第15話 ザファル
ー/ー 鰐淵に電話をかけたのは、坂崎と飲んだ翌日のことだった。
名刺に記された番号は、三回目のコールで繋がった。
用件を簡潔に伝えた。ミスリルの採掘を人力に切り替える。人員を大量に確保できる現地の協力者を探している。
「なるほど。コンプラドールが必要、ということですね」
「コンプラドール?」
「買弁。コンプラドール。要するに、現地側のパートナーということです」
鰐淵は一拍の間を置いた。電話越しでも笑顔が見えるような声だった。
「心当たりがないわけではありません。
ただ、加藤さん。先にお伝えしておきますが、この手の商売に手を出せる規模の人間は、こちらではそう多くない。
そして多くない人間というのは、得てして——」
「わかっている」
「ええ。わかっていらっしゃると思いましたよ」
翌日の午後、事務所に鰐淵が男を一人連れてきた。
* * *
「ザファルデス。ヨロシク」
日本語での挨拶だった。
黒檀色の肌。銀髪をオールバックに撫でつけ、口元にはきれいに整えたコールマン髭。
ダークエルフの長身に、光沢のあるスリムなスーツを着こなしている。ワイシャツの襟元は開き、金鎖のネックレスが覗く。腕にはロレックス。
ベンチャー企業の若い経営者、あるいは芸能事務所の社長。そんな空気をまとった男だった。
綺麗に整えた口髭の下から白い歯がのぞく。
右手を差し出されたので握ると、力強く握り返された。
すべての所作が親しみと頼もしさを演出している。
手の甲に蜘蛛の刺青があった。隠す気もないらしい。
「ザファル商会の会頭をしております。
……カトーサン、俺はこう見えても親日家でね。日本企業とは長いお付き合いをさせていただいている」
流暢な帝国語だった。イヤーバッズが追いつく速度で、日本のビジネス用語を交えながら滑らかに話す。
商売で鍛えた日本語と、生来の弁舌。この男は交渉に慣れている。
鰐淵はソファの端に座り、水を飲んでいた。紹介者としての役目はここまで、という体だ。
「状況は鰐淵さんから聞いていますよ。採掘の主力機材が使用不能になった。人力への切り替えが必要だと。
率直に言って、カトーサン、これは大きなビジネスチャンスだ。我々にとっても、御社にとっても」
ザファルは持参した鞄から、A4用紙に印刷された資料を取り出し、テーブルに並べた。
パワーポイントで作られた、見慣れたレイアウト。
『第4鉱区における労働力不足に対するソリューションのご提案』
フォントはメイリオ。グラフや図解まで入っている。
「……誰が作った」
「優秀なスタッフがいるので」
ザファルはにこやかに答えた。
おそらく、帰還不能になった元日本人だろう。資料の作りが、日本の大企業のそれだった。
提案は二案あった。
甲案。ザファル商会が人員を供給し、ヤシマが現場管理を行う。人件費は現行の三割増。管理体制の構築はヤシマ側の負担。
乙案。ザファル商会が採掘業務を一括で下請けする。ヤシマは月間の産量だけを受け取る。コストは甲案より低い。管理負荷はゼロ。
「甲案は堅実だが、御社に管理の余力がありますか。
現場監督を一人増やすだけでも、アンカーの追加駐在が必要になる」
余力はない。それはザファルも分かっている。甲案は当て馬だ。
「乙案なら、我々が全部引き受けます。御社は数字だけ確認していただければいい」
「人員はどうする。今のゴブリンの鉱員では頭数を増やしても追いつかない」
「そこです」
ザファルは資料の一ページをめくり、人員計画の表を示した。
「ゴブリンを使い続けても所詮は数合わせだ。我々はドワーフを使う。手数より質だ。採掘の技術があるし、坑道の中での自律性が高い。かえって管理の手間は減る」
ドワーフ。
研修資料で読んだ限り、かつてこの近辺に王国を構えていた部族だ。
日本企業との提携で産量を飛躍的に上げていたが、パッチワークによるシールドマシンの暴走で王国が壊滅したという。
今はレベル2の居住区に散り散りに住んでいるはず。
「ドワーフの居住区との交渉ができるのか」
「できます。彼らは気質的に頑固だが、信頼関係があれば動く。我々にはその信頼関係がある」
ザファルはテーブルに身を乗り出した。
「我々は御社とも信頼関係を築けると思っているんですよ、カトーサン」
そこでザファルは一拍置き、声のトーンを変えた。
「メモリの件はノーサイドで行きましょう。
クライアントももういいと言っている。我々も管理本部を敵に回すつもりはない。
