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8話 幽霊

ー/ー




「なんか夜の病院って雰囲気あるよな」

「そうねえ、エルシオも相当ビビってるみたいだしね」

「ビ、ビビってないのです! ちょっと一番後ろは嫌なので、真ん中にして欲しいのです」

「ビビってんじゃねーか!」

 あのたませんの女の子に粉をかけてから、今まで何人かの人間に粉をかけた。その最中、1度水晶でポイントを確認してもらったが、少ししか溜まってはいなかった。つまり、まだまだ俺は人間に幸せの粉を振りかける必要がある。
 だが、この天使の仕事の手伝いはそこまで苦ではない。こうして3人で行動することに、正直楽しさを感じる。 それほど、仲が良くなってきたということだろうか。相変わらずのエルシオの悪態や、フィロの適当さには呆れる部分もあるが、それでも、生きていた頃味わえなかった感覚を、死後ではあるが楽しめている気がしていた。
 
 今回のターゲットはどうやら病院に居るらしかった。現在、すでに太陽は沈みきっている。そのため、夜の病院に忍び込む羽目になり、エルシオがビビっているという始末だ。幽霊が怖いというのであれば、俺も幽霊みたいなものなのだが。
 
「なあ、フィロ、幽霊っているのか?」

「あー! やめるのです! そんな話!」

「やっぱビビってんじゃえか」

 そんな、怖がるエルシオに優しい目を向けながら、フィロは答える。

「幽霊ねえ、亡くなってから少しの間なら、天界に連れて行かれるまでこっちに居ることもできると思うけど、楓みたいに死んでもがっつりこっちで歩き回ってる人間は居ないんじゃないかしら」

「俺はがっつり幽霊ってことかよ」

「ちょっと、私から離れてください。あなたの幽霊のお仲間が寄ってくる可能性があるのです」

「今さっき俺以外には幽霊は居ないって話をしてただろうが! それに、俺はそんなにすぐお仲間ができるほど人望は無い」

 そうこうしているうちに、ターゲットのかなり近くまで来ていた。アイボーンの目印は、おそらく目の前の病室の中を示している。
 地図では、上下の位置までは分からないため、階数が分からないことがネックではあったが、3階のこの病室には、名札が表札のようにかけられている。その名前と、アイボーンにある名前とで一致していることから、ここで間違いない。

「この病室の人にかければいいんだよな」

 2人の天使の顔を見て頷いたことを確認し、あらかじめ用意しておいたいつものコップに決められた分量まで粉を入れる。まだ数回しかこの作業はしていないものの、初めの頃に比べればだいぶ慣れてきた。
 コップを手に持ち、病室のスライドドアに手をかける。

「おいこれ、どうやって入るんだ」

「こっちの世界のものは動かせないからね〜、開くまで待つしかないわね」

 なんだかんだ、このようにドアを開けなければいけないケースは初めてだった。こっちの世界のものを動かせないという縛りは、思っていたよりもきついのかもしれない。

「またですか。少し前の仕事の時も、引きこもりのニートさんに粉をかけるために8時間待ったのです」

「嘘だろ。なんか良い魔法ないのかよ」

「無いわね。その引きこもりのニートさんの時は、エルシオの杖を振ると先端が光る魔法で遊んでたわよ。ちなみに、粉をかけたことで、引きこもりのニートさんは、もう引きこもりでもニートでもなくなったわ」

 エルシオの魔法が相変わらずしょうもないことも、ニートが更生したことも今はどうでもいい。それよりも、このドアが開くのを待つという天使とは思えない効率の悪さに落胆している。
 このドアを開ける人間が現れるまで待つというならば、確実に来る時間を間違えている。今は深夜だ。この病室に出入りする人間も居なければ、中のターゲットが外に出ることもないはずだ。
 ターゲットがトイレに行くか、常識をわきまえていないアホがこの時間に見舞いに来るかに賭けるしかない。

