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2.残像の軌跡-2

ー/ー



 ルイフォンのいる小部屋の扉が再び開いたのは、彼がすっかりスープを平らげ、携帯端末を使って、今回の作戦の報告をまとめているときのことだった。
 小さな画面での作業は効率が悪かったが、じっとしていられなかったのだ。
「ルイフォンさん、お迎えがきましたよ」
 入ってきたのは、意外なことにレイウェンだった。初めにシャンリーが案内してくれたので、てっきり、また彼女が来ると思っていたのだ。
「ありがとうございます」
 ルイフォンは手を止めて、レイウェンに頭を下げる。
 彼が苦手というわけではないのだが、レイウェンを前にすると何故か背筋が伸びる。見慣れた鷹刀一族特有の美麗な顔立ちに、柔らかな物腰が加わると、どうにも落ち着かないらしい。
「報告書をまとめていたのですか」
 レイウェンは、同じ顔をした他の一族の者では、決してあり得ないような甘やかな笑みをこぼし、ごくごく自然な動作でルイフォンの向かいに腰を下ろした。
「!?」
 迎えが来たからには、ルイフォンは鷹刀一族の屋敷に戻るわけだ。だから、身支度を整え、携帯端末をしまおうとしていた。
 なのに、レイウェンは目の前に座った。どう反応したらよいのか、ルイフォンは戸惑う。
「良い目をしていますね」
 彼の狼狽は伝わっているであろうに、まるで動じない穏やかな低音が響く。折り目正しくありながらも、決して堅苦しさを感じさせない、絶妙な具合いで座る(さま)は、実に優美だ。
「あ……、ええと……。お世話になりました」
 ルイフォンらしくもなく動揺し、口ごもった。
 彼にとって、レイウェンは『リュイセンの兄』という認識だ。
 リュイセンと同じく『ルイフォンの年上の甥』ではあるのだが、心情的には、あくまでも『リュイセンの兄』。リュイセンを間に挟んだ関係だ。
 そんな『遠い血族』のレイウェンが、ルイフォンにいったい、なんの話があるというのだろう。
 ……やはり、リュイセンの話だろうか。
 生死不明の弟に関して、その原因を作ったルイフォンと話をしたい――と。
 ルイフォンは腹に力を入れ、レイウェンに正面から向き合った。
 その瞬間。
 レイウェンが、朗らかな春の陽射しのように、柔らかに微笑んだ。
「その目……キリファさんにそっくりだよ」
「!? …………なんで、ここで、母さん……?」
 あまりにも予想外の発言に、ルイフォンは言葉が続かず、口をぱくぱくとさせる。
 一方のレイウェンは、切なげで、それでいて(いと)しげな眼差しを、じっとルイフォンに注いでいた。
「……参ったな。君を見送る前に、何か、ひとことくらい良い感じのことを言ってみたかったのだけど……その必要はないね。シャンリーに先攻を取られたのが敗因かな」
 悔しいな、と言わんばかりに、とレイウェンは微苦笑を漏らした。
「レイウェン……?」
 口調すら変わってしまった彼に、ルイフォンは瞬きを繰り返す。
「君からすれば、私なんか『よく知らない、親戚のおじさん』だろうけれど、私はずっと君を見ていたよ? 『ああ、キリファさんの息子だなぁ』ってね」
『叔父さん』は、俺のほうだ――と、内心で突っ込むが、レイウェンの感慨深げな様子を前に、そんな軽口はとても叩けない。故にルイフォンは、中途半端に口を開けたまま、レイウェンを凝視する羽目になった。
「私はね、ずっと君とふたりで話したいと思っていたよ。だから、さっき我が家を頼ってくれたときには嬉しかったし、同時に君の心を心配した」
「……っ」
 レイウェンの草薙家を頼ったのは、ハオリュウの車で行ける場所を選んだだけだ。なのに、喜ばれてしまうとは、申し訳ない気がする。
「――けど、今の君には野暮なだけだね。残念だけど、このまま黙って迎えの者のところに送るよ」
 そう言って立ち上がりかけたレイウェンに、ルイフォンは手を伸ばす。
「ちょ、ちょっと待て、レイウェン!」
 反射的に呼び止めた。嬉しそうに母キリファの名前を口にして、その息子だからと、ルイフォンに好意的なレイウェンに納得できなかったのだ。
