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第1幕・Aim(エイム)の章〜①〜

ー/ー



3月31日(金)

 大阪市天王寺区の大江神社には、狛犬(こまいぬ)ならぬ「狛虎(こまとら)」が鎮座している。
 
 この「狛虎」の由来に関する詳細は、戦災によって資料が消失してしまったため正確なところは不明なものの、300年以上も前に作られたものであろうと推察されているそうだ。「狛虎」が鎮座する正面奥の空き地部分に江戸時代に毘沙門堂があったと伝わっていることから、毘沙門天(寅年、寅の月、寅の日、寅の刻に生誕したとされている)の御使(みつか)いである虎を毘沙門堂を護る為に「狛虎」として鎮座させたのではないか、と考えられているらしい。

 ただ、全国的にも珍しい、この「狛虎」、もともとは、一般的な狛犬と同様に「阿形(あぎょう)」と「吽形(うんぎょう)」の一対をなしていたらしいが、明治時代の神仏分離によって、吽形(うんぎょう)の像が滋賀に移され、残されたもう片方の阿形(あぎょう)の像も、戦時中の空襲によって損傷をしたものの、戦後もそのままにされていたそうだ。

 2002年、暗黒時代と呼ばれる成績不振から脱するべく、阪神タイガースは、中日ドラゴンズを二度のリーグ制覇に導いた星野仙一(ほしのせんいち)を監督に招聘する。

 全国の阪神ファンが歓迎ムードに湧くなか、この大江神社でも、一つの試みがなされた。それが、この地に昔から鎮座する狛虎に「阪神タイガースの優勝祈願」をすることだった。

 ファンが、狛虎に優勝祈願をすると、阪神タイガースは勢いづき始めた――――――。

 そして、星野体制二年目の2003年になると、チームは破竹の勢いで勝ち進んでいく。
 こうなると願掛けに賛同する者も増えるようになり、

「狛虎を一対にしたら阪神タイガースが優勝するのでは?」 

と、当時現存していた阿形(あぎょう)だけでなく、新たに吽形(うんぎょう)を作成し「(つい)」にする話が持ち上がった。話が持ち上がると行動は早く、ファンの熱い思いに応じるかのように驚きのスピードで吽形(うんぎょう)は完成する。

 こうして、神社の氏子たちによって新たに作られた吽形(うんぎょう)像が奉納され、阿吽(あうん)の狛虎が、約130年ぶりに(つい)として揃うことになった。奇しくも、この年、阪神タイガースは18年ぶりにセ・リーグ制覇を達成してしまう。

 これにより、

「狛虎が揃ったご利益や!」

と、この阿吽像は、在阪のマスコミに大きく取り上げられ、大江神社は、阪神ファンの新たな「聖地」となった。

 一対の「狛虎」の周囲には、今シーズンも、ファンが奉納(?)したメガホンやレプリカ・ユニフォームが飾られている。
 
 他のタイガースファンと同じく、今日から開幕する新しいシーズンでの我がチームの飛躍を祈願するために、僕も、この神社の参拝に赴いた。
 手水(ちょうず)で身を清め、神前で二礼二拍手一礼の作法に(のっと)ったお参りを行ったあと、社務所で狛虎御守(こまとらおまもり)をいただき、開幕前に予定していた()()は、すべて滞りなく終えることができた。
 
 大学卒業後に就いた職場である小学校と中学校は、春休み真っただ中で有給休暇を取るのに遠慮することもなかったため、僕は、学生時代と同じように金曜日を丸一日、自由に過ごす権利を行使している。
 天王寺にあるこの神社への参拝する前、すでに、自宅のある西宮市の廣田神社(ひろたじんじゃ)(注1)と甲子園素盞嗚神社(こうしえんすさのおじんじゃ)(注2)への参拝を済ませ、尼崎中央商店街(注3)の日本一早いマジックナンバー(M143)のボードを写真に収めてきたのだ。

 夕方からの()()(注4)を前に、自分の中だけで、密かに『阪神三社参(さんじゃまい)り』と称しているお社と濃度の濃い商店街という()()()()()()()巡りを予定通りに終えることができたことに満足し、夕陽ケ丘の夕焼けを眺めながら、今シーズンの開幕戦が行われる場所に向かうことにした。

 ※

 JR天王寺駅から環状線に乗車し、大正駅で下車して目的地へと向かう。
 木津川と尻無川が交差する大正橋を渡ると、未確認飛行物体を思わせる銀色の巨大なオブジェが目に飛び込んできた。

 京セラドーム大阪――――――。

 パシフィック・リーグのオリックスバファローズのホームグラウンドにして、ライブ・コンサートや展示会など各種のイベントにも活用されるドーム球場兼複合レジャー施設なのだが……。
 2023年シーズン前の阪神ファンにとっては、一年前の悪夢がよぎる『()()』とも言える場所でもあった。

