-復讐を成したとき、人は何を手に入れる?
それを完遂した喜びか、あるいは自己満足か。
それともあるいは、埋まらぬ虚無か-
エレベーターを飛び出したセトミは、先ほどクリーチャーが映っていた場所へと向かう。
そこは、避難所エリアから地下基地エリアへと向かう通路だった。車両などの乗り入れもあったのか、今まで通ってきた中でも、かなりの広さを誇る通路だ。通常の車両ならば、10台ほど横に並んでも、ゆうに走行できそうだ。
基地エリアに近づくにつれて、当時のエネルギージェネレイターも強力になっていくのか、この辺りは電源が生きているようだ。
その光に照らされ、それはいた。まるで地獄の悪魔もかくやというような、悪夢めいた姿の、それ。
本当にあのセンチピードというヴィクティムだったのか、その姿は見上げるほどに大きい。君の悪い模様のついた、例のムカデのような身体の部分は、10mは下るまい。その先端には、対象を両断する以外の用途が思いつかないような、巨大なハサミがある。
それでも、その化け物はかつて人型をしていたことを弱々しく主張するように、頭部にあたる部分をヴィクティムの上半身としていた。まるでムカデのような部分を下半身とするかのように、その上半身だけはかつての彼の姿をとどめていた。
「……お色直しでずいぶんかっこよくなったじゃない。でも、今の私はね……絶望的に機嫌が悪いの。邪魔をするなら、肉片も残したくないくらいね」
相変わらず紅く、獲物を狩るチェイサーキャットの瞳を以って、セトミはセンチピードをにらむ。
「だから、さっさと、死んで」
ゆっくりと、セトミは左手にアンセムを、右手にカタナを構える。
しかし、それを邪魔するかのように、場違いなのんびりした声が響いた。
「いやあ、短気はいけませんねえ。短気は損気、といいますでしょう? 短絡的な思考は、求める成果には結びつかないものです」
刹那、声の主も確認せず、セトミが駆けた。帽子が頭から転げ落ちるのもかまわず、全力を以って、その神速でその声の元へ走る。
が、その進路を巨大なムカデの胴が阻んだ。
「フウッ!」
獣めいた吐息とともに、セトミが声のしたほうをにらむ。
「――――ほら、言ったとおりでしょう? 直情的な行動は実を結ばない。おひさしぶりです。また会えて感激ですよ――――私の、最高傑作くん。いや、今はチェイサーキャット、と呼んだほうがいいのかな?」
その男――――ドクター・クレイトは通路のさらに奥――――地下基地エリアへと続くエレベーターの前に立っていた。
「お前ェッ! お前がなんでここにいるッ!」
未だ激昂したままのセトミが、胸の慟哭に任せて、吼える。
「簡単なことです。私も、ヴィクティムの完全体――――ファースト・ワンに興味がある。元々私は、因子に抗体を持つ人間にヴィクティム因子を投与し続けることによって、より強固な個体を作り出すことに、人生を捧げてきたのだからね」
眼鏡の位置を正しながら、ドクター・クレイトがとうとうと言う。
「人間は不完全だ。知能を持っていても、生物としては脆弱。ヴィクティムとなったのは、変異ではない。進化だ。だが、ヴィクティムもまた不完全だ。肉体的に強化されはしても、まだ足りない」
まるで演説をするかのように、クレイトは芝居がかった身振りで続ける。
「そこで、君のような強力な抗体を持つものが必要だったのだ。抗体が強力であるがために、ゆっくりと、しかしより強力に、そして、人の姿を保ちながら進化できる個体がね」
「ふざけるなァッ! なにが進化だッ! お前に……あの悪夢の苦痛が、わかるかッ!」
しかし、セトミの怒りの咆哮に、にやにやと笑いながらクレイトは肩をすくめて見せる。
「おやおや……なにがそんなに不服なのです? 君には、私が今までの人生を懸けて手に入れてきたすべての成果を差し上げたというのに。まったく、傷ついてしまいますよ。せっかく取って置きのプレゼントを用意したのに、あからさまにがっかりされたような気分です」
「お前ェ……ッ!」
怒りに牙をむくセトミをよそに、クレイトは背を向け、エレベーターへと乗り込んでいく。
