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第16話 オフィウクス・ラボ

ー/ー



「先生、モーズ先生」

 セレンに肩を揺すられて、モーズの意識は段々と覚醒する。

「着きましたよ、モーズ先生」
「あ、あぁ。起こしてくれてありがとう、セレン」

 何だかとても、懐かしい夢を見ていた気がする。
 名残惜しさを覚えながらもモーズは毛布がわりにかかっていた白衣をセレンに返し、車から外へと出た。ここは空陸両用型車の着立場所――『港』のようで、近くに車庫(ガレージ)らしき建物もある。
 しかしそれよりも目を引くのは、朝日に照らされ天に届かんばかりにそびえ立つ螺旋状の白い巨塔だ。その巨塔をモーズは知っている。今まで幾度かメディアで見た事がある。
 とぐろを巻くように伸びるあの巨塔こそが《オフィウクス・ラボ》、その本拠地である。

(という事は、ここが人工島『アバトン』)

 オフィウクス・ラボの為に作られたという噂もある、大西洋に浮かぶ人工島『アバトン』。研究所であると同時に、コールドスリープされた珊瑚症患者が集められる仮眠所。
 今まで書類上でしか見ることのなかった場所に足を踏み入れている事に、モーズは少し感動していた。

「あ゙ぁ゙〜。肩凝った」
「そっスねぇ。ケツも痛いス」

 続いて降車したニコチンは腕を回し、タリウムは背筋を伸ばしてストレッチをしている。
 フリーデンも運転席から降りていて、荷台に積んでいた転移装置を取り出したりと荷物の整理をしていた。

「お帰りぃ、ニコ」

 不意に、鮮やかな橙色の髪をした青年が一人、車に歩み寄ってきた。彼の視線の先はニコチンで、朗らかに微笑みかけている。
 するとニコチンもふっと力の抜けた笑みを浮かべた。初めて見るリラックスした彼の表情に、モーズは少々驚く。

「遠征ご苦労様だったねぇ。お酒用意しているけど、飲む?」
「気が利くじゃねぇか。おいフリーデン、俺らはもう解散でいいか?」
「解散でいいけど、朝から飲む気か?」
「一仕事終えた後で飲む酒は格別だろが」
「あれ? 見ないお面だねぇ。新人さんかぁ」

 のんびりとした口調の青年がモーズに気付き、ずいと距離を詰めてくる。

「あ、あぁ。お初お目にかかる」

 距離感の近さに戸惑いつつひとまず挨拶をするモーズ。そんなモーズを青年はまじまじと、観察するように見詰めてきた。
 彼の顔は日焼けをしているのか酒が入っているのか、少し赤ら顔だ。

「僕は『アセト』。ネグラ……ウミヘビの居住区でバーをやっているんだぁ。よかったら遊びに来てねぇ」
「アセト、行くぞ」
「はぁい」

 モーズをじっくり見詰めて満足したらしい青年『アセト』は、ニコチンに呼ばれてあっさりと離れてゆく。
「セレンさんも行きますよ。始末書を書かないといけないんでしょう?」
「うぅ。先生、また後ほどお会いいたしましょう」

 タリウムに促され、重い足取りで港から離れるセレン。途中で何度も振り返っていて、名残惜しさを強く感じた。
 四人の向かう先は巨塔ではなく、鉄柵に覆われた住宅地らしき敷地。彼処がアセトの言うウミヘビの居住区ネグラなのだろう。

「今声をかけてきたアセトという青年もウミヘビ、なんだな?」
「おう。アセトアルデヒドの『アセト』だ。あいつニコチンと仲良いんだよなぁ」
「そうか、アセトアルデヒドのアセト……。いや待て(アセトアルデヒド(C2H4O))!?」

