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【1】②

ー/ー



「怜那、テストどうだった?」
 帰り道、偶然一緒になった野上(のがみ) 大翔(ひろと)が気軽に問い掛けて来る。
 彼と怜那は家が隣同士で、所謂幼馴染みになるのだ。

 校区のない私立で、二人の家は学校からの近さでは校内でも上から数えられる。
 そのため、わざわざ約束するようなことはないが、会えば一緒に帰るのがお決まりだった。

「全部は返って来てないけど。英語と数学以外はフツーかな、いつも通り」
 隣を歩く大翔は百八十超で、せいぜい平均程度の怜那より二十センチ以上背が高い。首を反らすようにして彼の顔を一瞬見上げ、怜那が淡々と答えた。

「……いつも通り、英語は良くて数学は、ってこと、だよな?」
 さすがにずっと同じ学校で、共に過ごした時間も長い大翔は話が早い。

「まー、英語は得意だし大丈夫だろうけど。数学は? 悪いにもレベルがあるだろ」
二十七点(twenty-seven)
 端的に数字を口にした怜那に、聞かされた彼の方が開いた口が塞がらない様子だ。

「……お前、なんでそんな平気で、──文系の数Ⅱって平均そんな低くないんじゃないのか? まさか五十点満点ってオチじゃない、よな?」
「中間テストで五十点満点とかあんの? 平均は、──七十六点だった、かな?」

「怜那。俺と一緒に勉強しよっか? 数学なら教えてやるよ」
「え~、パス。私、数学なんてどーでもいいもん」
「……」
 あっさり返した怜那に、大翔はまるで毒気を抜かれたかのように黙り込んだ。

 ……もうすぐ家に着く。


    ◇  ◇  ◇
「沖先生に呼ばれました」
 ほとんど足を向けることもなかった職員室。
 怜那は、ドアを開けたその場で立ったままそれだけ口にした。

「おう、有坂。こっち来なさい」
 声が掛かった方向へ目を向けると、部屋の中ほどで沖が座ったまま手招きしている。学年で一塊になっているらしい机の一番端なのは、やはり若いからだろうか。
 怜那はおざなりに軽く頭を下げて、ゆっくりと彼の元へ歩を進めた。

「有坂。お前もうちょっと何とかしないと、このままじゃマズいぞ」
 真剣な顔の沖の言葉の意味はわかっている。
 先日の中間テストの結果だろう。怜那にとっては、特に驚くようなものでもなかったのだけれど。

「私、私大文系希望だし。受験にも数学なんて要らないから、別にいいです」
 平然と答えた怜那に、沖は一瞬言葉に詰まったようだが、教師に対して失礼だと咎められることはなかった。

「いや、私大は推薦も多いだろ? その場合、評定で数学の成績は嫌でも外せないし。それよりなにより」
 彼にとっては怜那の物言いを気にするどころではないのだろう、と次の言葉から察せられる。

「お前さ、なんでそんなに余裕持っていられるのか知らないけど、受験以前にこのままじゃ進級も危ないんだよ。去年の担任の先生には何も言われてないのか? お前、二年に上がるのも結構ギリギリだったんだけど」
 シビアな現実を突きつけられて、さすがに怜那は動揺する。

「え、進級、ってそんな……。去年……は、先生には数学もっとやれとか怒られた気はするけど、進級なんて聞いてない……。たぶん」
「四十点未満は赤点、つまり欠点だって言うのは知ってるよな? 学年通して、平均が四十点割ると単位認定できない可能性が高いんだよ。もちろん、なるべく留年も退学も出したくないから、救済措置として期末や学年末のあとに追試することもあるけど」
「……追試」
 鸚鵡(おうむ)返しする怜那に、沖は(たしな)めるような口調になった。

「いや、追試だって『受ければ合格』じゃないから。わかるか? 結局は最低限の学力は要るんだよ」

 ──こういうの、熱血教師ってーの? 普段から熱いとこはあったけど、直接見せられるとなんか凄いな、この人。

 懇切丁寧に説明してくれる沖に、現実逃避するかようにどこか他人事のような感想を抱いてしまう。
 それでも怜那はなんとか彼の言葉の意味を必死で考えようとするが、頭の回転がついて来ない。