「フフフ……プレゼントのお返しがしたいなら、この先――――地下基地、研究施設エリアの深部まで来なさい。私は、パーティの準備をして待っていることとしましょう。ご安心ください。準備が整うまで、彼がお相手しますから。退屈はしなくて済むと思いますよ。くくくく……」
その言葉を残して、クレイトの姿はエレベーターの扉にさえぎられ、消えた。
歯軋りし、セトミはその獣めいた紅い目をセンチピードだったものに向けた。
恐らく、その身体に、どうやっているのかはわからないが、ヴィクティム因子を大量に投与したのだろう。元々、ヴィクティムであった彼の身体は、それにより、更なる変異を起こしてしまったのか。
上半身に残された、その人型をした顔には、すでに意思があるとは思えない。白目をむいてよだれを垂らし、奇声を上げる姿は、もはや廃人だ。
「うおああああああああッ!」
怒りと、闘争心と、ほんのわずかな憐憫の混ざった複雑な咆哮とともに、セトミは再び武器を構えなおす。
「安心しな。せめてすぐに逝かせてあげる……!」
「キシャアアアアアアァァァァッ!」
その戦いの宣誓を理解したかのように、すでに言葉など通じないはずのセンチピードが方向をあげる。同時に、その人型を保った両手をかつての戦術のごとく振り上げた。
刹那、その腕から光学の光を持った鞭が、以前よりも長く、鋭く、強靭に出現する。
それを見たセトミが、歯噛みしながら舌を打つ。あの武器を持ったままクリーチャー化されたことで、それ自体を自身に取り込んだか。本当に、忌々しいくらいにふざけた因子だ。
「ヒョオオオオオオッ!」
そんなセトミの思いをよそに、センチピードは両腕の鞭を振りかざす。大きく横薙ぎに振るわれたそれを、セトミは後ろに跳躍してかわす。同時に、空中でその胴体に向け、アンセムを発射した。
だが、ムカデのように変化したその身体は、まるで甲殻のようにその弾丸を弾いた。
「……チッ!」
舌打ちしながら着地したセトミを、今度はそのムカデのハサミが襲う。獲物を狩る猛禽のごとくすばやいその一撃を、彼女は横っ飛びに跳んでかわした。
狙いを外したハサミは、セトミの背後にあったコンクリートの壁を、まるで砂糖菓子のように軽々しく粉砕した。あんな一撃を食らえば、人間など一撃で両断されてしまうだろう。
その様を苦々しくにらむセトミに、さらにセンチピードの攻撃が襲いかかる。今度は胴体を大きく持ち上げ、足と思われていたそれを、突如、こちらに向かって発射した。
「……足に見せかけた、毒針か!」
またしても、セトミは後ろに跳躍する。攻撃自体はそれで回避するものの、自体は決して好転してはいない。
あのムカデの表皮はアンセムでは貫けない。だが、AOWでは反動が大きすぎて、その隙に反撃を受けてしまうだろう。今までの攻撃のどれをとっても、一発でも食らえばそれだけで生死が決まるほどの威力を持っている。そして、そのどれもが巨体ゆえの圧倒的なリーチを誇っている。
回避したとはいえ、距離を取らざるを得なかったことは、自ら相手の間合いに飛び込んだことにしかならない。
そのことを理解しているのか、センチピードの意思のないはずの瞳に、ヴィクティムだったころのような嗜虐的な笑みが広がった。
その身体は激しく攻撃を仕掛けてきた先ほどまでと打って変わって、挑発するかのようにゆっくり、ぐねぐねと蠢いている。
「……よかったわね。化け物になっても、頭の中身は変わらないものね。……あんたも、私も」
自嘲めいた言葉とともに、セトミはアンセムをホルスターに戻す。右手に持った刀のみの姿で、彼女はゆらり、と構えなおした。
その様子に、センチピードが再びその身体を大きく持ち上げる。
「キィィエエエエエェェェェッ!」
ぬらりとしたその身体から、またしても毒針が発射された。まるで追尾機能を有しているかのように、それらは適確にセトミを狙い、その刃をぎらつかせる。
だが、今度はセトミは動かない。ただ、その紅い瞳でそれをにらむと、構えるカタナの刃を返した。
「シャ――――――ッ!」
それはまさに、怒りに駆られる猫のごとき、咆哮。セトミはその気合の声とともに、己に向かって飛来する毒針に向かって、その爪――――カタナを、振るった。
