第26話:異世界×現代知識

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 駐留所が我が家の隣にできてから、もう数週間がたった。
 二日に一度は顔を出してくるグスタフたちのことも、だいぶん分かってきた。

 グスタフが三十五歳、バルトスが四十歳、エリシュアが二十三歳。
 全員もっと若く見えたし、逆に俺のことはもっと年上だと思っていたらしい。
 おかしいな、異世界転生ものでは若く見られるのがお約束だったはずだが……まあ、無精髭のせいにしておこう。

 バルトスは年上なので「バルトスさん」と呼ぶことにした。
 グスタフとエリシュアは年下だから呼び捨てのままでいい。
 年齢の話をしたついでに「もっと砕けてくれていい」と言ったのだが、生真面目なバルトスは頑なに“ゼクト様”を崩さない。
 一方グスタフは領主らしい柔軟さを見せ、「ゼクトさん」と呼び方を変えてくれた。敬語はそのままだが、少し距離が縮まった気がする。

 魔石の問題はどうやら解決したらしく、エリシュアたち魔道士主導で進めていた新都市計画用地の整地は、ほぼ完了したという。
 あの広大な土地が、もう“街の形を作れる状態”になっているらしい。

(……早いな。魔法と人手が揃うと、ここまで違うのか)

 そんな報告を受けた日の夕暮れだった。

夕暮れの森を裂くように、重い足音が近づいてきた。門扉のインターホンが震えるように鳴り、俺はソファから顔を上げた。

 モニターに映ったのは、見知らぬ婦人と、その隣に立つグスタフだった。普段は背筋を伸ばし、街を背負う男が、今は影のように沈んでいる。婦人の方も、目の下に深い影を落とし、今にも倒れそうなほど憔悴していた。

(……ただ事じゃないな)

 俺は玄関のロックを外し、二人を迎え入れた。

「……座って」

 二人はぎこちなくソファに腰を下ろした。俺は向かいの椅子に座り、腕を組む。

「で、その人は?」

 グスタフは小さく息を吸い、俺の前で軽く頭を下げた。

「ゼクトさん……こちら、妻のリーネです」

 リーネは深く礼をしたが、その動きにも力がなかった。顔色は悪く、昨夜ほとんど眠れていないのが一目で分かる。

 その二人の表情を見た瞬間、胸の奥がざわついた。張り詰めた糸が今にも切れそうな、そんな空気だった。

「……どうしたの?今日は」

 俺がそう言うと、グスタフは一度だけリーネと視線を交わし、苦しげに息を吐いた。

「ゼクトさん……実は……息子のレオンが倒れまして。まだ七つの子です。昨日の夕刻より急に熱を出し……今朝には体に赤紫の斑点が広がり始めました。胸と腹に……触れると焼けるように熱いんです」

 拳を握りしめ、続ける。

「息は荒く、声も出せず……関節が痛むのか、身動きも取れず……。斑点は朝より倍以上に広がっていて……治癒魔法も薬草も、何一つ効かなくて……」

「……あの子、昨夜は……普通に笑っていたんです」

 リーネが震える声で続けた。

「放っておけば、その斑点が黒ずんで全身に回る恐れがあると……。どうすればいいのか……」

 俺は、グスタフの拳が白くなるほど握り締められているのを見た。

「……ゼクトさん、お願いします。どうか……どうかレオンを……救う手立てを教えてください。どれほど小さな可能性でも構いません……俺は……俺は、あの子を失いたくないんです……」

 俺はゆっくりと息を吸い、立ち上がった。

「……分かったよ。話は聞いた。ちょっと調べてみるよ」

 そう言い残し、書斎へ向かった。

 薄暗い書斎。PCの電源を入れると、静寂を破るようにファンが回り始めた。俺は椅子に腰を下ろし、検索窓を開いた。

(……赤紫の斑点、高熱、急速な悪化……七歳……)

 キーボードを叩く指が、いつもより速い。検索結果が次々と表示される。細菌性の急性炎症、敗血症前段階、皮膚膜形成症――どれも“細菌感染”の文字が並んでいた。

(……やっぱり、細菌か。魔法じゃ治らないわけだよな……)

 俺は息を吐き、背もたれに体を預けた。

 ふと、リビングに残してきた二人の顔が脳裏に浮かぶ。最近の都市計画の相談で、グスタフが家へ来ることが増えた。最初はただの仕事相手だったはずなのに、気づけば――

(……なんか、他人って感じじゃなくなってきてるんだよな)

 グスタフの必死の表情。リーネの震える声。

(……俺は、身内には平和でいてほしいと思っちまってる)