このビジネスが成立すれば、我々は良きビジネスパートナーになれるのではないですか」
メモリの件を知っている。
当然か。盗賊ギルドの幹部なのだから、家探しの件も、吟遊詩人の老人も、すべてこの男の差配の下にあったのだろう。
ノーサイドという言い方は、貸しを水に流すということではない。「次はうまくやりましょう」という意味だ。
ザファルの目がこちらを見ていた。
さっきまでの営業スマイルとは違う。値踏みする目。こちらがどう出るかを計っている。
この男は、俺がメモリを坂崎に渡したことを知っている。つまり、俺が盗賊ギルドを回避して行政に駆け込んだことも知っている。
その上で「ノーサイド」と言っている。
侮られているのか。あるいは、ビジネスライクに切り替えたほうが得だと判断したのか。
おそらく後者だ。坂崎を敵に回すより、ヤシマとの取引で稼ぐほうが合理的。
この男の判断は、感情ではなく損得で動いている。
「検討する」
俺は資料を受け取り、それだけ告げた。
ザファルは満足そうに微笑み、握手を求めてきた。再び力強い握手。
ザファルが去った後、鰐淵がソファから立ち上がった。
「いかがでしたか」
「反社だな」
「そうですね」
鰐淵は能面の笑顔のまま、コートの埃を払った。
「私があえてダーティーなところに繋いだとお考えなら、それは濡れ衣ですよ」
「そうか」
「帰還不能者が繋がる先は、大体現地反社なんです。
だってそうでしょう? 多くの日本人は、駐在員時代、まともな取引をしない。
持ってくるのはゴミ、欲しいのは資源。現地のまっとうな産物に用はない。
けれど滞在が長ければ、誰だって歓楽街のお世話にはなる。
つまり最初からツテと呼べるものが反社筋くらいしかないんですよ」
鰐淵は窓の外を見た。
「コンクリートの部屋を追い出された彼らにとって、隙間風の吹き込む家でもいいから囲ってほしい。
そう考えて現地反社の協力者になる日本人は、とても多い」
淡々とした口調だった。自分もその一人だと言っているのか、それとも他人事として語っているのか、判別がつかない。
「とにかく、紹介はしましたよ。あとは加藤さんのご判断です」
鰐淵は一礼して事務所を出ていった。
* * *
ナイリザが向かいのデスクから、冷めた目でこちらを見ていた。
「盗賊ギルドと総合商社の業務提携。悪い冗談ね」
「冗談で済むならな」
俺は資料をもう一度開いた。
甲案と乙案。
甲案を推したい。管理の手綱はヤシマが握るべきだ。
しかし、甲案を出せばザファルは降りる。ザファルの狙いは最初から乙案だ。完全下請けで現場を掌握し、ヤシマから中間搾取する。
甲案だけ出すという選択肢はない。ザファルの協力を得る条件が乙案を含めることだからだ。
そして、二案とも出せば、本社は乙案を選ぶ。コストが安く、管理の人員を割く必要がなく、数字だけ上がればいい。
分かっている。分かった上で出すしかない。
「稟議書を作る。手伝ってくれ」
ナイリザは安酒のカップを置き、眼鏡を押し上げた。
「経理の仕事じゃないわ。でもまあ、あのメイリオのスライドよりはマシなものを作る必要があるわね」
* * *
稟議書は翌週、レベル1経由で本社に送付された。
三日後、承認の通知がファクシミリで届いた。
乙案だった。
驚くほど速い。あるいは、驚くほど軽い。
俺が盗賊ギルドの幹部と組む覚悟を決めるのに要した時間よりも、本社が数千万円規模の業務委託を承認するのに要した時間のほうが短かった。
決裁者の欄には、見たことのない名前があった。宇田川次長ではない。
そもそも宇田川次長の名前が、決裁ルートのどこにも入っていなかった。
ナイリザに見せると、彼女は伝票の裏に走り書きをした。
「この名前、管理部門の部長クラスね。宇田川の上か、横か」
「宇田川次長を飛ばして決裁が下りている」
「つまり?」
つまり、宇田川次長はもはやこの事業のラインにいない。
報告を握り潰していたのではなく、握り潰す立場からも外れていた。
ナイリザはカップの蓋を開けた。安酒の匂い。
「あなたの上司、もういないわよ。たぶん」
知っている。もう何週間も前から。
日本の総合商社が盗賊ギルドにアウトソーシング。
悪夢のようで頭痛しかしない。
だが、頭痛薬を飲む暇もなく、ザファル商会との業務委託契約の実務が始まった。
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