次の瞬間、それらはセトミにではなく……センチピードの胴体へと突き刺さっていた。無数に放たれたその毒針を、セトミはすべてカタナの峰で弾き返していた。
「ギイェェエエェェェッ!」
さすがに己の刃は硬い甲殻にも深く入ったか、センチピードがその巨体を激しくのた打ち回らせた。
その様を、セトミはただ静かに見ている。
痛みが治まったか、センチピードがゆっくりと起き上がった。その表情には、先ほどまでの余裕と打って変わって、怒りの表情が見て取れる。
だが、その表情を見て、セトミは紅い瞳のまま、酷薄に嗤う。
「いいね、その顔。やる気満々じゃない。そのほうがこっちもやりやすいわ。これはただのいじめじゃなくて、命を守るための戦いだって、大義名分ができるもの」
その笑みは、普段の彼女の朗らかな笑みとはまるで違う、怒りと、嘆きと、わずかな悲しみがないまぜになった、壮絶な笑み。
「キシャアアアアアアッ!」
笑う猫に、ムカデが襲いかかる。その必殺のハサミを以って、一撃で勝負を決めんと、猛襲する。だが、その動きが自らの毒針のせいか、先ほどよりも速度に欠けることを、セトミは見逃さなかった。
その刃をかわすため、セトミは跳ぶ。ただし、今度は後ろではなく、前へ。攻撃を外し、動きの止まったセンチピードの胴体に、彼女は着地する。
そしてそのまま、その巨体の上を駆けた。ムカデに変異していない、人型のままの上半身へ向かって。
「ああああああぁぁぁぁっ!」
咆哮をあげながら、セトミはのたうつその身体の上を、駆け抜けた。やがてその上半身のそばまでたどり着くと、さながら獲物に飛びかかる猫のように、跳躍。
センチピードの顔が驚愕に、セトミの顔が笑みに、それぞれ、染まった。
「――――バイバイ」
その傍らをすり抜けざま――――セトミは、その爪を薙いだ。
そして、センチピードの後方に、音もなく着地する。
「ぎ、あ……?」
センチピードが、己の身に起きたことを理解できず、不可解げにうめく。が、それはすぐに――――。
「ヒ――――ぎええええぇぇぇぇぇッ!」
絶叫へと変わった。
その人型を残した上半身が、ずるり、と音をたててくずおれ――――そして、血しぶきをあげながら、地面へと落ちた。
それはほんのしばらく、その未練を体現するかのように苦悶の踊りを踊っていたが、それもすぐに止まった。
それを確認し、セトミはそのカタナを鞘へと戻す。
「――――感謝、してよね。あんた、その化け物の身体でこれから生きていかなきゃならなくて済んだんだからさ。私と違ってね」
皮肉めいた笑みを浮かべ、センチピードの亡骸に背を向けたまま、セトミは言い放った。だが、その声にも、その笑みにも、どこかに――――己自身を皮肉るかのような、自嘲の響きがあった。
その背後に、小さな影が駆け寄る。
「……来るなって、言ったでしょ」
背を向けたまま、セトミはうめく。
「……おねえちゃん」
ミナだった。
こうなった自分は、普段よりも危険であることは、なにより自分がわかっていた。今も燃え上がるような胸の熱さを押さえ込もうとするだけで、息が荒くなる。因子の血がそうさせているのだとわかっていても、理性を衝動が凌駕する。
がりり、とセトミは自分の顔に爪をたてた。ぬらりとした感触とともに、赤い液体が額から流れ落ちる。なにかにその衝動をぶつけていなければ、それに飲み込まれてしまいそうだった。
姿形はヒューマンと近くとも、やはり、自分は化け物なのだ。先ほど倒した、骸となって転がるあれと同じように。ヴィクティム因子を瞳と頭に植え付けられた、化け物。
そう――――『家族』というものだったはずの人たちが言ったことは、何も間違っていない。
「おい、応答しろ! セトミ! おい!」
ふと気がつくと、デヴァイスからもショウの呼びかける声が響いていた。目の前の敵に集中しきっていたせいか、まったく気がつかなかった。
セトミは、だまってデヴァイスを外す。誰とも話したくない。誰にも姿を見られたくない。
ただ、自分をこんな化け物に変えたあいつを、引き裂きたい。
因子は、生物を凶暴化させる。そのせいだと、理性は告げる。だが、それ以上に猛る衝動が、その声を掻き消す。