「……母さんは、レイウェンにとって『邪魔な父親の愛人』じゃなかったのか?」
 キリファと正妻のユイランが、思っていたほど仲が悪くなかったことは、最近になって知った。けれど、父親の愛人など、やはり気持ちのよいものではないはずだ。
 それなのに、何故こんなにも懐かしんでくれるのだろう。
「何を言っているんだい? キリファさんは素敵な人だよ。不思議で、魅力的だった。私もシャンリーも、彼女が大好きだったよ」
「…………。……『あの』母さんを……?」
 ルイフォンの頬が、ぴくぴくと引きつる。そんな彼とは対象的に、レイウェンは穏やかに目元を緩めた。
「キリファさんは足が不自由で思うように動けないのに、見てもいない遠くのことまで、なんでも知っていた。子供の私には、不思議だったよ」
「……」
 母はクラッカーだ。そのくらい、お手のものだろう。
「いろいろな情報を面白おかしく、時に嘘まで教えてくれて、『騙されるほうが馬鹿なのよ?』なんて言われたりしてね」
「なっ……! ……母さんなら言いかねない」
 子供を相手に、駄目だろう。
 あまりに大人気(おとなげ)のない母に、ルイフォンは赤面する。過去の母の悪行のせいで、今ごろになって、息子の自分が恥ずかしい思いをするとは、極めて理不尽である。
 レイウェンを引き止めたのは自分のほうであるが、話はこれで終わりにしたい。そろそろ屋敷に戻る、と切り出そうとしたときだった。
「『キリファさんの正体は、魔法使いに違いない』と、シャンリーと言い合ったものだよ。そしたらキリファさんが『そうよ。あたしは〈(フェレース)〉。魔術師(ウィザード)よ』ってね」
 そこで、ふっと、レイウェンはルイフォンを見つめた。
 母のキリファとそっくりな、猫の――〈(フェレース)〉の目を。
「今は、君が『魔術師(ウィザード)の〈(フェレース)〉』だね」
「……」
 ルイフォンの心に、何かが引っかかった。
 魔術師(ウィザード)――。
 伝説に残るようなコンピュータのエキスパートを、俗に魔術師(ウィザード)と呼ぶ。母は、間違いなく魔術師(ウィザード)だった。
 けれど、そんな呼び方を知らなくても、子供のレイウェンは母を魔法使いだと思った。

『……見てもいない遠くのことまで、なんでも知っていた』

 だから。
 魔法使い――魔術師(ウィザード)だと。
 心がざわつく。何かが、気になる。
「……? どうしたんだい?」
 急に表情を変えた彼に、レイウェンが訝しげに首をかしげる。
「……あ、いや……」
 この感覚をレイウェンに説明できるわけもなく、ルイフォンは誤魔化すように視線を下げた。……そこにテーブルが――書きかけの報告書が入力されている携帯端末があった。
「!」
 リュイセンの生死が『不明』とされていた。
「『不明(分からねぇ)』だと……?」
 そんな曖昧な情報は『〈(フェレース)〉』の報告ではない。
 母なら、この場を一歩も動かずに、リュイセンの生死を知ることができるはずだ。魔術師(ウィザード)は、見てもいない遠くのことまで、なんでも知っているのだから。
「レイウェン!」
 ルイフォンは、猫の目を鋭く光らせた。
「迎えの奴に『少し待ってくれ』と言ってほしい。〈(フェレース)〉は『リュイセンの生死が『不明』』などという、いい加減な情報を持ち帰るわけにはいかないんだ。――これから調べる」
 断言する。
 それが、母から〈(フェレース)〉の名を受け継いだ、ルイフォンのあるべき姿だ。
「他の奴ならともかく、俺は〈(フェレース)〉――『鷹刀の対等な協力者』だ。リュイセンがどうなったか、はっきりさせないうちに鷹刀の敷居はまたげない。我儘を言ってすまない」
 父イーレオは『戻ってこい』と言った。
 だがそれは、『総帥』の言葉ではなく、『〈(フェレース)〉』への言葉でもなかった。あれは『血族』への――『息子(こども)』への言葉だ。
「さすが、〈(フェレース)〉だね」
 レイウェンは頷き、すぐさま携帯端末でシャンリーに連絡を入れる。その際、ルイフォンの変貌ぶりを事細(ことこま)かに、本人が聞いていたら尻がむず(かゆ)くなるほどの褒め言葉で伝えたのだが、幸いなことにルイフォンは気づいていなかった。
