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14話 幸せのかたち

ー/ー




「ここか……」


 辿り着いた部屋の表札には『403 神内』と記載されている。しかし、これ以上は何もできない。
 話し合いの末、部屋の前でターゲットを待つことにした。いつかはこの部屋から出てくるはずだ。アイボーンに映るターゲットの印は、目の前を指している。


「こいつ、どこでも寝れるのかよ」


 部屋の前で待つと決めてから少しして、エルシオは壁にもたれ掛かるように座りながら寝息を立て始めた。そんな姿を横目に、俺とフィロは開かないドア越しの高校生を待つ。


「高3ってことは、俺の1個上ってことになるな」


「そうねえ、前のたませんの子も大変そうだったけど、この子もこの子で大変そうね」


「そんなの、まだ見てもないのにわかるのか? まあ、このアパートに住んでるってことを考えると、1人暮らしっぽいしな」


 このアパートは見た目もそうだが、部屋の広さもそこまで広くないように見えた。家族で暮らすには少し狭い気がする。


「正解、神内さんは1人暮らし。元々お母さんと2人で暮らしていたけれど、お母さんが倒れちゃったみたいね。今は決して多くはない貯金を切り崩しつつ、バイトをして生活してる」


 やけに詳しいフィロの説明に、俺は疑問を抱く。


「前も思ったけど、フィロは俺たちよりも情報が多くわかるのか?」


 以前病院で粉をかけた時、フィロは時間が無いと焦っていた。結果的には間に合ったが、ギリギリだったのも事実だ。フィロは確実に、時間が迫っていることを知っていた。


「もちろん。私が粉を必要な人を選んでるのよ。知っていないとかけられないわ」


 「なるほどな」そう答えた後、さっき頭に浮かんだ疑問も投げかけてみることにした。


「エルシオの過去の話してくれただろ? その頃は1日に何人か粉をかけてたけど、今はそこまでかける人がいないのか?」


「幸せにしてあげたい人間はたくさんいるんだけどね、まあ、色々あるのよ」


「色々……か」


 いつもは何から何まで教えてくれるフィロが、曖昧に答えたのには、何か人間には話せない事情があるのだろう。それ以上話す気のなさそうなフィロへ、追求はしなかった。
 俺は天使ではない。0ポイントの俺を人間へ生まれ変わらせるため、フィロは仕事を手伝わせてくれている。他の天使にバレちゃまずいことを、俺のためにしてくれている。それだけで感謝するべきだ。話せないことの1つや2つ、あったところで仕方がない。


「にしても、中々出てこないな。神内さん」


 エルシオは、寝息を立てたまま微動だにしない。フィロも、どこかうとうとしているように見えた。俺の発言も、耳に届いているか怪しい。
 壁にもたれかかって、3人は横並びで座っている。俺は、だいぶ低い位置に降りてきた太陽の日差しを手で遮りながら、未だに開かない玄関のドアを眺めていた。
 


ーーーーーーなんか、夢の中にいるみたいだな




 俺が死後の面接で、0ポイントだと告げられてから、かなり時間が経っている様に思える。季節が変わるほどではないにしろ、もうすぐ夏休みは終わるのではないだろうか。


 生まれ変わるためにはポイントが必要なこと、そもそもポイントという制度があること。天使の仕事、地獄や死神の存在。エルシオの気持ち、俺の記憶から消えた父さんのこと。全てが現実離れしていて、俺は、トラックに轢かれてからずっと、病室のベッドで夢を見ているのではないかと考えてしまう。


 仮に夢だとしたら、この生活は、目が覚めた瞬間に無くなってしまうのだろうか。「あー夢だったのか」と、そんな一言で消化されてしまうのだろうか。俺たちが幸せにした人たちも、エルシオの苦悩も、フィロの優しさも、全部無かったことになってしまうのだろうか。




ーーーーーーそんなの、なんか嫌だな。




 生きていた頃、俺はこんな気持ちになったことがあるだろうか。死んでからやっと、親孝行できていない後悔に襲われたことで、「失ってから気がつくことがある」と言う、ありきたりな言葉の本質を知った。だからこそ、今はこんな気持ちを持っていられる。


