《これからもよろしくな。》
沖から初めてもらったメッセージ。
あれから一度もやり取りはしていないので、トークルームにはもうひとつ、怜那が送った『先生、ありがとう』だけ。
◇ ◇ ◇
帰りのホームルームも終わり、担任の沖はさっき職員室へ戻って行った。
「あの、有坂さん」
今日は補習もないし帰ろうか、と教室を出たところで怜那は呼び止められてそちらへ顔を向ける。
「……今ちょっと、いい?」
声の主は、隣のクラスの女子生徒だった。
見知ってはいるが、特に親しいわけでもない。
高校生同士なんて、
然程仲良くはなくても呼び捨てかニックネームが普通なので耳慣れなかった。
というより、「さん」付けするような程度の仲の相手に話し掛けられたことに、むしろ怜那は驚いてしまう。己がフレンドリーとは言い難いことくらい、自覚しているからだ。
彼女は百六十に満たない怜那より十センチ以上背が高く、きりりとした涼しげな目元の大人びた美しい顔立ちで、人を寄せ付けない印象さえ与える。
実際に、入学当初は自然と遠巻きにされているような空気もあった。
本人が明るいお調子者とは程遠く、いつも自分の席でポツンとひとり座っていたので、周りも近寄り難かったというのもあったのだろう。
怜那はそんなことで怯えるような性格ではないが、確かに迫力があるなとは感じていた。
男子の平均と変わらないような長身に、綺麗な栗色のすっきりしたショートヘア。『凛とした』という形容が相応しい
佇まいで、どことなく孤高という雰囲気を
纏わせていた彼女。
しかしすぐにそれはただの思い込みで、実はおとなしくて人見知りというギャップのあるキャラクターだというのがわかって、クラスメイトにも妙な緊張感はなくなった。
他人と打ち解けるのは苦手らしかったが、それでも仲のいい友人はできたようだ。
怜那も、幼馴染みの大翔がそれとは対極に誰とでもすぐに仲良くなるようなタイプで、この彼女とも一年生時に同じクラスだったという彼を介して話したこともあった。
大翔がいなければ会話が続きそうな気もしなかったけれど。
「何?
屋敷さん」
「あ、えっと──」
普段通りではあるのだが、よく知らなければつっけんどんにも感じられる怜那の対応に、屋敷 あゆ
美は少し
怯んだようだった。
「あんまり人のいないとこがいいんだけど、あの」
「……だったら、上の進路指導室の前でも行く? 今の時間ならたぶん誰もいないんじゃないかな」
咄嗟に馴染みのある場所が出て来てしまったが、彼女の出した条件にはちょうど
当て
嵌まる。
「校舎の行き止まりだから、用がないと行くとこじゃないし、もし誰か近づいて来たらすぐわかるよ」
「あ、うん、それでいい。ありがとう」
すんなり承諾したあゆ美と連れ立って階段を上がり、怜那にとってはいろいろと個人的な想い出の多いコーナーに
辿り着いた。
進路指導室とその隣の談話スペースのドアをノックし、念のためにドアの取っ手に手を掛けて施錠されていて無人なのを確かめる。
怜那は勝手知ったるといった調子で、廊下の壁沿いに並んだ個別ブースの一番奥から椅子を二つ引っ張り出した。
「勝手に使って、いいのかな……?」
「いいんじゃないの?」
怒られないかな、とびくびくしているあゆ美に、怜那は適当に返す。
「ここは別にオープンスペースでしょ。まあ一応、先生と一緒に使う前提だけどさ。今は誰もいないんだし、汚したり壊したりするわけでもないんだから」
言いながら堂々と椅子に腰を下ろした怜那は、もう一方をあゆ美に勧める。
恐る恐るといった様子で座面の端に遠慮がちに座った彼女に、怜那は改めて声を掛けた。
「で? なんか私に話あるんだよね?」
「あ、あーそうなんだ、けど。うん……」
それでも、なかなか始めようとしないあゆ美に、怜那が
痺れを切らしてさらに促そうとしたそのとき。
「あの、ね。有坂さんって沖先生と、その──」
衝撃のあまり、怜那は最後まで聞かずに椅子を
蹴倒して立ち上がる。
「な、何、何を、アンタ──」
怜那の勢いに、飲まれたように彼女は口を
噤んでしまった。
