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第28話 アクアリウム

ー/ー



 洋館の中は外観の毒々しさとは打って変わって、美しかった。
 床に転がる無数の小動物や虫の死骸、そこから生える菌糸の数々がまるで海底の珊瑚礁(・・・)のように館内を装飾していたのだから。
 しかもモーズは『珊瑚』の菌糸は赤いものしか見たことがなかったが、ここには緑色や青色、白色、黄色と多彩で、赤一色の外観と異なり華やかだ。風に吹かれて宙を漂う胞子の塊も遠目からだと熱帯魚に見えて、海底に立っている気分に陥る。

「綺麗だろう? 軍か僕らラボの人間しか知らないだろう、菌床の内側だよ。僕らは俗称として『アクアリウム』と呼ぶ事もあるね」

 アイギスの飼育室も水族館の水槽の風景に似ていて綺麗に思ったが、この菌床は、いや『アクアリウム』はまた違う美しさだ。
 冷たい海の景色と暖かい海の景色、そんな違いを感じる。

「とても、神秘的だ」
「そうなんだ。だから民間人が魅せられて興味本位に近寄らないよう、菌床についての情報は極力伏せてある。美しさに惑わされて感染者が増えたら堪らないからね」

 フリッツの説明に、モーズは今まで殆んど菌床の資料を得る事が出来なかった訳を知る。
 『珊瑚』の菌床は災害現場と同義なので陸軍に優先して資料が渡り、軍医含め医者の元には来ないのだろうかと思っていたのだが、このアクアリウムと見紛う程に美しい事が原因とは。

「空中に小魚のような赤い塊が飛んでいるが、あれは全て『珊瑚』の胞子だろう? ウミヘビ達はマスクなしで平気なのか?」
「ご心配ありがとうございます、先生。でも大丈夫ですよ〜。なんと、私達は『珊瑚』に感染しないのですっ!」

 ふふんと、セレンが特に自分の功績でない事に胸を張る。
 しかしその発言にモーズはすかさず食い付いた。

「何!? ウミヘビは『珊瑚』に抗体を持っているという事だろうか!? そうならば特効薬製薬の手助けに……っ!」
「あーあー、モーズくん。興奮している所悪いのだけれど、別に彼らは抗体を持っている訳じゃない」

 セレンを掴みかからんばかりに詰め寄るモーズを落ち着かせたのはフリッツだ。

「と言うかウミヘビは風邪だろうと流行病だろうと、基本的に何の病気も発症しないんだ。何せ悪さをする病原菌が彼らの中に侵入しても、彼らが保有する毒素で死滅してしまうからね。これも抗体の一種と言えはするけど、人間が真似しようと思うと服毒するのと同じだから再現不可能だね」
「そ、そうか。……そもそも仮に抗体を持っていたのなら、とっくに特効薬が出来ているか。すまない、浅薄だった」
「いやいや、着眼するのは大事だよ。それにウミヘビは見た目は人間なんだし、勘違いもする」

 セレンが感染病棟でもマスクを付けずにいたのはそう言う訳か、と今更ながらモーズは理解する。
 そんな、医者からすると非常に羨ましい特性を持っていたら、確かにマスクを付ける必要性がない。

「エントランスに稼働している感染者はいないようだね。よし、それじゃここで手分けそう」

 ぱん。
 フリッツが両手を叩いて乾いた音を響かせた。

「ニコチンくんとタリウムくんに単独行動を許可する。僕らは西側を回るから東側をよろしく頼むよ。あ、でも〈根〉を見付けても手を出さず僕に連絡して。僕と、そしてモーズくんが確認をしてから処分したいから」

 次いで彼は腕時計で現在時刻を確認する。

「それで、うーん。取り敢えず収穫あるなしに関わらず、一時間後に玄関に集合で。それじゃ解散」

 そしてフリッツの指示を受けたニコチンとタリウムは、洋館の東館へと向かっていった。この場には死骸しかないが、先に進めば稼働する人間の感染者がいるのは確実。
 何せ『珊瑚』に感染した人間は、床に転がる虫や小動物と異なり()()()()()()()。意識こそ『珊瑚』とされているが、症状が幾ら進んでも珊瑚症が原因で亡くなる事がないのだ。亡くなるのは栄養不足による衰弱死か、合併症を引き起こした場合だけ。だから人間の感染者、生物災害(バイオハザード)と遭遇する可能性はとても高い。
 そしてその場合、モーズに出来る事は何もない。寧ろ、足手纏いだ。