「こうなる可能性があるんなら、なんでわざわざこんな時間にこっちに来たんだ。なんなら、1回帰って朝来た方が良くないか?」

「そうも言ってられないみたいでね、今回は緊急なのよ。レジ籠りのバイトさんの時は一回帰っても良かったんだけど、ちょっと引きこもりの生態が気になってね」

「わざわざ今の姿に合わせてあだ名を変えなくて良い。それより、緊急ってことは、そんなに待ってられないってことか」

「そうね、あんまり時間はないかも」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 一通りカメラで病院内を撮影し暇になったからか、エルシオが杖を取り出し何やら魔法を使おうとした時、懐中電灯のような明かりが、暗い廊下を照らした。眩しさに思わず目を手で覆いながら、明かりの元を確認する。すると、こちらに小走りで向かってくる1人の男性の姿があった。
 本当に、常識をわきまえていないアホがこの時間に見舞いにきたというわけではなさそうだ。この時間に面会が行われるということは、よほどの緊急案件なのだろう。
 男性は肩で息をしながら、俺たちの待つ病室の前で立ち止まった。ノックをするために胸の位置まで上げた右手は、ドアに触れることなく静止している。
 ノックを、躊躇っている。

「はあ……」

 男性はため息をつくと、ドアに背を向け、もたれるように背中をつけながら、ずりずりとしゃがみ込んだ。その目には、うっすらと涙が見えた。

「居るんでしょ? 入ってこないの?」

 病室の中から、女性の声が聞こえた。この病室は1人部屋のため、この声の主が今回のターゲットだと察する。
 「早く開けてくれよ」と、男性を責める気持ちも始めはあったが、ただならぬ雰囲気に、俺たちはドア越しの2人の会話を静かに聞いていることしかできない。

「君に、どんな顔で、どんな話をすればいいのかわからないんだ」

「颯太に、ちゃんとご飯食べさせた? あなたも、ちゃんと食べた?」

「颯太は……いっぱい食べてた。今はもう、ばあちゃんのとこでぐっすりだよ。僕も……食べたよ」

 女性の声は、とても細く弱々しい。聞いているだけで心配になるほどだった。
 男性の顔色はとても悪く、頬がかなりコケていて、とてもご飯が喉を通っているとは思えなかった。

「颯太は元気? 私のことでしょんぼりしてない?」

「颯太は強い子だよ。この前だって、君が買ってあげた五十音を覚えるおもちゃあるだろ、もう全部覚えたって、ママにも教えてあげるんだって」

「ははっ、良かった。なら、この子のことも任せられるね?」

 病室内の女性は、笑い声をあげてはいるものの、とても元気そうには思えない。その笑い声や言葉には、活力が感じられない。

「いや……それは、僕が耐えられない。お腹の子ももちろん大切だよ。でも、君が居なくなってしまったら……」

 男性はしゃがんだまま、頭を抱えている。2人の会話だけが響く薄暗い院内。まるで俺たちが2人の世界に迷い込んでしまった様だった。

「大丈夫。颯太も、弟ができるって楽しみにしてた。私の病気は、この子を諦めても治るわけじゃない。この先、あなたや颯太。この子にだって迷惑をかけることになる」

 「迷惑なんて! そんなことない!」そう涙を流しながら答えた男性の声は、暗く冷たい廊下に響き渡った。男性は立ち上がり、病室のドアを開く。

「ご飯、食べてないでしょ。ちゃんと食べないと」

 病室の中の女性は男性の姿を見るなり、微笑みながらそう言った。電気がついていない病室の中で、月明かりだけがカーテンの隙間から差している。

「先生は、絶対にどちらかしか助からないって……決断する時間も、もうほとんど無いって、君が助かる可能性の方が高いんだ。お腹の子には、ちゃんと栄養が届いているか……最後は、君が決めることだ。でも、でも僕は……僕は」

「あなたは優しい人だから、選べないよ。だから、私に決めさせて?」

 男性は、返事をすることなく黙り込んだ。沈黙が、妙に長く感じる。
 大体の、今の彼らの状況を悟ってしまった。聞いてしまった。俺が手に持つこの粉は、あの女性を幸せにするための粉だ。その意味を考えるだけで、手が震えて思うように動かない。

「楓、粉を貸して」

 沈黙の中、俺の耳元でフィロはそう呟いた。俺の手が震えていることに気づいた、彼女なりの優しさだろうか、フィロは俺の前に手を差し出している。俺を真剣な眼差しで見つめるフィロの水色の瞳から、思わず目を逸らす。
 いつの間にか、エルシオは病室の外に出ていた。開きっぱなしのドアの横で、こちらに背を向けて座っている。肩が震えているのは寒さからではないだろう。エルシオも、やはり優しい心の持ち主だ。人間が嫌いだとは、到底思えない。
 
「時間がないの。彼女に訪れるはずの幸せが、間に合わなくなるかもしれない」

 フィロは俺の前に差し出した手を、さっきよりもこちらに近づけた。
 俺は、この粉のことを理解している。この粉は、かけられた人間を幸せにする。病に侵された女性の幸せは、病が治ることだと考えられる。生きていなければ、幸せにはなれない。