大きく、深く、セトミは一つ、息をついた。そして、手にしたデヴァイスを、背を向けたままミナに向かって放り投げる。
「ミナ……それを持って、エマのところに帰って」
「おねえちゃんは……どうするの?」
透明ながらも、かすかに困惑の色を帯びた声に、なぜかちくりと胸が痛んだ。
「私は……あいつを殺しに行く」
今は、自分の声のほうが色もなく、冷徹に聞こえる。
「ミナも、行く」
「だめだ!」
こちらに駆け寄ろうとする気配に、思わず声が鋭くなった。むくむくと後悔が暗雲のように立ち込めるが、もう、心に雨が降り出すことは回避できそうになかった。
「あいつに捕まったら……ひどい目にあう。いや、ひどい目なんてもんじゃない。きっと、ミナがあいつに捕まったら、死んだほうがマシなくらいのことをされる。生きたまま……ずっと」
葉を食いしばりながら、絞り出すように出した声は、抑えられない震えとともに、言葉を紡いだ。
「それだけは、させない……させたくない。させるわけには、いかない。あんなくそったれな悪夢は、ノラ猫が一匹、見てれば……十分なの。他の誰も……見なくて、いい」
「おねえ、ちゃん……」
ミナの声は、雨の色。しとしとと降り続くような。その雨の中、濡れるノラ猫を哀れむような。
その声には答えず、セトミはゆっくりと歩き出す。
あの男の消えていった、エレベーターへ向かって。その手には、もはや隠すつもりもない、チェイサーキャットのその爪たる、カタナ。
結局、一度もミナを振り返ることなく、彼女はエレベーターへと乗りこむ。
動き出したエレベーターのその重力を感じながら、恐らくこれから起こるであろう死闘よりも、次にミナに会うとき、どんな顔をしたらいいのか悩む自分に、いつしかあの子を大切に感じ始めている己を感じ、セトミは自嘲の笑みを漏らした。
「くそっ! あのバカ猫娘! 因子が暴走しかけた状態で敵の渦中に飛び込んでくなんて、イカレてるにもほどってもんがあるだろうが!」
一方、アリサのバーの二階の一室では、ショウが頭をかきむしりながら悪態をついていた。
彼からみて、事態は非常に危険と言わざるを得なかった。セトミのあの状態――――あれは、彼女の中のヴィクティム因子が、感情の高ぶりによって異常に活性化した状態……言うなれば、暴走に近い状態である。
その状態で敵の最中へ、セトミは突っ込んでいったのだ。無論、これ以上戦闘を重ねれば、それだけ因子は感情の高ぶりに晒され、暴走を続けることになる。
いくら因子に対する抗体が強いハーフといえど、その抵抗力を因子が越えてしまえば、ヴィクティム化――――下手をすれば、クリーチャー化することだってないとは言えない。
それに、危険はもう一つ。あの研究員――――クレイトといったか。やつは『パーティの準備をして待っている』と言っていた。やつがあのときの事件の研究員の一人ならば、罠を仕掛けてくるのは明白だ。
そして、まだ解決していない問題……こちらの動きが、何者からか漏れていること。罠にはめるには、絶好の状況だ。
これらの事態が、一気に緊迫したものに変わってしまった。しかもそのどれもが、ドジを踏めばシャレにならない結果を招くのは目に見えている。
「あー、くそっ!」
もう一度悪態をつくが、そんな暇すらなさそうだ。とにかく、何か手を打たなければ。
「……おい、ミナ、聞こえるか?」
ショウは小型の通信回線……セトミとの連絡に使っていたそれを取り出すと、ミナに呼びかける。
「……おじちゃん」
「おじっ……くそ、突っ込んでる暇もねえ。いいか、お前、セトミを助けたいか?」
早口でまくし立てるショウに、ミナの小さな声が返る。
「……うん」
「よし、それならよく聞いてくれ。今現地にいて動けるのはお前さんしかいない。あのバカ猫娘は暴走しやがってちっとばかりやばい状況だ。それはわかるな?」
「……うん」
その幼い声に責任を持たせることに、ひどい歯がゆさを感じるが、実際、現場で行動できるのはミナしかいないのだ。己の思いに鞭を打つようにして、ショウは続ける。
「よし。あのセトミの状態を解除するのに必要なものがある。ヴィクティム因子の暴走を抑える作用のある薬――――因子抑制剤だ。地上じゃ滅多にお目にかかれない代物だが、そこは因子の研究施設跡だからな。どこかに必ずあるはずだ」