 何故なら、今のルイフォンには周りの様子など何も見えていなかったからだ。彼の思考は既に異次元へと旅立ち、彼の双眸は何も映していなかった。
 癖のある、猫のように豊かな表情が消えていき、端正で無機質な素顔が現れる。ルイフォンのもうひとつの顔。情報屋〈(フェレース)〉の顔だ。
 彼は、半ば朦朧(もうろう)とした状態で、携帯端末を繰る。まずは、あの館に残されたリュイセンの情報を得るべく、監視カメラを確認するのだ。
 だが――。
「監視カメラの電源が切られている!」
 ルイフォンにとって想定外の事態――だが、憂慮しておくべき事態だった。
(ムスカ)〉も馬鹿ではない。ルイフォンが侵入したという事実から、監視カメラが乗っ取られていると、すぐに推測したのだ。機器類に明るくない彼が、電源を落とすという対策をしたのも、実に効果的。電脳世界の情報屋に対して、非常に有効な対抗手段だ。
「――っ、糞!」
 ルイフォンはテーブルに肘を付き、髪を掻きむしる。
 冷静になれ――。
(フェレース)〉のプライドの問題だけでなく、『リュイセンの生死』は誰もが知りたい、重要な情報だ。必ず手に入れる必要がある。
 リュイセンは致命傷を負っていた。
 最後に見た、あの満足げな笑顔は、今生の別れを告げていた。
 即死かもしれない。――即死でないかもしれない。
 即死でなければ、〈(ムスカ)〉はとどめを刺したのか。それとも……。

 ――あのあと、リュイセンはどうなったのか……?

「!」
 頭の中の歯車が、かちりと噛み合った。ルイフォンは、弾かれたように携帯端末に指を走らせる。
 はやる気持ちに対して、小さな端末の処理速度がもどかしい。すっと細くなった猫の目が、睨みつけるように携帯端末の画面を見つめる。
 あの館のセキュリティは、たいして高くない。
 ()り処さえ分かれば、あの『記録』を引き出すことは容易だ。
(フェレース)〉ならば、できる。
 そして――。
「あった……!」
 飛びつくようにして、『記録』を手に入れた。
 そして興奮のまま、中身の確認もせずに、そばで見守っていたレイウェンに向かって叫んだ。
「レイウェン! 待たせてすまない」
 ルイフォンは、携帯端末から勢いよく顔を上げた。背中で、今までじっとしていた金の鈴が大きく飛び跳ね、鋭い光を散らす。
 ずっと座って作業していたにも関わらず、全力で走り続けていたかのように肩で息をしていた。レイウェンが、思わず「大丈夫かい?」と尋ねるが、そんな声は耳に入らない。
「俺たちが〈(ムスカ)〉と対峙していたとき、あの部屋の監視カメラが撮っていた映像の『記録』を手に入れました」
 監視カメラが撮った映像は、記録装置に残される。〈(ムスカ)〉はカメラの電源は落としたが、記録装置の電源を落とすことまでは頭が回らなかった。
「何かの事件が起きたときに、あとから防犯カメラの記録を調べるのと同じです。この『記録』を見れば、過去を――俺が逃げた『あと』のことを知ることができる……」
 そのとき、ルイフォンは、はっと気づいた。
『記録』を見るということは、すなわち――。

『リュイセンの死』を知ることになるかもしれない……。

 端末を握る手が、小刻みに揺れた。
 掌は汗でしっとりと濡れ、鼓動は早鐘のように鳴っていた。情報を得ることに夢中になっていた間は平然としていたのに、いざ真実を知る段になったら、とたんに膝が震えてきた。
 ああ、そうか――と思った。
(フェレース)〉は、どんな情報も、冷静に手に入れる。
 けれど、『リュイセンの弟分』は、知ることが怖かったのかもしれない。だから、〈(フェレース)〉であることを忘れ、目を背けた。
 それでも、逃げるわけにはいかない。――今度こそ。
「私も一緒に見て、構わないね?」
 穏やかな低音が、優しく響いた。
 そしてルイフォンの返事を待たずに、レイウェンが向かいのソファーから、こちら側へと移動してくる。
「はい」
 弱くて、情けないかもしれない。
 けれど、ここにレイウェンがいてくれたことに、ルイフォンは心から感謝した。