「フィロ、あの人とお腹の子は……どうなる」

「さっき男の人が言ってたでしょ? 助かるのは1人だって」

「どっちも助かる線もあるんじゃないか? 幸せの粉だろ?」

 フィロは、無言のまま目を瞑り、首を左右に振った。

「「そんなの、あんまりだ」」

 俺と男性は同時にそう声に出した。

「私、長くはないんでしょ?」

 女性は、カーテンの隙間から夜空を眺めながら自分の状態について男性に問う。

「いや、最近は、医学の進歩が早いって話だ。今は治る確率は低くて……も」

 「治る確率が低い」そう口にはしたくなかったのか、男性は口を濁す。

「ほら〜、やっぱり難しいんだ。そうだろうとは思ってたよ」

「だ、だからといって、それでも、お腹の子が助かる確率の方が低いんだ。それは、先生が言ってた、事実だ。出産のストレスに君の体は耐えられない。産まれてきた子供も助からなかったら……」

「ごほっごほっ」

 女性が苦しそうに咳き込み、男性が慌てて駆け寄る。

「楓、時間が無いわ」
 
 フィロは俺に手を差し出しながら、すでに少し女性の方へ歩み始めている。

「ねえ、覚えてる? 颯太が産まれてきた時のこと」

 女性が男性に問いかけ、フィロの歩みが止まる。

「もちろん覚えてるさ。あまり話さない方が良い。ナースコールは?」

「大丈夫。もうこんなの慣れっこだから」

 そう話す女性は、話すたびに声から精気が抜けているように思えた。

「あの時ね〜、ほんとに、ほんとに幸せだったの。今まで感じたことない幸福だった。私の宝物が、私の腕の中でわんわん泣いてるの」

 男性は無言で頷き、女性の背中を摩る。

「本当は、これからもずーっと、4人で、暮らしていきたかったなあ」

 女性は、窓の外の月を眺めながら、大きく膨らんでいるお腹を撫でながらそう呟く。

「暮らすさ! 当たり前だろ? 大丈夫だよ。心配ない、僕が居るよ。だから……頼むよ」

「そう、あなたが居る。だから、安心して私の宝物を、預けられる。そうでしょ?」

「大丈夫……私は……」

 何かを言いかけて、女性の様子が先程までとは打って変わり、思わず男性もナースコールへ手を伸ばす。

「楓、粉を!」


 『ピーピーピーピー』


 けたたましい音が、病室に鳴り響いた。
 俺は咄嗟に、フィロに粉の入ったコップを手渡した。そこからは、頭が真っ白になって、鳴り響く機械音が頭に響くだけだった。
 少しして、何人かの白衣を着た人間が、病室に入ってきた。粉をかけたフィロが、俺の手を引いて人間にぶつからないよう病室の外へ連れ出す。
 粉は、かけられた人を幸せにする。お腹の中の命のことを、おそらく考慮はしないだろう。あの女性は助かるかもしれない。病気も、治るかもしれない。でも、あの覚悟は、想いは、願いはどこに行くのだろうか。
 
 幸せとは、何なのだろうか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 フィロに連れられて、俺は病室から少し離れた階段の踊り場で立ち尽くしていた。
 
「これで、正解だったのかな。もし粉をかけていなかったら、あの人の想いは叶っていたかもしれない」

「楓は、何か勘違いしてるね」

 フィロは俺の正面に立つと、俺の俯いた顔を覗き込むように、そう上目遣いでそう言った。

「勘違い?」

「幸せの粉は、かけられた人間を幸せにする。その幸せは、その人間の身の安全とか、その人間のこれからのこととか、そういうことよりも、その人間の気持ちを優先するの。これが私の幸せだって、胸を張って言えるような、そんな幸せが、その人間には訪れるの」

 俺が自分の勘違いに気づいた時、フィロの視線がさっきの病室の方にへ向き、直後、フィロは少し微笑んだ。つられて俺もそちらを向くと、先ほど担架で運ばれて行ったはずの女性が、こちらを見つめて立っているのが見えた。

「彼女の願いは叶ったみたいよ。ほら、お仲間と少し話してきたら?」

 お仲間、さっき幽霊仲間の話をしていたが、彼女は幽霊なのだろうか。
 こちらに近づいてくる女性に向かって、俺も歩みを進める。完全に目が合っている。彼女は、俺が見えている。
 ある程度近づいたところで、先に口を開いたのは彼女だった。