「ちょっとテストの結果が悪かっただけなら、いちいち個別に呼び出して説教なんかしない。有坂、授業もちゃんと理解できてないんじゃないのか?」
 図星を指されて何も返せない怜那に、目の前の沖は仕方なさそうに息を吐き、さらに言い聞かせるように続けた。

「もちろんまだ二年になったばかりだし、今すぐどうこうなんて話じゃないけど、こんな点数が続いたら確実にアウトなんだよ。……高校は義務教育じゃないからな。したくなきゃ、勉強なんてしなくていいってのはその通りだ。いい大学に行くだけが人生じゃないんだから。でもせっかく高校来たんだから、ちゃんと卒業はした方がいいだろ? それもどうでもいいんなら、俺ももう何も言わないけどな」
「いえ。私、卒業はしたいです。……大学も、行きたいし」
 噛んで含めるような彼の言葉に、怜那は反射的に返す。

「だったら、もっと本腰入れて頑張らないと」
 怜那の返事に、沖は少しは安堵したようだ。

「他の教科は、理科も含めてまあ平均以上にはできてるしな。特に英語はかなりいい。進路調査では、外国語学部かそのあたりに進みたいって書いてたよな? あとは数学さえもう少しどうにかすれば、進級や卒業は何も心配ないから」
「数学、……要らないと思ってたから。私、中学からずっとできてなかったけど高校も受かったし、文系だし、でも──」
 言い訳のつもりもなく、ただ勝手に気持ちが口から零れて行く。
 沖は怜那のいい加減な姿勢を叱ることもなく、冷静に打開策を提示して来た。

 こういうところが数学教師らしいというのだろうか。

「放課後、補習やろうかと思ってるんだけど、参加するか? それとも一人で何とかやれるか、どうする? 今すぐ決めなくてもいいから、家に帰って考えてからでも──」
「補習行きます!」
 予想外の事態に思考停止状態だった怜那は、ようやく我に返ってそれだけ告げた。
 普段と違うだろう強い反応に、沖が驚いている様子が見て取れる。

「……そうか、だったら詳しいことはまた知らせるから。今週中には始められるかな」

 ──進級、卒業……? 私、そんなに……。

 沖の声を半ば聞き流しながら、怜那は足元が揺らぐかのような感覚を覚えていた。

    ◇  ◇  ◇
 二日後、怜那は沖から補習に指定された教室へ向かう。
 初めて訪れるその場には、まだ誰も来てはいなかった。

 ──なんだ、私が一番乗り? まー、まだ時間あるけど、他の子何やってんだろ。

 適当に中央部の席に座り、そのまま帰るつもりで手にしていたバッグを隣席の椅子に無造作に置く。
 しかし、開始時間が迫って来ても教室には怜那ひとりきり。

 ──ちょっと待ってよ。この補習って、……私、だけ?

 この高校は、外部の全国規模の模試はともかく、校内の試験で順位を発表することはない。

 そのため、正確な自分の立ち位置は不明なのだが、自分で思っていた以上に途轍(とてつ)もなく出来が悪い、ということなのだろうか。
 大翔が心配するのを、大袈裟としか感じてはいなかった。しかし笑い事ではなかったということなのか?

 そんなことをぐるぐる考えているうちに、教室のドアを開けて沖が入って来た。怜那は心許ない気分で、彼に目を向ける。

「ああ、来てくれたんだな。これから、週に何回かやることになるけど、よろしくな」
 生徒がひとりであることに触れない彼に、不安が増して来た。

「……はい、あの。先生、補習受けるの私だけ、ですか? 私、そんなにダメダメだったの? 学年で断トツ最下位とか?」
 恐る恐る尋ねた怜那に、沖はあっさり答える。

「いや? 順位は公表してないから、ちょっと言えないんだけど、お前が特別どうしようもないってことだけはないから。他の奴にも声掛けたんだけどなぁ、みんな忙しいのかもな」
「なーんだ、そっか。よかった~」
 沖の言葉に、怜那はとりあえず胸を撫で下ろした。