「フリッツ。もし私が作業の邪魔になるなら外で待機しているが、どうだろうか?」
「確かにここは危険地帯だけれど、モーズくんの見学は続けて欲しい。いずれ覚える事だからね。アイギスは使わなくていいから、その代わり今から見る光景をしっかりと目に焼き付けてくれ」

 ブチュッ!
 その時、モーズの背後から蛙が潰れたような音が聞こえた。振り返ってみると、セレンが回し蹴りでその辺に飛んでいたらしい感染蝙蝠を壁に叩き付けていた。
 壁とその周囲とセレンの靴に、蝙蝠の血と胞子が飛散する。

「モーズ先生、お召し物は汚れませんでした?」
「あ、あぁ」
「セレンって意外とワイルドよねぇ」
「僕としてはなるべく胞子を飛ばさないで欲しいんだけどね……」

 そんなやる気に満ちたセレンを先頭に、殿を水銀にし、四人は西館へと足を踏み入れる。

「ママ〜、パパ〜」

 同時に、幼い少女のものだろう、あどけないの声がモーズの耳に入ってきた。

「……!?」

 子供。
 こんな危険地帯に。しかも親を探している。
 まさか迷子か、とモーズは辺りを見渡す。だが周囲には自分達しかいない。子供の姿は影も形もないし、足音も聞こえない。
 モーズは戸惑った。

「フリッツ、今子供の声が聞こえなかったか?」
「え? いや全く。ここは町から遠いから迷い込むとかないだろうし、そもそも封鎖されているし、子供なんていない筈だよ?」
「そ、そうか。すまない、聞き間違いだったようだ。先に行こう」