「こっちの世界の人たちでは……ないよね? 後ろの女の子たち、なんか服装も顔立ちも可愛すぎてお人形みたいだし」

「大正解です。でもそれはあいつらには直接言わないでください。多分調子に乗るんで」

 「ははっ」と笑みをこぼした女性は、口に人差し指を当て「わかった」と口パクで俺に伝えた。
 彼女は、亡くなっている。ここにきた時にフィロが話していた、少しだけ幽霊でいられるという、その状態だろう。
 彼女の願いは叶ったと、フィロは言っていた。つまり、お子さんは無事なのだろう。だからこそ、彼女はこんなにも幸せそうに笑えている。ただ、俺たちの粉のせいで彼女が亡くなったのも事実。そんな思いが俺の中を彷徨い、思わず謝罪の言葉を述べようとした時、またしても彼女の方から口を開いた。

「きっと、神様みたいな人たちなんだよね? ありがとう。本当に、ありがとう」

「え、いや、俺たちはそんな……神様なんかじゃ」

「でもきっと、あの子が無事に産まれてきてくれたのはあなたたちのおかげでしょ?」

 図星ではあるため否定することはできず、俺は頷く。

「ありがとうございます。私は……本当に幸せな人生を送ることができました」

 深くお辞儀をし感謝を告げた彼女は、ゆっくりと頭を上げた。満面の笑みを見せる彼女を見て、フィロが言った「幸せだと、胸張って言えるような、そんな幸せ」を体現しているように思えた。

「あ、神様、一つお願いをしても?」

 彼女は、今にも涙がこぼれそうな俺の瞳を見ながら、あるお願いを告げたのを最後に、光に包まれ消えていった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 後日、俺とエルシオは、再び病院を訪れていた。今回は昼間のため、エルシオは怖がるどころか、なぜか少し張り切っているように見える。

「ほんとにやれるか? 無理なら無理で大丈夫って、あの人も言ってたぞ」

「大丈夫なのです!」

 あの女性の最後の願い、それは、夫であるあの男性に、最後に伝えきれなかったことがあるため、それを伝えてほしいと言うことだった。
 それを聞いたエルシオは、「それなら任せるのです!」と大口を叩いたものの、特に策を俺に伝える事なく、結局ここまできてしまった。

「そもそも、伝える方法なんてあるのか?」

「まあ任せるのです」

 自信満々なエルシオを筆頭に、俺たちは先日訪れた病室の前へ辿り着く。
 病室のドアは開いたままで、中にはあの男性と、子供が1人、中で荷物を整理していた。おそらく、あの子供は颯太くんだろう。
 颯太くんは、昨日男性が話していた、五十音がボードに記されているおもちゃをいじっている。好きなひらがなを押すと発音してくれるおもちゃらしい。
 だが、その姿からは哀愁が漂っており、とても楽しそうには見えない。

「正直、どうやって伝えるか決めていなかったのですが、とても良い方法を考えたのです!」

 杖を取り出したエルシオを見て、その方法を察した俺は、案外良い方法かもなと、関心する。


 『し、あ、わ、せ……だ、た、よ』


 突然、おもちゃから聞こえた言葉に、男性は驚く。
 
「幸せだったって! ママだよ! 絶対ママだ!」

「颯太、何を言って……」

「光ったんだよ! 勝手にひらがなが光ったの!」

 エルシオは、間違えないよう、慎重にひらがなを選択し、そのひらがなへ明かりを灯した杖の先端を当てる。
 それを颯太くんが押していき、それにより言葉がおもちゃによって読み上げられる。

「ほら! また! 幸せだったって!」

 『私は、幸せだったよ』そう、女性は最後に伝えきれなかったと言っていた。

「最後の言葉の続きかな……わざわざ伝えてくれるなんて、頑固な君らしいや」

  光るおもちゃを見て、男性は涙を溢しながら笑った。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「ほら! 大成功だったのです!」