 苦笑しながら、ぽつりと呟いた。

「……引きこもりのくせに、面倒な感情を抱えるもんだな」

 呟きは書斎の静寂に吸い込まれていった。

 俺はスマホを取り出し、ルミナショッピングを開いた。新しく追加されたカテゴリが光っている。

【医療・治療】

(……あった!抗生物質……)

 しかし、表示された価格を見て固まった。

【抗生物質:よく効きます 50,000,000L】

(……五千万? ふざけんなよ……)

「おい、ルミナ!何なんだよこの値段!人の命がかかってるんだぞ!むやみに流通させようってんじゃない。今回だけでもなんとかしてくれよ…」

 手持ちのポイントでは到底届かない。俺はスマホを机に置き、額を押さえた。

(……どうすんだよ、これ……)

 沈黙の中、ふと脳裏に浮かぶ。

(……救急箱……)

 俺は棚を開け、奥に押し込まれていた白い箱を引きずり出す。蓋を開けると、古い薬袋が出てきた。

(……あった。前に俺が熱出した時の残り……)

 袋の中には、数錠の抗生物質が残っていた。

(……効くかどうかは分からないけど……何もしないよりはマシだよな)

 薬袋を握りしめ、リビングへ戻る。

「……これ。前に俺が使った残り。効くかどうかは分からないけど……試す価値はあるよ」

 グスタフは震える手で薬袋を受け取った。

「ゼクトさん……この恩、決して忘れません……!」

 二人は深々と頭を下げ、急ぎ帰っていった。

ーーーグスタフ邸ーーー

 寝室には、まだ夜の気配が残っていた。幼いレオンは汗に濡れた髪を額に貼りつかせ、浅い呼吸を繰り返している。胸と腹には赤紫の斑点が広がり、触れれば熱を持っていた。

 グスタフは震える手で水差しを持ち、ゼクトから受け取った錠剤を取り出した。

「飲めるか……? 少しでいい」

 レオンは弱々しく目を開け、小さく頷いた。

「ゆっくりでいいぞ……」

 リーネがレオンの背を支え、グスタフが水と一緒に錠剤を口へ運ぶ。レオンは苦しそうに喉を動かしながらも、なんとか飲み込んだ。

「……よくやった。偉いぞ」

 それから二人は、ただ黙って息子の呼吸を見守り続けた。
 時間の感覚が曖昧になるほど、長い長い静寂だった。

 数時間後――レオンの呼吸が、少しだけ落ち着いてきた。荒かった胸の上下が、ゆっくりとしたリズムに変わる。

「……とう……さま……」

 かすれた声が、確かに聞こえた。

 グスタフの目に涙が滲む。

「……ああ……ああ……! 喋らなくていい……楽になったのだな……!」

 レオンは弱々しく頷き、安らぎの表情で目を閉じた。

ーーー

 翌朝。インターフォンが鳴り、俺は玄関へ向かった。扉を開けると、息を切らしたグスタフが立っていた。

「ゼクトさん……! 息子の熱が……下がり始めました……!」

 グスタフをリビングに迎え入れ、話を聞いているとスマホから通知音がした。

 俺は短くうなずき、スマホを開いた。通知が一件。

【緊急限定特別価格 抗生物質:よく効きます  ~50,000,000L~ → 1,000L(SALE)】

(……おいルミナ。やればできるじゃねぇか)

 俺は即座に購入ボタンを押した。注文確定の直後、玄関のインターフォンが鳴る。

 玄関を開けると、いつものように誰もいない玄関マットの上に小さな箱が置かれていた。

(……相変わらずだな、この配送システム)

 俺は箱を持ち帰り、開封した。

「これ。昨日のは俺の残り物だったけど……こっちは子供でも飲みやすい糖衣錠みたいだ。昨日のよりは飲みやすいんじゃないかな」

「……トウイジョウ、ですか?」

「苦くない工夫がしてあるってことだ。飲み込ませやすいだろう」

 グスタフは震える手で薬を受け取った。

「ゼクトさん……! 本当に……ありがとうございます……!」

「あんたと奥さんも感染してるかもしれない。症状がでたら飲むようにして」

 グスタフは深く頭を下げ、帰っていった。

 俺はソファに沈み込む。

(……ルミナ。昨日の文句、聞いてたんだろ。まあ……今回は助かったけどさ)