 俺はもう後悔するわけにはいかない。幸か不幸か、0ポイントの俺はまだ俺としてここに居る。夢から覚めるにしても、生まれ変わるにしても、俺は未練を残したくない。
 
 それが、今の俺の目的で、今の俺の願い。幸せだ。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「エフィルロ! そこでくたばってる人間も、早く起きるのです!」


 アパートの廊下で体育座りして寝ている俺と、寝転んでしまっているフィロの肩を揺さぶりながら、エルシオは必死に叫ぶ。


「あぁ寝ちゃってたか……てか、毎回寝てる俺をくたばってる人間って言うなよ」


「あそこです! もう階段降りていっているのです!」


「いや、まじかよ!」


 急いで立ち上がり、階段の方を見る。すると、何度もアイボーンで顔を見返した女の子が、階段を下っていた。
 早足で駆け降りる姿から、急いでいる様に見える。


「行きましょう! 見失ったら元も子もないのです!」


「あぁ! お、おい起きろ! フィロ! 行くぞ!」


「いや~、鳩を食べるのはちょっと……」


 絶対あの漫画の夢を見ている。間違いない。
 置いてあった壺を持ち上げた俺は、むにゃむにゃ言っているまだ夢の中のフィロへ呆れた視線を向けた後、エルシオに視線を移す。


「んじゃ、行くか!」


「え、ちょ、待って! 置いてかないで!」


 俺の掛け声と同時に、フィロはぱっと目を覚ました。そんなフィロを無視して、俺たちは女の子を追う。
 その後、勢いよく起き上がり、先に走っていた俺たちを物凄いスピードで追い抜く、黒髪の天使。その背には美しい翼が見えた。俺の目の前をヒラヒラと輝く羽根が舞う。
 女の子はすでに、駐輪場で跨った自転車のペダルを勢いよく漕いでいる。


「くそっずるいぞ!」


 翼を生やし飛んでいるフィロのスピードに俺たちがいくら本気で走っても追いつけない。


「私たちも飛ぶのです!」


 翼を生やしたエルシオは、俺の肩を掴むと、少しづつ宙に浮く。


「い、いやちょっと待て、まさかここから降りるんじゃないよな? 階段使おうぜ階段!そっちの方があんぜぁああああああああ!」


 4階から飛び立ったエルシオに肩を掴まれ、俺は「模擬紐なしバンジージャンプ」を決めている。
 そんな中、地上にターゲットを確認した。


「私の背中の壺からふつうでコップ1杯をあの人間にかけて欲しいのです!」


「んな、無茶なぁ」


 空中で不安定な姿勢の最中で、俺は渋々頷く。
 手を伸ばし、手探りで壺を見つけた俺は、変な角度でつりそうになる腕をなんとか伸ばし、コップで粉を適当にすくう。


「ピッタリだぞ! ほら! 完全にふつうの線にピッタリだ!」


 1発で決まり、素直に嬉しい俺を無視してエルシオはターゲットに近づいて行く。少し先で、フィロがこちらに手を挙げて場所を知らせてくれていた。
 無視された俺はふと、怖くてあまり見れていなかった、上空からの景色に目を向けた。


「俺、空飛んでんだな、夢みたいだ」


「夢じゃないですよ。あなたは今、おそらく初めて天使と空を飛んだ人間になったのです」


「そりゃあ、聞けば聞くほど夢みたいな話だな」


「だから、夢じゃないと言っているじゃないですか!」


 「夢じゃない」そんなエルシオの発言に、何だか心が救われた気がした。夢じゃない、これは現実なんだ。
 だいぶ高度が下がってきた所で、エルシオが合図をする。


「今です!」


「おっけい!」


 振りかけられた粉はキラキラと輝きながら空を舞い、ターゲットへと吸い込まれていく。


「任務完了ね!」


 特に何もしていないフィロの掛け声を聞き、仕事を終えたエルシオの顔は達成感と歓喜でいっぱいだった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 少女は幸せの粉をかけられたことなど知る由もなく、平然と道を自転車で進んでいく。
 アイボーンの地図を見る限り、彼女は恐らく駅に向かっている。