「そうだな、エルシオ、お前のおかげだよ」

 病院の屋上は開放されており、そこで俺たちは、景色を見ながら今回のミッションの成功っぷりを話していた。 

「は、初めて名前呼ばれたのです」

「え? 今呼んでたか?」

 無意識の内に名前を呼んでいたようで、少し恥ずかしくなる。

「ま、まあ私は人間って呼びますけどね」

「勝手にしろよ。じゃあ俺はビビりまくり天使って呼ぶわ」

「はあ!? 別にビビってないのです! それに、幽霊は怖くないと、今回の1件でわかったのです」

「まあ、そうだな、怖くなかった。まさか幽霊からお願いをされるとはな」

「人望、あるんじゃないですか?」

 エルシオの言葉に、自然と笑みが溢れる。
 こう言う時間が、俺にとっての幸せなのかもしれない。



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 だが、この天使の仕事の手伝いはそこまで苦ではない。こうして3人で行動することに、正直楽しさを感じる。 それほど、仲が良くなってきたということだろうか。相変わらずのエルシオの悪態や、フィロの適当さには呆れる部分もあるが、それでも、生きていた頃味わえなかった感覚を、死後ではあるが楽しめている気がしていた。
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「なあ、フィロ、幽霊っているのか?」
「あー! やめるのです! そんな話!」
「やっぱビビってんじゃえか」
 そんな、怖がるエルシオに優しい目を向けながら、フィロは答える。
「幽霊ねえ、亡くなってから少しの間なら、天界に連れて行かれるまでこっちに居ることもできると思うけど、楓みたいに死んでもがっつりこっちで歩き回ってる人間は居ないんじゃないかしら」
「俺はがっつり幽霊ってことかよ」
「ちょっと、私から離れてください。あなたの幽霊のお仲間が寄ってくる可能性があるのです」
「今さっき俺以外には幽霊は居ないって話をしてただろうが! それに、俺はそんなにすぐお仲間ができるほど人望は無い」
 そうこうしているうちに、ターゲットのかなり近くまで来ていた。アイボーンの目印は、おそらく目の前の病室の中を示している。
 地図では、上下の位置までは分からないため、階数が分からないことがネックではあったが、3階のこの病室には、名札が表札のようにかけられている。その名前と、アイボーンにある名前とで一致していることから、ここで間違いない。
「この病室の人にかければいいんだよな」
 2人の天使の顔を見て頷いたことを確認し、あらかじめ用意しておいたいつものコップに決められた分量まで粉を入れる。まだ数回しかこの作業はしていないものの、初めの頃に比べればだいぶ慣れてきた。
 コップを手に持ち、病室のスライドドアに手をかける。
「おいこれ、どうやって入るんだ」
「こっちの世界のものは動かせないからね〜、開くまで待つしかないわね」
 なんだかんだ、このようにドアを開けなければいけないケースは初めてだった。こっちの世界のものを動かせないという縛りは、思っていたよりもきついのかもしれない。
「またですか。少し前の仕事の時も、引きこもりのニートさんに粉をかけるために8時間待ったのです」
「嘘だろ。なんか良い魔法ないのかよ」
「無いわね。その引きこもりのニートさんの時は、エルシオの杖を振ると先端が光る魔法で遊んでたわよ。ちなみに、粉をかけたことで、引きこもりのニートさんは、もう引きこもりでもニートでもなくなったわ」
 エルシオの魔法が相変わらずしょうもないことも、ニートが更生したことも今はどうでもいい。それよりも、このドアが開くのを待つという天使とは思えない効率の悪さに落胆している。
 このドアを開ける人間が現れるまで待つというならば、確実に来る時間を間違えている。今は深夜だ。この病室に出入りする人間も居なければ、中のターゲットが外に出ることもないはずだ。
 ターゲットがトイレに行くか、常識をわきまえていないアホがこの時間に見舞いに来るかに賭けるしかない。
「こうなる可能性があるんなら、なんでわざわざこんな時間にこっちに来たんだ。なんなら、1回帰って朝来た方が良くないか?」
「そうも言ってられないみたいでね、今回は緊急なのよ。レジ籠りのバイトさんの時は一回帰っても良かったんだけど、ちょっと引きこもりの生態が気になってね」
「わざわざ今の姿に合わせてあだ名を変えなくて良い。それより、緊急ってことは、そんなに待ってられないってことか」