 たまが膝に飛び乗り、尻尾を揺らす。

「ナァ(……ほんと、あんたは口は悪いけど優しいわね)」

 静寂の聖域に、朝の光が差し込んでいた。


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次のエピソードへ進む 第27話:レオンの快復


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 駐留所が我が家の隣にできてから、もう数週間がたった。
 二日に一度は顔を出してくるグスタフたちのことも、だいぶん分かってきた。
 グスタフが三十五歳、バルトスが四十歳、エリシュアが二十三歳。
 全員もっと若く見えたし、逆に俺のことはもっと年上だと思っていたらしい。
 おかしいな、異世界転生ものでは若く見られるのがお約束だったはずだが……まあ、無精髭のせいにしておこう。
 バルトスは年上なので「バルトスさん」と呼ぶことにした。
 グスタフとエリシュアは年下だから呼び捨てのままでいい。
 年齢の話をしたついでに「もっと砕けてくれていい」と言ったのだが、生真面目なバルトスは頑なに“ゼクト様”を崩さない。
 一方グスタフは領主らしい柔軟さを見せ、「ゼクトさん」と呼び方を変えてくれた。敬語はそのままだが、少し距離が縮まった気がする。
 魔石の問題はどうやら解決したらしく、エリシュアたち魔道士主導で進めていた新都市計画用地の整地は、ほぼ完了したという。
 あの広大な土地が、もう“街の形を作れる状態”になっているらしい。
(……早いな。魔法と人手が揃うと、ここまで違うのか)
 そんな報告を受けた日の夕暮れだった。
夕暮れの森を裂くように、重い足音が近づいてきた。門扉のインターホンが震えるように鳴り、俺はソファから顔を上げた。
 モニターに映ったのは、見知らぬ婦人と、その隣に立つグスタフだった。普段は背筋を伸ばし、街を背負う男が、今は影のように沈んでいる。婦人の方も、目の下に深い影を落とし、今にも倒れそうなほど憔悴していた。
(……ただ事じゃないな)
 俺は玄関のロックを外し、二人を迎え入れた。
「……座って」
 二人はぎこちなくソファに腰を下ろした。俺は向かいの椅子に座り、腕を組む。
「で、その人は?」
 グスタフは小さく息を吸い、俺の前で軽く頭を下げた。
「ゼクトさん……こちら、妻のリーネです」
 リーネは深く礼をしたが、その動きにも力がなかった。顔色は悪く、昨夜ほとんど眠れていないのが一目で分かる。
 その二人の表情を見た瞬間、胸の奥がざわついた。張り詰めた糸が今にも切れそうな、そんな空気だった。
「……どうしたの?今日は」
 俺がそう言うと、グスタフは一度だけリーネと視線を交わし、苦しげに息を吐いた。
「ゼクトさん……実は……息子のレオンが倒れまして。まだ七つの子です。昨日の夕刻より急に熱を出し……今朝には体に赤紫の斑点が広がり始めました。胸と腹に……触れると焼けるように熱いんです」
 拳を握りしめ、続ける。
「息は荒く、声も出せず……関節が痛むのか、身動きも取れず……。斑点は朝より倍以上に広がっていて……治癒魔法も薬草も、何一つ効かなくて……」
「……あの子、昨夜は……普通に笑っていたんです」
 リーネが震える声で続けた。
「放っておけば、その斑点が黒ずんで全身に回る恐れがあると……。どうすればいいのか……」
 俺は、グスタフの拳が白くなるほど握り締められているのを見た。
「……ゼクトさん、お願いします。どうか……どうかレオンを……救う手立てを教えてください。どれほど小さな可能性でも構いません……俺は……俺は、あの子を失いたくないんです……」
 俺はゆっくりと息を吸い、立ち上がった。
「……分かったよ。話は聞いた。ちょっと調べてみるよ」
 そう言い残し、書斎へ向かった。
 薄暗い書斎。PCの電源を入れると、静寂を破るようにファンが回り始めた。俺は椅子に腰を下ろし、検索窓を開いた。
(……赤紫の斑点、高熱、急速な悪化……七歳……)
 キーボードを叩く指が、いつもより速い。検索結果が次々と表示される。細菌性の急性炎症、敗血症前段階、皮膚膜形成症――どれも“細菌感染”の文字が並んでいた。
(……やっぱり、細菌か。魔法じゃ治らないわけだよな……)
 俺は息を吐き、背もたれに体を預けた。
 ふと、リビングに残してきた二人の顔が脳裏に浮かぶ。最近の都市計画の相談で、グスタフが家へ来ることが増えた。最初はただの仕事相手だったはずなのに、気づけば――