「それならば、その通路にあるエレベーターを降りて、東へ向かってください。その方向に、薬剤管理室があるはずです」
不意に、通信に落ち着いた女性の声が混じる。ミナを守っていたプログラム――――エマの声だ。
「すみませんが、通信回線に侵入させていただきました。事態が事態ですので。私のプログラムが制御できる範囲内ならば、セキュリティを操作してサポートいたします」
「面目ねえ……。すまんな、こっちがミナを助けるはずが、これじゃまるっきり、立場が逆だぜ」
唇を噛みながらタバコに火をつけるショウに、エマの声が返ってくる。
「いいえ。あなたがたが倒れれば、ミナもやつらの手に落ちてしまう。それだけは避けねばなりませんので」
「おじちゃんは、どうするの?」
ミナの声に一瞬渋い顔を作るショウだが、苦汁を飲むような表情で言いたいことを飲み込むと、口を開いた。
「前も言ったが、どうもこちらの動きは向こうさんに読まれてる。今まではやつらのほうから攻めてきてたからまだよかったが、今度はこっちが敵さんのところに乗り込む形だ。動きが読まれていては、罠のほうへおびき出されてるようなもんだ。だから、俺は動きが漏れてる原因を探しだして、それをぶっちめる」
「てがかりはあるのですか?」
エマの声色は、表情こそわからないが、どこか重い。ショウの言うことが可能であるのか、少し不安であるのだろう。
「ちょっと心当たりならある。そこを当たってみる。そちらは薬を手に入れて、セトミに追いつくことを考えてくれ。例え罠があっても、あいつが冷静なら回避することも可能だろう」
「わかった」
「わかりました」
どこか似た響きの声で、二人が答える。
「よし。俺は通信機を持って、これからバザーへ向かう。なにかあったら連絡してくれ」
二人の肯定の声を聞くのと同時に、ショウは通信を切り、立ち上がる。
「さて……まずはアリサのやつを探さねえとな……」
一人ごとをつぶやいて、ショウは行動を起こす。まずは宿に置いておいた、自分の光学バイクを引っ張り出す。それに、長らく使っていなかった、シングルアクションのハンドガン。
「……こいつを、また目覚めさせるようなことにならなきゃいいんだが、な……」
バイクにまたがると、ショウはバザーへと向けて走り出す。風が己の髪をなでるこの感触も、久しぶりだ。セトミがチェイサーとして一人前になってからは、ろくに自分が動くこともなかった。
そのショウのポケットの通信端末が、声をあげた。どうやら、ミナのようだ。
ショウは首と肩で通信端末をはさむようにして、そのまま運転を続ける。
「こちらドック。ミナ、なにかあったか?」
「……おねえちゃん、どうして、おこったの?」
その声は、幼いものながら、どこか核心をつくような鋭さを持っていた。いや、むしろそれは、幼いゆえの素直な疑問だったのかもしれない。
ショウは、一瞬、迷う。この子に、伝えていいものか。思えば、セトミ本人がそれを言いそうな場面は、何度かあったのだ。だが言わなかったのは……心を開いている様子のこの子にさえ、それを告げることをためらっていたのかもしれなかった。
……だが。
ファースト・ワンである、この子――――ミナであれば、互いにその痛みをわかちあえるのではないか。この子なら、ずっと共にいながら、自分が溶かすことのできなかった、セトミの心の、ひどく強固な氷を、溶かすことができるのではないか。
そんな、考えとも呼べない、予感めいた思いが、残雪のごとく胸に降り積もったままであるのも、否定できない事実であった。
「……あいつはな、最初っから、ハーフだったわけじゃないんだ。生まれてきたときは……純粋な、ヒューマンだった」
唇が、こんなに重く感じたのはいつ以来だろうか。こんな世界、言いにくい言葉や言いたくないことを言わざるを得ないことは多くあるが、いつだって、人の口を一番重くするのは、真実を告げるときだ。
ショウは、片手でタバコを取り出すと、器用に火をつけ、口にくわえる。