「そうね、あんまり時間はないかも」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 一通りカメラで病院内を撮影し暇になったからか、エルシオが杖を取り出し何やら魔法を使おうとした時、懐中電灯のような明かりが、暗い廊下を照らした。眩しさに思わず目を手で覆いながら、明かりの元を確認する。すると、こちらに小走りで向かってくる1人の男性の姿があった。
 本当に、常識をわきまえていないアホがこの時間に見舞いにきたというわけではなさそうだ。この時間に面会が行われるということは、よほどの緊急案件なのだろう。
 男性は肩で息をしながら、俺たちの待つ病室の前で立ち止まった。ノックをするために胸の位置まで上げた右手は、ドアに触れることなく静止している。
 ノックを、躊躇っている。
「はあ……」
 男性はため息をつくと、ドアに背を向け、もたれるように背中をつけながら、ずりずりとしゃがみ込んだ。その目には、うっすらと涙が見えた。
「居るんでしょ? 入ってこないの?」
 病室の中から、女性の声が聞こえた。この病室は1人部屋のため、この声の主が今回のターゲットだと察する。
 「早く開けてくれよ」と、男性を責める気持ちも始めはあったが、ただならぬ雰囲気に、俺たちはドア越しの2人の会話を静かに聞いていることしかできない。
「君に、どんな顔で、どんな話をすればいいのかわからないんだ」
「颯太に、ちゃんとご飯食べさせた? あなたも、ちゃんと食べた?」
「颯太は……いっぱい食べてた。今はもう、ばあちゃんのとこでぐっすりだよ。僕も……食べたよ」
 女性の声は、とても細く弱々しい。聞いているだけで心配になるほどだった。
 男性の顔色はとても悪く、頬がかなりコケていて、とてもご飯が喉を通っているとは思えなかった。
「颯太は元気? 私のことでしょんぼりしてない?」
「颯太は強い子だよ。この前だって、君が買ってあげた五十音を覚えるおもちゃあるだろ、もう全部覚えたって、ママにも教えてあげるんだって」
「ははっ、良かった。なら、この子のことも任せられるね?」
 病室内の女性は、笑い声をあげてはいるものの、とても元気そうには思えない。その笑い声や言葉には、活力が感じられない。
「いや……それは、僕が耐えられない。お腹の子ももちろん大切だよ。でも、君が居なくなってしまったら……」
 男性はしゃがんだまま、頭を抱えている。2人の会話だけが響く薄暗い院内。まるで俺たちが2人の世界に迷い込んでしまった様だった。
「大丈夫。颯太も、弟ができるって楽しみにしてた。私の病気は、この子を諦めても治るわけじゃない。この先、あなたや颯太。この子にだって迷惑をかけることになる」
 「迷惑なんて! そんなことない!」そう涙を流しながら答えた男性の声は、暗く冷たい廊下に響き渡った。男性は立ち上がり、病室のドアを開く。
「ご飯、食べてないでしょ。ちゃんと食べないと」
 病室の中の女性は男性の姿を見るなり、微笑みながらそう言った。電気がついていない病室の中で、月明かりだけがカーテンの隙間から差している。
「先生は、絶対にどちらかしか助からないって……決断する時間も、もうほとんど無いって、君が助かる可能性の方が高いんだ。お腹の子には、ちゃんと栄養が届いているか……最後は、君が決めることだ。でも、でも僕は……僕は」
「あなたは優しい人だから、選べないよ。だから、私に決めさせて?」
 男性は、返事をすることなく黙り込んだ。沈黙が、妙に長く感じる。
 大体の、今の彼らの状況を悟ってしまった。聞いてしまった。俺が手に持つこの粉は、あの女性を幸せにするための粉だ。その意味を考えるだけで、手が震えて思うように動かない。
「楓、粉を貸して」
 沈黙の中、俺の耳元でフィロはそう呟いた。俺の手が震えていることに気づいた、彼女なりの優しさだろうか、フィロは俺の前に手を差し出している。俺を真剣な眼差しで見つめるフィロの水色の瞳から、思わず目を逸らす。
 いつの間にか、エルシオは病室の外に出ていた。開きっぱなしのドアの横で、こちらに背を向けて座っている。肩が震えているのは寒さからではないだろう。エルシオも、やはり優しい心の持ち主だ。人間が嫌いだとは、到底思えない。
「時間がないの。彼女に訪れるはずの幸せが、間に合わなくなるかもしれない」
 フィロは俺の前に差し出した手を、さっきよりもこちらに近づけた。