「私だけが全然問題外で、わざわざ補習しなきゃならないくらいなのかと思った」
「いや、でもお前に補習が必要なのは間違いないから。油断はするなよ」
 今まで、友人同士で勉強会や教え合いなどしたことがないため、怜那は学力について他人と比較しての物差しを持っていない。

 唯一互いに知らせ合う存在の大翔は、何故この高校に来たのかと不思議がられるくらい優秀なので、彼と比べた結果は無意味だったからだ。

「すげー! こんな偏差値出るんだ!」
 全国模試の結果を見せてもらい、最初に出る感想がそんなものだ。
 正直、なんの参考にもならない。別世界を垣間見る機会でしかないわけだ。こうなるともう異文化交流に近い。

 もちろん模試の成績を見れば、数学の出来が悪過ぎるのは一目瞭然ではある。
 しかし怜那は、トータルではそれなりの結果を出していることで、差し迫った危機を感じてはいなかったのだ。

 特に、私大文系の合否判定に用いられるのは数学を除いた三教科のため、余計に数学軽視に拍車がかかっていた。
 ……とりあえず、己の見通しが甘かったのだ。少しは本気でやらないと、ということか。

 予定人数が変わったことで、補習の形式を考え直していたらしい沖が提案して来る。

「お前だけなら、教卓からってのもなんだな。俺もこっちでいいか? あ、近くて嫌なら遠慮せずに言ってくれよ」
「いえ。構いません」
「わかった」
 沖は怜那が座っている席の前の机を逆向きにして、二つの机を向かい合わせにセットすると椅子を引いた。

 そして、補習用に作ったのだろうプリント類を、直接目の前の怜那に手渡してくる。

「よし。じゃ、始めよう。まずは、お前のいまの学力、──どこまで理解できてるか知りたいから、これ解いてみてくれるか? わからないところはそのままでいい。あとで、どこがどうわからないかも詳しく訊くから」 