その慌てようでは、何かあると白状しているようなものだということまで、パニック状態の怜那は思い至らない。
しかも、あゆ美が何を言いたかった、訊きたかったのかもわからないままなのに。
「あの、お、落ち着いて。大丈夫、わたしちょっと訊きたかっただけだから」
あまりにも激しい反応に呆然としていたあゆ美が、ようやく口を開く。
「ホントに、責める気も人に話す気も全然ないの。──だから」
彼女の気遣わし気な声に、怜那はとりあえず冷静さを取り戻した。
倒してしまった椅子を起こして、まるで力の入らない様子でよろよろと座り直す。
「いきなりゴメンね、
吃驚させちゃって……」
──まったくその通りだよ! いくらなんでも、もうちょっとやり方あるでしょ。前振りするとかさ。
たとえ念入りに前振りしてもらっていたとしても、沖の話が出た時点ですべて消し飛んでしまうのは想像に難くないのだが。
怜那はそんなことは無視して、心の中だけで彼女に毒づいた。
「……有坂さんって、沖先生と付き合ってるの?」
あゆ美はようやく本題に入ったようで、言葉を選びながらゆっくりと話し出す。
「あ、別に興味本位とかそんなんじゃないの。わたしも。……あのわたしも、好きな先生が、いるから」
怜那を気遣いながら、だんだんと消え入りそうになる声で、あゆ美は自分のことを打ち明けて来た。
──いや、いいのかよ。仲良くもない私にそんな大事なことバラしちゃって。
「わたしね、その先生を陰からいつも見てたんだけど、他にも同じような子いないのかなって気になって。それで他の先生も自然に見るようになったんだ。そしたら有坂さんが沖先生となんか、なんかちょっと、普通じゃないなって気づいちゃった、っていうか……」
彼女の怖いくらい真剣な様子に、怜那はどうすべきか瞬時に計算したものの、結局ははぐらかさず正直に答えることにした。
「……付き合ってはいない。いない、と思うんだけど、どうなのかな」
正直、自分でもよくわからないことなので、どうしても
曖昧な表現になってしまう。
「どういう状態を付き合ってるって呼ぶかによるけど、学校の外で会うとか先生の家に行くとかは全然、一回もない。そんな予定もないし。でも、先生に好きだって打ち明けたし、先生も、口には出さないけど私が好きでいてくれるってわかったんだ」
敢えて感情を込めないようにして、怜那は事実だけを並べて行く。それがいちばんいいと思ったからだ。
困ったら正面突破! 単純極まりないが、それが怜那だった。
「先生は卒業まで待ってくれって……。ううん、はっきりとは聞いてないけど、私はそういうつもりで受け止めてるよ」
淡々と話す怜那の姿に覚悟を読み取ったのか、あゆ美も背筋を伸ばして話し始めた。
「あ、あの、わたし。実はその、……
康之先生が、好きで──」
「康之先生って誰?」
見事に話の腰を折る怜那の
無頓着な質問に、あゆ美はそれでも丁寧に説明してくれる。
「あ、高橋、康之先生。国語の、あの。うちの学校、高橋先生って他にもいらっしゃるから。名前で呼んでいいって、最初の授業で、だからわたしも」
「……あー、そういえばそうだっけ?」
基本的に、教員になどたいして興味もない怜那だが、一応教科担当の顔と名前くらいは最低でも覚えている。
フルネームとなるとかなり怪しいし、正直なところ高橋の名前の話など、記憶の片隅にもなかったのだが。
──国語の高橋先生って、確か学年主任の。落ち着いてて優しくて、でもなあなあじゃなくてって感じ。この子が好きになるのも、うん、なんかわかる気がする。見た目は別に背も高くないしフツーのおじさんぽくてカッコいい方じゃないと思うんだけど、大人で頼り甲斐あるからなんだろうな。
ただ、高橋はこの彼女と身長が変わらない気がする。
……いや、あゆ美にとってはそんな事実は些細などうでもいいこと、なのかもしれない。
「私はあんまり、どの先生とも話すことなんかないから。呼ぶにしてもただ『先生』だし」
怜那はひとりで納得して、彼女に弁解した。
「でもさ、たか、康之先生、がいい先生なんだろうなってのはわかるよ」