「見てく? あの子」


 フィロの提案に、エルシオは「良いですね」と頷く。たいして断る理由もなく、俺もその提案を受け入れた。


「これ、ストーカーってやつな気がするんだが」


「ええ。そうね」


 全く悪気のない顔で、そう返事をするフィロ。


「そうね。じゃねーよ!」


「そんなことないのです! あの女の子からは見えないので、罪に問われることはないのです!」


 そう自慢げに言ってのけるエルシオ。
 倫理観というものが欠けているのだろうか。俺への辛辣な言葉も、そのせいなのだろうか。




 『プルルルル プルルルル』
 


「お、電話のようですね」


 夜道に鳴り響いたのは、自転車を漕ぐ少女の携帯だ。
 自転車を漕ぐのを止め、道脇に停車した。


「すみません、ちょっと遅れそうで……え! 本当ですか!? ありがとうございます!!」


  先程まで聞き取れなかった少女の声が、ここまで届いていることから、よっぽど嬉しいことがあったのだと悟る。


「ちゃんと効果があるんだなあ」


「なんかバイトで昇進したらしいわよ」


 少女の真横で会話の内容を盗み聞きしていたフィロも、きっと倫理観が欠けている。天使は皆そうなのだろうか。 そんなことはさておき、幸せの粉の効果はやはり絶大だ。こんなにすぐに効果が現れるとは。
 


『プルルルル プルルルル』




「おっと、さらに良いことが起こりそうな予感なのです」


 粉をかけられた少女の携帯に再び連絡が入る。電話の相手や内容は、ここまでは聞こえてこない。
 だが、きっとさらに幸せが訪れたのだろう。
 そう思っていた。少女の瞳が徐々に潤みを帯び、再び自転車に跨り走っていくまでは。


「あれ、どう見ても嬉し涙じゃないよな」


「お母さんが、亡くなった見たいね」


「は?」


 フィロが平然とそう言ったのを聞いて、思わず言葉を失う。


「あの子の母親は、重い病気を患っていた。治療費もバカにななければ、治る兆しもなかった。これは、その中で、粉が選んだ幸せの道」


「いや、だからって、お母さんが亡くなった今のあの子は、誰がどう見ても不幸だろ」


「あの子が幸せになるにはこれが1番だった。もちろん、お母さんの病気が治るのが1番だったけれど、幸せの粉は治らない病を治すことはできないの」


「そんなの……あんまりじゃ」


「私たちが扱っているのは幸せの粉。人を生かす物じゃない。彼女自身も、大変だと感じてたんじゃないかしら」


 フィロは、俺の言葉を遮るようにそう言った。「フィロには心が無いのか」そう言ってやることもできた。冷酷、無慈悲、無神経だと。でも、そんなこと言えなかった。


 わかっていたからだ。フィロは、全てをわかった上で粉をかけている。かける相手が、今どんな状況なのか。どんな気持ちなのか。そして、どんな幸せを与えられるのか。
 だからこそ、あの子の母親の死を冷静に受け止めることができた。


 フィロは全てをわかった上で、粉をかけている。何も知らずに粉をかける俺やエルシオよりも、ずっと辛いはずだ。そんなことを、今まで、何度も、何度もやってきた。
 フィロには心が無いのではない。辛いことに変わりはない。全てを知った上で、それでも誰かを幸せにするために粉をかけているのだ。


「仕方がないのです……それが、私たち天使のお仕事」


 そう言い切ったエルシオは、俺やフィロからは背を向け空を見上げている。2度目の電話がかかってきた時、エルシオは良いことが起きていると勘違いしていた。つまり、エルシオはフィロと違い、全てを知っているわけではない。


 大切な人を失くした時の辛さは、俺よりも、エルシオの方がわかるのだろう。人間の痛みを理解し、自分の涙に変えられる。そんな天使がエルシオだ。


 もう、人間が嫌いなんて言わせたくない。自分に正直に、嘘をつかず生きてほしい。人間を幸せにしているエルシオには、幸せに生きてほしい。
 少女の姿は、いつの間にか見えなくなっていた。太陽も沈み始め、夕日に照らされた俺たちの影も見えない。
 それを見て、自分は死んでいるということを痛感する。
 心の中で、自分自身のタイムリミットを感じる。