 渡したばかりのプリントを指し示しながらの沖の言葉に、怜那は頷き左手にシャープペンシルを持った。


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「怜那、テストどうだった?」
 帰り道、偶然一緒になった|野上《のがみ》 |大翔《ひろと》が気軽に問い掛けて来る。
 彼と怜那は家が隣同士で、所謂幼馴染みになるのだ。
 校区のない私立で、二人の家は学校からの近さでは校内でも上から数えられる。
 そのため、わざわざ約束するようなことはないが、会えば一緒に帰るのがお決まりだった。
「全部は返って来てないけど。英語と数学以外はフツーかな、いつも通り」
 隣を歩く大翔は百八十超で、せいぜい平均程度の怜那より二十センチ以上背が高い。首を反らすようにして彼の顔を一瞬見上げ、怜那が淡々と答えた。
「……いつも通り、英語は良くて数学は、ってこと、だよな?」
 さすがにずっと同じ学校で、共に過ごした時間も長い大翔は話が早い。
「まー、英語は得意だし大丈夫だろうけど。数学は? 悪いにもレベルがあるだろ」
「|二十七点《twenty-seven》」
 端的に数字を口にした怜那に、聞かされた彼の方が開いた口が塞がらない様子だ。
「……お前、なんでそんな平気で、──文系の数Ⅱって平均そんな低くないんじゃないのか? まさか五十点満点ってオチじゃない、よな?」
「中間テストで五十点満点とかあんの? 平均は、──七十六点だった、かな?」
「怜那。俺と一緒に勉強しよっか? 数学なら教えてやるよ」
「え~、パス。私、数学なんてどーでもいいもん」
「……」
 あっさり返した怜那に、大翔はまるで毒気を抜かれたかのように黙り込んだ。
 ……もうすぐ家に着く。
    ◇  ◇  ◇
「沖先生に呼ばれました」
 ほとんど足を向けることもなかった職員室。
 怜那は、ドアを開けたその場で立ったままそれだけ口にした。
「おう、有坂。こっち来なさい」
 声が掛かった方向へ目を向けると、部屋の中ほどで沖が座ったまま手招きしている。学年で一塊になっているらしい机の一番端なのは、やはり若いからだろうか。
 怜那はおざなりに軽く頭を下げて、ゆっくりと彼の元へ歩を進めた。
「有坂。お前もうちょっと何とかしないと、このままじゃマズいぞ」
 真剣な顔の沖の言葉の意味はわかっている。
 先日の中間テストの結果だろう。怜那にとっては、特に驚くようなものでもなかったのだけれど。
「私、私大文系希望だし。受験にも数学なんて要らないから、別にいいです」
 平然と答えた怜那に、沖は一瞬言葉に詰まったようだが、教師に対して失礼だと咎められることはなかった。
「いや、私大は推薦も多いだろ? その場合、評定で数学の成績は嫌でも外せないし。それよりなにより」
 彼にとっては怜那の物言いを気にするどころではないのだろう、と次の言葉から察せられる。
「お前さ、なんでそんなに余裕持っていられるのか知らないけど、受験以前にこのままじゃ進級も危ないんだよ。去年の担任の先生には何も言われてないのか? お前、二年に上がるのも結構ギリギリだったんだけど」
 シビアな現実を突きつけられて、さすがに怜那は動揺する。
「え、進級、ってそんな……。去年……は、先生には数学もっとやれとか怒られた気はするけど、進級なんて聞いてない……。たぶん」
「四十点未満は赤点、つまり欠点だって言うのは知ってるよな? 学年通して、平均が四十点割ると単位認定できない可能性が高いんだよ。もちろん、なるべく留年も退学も出したくないから、救済措置として期末や学年末のあとに追試することもあるけど」
「……追試」
 |鸚鵡《おうむ》返しする怜那に、沖は|窘《たしな》めるような口調になった。
「いや、追試だって『受ければ合格』じゃないから。わかるか? 結局は最低限の学力は要るんだよ」
 ──こういうの、熱血教師ってーの? 普段から熱いとこはあったけど、直接見せられるとなんか凄いな、この人。
 懇切丁寧に説明してくれる沖に、現実逃避するかようにどこか他人事のような感想を抱いてしまう。
 それでも怜那はなんとか彼の言葉の意味を必死で考えようとするが、頭の回転がついて来ない。
「ちょっとテストの結果が悪かっただけなら、いちいち個別に呼び出して説教なんかしない。有坂、授業もちゃんと理解できてないんじゃないのか?」
 図星を指されて何も返せない怜那に、目の前の沖は仕方なさそうに息を吐き、さらに言い聞かせるように続けた。
「もちろんまだ二年になったばかりだし、今すぐどうこうなんて話じゃないけど、こんな点数が続いたら確実にアウトなんだよ。……高校は義務教育じゃないからな。したくなきゃ、勉強なんてしなくていいってのはその通りだ。いい大学に行くだけが人生じゃないんだから。でもせっかく高校来たんだから、ちゃんと卒業はした方がいいだろ? それもどうでもいいんなら、俺ももう何も言わないけどな」
「いえ。私、卒業はしたいです。……大学も、行きたいし」