怜那の言葉に、あゆ美は嬉しそうに何度も頷く。
「そうなの、ホントに凄く、凄くいい先生なのよ」
笑みを浮かべた彼女の優しい表情に、怜那は改めて意外に思った。
──こんな顔するんだ。屋敷さんってキレイだけど澄ましてるって感じだったけど、なんか可愛いな。
「あ、有坂さんに訊きたかったのは、付き合ってるかもあるんだけど。どうしてそうなったっていうのか、告白とかしたのかなとか、それはどっちがとか。そういうのが知りたかったの」
あゆ美が思い出したように、怜那が
逸らしてしまった話を戻して来る。
「えーと、さっき言ってたのでは、好きって有坂さんの方からってこと? ……怖くなかった? 断られたらっていうよりも、嫌われたらどうしようとか、思わなかった?」
あゆ美の問いに、怜那はもうこの際ありのままのすべてを話すことにした。
「……私はなんか、勢いで言っちゃったみたいなもんだから。そのあとでどうしようって感じだったんだよね」
改めて言葉にしてみると、怜那は当時の自分の考えなさに呆れてしまう。
「もし屋敷さんがこれから告白しようとか考えてるんだったら、その場の勢いとか雰囲気とかだけは止めときなって言いたいよ、私は」
辛かったはずの出来事も、今思い出すとどこか懐かしい。ただ、それは想いが叶ったからこそだということぐらい理解している。
だから彼女には。
「私はホントにラッキーだったんだろうけど。でも、屋敷さんと康之先生のことはわからないから、無責任に『告白しちゃえ』とは思わないな」
自分から苦しみに飛び込んでいくことはない。結果が見通せないからこそ。
「私だって、いったんは断られてすっごい後悔したし。『もう学校行かない!』って落ち込んだから」
自分の経験を踏まえながらの怜那の台詞に、あゆ美は聞き入っていた。
「私は康之先生のことそんな詳しくないけど、たぶん先生は屋敷さんの気持ちに応えられなくても、嫌いになったり邪魔にしたりはしないように思うんだよね。だけど屋敷さんは、先生に面倒掛けたって気にするんじゃない?」
怜那があゆ美のことを思っているのは、本人にも伝わったのだろう。
「ありがとう。ホントにわたし、いきなり失礼だったと思うのに、有坂さんがちゃんと答えてくれて嬉しかった」
笑顔で礼を言い去って行く彼女を、怜那はこの二人の未来にも幸せが来るといいと見送った。

それ以来、怜那はあゆ美とよく話すようになった。
彼女の、見た目の印象とはまるで違う、穏やかな性格はとても好感が持てる。
──こんないい子だったなんて知らなかった。以前三人でいたときは、ほとんど大翔が喋るのにあゆ美が相槌打って、私は適当に聞いてるだけって感じだったからなぁ。
「なに? 二人仲良かったか?」
一緒にいるところに大翔が通り掛かり、意外な組み合わせに目を丸くした。
「あ、うん、最近結構。ね? あゆ美」
「そうなの。怜那ちゃんって、もっとツンケンしてるのかと思ってたら優しかったし」
「なによ、それ~。アンタ、私のことそんな風に見てたんだ?」
笑い合う二人に大翔も加わって、その日は途中まで一緒に帰ることになった。
その後も何度か三人で一緒に話す機会はあったが、彼はあゆ美がいる場では、決して沖に関わる話題は出さない。
それだけではなく、少しでも恋愛に繋がるようなことも一切。
彼女がどれほどいい人間で怜那と仲が良くても、勝手に知らせていいことではないという判断なのだろう。
当たり前のことなのかもしれないが、怜那は大翔のそういうところは、本当に信頼に値すると感心していた。
……大翔はもちろん、あゆ美の気持ちは知らないだろう。高橋に想いを寄せていることは。
もちろん、怜那があゆ美の許可もなく訊けることではないくらいは承知している。
どんなに仲が良くても、彼女は他人に、ましてや男子にそういうことを知られるのは嫌がるだろう。
怜那自身、大翔は特別な存在で、男女問わず他の子には絶対に知られたくないと思っているから。
──でも、私はホントに気をつけなきゃ。うっかりあゆ美と康之先生のこと喋っちゃわないように。
それは大翔を見習わないと、と怜那は考えていた。