 フリーデンが告げたアセトの正式名称に、モーズはぎょっとしてしまう。
 アセトアルデヒド。沸点と引火点が非常に低く20度で引火、爆発する特殊引火物である。
 毒性もあるが(二日酔いの原因といわれている)それよりも脅威なのはその引火のしやすさに加えて、一度火がつけばガソリン以上に燃焼範囲が広がる、つまり容易に火の海が作れてしまう点だ。

「火事の不安が付き纏うバーだな……。何なら爆発してもおかしくない」
「あいつはもう何年もバーやってるしヘマする事なんてまずないだろうが、不安なのはわかる」

 モーズの不安に対しフリーデンは力強く肯首してくれた。

「まぁ今はウミヘビよりクスシヘビだ。俺たちの上司。早速会いに行くぞ」

 ◇

 『共同研究所室』。
 巨塔の中、地上階であるエントランスから一つ上に上がった二階のフロア全面を使った部屋。その扉に貼られたプレートにはそう書かれていた。
 この先に今日から上司となる人物が待つ。モーズは緊張した。

「ただいま戻りましたーっ!」
「失礼します」

 大きな声をかけながら入室したフリーデンに続き、モーズも意を決して中へと入る。

「遅い!!」

 そして胸ぐらを掴まんばかりにフリーデンへ詰め寄ってきた男を前に、ビクリと肩を揺らしてしまった。
 裏地が蛇柄の白衣を着た、アッシュブラウンの髪をした大柄な男性。顔を覆う赤地のフェイスマスクには片翼の黒い鷲が描かれていて、少し目に痛い配色をしている。
 彼がクスシヘビ、フリーデンの、そしてモーズの上司。

「貴様が生物災害(バイオハザード)を片したのは一昨日の夜! 感染病棟からラボまで車での移動ならば半日かからない! なのに何故ラボに戻るのに日を跨いでいるんだ!!」
「そりゃあ昨日も生物災害(バイオハザード)対処しましたし? ペガサス教団にちょっかいかけられたり警官撒いたりとか、ともかく新人のモーズの対応に追われていたっていうか……」

 そこで男は初めてモーズの存在に気付いたらしく、ぎょっと身体を仰け反らせた。

「誰だ!?」
「モーズと申します。一昨日まで感染病棟に勤務をしていました」
「私は知らんぞ!?」

 そう言ってあからさまに警戒され、モーズは戸惑う。連絡の不備だろうか。フリーデンも慌てて男に向かって説明をしてくれた。

「新しいクスシヘビですよ、クスシヘビ! 所長からちゃんと合格通知も受け取ってますっ! メールでっ!」
「私はそんな話一切聞いてない! オフィウクス・ラボは国連の機密組織なんだ、部外者を安易に招き入れるな!!」
「ううぅ」

 その時、研究室に規則的に並ぶ幾つもの実験用作業台。その内の一つから、低いうめき声が聞こえた。

「少し声量を抑えてくれ、ユストゥス……。徹夜の頭に響く……」

 ずるずると這い出るように、実験台を支えに姿を現したのは黒髪の男。顔を覆う黄地のフェイスマスクには、片翼の黒い鷲が描かれている。赤地のマスクに描かれた方の片翼の鷲と同じデザインだ。
 ――いや、片翼の鷲ではないのかもしれない。赤地の鷲は左翼が、黄地の鷲は右翼が描かれている。きっとあの黒い鷲は二つのマスクで一つのデザインなのだろう。つまり、

(双頭の、黒鷲か)

 『ユストゥス』と呼ばれた男が「あ、ああっ! すまない!」と、今したが起きたばかりらしき黒髪の男に頭を下げている。
 彼らはマスクのデザインを共にするだけあり、親しいようだ。