 噛んで含めるような彼の言葉に、怜那は反射的に返す。
「だったら、もっと本腰入れて頑張らないと」
 怜那の返事に、沖は少しは安堵したようだ。
「他の教科は、理科も含めてまあ平均以上にはできてるしな。特に英語はかなりいい。進路調査では、外国語学部かそのあたりに進みたいって書いてたよな? あとは数学さえもう少しどうにかすれば、進級や卒業は何も心配ないから」
「数学、……要らないと思ってたから。私、中学からずっとできてなかったけど高校も受かったし、文系だし、でも──」
 言い訳のつもりもなく、ただ勝手に気持ちが口から零れて行く。
 沖は怜那のいい加減な姿勢を叱ることもなく、冷静に打開策を提示して来た。
 こういうところが数学教師らしいというのだろうか。
「放課後、補習やろうかと思ってるんだけど、参加するか? それとも一人で何とかやれるか、どうする? 今すぐ決めなくてもいいから、家に帰って考えてからでも──」
「補習行きます!」
 予想外の事態に思考停止状態だった怜那は、ようやく我に返ってそれだけ告げた。
 普段と違うだろう強い反応に、沖が驚いている様子が見て取れる。
「……そうか、だったら詳しいことはまた知らせるから。今週中には始められるかな」
 ──進級、卒業……? 私、そんなに……。
 沖の声を半ば聞き流しながら、怜那は足元が揺らぐかのような感覚を覚えていた。
    ◇  ◇  ◇
 二日後、怜那は沖から補習に指定された教室へ向かう。
 初めて訪れるその場には、まだ誰も来てはいなかった。
 ──なんだ、私が一番乗り? まー、まだ時間あるけど、他の子何やってんだろ。
 適当に中央部の席に座り、そのまま帰るつもりで手にしていたバッグを隣席の椅子に無造作に置く。
 しかし、開始時間が迫って来ても教室には怜那ひとりきり。
 ──ちょっと待ってよ。この補習って、……私、だけ?
 この高校は、外部の全国規模の模試はともかく、校内の試験で順位を発表することはない。
 そのため、正確な自分の立ち位置は不明なのだが、自分で思っていた以上に|途轍《とてつ》もなく出来が悪い、ということなのだろうか。
 大翔が心配するのを、大袈裟としか感じてはいなかった。しかし笑い事ではなかったということなのか?
 そんなことをぐるぐる考えているうちに、教室のドアを開けて沖が入って来た。怜那は心許ない気分で、彼に目を向ける。
「ああ、来てくれたんだな。これから、週に何回かやることになるけど、よろしくな」
 生徒がひとりであることに触れない彼に、不安が増して来た。
「……はい、あの。先生、補習受けるの私だけ、ですか? 私、そんなにダメダメだったの? 学年で断トツ最下位とか?」
 恐る恐る尋ねた怜那に、沖はあっさり答える。
「いや? 順位は公表してないから、ちょっと言えないんだけど、お前が特別どうしようもないってことだけはないから。他の奴にも声掛けたんだけどなぁ、みんな忙しいのかもな」
「なーんだ、そっか。よかった~」
 沖の言葉に、怜那はとりあえず胸を撫で下ろした。
「私だけが全然問題外で、わざわざ補習しなきゃならないくらいなのかと思った」
「いや、でもお前に補習が必要なのは間違いないから。油断はするなよ」
 今まで、友人同士で勉強会や教え合いなどしたことがないため、怜那は学力について他人と比較しての物差しを持っていない。
 唯一互いに知らせ合う存在の大翔は、何故この高校に来たのかと不思議がられるくらい優秀なので、彼と比べた結果は無意味だったからだ。
「すげー! こんな偏差値出るんだ!」
 全国模試の結果を見せてもらい、最初に出る感想がそんなものだ。
 正直、なんの参考にもならない。別世界を垣間見る機会でしかないわけだ。こうなるともう異文化交流に近い。
 もちろん模試の成績を見れば、数学の出来が悪過ぎるのは一目瞭然ではある。
 しかし怜那は、トータルではそれなりの結果を出していることで、差し迫った危機を感じてはいなかったのだ。
 特に、私大文系の合否判定に用いられるのは数学を除いた三教科のため、余計に数学軽視に拍車がかかっていた。
 ……とりあえず、己の見通しが甘かったのだ。少しは本気でやらないと、ということか。
 予定人数が変わったことで、補習の形式を考え直していたらしい沖が提案して来る。
「お前だけなら、教卓からってのもなんだな。俺もこっちでいいか? あ、近くて嫌なら遠慮せずに言ってくれよ」
「いえ。構いません」
「わかった」
 沖は怜那が座っている席の前の机を逆向きにして、二つの机を向かい合わせにセットすると椅子を引いた。
 そして、補習用に作ったのだろうプリント類を、直接目の前の怜那に手渡してくる。
「よし。じゃ、始めよう。まずは、お前のいまの学力、──どこまで理解できてるか知りたいから、これ解いてみてくれるか? わからないところはそのままでいい。あとで、どこがどうわからないかも詳しく訊くから」 
 渡したばかりのプリントを指し示しながらの沖の言葉に、怜那は頷き左手にシャープペンシルを持った。