「だが、あるとき、あいつが住んでいた村の側に、研究者の一団が住み着いた。人々の暮らしをよくするため、と言ってな。やつらはそのための働き手を募り、特に外貨を稼ぐ手段もなかった村からは、何人もの人間がやつらが建てた研究所へ働きに出た」
ミナの返答はない。まるで教会の懺悔室だ。己ができなかったことの罪を、告白しているような気分になる。
「しかしそれは、人々を集める口実に過ぎなかった。やつらの目的は、人間をヴィクティム化させ、兵器として使えるようにするための、人体実験の素体を集めることだったんだ」
返答がないのは、怒りか、虚無か、あるいは、呆れかも知れない。だがそのどれだったとしても、ミナの心持ちはショウにはわからなかった。
「セトミも、その中の一人だった。姉と共に研究所へ行き――――そして、実験のためのサンプルとされた」
思い切り、肺の中にタバコを吸い込み、吐く。己の思いを吐き出すのと、同時に。
「――――俺は、当時チェイサーだった。研究所に働きに行った人間が帰ってこないのを調査してほしいと依頼を受け、その場所へ向かった。だが、もうすべては終わった後だった。人々は、あるいは化け物にされ、あるいは身体の隅々まで調査された死体にされ――――残っていたのは、セトミだけだった。瞳と、前頭部に、因子を埋め込まれて、人の姿を保っていたのは」
通信機の向こうで、息を飲む音が聞こえた。これは、エマにも届いているはずだ。だとすれば、それはミナのものだったのか、それとも、エマのものだったのか。
「それでも……俺は、両親の元に、あいつを返した。ああなっても、それが一番だと思ったんだ。そのときは……。だが、両親は、その姿を見て、化け物だと……追い払った」
気がつけば、奥歯を噛みしめていた。それが己の無力さに対してか、非道な研究員たちに対してか、セトミを追い払った両親に対してか、自分でもわからなかった。
「気がつけば、俺はあいつと旅をしていた。……罪悪感から、かな。俺があいつを家族の元に行かせたのが――――一番、残酷なことだったのかもしれねえ」
「そんなことない」
突然の、そしてきっぱりとしたミナの言葉に、ショウの表情が肩透かしを食らったように、滑稽に固まった。
「私、一人のとき、怖かった。セトミおねえちゃんとおじちゃんが助けてくれて、怖いの、ちょっとなくなった」
感情の波はその声色からはあまり感じられないが、それは今までのミナよりも、少しだけ起伏のある言葉に思えた。
「だから、おねえちゃんも、ショウが来てくれて、うれしかったと、思う」
やれやれ、とショウはタバコを再び吸い込む。いい歳して、幼い子供に諭されて、しかもそれで少し救われてる。とんだ笑いぐさだ。
「……おし、なら一丁、あのバカ猫を迎えに行ってやろうぜ。俺もお前もあいつも――――もう、悪夢なんざ、必要ねえからな」
返答はなかったが、通信端末の向こうで、ミナがうなづいているであろうことは、ショウにはわかっていた。
ミナとの会話から数分の後、ショウはバザーへとたどり着いていた。
すでに、そこには人の姿はまばらだ。誰もが大規模な戦闘のにおいを感じ、退避した跡なのだろう。舞い散るチラシやごみくずに喧騒の跡を見て取ることはできるが。
「……チ。思ったより、街の反応が過剰だ。さっさとアリサを見つけださねえと、めんどうなことに……」
ひとり言をつぶやいてバザーのメインストリートを歩き始めたショウが、ふと、その言葉を止める。
その視線の先には、普段ならば、ここよりももっと裏道――――いかにもスラムでたむろっていそうな、人相の悪い男たちの姿があった。
「……もう、なってるみたいだな」
ショウが小さく舌打ちするのと同時に、威圧しているつもりか、男たちが妙に仰々しい動作で歩み寄ってくる。先頭を歩く、ねずみのような出っ歯の小男の手には、錆びついたナイフ。
「よぉ、兄ちゃん。ここいらは、俺たちが先に目ェつけたんだ。後からしゃしゃりでてきて――――」
瞬間、ショウのブーツが小男の顔面を蹴り上げた。つま先が見事にその出っ歯に当たったらしく、吹き飛んだ歯が鮮血と共に宙を舞う。
「……うるせえ」
口内から脳天まで、まともに衝撃を食らった小男は屋台の一店に頭から突っ込み、そのまま昏倒する。