 夕日の写真を撮りたいと言い出したエルシオの笑顔が、どこか切なく感じた。


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 辿り着いた部屋の表札には『403 神内』と記載されている。しかし、これ以上は何もできない。
 話し合いの末、部屋の前でターゲットを待つことにした。いつかはこの部屋から出てくるはずだ。アイボーンに映るターゲットの印は、目の前を指している。
「こいつ、どこでも寝れるのかよ」
 部屋の前で待つと決めてから少しして、エルシオは壁にもたれ掛かるように座りながら寝息を立て始めた。そんな姿を横目に、俺とフィロは開かないドア越しの高校生を待つ。
「高3ってことは、俺の1個上ってことになるな」
「そうねえ、前のたませんの子も大変そうだったけど、この子もこの子で大変そうね」
「そんなの、まだ見てもないのにわかるのか? まあ、このアパートに住んでるってことを考えると、1人暮らしっぽいしな」
 このアパートは見た目もそうだが、部屋の広さもそこまで広くないように見えた。家族で暮らすには少し狭い気がする。
「正解、神内さんは1人暮らし。元々お母さんと2人で暮らしていたけれど、お母さんが倒れちゃったみたいね。今は決して多くはない貯金を切り崩しつつ、バイトをして生活してる」
 やけに詳しいフィロの説明に、俺は疑問を抱く。
「前も思ったけど、フィロは俺たちよりも情報が多くわかるのか?」
 以前病院で粉をかけた時、フィロは時間が無いと焦っていた。結果的には間に合ったが、ギリギリだったのも事実だ。フィロは確実に、時間が迫っていることを知っていた。
「もちろん。私が粉を必要な人を選んでるのよ。知っていないとかけられないわ」
 「なるほどな」そう答えた後、さっき頭に浮かんだ疑問も投げかけてみることにした。
「エルシオの過去の話してくれただろ? その頃は1日に何人か粉をかけてたけど、今はそこまでかける人がいないのか?」
「幸せにしてあげたい人間はたくさんいるんだけどね、まあ、色々あるのよ」
「色々……か」
 いつもは何から何まで教えてくれるフィロが、曖昧に答えたのには、何か人間には話せない事情があるのだろう。それ以上話す気のなさそうなフィロへ、追求はしなかった。
 俺は天使ではない。0ポイントの俺を人間へ生まれ変わらせるため、フィロは仕事を手伝わせてくれている。他の天使にバレちゃまずいことを、俺のためにしてくれている。それだけで感謝するべきだ。話せないことの1つや2つ、あったところで仕方がない。
「にしても、中々出てこないな。神内さん」
 エルシオは、寝息を立てたまま微動だにしない。フィロも、どこかうとうとしているように見えた。俺の発言も、耳に届いているか怪しい。
 壁にもたれかかって、3人は横並びで座っている。俺は、だいぶ低い位置に降りてきた太陽の日差しを手で遮りながら、未だに開かない玄関のドアを眺めていた。
ーーーーーーなんか、夢の中にいるみたいだな
 俺が死後の面接で、0ポイントだと告げられてから、かなり時間が経っている様に思える。季節が変わるほどではないにしろ、もうすぐ夏休みは終わるのではないだろうか。
 生まれ変わるためにはポイントが必要なこと、そもそもポイントという制度があること。天使の仕事、地獄や死神の存在。エルシオの気持ち、俺の記憶から消えた父さんのこと。全てが現実離れしていて、俺は、トラックに轢かれてからずっと、病室のベッドで夢を見ているのではないかと考えてしまう。
 仮に夢だとしたら、この生活は、目が覚めた瞬間に無くなってしまうのだろうか。「あー夢だったのか」と、そんな一言で消化されてしまうのだろうか。俺たちが幸せにした人たちも、エルシオの苦悩も、フィロの優しさも、全部無かったことになってしまうのだろうか。
ーーーーーーそんなの、なんか嫌だな。
 生きていた頃、俺はこんな気持ちになったことがあるだろうか。死んでからやっと、親孝行できていない後悔に襲われたことで、「失ってから気がつくことがある」と言う、ありきたりな言葉の本質を知った。だからこそ、今はこんな気持ちを持っていられる。