(……なんか、他人って感じじゃなくなってきてるんだよな)
 グスタフの必死の表情。リーネの震える声。
(……俺は、身内には平和でいてほしいと思っちまってる)
 苦笑しながら、ぽつりと呟いた。
「……引きこもりのくせに、面倒な感情を抱えるもんだな」
 呟きは書斎の静寂に吸い込まれていった。
 俺はスマホを取り出し、ルミナショッピングを開いた。新しく追加されたカテゴリが光っている。
【医療・治療】
(……あった!抗生物質……)
 しかし、表示された価格を見て固まった。
【抗生物質:よく効きます 50,000,000L】
(……五千万? ふざけんなよ……)
「おい、ルミナ!何なんだよこの値段!人の命がかかってるんだぞ!むやみに流通させようってんじゃない。今回だけでもなんとかしてくれよ…」
 手持ちのポイントでは到底届かない。俺はスマホを机に置き、額を押さえた。
(……どうすんだよ、これ……)
 沈黙の中、ふと脳裏に浮かぶ。
(……救急箱……)
 俺は棚を開け、奥に押し込まれていた白い箱を引きずり出す。蓋を開けると、古い薬袋が出てきた。
(……あった。前に俺が熱出した時の残り……)
 袋の中には、数錠の抗生物質が残っていた。
(……効くかどうかは分からないけど……何もしないよりはマシだよな)
 薬袋を握りしめ、リビングへ戻る。
「……これ。前に俺が使った残り。効くかどうかは分からないけど……試す価値はあるよ」
 グスタフは震える手で薬袋を受け取った。
「ゼクトさん……この恩、決して忘れません……!」
 二人は深々と頭を下げ、急ぎ帰っていった。
ーーーグスタフ邸ーーー
 寝室には、まだ夜の気配が残っていた。幼いレオンは汗に濡れた髪を額に貼りつかせ、浅い呼吸を繰り返している。胸と腹には赤紫の斑点が広がり、触れれば熱を持っていた。
 グスタフは震える手で水差しを持ち、ゼクトから受け取った錠剤を取り出した。
「飲めるか……? 少しでいい」
 レオンは弱々しく目を開け、小さく頷いた。
「ゆっくりでいいぞ……」
 リーネがレオンの背を支え、グスタフが水と一緒に錠剤を口へ運ぶ。レオンは苦しそうに喉を動かしながらも、なんとか飲み込んだ。
「……よくやった。偉いぞ」
 それから二人は、ただ黙って息子の呼吸を見守り続けた。
 時間の感覚が曖昧になるほど、長い長い静寂だった。
 数時間後――レオンの呼吸が、少しだけ落ち着いてきた。荒かった胸の上下が、ゆっくりとしたリズムに変わる。
「……とう……さま……」
 かすれた声が、確かに聞こえた。
 グスタフの目に涙が滲む。
「……ああ……ああ……! 喋らなくていい……楽になったのだな……!」
 レオンは弱々しく頷き、安らぎの表情で目を閉じた。
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 翌朝。インターフォンが鳴り、俺は玄関へ向かった。扉を開けると、息を切らしたグスタフが立っていた。
「ゼクトさん……! 息子の熱が……下がり始めました……!」
 グスタフをリビングに迎え入れ、話を聞いているとスマホから通知音がした。
 俺は短くうなずき、スマホを開いた。通知が一件。
【緊急限定特別価格 抗生物質:よく効きます  ~50,000,000L~ → 1,000L(SALE)】
(……おいルミナ。やればできるじゃねぇか)
 俺は即座に購入ボタンを押した。注文確定の直後、玄関のインターフォンが鳴る。
 玄関を開けると、いつものように誰もいない玄関マットの上に小さな箱が置かれていた。
(……相変わらずだな、この配送システム)
 俺は箱を持ち帰り、開封した。
「これ。昨日のは俺の残り物だったけど……こっちは子供でも飲みやすい糖衣錠みたいだ。昨日のよりは飲みやすいんじゃないかな」
「……トウイジョウ、ですか?」
「苦くない工夫がしてあるってことだ。飲み込ませやすいだろう」
 グスタフは震える手で薬を受け取った。
「ゼクトさん……! 本当に……ありがとうございます……!」
「あんたと奥さんも感染してるかもしれない。症状がでたら飲むようにして」
 グスタフは深く頭を下げ、帰っていった。
 俺はソファに沈み込む。
(……ルミナ。昨日の文句、聞いてたんだろ。まあ……今回は助かったけどさ)
 たまが膝に飛び乗り、尻尾を揺らす。
「ナァ(……ほんと、あんたは口は悪いけど優しいわね)」
 静寂の聖域に、朝の光が差し込んでいた。