「てめえらハイエナと一緒にしてんじゃねえ。てめえらのお目当ての残飯なんぞにゃ微塵も興味がねえから、さっさと道をあけやがれ。俺は今、非常に虫の居所が悪いんだ。邪魔すんなら、そこのチビは歯だけですんで幸運だってことを、身をもって教えてやるぜ?」
ぎらりと牙をむくショウに、残りの二人がおずおずと道をあける。考えて道を譲ったというよりは、その迫力に押されて、ただ単に後ずさったというほうが正しいかもしれない。
そんなことにはお構い無しに、ショウは早足でその二人の間を通り抜ける。
その心持ちは、確かに穏やかではない。今の連中はただの雑魚だったが、これからますますああいった連中は増えてくるだろう。すなわち、この混乱に乗じての略奪だ。何人かがそういった行為に出れば、もっとまともな連中も自衛のために行動せざるを得なくなる。
そうなれば、ここも混乱のるつぼと化すだろう。その中でアリサを探すのは至難の業だ。
「――――くそ。やっぱりあいつが情報を流してるんだとしたら、こんなメインストリートにはいねえか。裏道を当たるしかないか」
ショウは、チェイサーたちが主に利用する、その手の品を売っている店が立ち並ぶ裏道へと入って行く。だが、比較的安全なメインストリートでも、すでに略奪を行うようなごろつきたちが出始めているのだ。
裏通りともなれば、すでにかなり危険なにおいの漂う場所となっていることだろう。ショウは、無意識にホルスターのハンドガン――――現在ではかなりめずらしい、シングルアクションのリボルバーに触れた。
裏通りは、メインストリート以上に閑散としていた。武器や銃器を扱うという、場合によっては客が強盗に変貌しないとも限らない商売のためか、雲行きが怪しくなった時点で撤収した店が多いのかもしれない。
残っているのは、さして重要でもない消耗品や、修理しなければ使えないような、ジャンクの類だけだ。
普段はメインストリートの料理のにおいが漂うその通りに、今はかすかに硝煙のにおいと、なにかが焦げたようなにおいが、風に乗ってやってくる。
その硝煙のにおいの漂ってくる先から、数人の人影が現れ、ショウは思わず建物の影に身を潜めた。
地面に射す人影は、みっつ。二つは体格のいい長身の、恐らく男と思われるもの。もう一つ、真ん中に立つ影は、他の二つよりも二まわりは背が低く、華奢だ。どうやら、一人だけ女性が混じっているようだ。
「……指示通り、裏通りの店の銃は大方押さえやした、姉御」
その人影のほうから、男の声が響く。
「……ご苦労様。それじゃあ、下がってくださいな。私、これから会う方がおりますので」
そして、それに返答する、場違いに上品な女の声。その声を聞き、ショウの瞳が見開かれる。
「おいおい、まじかよ……」
そっと、ショウは物陰から声のしたほうを覗き込んだ。
そこには、先ほどの声の主と思われる男と女の姿。そしてその女は、まさに今ショウが探している相手――――アリサだった。
その視線の先には、さっきの声の男か――――傭兵、あるいはバンデッドといった風体の男の姿がある。その姿勢は、まさに自分のボスにお目どおりでもしているかのごとく、うやうやしく礼をしていた。
「どうなってんだ、こりゃ……どう見ても、ありゃ一般市民ってツラじゃねえだろ。なんでそんなやつらに、アリサが……?」
それに、今の男はヒューマンだった。もしアリサがやつらに通じているのだとしても、剣呑な風体の男たちとヴィクティムの特殊部隊がつながっているというのは、どうにもしっくりこない。
ショウが考えている間に、男が去っていく。それと入れ違いになるように、もう一つ、人影がその場に姿を現した。
「……っ、あれは……!」
ショウの瞳が、驚きに染まる。
筋骨隆々とした、見上げるような体躯に、青ざめた死体のような肌の色。さらに、その人物はヴィクティムの軍に属するものだけが与えられる、まるで中世の騎士のような、鋼鉄製の鎧をまとっていた。
「お待ちしておりました。首尾のほうは、いかがです?」
アリサはそのヴィクティムに、相変わらず普段の上品な口調で問いかける。だが、そのどこかに有無を言わせないような剣呑な色を含んだそれは、静かに、奇妙な威圧感を持っていた。