 俺はもう後悔するわけにはいかない。幸か不幸か、0ポイントの俺はまだ俺としてここに居る。夢から覚めるにしても、生まれ変わるにしても、俺は未練を残したくない。
 それが、今の俺の目的で、今の俺の願い。幸せだ。
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「エフィルロ! そこでくたばってる人間も、早く起きるのです!」
 アパートの廊下で体育座りして寝ている俺と、寝転んでしまっているフィロの肩を揺さぶりながら、エルシオは必死に叫ぶ。
「あぁ寝ちゃってたか……てか、毎回寝てる俺をくたばってる人間って言うなよ」
「あそこです! もう階段降りていっているのです!」
「いや、まじかよ!」
 急いで立ち上がり、階段の方を見る。すると、何度もアイボーンで顔を見返した女の子が、階段を下っていた。
 早足で駆け降りる姿から、急いでいる様に見える。
「行きましょう! 見失ったら元も子もないのです!」
「あぁ! お、おい起きろ! フィロ! 行くぞ!」
「いや~、鳩を食べるのはちょっと……」
 絶対あの漫画の夢を見ている。間違いない。
 置いてあった壺を持ち上げた俺は、むにゃむにゃ言っているまだ夢の中のフィロへ呆れた視線を向けた後、エルシオに視線を移す。
「んじゃ、行くか!」
「え、ちょ、待って! 置いてかないで!」
 俺の掛け声と同時に、フィロはぱっと目を覚ました。そんなフィロを無視して、俺たちは女の子を追う。
 その後、勢いよく起き上がり、先に走っていた俺たちを物凄いスピードで追い抜く、黒髪の天使。その背には美しい翼が見えた。俺の目の前をヒラヒラと輝く羽根が舞う。
 女の子はすでに、駐輪場で跨った自転車のペダルを勢いよく漕いでいる。
「くそっずるいぞ!」
 翼を生やし飛んでいるフィロのスピードに俺たちがいくら本気で走っても追いつけない。
「私たちも飛ぶのです!」
 翼を生やしたエルシオは、俺の肩を掴むと、少しづつ宙に浮く。
「い、いやちょっと待て、まさかここから降りるんじゃないよな? 階段使おうぜ階段!そっちの方があんぜぁああああああああ!」
 4階から飛び立ったエルシオに肩を掴まれ、俺は「模擬紐なしバンジージャンプ」を決めている。
 そんな中、地上にターゲットを確認した。
「私の背中の壺からふつうでコップ1杯をあの人間にかけて欲しいのです!」
「んな、無茶なぁ」
 空中で不安定な姿勢の最中で、俺は渋々頷く。
 手を伸ばし、手探りで壺を見つけた俺は、変な角度でつりそうになる腕をなんとか伸ばし、コップで粉を適当にすくう。
「ピッタリだぞ! ほら! 完全にふつうの線にピッタリだ!」
 1発で決まり、素直に嬉しい俺を無視してエルシオはターゲットに近づいて行く。少し先で、フィロがこちらに手を挙げて場所を知らせてくれていた。
 無視された俺はふと、怖くてあまり見れていなかった、上空からの景色に目を向けた。
「俺、空飛んでんだな、夢みたいだ」
「夢じゃないですよ。あなたは今、おそらく初めて天使と空を飛んだ人間になったのです」
「そりゃあ、聞けば聞くほど夢みたいな話だな」
「だから、夢じゃないと言っているじゃないですか!」
 「夢じゃない」そんなエルシオの発言に、何だか心が救われた気がした。夢じゃない、これは現実なんだ。
 だいぶ高度が下がってきた所で、エルシオが合図をする。
「今です!」
「おっけい!」
 振りかけられた粉はキラキラと輝きながら空を舞い、ターゲットへと吸い込まれていく。
「任務完了ね!」
 特に何もしていないフィロの掛け声を聞き、仕事を終えたエルシオの顔は達成感と歓喜でいっぱいだった。
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 少女は幸せの粉をかけられたことなど知る由もなく、平然と道を自転車で進んでいく。
 アイボーンの地図を見る限り、彼女は恐らく駅に向かっている。
「見てく? あの子」
