【伍ノ肆】

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「オリジン、ねえ」  家に帰るなりお母さんはお湯を沸かし、コーヒーをマグカップに入れた。お母さんが好きな色の緑のマグカップだ。ゆうには、青い空と雲のいつものマグカップに、やっぱりトマトジュースを注いでくれた。ずず……コーヒーをすすりながら、お母さんは言った。 「始祖のことよね……ベルベッチカちゃんは、そう呼んでたのね」 「……うん。ずっと長い間追いかけられてたみたい」  ごくん……痛むお腹をトマトジュースが和らげてくれる。お母さんはゆうをまっすぐ見た。 「……で、ゆうちゃんは倒したいの? 村の人みんなを殺すことになっても?」 「……ううん、みんなじゃない。沙羅はまだヒトだよ。おじいちゃんも」 「それでも、翔くんや美玲ちゃん、みかちゃんに、こうさか亭の結花ちゃんも、みんな殺すの?」 「ちょっとまって」  ゆうはお母さんを遮った。言葉の中に何か、とてもとても大きなを感じたからだ。 「……どうしたの?」  お母さんは目を丸くしている。  けれども……なぜかそれがなんなのかは……わからなかった。 「……とにかく。……お母さんは反対よ」  え。  ゆうは予期していない言葉に耳をうたがう。 「そんな危ない相手だったら、倒したりしないで、そっとしておくのがいいんじゃないかしら」 「……何言ってるの? 村の人たちがおおかみにすり替えられてるんだよ? こうしている間にも、また誰かが襲われるかもしれないんだ」 「あなたがやらなくていいって、言ってるのよ。そういうのは沙羅ちゃんのおじい様とか、そういう訓練された人がやるの」  お母さんは何を言っているのだろう。おじいちゃんの言っていたことを忘れてしまったかのよう。 「でも……僕はベルを取り戻したくて……」 「死んでしまった女の子をひとり生き返らすのに、村の人みんなを殺すの? よく考えて。ゆうちゃん。いのちの価値を考えて。死んだ子ひとりと、村のたくさんのいのちを……」 「死んだ子ひとりじゃない! 僕の、僕の全てなんだ! ベルは」 『きみ。愛しいきみ』  突然、ベルの声がした。 『オリジンだ。気をつけろ、すぐ近くだぞ』  ふっ、と窓から差し込む太陽の光が弱くなり、部屋が暗くなる。かたかたかたかた……テーブルの上のマグカップが小刻みに揺れる。 「あら、地震かしら」  何も知らないお母さんが自分のマグカップを見る。がたっ、とゆうは席を立った。 (守らなくちゃ。みかのようにはさせるもんかっ!) 『目を開けるんだ』 「? 開いてるよ?」 『あげたろ? 新月の目だよ。ヒトの目よりはうんと利くはずだよ』  ベルにも見えなかった「敵」だ。正直怖い。でも。 『額にもうひとつ目があるつもりで、額に意識を集中しながらゆっくり、目を開くんだ』  でもベルが教えてくれる。新月のモノの生き方を。闘い方を。 「額に……もうひとつ……開く……」  ゆうはそう呟きながら、額に意識を集中する。じんわり、暖かくなる。ぱちり……赤い、真っ赤だ。視界が赤い。ちょうど、テレビで見た赤外線カメラで見ているような感じだ。 『後ろだっ』  ベルの声に振り返ると「白く光る人型のナニカ」が、ゆうのお腹に打撃を与えた。 「おかあさ──」  ゆうは数メートル飛びリビングと和室の間のふすまを破り仏壇に突っ込んで、意識を失った。  ……  雪が降っている。真っ白な雪道で。金髪の吸血鬼が倒れている。 「やめてくれ……お願いだ、私から、私からその子を取り上げないでくれ……」  ベルベッチカは黒い影に向かって叫んだけれど、影はエレオノーラを抱くと、そのままどこかへと消えた。 「ごほっ、ごほっ……エレオノーラ、エレオノーラァっ!」  オリジンに我が子を奪われた新月の少女は、雪の上で血を吐きながら絶叫した。  ……  ……大祇村。夕方。ゆうはむせると、血を吐いた。ずきんっ、胸に信じられない痛みを感じる。  アバラが折れているのだが、ゆうは構わず倒れた仏壇からはい出た。  家の中は暗い。窓の外も暗い。そして……リビングには誰もいない。 「お母さん……お母さん!」  その呼びかけに、優しい笑顔で答える大好きなお母さんは、もう居ない。 『赤ちゃんがね、出来たの』 「うわああぁぁぁぁ──!」  始祖に母を奪われた新月の少女は、家のガラスを全部割って絶叫した。