 2022年のペナントレース開幕戦――――――。

 シーズン前に、指揮官の矢野監督の指示の下、リーグ優勝を前提とした『予祝(よしゅく)』と呼ばれる、一般人には理解しがたい儀式を行った我らが阪神タイガースだったのだが……。
 前年の2021年にシーズン最終戦まで優勝を争った東京ヤクルトスワローズをこの球場に迎え、5回終了までに8対1と大量にリードしながら、その後リリーフ陣が打ち込まれ、1点リードの9回表には、勝ち試合を締めくくる新守護神(クローザー)として期待されたカイル・ケラーが、山田哲人とサンタナにホームランを打たれるという悪夢のような試合展開の末、8対10で敗れるという目を覆わんばかりの信じられない敗戦を喫したのだ。

 その悪い流れを断ち切ることができないまま、このシーズンは、開幕9連敗、開幕17試合での史上最低勝率.063を記録するなど、最悪のスタートとなってしまった。

 前年のこのような体たらくを見せつけられては、(商店街のマジック・ボードは別にして)我らがチームの新たなシーズンの前途を憂いて、神頼(かみだの)みをしてしまう人間の気持ちを少しはご理解いただけるのではないだろうか?
(前任の矢野監督の『予祝』と、神社への参拝にどんな違いがあるのか? とツッコミを入れられると返す言葉もないが……)
 
 木津川沿いの府道173号線から、ドーム球場へ続く道に入ると、僕と同じように、法被、レプリカユニフォーム、Vメガバットを身にまとった、()()姿のファンが増えてきた。

 今日からの開幕三連戦のチケットは、すでに購入済みだ。

 運命の2023年のペナントレースが、いよいよ始まる――――――。

 注釈)
 
 注1:選手と球団関係者一同が開幕前に参拝するのが恒例となっている
 注2:文字通り境内が阪神甲子園球場のライトスタンド場外にある神社
 注3:二日前にはボードのお披露目とともに六甲おろしの合唱が行われたらしい
 注4:ある種のファンにとって、阪神戦での応援は観戦ではなく、参戦なのだ