 フィロの提案に、エルシオは「良いですね」と頷く。たいして断る理由もなく、俺もその提案を受け入れた。
「これ、ストーカーってやつな気がするんだが」
「ええ。そうね」
 全く悪気のない顔で、そう返事をするフィロ。
「そうね。じゃねーよ!」
「そんなことないのです! あの女の子からは見えないので、罪に問われることはないのです!」
 そう自慢げに言ってのけるエルシオ。
 倫理観というものが欠けているのだろうか。俺への辛辣な言葉も、そのせいなのだろうか。
 『プルルルル プルルルル』
「お、電話のようですね」
 夜道に鳴り響いたのは、自転車を漕ぐ少女の携帯だ。
 自転車を漕ぐのを止め、道脇に停車した。
「すみません、ちょっと遅れそうで……え! 本当ですか!? ありがとうございます!!」
  先程まで聞き取れなかった少女の声が、ここまで届いていることから、よっぽど嬉しいことがあったのだと悟る。
「ちゃんと効果があるんだなあ」
「なんかバイトで昇進したらしいわよ」
 少女の真横で会話の内容を盗み聞きしていたフィロも、きっと倫理観が欠けている。天使は皆そうなのだろうか。 そんなことはさておき、幸せの粉の効果はやはり絶大だ。こんなにすぐに効果が現れるとは。
『プルルルル プルルルル』
「おっと、さらに良いことが起こりそうな予感なのです」
 粉をかけられた少女の携帯に再び連絡が入る。電話の相手や内容は、ここまでは聞こえてこない。
 だが、きっとさらに幸せが訪れたのだろう。
 そう思っていた。少女の瞳が徐々に潤みを帯び、再び自転車に跨り走っていくまでは。
「あれ、どう見ても嬉し涙じゃないよな」
「お母さんが、亡くなった見たいね」
「は?」
 フィロが平然とそう言ったのを聞いて、思わず言葉を失う。
「あの子の母親は、重い病気を患っていた。治療費もバカにななければ、治る兆しもなかった。これは、その中で、粉が選んだ幸せの道」
「いや、だからって、お母さんが亡くなった今のあの子は、誰がどう見ても不幸だろ」
「あの子が幸せになるにはこれが1番だった。もちろん、お母さんの病気が治るのが1番だったけれど、幸せの粉は治らない病を治すことはできないの」
「そんなの……あんまりじゃ」
「私たちが扱っているのは幸せの粉。人を生かす物じゃない。彼女自身も、大変だと感じてたんじゃないかしら」
 フィロは、俺の言葉を遮るようにそう言った。「フィロには心が無いのか」そう言ってやることもできた。冷酷、無慈悲、無神経だと。でも、そんなこと言えなかった。
 わかっていたからだ。フィロは、全てをわかった上で粉をかけている。かける相手が、今どんな状況なのか。どんな気持ちなのか。そして、どんな幸せを与えられるのか。
 だからこそ、あの子の母親の死を冷静に受け止めることができた。
 フィロは全てをわかった上で、粉をかけている。何も知らずに粉をかける俺やエルシオよりも、ずっと辛いはずだ。そんなことを、今まで、何度も、何度もやってきた。
 フィロには心が無いのではない。辛いことに変わりはない。全てを知った上で、それでも誰かを幸せにするために粉をかけているのだ。
「仕方がないのです……それが、私たち天使のお仕事」
 そう言い切ったエルシオは、俺やフィロからは背を向け空を見上げている。2度目の電話がかかってきた時、エルシオは良いことが起きていると勘違いしていた。つまり、エルシオはフィロと違い、全てを知っているわけではない。
 大切な人を失くした時の辛さは、俺よりも、エルシオの方がわかるのだろう。人間の痛みを理解し、自分の涙に変えられる。そんな天使がエルシオだ。
 もう、人間が嫌いなんて言わせたくない。自分に正直に、嘘をつかず生きてほしい。人間を幸せにしているエルシオには、幸せに生きてほしい。
 少女の姿は、いつの間にか見えなくなっていた。太陽も沈み始め、夕日に照らされた俺たちの影も見えない。
 それを見て、自分は死んでいるということを痛感する。
 心の中で、自分自身のタイムリミットを感じる。
 夕日の写真を撮りたいと言い出したエルシオの笑顔が、どこか切なく感じた。