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 洋館の中は外観の毒々しさとは打って変わって、美しかった。
 床に転がる無数の小動物や虫の死骸、そこから生える菌糸の数々がまるで海底の|珊瑚礁《・・・》のように館内を装飾していたのだから。
 しかもモーズは『珊瑚』の菌糸は赤いものしか見たことがなかったが、ここには緑色や青色、白色、黄色と多彩で、赤一色の外観と異なり華やかだ。風に吹かれて宙を漂う胞子の塊も遠目からだと熱帯魚に見えて、海底に立っている気分に陥る。
「綺麗だろう? 軍か僕らラボの人間しか知らないだろう、菌床の内側だよ。僕らは俗称として『アクアリウム』と呼ぶ事もあるね」
 アイギスの飼育室も水族館の水槽の風景に似ていて綺麗に思ったが、この菌床は、いや『アクアリウム』はまた違う美しさだ。
 冷たい海の景色と暖かい海の景色、そんな違いを感じる。
「とても、神秘的だ」
「そうなんだ。だから民間人が魅せられて興味本位に近寄らないよう、菌床についての情報は極力伏せてある。美しさに惑わされて感染者が増えたら堪らないからね」
 フリッツの説明に、モーズは今まで殆んど菌床の資料を得る事が出来なかった訳を知る。
 『珊瑚』の菌床は災害現場と同義なので陸軍に優先して資料が渡り、軍医含め医者の元には来ないのだろうかと思っていたのだが、このアクアリウムと見紛う程に美しい事が原因とは。
「空中に小魚のような赤い塊が飛んでいるが、あれは全て『珊瑚』の胞子だろう? ウミヘビ達はマスクなしで平気なのか?」
「ご心配ありがとうございます、先生。でも大丈夫ですよ〜。なんと、私達は『珊瑚』に感染しないのですっ!」
 ふふんと、セレンが特に自分の功績でない事に胸を張る。
 しかしその発言にモーズはすかさず食い付いた。
「何!? ウミヘビは『珊瑚』に抗体を持っているという事だろうか!? そうならば特効薬製薬の手助けに……っ!」
「あーあー、モーズくん。興奮している所悪いのだけれど、別に彼らは抗体を持っている訳じゃない」
 セレンを掴みかからんばかりに詰め寄るモーズを落ち着かせたのはフリッツだ。
「と言うかウミヘビは風邪だろうと流行病だろうと、基本的に何の病気も発症しないんだ。何せ悪さをする病原菌が彼らの中に侵入しても、彼らが保有する毒素で死滅してしまうからね。これも抗体の一種と言えはするけど、人間が真似しようと思うと服毒するのと同じだから再現不可能だね」
「そ、そうか。……そもそも仮に抗体を持っていたのなら、とっくに特効薬が出来ているか。すまない、浅薄だった」
「いやいや、着眼するのは大事だよ。それにウミヘビは見た目は人間なんだし、勘違いもする」
 セレンが感染病棟でもマスクを付けずにいたのはそう言う訳か、と今更ながらモーズは理解する。
 そんな、医者からすると非常に羨ましい特性を持っていたら、確かにマスクを付ける必要性がない。
「エントランスに稼働している感染者はいないようだね。よし、それじゃここで手分けそう」
 ぱん。
 フリッツが両手を叩いて乾いた音を響かせた。
「ニコチンくんとタリウムくんに単独行動を許可する。僕らは西側を回るから東側をよろしく頼むよ。あ、でも〈根〉を見付けても手を出さず僕に連絡して。僕と、そしてモーズくんが確認をしてから処分したいから」
 次いで彼は腕時計で現在時刻を確認する。
「それで、うーん。取り敢えず収穫あるなしに関わらず、一時間後に玄関に集合で。それじゃ解散」
 そしてフリッツの指示を受けたニコチンとタリウムは、洋館の東館へと向かっていった。この場には死骸しかないが、先に進めば稼働する人間の感染者がいるのは確実。
 何せ『珊瑚』に感染した人間は、床に転がる虫や小動物と異なり|身《・》|体《・》|が《・》|朽《・》|ち《・》|な《・》|い《・》。意識こそ『珊瑚』とされているが、症状が幾ら進んでも珊瑚症が原因で亡くなる事がないのだ。亡くなるのは栄養不足による衰弱死か、合併症を引き起こした場合だけ。だから人間の感染者、|生物災害《バイオハザード》と遭遇する可能性はとても高い。
 そしてその場合、モーズに出来る事は何もない。寧ろ、足手纏いだ。
「フリッツ。もし私が作業の邪魔になるなら外で待機しているが、どうだろうか?」
「確かにここは危険地帯だけれど、モーズくんの見学は続けて欲しい。いずれ覚える事だからね。アイギスは使わなくていいから、その代わり今から見る光景をしっかりと目に焼き付けてくれ」
 ブチュッ!
 その時、モーズの背後から蛙が潰れたような音が聞こえた。振り返ってみると、セレンが回し蹴りでその辺に飛んでいたらしい感染蝙蝠を壁に叩き付けていた。
 壁とその周囲とセレンの靴に、蝙蝠の血と胞子が飛散する。
「モーズ先生、お召し物は汚れませんでした?」
「あ、あぁ」
「セレンって意外とワイルドよねぇ」
「僕としてはなるべく胞子を飛ばさないで欲しいんだけどね……」
 そんなやる気に満ちたセレンを先頭に、殿を水銀にし、四人は西館へと足を踏み入れる。
「ママ〜、パパ〜」
 同時に、幼い少女のものだろう、あどけないの声がモーズの耳に入ってきた。
「……!?」
 子供。
 こんな危険地帯に。しかも親を探している。
 まさか迷子か、とモーズは辺りを見渡す。だが周囲には自分達しかいない。子供の姿は影も形もないし、足音も聞こえない。
 モーズは戸惑った。
「フリッツ、今子供の声が聞こえなかったか?」
「え? いや全く。ここは町から遠いから迷い込むとかないだろうし、そもそも封鎖されているし、子供なんていない筈だよ?」
「そ、そうか。すまない、聞き間違いだったようだ。先に行こう」