みをしているだけなのに。
「そんなことないですよ。あの子には、あなたのようにブレーキをかけてくれる人が必要だったはずですから」
 お母さんは静かに藤井の文字を見つめている。
●西村に全然反響がなかったことを伝えた。そうしたら「予想通りだけど何回聞いても厚みというか鬱陶しさだけはすげえよな」と言っていた。少しやる気が出た。二作目を作り始めようと思う。
「これって誉め言葉だったんですか?」
 綾乃さんが尋ねてきた。
「いやー……あんまり覚えてないんですけど、誉めたつもりは……」
「じゃあもしかして、何回も聞いてくれてる、というところが効いたのでしょうか」
「確かにこう言ったかもしれないですけど、実際二、三回しか聞いてないですよ俺」
「私には難しいことは分からないですが……あの子が音楽に一生懸命になっていたのは、きっとあなたのおかげだったんですね」
 お母さんが俺を見て、なぜか納得したように呟いた。俺は少し動揺して、
「あの……どうして急にそんなふうに思ったんですか。俺なんかいなくても、藤井、くんは音楽やっていたと思うんですけど」
「だってあの子、あなたの言葉をすごく信頼していると言いますか、私にはそんな気がしてきました。すごく影響を受けているように見えました」
「西村くんの影響は、実際すごかったと私も思います。たぶん西村くんがいなかったら、藤井くんがメジャーデビューするなんてなかったんじゃないでしょうか」
 なんだか、この人たちは俺を買いかぶりすぎていると思う。藤井の才能は藤井のもので、俺は一曲すらまともに完成させたことのない三流だ。確かに藤井は俺と出会ってから、ギターやDTMに手を出したのかもしれない。当時の藤井の目には、俺は音楽に関して一歩進んだ憧れの対象に見えていたのかもしれない。だけど俺と会う前からそもそも藤井は音楽に強い興味を持っていたし、いずれこの道に進んでいたのではないか。そして人気アーティストの仲間入りを果たし、メジャーデビューの話が舞い込んでいただろう。
 俺はノートをめくる。二作目、三作目についての記述がある。二作目は、再生数とお気に入り登録数の記録はほとんど変化がない。三作目で、せいぜい200回。しょぼいが、一作目の再生数32回よりだいぶいい。
 ノートは三冊目へ。