 俺は、この粉のことを理解している。この粉は、かけられた人間を幸せにする。病に侵された女性の幸せは、病が治ることだと考えられる。生きていなければ、幸せにはなれない。
「フィロ、あの人とお腹の子は……どうなる」
「さっき男の人が言ってたでしょ? 助かるのは1人だって」
「どっちも助かる線もあるんじゃないか? 幸せの粉だろ?」
 フィロは、無言のまま目を瞑り、首を左右に振った。
「「そんなの、あんまりだ」」
 俺と男性は同時にそう声に出した。
「私、長くはないんでしょ?」
 女性は、カーテンの隙間から夜空を眺めながら自分の状態について男性に問う。
「いや、最近は、医学の進歩が早いって話だ。今は治る確率は低くて……も」
 「治る確率が低い」そう口にはしたくなかったのか、男性は口を濁す。
「ほら〜、やっぱり難しいんだ。そうだろうとは思ってたよ」
「だ、だからといって、それでも、お腹の子が助かる確率の方が低いんだ。それは、先生が言ってた、事実だ。出産のストレスに君の体は耐えられない。産まれてきた子供も助からなかったら……」
「ごほっごほっ」
 女性が苦しそうに咳き込み、男性が慌てて駆け寄る。
「楓、時間が無いわ」
 フィロは俺に手を差し出しながら、すでに少し女性の方へ歩み始めている。
「ねえ、覚えてる? 颯太が産まれてきた時のこと」
 女性が男性に問いかけ、フィロの歩みが止まる。
「もちろん覚えてるさ。あまり話さない方が良い。ナースコールは?」
「大丈夫。もうこんなの慣れっこだから」
 そう話す女性は、話すたびに声から精気が抜けているように思えた。
「あの時ね〜、ほんとに、ほんとに幸せだったの。今まで感じたことない幸福だった。私の宝物が、私の腕の中でわんわん泣いてるの」
 男性は無言で頷き、女性の背中を摩る。
「本当は、これからもずーっと、4人で、暮らしていきたかったなあ」
 女性は、窓の外の月を眺めながら、大きく膨らんでいるお腹を撫でながらそう呟く。
「暮らすさ! 当たり前だろ? 大丈夫だよ。心配ない、僕が居るよ。だから……頼むよ」
「そう、あなたが居る。だから、安心して私の宝物を、預けられる。そうでしょ?」
「大丈夫……私は……」
 何かを言いかけて、女性の様子が先程までとは打って変わり、思わず男性もナースコールへ手を伸ばす。
「楓、粉を!」
 『ピーピーピーピー』
 けたたましい音が、病室に鳴り響いた。
 俺は咄嗟に、フィロに粉の入ったコップを手渡した。そこからは、頭が真っ白になって、鳴り響く機械音が頭に響くだけだった。
 少しして、何人かの白衣を着た人間が、病室に入ってきた。粉をかけたフィロが、俺の手を引いて人間にぶつからないよう病室の外へ連れ出す。
 粉は、かけられた人を幸せにする。お腹の中の命のことを、おそらく考慮はしないだろう。あの女性は助かるかもしれない。病気も、治るかもしれない。でも、あの覚悟は、想いは、願いはどこに行くのだろうか。
 幸せとは、何なのだろうか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 フィロに連れられて、俺は病室から少し離れた階段の踊り場で立ち尽くしていた。
「これで、正解だったのかな。もし粉をかけていなかったら、あの人の想いは叶っていたかもしれない」
「楓は、何か勘違いしてるね」
 フィロは俺の正面に立つと、俺の俯いた顔を覗き込むように、そう上目遣いでそう言った。
「勘違い?」
「幸せの粉は、かけられた人間を幸せにする。その幸せは、その人間の身の安全とか、その人間のこれからのこととか、そういうことよりも、その人間の気持ちを優先するの。これが私の幸せだって、胸を張って言えるような、そんな幸せが、その人間には訪れるの」
 俺が自分の勘違いに気づいた時、フィロの視線がさっきの病室の方にへ向き、直後、フィロは少し微笑んだ。つられて俺もそちらを向くと、先ほど担架で運ばれて行ったはずの女性が、こちらを見つめて立っているのが見えた。
「彼女の願いは叶ったみたいよ。ほら、お仲間と少し話してきたら?」
 お仲間、さっき幽霊仲間の話をしていたが、彼女は幽霊なのだろうか。
 こちらに近づいてくる女性に向かって、俺も歩みを進める。完全に目が合っている。彼女は、俺が見えている。
 ある程度近づいたところで、先に口を開いたのは彼女だった。
「こっちの世界の人たちでは……ないよね? 後ろの女の子たち、なんか服装も顔立ちも可愛すぎてお人形みたいだし」
「大正解です。でもそれはあいつらには直接言わないでください。多分調子に乗るんで」