「はっ、軍による襲撃の準備は着々と進んでおります。恐らくは夕刻にはバザー、夜間にはヒューマンの居住区を制圧するために侵攻を始めるでしょう。最終目標は、全シャドウ入り口を、ハウリング・ウルフより奪還することです」
ヴィクティムのその態度は、まるでヒューマンに対するものとは思えなかった。ヴィクティムの多くは自分たちが街の機能を掌握していることから、ヒューマンを『下等種族』と認識している。
軍に属するようなヴィクティムであれば、なおさらだ。
「……こいつは、くせえな。くせえなんてもんじゃねえ。やっぱ、アリサが……」
決定的な場面であると言えた。さすがに、いやに確信めいた状況をもてあまし、ショウは肩をすくめる。
「……なるほど、いい子です。では、下がってください」
アリサの声に、ヴィクティムが驚いたように目を開く。
「はっ? しかし、まだ軍の規模などの報告が――――」
「それは後で詳しくお聞きします。下がりなさい」
先ほどよりも一段、低い声でアリサが言う。その口元の歪んだ笑みに気づいて、ヴィクティムが一礼とともに、あわてて去っていく。
そろそろ、退いたほうがよさそうだ。会話の内容から推測するしかないが、ヴィクティムの軍が動いている。それも、なぜかは分からないが、ヒューマンの活動の中心地を制圧する気だ。
その場を離れようと、一歩、足を踏み出したときだった。
「さて……こんなところに迷い込んだかわいそうなワンちゃん。そろそろ、姿を見せてくださいな」
その声と同時に、光学エネルギーが銃にチャージされていく、甲高い音がショウの耳に届いた。
どうやら、少し前からショウの存在は気づかれていたようだ。アリサが報告の途中で部下らしきヴィクティムを下がらせた時点で気づくべきだった。
歯噛みしても、もう手遅れではあったが。
「どうしました? まだしらを切るなら、このまま蜂の巣にするまでですが」
「……くそったれ」
手を上げた姿勢で、ショウはゆっくりと物陰から姿を現す。
その鋭い視線の先には、豪奢なドレスに身を包み、小型のサブマシンガン――――『カラミティ』をこちらに向けるアリサの姿があった。
「やれやれ、あだ名がドッグだからといって、鼻が利きすぎるのも考え物です。……しかし、残念。来たのがセトミちゃんだったら、『好奇心、猫を殺す』っていう格言の意味を教えてさしあげるのに」
ぬらり、とアリサがどこか艶めかしくさえある動作で舌なめずりをする。
「――――アリサ、やっぱりてめえ……」
歯噛みするショウに、アリサはただ、普段と変わらぬ穏やかな微笑みを浮かべるだけだ。だが、この張り詰めた状況で普段と同じその笑みは、かえって彼女の異質さを際立たせていた。
「違います、と言っても、信じていただけないでしょう?」
「ああ、残念ながら、さすがにこの状況で『私は敵じゃないです』なんて言われて信じられるような、聖人君子じゃないんでね」
ショウの皮肉に、アリサはくすくすと笑みを漏らす。
「ふふふふ……。ですが、ドッグ。あなた、こんなところでサボっていていいんですか? セトミちゃんのフォローをしているんでしょう? いつも通り。うちの二階で、デヴァイスを制御するコンピューター端末を使って、ね」
「……なにが言いたい?」
その笑みに、ひどく嫌な予感が、暗雲のごとく押し寄せる。それは瞬く間に、ショウの心の中を焦燥という暗闇に染めていく。
「もし……その端末が破壊されたら? デヴァイスは作動しなくなる。子猫ちゃんに、ミルクをあげられなくなっちゃいますね。あんなところでミルクをもらえなくなったら、子猫ちゃんは、死――――」
刹那。豪風のような威圧感が両者の間を駆けた。アリサのその言葉が音として意味を伝える前に、ショウの右手が獲物を狙う猛禽のごとく、腰の銃を抜いた。
アリサがその挙動に不意を突かれたその一瞬で、それは終わっていた。
彼女のその手に、先ほどまであったはずのカラミティはすでになかった。ショウのすさまじいまでの速さのクイックドロウによって、後方へと弾かれていた。
そして、その銃撃を放った当の本人は……脱兎のごとく、駆け出していた。バザーの入り口へと、向かって。