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 ルイフォンのいる小部屋の扉が再び開いたのは、彼がすっかりスープを平らげ、携帯端末を使って、今回の作戦の報告をまとめているときのことだった。
 小さな画面での作業は効率が悪かったが、じっとしていられなかったのだ。
「ルイフォンさん、お迎えがきましたよ」
 入ってきたのは、意外なことにレイウェンだった。初めにシャンリーが案内してくれたので、てっきり、また彼女が来ると思っていたのだ。
「ありがとうございます」
 ルイフォンは手を止めて、レイウェンに頭を下げる。
 彼が苦手というわけではないのだが、レイウェンを前にすると何故か背筋が伸びる。見慣れた鷹刀一族特有の美麗な顔立ちに、柔らかな物腰が加わると、どうにも落ち着かないらしい。
「報告書をまとめていたのですか」
 レイウェンは、同じ顔をした他の一族の者では、決してあり得ないような甘やかな笑みをこぼし、ごくごく自然な動作でルイフォンの向かいに腰を下ろした。
「!?」
 迎えが来たからには、ルイフォンは鷹刀一族の屋敷に戻るわけだ。だから、身支度を整え、携帯端末をしまおうとしていた。
 なのに、レイウェンは目の前に座った。どう反応したらよいのか、ルイフォンは戸惑う。
「良い目をしていますね」
 彼の狼狽は伝わっているであろうに、まるで動じない穏やかな低音が響く。折り目正しくありながらも、決して堅苦しさを感じさせない、絶妙な具合いで座る|様《さま》は、実に優美だ。
「あ……、ええと……。お世話になりました」
 ルイフォンらしくもなく動揺し、口ごもった。
 彼にとって、レイウェンは『リュイセンの兄』という認識だ。
 リュイセンと同じく『ルイフォンの年上の甥』ではあるのだが、心情的には、あくまでも『リュイセンの兄』。リュイセンを間に挟んだ関係だ。
 そんな『遠い血族』のレイウェンが、ルイフォンにいったい、なんの話があるというのだろう。
 ……やはり、リュイセンの話だろうか。
 生死不明の弟に関して、その原因を作ったルイフォンと話をしたい――と。
 ルイフォンは腹に力を入れ、レイウェンに正面から向き合った。
 その瞬間。
 レイウェンが、朗らかな春の陽射しのように、柔らかに微笑んだ。
「その目……キリファさんにそっくりだよ」
「!? …………なんで、ここで、母さん……?」
 あまりにも予想外の発言に、ルイフォンは言葉が続かず、口をぱくぱくとさせる。
 一方のレイウェンは、切なげで、それでいて|愛《いと》しげな眼差しを、じっとルイフォンに注いでいた。
「……参ったな。君を見送る前に、何か、ひとことくらい良い感じのことを言ってみたかったのだけど……その必要はないね。シャンリーに先攻を取られたのが敗因かな」
 悔しいな、と言わんばかりに、とレイウェンは微苦笑を漏らした。
「レイウェン……?」
 口調すら変わってしまった彼に、ルイフォンは瞬きを繰り返す。
「君からすれば、私なんか『よく知らない、親戚のおじさん』だろうけれど、私はずっと君を見ていたよ? 『ああ、キリファさんの息子だなぁ』ってね」
『叔父さん』は、俺のほうだ――と、内心で突っ込むが、レイウェンの感慨深げな様子を前に、そんな軽口はとても叩けない。故にルイフォンは、中途半端に口を開けたまま、レイウェンを凝視する羽目になった。
「私はね、ずっと君とふたりで話したいと思っていたよ。だから、さっき我が家を頼ってくれたときには嬉しかったし、同時に君の心を心配した」
「……っ」
 レイウェンの草薙家を頼ったのは、ハオリュウの車で行ける場所を選んだだけだ。なのに、喜ばれてしまうとは、申し訳ない気がする。
「――けど、今の君には野暮なだけだね。残念だけど、このまま黙って迎えの者のところに送るよ」
 そう言って立ち上がりかけたレイウェンに、ルイフォンは手を伸ばす。
「ちょ、ちょっと待て、レイウェン!」
 反射的に呼び止めた。嬉しそうに母キリファの名前を口にして、その息子だからと、ルイフォンに好意的なレイウェンに納得できなかったのだ。
「……母さんは、レイウェンにとって『邪魔な父親の愛人』じゃなかったのか?」