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「オリジン、ねえ」  家に帰るなりお母さんはお湯を沸かし、コーヒーをマグカップに入れた。お母さんが好きな色の緑のマグカップだ。ゆうには、青い空と雲のいつものマグカップに、やっぱりトマトジュースを注いでくれた。ずず……コーヒーをすすりながら、お母さんは言った。 「始祖のことよね……ベルベッチカちゃんは、そう呼んでたのね」 「……うん。ずっと長い間追いかけられてたみたい」  ごくん……痛むお腹をトマトジュースが和らげてくれる。お母さんはゆうをまっすぐ見た。 「……で、ゆうちゃんは倒したいの? 村の人みんなを殺すことになっても?」 「……ううん、みんなじゃない。沙羅はまだヒトだよ。おじいちゃんも」 「それでも、翔くんや美玲ちゃん、みかちゃんに、こうさか亭の結花ちゃんも、みんな殺すの?」 「ちょっとまって」  ゆうはお母さんを遮った。言葉の中に何か、とてもとても大きなを感じたからだ。 「……どうしたの?」  お母さんは目を丸くしている。  けれども……なぜかそれがなんなのかは……わからなかった。 「……とにかく。……お母さんは反対よ」  え。  ゆうは予期していない言葉に耳をうたがう。 「そんな危ない相手だったら、倒したりしないで、そっとしておくのがいいんじゃないかしら」 「……何言ってるの? 村の人たちがおおかみにすり替えられてるんだよ? こうしている間にも、また誰かが襲われるかもしれないんだ」 「あなたがやらなくていいって、言ってるのよ。そういうのは沙羅ちゃんのおじい様とか、そういう訓練された人がやるの」  お母さんは何を言っているのだろう。おじいちゃんの言っていたことを忘れてしまったかのよう。 「でも……僕はベルを取り戻したくて……」 「死んでしまった女の子をひとり生き返らすのに、村の人みんなを殺すの? よく考えて。ゆうちゃん。いのちの価値を考えて。死んだ子ひとりと、村のたくさんのいのちを……」 「死んだ子ひとりじゃない! 僕の、僕の全てなんだ! ベルは」 『きみ。愛しいきみ』  突然、ベルの声がした。 『オリジンだ。気をつけろ、すぐ近くだぞ』  ふっ、と窓から差し込む太陽の光が弱くなり、部屋が暗くなる。かたかたかたかた……テーブルの上のマグカップが小刻みに揺れる。 「あら、地震かしら」  何も知らないお母さんが自分のマグカップを見る。がたっ、とゆうは席を立った。 (守らなくちゃ。みかのようにはさせるもんかっ!) 『目を開けるんだ』 「? 開いてるよ?」 『あげたろ? 新月の目だよ。ヒトの目よりはうんと利くはずだよ』  ベルにも見えなかった「敵」だ。正直怖い。でも。 『額にもうひとつ目があるつもりで、額に意識を集中しながらゆっくり、目を開くんだ』  でもベルが教えてくれる。新月のモノの生き方を。闘い方を。 「額に……もうひとつ……開く……」  ゆうはそう呟きながら、額に意識を集中する。じんわり、暖かくなる。ぱちり……赤い、真っ赤だ。視界が赤い。ちょうど、テレビで見た赤外線カメラで見ているような感じだ。 『後ろだっ』  ベルの声に振り返ると「白く光る人型のナニカ」が、ゆうのお腹に打撃を与えた。 「おかあさ──」  ゆうは数メートル飛びリビングと和室の間のふすまを破り仏壇に突っ込んで、意識を失った。  ……  雪が降っている。真っ白な雪道で。金髪の吸血鬼が倒れている。 「やめてくれ……お願いだ、私から、私からその子を取り上げないでくれ……」  ベルベッチカは黒い影に向かって叫んだけれど、影はエレオノーラを抱くと、そのままどこかへと消えた。 「ごほっ、ごほっ……エレオノーラ、エレオノーラァっ!」  オリジンに我が子を奪われた新月の少女は、雪の上で血を吐きながら絶叫した。  ……  ……大祇村。夕方。ゆうはむせると、血を吐いた。ずきんっ、胸に信じられない痛みを感じる。  アバラが折れているのだが、ゆうは構わず倒れた仏壇からはい出た。  家の中は暗い。窓の外も暗い。そして……リビングには誰もいない。 「お母さん……お母さん!」  その呼びかけに、優しい笑顔で答える大好きなお母さんは、もう居ない。 『赤ちゃんがね、出来たの』 「うわああぁぁぁぁ──!」  始祖に母を奪われた新月の少女は、家のガラスを全部割って絶叫した。



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