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3月31日(金)
 大阪市天王寺区の大江神社には、|狛犬《こまいぬ》ならぬ「|狛虎《こまとら》」が鎮座している。
 この「狛虎」の由来に関する詳細は、戦災によって資料が消失してしまったため正確なところは不明なものの、300年以上も前に作られたものであろうと推察されているそうだ。「狛虎」が鎮座する正面奥の空き地部分に江戸時代に毘沙門堂があったと伝わっていることから、毘沙門天(寅年、寅の月、寅の日、寅の刻に生誕したとされている)の|御使《みつか》いである虎を毘沙門堂を護る為に「狛虎」として鎮座させたのではないか、と考えられているらしい。
 ただ、全国的にも珍しい、この「狛虎」、もともとは、一般的な狛犬と同様に「|阿形《あぎょう》」と「|吽形《うんぎょう》」の一対をなしていたらしいが、明治時代の神仏分離によって、|吽形《うんぎょう》の像が滋賀に移され、残されたもう片方の|阿形《あぎょう》の像も、戦時中の空襲によって損傷をしたものの、戦後もそのままにされていたそうだ。
 2002年、暗黒時代と呼ばれる成績不振から脱するべく、阪神タイガースは、中日ドラゴンズを二度のリーグ制覇に導いた|星野仙一《ほしのせんいち》を監督に招聘する。
 全国の阪神ファンが歓迎ムードに湧くなか、この大江神社でも、一つの試みがなされた。それが、この地に昔から鎮座する狛虎に「阪神タイガースの優勝祈願」をすることだった。
 ファンが、狛虎に優勝祈願をすると、阪神タイガースは勢いづき始めた――――――。
 そして、星野体制二年目の2003年になると、チームは破竹の勢いで勝ち進んでいく。
 こうなると願掛けに賛同する者も増えるようになり、
「狛虎を一対にしたら阪神タイガースが優勝するのでは?」 
と、当時現存していた|阿形《あぎょう》だけでなく、新たに|吽形《うんぎょう》を作成し「|対《つい》」にする話が持ち上がった。話が持ち上がると行動は早く、ファンの熱い思いに応じるかのように驚きのスピードで|吽形《うんぎょう》は完成する。
 こうして、神社の氏子たちによって新たに作られた|吽形《うんぎょう》像が奉納され、|阿吽《あうん》の狛虎が、約130年ぶりに|対《つい》として揃うことになった。奇しくも、この年、阪神タイガースは18年ぶりにセ・リーグ制覇を達成してしまう。
 これにより、
「狛虎が揃ったご利益や!」
と、この阿吽像は、在阪のマスコミに大きく取り上げられ、大江神社は、阪神ファンの新たな「聖地」となった。
 一対の「狛虎」の周囲には、今シーズンも、ファンが奉納(?)したメガホンやレプリカ・ユニフォームが飾られている。
 他のタイガースファンと同じく、今日から開幕する新しいシーズンでの我がチームの飛躍を祈願するために、僕も、この神社の参拝に赴いた。
 |手水《ちょうず》で身を清め、神前で二礼二拍手一礼の作法に|則《のっと》ったお参りを行ったあと、社務所で|狛虎御守《こまとらおまもり》をいただき、開幕前に予定していた|儀《・》|式《・》は、すべて滞りなく終えることができた。
 大学卒業後に就いた職場である小学校と中学校は、春休み真っただ中で有給休暇を取るのに遠慮することもなかったため、僕は、学生時代と同じように金曜日を丸一日、自由に過ごす権利を行使している。
 天王寺にあるこの神社への参拝する前、すでに、自宅のある西宮市の|廣田神社《ひろたじんじゃ》(注1)と|甲子園素盞嗚神社《こうしえんすさのおじんじゃ》(注2)への参拝を済ませ、尼崎中央商店街(注3)の日本一早いマジックナンバー(M143)のボードを写真に収めてきたのだ。
 夕方からの|参《・》|戦《・》(注4)を前に、自分の中だけで、密かに『阪神|三社参《さんじゃまい》り』と称しているお社と濃度の濃い商店街という|パ《・》|ワ《・》|ー《・》|ス《・》|ポ《・》|ッ《・》|ト《・》巡りを予定通りに終えることができたことに満足し、夕陽ケ丘の夕焼けを眺めながら、今シーズンの開幕戦が行われる場所に向かうことにした。
 ※
 JR天王寺駅から環状線に乗車し、大正駅で下車して目的地へと向かう。
 木津川と尻無川が交差する大正橋を渡ると、未確認飛行物体を思わせる銀色の巨大なオブジェが目に飛び込んできた。
 京セラドーム大阪――――――。
 パシフィック・リーグのオリックスバファローズのホームグラウンドにして、ライブ・コンサートや展示会など各種のイベントにも活用されるドーム球場兼複合レジャー施設なのだが……。
 2023年シーズン前の阪神ファンにとっては、一年前の悪夢がよぎる『|忌《い》み|地《ち》』とも言える場所でもあった。
 2022年のペナントレース開幕戦――――――。
 シーズン前に、指揮官の矢野監督の指示の下、リーグ優勝を前提とした『|予祝《よしゅく》』と呼ばれる、一般人には理解しがたい儀式を行った我らが阪神タイガースだったのだが……。
 前年の2021年にシーズン最終戦まで優勝を争った東京ヤクルトスワローズをこの球場に迎え、5回終了までに8対1と大量にリードしながら、その後リリーフ陣が打ち込まれ、1点リードの9回表には、勝ち試合を締めくくる新|守護神《クローザー》として期待されたカイル・ケラーが、山田哲人とサンタナにホームランを打たれるという悪夢のような試合展開の末、8対10で敗れるという目を覆わんばかりの信じられない敗戦を喫したのだ。
 その悪い流れを断ち切ることができないまま、このシーズンは、開幕9連敗、開幕17試合での史上最低勝率.063を記録するなど、最悪のスタートとなってしまった。
 前年のこのような体たらくを見せつけられては、(商店街のマジック・ボードは別にして)我らがチームの新たなシーズンの前途を憂いて、|神頼《かみだの》みをしてしまう人間の気持ちを少しはご理解いただけるのではないだろうか?
(前任の矢野監督の『予祝』と、神社への参拝にどんな違いがあるのか? とツッコミを入れられると返す言葉もないが……)
 木津川沿いの府道173号線から、ドーム球場へ続く道に入ると、僕と同じように、法被、レプリカユニフォーム、Vメガバットを身にまとった、|正《・》|装《・》姿のファンが増えてきた。
 今日からの開幕三連戦のチケットは、すでに購入済みだ。
 運命の2023年のペナントレースが、いよいよ始まる――――――。
 注釈)
 注1:選手と球団関係者一同が開幕前に参拝するのが恒例となっている
 注2:文字通り境内が阪神甲子園球場のライトスタンド場外にある神社
 注3:二日前にはボードのお披露目とともに六甲おろしの合唱が行われたらしい
 注4:ある種のファンにとって、阪神戦での応援は観戦ではなく、参戦なのだ