 キリファと正妻のユイランが、思っていたほど仲が悪くなかったことは、最近になって知った。けれど、父親の愛人など、やはり気持ちのよいものではないはずだ。
 それなのに、何故こんなにも懐かしんでくれるのだろう。
「何を言っているんだい? キリファさんは素敵な人だよ。不思議で、魅力的だった。私もシャンリーも、彼女が大好きだったよ」
「…………。……『あの』母さんを……?」
 ルイフォンの頬が、ぴくぴくと引きつる。そんな彼とは対象的に、レイウェンは穏やかに目元を緩めた。
「キリファさんは足が不自由で思うように動けないのに、見てもいない遠くのことまで、なんでも知っていた。子供の私には、不思議だったよ」
「……」
 母はクラッカーだ。そのくらい、お手のものだろう。
「いろいろな情報を面白おかしく、時に嘘まで教えてくれて、『騙されるほうが馬鹿なのよ?』なんて言われたりしてね」
「なっ……! ……母さんなら言いかねない」
 子供を相手に、駄目だろう。
 あまりに|大人気《おとなげ》のない母に、ルイフォンは赤面する。過去の母の悪行のせいで、今ごろになって、息子の自分が恥ずかしい思いをするとは、極めて理不尽である。
 レイウェンを引き止めたのは自分のほうであるが、話はこれで終わりにしたい。そろそろ屋敷に戻る、と切り出そうとしたときだった。
「『キリファさんの正体は、魔法使いに違いない』と、シャンリーと言い合ったものだよ。そしたらキリファさんが『そうよ。あたしは〈|猫《フェレース》〉。|魔術師《ウィザード》よ』ってね」
 そこで、ふっと、レイウェンはルイフォンを見つめた。
 母のキリファとそっくりな、猫の――〈|猫《フェレース》〉の目を。
「今は、君が『|魔術師《ウィザード》の〈|猫《フェレース》〉』だね」
「……」
 ルイフォンの心に、何かが引っかかった。
 |魔術師《ウィザード》――。
 伝説に残るようなコンピュータのエキスパートを、俗に|魔術師《ウィザード》と呼ぶ。母は、間違いなく|魔術師《ウィザード》だった。
 けれど、そんな呼び方を知らなくても、子供のレイウェンは母を魔法使いだと思った。
『……見てもいない遠くのことまで、なんでも知っていた』
 だから。
 魔法使い――|魔術師《ウィザード》だと。
 心がざわつく。何かが、気になる。
「……? どうしたんだい?」
 急に表情を変えた彼に、レイウェンが訝しげに首をかしげる。
「……あ、いや……」
 この感覚をレイウェンに説明できるわけもなく、ルイフォンは誤魔化すように視線を下げた。……そこにテーブルが――書きかけの報告書が入力されている携帯端末があった。
「!」
 リュイセンの生死が『不明』とされていた。
「『|不明《分からねぇ》』だと……?」
 そんな曖昧な情報は『〈|猫《フェレース》〉』の報告ではない。
 母なら、この場を一歩も動かずに、リュイセンの生死を知ることができるはずだ。|魔術師《ウィザード》は、見てもいない遠くのことまで、なんでも知っているのだから。
「レイウェン!」
 ルイフォンは、猫の目を鋭く光らせた。
「迎えの奴に『少し待ってくれ』と言ってほしい。〈|猫《フェレース》〉は『リュイセンの生死が『不明』』などという、いい加減な情報を持ち帰るわけにはいかないんだ。――これから調べる」
 断言する。
 それが、母から〈|猫《フェレース》〉の名を受け継いだ、ルイフォンのあるべき姿だ。
「他の奴ならともかく、俺は〈|猫《フェレース》〉――『鷹刀の対等な協力者』だ。リュイセンがどうなったか、はっきりさせないうちに鷹刀の敷居はまたげない。我儘を言ってすまない」
 父イーレオは『戻ってこい』と言った。
 だがそれは、『総帥』の言葉ではなく、『〈|猫《フェレース》〉』への言葉でもなかった。あれは『血族』への――『|息子《こども》』への言葉だ。
「さすが、〈|猫《フェレース》〉だね」
 レイウェンは頷き、すぐさま携帯端末でシャンリーに連絡を入れる。その際、ルイフォンの変貌ぶりを|事細《ことこま》かに、本人が聞いていたら尻がむず|痒《かゆ》くなるほどの褒め言葉で伝えたのだが、幸いなことにルイフォンは気づいていなかった。