 「ははっ」と笑みをこぼした女性は、口に人差し指を当て「わかった」と口パクで俺に伝えた。
 彼女は、亡くなっている。ここにきた時にフィロが話していた、少しだけ幽霊でいられるという、その状態だろう。
 彼女の願いは叶ったと、フィロは言っていた。つまり、お子さんは無事なのだろう。だからこそ、彼女はこんなにも幸せそうに笑えている。ただ、俺たちの粉のせいで彼女が亡くなったのも事実。そんな思いが俺の中を彷徨い、思わず謝罪の言葉を述べようとした時、またしても彼女の方から口を開いた。
「きっと、神様みたいな人たちなんだよね? ありがとう。本当に、ありがとう」
「え、いや、俺たちはそんな……神様なんかじゃ」
「でもきっと、あの子が無事に産まれてきてくれたのはあなたたちのおかげでしょ?」
 図星ではあるため否定することはできず、俺は頷く。
「ありがとうございます。私は……本当に幸せな人生を送ることができました」
 深くお辞儀をし感謝を告げた彼女は、ゆっくりと頭を上げた。満面の笑みを見せる彼女を見て、フィロが言った「幸せだと、胸張って言えるような、そんな幸せ」を体現しているように思えた。
「あ、神様、一つお願いをしても?」
 彼女は、今にも涙がこぼれそうな俺の瞳を見ながら、あるお願いを告げたのを最後に、光に包まれ消えていった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 後日、俺とエルシオは、再び病院を訪れていた。今回は昼間のため、エルシオは怖がるどころか、なぜか少し張り切っているように見える。
「ほんとにやれるか? 無理なら無理で大丈夫って、あの人も言ってたぞ」
「大丈夫なのです!」
 あの女性の最後の願い、それは、夫であるあの男性に、最後に伝えきれなかったことがあるため、それを伝えてほしいと言うことだった。
 それを聞いたエルシオは、「それなら任せるのです!」と大口を叩いたものの、特に策を俺に伝える事なく、結局ここまできてしまった。
「そもそも、伝える方法なんてあるのか?」
「まあ任せるのです」
 自信満々なエルシオを筆頭に、俺たちは先日訪れた病室の前へ辿り着く。
 病室のドアは開いたままで、中にはあの男性と、子供が1人、中で荷物を整理していた。おそらく、あの子供は颯太くんだろう。
 颯太くんは、昨日男性が話していた、五十音がボードに記されているおもちゃをいじっている。好きなひらがなを押すと発音してくれるおもちゃらしい。
 だが、その姿からは哀愁が漂っており、とても楽しそうには見えない。
「正直、どうやって伝えるか決めていなかったのですが、とても良い方法を考えたのです!」
 杖を取り出したエルシオを見て、その方法を察した俺は、案外良い方法かもなと、関心する。
 『し、あ、わ、せ……だ、た、よ』
 突然、おもちゃから聞こえた言葉に、男性は驚く。
「幸せだったって! ママだよ! 絶対ママだ!」
「颯太、何を言って……」
「光ったんだよ! 勝手にひらがなが光ったの!」
 エルシオは、間違えないよう、慎重にひらがなを選択し、そのひらがなへ明かりを灯した杖の先端を当てる。
 それを颯太くんが押していき、それにより言葉がおもちゃによって読み上げられる。
「ほら! また! 幸せだったって!」
 『私は、幸せだったよ』そう、女性は最後に伝えきれなかったと言っていた。
「最後の言葉の続きかな……わざわざ伝えてくれるなんて、頑固な君らしいや」
  光るおもちゃを見て、男性は涙を溢しながら笑った。
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「ほら! 大成功だったのです!」
「そうだな、エルシオ、お前のおかげだよ」
 病院の屋上は開放されており、そこで俺たちは、景色を見ながら今回のミッションの成功っぷりを話していた。 
「は、初めて名前呼ばれたのです」
「え? 今呼んでたか?」
 無意識の内に名前を呼んでいたようで、少し恥ずかしくなる。
「ま、まあ私は人間って呼びますけどね」
「勝手にしろよ。じゃあ俺はビビりまくり天使って呼ぶわ」
「はあ!? 別にビビってないのです! それに、幽霊は怖くないと、今回の1件でわかったのです」
「まあ、そうだな、怖くなかった。まさか幽霊からお願いをされるとはな」
「人望、あるんじゃないですか?」
 エルシオの言葉に、自然と笑みが溢れる。
 こう言う時間が、俺にとっての幸せなのかもしれない。