「フリーデンくんお帰り。寝起き姿ですまないね。そしてモーズくん、初めまして。そちらの彼は『ユストゥス』」

 大柄な男『ユストゥス』を代わりに紹介までしてくれた彼は、次いで胸に手を当てて軽く会釈をした。

「そして僕のことは『フリッツ』と呼んでくれ。所長から君の指導係を任されたんだ。よろしくね」


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「先生、モーズ先生」
 セレンに肩を揺すられて、モーズの意識は段々と覚醒する。
「着きましたよ、モーズ先生」
「あ、あぁ。起こしてくれてありがとう、セレン」
 何だかとても、懐かしい夢を見ていた気がする。
 名残惜しさを覚えながらもモーズは毛布がわりにかかっていた白衣をセレンに返し、車から外へと出た。ここは空陸両用型車の着立場所――『港』のようで、近くに|車庫《ガレージ》らしき建物もある。
 しかしそれよりも目を引くのは、朝日に照らされ天に届かんばかりにそびえ立つ螺旋状の白い巨塔だ。その巨塔をモーズは知っている。今まで幾度かメディアで見た事がある。
 とぐろを巻くように伸びるあの巨塔こそが《オフィウクス・ラボ》、その本拠地である。
(という事は、ここが人工島『アバトン』)
 オフィウクス・ラボの為に作られたという噂もある、大西洋に浮かぶ人工島『アバトン』。研究所であると同時に、コールドスリープされた珊瑚症患者が集められる仮眠所。
 今まで書類上でしか見ることのなかった場所に足を踏み入れている事に、モーズは少し感動していた。
「あ゙ぁ゙〜。肩凝った」
「そっスねぇ。ケツも痛いス」
 続いて降車したニコチンは腕を回し、タリウムは背筋を伸ばしてストレッチをしている。
 フリーデンも運転席から降りていて、荷台に積んでいた転移装置を取り出したりと荷物の整理をしていた。
「お帰りぃ、ニコ」
 不意に、鮮やかな橙色の髪をした青年が一人、車に歩み寄ってきた。彼の視線の先はニコチンで、朗らかに微笑みかけている。
 するとニコチンもふっと力の抜けた笑みを浮かべた。初めて見るリラックスした彼の表情に、モーズは少々驚く。
「遠征ご苦労様だったねぇ。お酒用意しているけど、飲む?」
「気が利くじゃねぇか。おいフリーデン、俺らはもう解散でいいか?」
「解散でいいけど、朝から飲む気か?」
「一仕事終えた後で飲む酒は格別だろが」
「あれ? 見ないお面だねぇ。新人さんかぁ」
 のんびりとした口調の青年がモーズに気付き、ずいと距離を詰めてくる。
「あ、あぁ。お初お目にかかる」
 距離感の近さに戸惑いつつひとまず挨拶をするモーズ。そんなモーズを青年はまじまじと、観察するように見詰めてきた。
 彼の顔は日焼けをしているのか酒が入っているのか、少し赤ら顔だ。
「僕は『アセト』。ネグラ……ウミヘビの居住区でバーをやっているんだぁ。よかったら遊びに来てねぇ」
「アセト、行くぞ」
「はぁい」
 モーズをじっくり見詰めて満足したらしい青年『アセト』は、ニコチンに呼ばれてあっさりと離れてゆく。
「セレンさんも行きますよ。始末書を書かないといけないんでしょう?」
「うぅ。先生、また後ほどお会いいたしましょう」
 タリウムに促され、重い足取りで港から離れるセレン。途中で何度も振り返っていて、名残惜しさを強く感じた。
 四人の向かう先は巨塔ではなく、鉄柵に覆われた住宅地らしき敷地。彼処がアセトの言うウミヘビの居住区ネグラなのだろう。
「今声をかけてきたアセトという青年もウミヘビ、なんだな?」
「おう。アセトアルデヒドの『アセト』だ。あいつニコチンと仲良いんだよなぁ」
「そうか、アセトアルデヒドのアセト……。いや待て、《アセトアルデヒド(C2H4O)》!?」