 何故なら、今のルイフォンには周りの様子など何も見えていなかったからだ。彼の思考は既に異次元へと旅立ち、彼の双眸は何も映していなかった。
 癖のある、猫のように豊かな表情が消えていき、端正で無機質な素顔が現れる。ルイフォンのもうひとつの顔。情報屋〈|猫《フェレース》〉の顔だ。
 彼は、半ば|朦朧《もうろう》とした状態で、携帯端末を繰る。まずは、あの館に残されたリュイセンの情報を得るべく、監視カメラを確認するのだ。
 だが――。
「監視カメラの電源が切られている!」
 ルイフォンにとって想定外の事態――だが、憂慮しておくべき事態だった。
〈|蝿《ムスカ》〉も馬鹿ではない。ルイフォンが侵入したという事実から、監視カメラが乗っ取られていると、すぐに推測したのだ。機器類に明るくない彼が、電源を落とすという対策をしたのも、実に効果的。電脳世界の情報屋に対して、非常に有効な対抗手段だ。
「――っ、糞!」
 ルイフォンはテーブルに肘を付き、髪を掻きむしる。
 冷静になれ――。
〈|猫《フェレース》〉のプライドの問題だけでなく、『リュイセンの生死』は誰もが知りたい、重要な情報だ。必ず手に入れる必要がある。
 リュイセンは致命傷を負っていた。
 最後に見た、あの満足げな笑顔は、今生の別れを告げていた。
 即死かもしれない。――即死でないかもしれない。
 即死でなければ、〈|蝿《ムスカ》〉はとどめを刺したのか。それとも……。
 ――あのあと、リュイセンはどうなったのか……?
「!」
 頭の中の歯車が、かちりと噛み合った。ルイフォンは、弾かれたように携帯端末に指を走らせる。
 はやる気持ちに対して、小さな端末の処理速度がもどかしい。すっと細くなった猫の目が、睨みつけるように携帯端末の画面を見つめる。
 あの館のセキュリティは、たいして高くない。
 |在《あ》り処さえ分かれば、あの『記録』を引き出すことは容易だ。
〈|猫《フェレース》〉ならば、できる。
 そして――。
「あった……!」
 飛びつくようにして、『記録』を手に入れた。
 そして興奮のまま、中身の確認もせずに、そばで見守っていたレイウェンに向かって叫んだ。
「レイウェン! 待たせてすまない」
 ルイフォンは、携帯端末から勢いよく顔を上げた。背中で、今までじっとしていた金の鈴が大きく飛び跳ね、鋭い光を散らす。
 ずっと座って作業していたにも関わらず、全力で走り続けていたかのように肩で息をしていた。レイウェンが、思わず「大丈夫かい?」と尋ねるが、そんな声は耳に入らない。
「俺たちが〈|蝿《ムスカ》〉と対峙していたとき、あの部屋の監視カメラが撮っていた映像の『記録』を手に入れました」
 監視カメラが撮った映像は、記録装置に残される。〈|蝿《ムスカ》〉はカメラの電源は落としたが、記録装置の電源を落とすことまでは頭が回らなかった。
「何かの事件が起きたときに、あとから防犯カメラの記録を調べるのと同じです。この『記録』を見れば、過去を――俺が逃げた『あと』のことを知ることができる……」
 そのとき、ルイフォンは、はっと気づいた。
『記録』を見るということは、すなわち――。
『リュイセンの死』を知ることになるかもしれない……。
 端末を握る手が、小刻みに揺れた。
 掌は汗でしっとりと濡れ、鼓動は早鐘のように鳴っていた。情報を得ることに夢中になっていた間は平然としていたのに、いざ真実を知る段になったら、とたんに膝が震えてきた。
 ああ、そうか――と思った。
〈|猫《フェレース》〉は、どんな情報も、冷静に手に入れる。
 けれど、『リュイセンの弟分』は、知ることが怖かったのかもしれない。だから、〈|猫《フェレース》〉であることを忘れ、目を背けた。
 それでも、逃げるわけにはいかない。――今度こそ。
「私も一緒に見て、構わないね?」
 穏やかな低音が、優しく響いた。
 そしてルイフォンの返事を待たずに、レイウェンが向かいのソファーから、こちら側へと移動してくる。
「はい」
 弱くて、情けないかもしれない。
 けれど、ここにレイウェンがいてくれたことに、ルイフォンは心から感謝した。