 フリーデンが告げたアセトの正式名称に、モーズはぎょっとしてしまう。
 アセトアルデヒド。沸点と引火点が非常に低く20度で引火、爆発する特殊引火物である。
 毒性もあるが(二日酔いの原因といわれている)それよりも脅威なのはその引火のしやすさに加えて、一度火がつけばガソリン以上に燃焼範囲が広がる、つまり容易に火の海が作れてしまう点だ。
「火事の不安が付き纏うバーだな……。何なら爆発してもおかしくない」
「あいつはもう何年もバーやってるしヘマする事なんてまずないだろうが、不安なのはわかる」
 モーズの不安に対しフリーデンは力強く肯首してくれた。
「まぁ今はウミヘビよりクスシヘビだ。俺たちの上司。早速会いに行くぞ」
 ◇
 『共同研究所室』。
 巨塔の中、地上階であるエントランスから一つ上に上がった二階のフロア全面を使った部屋。その扉に貼られたプレートにはそう書かれていた。
 この先に今日から上司となる人物が待つ。モーズは緊張した。
「ただいま戻りましたーっ!」
「失礼します」
 大きな声をかけながら入室したフリーデンに続き、モーズも意を決して中へと入る。
「遅い!!」
 そして胸ぐらを掴まんばかりにフリーデンへ詰め寄ってきた男を前に、ビクリと肩を揺らしてしまった。
 裏地が蛇柄の白衣を着た、アッシュブラウンの髪をした大柄な男性。顔を覆う赤地のフェイスマスクには片翼の黒い鷲が描かれていて、少し目に痛い配色をしている。
 彼がクスシヘビ、フリーデンの、そしてモーズの上司。
「貴様が|生物災害《バイオハザード》を片したのは一昨日の夜! 感染病棟からラボまで車での移動ならば半日かからない! なのに何故ラボに戻るのに日を跨いでいるんだ!!」
「そりゃあ昨日も|生物災害《バイオハザード》対処しましたし? ペガサス教団にちょっかいかけられたり警官撒いたりとか、ともかく新人のモーズの対応に追われていたっていうか……」
 そこで男は初めてモーズの存在に気付いたらしく、ぎょっと身体を仰け反らせた。
「誰だ!?」
「モーズと申します。一昨日まで感染病棟に勤務をしていました」
「私は知らんぞ!?」
 そう言ってあからさまに警戒され、モーズは戸惑う。連絡の不備だろうか。フリーデンも慌てて男に向かって説明をしてくれた。
「新しいクスシヘビですよ、クスシヘビ! 所長からちゃんと合格通知も受け取ってますっ! メールでっ!」
「私はそんな話一切聞いてない! オフィウクス・ラボは国連の機密組織なんだ、部外者を安易に招き入れるな!!」
「ううぅ」
 その時、研究室に規則的に並ぶ幾つもの実験用作業台。その内の一つから、低いうめき声が聞こえた。
「少し声量を抑えてくれ、ユストゥス……。徹夜の頭に響く……」
 ずるずると這い出るように、実験台を支えに姿を現したのは黒髪の男。顔を覆う黄地のフェイスマスクには、片翼の黒い鷲が描かれている。赤地のマスクに描かれた方の片翼の鷲と同じデザインだ。
 ――いや、片翼の鷲ではないのかもしれない。赤地の鷲は左翼が、黄地の鷲は右翼が描かれている。きっとあの黒い鷲は二つのマスクで一つのデザインなのだろう。つまり、
(双頭の、黒鷲か)
 『ユストゥス』と呼ばれた男が「あ、ああっ! すまない!」と、今したが起きたばかりらしき黒髪の男に頭を下げている。
 彼らはマスクのデザインを共にするだけあり、親しいようだ。
「フリーデンくんお帰り。寝起き姿ですまないね。そしてモーズくん、初めまして。そちらの彼は『ユストゥス』」
 大柄な男『ユストゥス』を代わりに紹介までしてくれた彼は、次いで胸に手を当てて軽く会釈をした。
「そして僕のことは『フリッツ』と呼んでくれ。所長から君の指導係を任されたんだ。よろしくね」